魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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ポスト・フェストゥム

 

 

 

「久しぶりだね。アウラ」

 

 フリーレンは飛行魔法を使って、アウラを見下ろしていた。

 ただし、人間の飛行魔法は原理まで解析されたものではない。

 フワフワと浮かんでいるようなもので、その巡航速度は遅い。

 

 ただ、フリーレンは自己の優位性を示すために、見下ろしたのだろう。

 ()()()()()()()()()()()のだ。

 

「そうねぇ。80年振りかしら、フリーレン」

 

 一方、アウラのほうは最大の脅威が目の前に迫っており、内心では焦っていた。魔族にありがちな超硬度の表情筋のおかげで、なんとか平穏を保っているが、アナリザンドくらい柔らかくなっていれば、てんやわんやだったに違いない。

 

 どこかでも述べたかもしれないが、魔族の表情は()()()である。人間のように内心が自然と表出されるのと違い、あらかじめ創っておいた表情を、選択するといった方式を採用している。

 

 たとえば、アウラの場合、傲岸不遜1を選択し、傲岸不遜1が表出されるといった次第だ。

 

 人間と応対するときは、そんな感じなのである。

 

 天秤がかすかに揺れていた。アウラの指先が震えているからだ。だが、フリーレンはそのかすかな違和感に気づかない。風に揺れているくらいに思っているだろう。見たくないものは見ない。都合が悪いものは見ないのが人間である。

 

「この先の街に行くつもりでしょ。引き返してくれるとありがたいんだけど」

 

 フリーレンは提案するかのように言った。ただしそれは交渉のためではなかった。

 相手が対話できる存在であると確かめるためのアリバイづくり。

 これから殺す相手が人間ではなく、ただの獣であることの証明書を発行する行為だ。

 

「い、いわよ」恐怖で舌がもつれてしまった。

 

 アウラは元来、臆病な性格である。それにお腹がさきほどから痛むのだ。疲れているのだ。帰って寝たいのだ。しかし、それらはフリーレンには伝わらない。

 

「いやよ、か……やっぱり思ってたとおりだ」

 

「は?」アウラはあぜんとしていた。選択式ではない自然な感情表出もできないわけではない。アウラはそれができるくらいには高等な生物であるし、なにより、驚きというのは反射行動に近いからだ。動物だって驚きはする。

 

「お前達には言葉が通じない。人間の声真似をするだけの猛獣だ」

 

「話してるじゃない。あなたは今、誰と話してるのかしら」

 

 言葉が通じない経験は魔族にとっては、当たり前の風景だが、フリーレンに対しては輪をかけて話が通じそうになかった。

 

 背景事情も問題があるのだろう。フリーレンは応えず、独り言のように続ける。

 

「考えてみれば当然か。こんな夜更けに進軍させて、お前達が結界の崩壊と街の蹂躙を狙っているのは、もはや証明されているようなものだった。フェルン達があんなに言うもんだから、本気で和睦したいのかと、チラっとでも考えて損したよ」

 

「和睦するんじゃなかったのかしらぁ」

 

 アウラはアナリザンドの言葉を信じたわけではない。だが、人間が連帯し、あるひとつの目的に向かって同一化できることを知っている。人間側が和睦をするといった以上(しかも、グラナト伯爵という、魔族にとってはさっぱりわからないが、ともかく偉いやつが決めたことだ)フリーレンもその和睦に組みこまれるというのが基本ラインであるはず。

 

――フリーレンはルールも知らない野蛮人なのかしら。

 

 アウラはお前は本当に人間かと問いかけたのだ。

 

「魔族流の和睦でしょ。知ってるよ。そんなこと」

 

「アナリザンドのよ」

 

 アウラは小窓を出現させた。

 アナリザンドに何度か通知を送ってみるが、やはり答えはない。

 こういうときどうすればいいか。指示はなかった。

 

「アナリザンド……、やはりあいつか」

 

 さきほど街のほうから、一瞬立ち昇った嵐のような魔力のオーラをフリーレンもアウラも卓越した魔力探知によって把握していた。

 

 アナリザンドが、今回、借り受ける力を領都だけに限定したのは舐めプではなく、戦争の行く末を見守る民草の声を代表したかったからだが、五万程度の魔力でも、千や五百の魔力からすれば途方もない数値である。

 

 裏ですべての糸を引いていたのは、自らの魔力すら隠匿してみせる異常な個体。

 魔族にとってすらエラーである超常の存在としか言えなかった。

 

「あなたも感じたでしょう。途方もない魔力の奔流を……アナリザンドはおそらく次期魔王として選定されるわ。あなたや私みたいなちっぽけな存在なんて、意見するのも憚られる。おとなしくお家に帰って震えていたらどうかしら」

 

「敵が強大だからって立ち向かわないとでも思った? 五百年前の私だったら尻尾を巻いて逃げていただろうけどね。ヒンメルなら立ち向かう。私は勇者一行の魔法使いだ」

 

「魔力量こそがすべてなのよ……。おまえは知らないだろうけど、アナリザンド()の力はあんなもんじゃないわ。あれでも力を抑えているのよ。どうしてだかはわからないけれど」

 

 十億を越える魔力量。それはもはや誰にも殺せない神とも呼べる力だった。

 死を賜ることすら、アナリザンドにとっては呼吸をするかのように容易いだろう。

 アウラはそれを身をもって体験しており、フリーレンも、その一端に触れたのなら、合理的に考えて、逃げる選択をすると思っていた。

 

 つまるところ、アウラは魔族流の()()()()をしているのだが、フリーレンを煽る結果となってしまった。勇者は逃げるときもあるが、強大な敵に立ち向かう。ゆえに勇者と呼ばれるのだから。

 

 ()()()()()()()()()()など、人間の勇気と智慧で覆せる。

 

 ヒンメルと過ごした日々を、かけがえのない旅路を胸に秘め、フリーレンは戦いを選択した。

 

 彼女は裂傷に手を当てたのだ。見ないように。痛みに耐えるように。

 無意識のうちに目をつむった。そしてほどく。

 不思議なほどに澄み切った瞳だった。

 殺意すら透徹させた――虚無のまなざし。

 

「ひ」

 

 アウラの生物としての、本能的な恐れが首無し騎士に伝わった。

 首無し騎士が剣をふりかぶり、フリーレンを斬ろうとする。

 フリーレンは軽いスウェーでそれを躱した。

 

――この場合、開戦ののろしをあげたのはどちらだろうか。

 

 女神教では女性を欲情のまなざしで見れば、それはもはや姦淫と同等であると言われている。

 そうであるならば、殺意のまなざしで見れば、それはもはや殺人と同等なのではないだろうか。

 

 だが、フリーレンにも言い分がある。魔族に族滅された怨み。ここで狩りとっておかねば同様の事態が起こるだろうという昏い予感。そして、アナリザンドによって自分とアイゼンの弟子たちが尖兵として差し向けられるという異常といってもいい策謀。

 

 フリーレンは弟子たちとの鬼ごっこで相当の魔力を()()()()()()()()()

 アウラの服従させる魔法(アゼリューゼ)は、魔力の現在値を参照とする。いまだ討滅できる程度には残っているが、満タンの状態に比べれば、確実に少なくなっている。

 

 ほんの少し前、アイゼンが『言葉でも人は殺せる』と言った。

 その言葉の意味を、フリーレンは満腔をもって理解した。アナリザンドの『言葉』によって自分は殺されようとしている。だから、アウラを殺すことは、フリーレンにとって完全なる正当防衛だったのである。

 

「あのときより増えている」

 

 フリーレンが冷静に周囲を観察した。

 首無し騎士たちが群れを成し、死者の軍勢と呼べるほどの規模になっている。

 

 あのときとは、ヒンメルとともにアウラを撃退したときの話だ。アウラの首無し騎士はそのときに一旦、全滅に近いほど数を減らされていたのだ。

 

 それからヒンメルが亡くなり、グラナトとの戦争が再開し、約三十年ほどの時が経過している。

 

「最低に趣味の悪い魔法だ。反吐が出る」

 

「ひどい言いようね。せっかく頑張って集めたのに」

 

 アウラは頬に手をあて、メスガキの微笑2を選択した。

 相手を見下す傲慢さと悪意がそこに見て取れる。

 しかし、そうではなく――、その本質は防衛。

 

――断頭コンプレックス。

 

 去勢の否認。つまりそれは裏返って、女性(アウラ)の承認なのである。

 アウラは、自身の存在証明のために、断頭せざるをえなかった。

 それがアウラの魔法の本質。

 したがって『反吐が出る』というフリーレンの言葉は、魔族にとってこれ以上ない侮辱であり、存在否定であり、そして赦されざる言葉なのである。

 

 フリーレンの言葉を否定しなければ、アウラは死ぬ前に死んでいる。

 

「見知った鎧がいくつかあるね。アウラ、やっぱりお前はここで殺さないとダメだ」

 

 街の衛兵と同じ鎧を着た比較的新しい死体もあった。

 抗魔のペンダント。ただのアクセサリーもあるかもしれないが――、生き残りたいという人の想いの残滓が、そこに見て取れる。無念の想いが感じ取れる。

 

 殺戮許可証は発行された。発行者はフリーレン自身だったが。

 

「殺されたくはないから抵抗するわね」

 

「抵抗? 侵略だろう」

 

 いずれにしろ、和睦の言葉は棄却された。

 あとは実力行使と精神攻撃としての言葉だけがそこに残る。

 

 アウラとフリーレンは交戦状態に突入した。

 

 

 

 

 

 首無し騎士たちがフリーレンを取り囲む。

 フリーレンは視線を這わせ、剣先の風を見切って、それらを避ける。

 横切りを猫のようにしゃがんで躱し、刺殺しようとする動きは後退することで、剣先を逸らした。魔法使いは物理攻撃に弱い。防御魔法も多少は効果があるが、減衰されてしまう。

 

 じわじわと迫る首無し騎士たち。

 追い詰められるフリーレン。

 小さくガッツポーズするアウラ。

 

「どう? 私の不死の軍勢は強いでしょ?」

 

 フリーレンは応えない。

 杖を横にし、祈るように目を閉じる。

 杖が夜闇に光り、解呪の波動が周囲に伝わった。

 周りを取り囲んでいた数体の首無し騎士たちが、本当の意味での死体に戻った。

 

「驚いたわ。私の魔法が解除されている。こんなことは初めてだわ」

 

 アウラは忌々しそうに呟いた。自分の魔法が否定されることは、アウラ自身の否定につながるからだ。本性的な忌避感情であるので、それは避けようがない。

 しかし、フリーレンの行動は、アウラにとって有利に働くものでもあった。

 

「素晴らしいわねフリーレン」

 

 アウラはフリーレンの行動を称賛する。

 

「なにがだ」

 

「これほどの解除魔法、魔力の消費も相当なものになるはず。本当に人間って不思議だわ。鎧や剣や装飾品に魂が宿っていると妄想し、その妄想に殉じようとするのだから。いまのあなた、とても人間的よ」

 

「アウラ、それはおまえの発想ではないだろう」

 

「そうよ。アナリザンドの言葉。でも、私だって学習するわ。あなたは誰に教えられたのかしら。80年前は派手に吹き飛ばしていたじゃない」

 

「後でヒンメルに怒られたんだよ」

 

 フリーレンは叱られた子どものように、地面に視線を這わせた。

 ただ、じっとヒンメルが見つめて、幼子を叱る父親のように言い聞かせた。

 あのとき、大地には躯となった鎧たちがバラバラになっていた。フリーレンの魔法で身体がひきちぎられ、手も足も、誰が誰なのかわからない。それをハイターやアイゼンや、城のみんなでなんとか形にし、祈りをささげ、ようやく安寧を得たのである。

 

「そう」アウラは微笑を浮かべる。「あなたの中に()()()()()()()のね」

 

 フリーレンは目を見開いていた。

 驚くべき言葉。魔族からはどう足掻いても出る言葉ではなかった。少なくともフリーレンの主観的事実においては、絶対の真理だったのだ。

 

 ゆえに、彼女は恐怖した。

 手が震えた。恐ろしい。魔族の擬態が人間に近づいていく。

 

「おまえは……ここで殺さなきゃダメだ」

 

「殺されるのはあなたのほうよ、フリーレン」

 

 首無し騎士たちが差し向けられる。

 

――死者の使者として。

 

 フリーレンが魔族の呪いを解除する。

 しばらくそんなターンが続いた。

 フリーレンの焦りはつのる。

 真綿で首を絞められるような、そんな気分。

 だから言ってしまった。

 

「おまえ……、HUDを使っているのか?」

 

「HUD? なによそれ」

 

 アウラはそこまで人間の魔法に精通しているわけではない。

 それだけの時間はなかったし、アウラも基本的には自分の魔法以外は使いたくない。

 何度も繰り返しになるが、魔族にとっての魔法とはアイデンティティそのものであり、他者のそれを利用することはあっても、自身の土台に据えるということはなしえないのである。ありえるとしたら、己を無名や模倣であると定義する魔族くらいだろう。

 

「……」フリーレンは応えない。先ほどの言葉を取り消したかった。

 

 だが、アウラは気づいてしまう。

 そして、先ほどの侮辱に対する復讐として呪いの言葉を放つ。

 

「フリーレン、あなたの魔力量のことは聞いているわ」

 

「……」

 

「正直信じられなかったけれど、私の魔力量を500程度だとすると、あなたの魔力量は1200程度だそうよ。ひどいわよねぇ……。こんな屈辱を受けたことは初めてだったわ」

 

「私はそんなに強くない。買いかぶりすぎだよ。確かに私の魔力量はおまえを超えている。でも、二倍以上の魔力量があるなんて嘘だ。おそらく、アナリザンドは私を確実に殺すために、あえて嘘をついたんだろう」

 

「嘘? ふふ、アナリザンドの言葉は、嘘でも本当になるの。彼女が白と言えば黒でも白、黒と言えば、白でも黒なのよ」

 

「哀れだな、アウラ。おまえは自分の魔法に自信がないのか? アナリザンドはおまえの魔法より、単なる物量を信じたんだ」

 

「そう思うなら勝手にすればいいじゃない」

 

「アウラ、服従させる魔法(アゼリューゼ)を使え。そうしたいんだろう」

 

「ええそうよ。それは否定しない。けれどもう少し安全策をとらせてもらうわね」

 

 再び首無し騎士をけしかけるアウラ。

 フリーレンが解呪魔法を使う。その顔には冷徹さがはがれ、焦りの表情がありありと浮かんでいる。もはや、フリーレンに余裕はなかった。

 

 フリーレンは大きく肩で息をしている。

 アウラは冷静に彼女の魔力量を観察するが、HUDを使わない観測では、小出しにされている魔力の現在値がわからない。けれど、軍勢の数はまだまだ多い。フリーレンを削り殺すのには足りそうだ。

 

 アウラは少しだけ慢心した。

 

「苦しそうね。フリーレン。もう矜持なんて棄てて、鎧なんて派手に吹き飛ばしてしまえばいいじゃない。そっちのほうが魔力消費は抑えられるんでしょう?」

 

「ヒンメルはそうしない……」

 

「ヒンメル、ヒンメル、ヒンメル、ヒンメル! 馬鹿じゃないの。そんなにヒンメルが好きなら、ヒンメルといっしょにお墓に入ればよかったのよ」

 

「ふざけるな!」

 

 珍しいことに、いつも冷静沈着なフリーレンが怒りをにじませていた。

 感情の揺らぎが魔力の揺らぎと重なり、抑圧されていた魔力が漏れ出している。

 

「ふざけてなんていないわ。人間は後悔して生きていく者だそうね。確か――ポストフェストゥム。後の祭りとか言ったかしら」

 

「それもアナリザンドの言葉か」

 

「ええそうよ。でも違う。それは()()()()()()()()よ。おまえは本当はヒンメルとともにお墓に入りたかったんじゃないの? いいえ、違うわね……。そう、おまえはヒンメルとともにたった十年しか生きられなかったことを後悔しているのよ」

 

「違う……。寿命が違うからしかたなかった」

 

「違わない。ヒンメルを殺したのは()()()()()()()だ。いまさらヒンメルがああしたこうしたと言ったところで、後の祭り。魔王様を殺してから、五十年。人間にとっては人生の大半とも呼べる時間よ。それだけの時間、おまえは何をしてきたの」

 

「何も知らないくせに」

 

「知ったこっちゃないわ。あなたとヒンメルの関係なんて、私は知らない。ただ……、ネットには書かれているわ。ヒンメルはフリーレンを口説くこともしなかったインポ野郎だってね」

 

「アウラぁぁぁ!」

 

 フリーレンが漆黒のゾルトラークを放つ。

 首無し騎士たちが立ちふさがり、吹き飛ばされ、しかしなおアウラを狙い直進する。

 肉体的には、あまり強くないアウラであるが、それでも七崩賢としての能力は魔族のなかでも上澄みにあたる。ギリギリで避けて、アウラは傲岸不遜2を選択した。

 

「ほら、あなたのせいでいくつかの鎧がバラバラになった。またヒンメルに怒られるわよ。グラナトからの損害賠償額が大きくなるから勘弁してくれってね」

 

「ヒンメルの生き様を侮辱するな」

 

「ヒンメルはもういないじゃない」

 

 アウラは嗜虐的な笑み3を浮かべる。

 

「お前が殺したのだから」

 

「私は知らなかったんだ。人間がこんなに早くいなくなるなんて知らなかったんだよ」

 

 フリーレンは泣きそうな顔になった。

 

「いいのよ。私はどちらでも。あなたの選択に魔族の領主として敬意を払うわ。ヒンメルをまた殺したければそうすればいい。ほんと、ヒンメルが哀れよねぇ。愛した女にこんなに薄情に扱われて、何度も何度も繰り返し殺されて、本当にかわいそう」

 

 天秤が揺らぐ。

 

 もはや和睦や戦争という言葉ではない。

 

 フリーレンは選ばなければならない。

 

 自分の中のヒンメルを殺し、精神的に殺されるか。

 自分の中のヒンメルに殉じ、物理的に殺されるか。

 

――天秤に乗っているのは。

 

 ヒンメルとフリーレンの魂。

 恋する乙女と冷たい殺戮者の魂。

 人を人として愛する人間と人をモノとして殺害する魔族の魂。

 

――ヒンメルを殺すか。ヒンメルに殺されるか。

 

 怒りと憎悪とほのかな愛情となつかしさと哀しみで、ほとんどフリーレンの頭の中はめちゃくちゃだったが、まだ幾分か冷静に判断する部分も残っていた。アウラが言うとおり、解呪にこだわっていたら殺される。

 

 だが、また殺すのか――。ヒンメルの想いを追い求めておきながら、結局、生き汚く、勇者の誇りを踏みにじるのか。そんなの獣と変わらない。いままで忌避していた魔族と変わらない。

 

 杖の先が、カタカタと震えた。風に揺れている。

 

 こんな事態になる前に、いくらでも他にやりようはあったはずだ。フェルンの諫言を聞き入れていればよかったのか。アイゼンの忠告を聞き入れていれば結果は違ったのか。あるいは、ハイターはアナリザンドと仲良くしろと言った。その言葉を受け入れなかったのが悪いのか。私が全部全部悪いのか。私が……全部。

 

 ヒンメルはもういない。私を叱ってくれるヒンメルはもういない。死者は何も語らない。私が悠久の時の中で殺してしまった。ヒンメルと別れてから五十年。私はヒンメルのことなんて忘れていたのだから。

 

『きっとあなたは後悔することになる』

 

 しかし――、もはや後の祭り。

 新たな裂傷がフリーレンの胸を引き裂いて産声をあげた。

 




 本来ならここで区切ってもよかったのだが、いまひとつだけ描写しよう。
 はばかりながら申しあげる。

 アウラは、揺らぐ天秤を見ながら、自身がまさにアナリザンドの巨大な手によって、吊り上げられ、天秤のように扱われるかのように感じていた。運命がフリーレンを殺しにかかっている。
 だが、ふと思う。アナリザンドは、あくまでも変流器のようなもので、実際に背後にいる大魔王はまた違う存在なのではないか。

 自我や超自我が正常/清浄に発達した者は、その発達過程において、狂人を放逐する。つまり穢れを棄却する。なぜ棄却するかというと、狂人を恐れているからである。いつか辺境に放逐した者たちが徒党を組んで襲ってくることを恐れているのだ。その『恐怖』によって連帯することで、多数派たちは、すなわち人間病に罹患した人間たちは、権力を有する。

 消費者――まなざす者たち――あなたがたこそが大魔王である。

 アナリザンドは大魔王に飼われている猫に過ぎない。
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