魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
笑いの根源とはなんだろう。
きっと、耐えがたい
わからない人は、突き抜けるような青空を見てみればいい。
あらがいがたいほどに美しく深みを持つ虚空に、自分が吸いこまれていく感覚がするはずだ。
そして、思わず――
魔族には持ちえない感覚。わたしには遠い記憶。
人間的存在の本質は対象аという存在の陥穽にこそある。
そこから、逃れたいという防衛機制こそが笑いを生む。
笑いという事象に着目すれば、それは「は」という息を吐き出す動作である。
笑いという推進力で、虚空というブラックホールから脱出しようとする。
彼の背後には、虚無の女神が微笑んで、彼が帰ってくるのを待っている。
アナリザンドはそう思うわけです。
――ゼーリエがニッコリと笑っていた。
そう、ものすごく慈愛溢れる微笑をしていた。
いつもの不敵な笑みではなく、なんというか無邪気な少女の笑みだ。
先生は容姿で言えば美少女だし、エルフのそれは完成されている芸術品のように美しい。
人間が女神様の私生児に過ぎないとしたら、エルフはおそらく女神様の直系だろう。女神様のお耳は長いもんね。
そんなゼーリエが、女神様のように優しく恐ろしく微笑んでる。
アルカイックスマイルを浮かべている。
「はは……」
わたしも思わず笑っちゃう。
ひきつった笑いである。恐怖しかない。
「先生、取り立ての時期はまだ先のはずだよね……」
ある日、ゼーリエに呼ばれたわたしは、召喚獣みたいにすぐさま駆けつけた。
今日もなにかおごってくれるのかな、と、ルンルン気分(死語)だったのである。
そして、いつもの謁見の間で、待ち受けていたゼーリエは言葉ではなく笑顔で応対した。
「なあ、アナリザンド……。おまえ、私には配信を控えるように言ったよな。自分の取り分が減るから勘弁してくれとかなんとか言って」
「そ、そういうこともありましたね」
「あの魔族――リーニエとはしっぽり仲良く配信してたじゃないか。あれはなんだ?」
「えっとですね。あくまで、わたしの配信にゲストを招いたって形なんです。リーニエちゃんには配信権を渡したわけではないですし、彼女自身もそれほど配信に興味はないみたいなんですよ」
営業マンのように、丁寧に応えるわたしである。
ごますり。ごますり。ごますりすり。
「ふざけるなよ」ゼーリエが唾を吐くように言う。「私が最初に配信するはずだったんだぞ。私の気遣いを踏みつけにするな」
「ご、ごめんなさい。先生。でもしかたなかったの」
「ほう。次は言い訳のターンか。言ってみろ」
「リーニエちゃんは曲がりなりにも人間とわかりあえた魔族でしょ。まだやっぱり知られていないことも多いし、先生たちも戦々恐々、半信半疑、どんな子だろうって知りたがってると思ったの」
「おまえが説明すればよかっただろう?」
「伝聞での情報はどう考えても劣化するよね。わたしが知覚し、記憶し、表現し、叙述する。この過程のなかで、わたしという存在を通してリーニエちゃんはろ過されて、都合のいい存在になっちゃう。でも、これからリーニエちゃんは人間社会で暮らしていくことを約束してくれたんだよ。今のうちに人間たちとたくさん触れ合っておかなくちゃ、ダメなんじゃないかって思ったの」
「嘘だな」
わたしの想いをこめた言葉は、バッサリ一刀両断された。
「う、嘘じゃないよ」
「嘘、ではないかもしれん。おまえがそういう想いを持っていたのもそうなのだろう。だが、リーニエは既にグラナト伯爵領で暮らしているし、ネットも使っているらしいじゃないか」
「そ、それはですね。リーニエちゃんかわいいから、きっとみんなにも気に入られると思って」
「私は人々に気に入られないと?」
「違います! 違います! そうではなくてですね。ほら――、えっと、リーニエちゃんは魔族。わたしも魔族じゃないですか。同族どうし配信に出演してもらうのは人間的文脈ではおかしなことじゃないでしょ。保証人にもなったことだし」
「それで?」先生の声が冷たい。
「先生は人間側でしょ。わたしといっしょに出演したらおかしいじゃん。わたしに首輪でもつけて配信するなら調伏してますアピールになるかもしれないけどさ」
いちおう、世間的にはゼーリエには逢ってもいないし、話もしていないことになっている。
魔法的なアレコレで、なんかいい具合に、ゼーリエがアナリザンドを制御していることになっているのだ。いっしょに出演しちゃっていいのかは謎である。
「なら、配信権を渡せ。私がひとりで勝手に配信する。それならいいだろう?」
「そ、それはマズイですよ」
わたしはリーニエちゃんのポテンシャルにおののいていた。
あれだけ短時間でわたしの三か月分のスパチャを手に入れたのだ。
ゼーリエが精力的に、めちゃくちゃなスピードで配信しはじめたら、リーニエちゃんどころの話ではなくなる。こう見えて、先生は案外寛容的なのだ。態度としては傲岸不遜だが、人間たちが赤ん坊みたいに見えている。だから、先生たちがセクシャリティ溢れる発言をしても、笑って赦すだろうと思う。そんな先生のことを人間たちが嫌いになるわけがない。
いまはまだわたしのシノギを削りたくはなかった。
というか、わたしの稼ぎまで取られちゃったら、破産しちゃうよ! 先生!
「マズイのはおまえの都合だろう。出演もダメ。配信もダメ。なら、私はおまえとの約束を唯々諾々と守って、ひとり寂しくホームページをシコシコ改造していろというのか」
「うう……」
ゼーリエの詰問にわたしは懊悩する。
最近、悩みが増えたのは、わたしが人間のエミュレートをうまくこなしている証だろうか。
「選べ。出演か配信か」
「せんせー。どちらといえば出演のほうがわたしにはダメージ少ないと思うんだけど、せんせーはそれでいいの? 人類の裏切り者だって思われちゃわない?」
「……おまえは自分のやってきたことも忘れているのか」
「んぅ?」
「グラナトでやってきたことは、人間たちにとっては画期的なことだったんだ。それこそ天地がひっくり返るような出来事だ。魔族であるおまえが人間たちの信頼を勝ち取ったとみていい」
「本当に? よくわからないんだけど。人間の真似をしてきただけだし。結果はさんざんだったよ。わたしが介入しないほうが、もしかするとグラナト伯爵は息子さんのご遺体を傷ひとつなく取り返せたかもしれないし」
ゼーリエは溜息をつく。
幼子に言い聞かせるような口調になった。
「先日、街のカフェに私といっしょにでかけただろう。そのとき私とお前はどちらもフードを被っていて、お忍びの恰好だったわけだが……、あれは誰かには気づかれている。だが、その気づいた誰かの気遣いで、誰にも声をかけられなかった。つまり、そういうことだ」
「そうなの?」
「ああ……、おまえは人間に受け入れられている。多少はな」
「うれしい。うれしいよ先生……」
ぽろぽろと涙が出てしまう。こんな情動疾患、恥ずかしい。
お粗相をしてしまったみたいにばつが悪い気分になる。
でも初めて実感できた。グラナト伯爵や一般衛兵お兄さんみたいに個人の感謝じゃなくて、人間という総体が、先生たちがわたしという存在を受け入れてくれているって。二次元の無関係な存在じゃなくて、三次元の存在として見てくれているって。
ゼーリエ先生が教えてくれた。
「おまえは本当に上も下もガバガバだな。こっちへこい」
「んぅぅ」
また、撫でてくれるのかな。
そんな媚びた心で近づくと、先生は人差し指でわたしの涙をぬぐい――。
そして気づいたらグイっと引き寄せられるように、わたしは先生の胸の中におさまっていた。
正確に描写するならば、わたしの首のあたりに先生の腕がまわり、ちょうど後ろから抱きしめられるような形だ。いやこれもう首絞めの態勢なんですけど。
な、なに!? ちょっと怖い。
「さぁ。配信の時間だ」低い声でゼーリエが言う。
今は見えないけど、今度は絶対不敵な笑みを浮かべているのがわかる。
情緒がなさすぎる。
どんだけ配信したいんだよ! もしかして溜まってたの?
「先生、がっつきすぎ。配信は逃げないからぁ。せめて涙の跡くらいふかせてぇ」
「おまえが言ったんだ。私がおまえを調伏せしめているという状況こそが最適だとな。地べたに座れ、犬のようにお座りしながら配信しろ。私はここでいつものように椅子に座りながら、出演してやる。首輪は勘弁してやるから慈悲深いだろう」
「慈悲深すぎて涙がでそう……」
「演技がしやすくてよかったじゃないか」
「はは……」
乾いた笑いが、わたしから漏れた。
それは、虚無の女神様へお尻を向けて放屁するがごとく――。
「覚えておけ。おまえと共演する
「こんマゾ~~~~。ははっ。先生たち。こんなんなっちゃった……」
わたしは配信を開始した。
いま、わたしはさきほどの宣告どおり冷たい地面に――正確には座布団のようなものを用意されて、その上に座り、先生にけだるそうな顔で頭に手を置かれながら配信している。
ぶしつけに、自由に撫でられる。飼われた猫状態である。
やめて髪の毛みだれちゃう。あとでゼンゼ先生になおしてもらわなきゃ。
『おいおい。どういうことだってばよ』
『悲報。アナ様。ゼーリエ先生にいじめられる?』
『ついにゼーリエ先生が、アナ様を完全にくだしたのか』
『インターネットどうなるんすかね』
『まあ、グラナトの和睦も先生が裏で手を引いていたんだろ。予測できたことだ』
『東の国では、化生の存在を式神という形で使役しているらしいが、そんな感じか?』
『ハハ。アナ様。完全敗北じゃんwww』
「こんエルだ。知らないやつはいないと思うが、自己紹介させてもらおう。大陸魔法協会の長、大魔法使いを越える
ゼーリエはいつものように偉そうに言い放つ。
実際に偉いのだからしかたない。
『こんエル~~~~』
『こんエル。ゼーリエてんてー』
『アナ様とはどういうご関係なんですか。ずいぶんかわいがっておられるようですが』
『ときどきアナ様を裸散歩させてますか? 30000AP』
『だいだいまほうつかいって、スゲェ頭悪そうwwww』
「実際にわたしは、大魔法使いと呼ばれているフランメの師匠なんだぞ。大魔法使いという呼称はふさわしくないと思っていたんだ。うまい呼称が見つからずそのままになっていたがな」
『先生でいいじゃない』
『先生は先生だよ』
『超魔法使いとか?』
『スーパー魔法使い』
『スペシャル魔法使い』
「貴様たちの想像力はそんなものか。魔法はイメージの世界だ。もっと私にふさわしい二つ名をつけてみろ。おまえたちならできるだろう?」
先生がすごく楽しそうでなによりである。
ゼンゼ先生の空気になりたい気持ち、すごくわかっちゃった。
『ツンデレのゼーリエ』
『ツンデレ』
『アナ様大好きゼーリエ』
『メランコリック・ロリババァ』
『アナ様の飼い主ゼーリエ』
『先生は名前がもはや二つ名みたいなものだからなぁ』
「ふむ……。まあ、私は既に二つ名すら必要ないというのは、なかなか的を射ている意見だ。褒めてやろう。大陸魔法協会に来い。五級は無条件に授けてやる。おまえが五級なら四級をやろう」
『え、もしかしてゼーリエ先生にいい意見を出したら一級にもなれちゃう?』
『お弟子さんたちがガクブルしてんじゃね。先生が無茶しないか』
『さりげなくダイレクトにおこなわれる勧誘』
『メランコリックロリババァが強すぎる件』
『それよりアナ様。撫でられすぎて、モップみたいになってるんだけどw』
あうううう。撫でられすぎて髪の毛が目のほうにまできているよ。
もう、わたしはなされるがままのマグロ状態だけど。
「おい。アナリザンド。なんか言え。黙っているだけか」
ゼーリエ先生は無反応はお好みではなかったらしい。
この人、泣かせるのを喜ぶタイプだ。嗜虐的すぎる。
「先生……。髪の毛グチャグチャにしないで。乱れちゃうよ」
わたしが嫌そうに言うと、ゼーリエはニチャアと邪悪な笑いを浮かべる。
「見よ。おまえたち。アナリザンドはもはや恐れるに足らん。こいつがいくら嫌がろうとも、私は自由に無理やりこいつの髪の毛をグチャグチャにできる。無論、髪の毛だけではない」
『髪の毛だけに限られないんですね? 具体的にはどのような感じなのでしょうか』
『さすがゼーリエ様。その調子で、アナ様をひんむいてください』
『涙目なアナ様が……こう、なんというか、かわいい』
『いつもよりアナ様が幼げな感じ。ロリ神様だからおかしくはないが、子どもっぽい』
『アナ様ってのっけから恐れるに足らない感じはしたけど』
『いつものお澄ましアナ様じゃない!?』
『ゼーリエてんてー。ネットはとりあげないでください。50000AP』
「インターネットの件については、こいつを使役するかたちで私が管理者となる。とりあげるつもりはないから心配するな。このゼーリエが自分の名をかけて保証しよう。ただ、私もネットの管理というのは
『魔族とはこれから仲良くしていったほうがいいんですか?』
そんな意見も当然出た。
「魔族は人殺しの種族だ。基本的には相いれないと考えていたほうがいいだろう。お前達が研鑽を積み、圧倒的な力を身に着ければ可能かもしれないが」
『アナ様は例外なのかなぁ』
『でも、リーニエ様みたいな例もあるし……』
『魔族はこえーやつらなんだって、人間喰うんだぞ』
『魔法使いや戦士でもないと対抗できないしな』
『野生のお猫様は怖いという感じで考えていたほうがいい』
「そうだよ、先生。魔族を説得するにはものすごい時間とお金がかかるの。リーニエちゃんにはなんと、100万APもかかったんだから! コストが重すぎます!」
わたしは魔族の恐ろしさを伝えるために言った。
グラナトという検証実験場は、わたしの魔族に対する知見を深めさせた。
正直、魔族は同一化傾向がないから、ひとりひとり説得していくしか、共存可能性はない。
あるいは隔離。わたしが完全なるバーチャルリアリティを創りあげて、そこに人間が退避するか、魔族たちを封じこめるか、その二択しか存在しないように思う。
次元の壁を隔てて、両者は交流する。
『あ、今日も魔族さんに殺されちゃったかぁ』/『人間さんの臓物おいしーまた私に殺されてね』
こんな感じの図式。ただ、これは夢物語に過ぎない。
現実的には、いまはまだ肉体的な接触はありうる。
――というのはどうでもいい話。
わたしは、魔族とか人間とかの種族の話はどうでもよくて、わたしとあなたというミクロな話のほうにこそ興味が向く。
『アナ様。買収したのかよwww』
『リーニエちゃん買収されちゃってたwwwww』
『魔族ってお金渡せば殺されないで済むんですか?』
『悲報。和睦の裏には金銭的なやりとり』
『いや、アナ様賠償してくれてるんよな。金銭は大事』
「お金で魔族を説得できるかどうかも、その魔族次第なんだよ。先生たちは野良魔族に逢ったらすぐに逃げるべき。リーニエちゃんはいい子だけどね」
「おい。おまえだけ楽しむな。私にも
ゼーリエ先生、頭ぐりんぐりんしないで。目がまわりそう。
『アナ様が哀れな状態に』
『まあ、でも安心感あるわ。なんか親子みあるし……』
『ゼーリエ先生、絶対アナ様のこと好きすぎだろ』
『もはや肉体関係にあると言われても信じきれるわ』
『美少女どうしの肉体関係!(ただし精神はロリとババァ)』
『犯罪では?(ただし魔族に人権があるという前提)』
「言っておくが、私自身には魔族をどうこうする気はない。こいつが私の『和睦を成立させろ』という包括的な命令を聞くなかで、偶然、リーニエを説得できた。ただそれだけの話だ」
『要するに、アナ様の意志ってわけね』
『やっぱり、アナ様は例外的だよなぁ』
『ふーむ。ゼーリエ先生としては、魔族を滅ぼすわけでもなく、か』
『ゼーリエ先生くらい強ければ、生き残った魔族をことごとく従えるくらい楽勝でしょ』
『じゃあ、なんでゼーリエ先生は和睦を成立させようとしたの? 30000AP』
「いい質問だな。簡単なことだ。グラナト伯爵からアナリザンドのほうに申し向けがあった。こいつは、私にどうすればいいか聞いてきたんだ。やり方がわからないから教えてくれとな。私自身は街が滅びなければそれでいいと思っていた。和睦を成立させようとしたのは、まぎれもないこいつの意志だよ。私は何もしていない。ただ保証しただけだ」
『やっぱりアナ様天使だったかぁ』
『グラナト伯爵との何回かの会合配信のなかでさ。めっちゃ優しい目してんのよ伯爵さま』
『いざとなったら、ゼーリエ先生が出張ってきて、優男卿をぶったおしてくれたのかな』
『重ね重ねアウラ様のことがもったいなかったな……』
『過去を悔いても始まらないさ』
「そうだよね。きっとそう思うよ」
一瞬、わたしのこころを覆う後悔という概念。
「そういえば、おまえたちに言い忘れていたな」
ゼーリエ先生が、わたしをチラリと見て言った。
「こいつの立ち位置だが、私の弟子ということになる。だが、一級魔法使いではない。人間の魔法使いとしては十級にも劣る。ゆえに名づけよう。
『先生、めちゃくちゃ魔法学校中等部二年生風味です』
『アナ様、零の使い魔ってコト!?』
『結局、ゼーリエ先生のお気に入りってことじゃねーか』
『すごい高等なイチャイチャを見せつけられている気がする』
『アナ様はゼーリエ先生のお弟子さんになったんだね。よかったね』
「う、うん。よかったような。悪かったような』
「なんだ、不満か」
「うーん。それだと、なんだか等級的にお弟子さんたちより上のような気も」
「なんだ。レルネンあたりに殺されるかと不安か。私は言ったぞ。おまえは人間の魔法使いとしては十級にすら劣る。せいぜいあの子たちと研鑽しあい、殺し合うがいい」
『レルネン先生、超絶武闘派かよ』
『でも、レルネン様もゼーリエ様の慕いっぷりすごいから』
『レルネンブログで、今日はゼーリエ様に褒められたとか、かわいすぎてな……』
『ゼーリエ先生が厳しすぎる件』
『なんか、超高度なツンデレな気がするんだよなぁ』
『殺し愛。宇宙』
『アナ様逃げて。超逃げて』
ゼロとイチ。
先生はわたしの本質を見抜いているらしい。
けっして交わることのない光と闇がロンドする。
らせんを描き、わたしたちは前に進んでいく。
先生が言いたかったことは、そういうことなのだと思う。
わたしは目を閉じ、先生の手のぬくもりを感じる。
彼女のぬくもり以外のすべての感覚が消えた。
もはや痛みはなく、もはや吐き気もなかった。
先生たちに支えられて、わたしは今を生きていく。
「ところで、アナリザンド」
配信が終わったあと、ゼーリエ先生はわたしの頭をひっつかみ、無理やり視線をあわせてきた。
痛い痛い。ちょっと首が、首が限界角度に。
「な、なにかな。先生」
「おまえ、リーニエに100万AP渡したとか言ったな」
「は、はいそうですが……」
「リーニエに金を――100万AP稼がせるために配信に出演させたんじゃないだろうな」
「いや、それは、ただちょっと……」
「ただ、ちょっと。なんだ言ってみろ」
「その……、グラナト伯爵からもらった3万APを取られそうになったの」
「たかが3万APで、おまえの
なぜかよくわからないけど、わたしめちゃくちゃ叱られてる。
シュンとなる仕草を真似るわたしである。
「しかたなかったの。賠償は1億APじゃ足りなかったし、わたしのなけなしの財産も全部吐き出すしかなかったんだよ。3万APは、あのときのわたしの全財産だったの」
「そのときは私に言え。100万APくらい貸してやる」
「借金が増えちゃう」
「いまさらその程度増えたところで問題ないだろう。いいか、アナリザンド、自分を安売りするなよ。おまえの債権者は私だということを忘れるな」
「だったらもうちょっと利子減らしてよ。ぜんぜん元本減らないじゃん」
「おまえはやればできる子だろう」
「借金がぜんぜん減らないくらいなら、わたしできない子でいいです!」
「自分の身をそこなうほど、他者に尽くそうとするなと言っている」
先生の口調がまた変わった。
「アウラが死んだあと、おまえは張り詰めた顔をして、私に抱き着いてきたな」
「うん……」
「そして静かに泣き始めた」
「うん……」
「すべての責任を負おうなんて、そんなのはこの世界に生きる誰にも不可能な話だ。なるようにしかならない。それが世界の真理であり絶対の理だ」
「でも、わたしがもっと努力していたらもっといい結果だったかもしれないんだよ」
「無理をするな。そう言っている」
先生は優しくも厳しい目でわたしを見ていた。
「先生、甘えちゃってごめんなさい」
やっぱり涙がでてしまう。
涙の根源にあるのは、安心だ。
「おまえは本当に泣き虫だな。まあいい。好きに生きろ」
生きていくということの恐ろしさ。不安。
先生から与えられるぬくもり。安心。
恐ろしさと安心の両義的な感情がわたしのなかに生まれては消えていく。
わたしは泣き笑いの表情になり、ゼーリエの胸にとびこんだ。
先生、わたし好きに生きるよ。好きに生きるの。