魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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白雪姫

 

 

 

 

 時はグラナトを出発してすぐ。

 アナリザンドが春を感じる五か月ほど前に視点は遡る。

 

――季節は冬。

 

 猛吹雪だった。

 

 グラナトを出発して北に向かうフリーレンたちを迎え撃ったのは北側諸国の最強と言われる冬将軍である。魔族よりもずっと冬将軍に殺された冒険者の数は多い。

 

 フリーレンは出発の時に、冬を舐めていたら死ぬとまで言ったのだ。

 

 しかし――。

 

「迷った」フリーレンが言った。「アナリザンドのせいだ」

 

 完全な言いがかりである。

 

 だが、一か月ほど出発が遅れたせいで、冬の厳しい時期に突入してしまったのも事実。因果をたどれば、アナリザンドのせいと言えなくもない。フリーレンはアナリザンドがヒンメルと逢っていたという事実を知り、疑念を抱いている。最後の冒険で、ヒンメルはなぜアナリザンドのことを話さなかったのか。

 

 アナリザンドのことがハイターの口から最初に出たのは、フリーレンがフェルンと出逢ったあと、つまりヒンメルの死後十年ほど経ってからである。そうであるならば、ヒンメルは仲間の誰にも告げずに、静かに死んでいったことになる。

 

 魔族を匿っていたのだろうか。

 フリーレンが魔王討伐の後、50年旅をしてきた間に、ヒンメルはアナリザンドに出逢い、なにかしらの言葉を交わしたのだろう。

 

 アナリザンドが生きているというのが、その証拠だ。

 

 だが、フリーレンはヒンメルが何を想ってそうしたのかがわからない。

 ヒンメルとは旅の十年間のあいだに、魔族は殺すものというコンセンサスが得られていたように感じていた。しかし、当の本人に――人間に欺かれたのだ。

 

 事実を丁寧に拾うと、そう推察するのが妥当ということになってしまう。

 

 ヒンメルという絶対の真理が揺らぐのを感じ、その揺らがせた魔族に対して、これ以上ないほどに――なんだろう。言葉にならない想いが生じている。けしてよくはない感情だが、単純な殺意ともいいがたい。

 

 アナリザンドを魔族として殺してしまう――つまりヒンメルの言葉を棄却するというのなら話は早いのだが、ヒンメルという存在が人質にとられているようなものだ。フリーレンにそれはできない。

 

 結局、フリーレンはアナリザンドと対峙したとき、どう対処すればいいかイメージできなかったのである。だから現実逃避として、足だけは進めている。彼女のなかには迷いがある。

 

 その迷いが旅の中で表現された。焦りがあったというべきだろう。

 

 少なくとも今この時、迷っているのは事実だった。ホワイトアウトによって目の前の視界はほとんど利かず、大自然の前では魔法もほとんど役には立たない。魔力を循環させ、火のイメージで断熱することで、多少の効果はあるが、ジリジリと体力を削られていく。

 

 そういった対抗手段をもたないシュタルクがついに倒れた。

 雪の中につっぷして殺人事件の被害者みたいなマークを雪の中につくっている。

 

「シュタルク様。起きてください! 寝たら死にますよ!」フェルンが抱え起こす。

 

「ジャンボベリースペシャル……縮小化(シュリンク)されちゃってたな……」

 

「知りませんよそんなこと!」フェルンは焦りながらフリーレンを見た。「どうしましょう?」

 

「この強風だと魔法で飛ばして運ぶわけにもいかないね」

 

 フリーレンは魔法で対処できないと敗北宣言した。

 フェルンはやむをえず、かついでいくことを選択した。

 とはいえ、シュタルクは鍛え抜かれた筋肉で覆われており、筋肉とは重いもの。

 体重はフェルンよりもずっと重い。肩でささえるように歩くのがやっとだった。

 

「……姉ちゃんと同じ……いい匂い」シュタルクが朦朧としながら言った。

 

「置いていっていいですか」フェルンがあきれたように言った。

 

「そうしよっか」フリーレンも便乗する。

 

 さりげにシュタルクの命がピンチである。

 とはいえ、さすがにそれは冗談だったのか、フリーレンは麓の避難小屋を目指すよう指示した。

 

 フェルンがHUDに集積されたマップデータを見ると、確かに小屋らしきものがあるようだ。

 

「小屋には先客がいるようです。冒険者の方でしょうか?」

 

 マップに示された光点は、直接視認したわけではないので、魔力量くらいしかわからないが、少なくとも何かの存在を指し示している。

 

「行ってみるしかないね」

 

 フリーレンが先導するように前を歩く。

 風を魔法で防ぎ、後続のフェルン達の寒さをわずかばかり和らげる。

 しかし、根本的に冷えてくる身体をどうにかすることはできない。

 凍りつきそうになる寸前に、ようやく避難小屋の前まで辿りついた。

 

「……フン!……フン!……フン!」

 

 中から得体の知れない声が、吹雪の音に混じって聞こえてくる。

 

 フリーレンが扉を開けると、中には筋肉モリモリのマッチョマンの変態がいた。

 

「フン! フン! 筋肉! 筋肉! いいぞ温まってきた! 筋肉は裏切らない! 筋肉はいつも友達だ! オレが諦めない限り、筋肉もまた諦めない!」

 

 その変態は、寒い小屋の中、上半身裸でスクワットをしている。

 

「お邪魔します」

 

 性的感度の低いフリーレンが何事もないように小屋の中に入っていく。

 しかし、フェルンがフリーレンの襟首をグイっと引っ張り、ドアをパタンと閉めた。

 

「ここはダメでございます。変態の巣窟になっております」

 

「えー、なんで?」

 

「このような人気のない場所で、上半身裸で筋肉を鍛えている……。たまたまスレッドが目に入ってしまったことがあるのですが、巷で噂のハッテン場というものなのではないでしょうか」

 

「なにそれ?」

 

「その……男の方どうしがロマンスをする場所のことです」

 

 実は、よりマッチョのほうが()になることが多いらしい。

 女の子になるための戦いは既に始まっているのである。

 

 ガチャリとドアが開いた。

 

「そういう趣味はないぞ」

 

「行きますよ。フリーレン様」

 

 いくら寛容を旨とする女神教といえども、今のところ同性愛は御法度なのが多数派なのだ。

 それに、まともに相対するとすれば――、シュタルクがダウンしている状況で、かよわい女性ふたりということになる。分厚い筋肉で覆われた戦士の気配をまとう男が怖かったのだ。

 

「ん。待て。おまえエルフか」

 

 男がフリーレンを呼び止めた。縁ができてしまった。

 

 

 

 

 

 フェルンは不審の目で男を見ている。

 火種を魔法で生じさせ、小屋の中が温まってきた頃、彼は口を開いた。

 

「同族と会うのは300年振りくらいだな。エルフはもう絶滅したのかと思っていたぞ」

 

 そう彼もエルフだった。特徴的な長耳がついている。

 筋肉にばかり目を奪われてしまったが、目元は柔らかく、精悍な顔つきをしている。

 声色もフリーレンに比べて、大人の男性といった感じがした。個体差だろうか。

 

「私もだよ」フリーレンに再会の喜びというものはないようだ。

 

「嬢ちゃんも火をありがとうな。魔法使いと会えたのは幸運だった。女神様のお導きだな」

 

 その男の言葉に、わずかにフェルンの瞳が揺れる。

 このエルフの男は女神様を信仰している。

 長大な寿命を持つエルフの感性は、フリーレンを見ていればわかるとおり独特だ。

 

 フリーレンはいちおうは女神教の信者ではあるが、心の底から信じているわけではない。

 人間に対する――――なんといえばいいか、礼儀というべきか――コミットメントするためのツールとしての信仰のように思えるのだ。

 

 対して、この男の言葉は芯から女神を信じているように思えた。

 声に多年にわたる信仰が染みこんでいるような気がしたのだ。

 

 彼は言う。

 

「火種を失い、スクワットで命を繋いできた」と。

 

 しかも、その過程が尋常ではない。フェルンたちと出逢う一か月もの間、筋肉トレーニングで身体をあたため、吹雪がやんだ頃合いを見ては、筋肉で小動物を狩り生血をすすり、同じく生肉を喰らい、雪を掘っては植物の芽を食べ、そろそろ命の危機を感じ始めた頃合だったらしい。

 

 しかし、ここでフェルンに疑念が生じた。

 男は生存能力に秀でている。サバイバル経験も豊富そうだ。

 そうであるとしても――である。

 

「あの……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この時代を生きる人間にとってはごく当たり前のことだった。

 魔族が襲来するときも、魔物が襲ってきたときも、どこかで迷ったときも、とりあえずネットはつながる。人類がかつて経験したことのない超強力な通信ツールである。

 

 一秒、二秒で死ぬような急場でない限り、とりあえず近場に助けを求めるのが当たり前であったのである。

 

「ネットか……。どうにもああいう手合いは苦手でな。使っていない」

 

「え、ほんと!?」フリーレンが身を乗り出す。「そうだよね。ネットなんか使うのおかしいよね。たった数十年で原理もわからないのに魔族の魔法を使いだすのって変だよね」

 

「お、おう……そうだな」

 

――フリーレン様がエルフの男に興味をもってらっしゃる。

 

 フェルンがジト目になりながら、フリーレンをたしなめる。

 

「そうだとしても限度があります。ネットによる救難信号は遭難における最もポピュラーな対処方法です。命の危機なのに使わないというのはどうかと思います。フリーレン様もよろしいですね。はぐれたときや命の危険を感じたときは、即座にネットをお使いください」

 

「えー、やだよ」フリーレンが幼く反論する。

 

「フリーレン様。めっでございます」フェルンがきつめに叱る。

 

「わかったよ。最近のフェルンは本当にママになってきたね」

 

 体育座りのまま、フリーレンはエルフしおしお顔になる。

 

 そのやりとりを見て、男はふっと笑った。

 

「オレの場合は、信仰上の理由というやつだ。ネットは裏切るかもしれないが筋肉は裏切らない。筋肉を信じれば筋肉に救われる。女神様もきっとオレの筋肉をほめてくださる。そう信じているんだ。バカなやつだと笑ってくれ」

 

 この人、本当に女神教徒だろうか。筋肉教徒じゃないだろうか。

 しかし、一か月もの間、命の危機と隣り合わせの中、筋肉と語り合った結果だろう。

 まさに彼が言う通り、筋肉だけが彼を裏切らず、女神様だけが心の支えになったのだ。

 彼は胸元にある木彫りの信者の証を見せた。

 

武道僧(モンク)のクラフトだ」

 

「魔法使いのフリーレンだよ。よろしくねクラフト。いい筋肉してるね。私も鍛えようかな」

 

「筋肉の道はけわしいぞ」

 

「いいね。魔法と同じだね」

 

 あきらかに好感度が高い。

 もしかして、同族だからというのもあるのだろうか。

 いや、ネットの非使用仲間とでも思っているのかもしれない。

 筋肉ダルマになってしまったフリーレンを夢想し、フェルンはその妄想を振り払う。

 イメージしたくない。

 

「同じく魔法使いのフェルンです。こちら死にかけのシスコンはシュタルク様」

 

「シスコン……? 君達は姉弟なのか?」

 

「違います」

 

 フェルンは嫌な顔になった。

 何が嫌なのかまでは正確にはわからなかった。

 たぶん、アナリザンドがシュタルクには甘いように思ったからだろう。

 

「大丈夫なのか彼は。危険な状態なのではないか」

 

 クラフトは本当に心配している。

 フェルンはシュタルクの側に近寄り、そっと身体に触れてみた。

 冷たかった。いつもはシュタルクのほうがずっと熱い。

 旅の中でほんのたまたま、その指先が触れたときがあって、そのときフェルンは自分との肉体の違いを、直観的に理解したのだ。表現が難しいが、女の身体はあたたかい。が、男の身体は熱いのだ。燃え盛る炎のような熱を持っている。

 

 そのシュタルクが今は熱を失っている。

 

「低体温症ですね。早急に温める必要がありそうです」

 

「ふむ。ならば筋肉の偉大さをみせつけてやろう」

 

 いわゆる添い寝であった。

 フェルンはネットで対処法を調べて、より効率的な方法を知る。

 要するには、濡れた衣服のままではいけないらしい。

 

 さすがにズボンはどうかと思ったので、上半身だけなんとか脱がせて――。

 そして、フェルンはシュタルクの引き締まった筋肉をみて、少しだけドキリとした。

 不安なのかどうなのか、よくわからないカンカク……。

 脂肪分多めの丸い自分の身体とは明らかに異なるカタチをしている。

 

「うおおおおおぉぉぉぉオレの筋肉ぅぅぅぅぅぅぅ燃えろぉぉぉぉぉ」

 

 そんな戸惑いも、クラフトの筋肉賛歌にかき消された。

 布団の中でシュタルクの背中に手をまわし、シコシコと上下に擦っている。

 建付けが古いせいか、床がギシギシと音をたてる。

 シュタルクが悪夢を見ているのか、うんうん唸っていた。

 あまりにもひどい光景だった。

 

「フェルン。私達もいっしょに寝たほうがいいよ」

 

 フリーレンが冷静に科学的知見を述べる。彼女は――というか、エルフは性的欲求が低いように思える。いっしょに寝るという行為に対して何も思っていない。

 

 もしも、クラフトがいなかったとして――、シュタルクを温めなければならない必要が生じたとき、フリーレンはなんの躊躇もなく、同衾したかもしれない。

 

 あるいは、師匠として弟子であるフェルンに同衾するよう命じただろうか。

 そのときのことを想像して、フェルンは顔が熱くなった。

 

「必要なさそうだね……」

 

「いえ、お言葉に甘えさせていただければと思います」

 

 フェルンはフリーレンと身を寄せ合うようにして、一枚の毛布を赤ちゃんのおくるみのようにまとった。そっと触れた肩のあたりから、フリーレンのあたたかさを感じる。

 人間とエルフでは違いも多いが、このあたたかさだけは同じだ。

 グラナトでは心の距離を感じたが、いまは少しだけ近づいた気がした。

 要するに、フェルンは安心したのだ。

 まぶたが徐々に重くなっていく。

 

 

 

 

 

 明けて次の日。

 

 フェルンが目を覚ますと、シュタルクはクラフトの筋肉に包まれていた。

 正確に言えば、腕枕という状態だが、シュタルクのほうも胎児のように身体をまるめ、クラフトのほうに身を寄せている。

 

――わずかに鼓動が早くなる。

 

 いけない。これは、巷で噂のびーえるというやつじゃないか。

 フェルンも概念自体は知っているものの、厳に戒めている。

 それは堕落であり、淫欲であり、ともかくイケナイことだと思っている。

 

 なにしろ、フェルンが初めて偶然たまたま見てしまったのは、育ての親であるハイターと、その親友ヒンメルのくんずほぐれつな――ああ、これ以上はいけない。

 

 ともかく、そこには禁じられた愛が描写されていた。

 

 でも、見てはいけないからこそ見てしまう。

 それもまた、人間的な特性であるからして。

 

 フェルンはウンコを見るようなジト目で、ふたりの筋肉がからみあうのを見ていた。

 

 やがて。

 

「誰このおっさん!?」

 

 シュタルクが覚醒した。どうやら体調は復帰したらしい。

 あいかわらず、すさまじい耐久力だ。

 

「折角、筋肉で温めてやったというのに、なんたる態度だ」

 

 クラフトがたしなめるように言った。

 

「筋肉って……」シュタルクがクラフトを見る。「確かにおっさん、いい身体してるな」

 

 聞きようによっては、とてつもなく妖しい言葉だった。

 フェルンのジト目がさらにきつくなる。

 

「シュタルク様……びーえるはダメですよ。おなかこわします」

 

「びーえるじゃねえよ!」

 

 その後、シュタルクがクラフトの筋肉――というか鍛え上げられた肉体をほめた。

 自己紹介をしあうと、シュタルクはクラフトの名を聞いたことがないと言う。

 名のある戦士は、およそネットにあがっている時代だといってもいい。

 けれど、彼の名を知らなかった。

 ということはつまり、彼の強さが証明されたのはネットができる前なのかもしれない。

 そして、現在は……。

 

「おっさんは、ネットしてねぇのか」

 

「ああ……、善行とは人知れず積まれるものだ。ああいう自己主張が激しいものは苦手でな」

 

「まあわかるぜ。オレもそうだしな」

 

 シュタルクの態度は、自分の名をあげようというものではない。

 ただ、ネットは娯楽としては使う。

 特にアナリザンドの配信にお熱なのはシスコンだからだろう。

 どうでもいい話だが。

 

「シュタルク。おまえはここで待っていろ」

 

 クラフトは体力を失っているであろうシュタルクを小屋に残し、フェルンとフリーレンを外に呼んだ。戦士である彼は荷物を収容する魔法を使えない。

 

 荷車をひいて旅をしていたらしい。

 そこには凍った食物が大量に積まれてあった。

 魔法の火で溶かせば、十分に冬を越せるだろう。

 

「ここでしばらくは足止めかな」

 

 フリーレンが吹雪で前の見えない山肌を見ながら、平坦な感情で呟く。

 凍りついた木箱を三人で小屋まで持って帰る。

 

 クラフトが歩きながら、

 

「ところでフリーレン。おまえはオレのことを知っているか?」

 

 と言った。

 

「全然」フリーレンは短く応える。

 

「だろうな。オレもおまえのことなんてこれっぽっちも知らん」

 

「勇者様御一行の魔法使いですよ。ネットでもあれだけ有名なのにご存じないんですか」

 

 フェルンが後ろを振り返りながら言った。

 

「フェルン……、ネットでの名は本当のフリーレンといえるのか?」

 

「……どうでしょう」

 

 グラナトで英雄扱いされた自分。

 そう考えると、ネットでの名などまやかしに過ぎないと思える。

 あるいは、人の口にのぼる自分の名前など、所詮はまやかしにすぎないのではないか。

 

「それにな、エルフの寿命は長大だ。フリーレンが勇者一行に加わった時間は、エルフにとってはまばたきをする間に等しい。オレがフリーレンを知らないように、おまえもフリーレンを知らない。誰も知らないんだ。自分以外はな」

 

「……」

 

 フェルンのうちに虚しさとも寂しさとも似た感情が去来する。

 結局のところ、人間では、エルフの孤独を癒すことはできないのではないだろうか。

 そんな問い。

 

「クラフト。フェルンをいじめないでよ」

 

「差し出がましかったな。すまん」

 

 

 

 

 

 やがて、冬の厳しさが増していく。

 停滞している時間のなかで、ネットの中の世界だけは急速に進んできた。

 

「シュタルク様。ゲームは一日一時間ですよ」

 

 シュタルクが、『インベーダーアナ様』にハマった。

 確かに冬の吹雪の間は、外に出ることすらままならない。

 狭い小屋の中でできることは、筋トレかネットか持ってきた本を読むことくらいだ。

 

 フリーレンはここぞとばかりに、旅の間でてにいれた魔法の本を読んでるし、クラフトは筋トレか、あるいは聖典を読んでいる。

 

 フェルンとシュタルクは若者らしく――時折はネットを使う。

 清貧を旨とするフェルンはゲームやマンガにのめりこんだりはしなかったが、シュタルクは男の子だったのである。それに、シュタルクはフリーレンに対する遠慮というものがない。

 

 ゲームもマンガも大好きなようだ。

 

「もう少し……もう少しでランクAになりそうなんだよ!」

 

 ピコピコとドット絵のアナリザンドを撃ち落とすシュタルクの顔は必死だ。

 高得点をとれば、ネットに名があがるらしいが、どうしてそんな無意味な名前にこだわるのかフェルンにはわからない。

 

――男の人ってなんで名声にこだわるのだろう。

 

 いや、多少はわかる。

 グラナトの英傑たちが命を賭して、名誉にかけてグラナト伯爵の御子息の剣を取り戻したのと同じ延長線上にあるのかもしれない。

 

 虚実はどうでもよくて、少なくとも自己満足はある。

 

「若者らしくていいじゃないか。フェルン」

 

「クラフト様は、シュタルク様に甘すぎます」

 

「名をあげたいというのは男にとっては当たり前の夢だ」

 

「たとえそれが本当の自分ではなくてもですか?」

 

「……そうだな。自分ががんばったことは自分が一番よくわかっている。だが、誰かに褒めてもらいたい。それがオレの場合は女神様で、シュタルクの場合はネットの誰かなんだろう」

 

「クラフト様は、人間(ネット)の永遠を信じていないのでは?」

 

「オレは――エルフは人間の死を限りなく看取ってきた存在なんだ。オレの成してきた偉業も正義も、知ってる奴は皆死に絶えた」

 

 フリーレンもそうなのだろうか。

 フェルンがフリーレンを見る。

 彼女は静かに本を読んでいるが、これだけ狭い小屋のなかだ。

 聞こえていないわけがないだろう。

 

「よっしゃ。Aランクだぁぁぁ!」

 

 シュタルクの場違いな声が響き、フェルンはムッスゥ顔になった。

 

 

 

 

 

 冬の終わりが近づいてくる。

 

 フェルンは得体の知れない寂しさに耐えられなくなって、アナリザンドを呼んだ。

 

 みんなには少し休みたい旨を申し出て、フリーレンはおそらく気づいていたと思うが、フェルンには生理がきていた。身体が少し気だるい。精神が千々に乱れている。

 

「フェルンちゃん。大丈夫? ぽんぽん痛い?」

 

 アナリザンドはいつもの外套を白色に染めていた。魔力でできている服なので、着色ぐらいは自由自在なのだろう。紅いおめめで、白い外套――ついでになぜか角カバーもついている。

 

 まるで雪ウサギのような、かわいらしい恰好だ。

 

「いつものことですから」

 

 気にしないように、フェルンは言った。

 

 それから、アナリザンドは心配そうにしていたが、プレゼントだったのだろう紙箱を渡してきた。

 

 フェルンはアナリザンドから手渡された紙箱を慎重に開いた。中には、ふわふわとしたドーナツがきれいに並べられていた。冬の間は食べられなかった甘味だ。

 

 実をいうと、冬のほうが夏よりも代謝が激しく、カロリーを消費する。

 グラナトで蓄えた体重は、この数か月でわりと消費されている。

 

 じゅるり、と、唾がでてしまう。

 

 お礼を言うと、アナリザンドがそっと抱きついてきた。

 なんだか包みこむような愛情を感じる抱きつき方だ。

 

「痛くない……痛くない……痛いの痛いの飛んでゆけ」

 

 そんなことを言っている。

 なんだかフェルンは泣きそうになって、

 

「ところで、このドーナツなんですが、フリーレン様にもお渡ししてよろしいのでしょうか」

 

 と、誤魔化すように言った。

 

 アナリザンドの返答は、無理はしないでいいということだったが、彼女もまたフリーレンと和解したいと思っているのだろう。

 

 フェルンは順当にいけば、自分がフリーレンより先に死ぬことを知っている。

 人間はエルフと時間を共にできないのかもしれない。

 

――それでも寄り添いたい。

 

 それが人間にとっての善意であり、エルフにとっての悪意である。

 人間がエルフに寄り添える時間はあまりにも少ない。

 その人間が大切になればなるほど、別離の痛みを与えてしまう。

 

 小屋の中で待っていると、やがてみんなが帰ってきた。

 

 まずは、クラフトに一つ手渡すと、彼は素直に受け取って頷いた。続いて、シュタルクに差し出すと、彼も笑顔でそれを受け取り、「ありがとう、フェルン! 姉ちゃんからの差し入れか!」と感謝の言葉を添えた。

 

 ここまでは順当だ。

 

 しかし、フリーレンの前に来ると、フェルンは一瞬立ち止まった。

 躊躇しながらおずおずとドーナツを差し出す。

 そのドーナツはリンゴをまぜあわせたものだった。

 

「フリーレン様、どうぞ」

 

 しかし、フリーレンは無表情のまま首を横に振った。

 

「いらない」

 

 その一言に、フェルンの表情が一瞬にして曇った。

 

「なぜですか? 人間の創った食べ物ですよ」

 

「アナリザンドからもらったやつだろう。毒でも入ってるかもしれない」

 

――毒。

 

 その言葉に、フェルンは16の誕生日の時を思い出す。

 あのとき、アナリザンドは贈り物とは毒であると言った。

 

『フェルンちゃんはわたしたちを()()しようとしているんだね』

 

 確かにそう言ったのだ。

 

 あのときは、とっさに考えずに反論したが、アナリザンドの言葉の意味をようやく本当の意味で理解しはじめる。

 

 フェルンの善意は――純粋な贈与は、もはやフリーレンにとっては毒なのだろう。

 極論すれば、愛とは毒である。

 人間の愛とは、エルフにとっての毒なのである。

 

 傲慢なのはわかっている。

 積年の怨みを抑えて、仲良くしてほしいと言っているのだ。

 だとしても――。

 

 フェルンはドーナツをふたつにわけて、片方にかぶりつく。

 

「毒など入っておりません。フリーレン様。どうかお召し上がりください」

 

 フェルンは目を閉じて願った。

 まるで、少女に告白する少年のようだ。

 そんなことを思いながら、フェルンは応えを待つ。

 

「フェルン。考えてもみてよ……。アナリザンドは()()()()()()()()()んだ」

 

「どちらでも……?」フェルンはフリーレンの言葉を反芻し、その意味を探ろうとした。「アナリザンド様はフリーレン様が受け取っても受け取らなくても、どちらでもよかったというんですか?」

 

 フリーレンは苦々しく応えた。

 

「そう。あいつにとっては、私がこのドーナツを受け取るかどうかなんて、本質的には問題じゃない。私が受け取れば、私が出逢った過去の人間たちを忘れることになる。受け取らなければ、フェルンの想いを否定することになる。アナリザンドはそのどちらも承知の上で、どちらでもよかったんだろう」

 

 フェルンはその言葉に息をのんだ。どちらを選んでも、結局は誰かを傷つける選択肢でしかない。それが『どちらでもよかった』という意味なのだと、フェルンは理解した。

 

――まるで呪いだ。

 

 フェルンは白雪姫という物語を識っている。

 アナリザンドが時折配信で物語を口にしている。

 そのなかに子供向けとして語られた物語があった。

 

 目の前にいる白いエルフ――白雪姫は魔女に騙されて毒のリンゴを食してしまう。

 そして、白雪姫は永遠の眠りにつく。

 ああ……、私は魔女になっているんだ。

 フェルンは小屋の中が暗闇に染まっていくのを感じた。

 

 アナリザンドの言葉の魔力は、フリーレンを騙すという魔法は、まだ二十にもなっていない小娘には到底及ぶものではなく、その魔法を突き崩す糸口さえ見えない。

 

「姉ちゃん。そんな難しいこと考えてねーと思うけどな……」と、シュタルクが小声で呟くも、あまりにも小さすぎて暖炉の火が爆ぜる音にかき消されてしまう。

 

 シュタルク少年は悪くない。

 

 女の子どうしの修羅場なんて、少年の手にはあまりまくって当然なのである。

 

「でも、フリーレン様……」フェルンの声は震えていた。「私はただ、フリーレン様と――」

 

「わかっているよ、フェルン」フリーレンは静かにフェルンを見つめた。「でも、私にはどうすることもできない。アナリザンドも、きっとそのことを知っていたからこそ、このドーナツを渡したんだろう。本当に魔族の呪いはおぞましいよ……」

 

 フェルンはその言葉に、深い悲しみを感じた。たった数メートルの距離が途方もなく遠く感じられる。結局、フェルンの善意はフリーレンに届かないのかもしれない。だが、それでも――。

 

「フリーレン様、どうかお召し上がりください」フェルンはもう一度、祈るように言った。「私は、あなた様の妹でいたいんです」

 

 フェルンは自分自身が毒リンゴになる覚悟をした。

 それが彼女を殺すことだと知っていても。

 

――フェルンは泣いていた。

 

 シュタルクやクラフトの前で泣いているのが恥ずかしい。

 これではまるで、むずがる子どもといっしょだ。

 

 フリーレンは目に見えてあたふたしていた。

 フェルンが泣くとまでは思っていなかったのだろう。

 魔力を抑える修行をするなかで、フェルンはほとんど感情を抑圧するようになった。

 フリーレンの修行の成果ともいえるのだが、ひとりの女の子に対してはあまりにも苛酷な、それこそ一生を賭けておこなうものである。

 

 フリーレンの動作が停止した。

 彼女もまた後ろめたさを感じないわけではない。

 フェルンを失いたいわけではない。

 

「なにがあったのかはわからないが……」クラフトが優しげなまなざしを浮かべる。「フェルン。そのドーナツをオレにくれないか」

 

「……わかりました」

 

 少し迷ったが、フェルンはリンゴドーナツをクラフトに手渡した。

 クラフトはそれを二つに割いた。いまや四分の一になったドーナツの片方を口に放り込み、もう片方をフリーレンに差し出す。

 

「うまいぞ。フリーレン。毒なんか入っていない」

 

「そんなのは知ってるよ、クラフト」

 

「いや、おまえは知らないんだ。フェルンの想いを救ってやれ。お姉さんなんだろう」

 

「クラフトは何も知らないからそんなことが言えるんだよ」

 

「知ってるさ。()()()()()()もいっしょに暮らしている」

 

「たった半年じゃん。私達にとってはそんな時間……」

 

 無いのといっしょだ。その言葉をフリーレンは呑みこんだ。

 その沈黙こそがフリーレンの成長の証だった。

 

「ああ、エルフにとってはたった半年だな。だが――人間にとっては、半年というのは存外長い。人が知り合うには十分な時間だ。フリーレン。フェルンは信仰心の篤い良い子だな。シュタルクは臆病なところもあるが、芯のある強さも持っている。そして、おまえは――不器用だが優しい良い師匠だよ」

 

 グラナトを出発する前――アイゼンもそう言ってくれた気がする。

 

 フリーレンはクラフトの言葉に一瞬戸惑い、視線を落とした。上目遣いのようなその視線の先にはフェルンが差し出したドーナツがある。

 

「でも……」フリーレンは小さな声で呟いた。「私がそれを受け取ったら、魔族を殺す術を教えてくれた師匠(フランメ)や、魔王をいっしょに(たお)した勇者(ヒンメル)を裏切ることになってしまう。クラフトだって、魔族を人間の仲間たちといっしょに殺してきたんでしょう? その偉業も正義も仲間たちの魂さえ棄てることになるかもしれない。それでもいいの」

 

「それでもいい。女神様は人の心の中に在って、御業をあらわすんだ。オレはアナリザンドのことは知らないがおまえたちのことは知っている。フェルンを信じろ、フリーレン」

 

「それは、あなたの願望だよ」

 

 フリーレンは、反論を口にすることで最後の抵抗を示した。

 

 フリーレンの声には、冷たい響きがあったが、それは自分自身を守るための鎧に過ぎなかった。クラフトの信仰心を否定することで、自分の心の中にある迷いを正当化しようとしていたのだ。

 

 しかし、クラフトは動じることなく、穏やかに言葉を続けた。

 

「そうかもしれないな。だが、フリーレン、願望だけで終わらせるかどうかは自分次第だ。オレが女神様を信じる理由は、ただの願望ではなく、実際に女神様がオレの心を守り導いてきてくださったからだ。オレはおまえも救われてほしいと思っているよ」

 

 フリーレンは、クラフトの言葉を静かに聞いていた。

 

「どうして女神様に仕える連中は変なやつが多いんだろうね」

 

 光の速さで過ぎ去っていく風景たちが、永遠に等しい寿命を生きる自分を思い遣る。

 誰も彼もそうだった。フランメもヒンメルも旅の仲間たちも、出逢った人々も支え合って生きていた。本当に泣きたくなるくらいおかしなことだった。

 女神の子であることを信じているからだろうか。

 

「フリーレン」

 

 クラフトはしっかりと彼女の名前を呼んだ。

 その声には、どこか父親のような温かさがあった。

 どこかで聞いたことのあるそんな声。ハイターの声に似ていた。

 

「フェルンは、女神様の力を信じておまえにドーナツを差し出したんだ。おまえがこのドーナツを食べたところで誰の魂も穢されることはない。女神様は清らかな方だからだ。女神様は今フェルンの側にいて、おまえが受け入れるのを待っている。そう思わないか?」

 

「布教活動に熱心だね。私は女神様に対しては懐疑的なんだ」

 

「天国もか?」

 

「……」

 

 天国を目指しているフリーレンが天国を否定する。

 こんな矛盾したことはないだろう。

 だから、フリーレンは答えることができなかった。

 

 所在なげに視線を這わせ、やがてフェルンに行き当たる。

 彼女は微笑を浮かべていた。

 フリーレンがどんな選択をしたとしても受け入れる。

 そう言ってるようで……。

 フリーレンは言葉を発することなく、そろそろと手を伸ばした。

 フェルンのほうへ。

 

「フェルン……ごめんね。私、また少しだけ意地を張ってしまっていたみたいだ」

 

 フェルンは涙を拭き、微笑みを浮かべた。

 

「いいえ、フリーレン様。私が無理を言ってしまったんです」

 

「……あのときみたいにお願いできるかな」

 

 言葉少なに語るフリーレンに、すぐさまフェルンは了解した。

 グラナトで泣きはらしていた一か月。要介護状態だったフリーレンの食事介助をおこなったのはフェルンだったのである。たとえ幻だとしても、師弟らしい以心伝心がそこにはあった。

 

 目を閉じて、雛鳥のようにエサを待つフリーレンに対して、フェルンは手に持っていたドーナツを二つに分ける。

 

 そのひとつを、キス待ち顔したフリーレンの唇に接触させる。

 ピンク色をした舌先に、指先が近づく。

 ごくり、と白い喉元が動いた。

 

「じーえるじゃねえか……」

 

 シュタルクがやはり小声で呟くのだった。

 

 

 

 

 

 ついに長い冬が終わった。

 

 フリーレンがクラフトとの会話を終わらせると、フェルンとフリーレンに対して木彫りの信仰の証をプレゼントされた。シュタルクにはなぜか無かったが、彼には技を教えたというのがクラフトの言葉である。

 

「私には信仰心はないんだけどな……」

 

 どうせトランク行きなのは確定だ。

 クラフトは姉妹という言葉を誤解したに違いない。

 年齢なんて、1000年以上離れているというのに。

 けれど、過去を別フォルダに入れて、今というフォルダに目を向け始めたのだ。

 

 フェルンが小屋の前で待っていた。

 

――杖を両手に。

 

 一面には花畑が広がっている。蒼月草も、フランメが好きだった百合の花も、冬の寒さにじっと耐えて、ようやく咲き誇っていた。

 

 その表情には不安と期待と、なにかしらが入り混じった未来の顔をしている。

 何を思ってかは知らないが、アナリザンドがフランメの真似をしたことはすぐに気づいた。

 高度な結界魔法を使っているが、フランメの魔法に似ている。

 どうやらアナリザンドは一度見た魔法を真似ることができるらしい。

 

 だからこれも魔族の呪いと言えなくもない。

 

 そしてフェルンは、今フリーレンを騙そうとしていた。自分の魔法が花畑を創ったのだと、そう主張しているのだ。アナリザンドを庇っているという側面もあるだろう。だが、フリーレンが花畑を見て傷つかないように、そうしたのだろう。

 

 だから杖を握っている。その杖先がかすかに風に揺れている。

 嘘に嘘を重ねて。虚構に虚構を混ぜて。

 まるでマイナスどうしをかけあわせたらプラスになると信じているかのように。

 

――人間たちの儚い嘘は優しさに似ていた。

 

「いかがでしょうか。フリーレン様。綺麗にできてございますでしょうか」

 

「うん、天国みたいだね。本当に綺麗だ」

 

 かくして、フリーレンは騙された。

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