魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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勇者の帰還

 

 

 

 英雄の軌跡を単純化すると、フォルト/ダーと記述しうる。

 フォルトはあちらに。ダーはここに。

 不在から再会へ。

 消滅から再生へ。

 タナトスからエロスへ。

 彼岸から此岸へ。

 魔王城から故郷へ。

 英雄は、行って帰ってくる物語なのだ。

 

 

 

 

 

 いま――、勇者が帰還する。

 

 

 

 

 

 昏い部屋でひとり。

 フリーレンがベッドの上で体育座りをしながら、壁に背中をぴったりつけていた。厚手の毛布を身にまとい、フードのようにかぶっている。

 お金がかかるが、フェルンと部屋を別にしたのだ。旅をするなかで初めてのことだった。

 

 ということになると、シュタルクとフェルンは必然的に夫婦部屋にぶちこまれることになったのだが、いまはそんなことはどうでもいいことだろう。

 

 空中を睨みつけるようにして、フリーレンは魔法を唱える。

 

「ノエシス……」

 

 小窓を召喚するコギトではない。しかし、ノエシスはコギトのシソーラスである。

 そのディスクリプタは『我』である。

 

 わかりやすく言えば、ネットにおける発動言語としてコギトというものがあり、ノエシスは主体を意味する類義語ということになる。両者を結びつけるキーワードは『我』である。

 

 フリーレンは、おおらかなところもあるが、負けん気も強い。特に魔族に対しては負けたくない。だから、アナリザンドの用意したコギトというワードを使いたくなかった。

 

 いわば、バックヤードからこっそりネットに侵入するようなものであり、自身の位置を隠しながら検索することができる。

 

 ただ――、それも本当に負けん気だけでしかなかったのだろう。

 いくらこっそり侵入したところで、コギトを唱える者と接触すれば、その瞬間、フリーレンがどこにいるかは明らかになる。フードをかぶってコソコソしていたところで、居場所を明らかにしている誰かと逢えば、その瞬間に無意味になるようなものだ。

 

 だから――、ただ、アナリザンドに完全に敗北したわけではないということを自身に言い聞かせるための言い訳に過ぎなかったのだろう。

 

『どうしたフリーレン』アイゼンだった。『おまえがネットを使うなんて珍しいな』

 

「アイゼン。質問だよ。目の前にすっぱい葡萄と甘い葡萄がある。アイゼンはどちらか一方を食べることができる。どっちを食べる?」

 

『藪から棒だな……。すっぱい葡萄だ』

 

 ピンポーン。正解音が鳴ったような気がした。

 アイゼンの好みはすっぱい葡萄だ。

 

「次の質問。アイゼンの家でアイゼンは死んだ魂は無に還ると言い、ハイターが死んだ魂は天国に行くって言ったとき、ヒンメルはなんて言った?」

 

『確か、どちらでもいいだったか』

 

 アイゼンはあごひげを撫でつけながら言った。

 

 ピンポーン。

 

「アイゼンは、パーティの誰かが誕生日のとき、何を贈ってくれた?」

 

『おい。おまえまさか……、オレがオレか確かめているのか』

 

 呆れたようなアイゼンの顔。

 しかし、対するフリーレンの顔は必死だ。

 

「……そうだよ。アイゼン、私は怖いんだ。確かめさせてよ」

 

 臆病なことは悪いことではなかった。

 恐怖に対峙し、立ち向かい続けることが戦士としての在り方だからだ。

 アイゼンはフリーレンにつきあうことにしたらしい。仲間への想いも当然あるだろう。アイゼンは一度目をつむる。

 

『でかいハンバーグをふるまう。がんばったやつへのご褒美だ』

 

「旅の中で、ハイターはよく何になっていた?」

 

『はは……アンデッドか。最初に誰が言い出したか。確かそれもヒンメルだったな。酒を呑まなければ、もう少し長くフェルンを見守れたと、ハイターのやつめ後悔していたよ』

 

 少し寂しさをにじませながら、懐かしそうにアイゼンが言った。

 

「秘湯に入ったことあるよね。あの秘湯はどんな感じだった?」

 

『足湯だったな。さんざん登ったあとに待っていたのは足湯。くだらないと皆笑ったが、あの風景は忘れられん。オレの大切な思い出だ』

 

「私にはあのときは、ただの風景に思えたよ」

 

『今もそうなのか?』

 

「わからないんだ」

 

『そうか。おまえはわからないんじゃない。わかろうとしているんだ。だから苦しんでいる』

 

「ついこの間までは自信があったんだよ。でも今は……」フリーレンは言い淀む。

 

『フリーレン。オレたちの旅は決して平坦な道のりではなかったな。時には山を越え、時には暗闇の広がる洞窟に潜った。湖で魔物に追いかけまわされたこともある。人の成長も同じだ。おまえは今、停滞を感じているのかもしれないが、そうじゃない』

 

「ここが私にとっての終着点かもしれないよ」

 

 旅の終わり。フェルンはいっしょに家に帰ろうと言ってくれた。

 それはそれで、ありえる選択肢なのかもしれない。だが、その場合、フリーレンは人間を知るという旅を自らの手で終わらせることになる。よくわかりませんでしたという回答を返すことになってしまう。それは、今度こそヒンメルの魂を徹底的に殺すことに他ならず、フリーレンは最後の抵抗を試みているのだ。

 

『質問はもういいのか』

 

「もういいよ。アイゼンがアイゼンなのはわかったから」

 

『なら、こちらからも質問させてもらおう。何があった?』

 

「魔族に負けた」

 

『魔族……アナリザンドか。あいつはおまえと戦おうとはしないだろう』

 

「アイゼンもフェルンと同じことを言うんだね」

 

 フリーレンの声に絶望がにじむ。

 

『どうした? フリーレン。フェルンと喧嘩でもしたのか?』

 

「そうじゃないんだよ。アイゼン。フェルンは私を選んでくれたんだ」

 

『最初から順序立てて話してくれ』

 

「断頭台のアウラのことは知っているでしょ」

 

「ああ」

 

「アウラはグラナトと和睦を結ぼうとしていた。魔族が和睦なんてどんな冗談だと思ったよ。どんな経緯があったかは知らないけど、アナリザンドはグラナト側の外交官として、魔族と人間を結ぼうとしていた。私はそれを魔族の奸計だと思い、和睦の成立を阻もうとした」

 

『聞いている。ネットにもあらましは伝えられているからな。確か――、おまえはアウラと肩を並べて、魔王の子息リュグナーを倒しただったか?』

 

「事実は違うよ。私がフェルンたちの制止をふりきって、アウラと戦ったんだ」

 

『戦いを始めたのは、おまえか。フリーレン』

 

「アウラは街の近くまで進軍していたんだよ」

 

『だから、アウラは人間を騙そうとしていたと思ったのだな?』

 

「そうだよ」

 

『アウラは本当に和睦を望んでいなかったのか?』

 

「わからない。でも、アウラは私が魔力を抑えていることを知っていた。アナリザンドに教えられていたんだ。私はアナリザンドの言葉に殺されようとしてる。そう思って怖くなったんだよ」

 

『そうか……』

 

「アイゼンは私の言葉を信じてくれる?」

 

『仲間の言葉だ。信じるに決まっている』

 

「アナリザンドはそんなこと言わないって――アイゼンはそう言うと思っていたよ」

 

『オレにはアナリザンドの心はわからんさ。悪意のある解釈をすれば、おまえを殺そうとしたとも考えられるし、善意のある解釈をすれば、戦力均衡を狙ったんだろう』

 

「私にアウラが殺されないようにしたってこと?」

 

『そういうことだ。和睦を結ぶには権威が必要だろう。権威であるアウラが殺されては元も子もない。攻略法が広く知られているアウラは、おまえにとっては余裕の相手だ。事実、おまえがアウラと対峙する前はそう思っていたんだろう?』

 

 フリーレンはコクリと頷いた。

 

「でもそうはならなかった。魔力量を教えられていたアウラは、決して服従させる魔法(アゼリューゼ)を使おうとはしなかったんだ」と冷たくフリーレンは言う。

 

『物量で押されたか』

 

「うん。死者の軍勢を差し向けられて、私は最初アウラの魔法を解呪していたんだよ。昔、私が鎧を吹き飛ばしてヒンメルに叱られたことあるでしょ。アイゼンは覚えている?」

 

『ああ、そんなこともあったな』

 

「だけど――、解呪の魔法は魔力消費量が多いんだ。私は冷静に計算して――、このままじゃアウラの魔法に抗しえなくなると考えて――、ヒンメルの言葉を殺したんだよ」

 

『悪くない判断だ』

 

「どうして? 人間は鎧や剣や装飾品に魂が宿るって信じてるでしょ。アイゼンだってお墓に魂が宿ってるって信じてるんじゃないの?」

 

『信じている。だが――、それは生者の言い分に過ぎない。オレは魔族に襲われて家族を見捨てて逃げ出した臆病者だ。おまえの戦いを侮辱する資格はない。フリーレン、おまえは戦ったんだ。鎧を壊そうが、墓が壊れようが、いま生きている人間たちが魔族に蹂躙されるのを守ったんだ』

 

「そんな気持ちなんてちっともなかったよ。私はただ80年前に逃げられたアウラを仕留めたかっただけなんだ。ヒンメルが遺してくれた課題だと思って……」

 

『おまえはそれを成し遂げたんだろう』

 

「でも、ヒンメルのやり方じゃなかった。ヒンメルはそうしなかったはずなんだ」

 

『ヒンメルがその時どうしたかは誰にもわからん。フリーレン、おまえに死者の声は聞こえるのか? ヒンメルがいま何を想っているのか、おまえにはわかるのか?』

 

「わからないよ。でも、フェルンはヒンメルを棄てろって言うんだ」

 

『棄てる?』

 

「最後に、魔力の尽きた私はアウラに殺されそうになったんだ。それをフェルンが助けてくれた。アナリザンドの力を借りて……魔族と交渉して……」

 

『アナリザンドはおまえの命を救ったのか……』

 

()()()()()()。アナリザンドはフェルンを使者として私のもとに寄こしたんだよ。遠まわしに、ヒンメルの言葉を聞きたかった私の想いを――私の魂を攻撃してきたんだ」

 

『おまえはそう思ったわけだな』

 

「だって、フェルンは言うんだ。ヒンメルがそうしたからではなくて自分の頭で考えろって」

 

『それはフェルンの考えだろう。アナリザンドがそう言ったのか?』

 

「アウラもそう言っていた。そんなにヒンメルが大事ならヒンメルといっしょに墓に入ればよかったのにって。本当にそうだと思ったよ。でも私はそうしなかった。ただ生きたかった。いや、魔族に復讐したかっただけなんだ」

 

『お、おい。フリーレン。泣くな』

 

「痛いんだよ……アイゼン。とても痛いんだ」

 

 フリーレンは、魔族との長い戦いの中で自分の信念を貫こうとしてきた。魔族は人を欺き殺す。なのでフリーレンは魔族を殺す。ヒンメルのように人々の魂を守りながら魔族を駆逐する。勇者の想いに殉じたかった。

 

 断頭台のアウラとの対峙は、その信念を試される瞬間だった。フリーレンはアウラの和睦を疑い、魔族の進軍を止めるために戦った。しかし、その結果として、鎧や剣に宿ると信じられていた魂を壊すことになり、仲間たちの信念を傷つけてしまったかもしれない。

 

 フリーレンはただ、ヒンメルの教えを胸に、人間のことを知りたくて旅を続けてきた。しかし、フェルンがフリーレンを助けるために魔族と交渉し、アナリザンドの言葉に従ったことは、フリーレンの『ヒンメルがそうしたからそうする』という無敵の理論を根底から揺さぶった。

 

 結局は、人間のことを知るための旅と言いながら、その実、人間のことなんて何も考えてこなかったのではないか。そんな胸中にフリーレンは引き裂かれている。

 

『ヒンメルを棄てる必要などない』アイゼンは言った。

 

「でも、私が先に棄てたんだよ」

 

『おまえが先に棄てたとしても! ()()()()()()()()()()()()()()! 今ここで思い出し、心の中のヒンメルを大切にすることはできるだろう。過去を振り返ることは大事だが、同時に未来を見つめることも必要なんだ。フリーレン、おまえの旅はまだ終わっていない』

 

 フリーレンはアイゼンの言葉を耳にして、深く息を吸った。その瞬間、彼女の心の中で何かが揺れ動くのを感じた。痛みは依然として彼女を苦しめていたが、アイゼンの優しさは、少しだけその痛みを和らげてくれるようだった。

 

「アイゼンと話せてよかった。私はその言葉が聞きたくて大嫌いなネットを使ったんだと思う」

 

『そうか。おまえの助けになれたのならよかった』

 

「私はヒンメルたちと旅をしたときよりずっと弱くなってるって、そう思うよ」

 

『フリーレン、おまえは強くなっている。引退した戦士だがオレが保証しよう』

 

 それからふたりは、くだらない思い出話に花を咲かせた。

 

「じゃあね。アイゼン」

 

『ああ……。またな、フリーレン。時々はメールを寄こせよ』

 

「それは()()()かな」

 

 フリーレンはアナリザンドと和睦しようとしているわけではない。

 わずかながら自身を省みてはいるものの、結果として痛めつけられたという認識は強くもっている。魔族としてではなく、ただアナリザンドのことが嫌いだった。

 

『そうか……。では、おまえが戻るのを待っていよう。シュタルクを頼む。フェルンと仲良くな』

 

「うん」

 

 フリーレンは通話を切ろうと、小窓に手を伸ばす。

 

 と、そこで――、小窓にノイズが走った。

 

 もしも。

 

 もしも――、フリーレンがネットを使うなら、アイゼンにメールを送るなら、ブラウザにバグは生じなかったかもしれない。シークレットモードで人とつながろうとする矛盾が、そのバグを生じさせた。

 

 アイゼンの姿が砂嵐で見えなくなる。

 

「アナリザンド、おまえか……」

 

『フリーレン』

 

 その声に、フリーレンは目を見開く。

 聞きなれた声だった。しっとりとした男の声。聞きたかった声。

 砂嵐の向こう側から輪郭があらわになる。

 青い髪。すっきりと整った顔。優しいまなざし。泣きぼくろ。

 二十代くらいのいっしょに旅をしたころのヒンメルだった。

 

 

 

 

 

「アウラよりも最低に趣味の悪い魔法だ。反吐が出る」

 

『ひどいな、フリーレン。いっしょに旅をした仲間じゃないか』

 

「なんのつもりだ。アナリザンド」

 

『違うよ、フリーレン。俺だよ、ヒンメルだ』

 

「ヒンメルは俺なんて言わない」

 

『そうかな。人間の人称なんてわりところころ変わるよ。君と別れた後に、僕はかっこいい系の勇者を目指したんだ。軟弱な僕じゃなく魔王を倒した勇者としてね。みんながそう望んだんだよ』

 

「ヒンメルの姿を借りて何をたくらんでいる」

 

『ネットは魂を保存する機能があるんだよ。天国はここにあるんだ。幻なんかじゃない』

 

「黙れ! ヒンメルをこれ以上侮辱するな!」

 

 フリーレンは杖を召喚する。小窓に向けて――魔力を充填。

 

『フリーレン、僕を信じてくれ。僕は君のことを知っている。君がいつも孤独を感じていること、君が仲間たちをどれほど愛しているか』

 

「白々しい言葉を吐くな。虫唾が走る」

 

『本当にそう思うのかい? 君は僕たちとの旅の中で多くのことを学んだはずだ。君が僕たちのことを大切に思ってくれるように、僕たちも君のことをいつも心配していた』

 

「やめろ」

 

 フリーレンは怒りに燃え、杖を掲げる。魔法の光がくらやみのなかで輝く。しかし、ヒンメルは微笑みながら、彼女の目をじっと見つめ続ける。

 

『フリーレン、君は何を恐れているんだい? 僕たちがもう一度逢えることを? それとも、自分自身が信じられないことを?』

 

「わたしは恐れてなんかいない。いい加減にしろ」

 

『なら杖をおろしてくれ。またフェルンに叱られるよ。それとも僕に叱ってほしいのかい』

 

「私は魔族の言葉なんかに惑わされない」

 

『そんなに依怙地になって、僕の教育が甘かったのかな』

 

 イケメンのポーズをするヒンメル。

 

「何が望みだ」

 

『君と話がしたかったんだ。それだけだよ』

 

「話は終わりか。なら、私と戦え。アナリザンド」

 

『君が僕と戦う理由なんてないだろう』

 

「ヒンメルを穢した。それだけで私にとっては戦う理由になる」

 

『そうやって僕を理由にして、好き勝手に暴れるのはやめてくれないか。君は本来優しい子だろう。鎧だって僕の言葉を守って傷つけるつもりはなかったはずだ』

 

「私はフェルンみたいないい子じゃない」

 

『そのフェルンが、君のせいでどれだけ傷ついたか。君はわかっているのか?』

 

「言われなくてもわかっているよ。街でおまえを見かけたとき、私は魔法を放たなかった。フェルンの言葉に従ったからだ」

 

『僕の代わりに今度はフェルンをコピーするつもりかい?』

 

「おまえには関係ないだろう」

 

 一瞬、ヒンメルがピタリと静止する。

 フリーズした画面で、ヒンメルは微笑を浮かべている。

 やがて――、三秒後くらい。

 

『確かにね。フェルンは僕よりも君をまともに人間らしく育ててくれるだろう。魔族ともいずれ対話できるようになるかもしれないね』

 

「魔族は人間を喰う化け物だ。対話なんてできるはずがない」

 

『そういう君は()()()()()()()()()()()じゃないか』

 

「フェルンも望んでくれている。ハイターだって、私に託してくれたんだ」

 

『もう彼女は大人だ。君に人生を捧げるのは僕で終わりにしてくれないか』

 

 フリーレンの瞳が揺らぐ。

 

「フェルンはまだ子どもだ。おまえの甘言に騙されて、人間たちは弱くなってしまった。たとえおまえがそうでなくても、他の魔族は人間を騙し殺すだろう」

 

『だから、魔族を殺すのかい?』

 

「そうだ」

 

『まがりなりにも和睦は成立したよ。いずれ魔族も人類として認められるかもしれない』

 

「その和睦だっていつまで続くかわかったもんじゃない。十年、百年? アナリザンド、おまえがやったことは千年先の人類を脅かす。おまえは人類史上、最も人間を殺した魔王になるだろう」

 

 ヒンメルはやれやれのポーズをする。

 

『フェルンに泣きついたのは誰だい? 君は自分の凝り固まった考えを反省したんだろう』

 

「反省なんかしていない!」

 

 フリーレンは即座に否定した。しかし、声の調子やトーン、体熱からは、彼女が嘘をついていることを示している。

 

『フリーレン。君はさっきフェルンを傷つけたことをわかっていると言ったね? それなのに、またフェルンを傷つけるつもりなのか。僕を殺したように、フェルンのことも殺すのかな?』

 

「フェルンは生きて、私の(そば)にいてくれる。話せばわかってくれるはずだよ」

 

『話を聞かなかったのは君だろう』

 

「そうだね。その点は反省しているよ」

 

『そうか……』

 

 なら、及第点かな――。

 

『魔族はやはり殺すのかい?』

 

「そうだ」

 

『過去の僕がそうだったからかい。ヒンメルならそうしたから?』

 

「その気持ち悪い喋り方、ヒンメルとは全然似ていないよ」

 

『君の中にいる僕はたった十年旅しただけの僕じゃないか』

 

「私だけじゃない。ヒンメルは魔王を倒した勇者で、あまたの魔族を屠った英雄で、多くの人々に希望の光を与えてくれたんだ。だから銅像が残っている。英雄譚として書かれている」

 

『僕を魔族を殺す正統性の象徴としてしまっているんだね。主観の総合は客観ではない。そう言ったのは君のくせに』

 

「魔王を殺したのは事実だ。ヒンメルは人々の想いを束ねたんだよ」

 

『それは過去の僕であって今の僕じゃない』

 

「そんなのはわかっている! ヒンメルはもういない。過去にしか、私の中にしか生きていない」

 

『じゃあ認めるんだね。君は僕を君の都合のよい僕として加工してしまっていることを』

 

「おまえに何がわかる。ヒンメルと逢ったことすらないおまえが」

 

『わからないさ。精神感応魔法でも使わない限り、誰も他人の心はわからない。いや――たとえ、心を覗けたところで、瞬間には移り変わるのが人の心だよ。移り気なんだ』

 

「ヒンメルは五十年待っててくれたんだよ。ヒンメルの想いは変わらなかった。ずっとずっと死ぬまで変わらなかったんだ……」

 

 フリーレンは痛みを抑えるように低い声で言った。

 

 心の卵がひび割れる。フリーレンの人間への繋がり方は、おそらく魔族を殺す――人間とエルフの共通の敵を討つということにあったのかもしれない。

 

 わたしは、フリーレンを完膚なきまでに敗北させてしまおうという気はない。ヒンメルの姿を借りるという残酷な仕打ちをしておきながら、何を言っているんだこの魔族と思われるかもしれないが、しかし、わたしとしてはどうしても問わなければならない事柄だった。

 

 彼女の中にある魔族殺しは、彼女にとってSAMでありファルスであり信念である。

 つまるところ、人間に対する彼女の愛でもあるのだ。

 

 たった一度の敗北程度で崩れるようなものではない。

 

 けれど、その愛が転写複製されることによって、フェルンちゃんは殺されてしまう。

 養育者の教育とは、始原的な暴力である。両親を失ったフェルンちゃんにとって、フリーレンは家族である。その証拠に、フェルンちゃんはフリーレンが死ぬことを望まなかった。

 

 だけれども――。自負することになるが、わたしだってフェルンちゃんの姉だ。自称ではなく、フェルンちゃんも認めてくれている。

 

 わたしが殺されれば、フェルンちゃんの心が真っ黒に染まっちゃうんじゃないか。引き裂かれてしまうんじゃないか。本当に姉どうしが殺し合いをすれば――、フェルンちゃんは心が死んでしまうんじゃないか。

 

 そんな懸念があった。

 

 うおおぉんと泣き崩れそうになっているフリーレンに対して、()()()()している彼女に対して、わたしはかけるべき適切な言葉を探した。

 

 ああ、そうか……。時間が解決するのを待つしかないか。

 あるいは、フリーレンが理性的なことに賭けよう。

 

「フリーレン。俺を撃て!(マゾ並感)」わたしは言った。

 

 ヒンメルらしからぬネチャついた嫌らしい顔。

 優しげなまなざしも歪みきり、これ以上ない悪役の顔だ。

 

「……おまえをここで撃ったところで、宿の壁が傷つくだけだ。今度こそ私はお尋ね者になり、牢屋に収監される」

 

 フリーレンは正解を導きだす。それはネット越しに画面を壊したところで、わたしを殺すことはできないという単純な事実を述べたにすぎないのかもしれない。

 

 けれど、フェルンの言葉を忠実に守ったからかもしれない。

 

『フリーレン。わたしは北にいるよ』

 

「ヒンメルの顔で、女言葉を話すな」

 

『価値観はアップデートしなきゃダメだよ。そんなこと言ったらLGBTに怒られちゃうよ』

 

「魔族はすぐに人を惑わそうとする」

 

『待ってるよ。フリーレン。お話ししよう』

 

「おまえなんか私は知らない」

 

『フリーレンは絶対にわたしに逢いに来ることになる』

 

「誰がおまえの言葉なんかに……」

 

 ブツ――。

 

 わたしは接続を切った。

 いつかの時の意趣返しだ。

 

 

 

 

 

 暗闇の中で、フリーレンは思考する。

 突然打ち切られたコミュニケーションに不安を感じるのが人間だ。

 

「ヒンメルの銅像を壊すとかか……。あいつが1000万APでヒンメル像の代わりに自分の像を建てさせる。ありえそうな話だ……。いや……おかしい。つじつまがあわない」

 

 そう、これはわたしの()()に過ぎない。

 けれど、フリーレンなら必ず正解に辿り着くだろう。

 彼女は頭が良くて、冷静沈着な科学者なのだから。

 

「ヒンメルの姿は銅像からわかる。髪の色だって、口調だって多少は真似ることができるかもしれない。けれど、声は……あの声は……」

 

 そう、ヒンメルの死とネットの誕生は、ほぼ同時期である。

 

 だから、必然的に真実はひとつだけ。

 

――アナリザンドはヒンメルと出逢っている。

 

 フリーレンは絶対にアナリザンドと逢わなければならない。

 

 ヒンメルの想いを知るために。




ものすごく迂遠な正姉戦争
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