魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
知的で文化的な先生たちなら、わたしが何を言いたいかすぐにピンとくるだろう。
――そう、
あまねくすべての存在が等しく太陽の調和のもと
和平にしろ。平等にしろ。自由にしろ。幸福にしろ。
それは人間の想像力が成せることじゃないだろうか。
ここは魔法が実存する世界だ。
魔法はイメージによって望んだ現象を手繰り寄せることができる。
そうでなくても先生たちは長大な歴史のなかで想像しうることを必ず実現してきた。
もちろんできないことだってあるかもしれないけれど、少なくとも、始まりはいつだって『こんなこといいな。できたらいいな』だったわけである。
だから、わたしは人間の想像力をこの世界に
そのための土壌作りについては、それなりに時間を割いてきたつもりだ。
それは歴史に関する干渉だろうか。ある意味そうだろう。
しかし、歴史を語るのは歴史家であり、あるいは後世の人々であり、それはひとつの言葉、ひとつの物語に過ぎない。歴史自体が絶対的な真実ではなく、人間の主観や解釈に依存している。
これに対して、インターネットにおける言葉は、データベース化されフォルダによって綺麗に整頓された巨大な
そこにある情報やデータは交換され、流動性や多様性を生む。もちろん、フォルダごとに歴史は生まれていくだろう。けれど、それは相対化され、せいぜいが『人間』という言葉においてしか総体化されえない。そういう意味ではネットは人間の自由を保証するとともに、女神様をひとつの
あるいは言い訳めいた言葉で修辞するなら、人間は女神様を棄てたわけではなく、天国というフォルダから巣立っていこうとしているのではないだろうか。
わたしはそのための便利な翼を人間たちに貸しだしている。女神様はいまもわたしたちの帰りを待っていて、わたしの推しはあいも変わらず女神様である。
――そんなわけで。
実はいままで描写してこなかったけれど、魔法コンソールは地味に改良を重ねている。
例えば、小窓についてはタブレット方式としてタッチパネルとすることもできるし、デスクトップ型に切り替えることも可能だ。
そして、キーボードにはわずかな質感――魔力の結集力の程度によって――を伴い、きちんと押している感触がするし、魔法の鼠さんだって手元に出現させることができるのである。
というわけで、ペンタブだってもちろんアプリを用意し、タップとともに魔力ペンが出現し、物理的なペンとほぼ同じ感触でイラストを描くということはできるのだが、ここでひとつ問題が生じた。いや正確にはふたつかな。
言うまでもないが、
――この世界にはマンガという文化は存在しない。
というのがひとつめの問題。
普段何気なく読んでいたあのマンガというコンテンツは、
たとえば、マンガにはコマ割りというものがある。どんな順番で読むのかという点について、読者はよく訓練されている。日本人なら右から左、上から下ということが多いだろうか。その順番で時間的な流れが表現されているわけだが、これはもちろん日本の国語が、右から左へ読むという文化だったからである。
あるいは漫符。例えば、汗マーク一つで緊張や焦りを表現するが、これはマンガを読み慣れている人々にとっては瞬時に理解される表現だ。しかし、これを他の文化や文脈で理解するのは難しいかもしれない。そもそもの話『J』みたいな記号で汗なのかってところから始まると思うわけで。
まあいい。それはそういうものだとして説明しよう。人間たちによる取捨選択によって定着するものもあれば滅び去るものもあるだろうが、人間という存在様式が前世と変わらないように思えるので、似たような発展を遂げていくのではないかと思う。
さて、そんなわけで、マンガの障害となっているふたつ目の問題についてに移ろう。
それは――――。
「どうかな先生たち。これが新しい表現方法。マンガだよ」
『なんか幾何学的な仕切られた窓枠に、なんか得体の知れない何かが描かれている?』
『アナ様意味がわかりません』
『この丸っぽいとがった風船みたいなところに文字が書かれているけど……』
『月が綺麗ですね? ふーむ。後ろのジャガイモみたいな丸って月なのか? まさか』
『ああ、この粘土をぐちゃぐちゃにしたようなのが人間なのかな?』
『魔族の見てる世界ってこんなふうなの?』
『アナ様にとってのオレらって、このゲロシャブみたいな何かなのか……』
「いいえ、わたしの表現能力が足りないだけです……」
――わたし、絵が超ヘタだった。
魔族的特性もあるのかもしれない。魔族にはもともと物語を創る能力に欠けている。というより、言葉がバラバラ死体なのである。情動も同じくバラバラで、疑似的に人間の感性を真似たところで、マンガという文脈を創り出すのはかなり難易度が高い。
いや、言い訳です。
絵がヘタクソなのは、単純にわたしがクソ雑魚なだけです。
わたしだって自己評価くらいできる。これじゃダメかなとは思っていたんだ。
いちおう、親しい先生たちに頼んでみたんだよ。でもダメだった。
ダメだったんだよ……。
ゼーリエ先生の場合。
シュールレアリスム的な何かができあがりました。ゼーリエ先生のお部屋みたく、原色のドギツイ感じで、かつ不条理で奇妙で不気味な、見ただけで疲れるそんな何かでした。わたしはごめんなさいして帰りました。
ゼンゼ先生の場合。
少し期待してました。髪の毛を使って一気にベタ塗りからトーン張りまでできるぞ!
けれど、先生はそもそも小説より論文のほうが効率がいいとかいって、あまり興味がなさそうでした。描きあがったのは、教科書の隅っこに描かれそうな落書きレベル。情熱がない人に無理やり描かせてもダメだよね。
ブルグ先生の場合。
なんか、わたしの足を模写したいとか言い出したんで、足蹴にして帰りました。
うれしそうな顔をしていたのがすごく気持ち悪かったです。
レルネン先生の場合。
わりと絵はうまい。でも、写実的すぎてなんか違うんだよなぁ。ゼーリエ先生とそれ以外の人物の描写の濃さも違いすぎて、マンガとしてどうだろうと思いました。それとは別に、なんかブロック崩しみたいなゲームを創ってたんで遊んで帰りました。
短時間で、すごすぎるよ先生。でもわたしも一枚かませて欲しかった。
ゲナウ先生の場合。
鳥の描写は詳密なんだけどね。人間の描写がなんというか棒なんですよね。
前世でもやたらと車の作画だけ死ぬほどうまくて、人間の顔が雑だったマンガとかあったけど、まあ……うん。漫画史のはじまりがこれだとちょっとマニアックすぎるかなと思いました。
レンゲ先生の場合。
びーえるの大家になりつつある先生は、いちばんマンガに近い文脈を保持していると思った。
だから、いちばん希望はありそうなんだけど、どちらかというと小説のほうが好きみたい。
脳内の想像と出力される結果にズレが大きすぎて、魔力ペンを放り投げてしまった。
小説を書く才能とマンガを描く才能は別だということなのかな。
メトーデの場合。
やっぱり多才でわりと絵もうまい。幼稚舎みたいな設定だった。登場人物はなぜだかみんな三歳児くらいで、なぜかフリーレンとアウラ様が描かれていた。内容は以下のような感じ。
フリーレン「アウラ、痛い痛いする!」
アウラ様「フリーレン、私ポンポン痛い。痛い痛いされたくない!」
フリーレン「アウラ、痛い痛いする!」
アウラ様「痛いのヤダ! ヒンメルにいいつける!」
フリーレン「ヤダぁ。アウラのばかぁ。えーん」
アナリザンド「あらあら、仲良くしましょうね。ほら、ぎゅー♡」
想像の産物のはずだが、なぜかメチャクチャわたしの体験と合致しているような……。
怖くなったので、わたしは見なかったことにした。
――深刻な人材不足。
そもそもマンガというコンテンツを理解して、それをうまく表現して、さらには情熱をそそぐだけの才能ある人物というのは、かなり稀有な存在なのだろう。
わたしは一縷の望みをかけて、先生たちの中から特出した才能が現れ出でることを期待したのである。
「まあ……わたしの絵がヘタいのは置いておいて、こういうふうに文字と絵で物語を創る方式をマンガって呼ぶんだよ。イラストと文字が組み合わさって、時間の流れや感情の変化を表現するんだ。コマ割りによって、テンポや緊張感を演出したりしてね」
『つまりドラマなわけね』
『演劇的イラストということか』
『うーん、写真を張りあわせるんじゃダメなの?』
『というか、動画撮れるようになったじゃん。あれで十分なんじゃ?』
『アナ様のいうマンガの利点ってなんなの?』
「マンガの良さか……うーん、そうだね。自分のペースで読み進められるってことかな。動画で演劇を撮影するというのを映画っていうんだけど、映画だと時間の流れは強制的だし、それになにより、マンガだと想像力の拡張性は他のコンテンツに引けをとらないよ」
『うーん。でも小説に比べると明らかに時間的コストが重い気がするな』
『アナ様の言う映画だと複数人がいないとダメだけど、マンガだと作者オンリーでいけるのか』
『風刺画ってあるじゃんね。あれみたいに文盲の人でも読めるのでは?』
『待てよ……、えっちなマンガって想像するとよくないか? 30000AP』
『おお……えっちなマンガイズオーケー?』
「先生たちって本当そっち方面好きだね。さいてー♡」
『ご褒美いただきました』
『いつだって文明を発展させてきたのは戦争とエロです』
『つまり、エロは平和だったってコト!?』
『でも、アナ様ってゾーニングしたらけっこうえっちなのも寛容的なんよな』
『それなら、えっちなお姉さんのえっちな動画のほうが効率的だと思うが。10000AP』
『なんの効率だよ……』
『賢者に至る時間効率だよ』
「想像の余地というスペースの大小問題として捉えることもできるかもしれないね。小説よりは想像の余地を削っちゃうけど、動画よりは想像の余地が残る。声や動きを読者側で補完しなくちゃいけないわけで、だからこそ想像力をかきたてる側面があるの」
『肝心の現物がないから、なんか想像しにくいな』
『悲報。アナ様のマンガもどき。マンガとみなされない』
『なんとなく言いたいことはわかるよ』
『人間は視覚情報が他の五感よりも強いので、マンガのほうが理解しやすいのはそうだろうな』
『アナ様は性急すぎる気がするな。マンガとかいうのが自然と出てくるのを待てばいいじゃん』
「まあ確かにね。認めるよ。マンガを読みたかったのはわたしの欲望」
けれど、
マンガもアニメも小説も、すべてはS2という点で本質を同じくする。例えば、作者は『美』というものを表現したいと考える。これは去勢された主体が感じた『感じ』であり、斜線をひかれたSからS1に至る過程だ。
その『美』に別の言葉で名づけることをS2と呼ぶ。
S1→S2であるから、S2は『美』そのものではない。作者は自身の『感じ』を表現するとき、絶対的にズレが生じる。でも描かざるを得ない。対象аが呼んでいるから。
よって、遅かれ早かれの問題にすぎないとは思うよ。
けれど、遅かれ早かれを少しだけ早かれにしたいと思ったのは事実。
わたしは情報をかきまわす。サーキューレーターだ。
インキュベーターではないからご注意を。
「わたしと契約してマンガ家になってよ、なんて言わないから安心してね」
『なんか魂までとられそうなこと言ってる』
『アナ様こわいこわい』
『え、マンガってそういうもんなの?』
『技術的には足りてるかもしれんが、なんか概念的に足りないかもしれんなぁ』
『イメージが足りないのか。卓越した魔法使いならもしかすると創れるかもしれん』
『そんなん一級魔法使いくらいしか無理やろ』
「みんな一級魔法使いと変わらないよ。わたしは先生たちの想像力を信じてる」
その後、ほどなくして熱意溢れるお手紙がわたしのもとに届いた。
『先の配信、とても興味深く拝見いたしました。アナリザンドさんが提案されたマンガという新しい表現手法に、僕も大いに感銘を受けました。特に、その視覚的な豊かさと想像力の拡張性についてのご説明は、まさに目から鱗が落ちる思いでした。
正直なところ、これまでの僕たちの歴史においてマンガのような表現は存在せず、その価値を理解するのは容易ではありませんでした。しかし、アナリザンドさんのお話を聞いて、マンガが持つ可能性に胸を打たれ、僕自身もその魅力に惹きこまれてしまいました。
特に印象的だったのは、マンガが読み手のペースで物語を進められる点や、読者の想像力を引き出す力が小説や演劇とは一線を画しているというお話です。これまでの表現手段にはない自由さと、読者と作者が共に物語を創り上げる感覚が、非常に魅力的に感じました。
また、マンガを通じて人間の想像力をさらに豊かにし、僕たちの世界にも新たな文化を根づかせたいというアナリザンドさんの熱意には、心から敬意を表します。そのような大志を抱き、僕たちに新たな視点を提供してくださったことに、感謝の念を禁じ得ません。
まだまだ僕たちはマンガという新しい文化に不慣れであり、その可能性を完全に理解するには時間がかかるかもしれません。しかし、アナリザンドさんのリードのもと、少しずつでもその魅力を学び、取り入れていきたいと考えています。あなたの導きがあれば、僕たちもきっと新しい世界を切り開けるはずです。
勇気を出して言いますが、僕はマンガを描きたい! 世界で初めてのマンガを描きたいんです。
どうか、僕が心の中で、あなた様を先生と呼ぶことをお許しください。あなたの教えを受け、僕自身もマンガという未知の表現に挑戦し、僕たちの世界に新たな文化を花咲かせたいと願っています。
先生どうか僕にマンガのことについて教えてくださいませんか。
もっと、先生のお話を聞きたいです。僕だけに聞かせてください。
あなたの敬虔なる最初の生徒より。 ラント 』
眼鏡をかけたひとりの青年。
斜にかまえた印象のある彼の名前はラントという。
ラントは帝都にある魔法学校の出身で、そつのない優秀な生徒だった。
いや、そつのなさすぎる、そんな評価を先生たちからはくだされている。
成績も上の中くらいで、目立つことなく学校生活を送っているし、友達から呑みに誘われたら拒むこともしないが、終わってみればそこにいたのかわからないほど印象に残らない。
陰気な性格なわけではないが、けっして本心は見せない。
そんな影に潜んでいるような人物だった。
彼はアナリザンドにファンレターを送った人間である。
返信はすぐにきた。
もう文章を読んだだけで、デレデレになっているのが見て取れる。
『ラント君。お手紙ありがとう♡ 先生ね、ラント君のお手紙すごくすごく嬉しかったよ♡ これからいっしょにがんばっていこうね♡ 先生もがんばるからね♡ いっぱいいっぱいお話ししようね♡♡♡』
以下、感謝を表す文章が続いている。
「もうこれ、ちょろすぎでしょ……」
ラントもまたアナリザンドの創り出したネット世代のひとりだ。
もちろん、アナリザンドの配信も見ている。
一般的な視聴者視点から見ると、アナリザンドは一見すると難解な言葉を使ったりもするが、その心性はおだてられるとすぐに調子にのるクソ雑魚魔族だった。
ドヤ顔するし、無い胸をそらすし、ニチャっと笑う。
怒るし、ムッスゥ顔になるし、次の瞬間には無垢な笑いを見せる。
――幼女なのである。
しかし、その知識は……。
ラントはメールに視線を這わせ、マンガについて書かれている箇所はないか探す。
まずは、挨拶程度か……。
まあ、単純接触回数で人間の好感度はあがるからな。魔族も同じだろう。
そんなふうに考えて、彼は匿名掲示板でも情報を漁る。
どうやら、まだマンガを描こうとする手合いは現れていないようだ。
けれど、時間の問題だと考えられる。
「しかし、誰も気づかないのかな。それとも気づいていないフリをしているだけか。アナリザンドの知識は
ラントは、魔族という生物の習性を履修済みだった。
それだけに、アナリザンドの知識がどこから去来しているのか、まったく見当がつかない。
得体の知れない完全なる未知の存在なのだ。
――だが、それでもいいか。
ラントは考える。知識の源泉がどこであろうと、結局のところもたらされる知識そのものが得られればそれでいい。魔族由来だろうが人間由来だろうが、知識は知識。
ゼンゼと変わらない思考過程を経て、彼はアナリザンドという実体を思考から消した。
そのときである。
――コンコン。
玄関のほうからノックの音が聞こえた。
ラントがいま住んでいるところは、故郷の素朴な村である。
最近まで祖母といっしょに暮らしていたからか、ご近所が時々差し入れを持ってきてくれる。
わずらわしさを感じつつも、ほんの少しだけうれしさを感じる、奇妙な色合い。
――マンガだったらどう表現するだろう。
そう考えながら、ラントはほとんど無意識にドアを開く。
アナリザンドが立っていた。
「きちゃった♡」
「帰れ」
ラントはそっとドアを閉めた。
「ちょ、ちょっとなんでなんでー!!」
ドアをガンガンと叩く音がする。
ラントは深く息を吸って吐いた。
こんな事態想定していない。
万が一ということも考えて、帝都にいる分身からメールは送ったはずだ。
なぜ特定されている。
「なんで帝都の分身じゃなくて、ここに来るんだ」
「え、分身? そんなの魔力を見ればわかるに決まってるよ」
――魔族は魔力に敏感である。
中等部で習うごく初歩的な生物学的差異。
アナリザンドがあまりにも人間っぽいので、そんな簡単なことすら失念していた。
心の中で舌打ちしながら、ラントはスッとドアを開ける。
「あけてくれたー」パァっと輝くような笑顔である。
「入って。近所に見られたら迷惑だから」
「は、はい……」
シュンとなりながら、アナリザンドは家へ入った。
わたし、アナリザンドはそわそわしていた。
あのお手紙に書かれていたラント君の印象はものすごくキラキラしている好青年って感じだったのに、いまはお茶も出されることなく、椅子に座らせられていて、ラント君は対峙することなく、じっとデスクトップ型の小窓のほうを見ている。
ちょうど90度。
お医者さんの前に座る患者みたいな気分だ。
「どうして来たの?」と冷たさよりは無機質さを感じる声だった。
「え、どうしてって……、わたしとお話ししたいのかなって思って……」
「あれはメールでやりとりしようって意味。少し考えればわかるよね」
「ごめん。わかんなかった」
「そもそも居場所を特定して突撃するなんて、ルール違反じゃない? そんなことしないって自分で言ってなかったっけ?」
「はい……すいません」
地面に埋まりたい気分になってくる。
人間のプライバシーを侵さない。それはアナリザンドが自身に課した制約でもある。
今回は、解釈違いによって、その禁を犯してしまったが、そんなつもりではなかったのだ。
「それで君。僕に何の用?」
「えっと……マンガについてレクチャーしようかなって思ったんだけど、あの……もしかしてマンガについての熱いパッションも嘘だったりする?」
わたしは恐る恐る尋ねた。
人間の嘘は魔族よりも相当に高度なことは間違いない。
ラント君は見せつけるような溜息をついた。
「君ってさ。僕がそんなタイパの悪いことするって思うわけ?」
「違うの?」
「……おもしろそうだなって思ったのは
「そっか。じゃあ、わたしがここに来た意味もあった?」
「僕にとっては余計なことって感じだけどね」
「すいません。帰ります……」
しょんぼりザンドである。
エルフ顔になりながら、わたしは立ち上がる。
「帰れと言われたら帰っちゃうの? それこそ君が来たことが時間の無駄だったってことになるんじゃない?」
「え、はい……」
なんだろう。この子……もしかして、ちまたに聞くZ世代というやつか。
つかみどころがないというか。幽霊みたいに本体をつかませない。
なにしろ、彼の魔法は『分身』である。ちゃんと実体のある本物そっくりな分身を複数体動かすというものだ。いつか本体がどれだったか、彼自身もわからなくなるんじゃないか。
そう思ったりしないでもない。
でも、故郷に本体がいるあたり、大丈夫かな。
ラント君はのっそりと面倒くさそうに動き出すと、奥の方から紅茶のポットを持ってきた。
二十センチくらいの空中からお茶をそそぐ。洗練された所作だ。
わたしの座る小さなラウンドテーブルに紅茶入りのカップを置いて、自分はデスクに座る。
椅子――がくるりとこちらを向いた。稼働式だったのか。
この村には似つかわしくないほどの洗練された一流の椅子だった。
他の家具が木でできていて、なんというか田舎のおばあちゃん家みたいなのに、そこだけ都会みたい。なんだかちぐはぐな印象だ。
「これ? 作業するのに一番使うのは椅子だろ」
わたしの視線から問いであるS1を見抜いたらしい。
「ラント君は頭がいいんだね」
「僕に言わせれば、他の子が悪すぎるんだよ」
「マンガを描きたいって思ったのはどうして?」
「小説はありふれているだろう。レッドオーシャンなんだよ。いまさら僕がなにか書いてみせても注目されるかは運次第だ。それに比べて、マンガはまだ誰も書いていない。人間っていうのは初めてっていうのを大事にする、馬鹿みたいな習性があるんだ」
「確かにそうかも。じゃあ、初めてのマンガ家になって、ラント君は何がしたいの? 誰もやったことがない新しい表現? それとも――」
「不労所得」
ぽつりとラント君が呟く。
ああ、なんという甘美な響きだろう。
働かないでもお金が入ってくる。まるで福音ではないか。
「伝説的な初めてのマンガを創れば、僕は一生働かなくても暮らしていける」
「すばらしい考え方だね」
「君はそれができるだろ。どうしてやらないかは知らないけど」
「わたしマンガ描けないよ。へたくそのフリをしたわけじゃないから」
「そうじゃなくて不労所得のこと。商売では座商っていうのが一番楽で儲かるんだ。君もわかっているはずだ。例えば、インターネット利用料を毎月徴収すればいい。なのにしない」
「……本当にすばらしい」
彼の思考能力は、一級魔法使いに比肩している。
「教える気はなさそうだね」
「だったらラント君は働きたくないの?」
「アナリザンド。君は僕のことを何もわかっていない……」
「ラント君が本当の自分を隠しているからね。わかりにくくなってるのは確かかな。でも、ラント君のことをもっと知りたいって思ったよ。不労所得が悪いなんて、そんな古臭い価値観、わたしは持ってないから安心して」
「……近所の人が婆ちゃんによくしてもらったからって、肉じゃがを時々持ってくるんだ。正直、面倒くさいと思ったよ。帝都の暮らしはそんな面倒くさい人間関係なんてない。でも、僕はこの場所を婆ちゃんが死んでからも離れられずにいる」
ラント君は紅茶を一飲みして続けた。
「たぶん距離感だよ。ヤマアラシのジレンマってあるだろ。それと同じ」
働くという行為には、人間を関係性のなかに置くことになる。
そんな当たり前のことを、ラント君はわずらわしいと思う一方で、どうやら捨てきれないらしい。
綺麗に矛盾している。人間味がある。
案外、あの手紙の内容も本心を幾分混ぜたものなのかもしれない。
この子のこと好きかも。
「わたしが識ってることならなんでも教えるよ。いっしょに初めてのマンガ創ろうね」
「君って距離感バグってるよね。ちょっとエサをあげたらすぐにすり寄ってくる猫みたいだ」
「よく言われます……」
なにはともあれ、わたしもコマ割の仕方や集中線くらいは手伝える。
その傍らで、わたしなりのS2で、伝達する。マンガを読んだときのあのドキドキする感覚。
ワクワク感。哀しかったり、おもしろくて思わず笑ってしまったり。
そんな体験をラント君に教えた。
いま、お部屋の中はラント君で溢れている。文字どおりの意味でラント君だ。
早々に戦力外通告を出されてしまったわたしはぼーっと彼らの作業を眺めている。
時折、読んで感想を言うくらい。
自分自身がアシになることだと理解した彼は、猛烈な勢いでページを量産していった。
そのスピードは、まるで魔法のようだった。
――やがてできたのは一冊のマンガ。
『仮面騎士ブラック』という仮面をかぶった変身ヒーローもので、少し陰があるところが新しい。やっぱり魔族は三流山賊みたいなやられ役だったりする。
子どもを中心に爆発的な人気を得て、しかも編集者とか会社とかを通しているわけじゃないから、早い早い。
この前なんか「アシ増やすか」とか言ってて戦慄した。
週刊で400APくらいで売ってるわけだが、前世を知ってるわたしからすると、少し物足りない感じだ。けれど、これだけのホットな状況になるなら、二匹目、三匹目のドジョウを狙って、すぐにマンガで溢れることになるだろう。
あいつは誰だ。そんな声が巷に溢れた。作者のことを知りたがる読者は増えた。
けれどラント君は変わらず、表舞台には出ずに粛々と描き続けるのみだ。
これだけやっておいて、当の本人は仮面作家なのだから恐れ入る。