魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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ゲナウ

 

 

 

「だしてぇぇぇぇぇぇぇ! だせぇぇぇぇぇ!」

 

 焦ったような声を出すアナリザンド。

 

 わたしは捕獲されていた。人の用意した罠にかかることに余念のないわたしである。魔族よりも嘘をつくのがうまい人間に騙されるのは、魔族の基本パロメータとしてわからないでもない。なんだったら五歳児にすら騙される。わたしクソ雑魚魔族ですから。

 

 ドヤって胸をそらすスペースもなかった。

 

 そこは牢屋のような鉄格子に囲まれた場所。

 牢屋といっても、周囲は一メートル四方の立方体で、立ち上がるだけのスペースもない。いわば鉄の鳥かごのような箱の中に閉じこめられていた。

 

 鉄格子はガッチリと四方にはりめぐらされていて、くるくる回ってみてもどこにも逃げ場所はない。これで首輪でもつけていればまさによくあるオークションにかけられる前の奴隷状態だ。わたし奴隷少女になっちゃう? これからえっちなことされちゃう?

 

 周囲には同じく小さな鳥、綺麗な鳥、種族名はわからないが様々な鳥がわたしと同じように鳥かごに収まっている。わたしの叫びに反応して、ジャングルみたいに、ピーピー、ピチパクピチパク、ホッホアーとけたたましく鳴いている。

 

「どうやら成功したようだな」

 

「なんでこんなことするの。ゲナウ先生」

 

 目の前にはゲナウが椅子に座って、わたしを観察している。

 

 ゲナウは一級魔法使いである。

 七三分けのピッチリした髪型で、周囲から堅物として見られている。

 

 その性格はどうやら嘘ではなかったらしい。わたしの観察する目は冷徹で、えっちなことをしようとする様子はない。アナちゃんひん剥き配信とか始まらなくてよかった。

 

「どうやら逃げられないようだな?」

 

「ううー、なぜだー! 人間風情がぁぁぁ!」

 

 ここに閉じこめるというのが目的だったらしい。

 わたしはいま座標転移ができない!

 わたしは<わたし>ではないから、インターネットが接続不可となることもないが、なぜか座標転移できなかった。

 

 魔法インターネットは、人間や魔族が使う魔力を介して情報を送受信するネットワークである。それはあたかも現実のインターネットのように、どこにいてもアクセスできるものであり、情報が物理的な空間に依存しないため、鉄格子の中に閉じ込められていても通信は可能だ。言い換えれば、魔法インターネットは『空間』を超越した『精神』のネットワークであり、魔力さえあればどこからでもアクセスできる。

 

 もちろん、ネットには接続されているので、誰かに助けを求めることはできる。しかし、それでは間に合わないかもしれない。先生たちのうちだれかに助け出される前に、わたしは殺されてしまう算段が強い。

 

 これに対して、座標転移は特定の物理的な地点に瞬時に移動するための魔法である。これは空間に強く依存しており、自分の座標を正確に認識し、目的地の座標に魔法を作用させる必要がある。

 

 わたしは以前、関所の門を通り抜けて結界の中に侵入したことや、ブルグお兄ちゃんの部屋の中に転移したことがあるが――、あれは要するに結界の中に人間がいるからこそできたことなのだ。人間の有する想像的空間が、固定点(アンカー)として機能し、わたしの空間認識座標を補正することによって、どこにでも飛ぶことができるのである。

 

 ごく単純に言えば、誰かのまなざしの先なら座標転移しやすい。けれど、みんなは想像的空間を生きている。実際に見ていなくても、私室ならそこにどんな空間が広がってるかはわかるでしょ。だから、背後にだって転移できるというわけ。ゼンゼ先生の髪をクンカクンカできたのは、それが理由。

 

 いま、この極小の結界の中には誰もいない。

 だから、座標転移ができない。わたしは隔離されているわけだ。

 こんな単純な罠に引っかかるなんてありえない。

 牢の中にはぽつんと光る金貨が置いてあって、とれたらやるとか言うもんだから……。

 わたしは悪くない。こんな善良な魔族を人間が騙してきたのが悪い。

 

「いや、そもそも特権的座標なんてないのだから、()()を結界の外側としてみなせば……」

 

 みんなのいる結界の外を結界の内としてイメージできれば、わたしは牢屋を脱出できないだろうか。この小さなスペースに押し込められているから、内側だという固定観念があっただけだ。

 

 その固定観念さえ打ち砕ければ、座標転移は可能なはず。

 

 わたしは外にいる。わたしは外にいる。わたしは外にいる!

 鬼は外! 鬼は外! 鬼は外!

 福は内! 福は内! 福は内!

 

 わたしはハッピーな存在だ。人間を騙して侵入できるはずだ!

 

 う~~~~~~~。できない。なんで?

 

 わたしの認識がどこかおかしい。焦りが認識の歪みを生んでいるのか?

 

 ゲナウはわたしの思考を読んだのか、カップに入った紅茶を飲みながら口を開く。

 

「……魔法とは()()()()()()()()()だ。この箱には特殊な魔法がかけられている。通常の結界とは異なり、その結界内には内側も外側もない。そういうふうに認識できない」

 

――クラインの壺!

 

 そんなバカな。結界に幻影魔法もかけているわけか。

 この狭い鉄格子の中には、トポロジカルな空間が広がっている。

 

 ああそうか。そういうことか。

 今感じているこの座標認識も欺瞞されているということか。

 

 でも――、ゲナウの発言はこの封印を解くヒントとなっている。

 

 魔法が観念の押しつけあいというのであれば、より強力な観念連合で結果はいくらでも覆されることになる。わたしの魔力は全力で借り受ければ10億7200万ほど。

 

 ゲナウが一級魔法使いとしてどんなに魔力が高くても、わたしに勝てる道理はない。

 要するに、こんな魔法など児戯に等しいのだ。

 

「ふっふっふ……」

 

「どうした。逃れられぬことに絶望し笑いが漏れたか?」

 

「ゲナウ先生。わたしウンコ漏れちゃう!」

 

 わたしは裂帛の気合をこめて言った。脳内にはアウラ様との綺麗な思い出。アウラ様は服従の魔法から逃れるために詭弁を使ったのだ。

 

 わたしはバイオフィードバックループをコントロールし、額に汗を放出させる。

 身体を小刻みにゆらし、声には焦りを乗せる。

 

「嘘だろう?」わずかに不安。

 

「嘘じゃないよ。はやく。はやくしないと間に合わなくなっても知らんぞー!」

 

 鉄格子をガンガンと揺らしながら、わたしはさらに焦りを見せつける。

 

「そこで漏らせばいい」

 

「昨日は辛いスープを食べたの。お腹の中でグルグルグルグル叫んでいるよ。これたぶんリキッド状だ。わたし社会的に殺されちゃう。先生よく考えて。想像してこれから起こる惨状を!」

 

「……そんなバカな」

 

「わたしを鳥みたいに飼ってもいいけど、掃除するのは先生だよ。どうするつもりなの!?」

 

「く……」

 

 やった! わたしは解放された。

 すぐさま、鳥のように座標転移し、わたしはトイレにかけこんだのでした。

 

 ふぅ……危なかった。

 どういう意味かはご想像におまかせします。

 

 

 

 

 

 さて、落ち着いたところで、もう一度ゲナウ先生の部屋を覗いてみる。

 そうすると、ゲナウは驚いたように顎をひとなでした。

 

「なぜ帰ってくる」

 

「え、わたしとお話ししたいんじゃないの?」

 

「…………」

 

「違うの? わたしを閉じこめたかった? でも、わたしはゼーリエ先生をはじめとして先生たちみんなに閉じこめられているようなものだよ。牢屋のなかはさすがに狭すぎるけど、トイレがついたお部屋の中だったら、べつに閉じこめられてもいいよ?」

 

「座れ。茶くらい出そう」

 

 ゲナウはわたしに座るよう促した。

 さすがに椅子には魔法はしかけられていないようだ。

 わたしは慎重にプルプル震えながら座る。

 そうすることが望まれているからだ。

 

「おぞましいほどの人間の擬態だな。私が見てきた魔族のなかでも卓越している」

 

「そーう? 先生たちにもわりと褒められるよ」

 

 わたしはにこやかに害意なく応える。

 

「少し昔話につきあってくれないか」

 

「うん。いいよ」

 

 

 

 

 

 それはゲナウが少年だった頃の話だ。

 

 ゲナウは辺境の田舎に住んでいて、そこはそれなりに栄えてはいるものの魔法都市オイサーストのような都会とは比べるべくもない。牧歌的でどこにでもあるそんな街。しかし、魔族の脅威に常にさらされているそんな街でもある。

 

 年若い彼は、故郷を飛び出し魔族の討伐隊に同行し、ある日オイサーストに来ることがあった。初めての大都会である。おのぼりさんであったゲナウは若さも手伝ってか、おおいにはしゃいだ。見るものすべてが目新しく、そこには未来そのものがあったのだ。

 

 ゲナウは偶然古びた魔法店に入り、そこで奇妙な鳥籠を目つけた。鳥籠には今まで見たことのない美しい青い小鳥が閉じこめられていた。

 

「これなに?」彼は言った。

 

「幸せの青い鳥じゃよ」

 

 髭もじゃの真っ白いドワーフのような店主が説明するには、その鳥には魔法の力が備わっているという。しかし、魔法の力は使い切りで、すべての魔法力を消費してしまうと青い鳥は死んでしまうというのだ。

 

 さらには、籠を開けて鳥を逃がしてしまうと、全ての願いが無効になるという。

 

「これください」彼は鳥が欲しくなった。

 

「ライヒ金貨一枚じゃ」

 

 目ん玉が飛び出るくらいの金額だった。日本円に換算するとだいたい50万円くらいである。

 少年であったゲナウに、もちろんそんなお金は出せるはずもなく、しかしどうしても鳥を欲しいと思った彼は、値切り交渉をした。

 

 交渉の結果、なんとか五分の一程度まで値切ることに成功した彼は意気揚々と故郷に帰参する。

 

 ゲナウは元来気難しい性格だと思われている。わりと話をする関係のパン屋の息子とも、手をあげてわずかに会話をしただけで、すぐに彼は家に帰った。

 

 日々が過ぎ、ゲナウはその青い鳥を大切に育てていた。彼は鳥籠を毎日丁寧に掃除し、青い鳥に栄養のつく食事を与え、常にその健康を気にかけていた。

 

 やがて街中で「最近は日照り続きで困るなぁ」というような声を聴くことになる。

 

 ゲナウは青い鳥に祈る。すると雨が降った。

 

 また、あるときは「家の収穫が悪くて、このままでは冬を越せないかもしれない」と話す隣人の声を聞いた。ゲナウは再び青い鳥に願った。すると、次の季節には豊作がもたらされ、その家は安心して冬を迎えることができた。

 

 このようにして、ゲナウは自分や周囲の人々のために青い鳥の力を何度も使った。彼の心の中には、青い鳥がもたらす奇跡への信頼とともに、徐々に増していく不安があった。なぜなら、彼は鳥の魔法力が有限であり、やがて尽きることを知っていたからだ。

 

 鳥は衰弱していた。

 青い羽はどんどんその鮮やかな色味を失い、真っ白い翼になっていく。

 

 そして、その日が訪れた。冬の厳しい寒さが迫る中、ゲナウの故郷に魔族の襲撃が予想されるという知らせが届いた。街全体が恐怖に包まれ、住民たちは避難の準備を始めた。ゲナウはこのとき、青い鳥の最後の力を使うべきかどうかで悩んだ。

 

「もし、これが本当に最後の願いであれば、鳥が死んでしまう…」彼は何度も自問自答した。

 

 しかし、魔族が迫りくる脅威を前に、ゲナウは決意する。

 彼は鳥籠の前に立ち、心の中で強く祈った。

 

「どうか、この街を守ってくれ……」

 

 しかし、その願いは聞き届けられなかった。

 鳥籠の中の鳥は静かに息を引き取っていたのだ。そして籠の中で抜け落ちた一枚の青い羽を手に取ってみると――うっすらと魔法の色で着色されているのが見て取れた。

 

 街は甚大な被害を受けたが、騎士団によってなんとか退けられた。

 

 

 

 

 

「要するに――詐欺だったわけだ」

 

 ゲナウの声に感情の揺らぎはない。

 

「先生は青い鳥を解放したかったの?」

 

 現実的には――幸せの青い鳥はただの小鳥だったわけで、狭い場所に閉じこめることで衰弱してしまったのだろう。先生はそのことを後悔しているのかなと思った。

 

 ゲナウはわたしの質問に応答せず、ただ独り言のように述懐する。

 

「青い鳥がもたらす奇跡にすがっていた自分が、今となっては愚かに思える。現実は厳しいもので、祈りではどうにもならないことが多い。魔族は災いだ。人々の幸福をうち壊していく。差し迫ってくる不幸そのものだ」

 

「先生は、わたしがここに来て心配だったんだね」

 

 なにしろ魔族が遠慮なく人間の敷地を闊歩しているのだ。

 怖いと思う方が正常だと思う。

 

「ゼーリエ様の考えはよくわからない。アナリザンド、おまえは知っているか。ゼーリエ様はおまえをまるで身内のように扱いながら、魔族の討伐命令をとりやめているわけではない」

 

「知ってるよ。ゼーリエ先生には内と外という概念が、私と私以外というものなの。だから、わたしもゲナウ先生も、魔族も人間も、全部外側なんだよ」

 

 太陽のように超巨大な"個"がすべてを我の重力下に置こうとする。

 だから、先生は争いごとが好きだし、一方で弟子たちを愛している。

 想いが重いのだ。

 

「人間には計り知れない考え方だな……。人間が内であり、魔族が外である。その考え方のほうがシンプルで好みだ」

 

「先生たちは二項対立が好きだもんね」

 

 祈りと自立にしたってそうだ。

 本来、祈りは自立を阻害するものではないはずなのに、祈れば手がふさがるとかいって、祈ることを拒絶しようとする。

 

 魔族を敵とするのも都合がよいのは確かだ。いままで長年戦ってきた相手を身の内にとりこむことは、人間の連帯に亀裂を生みかねない。あるいは彼のいままで戦ってきたことが、本当は無意味なことではなかったのかという疑いを生んでしまう。

 

「先生は青い鳥そのものになろうとしたの? あるいは女神様みたいに」

 

 女神様の像は、エルフみたいな長耳に、まっしろい鳥のような翼を持っている。

 

「そんな大層なものじゃない。私はただ……」

 

 ゲナウは少し言葉を探しているようだったが、やがて静かに続けた。

 

「私はただ、自分の力を信じたかっただけだ。あの青い鳥に頼っていた時期は、自分の無力さを痛感していた頃だった。祈りにすがることで、何かが変わると思いこんでいた。しかし、それでは本当の力は得られないと悟ったんだ」

 

 田舎という鳥籠から抜け出したかった自分。

 自由に空をとびまわりたかった。人間というしがらみすら棄てて。

 

 彼は小さくため息をついた。

 

 なにかに疲れた大人の溜息だった。

 

「先生は一級魔法使いになっているわけだし、本当の力を得てきたんだと思うよ」

 

「本当にそう思うか?」ゲナウは自虐的に笑った。「一級魔法使いは、どいつもこいつも戦うことが三度の飯より好きな連中ばかりだ。ゼンゼやブルグは温厚そうに見えるが、いざとなれば獣のように牙をむくだろう。私も同じ穴のむじなだ」

 

「魔法使いの最高峰でしょ。肩書として最高クラスだと思うんだけど」

 

 むしろ人間としての枠組をちょっぴり超えちゃってるというかなんというか。

 一級魔法使いは化け物か、なんて呼ばれたりもしている。

 

「一級魔法使いという肩書きは、確かに力を示すものだ。しかし、戦いに明け暮れることが、果たして正しい道なのか――そんな疑問が、いつも心の片隅にある。いやそんなことをいまさら言う資格すらない。私はそうなることを望み、そうなることを選んできたのだから」

 

「先生は、大人になることが何かを棄てることだと考えているの?」

 

()()()()()」ゲナウは自身の存在様式を告げる。「人間は成長するにつれて、精神を型に嵌めていく。私は祈りを棄てて、魔法という武器を手に取った。いまさら生き方は変えられないし、変えるつもりもない」

 

「先生の祈りは形を変えて今も息づいていると思うんだけど」

 

 ゲナウは少し驚いた表情を見せたが、すぐにその感情を抑えこむようにして言葉を吐いた。

 

「祈りが形を変えて……か。もしかしたら、そうかもしれない。だが、それはもう祈りとは呼べないだろう。祈りは、何かを信じて委ねる行為だ。私は、もう何も委ねることができなくなった」

 

 彼は少し俯いて、言葉を選びながら続けた。

 

「結局のところ、私は自儘なやつなんだ。協調性なんて欠片もない。他のどんなやつが……、たとえゼーリエ様がおまえの存在を赦したところで、私はおまえのことを殺したくてたまらない。何を甘いことを言っているのだと、おまえの甘い言葉に乗って次々と誇り高い魔法使いたちが篭絡されるのを見て、私は自らの憤懣を抑えることが難しいのだ」

 

 わたしはゲナウの言葉に一瞬だけ息を飲んだ。

 魔力に殺意が乗っていた。しかも、黒炭のように濃密で、魔族ですら恐れひるむほどの。

 しかし、わたしはそのまま動じていないように装いつつ、静かにゲナウを見つめた。

 

「先生がそう思うのも仕方ないよね。わたしたちはずっと敵同士だったんだから」

 

 アナリザンドの声には、恐怖よりも理解が込められていた。

 ゲナウの内なる葛藤を感じ取りながらも、アナリザンドは冷静に続けた。

 

「でも、先生が今ここでそう言ってくれることは、逆にわたしにとっては嬉しいんだ。先生が本当に私を殺したいと思っているなら、今こうして話していること自体が不自然だもん」

 

 ゲナウはアナリザンドの言葉に少し驚いたように見えたが、すぐにその表情を消して淡々と続けた。いつものように淡々と。

 

「おまえは私を試しているのか? それとも、ただ自分の存在を肯定したいだけか?」

 

「どちらでもないよ。ただ、わたしは先生が私を殺したいと言ったその言葉の裏に、まだ何かがあるような気がしただけ。先生が本当に何も委ねることができないなら、なぜ今ここでわたしにそんなことを打ち明けるの?」

 

 ゲナウはしばらくの間、無言でアナリザンドを見つめたあと言った。

 

「おまえは本当に厄介なやつだな。おまえの言う通りかもしれない」

 

 彼は静かに溜息をつき、続けた。

 

「もしかすると、私が殺したいと思っているのはおまえではなく、私の中の何か、あるいは過去の自分かもしれない。おまえはその象徴として、私の前にいるんだ」

 

 アナリザンドはその言葉を黙って聞いていたが、やがて優しく微笑んだ。

 

「先生が何を感じていようと、わたしは先生を信じているよ。もし先生が自分の中で何かを殺したいと思うなら、その気持ちも尊重する。でも、わたしは先生にまだ捨てきれないものがあると思うんだ。それが先生をここまで導いてきたんじゃないかな」

 

 ゲナウは彼女の言葉に再び驚きを感じたが、同時にどこか安堵している自分に気づいた。

 そして、その安堵を導いた魔族に、心の底から恐怖した。

 この魔族は人間を――いや魔族すらも、すべてたいらげていくつもりなのかもしれない。

 

 魔族の言葉はすべてを惑わす。

 

「ねえ、先生――」アナリザンドは甘く紡ぐ。「先生の魔法をわたしに見せてよ」

 

「……いいだろう」

 

 ゲナウは己の人生の全てを賭けて、アナリザンドという未知なる恐怖と対峙する。

 それが一級魔法使いとしての自身の在り方であり、自らの矜持であるのだから。

 

 ゲナウは自らの魔法を顕現させた。

 

――黒金の翼を操る魔法(ディガドナハト)

 

 それはアナリザンドが想像していたとおりに、やはり美しく――黒曜のように光り輝き、鳥のように柔らかそうな、それでいて鋼のように硬そうな、そんな矛盾した強さを秘めているようだった。アナリザンドは見惚れたようにうっとりと見つめ、それからパチパチと小さく拍手した。

 

「やっぱりゲナウ先生の翼は女神様に似ているね」

 

「黒い翼の女神か……」

 

 ゲナウは自嘲するような笑みを浮かべた。

 その通りだ。そう思ったからだ。

 ゲナウの翼はあまたの死をもたらしてきた。魔族も人も殺してきた。

 死に慣れるほど、死に何も感じなくなるほど、死を経験してきたのだ。

 女神の白い翼とは対極にある。

 

「先生……、わたしも()()欲しい」

 

「固有の魔法だぞ。一見しただけで真似できるのか?」

 

「わからない。でもやってみるね」

 

 リーニエが模倣とは魔力の同調だと言っていた。

 要するに共感すれば、魔法を真似できる。

 感覚派の極致である。

 アナリザンドはどちらかといえば理論派ではあるものの、ソレとしての魔法は感覚派なのだ。

 

 アナリザンドは手を組み、ひたすらに祈りをささげる。

 

 人間たちの祈りが結集する。

 

 アナリザンドの背中に、青い翼がゆっくりと顕現した。その青さは空のように澄んでいて、どこか儚げでありながらも、強い意志を感じさせるものだった。

 

「先生、見て……できたよ……!」

 

 アナリザンドは感激しながら、その翼を広げた。

 その姿は、まるで自由を求める青い鳥のようだった。

 

「先生、わたしを解放して」

 

「おまえはいつだって自由だろう。どこにだって行けるのだから」

 

「いいえ。先生にそうしてほしいの」

 

「それがおまえのやり方か」

 

 どうりで勝てないはずだった。

 対象の望む姿を望み、客体(ノエマ)的自己を実現させる。

 人間たちが遠い昔に棄て去ったものが、再び目の前に現出するのだ。

 まるで、雛鳥が狩人のふところに潜りこもうとするようなものだ。

 一流のハンターでさえ殺すのは難しい。

 

 そういえば、とゲナウは思い出す。

 あの店主は確かこう言ったはずだ。

 

 鳥を鳥籠から出そうとすれば、魔法は消えて、すべての願い事は無に帰すると。

 そして、ゲナウは鳥籠を掃除するためだったか、あるいは単に鳥と戯れたかったか。

 鳥籠を開けたことくらいはあったのだ。

 青い鳥は狭い部屋の中をほんの数分だけ自由に飛翔し、それからゲナウの懐に飛びこんできた。

 

――あのとき、魔法は消えたのかもしれない。

 

 あの鳥は本当に魔法の鳥で、自分がただの小鳥としてかわいがりたかったのだ。

 祈りにすがる幼い自分をゲナウは遠い昔のように思い出した。

 

――今はもうない。

 

「そう思っていたのだがな……」ゲナウは窓際まで行って、窓を開けた。「いいだろう。アナリザンド。おまえの勝ちだ。自由にどこへでも飛んでゆけ」

 

――ありがとう。

 

 そう言って、アナリザンドは窓枠に手をかけた。

 それから振り返って、飛び立つ前にさえずってみる。

 

「先生、鳥が自由を手にした時、その魔法は消えるどころか、逆に真の力を解き放つのかもしれない。だって、鳥は飛んでこそ鳥でしょう。自分を縛る檻から解放された時にこそ、本当の魔法が顕現する。それが青い鳥の本当の力なんじゃないかな」

 

「なら――」

 

 それ以上は言葉にできない。

 

『私の街を守ってくれ』なんて、あまりにも浪漫シズム溢れる思考だ。

 これからも魔族を殺していく。その工程は変わることはない。

 なのに、その言葉を魔族に投げかけるなど、甘ったれた思考としか思えなかったからだ。

 

 けれど、アナリザンドはうなずいた。

 

「わかったよ、先生。聞こえた」

 

 これから数年後のこと――、魔族に故郷の街が襲われ、ゲナウは相棒とともに討伐に向かう。

 アナリザンドのアラートによって、街は亡びる前に救われ、相棒も死ぬことはなく生き続けた。

 

 もしも、アナリザンドを閉じこめておけば、街は亡びたかもしれない。相棒は死んだのかもしれない。そんな因果の流れも、今この時を生きる人間には知る由はない。

 

 ただ大空の視点から眺めれば、彼は彼自身の魔法(かくあれかし)を結実させたのだ。

 卑小なる人の身なれば、祈りほど偉大なる魔法はないということなのである。

 

 ところで三十分ほど魔法都市の空を堪能した後にアナリザンドを待っていたのはお説教だった。

 ゼーリエ先生やその他の一級魔法使いの先生ではない。

 受付の眼鏡をかけたお姉さんである。彼女はぷんすか怒っていて、フェルンのように理詰めでアナリザンドを追いこんだ。

 都市の上空を空高く飛ぶのは緊急事態でもない限り禁止されているらしい。

 

 ごめんなさいごめんなさいと平謝りしてなんとか赦してもらったが、さらなる絶望がアナリザンドを襲う。

 

「おい、あの魔法はなんだ」

 

 ゼーリエ先生である。

 

「えっと、お空を飛ぶ魔法的な?」

 

「私は言ったはずだ。女神か私か選べとな。そしておまえは私を選んだ。違うか?」

 

「違いません!」

 

「それをなんだ。あのふざけた姿は……。青やら赤やら忙しい奴だ」

 

「えっへっへ。鳥さんみたいでかわいかったでしょ」

 

 わたしは媚びを売った。けれど効果はイマイチだ。

 

「嘘つきにはペナルティだ」

 

「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 負債が1億APほど増えたが、それもまた因果応報。

 ゼーリエ先生は女神様よりも嫉妬深く、厳しいお方なのである。

 アナリザンドは今もなお、借金という名の鳥籠に捕らえられている。

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