魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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旅立ち

 

 

 

「いひゃいいひゃい……」

 

 ほっぺたの弾性が限界ギリギリまで試されている。

 フェルンちゃんにほっぺたを引っ張られている。

 ふにーんってレベルじゃない。わたしのほっぺたが元に戻らなくなっちゃう。

 

――可塑性。

 

 頬にも心にも変形しちゃって元に戻らなくなる限度が存在する。

 フェルンちゃんに叱られちゃうなんて、ほっぺただけではなく心も痛い。

 

 涙目になるわたし。

 パッと離される手。

 ほっぺた元に戻ってるよね……。

 ひりひりする頬をさするわたし。

 

「アナリザンド様」フリーレンよりも冷たい声だった。「悪い子ですね」

 

「はい……、わたし悪い子でした」

 

 すっかり行きつけになったオープンテラスのカフェでの一幕である。

 フェルンちゃんはわたしを呼び出して、わたしはデートなのかなとウキウキしながら出かけて行ったのであるが、待っていたフェルンちゃんは膨らんだ風船のようにムスゥっとしてて、わたしは逃げたくなった。

 

 でも、妹であるフェルンちゃんから逃げ出すなんてできるはずもなく、今日はわたしのおごりだからねと、軽く言いつつ席に座ったのだが、気づいた瞬間にはこのザマだったのである。

 

 わたし、罠にかかっちゃった。

 

 もちろん、フェルンちゃんが怒ってる理由もわかる。幼女フリーレンがフェルンママに告げ口したのだろう。勇者ヒンメルの肖像を用いて、ヒンメルの声でフリーレンを論難する。

 

 死者への冒涜であると同時に、フリーレンに対する精神攻撃である。

 まったくもって酷薄な魔族らしい攻撃方法である。

 

 あれは、いわゆる()()()()だった。フリーレンは絶対に認めないだろうが、わたしはフリーレンのことをフェルンちゃんが家族だと認めていることから、わたしとも姉妹関係にあることを認めている。でも、絶対にぜ~~~~ったいにわたしのほうが精神的にはお姉さんだけどね!

 

 わたしはフェルンちゃんと約束をしたことがある。

 

――フリーレンと喧嘩をしない。

 

 その約束を破ったことから、ほっぺたを伸ばされてもしょうがない。

 罰は甘んじて受けるほかないのだ。お尻ぺんぺんじゃなくてよかったと考えるべきだろう。

 

「どうしてそんなことをしたんですか……」

 

 フェルンちゃんが哀しそうな顔になった。

 

「それはヒンメルの姿を使ったこと? それともフリーレンを攻撃したように見えること?」

 

 わたしはピンクドーナツとチョコレートドーナツを両の手に持って質問する。

 

「どちらもです」

 

 フェルンちゃんは両の手でピンクドーナツとチョコレートドーナツをドカ食いしている。

 この娘、カロリー計算とかしてらっしゃらないのでしょうか。お姉ちゃん、少し心配です。

 

「いろいろ理由はあるんだけどね。一番の理由はフェルンちゃんだよ」

 

「私ですか?」

 

「フェルンちゃんは旅が終わったあとのことを考えたことってある?」

 

「旅の終わりですか」

 

「最初はあてどない旅ではあったけど、いまは天国をめざしているんだよね」

 

「そうですね」

 

――魂の眠る地(オレオール)

 

 それは現実的に北の最果て――エンデと呼ばれる地に存在する――ということになっている。

 

「目的地のある旅だから、いつか必ず終わる。そのあとフェルンちゃんはどうするのかなって」

 

「あまり考えたことはありませんでしたが、家に帰るのではないでしょうか」

 

「それはフリーレンといっしょに?」

 

「そうですね。そうなると思います」

 

「家に帰ったあとは?」

 

「わかりません。静かに暮らしていくのではないでしょうか」

 

「フリーレンはまた旅にでるんじゃないかな」

 

「……そうでございますね」

 

 勇者ヒンメルと魔王を倒したあと帰還したフリーレンはすぐに旅に出たのだ。

 たった一日。王都でパレードに参加したあと、フリーレンは旅立ったのだから。

 

 わたしはフェルンちゃんの顔を見つめながら、ドーナツのかけらを口の中にほうりこんだ。

 

「だからね、フェルンちゃんがフリーレンと一緒にいられる時間は限られているんだよ」

 

 フェルンちゃんの表情が曇った。わたしの言葉が彼女の心に響いているのがわかる。

 言外に言いたいことも伝わっているだろう。

 

――人間はすぐに死ぬ。

 

 誰に殺されるでもなく、時間に殺されてしまう。

 フリーレンが永遠に等しい時間を使って、人間を殺す。

 ああ……、わたしもだ。わたしもどれだけ寿命があるのかはわからないけれど、一般的に言えば、魔族は人間より長命なのは間違いない。

 

「それで、アナリザンド様はフリーレン様にあんなことを……? ()()()()ということですか」

 

 わたしは小さくうなずいた。

 

「人間には黄金期がある。あとから振り返ってわかるんだ。フリーレンの養育方針は、わたしにとっては首肯しうるものではないけれど、フェルンちゃんがそれを受け入れているから、わたしも受け入れるよ。この()()()はね」

 

「フリーレン様は、魔法以外にも様々なことを教えてくださっております」

 

 わたしは少し微笑んで、フェルンちゃんの言葉を受け取った。

 

「そうだね、フリーレンは確かに多くのことを教えてくれているんだろうね。彼女の教えはとても貴重だし、フェルンちゃんがそれを尊重していることもわかる。でも、フェルンちゃん、あなた自身の時間も大切にしなきゃいけないんだよ」

 

「私は、アナリザンド様から見て、無駄に時間を浪費しているように見えるのですか?」

 

「そんなことないよ! ただ――、この一か月間くらい、フェルンちゃんはフリーレンにかかりきりだったじゃない。わたしはそれが嫌だったの!」

 

「さようでございますか……」

 

「ねえ、フェルンちゃん。()()使()()()()()()()()。こんなふうに考えたことはない?」

 

「……民間魔法はそうではないと思います」

 

「攻撃魔法は? あなたがよく使うゾルトラークは、人間の戦争で一番人を殺した魔法なんだ。ネットにもよく書かれているから識っているよね?」

 

「さようでございますね」フェルンちゃんが苦しそうな表情になる。

 

 可塑性の見極め。変形限界の程度をわたしは慎重に観測する。

 

「寄る辺のないフェルンちゃんは、静かに暮らしていくなんてできるのかな。人間は貴族や王族から土地を賃借して定住する。その借りるという行為の贖いとして権力に服従せざるをえなくなる。戦争の道具になってしまうかもしれない」

 

 フリーレンが教えてきたことが、魔族を――人を殺すこと――だけとは言わない。

 でも、魔族を殺す力は、容易に人を殺す力に転用しうる。

 フリーレンは、フェルンちゃんを優秀な兵器に育てあげてしまった。

 

「そのときは旅にでます」

 

「ずっと放浪民(ノマド)でいるのは、人間には苦しい生き方だと思う」

 

 シュタルクには還るべき場所がある。アイゼンがまだ生きている。

 

 けれど、ハイターはもういない。わたしはその言葉を言わないけれど、事実として、フリーレンが旅に出て、シュタルクが家に帰ってしまえば、残されたフェルンちゃんは誰も遺っていない家でひとり暮らしていくことになる。

 

「案外、旅は楽しいものですよ」

 

「そう、よかった。フェルンちゃんはこの旅を楽しんでいるんだね」

 

「はい」

 

「でも、旅はいつか終わるよ。ねえフェルンちゃん……提案なんだけど」わたしは決死の表情6を選択する。「旅が終わったらわたしといっしょに暮らそう」

 

「アナリザンド様は、私を庇護してくださるおつもりなのですね」

 

「ううん。そうじゃないよ。庇護なんて一方的な関係じゃない。いっしょに互いの時間を喰べあおうって提案だよ。フェルンちゃんがよかったらずっとずっといっしょに暮らそう」

 

「まるで結婚でございますね」

 

「け、けけ結婚! フェルンちゃんと結婚……」ぷしゅうと顔から煙が出るみたいだ。

 

 フェルンちゃんは小さく笑った。そして冷静な表情に戻ってわたしをじっと見つめた。

 

「アナリザンド様がそうおっしゃるなら、真剣に考えてみます」

 

「ほ、ほんとう? わたしと結婚する?」わたしの心臓はドキドキしている。

 

「アナリザンド様、ご存じないのですか。姉妹は結婚できないんですよ」

 

「うん。そりゃそうだけど……」

 

 ついでに言えば、マゾ婚をした人間もいないだろう。

 あれ? なんかこれと似たようなやりとりを誰かとしたような。

 

「私のことを真剣に考えてくださってありがとうございます。旅が終わったら――フリーレン様が旅立ったら、そのときご回答をお返しします」

 

 フェルンちゃんの回答は保留だった。

 けれど、拒絶されていない。それだけでいまは十分だ。

 

「うん。待ってるよ」わたしは心の底からニッコリと微笑む。

 

「ところで、ヒンメル様の件はどうなったのです?」フェルンちゃんが軽やかに質問を変えた。

 

「それね……」わたしは少し困った顔をしながら答える。「あれは、本当に悪いことをしたと思ってる。ヒンメルの姿を使って、フリーレンを攻撃するなんて……本当に反省してるよ」

 

「なぜ、そうしたのでしょうか。理由がおありなのでしょう?」

 

「前提として――、フリーレンは魔族の言葉を聴かないよね」

 

「それは、そうですね……」

 

「わたしは最初どうでもいいと思ってたの。フリーレンがわたしの言葉を聴かないなら、どんなに伝えようとしても無駄に終わる。魔族の言葉は嘘だって、そう言われてしまったら意味がないからね。ヒンメルの遺志が歪んで伝わってしまう」

 

「遺志ですか?」

 

「うん、詳細は個人情報だから伏せさせてもらうけど、わたしはヒンメルに逢ったことがあるんだよ。そこで、とある言葉を託されたんだ。遺言としてね」

 

「フリーレン様はその言葉を受け取らなければならない、と?」

 

「そうなってほしいけどね。でも、天国でヒンメルに逢えるなら――、いやそれ以前に、ヒンメルが死ぬ間際に伝えていた可能性もあったから、それって無意味かなって思ってたの」

 

 半世紀(エーラ)流星群。

 星が巡るとき、わたしはヒンメルの側にいなかった。

 だから、最期の旅でどんなことがあったのか、わたしは知らない。

 

「伝えられていないと、アナリザンド様は確信したのですね」

 

 フェルンちゃんの言葉にわたしは頷く。

 だって、フリーレンは心の奥底では、ヒンメルはもういないと考えていたから。

 図星だから傷ついたのだ。

 ヒンメルはどんな気持ちで、その言葉を秘めたまま逝ったのだろう。

 

「そう。だから、ヒンメルはディスクリプタなの」

 

 フェルンちゃんは首をかしげる。

 

「ディスクリプタというのは……?」

 

「ごめん、説明不足だったね。ディスクリプタっていうのは、何かを明確に示す言葉や表現のこと。ヒンメルの言葉は、フリーレンにとってとても大事なものだよね。だから、それを使って彼女に伝えようとしたんだ。少しでも伝わればいいなと思って。わたし自身がヒンメルの遺言なんだよ」

 

「直接お伝えすればよかったじゃないですか。アナリザンド様がヒンメル様とお逢いしたということは、フリーレン様も信じておりましたよ」

 

「でも、魔族を介した言葉になる。わたしが好き勝手にいじくりまわした言葉になってしまう。わたしはフリーレンの耐久度を試したんだ。思いっきり偽物っぽくふるまってね」

 

 要するにヒンメルの言葉を受け取る資格があるか。

 

――相続人たる資格があるか。

 

 を、試したのだ。いまのフリーレンにはわたしという変流器を受け入れる余地がない。

 

 わたしがそっくりそのままヒンメルの言葉を伝えたところで――ヒンメルの言葉は否定されてしまうだろう。彼女は彼女自身に騙される。幸せの青い鳥がすぐ側にいることに気づかない。涅槃にいたる蜘蛛の糸を切ったのは彼女自身なのだから。

 

「だからって煽るようなことをしては逆効果なのでは?」

 

「それはそうだよ。わたしだってこう見えて怒っているんだよ。アウラ様のこと――、和睦を台無しにしたこと――、フェルンちゃんを傷つけたこと、赦したけど赦せないよ」

 

 紅い目がフードに隠れて、茫洋と光っている。

 フェルンは魔族に対する本能的な恐れから息をのんだ。

 

「それは私の罪です」

 

「そう思うなら、フェルンちゃんはフリーレンを支えてあげて。あなたが良いと思うことをしてあげて。わたしはフリーレンを騙すよ。あなたが守ってあげるの」

 

「わかりました。必ずそのようにいたします」

 

 

 

 

 

「フェルン。旅の準備はできた? シュタルク、食料の補充は大丈夫?」

 

 フェルンが宿に帰ると、せかせかと動くフリーレンがいた。視線を巡らすと大きめのトランクにいろんなものを詰めこんで、旅の準備を進めている。

 

 アナリザンドとの対話のあと、フリーレンは燃えていた。

 

――泣かされた。

 

 とでも思ったのかもしれない。

 心が弱っているときの追撃は、彼女には効いただろう。

 しかしながら、三週間も泣いてスッキリしていた彼女は――、アナリザンドの執拗な攻撃にもめげなかった。というより、アナリザンドもフリーレンを壊すつもりはなかったので、可塑性を見極めながらの攻撃ではあったのだが。

 

 アナリザンドにくべられた怒りをエネルギーに変えて、勇者一行の魔法使いとして燃えに燃えている。ヤル気に満ち溢れている姿は、自己嫌悪で鬱状態だった頃に比べればマシに思えるが、これはこれで不健全なのではないかと思う。

 

 特に、アナリザンドの奸計にハマっているようにも思えるのだ。

 

 フェルンはアナリザンドの言葉を正確に理解していた。要するに、アナリザンドはフリーレンを全力で騙そうとする。その奸計をフェルンに打ち破って見せろと言っているのである。

 

 それは具体的には、今回のような悲劇をできるだけ防ぐということ。

 

 人の魂に対する敬虔な気持ちを守るということである。

 

「フリーレン様。旅立ちの前にしていただきたいことがあります」フェルンは言った。

 

「ん。何か忘れたことがあったかな」

 

「今回の戦いで犠牲になった英傑たちの魂に祈りを捧げるということです」

 

 いま、フリーレンとアウラが交戦した場所には、幾本もの剣が突き刺さり墓標の代わりとしている。フリーレンは泣き崩れてしまって祈りを捧げることができなかった。

 

 フェルンは旅立ちの前に、フリーレンに祈りを捧げてほしかったのだ。

 

「私にそんな資格はないよ」フリーレンは昏い顔で言った。「私がその魂をバラバラにしてしまったんだから」

 

「ヒンメル様ならなんておっしゃるでしょうか?」

 

「フェルン……」

 

「きっと、ヒンメル様はフリーレン様をお叱りすると思います。けれど、そのあとは必ずフリーレン様をお赦しくださると思います。それは私の想像に過ぎませんが……、いくつもの英雄譚がヒンメル様のお人柄をお伝えくださってます。ヒンメル様はお優しい方だったのでしょう。フリーレン様の中のヒンメル様はどのようなお方だったのでしょうか」

 

「……そうだね。ヒンメルならそうしたかもしれないね」

 

 フリーレンは少しだけ息を吐くようにしてフェルンの言葉に静かに頷いた。

 吐息が白く色をつける。

 

「わかったよ、フェルン。祈りを捧げよう」フリーレンは言った。

 

 いよいよ一か月ぶりに、フリーレン達はグラナトの街を後にする。

 見送る人間は誰もいない。英雄フェルンは顔を隠してコソコソと街を後にする。

 

 二十キロの道のりは、勾配になっていて、長く引きこもり状態だったフリーレンはかすかに息があがってきた。

 

 やがて、丘が見えてくる。

 

 フェルンとフリーレンは並んで剣が突き刺さった墓標の前に立ち、シュタルクも静かにその後に続いた。フリーレンは目を閉じ、心の中で英傑たちへ――、懸命に生きた者たちに敬意と謝罪の言葉を捧げた。

 

 フリーレンは女神を信じていない。

 フリーレンは天国を信じていない。

 フリーレンは永遠を信じていない。

 五感で感じ取れないそれらをあるかどうかわからないと答える。

 

 けれど、ヒンメルがそうしたから。

 そのヒンメルを大事に想う、この心は確かに存在した。

 

 だから、彼女は祈りを捧げる。

 

――御名が讃えられますように。

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