魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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はじめてのチュウ

 

 

 

 グラナト伯爵領の城塞都市。その外周には森が広がっている。

 

 静かな森だった。

 木漏れ日が陰を優しく照らしだし、小鳥の息遣いが聞こえてくる。

 

 森林浴なる言葉があるが、あれは科学的に正しいらしい。

 

 緑を基調とした落ち着いた色。かすかに漂う樹木の香り。

 小鳥のさえずりは耳に優しく、癒しの空間が広がっている。落ち着く。

 

――と、人間は感じるだろう。

 

 人間が森林浴をするときに脳内物質として出るのは、リラクゼーション的な物質、代表的なものとしてはオキシトシンと呼ばれるものだと思う。オキシトシンは別名、抱擁ホルモンと呼ばれ、親しい人やペットを抱っこしたときに放出される。

 

 他方で、一般的魔族の場合は時や場所を選ばず、基本的には脳内麻薬が出まくっていると考えてもらったらいい。代表的なものはβ‐エンドルフィンとか、たぶんそういうの。わたしは自身や他の魔族の脳みそを解剖したわけではないし、本当のところはわからない。

 

 けれど、常日頃感じているこの感覚は――、()()()()()()()()()()()()()()()()。β‐エンドルフィンは主に絶頂時に放出される物質である。

 

――前提として魔族は()()の世界を生きている。

 

 なぜ痛いかというと人間のように防護結界がないからである。

 

 人間は自然界から受け取る刺激を、妄想という膜で覆って防護結界を張っている。その防護結界はフランメのそれと酷似しており、千年経っても経年劣化しないほど強固だ。要するに人間が死ぬまで――あるいは死んだあとですら有効である。そんな魔法を使って生きている。その原初の魔法をファルスと呼ぶ。

 

 防護結界ということから、すべてを弾く防御する盾のようなものをイメージするかもしれないが、そんなことはない。グラナトの防護結界が魔族を弾いて人間を受け入れていることからわかるとおり、それは選択的透過性を有する。自然界からの刺激を『快』と『不快』に切り分けて、『不快』なものを穢れとして棄却しうるのだ。

 

 したがって、人間は心地よい世界、すなわち天国を生きている。

 

 逆に、魔族のまなざしにおいては、こういう落ち着いた森の中もドギツイ原色の世界を彷徨っているということになる。脳が灼かれるような痛みを感じる世界。色や音がフィルタリングされず、生の刺激として知覚される世界。現実に最も近い世界。けたたましいライブハウスのようなものだ。魔族の生は安らぎのない世界を生きている。すなわち地獄を生きている。

 

 しかし、常に痛みを感じていると、日常的な生活を送ることができない。痛みを緩和するために、強い薬を投与する必要がある。それがモルヒネであり、β‐エンドルフィンであり、自身の魔法ということになる。

 

 要するに森林浴とは、()()()()()()()()()()、どこまで行っても人工的体験なのである。

 

 

 

――ああ、空気がうまいなぁ。

 

 

 

 どうでもいいことだけどね。

 

 しかし、そのどうでもいいことを考えているのはなぜかというと――。

 

 隣を歩くシュタルク君が、なんだか張り詰めた様子だったからだ。焦りとも不安ともとれる表情でわたしと談笑しながら歩いている。

 

 HUDは、彼の発汗量、言葉の調子、その他もろもろから彼の内心を推測させる。

 

 人間という存在には対象аという虚空があいている。対象аとは欠落である。欠落は欲望の原因となりうる。ないから欲しいのだ。あるものを欲しいとは思わないだろう。人間は常日頃β‐エンドルフィンが欠乏している状態に生きているため、それを得たいと思うのではないか。

 

 要するに、×××したいのではないか。

 

 しかし不可思議なことに、それは波打ち際のように寄せては返している。オキシトシンとβ-エンドルフィンが戦っている。親愛と性欲がせめぎあっている。ファンタジックに言えば、光と闇がダンスしている。ファルスの統制に対して、対象аは抵抗している。だから言葉がでないのだ。

 

 しかし、ファルスは対象аを志向する。対象аは視覚的な表現をすれば、魂の盲点にあたるものだ。闇なのだから当然だ。その正体がなんなのかもわからずに手を伸ばしたがる。

 

 だから、必ず言葉はいずれ吐き出される。

 

「アナ姉ちゃん……」

 

 やがて立ち止まり、シュタルク君が静かに、けれど力強く言った。

 

「オレ、姉ちゃんとチュウしたい」

 

 ほらね……。

 

 

 

 

 

 森を抜けたところに草原地帯が広がっている。

 風が吹いて、草が羊の毛のようにそばだち、フササと波のように揺れた。

 おもしろい風景だった。思わず微笑みが漏れてしまうほど。

 

「姉ちゃん。オレがんばったよな。ご褒美くれるって約束してくれたよな」

 

「うん。確かにね。シュタルク君がんばってくれたよね。ありがとう」

 

 シュタルク君はこの和睦の影の立役者だ。

 リーニエを殺さないでくれた。リーニエが和睦の権威者になることを説得してくれた。果たして和睦は成った。人間たちの大多数は気づいていないが、シュタルク君がいなければ、この和睦は成立しなかったのだ。

 すんでのところでわたしの想いはすくわれた。そのことに感謝している。

 

「だったらオレの願いを叶えてくれよ」

 

「どうしてわたしとキスしたいの?」

 

「姉ちゃんのことが好きだからだよ」

 

「わたし魔族だよ?」

 

「関係ねーよ。姉ちゃんは姉ちゃんだろ」

 

「シュタルク君。キスは結婚の手付みたいなものだよね。わたしと結婚したいの?」

 

「うん」

 

 マジカヨ……。

 

 わたしはちょっとだけ混乱していた。

 シュタルク君はいつまでたってもわたしの中では幼い子どもだったのだ。

 しかし、彼も成長する。人間の成長スピードは魔族より遥かに早い。

 わたしもエルフほどではないが、情動の発達が遅いのだ。

 加えて、魔族的な事情。わたしの中に、殺人衝動や食人衝動がないわけではない。

 魔族は穢れている。そんな存在が人間の側にいていいはずがない。

 

「魔族と人間が結婚しても、子どもは生まれないと思うんだけど」

 

「それも関係ねぇ。オレは姉ちゃんとずっといっしょにいたいんだよ。ただそれだけなんだ」

 

 かわいいな、こいつ。

 

「魔族は人を喰べるんだよ」わたしは粛々と事実を述べる。

 

「姉ちゃんは喰ったことないだろ」

 

「いいえ。あなたが生まれるより前に、わたしは人間を喰べたかもしれない」

 

「嘘だろ」

 

「嘘だよ。でも――例えば、他の魔族は人を喰べるし、人を殺すよね。犯罪者の子どもはその子どもが罪を犯してなくても排斥される。それが人間の理じゃないの? どこかの魔族が誰かを殺した。だから、わたしも魔族の罪を負っている。それが人間の文脈。人間の歴史なんだよ」

 

「そんなことあるかよ。和睦したじゃねぇか」

 

「あるでしょ。人間は同一化傾向があるから、同一化できない異物には厳しいよ。異類恐怖症(ゼノフォビア)なんて人間病の最たるものじゃない。シュタルク君は人がいいから人の闇に気づいていないだけだよ」

 

「姉ちゃんを好きな人間は多いだろ」

 

「そうだといいね」わたしは微笑1を選択する。

 

「たとえ、世界中の人間が姉ちゃんを嫌っても、オレは姉ちゃんのことが好きなんだよ。姉ちゃんのことでオレが傷つくとか、そんなの考えないでほしい」

 

「ありがとう」わたしは微笑2を選択する。

 

「姉ちゃんはオレのことが嫌いなのかよ」

 

「嫌いじゃないよ」わたしは微笑3を選択する。

 

「じゃあしてくれてもいいじゃん」

 

 わたしがシュタルク君の提案を蹴っているように見えるのは――事実、蹴っているのは、わたしが魔族だからだ。いつかの時に述べたと思うが、魔族の本性がファルスの不形成にあるとすれば、その存在様式を()といってもよいように思う。加えて、魔法による偽ファルスの形成途上であると考えれば、()()という言葉が最も適切だろう。

 

 わたしの前世は人間だったのだから、わたしはこれ以上なくトランスセクシャルしている。魂の構造からしてTSしている。

 

 少女は穢れない。なぜなら少女は穢れそのものだからである。

 だから少女は媚びを売りながらも、ファルスによる統制を拒絶する。

 

 魔族少女は人間に対して常にノン(いいえ)をつきつける。

 

 わたしのシュタルク君に述べているすべての言葉は、言い訳にすぎない。

 そのことを理解しつつも、否定せざるを得ない。

 

「姉弟では結婚できないんだよ。シュタルク君」

 

「血がつながってるわけじゃないからいいじゃん」

 

「シュタルク君はずっとわたしの弟だよ」

 

「じゃあ、弟じゃなくていい」

 

「そんな哀しいこと言わないで。お姉ちゃんともっと楽しいお話をしよう?」

 

「オレを男として見てくれねぇのかよ」

 

「うーん。見れないかな。だって角しゃぶりだって卒業できてないじゃん」

 

「姉ちゃんの角がちょうどいい具合の位置にあるから……苺みたいな形だし」

 

「あのね。シュタルク君。わたしはあなたに紳士になってほしいの。女の子に許可もとらずに触ったり、角をしゃぶったりする子を男の人だとは認められないかな」

 

「今度からはしないから」

 

 叱られたみたいにしょんぼりしているシュタルク君。

 でも、それは責任をとるという方向ではなく、詰問から逃れようとする逃避行動にすぎない。

 

「ふぅ……」長い溜息。「わたしの角ね。どんな感覚だか教えてあげようか。舐められたり触られたりすると、ピリってするの。電撃みたいのが背筋を通って、下半身のあたりに伝わる。気持ちいいとか気持ち悪いとかじゃないよ。わたしはまだ未発達だから、なんか変な感覚がするの。むずがゆいってのが一番近いかな。要するに乳首なんだよね」

 

 つまるところ、本当におしゃぶりだったわけだ。

 

「そんなの姉ちゃんは言って――」

 

「シュタルク君が家族を失って甘えてくるから、かわいそうに思ってわたしは赦してあげてたの。男として見られたいなら、わたしに一切甘えることは赦さないよ。それでいいの?」

 

「ごめんて、姉ちゃん。あやまるから」

 

「いいよ、シュタルク君。赦してあげる。だって、あなたはわたしの弟だからね」

 

 そんなわけで、わたしは逃げの手を打ったのでした……。

 

 

 

 

 

 罪悪感。

 

 シュタルク君のわたしに対する想いは素直に嬉しい。

 姉に対する親愛の情が溢れた結果なのか、わたしを女の子として純粋に好いてくれているのかはわからないが、少なくともはみ出ている部分はあるだろう。

 

 それをバッサリ斬り捨ててしまったのはよくないことだったかもしれない。

 

 なにしろ、シュタルク君の功績は大きい。姉として、シュタルク君を褒めてやらなければならない場面なのに、わたしは関係が崩れるのを恐れて後退してしまったのだ。最後ワンコのように泣きついてきたシュタルク君はかわいかったけど。思わずヨシヨシしちゃったけど。

 

「そんなわけなんだけど、ゼンゼ先生どう思う?」

 

 わたしは、アドバイザーとしてゼンゼ先生を求めた。

 ゼーリエ先生にアドバイスを求めなかったのは、なんかものすごく嫌な予感がしたからだ。

 ベロチューくらいはされてしまったかもしれない。

 

 ゼンゼ先生は平和主義者であり、(たぶん)常識的な大人の女性なのである。

 ゼンゼ先生のお部屋兼研究室で、紅茶を飲みながら大人(レディ)の会話だ。

 なにしろわたしも大人ですから!

 

「君は……、罪深い女だな」

 

 いきなりダメだしされちゃった!

 

「え、そう? 姉として、弟に紳士になってほしいと思うのはおかしなことじゃないと思うけど」

 

「君がやったことはフリーレンがヒンメルにしたことと同じだな」

 

「え、そうかなぁ」

 

 50年も放置プレイしたフリーレンといっしょにしないでほしいんだけど。

 

「フリーレンは精神的には幼子だったのだろう。ゼーリエ様も言ってたよ。エルフの情動発達は遅いらしい。だから、勇者ヒンメルも手を出さなかった。彼女が少女であればあるほど、彼は紳士にならざるを得なかったんだ。君も同じことをしているよ」

 

「だってしょうがないじゃん。魔族なんだし」

 

「種族間の寿命やら精神構造の問題はあるだろうな。だから人間側からすれば――我慢するしかないというわけだ。いわゆる惚れた弱みというやつだな」

 

「シュタルク君はわたしに惚れてるわけじゃなくて、お姉ちゃんとして慕ってるだけだよ」

 

「本当は気づいているんだろう。人間のこころはそんな単純に切り分けられるものじゃない。だが切り分けようとする。男として見てくれという言葉がそれだ」

 

「でも、シュタルク君は弟であることを捨てなかったよ」

 

「君が怖がってるからやめたんだろう。隠れ鬼の符丁のようなものだ。"もういいかい"。それに対する君の答えは"まだだよ"だった」

 

「そんなこと言ってないよ!」

 

「言外に言ったさ。まあ、シュタルク君のほうが弟としての立場を捨てられなかったというのも本当だろう。彼自身もいざ一歩前に出ようとすると、足がすくんだ。そういうこともあるだろう。要するに君達はまだまだ子どもだということだ」

 

「ねえ。先生」

 

「なんだ?」

 

「先生は恋したことあるの?」

 

「ふふふ、秘密だ」

 

 うわー、すごく大人の女性って感じ。

 見た目はロリなのに。ロリおばさん(禁句)なのに!

 

「先生ズルいよ」

 

「君、大人はいつだってズルいんだよ」

 

「じゃあわたしどうすればいいの?」

 

「どうもしなくていいよ」

 

 ゼンゼ先生は髪の毛で、器用にポットの取っ手をつかむと、わたしのカップにお茶を継ぎ足してくれた。わたしはよくわからず、首をかしげるばかりだ。

 

「どうもしなくていいの? 罪を重ねてるんでしょ」

 

「私は研究者だからな。どちらかと言えば、そういった話題にはうとい。だが、一般的に言って、女は謎めいているほうが魅力的にうつるらしい」

 

「ミステリアスガールになればいいの?」

 

「まあ、男にとっては生殺しだろうがな。特に少年から青年になろうとしている年頃の男にとっては、筆舌に尽くしがたいほどの我慢が必要になるらしい。時々は圧力弁を緩めないと暴発してしまうぞ。わたしを杖代わりにしたときのことを覚えているだろう?」

 

「駆け引きってやつ?」

 

「君の場合は、駆け引きどころか、最初から交渉すらしなかっただろう」

 

「ヨシヨシはしてあげたよ」

 

「報酬としては、微妙なところだろうな」

 

「むうう。ゼンゼ先生からわたしって()()()()に見られてる?」

 

「というより、幼女なのではないかと思っているよ。君は君なりの努力をした結果、そうなったんだろう。誰も悪くないし、無理をして背伸びをする必要もないよ。シュタルク君にとっては苦しい時間が続くだろうけどね。魔族の少女を好きになったんだからしょうがない」

 

「大人だよ。わたし大人! ゼンゼ先生よりも年上だよ」

 

「まあ、君がそういうんならそうなんだろうね」

 

 わたしの言葉を否定も肯定もせず、優雅にお茶をたしなむゼンゼ先生。

 むううう。なんだか大人って感じだ。

 

「適切な報酬くらい払うよ! わたしはケチな女じゃないの。おもしれー女なの」

 

「好きにすればいいさ。聞くところによれば、シュタルク君は十分に紳士的だし、いたずらに女性を傷つけたりはしないと思われる。君にとってもいい経験になるだろう」

 

「うん、シュタルク君はいい子だよ」

 

 わたしも自信をもって言えるのだ。

 シュタルク君は、わたしが育てた。

 

 

 

 

 

 

 オープンテラスのカフェからは広場の様子がよく見えた。

 

 わたしはいつものように黒いローブを身にまとって、魔力を極限まで隠している。見ようによっては小さな女の子が雨合羽をはおっているように見えるだろう。

 

 わたしをわたしとして視認している人も中にはいるかもしれないが、いまのところ声をかけられる様子はない。案外、コワモテ(に見えるらしいが、わたしにとっては子犬みたいにかわいい)のシュタルク君が目の前に座っているのも理由かもしれない。

 

 対面の椅子に座り、わたしのおごりのパフェを食べている。案外甘いもの好きなシュタルク君。

 

 そして、わたしも同じものを食べている。余裕の表情ですよ。大人のお姉さん力を見せつけてやる。しかし、さっきから足が届かん。プラプラしてしまう。

 

「フリーレンたちの様子はどう?」

 

「まだ泣いてるよ。もう三週間だぜ。エルフってこえーよな……」

 

「そりゃまたすごいね」

 

 エルフ泣きのすさまじさがうかがい知れる。

 よっぽどアウラとの戦いが、ストレスになったのだろう。

 フェルンちゃんに選ばれて、フリーレンは後悔すると同時に安心したのだろうと思う。

 わたしにフェルンちゃんをとられるとでも思ったのかもしれない。

 わたしにはフリーレンの内心は正確には理解しがたいけれど――、いまだ本当の意味での会話はしていないように思う。

 もしも、会話をする機会があったら『初めまして』から始めないと。

 名前も呼んだけどね。彼女のなかではわたしは棄却されている可能性も高い。

 

「姉ちゃんはフリーレンをどうしたいんだ?」

 

「ん? べつにどうも」

 

「和睦をメチャクチャにされて怒ってないのか?」

 

「そりゃ怒ってはいるけど、和睦を破壊したのは、わたしの意志だよ。フェルンちゃんがそうしたいから、わたしは共犯になったの」

 

「じゃあなんで気になるんだ?」

 

「わたしが気になってるのは、フェルンちゃんのほうだよ」

 

「フェルンはいいよな。姉ちゃんに思われて。女はズりぃよ。抱きついてもベタベタしてもほっぺたふにふにしても叱られないし」

 

 あいかわらず、かわいいなこいつ……。

 ていうか、これフェルンちゃん自慢しているな?

 

「シュタルク君。禁止されているのがいいんだよ」わたしは持論を述べる。

 

「そんなもんかな?」

 

「禁止されているからこそ、君のジェントルさと強さが証明されるわけだからね」

 

「わかんねぇよ」

 

 わかりたくないのだろう。

 ゼンゼ先生によれば、シュタルク君は我慢しているわけだし――。

 わたしはお預けを喰らわせるばかりのケチな女だということになる。

 

「シュタルク君――報酬の件だけどね――」

 

 わたしはおずおずと交渉を始めようとした。

 

 と、そこで広場の向こう側から紫色の髪の毛が見えて、わたしのなかに親愛の脳内物質がジュワワッと漏れ出すように生まれた。β‐エンドルフィンじゃない。きちんとオキシトシンだ。

 

 フェルンちゃんだった。三週間ぶりにフェルンちゃんの姿を見かけた。

 わたしにメールもLINEも送らず、わたしが送っても未読のままで、フェルンちゃんはフリーレンにつきっきりだったから。

 

 そう、つきっきり。

 その隣には、手を引かれるようにしてうつむいて歩いている白い髪。

 フリーレンがいた。どうやらようやく泣き止んでいるらしい。

 

 あ。と思った。

 逃げるべきだろうかと一瞬考えた。しかし、もう遅かった。

 

 フェルンちゃんがこちらに気づく。

 フリーレンもほぼ同時に視線をあげた。

 フェルンちゃんの手の微細な動きからなにかを感じたのだろうか。

 

 そして――、わたしと目があった。

 あのときの殺意のまなざしを思い出して身がすくむ。

 けれど、その瞳はハイライトの消えた魔族みたいな瞳をしていて、底の見えない泥沼のようで、そのまなざしからは何も受け取れない。

 

 沈黙を雑踏のBGMが埋める。

 戦争が終わり平和が訪れ、朗らかに交わし合う人々の声。

 にぎやかなはずの風景もどこか遠くへ感じられる。

 静かに広がる緊張感。

 

 彼我の距離はわずか十メートル前後。

 

 カチャカチャと手元にあるカップと皿がキスをする。

 カチャカチャカチャ。

 

「姉ちゃん大丈夫だ。フリーレンは街中では撃たない。フェルンと約束したんだ」

 

 いつのまにか、シュタルク君の手がそっと添えられるように置かれていた。

 震えが止まる。幼かったあの頃に比べて、シュタルク君は大きくなった。

 男の子から男の人になろうとしているんだなと思い、じんわりと嬉しさと寂しさを感じていく。

 

 姉離れはこうして進んでいくのだろうか。

 フェルンちゃんに連れられて、フリーレンは再び雑踏の中に消えていった。

 

 音と色彩が戻ってくる。

 弛緩。わたしは椅子にもたれ崩れる。

 

「ふぅ……緊張したぁ」

 

「大丈夫だって言ったろ。フェルンはフリーレンをしつけるのがうまいんだぜ」

 

「いつかはわたしともお話できるようになるかな?」

 

「それはわかんねぇけど……、フリーレンだって反省してるんじゃねぇか?」

 

 そうだとすれば、フリーレンも自分の中の固定観念を打ち破り、成長しようとしていることになる。姉として、わたしも負けていられない。

 

 素直にならなくては――。

 

「シュタルク君」

 

「ん?」きょとんとした顔をしたシュタルク君。

 

「内緒話だよ。こっちおいで」

 

 わたしはテーブルに顔を寄せる。

 シュタルク君はあっさり欺かれて、同じようにテーブルに顔を寄せた。

 

 ちゅ♡

 

 ギリギリほっぺである。

 

 シュタルク君はのけぞるようにして、真っ赤になった。

 

「ね、姉ちゃん。突然なに!?」

 

「ごめんね。シュタルク君。わたしはやっぱりまだまだシュタルク君をかわいい弟として見ておきたいんだよ。だから、親愛のキスなの。でも、さっきのシュタルク君は男らしかったよ」

 

「姉ちゃん。オレがんばるから!」

 

 かつてないほどヤル気を見せるシュタルク君。

 具体的に何をどうがんばるかは謎だが、ともかくがんばるらしい。

 男の子ってやっぱり単純だ。そこがかわいくもあるんだけどね。

 

 

 

 

 

「悪女をめざしているのかな、君は?」

 

 ゼンゼ先生に報告したら、そんなことを言われた。

 タイヘン遺憾である。

 

「手玉にとろうとしたわけじゃないよ。わたしは素直に気持ちを述べただけ」

 

「まあ、君らしいと言えば君らしいか」

 

 ゼンゼ先生は言って、机の引き出しを開けて、なにやら取り出す。

 やわらかな布製品ふたつ。

 白を基調とした生地に紅く細いリボンが通っている。かわいらしい。

 

「なにこれ?」

 

「君のそれは乳頭のようなものなのだろう。女の子なら大事なところは見せてはダメだよ」

 

 やはり先生のほうが先生だ。女としてのレベルが高い。

 わたしには思いもつかない発想だった。

 

「角カバーありがとう先生」

 

 初めてのブラジャーみたく、わたしはいそいそと装着する。

 変わっていくことの恐れと期待に胸を膨らませながら、わたしも少しずつ大人になっていく。

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