魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
夜が街を覆っていた。
大きな掃き出し窓から、満月が望んでいる。
部屋の中には、グラナト伯爵がひとり。
豪奢な椅子にしばりつけられている。
「逃げろ……儂の命令だ」
グラナト伯爵は言った。
屋敷のなかにはまだ幾人かの衛兵や小間使いたちが残っている。
リュグナーに見つかれば命はない。
拷問に飽きたリュグナーは、今度は屋敷のなかをあらしまわるだろう。
防護結界を解く方法を探すついでに、何人の人間が犠牲になるか。
そうなる前に、ネットを通じて一斉に部下たちにDMを送ったのだ。
リュグナーは結界を壊すことに固執している。いちいち人間ひとりひとりを追いかけまわして殺すということはしないだろう。視界に入らなければ生き残れる可能性は高い。
腕を縛られているのにどうやってという話だが、人間には足も舌も頭もついているのだ、やってできないことはなかった。体中がきしみをあげている。
――と、そこで一仕事終え。
ふと脳裏をよぎったのは、先ほど断頭された部下たちのことだった。
魔族の強大さは身をもって知っているはずだった。だが、息子が断頭される様を思い描き、どうしても疑いの目をなくすことができなかった。その結果、犠牲を重ねてしまった。
グラナト伯爵は、深い息を吐いた。憔悴しきっていた。
「伯爵さま」
鈴鳴りの声が響いた。アナリザンドの声だ。
小窓は開けっ放しにしているが、そこから通知はきていない。アナリザンドの姿も見えない。首をできるだけ横に向けると、そこにアナリザンドはいた。
月明りに照らされて茫洋と立っていた。まるで幽鬼のように。
「アナリザンド殿か。それとも血を失いすぎて幻影でも見ているのか」
「幻影じゃないよ」
「なぜ魔族が泣いている?」
「うまくやれるって思ってたの。誰も死なせず和睦が成立するようにコントロールできるって。でも、できなかった」
両の手で両目を覆うアナリザンド。
くすんくすんと抑えるように
「すまなかった……。儂がおまえの言葉を信じられなかったばかりに、おまえのこころも傷つけてしまったのだな」
「んーん。伯爵さま悪くない。わたしが下手だったの」
「いや、儂が悪かったのだ。儂は心の底ではどこかで和睦なんぞ
「いまは違うの?」
「おまえは儂を看取りにきてくれたのだろう。死に際ぐらい素直になるさ。アナリザンド殿。魔族の少女よ、儂の衛兵を助けてくれてありがとう。感謝する。……あいつは息子の友人だった男だ」
助けたら助けられる。
人間の魔法に、アナリザンドは女神様の気配を感じた。
わたしは助けてくれた人にではなく、助けてあげた人に礼を言いたかった。
たぶん、それが奇跡の仕組み。
うまくできなかったけれど、せめて女神様の養子らしくふるまわなければならない。
女神様の
「わたしは伯爵さまを助けにきたの。今からだって、伯爵さまがアウラ様とお話しして調印すれば、戦争は終わるはず。お願いもう一度だけわたしを信じて」
「もう助からん。せめておまえだけは逃げるがいい……」
わたしは、椅子の縄をほどこうとした。硬く結ばれていて解ける様子がない。
魔族の膂力をもってしても、その縄はなお硬かった。
「震えているのか」
「
「年端もいかぬ小娘がそのような言葉を吐くな」
「ごめんなさい」
「儂には息子しかいなかったが……、娘がいたらこのような気持ちだったのだろうか」
撫でられぬ腕をもどかしそうに、グラナト伯爵は拳をにぎりしめた。
後悔で胸がいっぱいになる。いや、十年も前からもはや涙も流れぬほどに後悔しつくしている。
復讐の炎で涙を灼き、あとに残ったのは乾ききりひび割れた大地とありもしない希望にすがる日々だった。復讐を完遂できたところで、もはやむなしさだけしか残らない。
「伯爵さま。この玉座みたいな椅子壊していい?」
アナリザンドは椅子にすがりつくようにして聞いた。
うまくできるかはわからない。
人間の力を結集させた場合、伯爵ごと壊してしまうかもしれない。
「好きにしていい。愚者の玉座など、もう意味はない。儂が死んだら、領都に避難アラートを流してくれ。儂の死体を見せれば、民草も逃げるだろう。街は滅ぶが人々は生き延びてくれる」
「そうはさせないから。お願い信じて」
魔族少女は最後の和議を申し向ける。これが正真正銘のラスト・オーダーだ。
「わかった……。信じるさ」
承諾はなされた。
だが、その和議の成立を拒む者がいる。
――ギィィィィィィ。
獣のような鳴き声を響かせながら、大きなドアがゆっくりと開かれていく。
アナリザンドの表情が恐怖にかたまる。
「ハエ虫がはいりこんでいたか」
リュグナーが屍体のような表情で闇の中に立っていた。
その後ろには、×の口になりながら、ついでに腕でもバッテンをつくっているリーニエがいる。
全身全霊をかけた説得をおこなっていたため、通知が入っていたことに気づかなかった。
そんなの言い訳だ。死が迫ってくる。
アナリザンドは短い腕をせいっぱい広げて、グラナト伯爵を守るように立った。
あいかわらず、億を越える魔力があるのに、殺意を直接向けられると死ぬほど怖い。
子鹿のように、足が震えてくる。
「なんの真似だ? 魔族が人間の味方をする気か」
「わたしは平和の味方だよ。平和の使者なの。だから、あなたのことだって殺したくない」
「この期に及んで、糞にも劣る言葉をほざくな。おまえはただ狂乱を招いただけだ。魔族にとっても一定の成果はあったと認めて、見逃してやってもいい。私の視界に入るなゴミめ」
「イ・ヤ!」
わたしは戦争が
五万人分ほどの力は、それでも巨大だ。魔族にとっては逆らい難いはず。
わたしは暴力も嫌いだけど――、やむをえない。
アナリザンドの小さな身体から、魔力の奔流が巻き起こる。
人間の魔力を波動変換し、魔族の力に。
「なんだ……。何が起こっている。おい。リーニエ」
リュグナーは隣に立っていたリーニエに問いかける。
魔力探知に優れたリーニエなら別解が与えられると信じて。
羽虫のような存在がいきなり竜のように変身したのだ。
魔力を直接感じ取れる魔族が、うろたえても無理はなかった。
「……ヤバすぎでしょ。これ」リーニエは本能であとずさっていた。
「ちっ。大方、幻影魔法の一種だろう……」
魔族が魔力を見間違うはずもない。仮に幻影魔法だとしても、膨大というのもおこがましい山のように巨大な魔力に欺かせることができるなら、それはもはや幻影を越えた現実でしかない。
魔族にとっては呼吸するに等しい身体動作。魔力探知。
けれど、糞便にも劣る存在が、実際には彼の魔法を越えていたら?
それは自己のアイデンティティの崩壊を意味する。
そんなことが許せるはずがない。
リュグナーは自分にそう言い聞かせるほかなかったのだ。
己の信念を貫くため、血の鞭をしならせ、アナリザンドを打った。
アナリザンドは余裕の表情で立ち尽くす。そして――。
「へぶっ」
ゴムまりのように飛ばされるアナリザンド。壁に叩きつけられて何度かバウンドした。
単騎では残念ながら、この程度なのである。血が物理であることも影響しているのだろう。
しかしながら魔力が身を守っているため、傷一つついていない。
「ふん……、やはり雑魚か。騙されるところだった」
額に垂れてしまった汗を恥と思い、不快そうにぬぐうリュグナー。
今度こそ目障りな敵を殺すべく、アナリザンドに近づいていく。
満月をバックにリュグナーの姿がめいいっぱい広がる。
恐怖にひきつるアナリザンド。
顔はこわばり、めくれあがったスカートに足をとられてもがいている。
絶対に殺されないとわかっているのに何故怖いのか。そう思う人もいるかもしれない。
しかし、夜暗がりで、巨大な虫に遭遇したら?
しかも、その虫が顔めがけてかけあがってくるのだ。恐怖でしかない。
魔族なんて、虫けらと変わらないのだから、アナリザンドの評価はまずまず正当といえた。
ピピピ……。かすかに聞こえてくる魔導変換音。
アナリザンドの耳にだけ届くHUDのハムノイズ。
月に人の影が浮かんだ。フェルンだった。
何かの気配を感じ、振り返るリュグナー。
しかしもう遅い。フェルンは発射態勢に入っている。
「
闇夜に光る殺意の一撃!
リュグナーは脇腹と腕をえぐられ、そのまま壁に叩きつけられた。
魔族を見おろすフェルンの瞳には、これ以上なく殺意がこもっている。
「
「貴様……目の前にいるのに魔力が見えない。しかも、あの魔法はなんだ……」
「ステルス……、そしてゾルトラーク。あなたの魔力量は衰えていない。HUDは魔力量を正確に感知できます。動かないでください」
「なんだそれは……、天才の魔法を集積しているというのか! リーニエ! 何をしている。私を助けろ!」
リュグナーが怒号を発した。
しかし、リーニエは扉のほうからあらわれたひとりの戦士に釘づけになっている。
シュタルクだった。足の震えを必死に押し殺し、リーニエの脇を通り抜ける。
邂逅。そして視線を取り交わす。リーニエは動かない。いや、動けない。
「ダメだよ。リュグナー様。こいつ
「おい。フェルン。伯爵の怪我がひどい。やり合う時間はねぇぜ」とシュタルク。
「こいつは、ここで殺しておいたほうがよさそうですが」
まるで機械のように淡々と応答するフェルン。
フェルンは目の前の血鬼を――リュグナーを無価値の存在と断じていた。
彼女の価値観はこの時において、ほとんど魔族と等しかった。
会話をする存在を、言葉を交わす存在を、モノのように捉えている。
邪魔になれば消してしまえばいいと思考している。
それは殺意を越えていた。いわば限定的な虚無主義。
「姉ちゃんは和睦を望んでいるんだぜ」
「……はい」
残念そうにアナリザンドを両腕で抱えるフェルン。
いわゆるお姫様抱っこ。十歳程度に見えるアナリザンドだが、その姿はわりと小さい。
最近、いっぱい食べるおかげか力もついてきたフェルンは抱えることができた。
宝石のように大事そうに抱えられる。
「ふぇ、フェルンちゃん」
「大丈夫ですか。アナリザンド様。私の首元に手を」
「う、うん……」
ギュっとしがみつく。妹に甘えるなんて恥ずかしい。
でも、けっしてイヤな感覚じゃなかった。母親に抱かれているみたいだった。
今世では、そんな経験はなかったけれど――。
シュタルクは椅子を斧でぶっこわし、伯爵を俵担ぎして割れた窓から飛び降りる。
フェルンも後に続いた。空を悠然と飛行する。
回復に注力していたリュグナーはその後を追えない。
リーニエも同じく。いや彼女の脳内はどどめ色をした妄想で占められている。生シュタルクに接した結果、アイ×シュタがリバッて、シュタルクがアイゼンを介護して風呂に入れるのもいいかもしれないなどと考えていた。しかし、魔族の想像力は奔放にすぎる。高齢者をびーえるに出すのはルール違反かもしれない。神の裁可をリーニエは祈る。
そして、アナリザンドは側面に感じる確かな感触に、少しばかりくすぐったさを感じていた。
――柔らかい。育ってる。
お姉ちゃんは妹の成長に感動すら覚えている。
「フェルンちゃん。重くない?」
「いいえ、綿毛みたいです」
月明りの下でとてもロマンティックだけれど――。
フェルンは追撃が来ないか、HUDで探知しながら、慎重に飛行している。
残念だけど、これって戦争なのよね。
場違いながら、そんなことを思うわたしなのであった。
グラナト近郊。
距離20キロメートル程度のところ。
ようやくそこまで神速といっていい速度で進軍してきたアウラは息も絶え絶えだった。
ただ、アウラにとっては、肉体的な攻撃はあまり得意ではない。
いっしょに随行してきた首無し騎士こそが、攻撃手段であり、防御手段である。
そして、当たり前のことだが、首無し騎士たちはアンデッドの一種なので、疲れることはない。
アウラ自身がいくら汗まみれになろうが、ウンコまみれになろうが、まったく戦闘には問題ないのである。
「やっとついたわぁ……」
『街のほうに来て』という、アナリザンドのふんわりとした命令に従った結果、街の光が見えるところまでようやく辿り着く。そこでようやく肩をおろし、ぐったりと地面にすわりこんだ。
ことわっておくが、
まあそういった次第で、アウラがアナリザンドにつきしたがっているのは、単純に巨大すぎる魔力を持つアナリザンドに魔族の本能として付き従った結果である。
魔王以上といってもいいレベルの魔力量を持つアナリザンドがその気になれば、魔法でおよそなんでもできてしまう。魔法とはイメージの世界であり、論理的な記述でもあるが、そのロゴスを越えた直接的なイメージの現実化が可能となる。
アゼリューゼのように服従という過程すら必要ない。致命傷を与えてとか、身を凍るような冷たさでとか、肉体を燃やしつくす業火でとか、そういう過程が不要なのだ。
要するに『死ね』と一言呟けば、相手は塵と等しくなる。
そのことをアウラは五百年の経験と卓越した魔法技術から理解していた。
だから、要するに――怖かったのだ。魔族だって死にたくはない。
「辿り着いたわよ……はぁ……もういったいなんなのよ」
アウラはようやく起き上がり、小窓から通信をする。
が、次の指示が来ない。
絶賛、フェルンちゃんと空中デート中だったため。
そんなことは知る由もないアウラは、やむをえず待機を選択した。
街の近郊で軍勢を率いて待機中の大魔族。
人間側からみれば、それはどのように見えるだろうか。
――街を狙う悪鬼。
のように見えるのではないか。
アウラにはアナリザンドの思惑はわからないので、言葉どおりに従っているが、和睦という言葉にこだわっていたことは知っている。
(和睦ねぇ……)
そんなことが可能とは思わない。
魔族とは糞尿の泉に堕とされた穢れそのものであり、人間たちに棄却されてきた言葉であり、タナトスの申し子であるからだ。
アナリザンドも、魔族であるなら、肌感覚で理解しているはず。
β要素と言っていたが……、要するに、魔族の本能とは捨てられた赤ん坊が誰に捨てられたかもわからず『棄てないで』と喚く様に似ている。ふりかぶった腕がたまたま人間の顔にあたることもあるだろう。その腕が、魔族にとっての魔法なのである。
ゆえに和睦など、糞の役にもたたない。
字義通り、文字通り、ロゴスの正統な行使の結果、そういえる。
もしもその理を破壊せしめることができるとすれば、それはもはや魔法の領域を越えた奇跡と呼べるものだろう。アウラにはさっぱりイメージできなかったが、アナリザンドが、その奇跡を追い求めているのはなんとなくわかる。
ほんの一欠けらの執着――部分対象ではなく――統合された人格に向けられた執着。
棄ててきた首を、惜しむこころ。
――次は断頭せずに、しばらく首のある人形を置いてみようかしら。
そんなことを思ったりした。
それはアウラの内面で静かに進行する魔族としてのバグのような思考。
人間が言うところの愛の萌芽であったが、その思考が言葉として誰かに伝わる前に中断された。
投げかけられた絶対零度の言葉。
「久しぶりだね。アウラ」
月をバックに、空からそんな声が響いた。
フリーレンが、空を泳ぐようにゆったりと地面に降り立つ。
(げぇ。フリーレン!)
アウラは顔がひきつらないか心配した。
あいかわらず、魔力量はてんでたいしたことないように見えるが、少なくとも自分の倍以上はあるのだ。服従させる魔法が効かないことは、算数みたいに簡単な問題だった。
和睦か戦争か。
アウラの持つ天秤が、魔族の手のなかで揺れた。