魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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ハンバーグ

 

 

 

 人が誕生日を祝うのは、結局のところ人間のポストフェストゥムという心性構造がもたらすものなのかもしれない。ポストフェストゥムというのは過去にこだわるということであり、後悔したくないという心持ちを抱かせる。

 

 人間のこころは鬱的・神経症的な領域に親近する構造をしているのである。

 つまり人間にとっての定型的な発達がパラノイアなのだ。

 

 それを雑に言い直せば、『後味のよくないものを残す』とか『人生に悔いを残さない』だとか、そういった格律へと昇華されていくのだろう。

 

 人は取返しのつかないことを恐れている。

 けれど、過去の出来事はすべて取返しのつかないことだ。

 不可逆性の原理に従って、同じ時は二度と戻ることはないのだから。

 

 順風満帆に見える人間も、そうでない人間も、どんな地位にあっても、どのような立場にあっても、人は必ず何かを選び、その裏返しとして、何かを選んでこなかったということになる。誰かを愛したことは他の誰かを愛さなかったということである。

 

 それゆえに人が生きて、選択と決定を繰り返す中で、心の負債はゴミのように溜まっていく。

 

 ああしていれば違った人生を歩めたかもしれない。こうしていれば、幸福な人生を送れたかもしれない。――と、後悔の念が降り積もっていく。

 

 切り捨てた未来への罪悪感がふつふつと湧き出てくる。

 

 したがって、人が生きることは罪を犯すことと同義である。

 法律や道徳や倫理に反する生き方でなくとも、人は生まれながらに罪を背負う。

 クライムではなくシンを――原罪を負っている。そして罪を重ねていく。

 

 そういった因果の端緒となったのは、つまるところ『誕生』にあるのだから、人は容易に『生まれてこなければよかった』と、自分に呪いをかけてしまう。

 

 だからこそ祝うのだろう。呪いを祝福で上書きするのだろう。

 人は誕生日のたびに後悔を一区切りさせて、再誕を繰り返しているのかもしれない。

 今やとんと聞かなくなったのだが、これは一種のデフラグではないだろうか。

 

 わたしはシュタルク君の頭を撫でながら、彼をデフラグしようとしているのである。

 

 

 

 

 

 久方ぶりの町にフリーレン達は到着した。

 

 宿屋でフリーレンは下着同然のラフな恰好になり、ベッドに寝っ転がって足をパタパタさせている。久々に魔法の本を読めて、彼女は心からリラックスしていた。

 

 フェルンは髪の毛を梳かしながら、フリーレンを横目で見た。

 

 師匠であるフリーレンが楽しそうなのは良いことだ。

 

 アナリザンドとの喧嘩に敗れて、一時期は鬱病のような症状が出ていた彼女だったが、もともとの気質が物事にこだわらないサバサバした性格なおかげか。今のフリーレンはいつもの調子に戻ったように見える。

 

 あるいは――、アナリザンドをわずかばかり、フェルンを通して受け入れたということなのだろうか。そう言ったら、彼女は頑として認めないだろうが、そうであったらいい、とフェルンは心の中で願う。

 

「フリーレン様どうします? 一緒にお店とか見て回りますか?」

 

「私はいいや。宿でゆっくり魔導書を読むよ」

 

 のほほんと言い放つフリーレン。

 

 クラフトとの出逢いから、フリーレンは余裕を取り戻したように思う。やはり同族の気安さというものがあったのだろうか。それとも、神の信徒でもあったクラフトの言葉に感化されたのかもしれない。

 

 アナリザンドがどうであれ、天国が存在すると信じれば、それがトランポリンのようにフリーレンの心を精神病域から跳ね返す。接触防壁になるのである。

 

 フリーレンはいまだに女神様や天国の存在について、半信半疑であろうが、少なくとも魔族がどんな幻や嘘を見せてきても、天国にいるヒンメルは嘘をつかないと考えたのかもしれない。

 

 フェルンは少し安心して、

 

「そうですか。じゃあ、私一人で……」

 

 と、フリーレンを部屋の中に残す選択をしようとする。

 

 そのとき、フリーレンがベッドの上で、ウニュっと背伸びした。

 

「あ、そうだ」フリーレンが突如思い出したかのように言った。「今日はシュタルクの18歳の誕生日だから」

 

――は?

 

 聞いてなかった。

 

 アイゼンからも教えられていないし、アナリザンドからもである。

 

 フリーレンがシュタルクの誕生日を知っていたのは、おそらくアイゼンから教えられたからだろう。旅の出発の時に、アイゼンになにやらメモを渡されていたようだし、そこに書かれてあったのではないだろうか。

 

「なんでそういう大事なこと、事前に教えてくれないんですか」

 

 フェルンは抗議するように不満げな声を出した。

 

「アナリザンドは言わなかったの? あいつだったら知ってそうだけど」

 

 フリーレンの軽い言葉にフェルンはため息をついた。

 まるで私は悪くないと言いたげなフリーレンである。

 

 確かに、アナリザンドならシュタルクの誕生日を知っていたかもしれない。

 シュタルクの前でのアナリザンドは、無限に弟を甘やかす姉といった感じである。

 

 もちろん、フェルンも誕生日を祝ってもらってきているし、姉であることを標榜しているのだが、シュタルクに対する態度は自分よりも甘く感じる。かわいい弟なのだろう。

 

 嫉妬したわけではないが、モヤっとした気持ちがフェルンに生じた。

 自分だけがただひとり、シュタルクの誕生日を知らなかった事実に不安にも似た感情を抱いた。

 置いてけぼりをくった気分……。

 

 しかし、時間は止まってはくれない。

 

「私、何も準備してませんよ」

 

「この町で何か買えばいいじゃん」

 

「シュタルク様の欲しいものがわかりません」

 

 シュタルクは物欲が少ないタイプだ。

 彼が心から欲しいものを見つけるのは容易ではない。

 

 アナリザンドなら、きっとシュタルクが何を欲しがっているのか知っているだろう。

 

 彼女は人の欲望の原因たる対象аに刷り変わろうとする性質がある。そのため、アナリザンドは人の求めている言葉をかなりの高精度で投げかけてくる。

 

 フェルンの誕生日には、彼女が最も欲しかったもの――亡くなったハイターの姿と声を、過去から現在に届ける魔法で見せてくれた。その気遣いと優しさは、フェルンの心を深く揺さぶった。

 

 そんなアナリザンドがシュタルクの本当に欲しいものを知らないはずがない。

 

 フェルンの中に焦りに似た感情が広がっていく。

 

「ふっふっふ。フェルンは詰めが甘いねー」

 

「フリーレン様のせいなんですけど」

 

「アナリザンドのせいだよ」

 

 悪いことはすべて魔族の責任とするお手軽システムだった。

 

「どちらもです」フェルンはひとまず目の前にいる姉のほうを責めているのだ。「ちなみにフリーレン様は何をプレゼントするつもりなんですか?」

 

「とっておきだよ」

 

 フリーレンはベッドから猫のように俊敏に起き上がり、大きめのトランクケースを開け放った。その中には訳のわからないまじないものや魔導書などがつめこまれている。そして取り出したるは、怪しげなポーションのような液体の入った小瓶だった。

 

「服だけを溶かす薬」

 

 フリーレンはムフーと誇らしげに小瓶をフェルンに見せびらかした。

 

「男ってのはね、こういうの渡しておけば喜ぶんだよ。って師匠(せんせい)が言ってた」

 

 まるで完璧でしょとでも言いたげだ。

 

 このエルフは千年も前の師匠の言葉を後生大事に抱えている。いや、人間に換算すればほんの数年前の出来事のようなものなのかもしれない。

 おそらくフランメは情動の幼いフリーレンをからかったのだろう。

 戦闘に関しては老成されたところのある熟練の魔法使いだが、それ以外のところは幼女といってもいいほどに幼い。ともすれば、フェルンよりもずっと。

 

 フリーレンは()()()()()()()男の性欲をフェルンに教え諭しているのだ。

 

 この点に関して言えば、フェルンのほうが一歩進んでいると言える。フリーレンが性に対して無邪気であるの対し、フェルンは性関係に対して、わずかばかりケガレを感じている。

 

 つまり、えっちなのはイケナイことであると思っている。

 

 さしだされた小瓶を受け取り、フェルンはおもむろに蓋をあけた。

 

「何、フェルンも興味ある?」フリーレンがニチャっと笑った。

 

 アウトだった。少なくともフェルンにとっては。

 

 フェルンは小瓶の中の液体を容赦なくフリーレンにふりかけた。

 

 ドボドボドボドボドボ。

 

「あっ。あー。あー。あーーー」

 

 抵抗は無意味だった。フリーレンがイヤイヤするように腕をかかげてみせたが、小瓶の中の液体が彼女の服を溶かしていく。いや溶かしていくというよりは蒸発させていくといったほうが正しいかもしれない。驚くほどスムーズに、まるで砂糖が水に溶けるかのようにその服は消えていった。

 

「この下品な薬、買った時に、私返品しろって言いましたよね」

 

 絶対零度すら越えたゴミ虫を見るような目だ。

 しかし、フリーレンは素っ裸のまま、恥じらいを見せる様子もなく反論する。

 

「でもシュタルクって、こういうの好きそうじゃない?」

 

「シュタルク様に失礼すぎますよ」

 

「だって、アナリザンドに甘えてる姿、フェルンだって何度も見てるでしょ」

 

「それは……そうですが」

 

 シュタルクはフリーレンに遠慮をしない。

 というか、全面的にアナリザンドを信じている。

 ちょっと心が弱ったときには、すぐに小窓で通信を始めるし、フリーレンと離れたところでは肉体的に接触しようとするし、要するに抱きついてイチャイチャしまくる。

 

 フェルンがフリーレンとアナリザンドの両方を姉として接しているのと違い、あくまでシュタルクにとっての姉はアナリザンドただひとりなのだ。

 

 心の距離的にフリーレンのほうが遠いのだろう。

 

 だからといって、女子の裸が好きな変態であると短絡するのはいかがなものかと思うが。

 

「フェルンももう少しオトナになったらわかるよ」

 

 なにもわかっていないフリーレンが、訳知り顔をするのが憎らしい。

 

「フリーレン様なんて知りません!」

 

 ドアは勢いよく閉められた。

 

 

 

 

 

 さて、フェルンが宿のシュタルクの部屋をノックしても反応はなかった。

 特に持ち物らしい持ち物もないシュタルクは、部屋の鍵すらかけずにでかけているらしい。

 LINEを使って、どこにいるのか尋ねても未読のままだ。

 五分ほど所在なく部屋をうろつき待ってみても既読にならない。

 緊急連絡だったらどうするつもりなんだろう。戦士として鈍すぎる。

 なんて、益体のないことを思いながら、思わずムッスゥ顔になってしまう。

 万能に思えるネットというツールも、相手がコミュニケーションをとろうとしなければ無意味だ。こんなときだけ未読になるなんて避けられているのだろうか。

 

――仲間外れ。

 

 シュタルクの誕生日をただひとり知らなかったという事実は、フェルンの心にどこか引っかかりを覚えさせている。後悔になる直前の、黒いモヤのような感情だ。

 

 フェルンはそれを後悔にしたくないから、シュタルクを探すことにした。

 

 町の人々に声をかけてシュタルクのことを尋ねると、みんな口をそろえて言うのは、彼がいかに親切で頼りになるかということだった。

 

 曰く『荷車を押すのを手伝ってくれた』とおばさん。

 曰く『俺たちと遊んでくれた』と町の子どもたち。

 曰く『猫が木から降りられなくなったところを助けてくれた』とショタ。

 曰く『暴れ牛を止めてくれた』と酪農家のおじいさん。

 

 まるで勇者のような彼の足跡をたどる。

 やはりシュタルクは、高潔な人間のように思える。

 確かに臆病なところや姉に甘えすぎなところはあるが……。

 

 えっちな薬をもらって喜ぶような人間ではないだろう。

 フリーレンの評価はやはり失礼だ。

 人間のことを千年前の尺度で理解しようとするからズレが生じるのだ。

 千年前の人とは変わっている部分もあるし、変わらない部分もあるだろう。

 フリーレンには今の自分たちを見てほしい。

 

――今のシュタルクを見てほしい。

 

 今のシュタルクを見たい。

 そしてようやく彼の姿を視認した。

 大自然を望むベンチに目を向けると、見慣れた背中が目に入った。

 シュタルクだ。彼はベンチに座り、少しけだるげな様子で空を見上げていた。

 

 だが、フェルンの視線はすぐに隣に座る人物に移った。

 

――アナリザンドだ。

 

 彼女はシュタルクに寄り添うように座り、その肩に軽く頭を預けていた。二人の間に流れる柔らかな雰囲気は、まるで世界から切り離されたかのように静かで、穏やかだった。

 

 フェルンは一瞬、息を呑んだ。シュタルクがこんなにもリラックスしている姿を見たのは初めてだった。普段の彼は、どこか緊張感を持っていて、自信がなさげで戦士としての責務に縛られているように見えることが多かった。しかし、今はその鎧がすっかり外されているようだった。

 

「姉ちゃん。見てみなよ。あの雲、おっぱいみたいだ」

 

 シュタルクが気の抜けたような声を出す。

 空をみあげるとFを越えたドデカいサイズのおっぱい雲があった。

 おっぱいなんて言葉、少女に向けるにはセクハラになりかねないが、アナリザンドはそんなことは気にしない。むしろ、おっぱいどんとこいなところがある。

 

 たぶん、アナリザンドはおっぱい大好きなんじゃないだろうか。フェルンと肉体的接触をおこなう際にも、ちょうど頭の位置がそうであるからかもしれないが、おっぱいにうずもれるようにしてスリスリしてくる。いやらしい感覚はない。せいいっぱいの親愛の情の表現といった感。

 

 おっぱい雲を見上げるアナリザンドの横顔は天使のように無垢だ。

 

「あ、ほんと。すごい柔らかそう。わたしもあれくらいあったほうがいい?」

 

「姉ちゃんは今のままで十分だよ」

 

「まあ確かにおっぱいに貴賤はないけどね。顔が埋もれるくらいのおっぱいだったらいろいろと汎用性があるのになって思うことあるよ」

 

「姉ちゃんはおっぱいおおきくなりたいのか?」

 

 頭の悪い会話だった。

 

「んー。憧れはないではないけど、実をいうと自分のにはあまり興味ないかな」

 

「どうしてだ」とシュタルクが素朴な疑問を口にした。

 

 アナリザンドは微笑みながら肩をすくめた。

 

「だって、自分のおっぱいを見るのってあんまり楽しくないじゃない? マグロはおいしいけどマグロ自身にとってはおいしくもなんともないよね。それと同じだよ」

 

 いつもの難しい言い回しも使わず、シュタルクに対しては優しい言葉を心がけているように思う。おそらくフェルンの理解能力を信じてのことだと思うが、ちょっとだけ不公平だ。やはりシュタルクに対して甘い。

 

「なるほどなぁ。姉ちゃんってマグロなんだ」

 

「そう。わたしは人間にとって、おいしそうに見えるマグロを目指しているの」

 

 魔族が着ている服は魔力によって創りだされているものである。

 

 その意味では、精神的な鎧にも似たようなものなのだが、アナリザンドの場合、人からかわいく見られるために、ちょこちょこと服にアレンジを加えて飽きがこないようにしている。

 

 年始には振袖とかいう、艶やかな服をご披露したりもしていた。ベッドの上でなぜか正座し、新年の挨拶を寿いでいた。

 

「姉ちゃんはオレの目からはおいしそうに見えるよ」

 

「それってかわいいって思ってくれてるってこと?」

 

「うん。姉ちゃんはかわいい」

 

「ありがと」

 

 なんだこのイチャイチャっぷりは。

 

 フェルンは物陰に隠れながら、黒いモヤのような感覚が再び湧いてきた。

 シュタルクからかわいいなんて言われたことはない。

 

――いや、アナリザンドからは死ぬほど言われているが。

 

 フェルンはアナリザンドを姉のように慕っている。

 だから、アナリザンドをとられそうで、いま、そういうネガティブな気持ちになっているに違いない。自分でも理解できない感情に、フェルンは戸惑い、どう対処すべきか悩んでいた。

 

 不意に思い浮かんだのはネットで摂取したネトラレという概念。

 

 ネトラレ――どっちが? どっちを。

 フェルンの脳内はぐちゃぐちゃになりつつある。

 ネトラレには脳破壊効果があると評したのは誰だったか。

 その効果が正しいことを、フェルンは実感しつつあった。

 

 数秒の逡巡のうちに、フェルンが選択したのは逃避。

 

 その場をそっと離れることに決めた。少し距離を置けば、このもやもやした感情も、きっと落ち着いてくるだろうと、自分に言い聞かせるようにして。

 

「姉ちゃん、オレの誕生日に来てくれたんだよな」

 

 シュタルクの声に立ち止まる。

 そうだ。フェルンもそうだったのだ。

 いつのまにか目的を見失っていた。

 

「うん。そうだよ」

 

「だったらさ、前みたいに姉ちゃんといっしょにお風呂入りたい」

 

――え。

 

 と、思わず心の中で呟いた。シュタルクがアナリザンドとお風呂に入りたいと言った瞬間、フェルンの頭の中は一瞬で真っ白になった。

 

――そんなこと、アナリザンド様が受け入れるわけがない。

 

 そう自分に言い聞かせたが、シュタルクの言葉が引き起こした違和感は、フェルンの胸の中で急速に膨れ上がっていった。普段のシュタルクはそんなこと微塵も感じさせないほどに紳士で――なんというか()()()なのだ。雪の中でフリーレンを背中に背負っていたときも、ただ重いだろうからという理由でフェルンと代わろうとした。

 

 フリーレンの身体と接触することをなんとも思っていなかった。

 精神はともかくとして、フリーレンは超がつくほどの美少女である。

 普通なら――男ならほんのわずかでも躊躇するのではないだろうか。

 

「シュタルク君。いっしょにお風呂は十歳までって言ったよね。もう十八歳なんだよ」

 

 アナリザンドの冷静な返答に、フェルンは少しだけホッとしたが、その直後に続いたシュタルクの言葉に再び息を呑んだ。

 

「もう十八歳だからだよ」

 

――えっちだった。

 

 もしかすると、フリーレンの服だけを溶かす薬は本当に大当たりだったのではないかと、ふと脳裏をよぎったが、それを考え直す暇もなかった。

 

 アナリザンドは少し困ったような顔をして、視線をシュタルクに向けていた。小さな眉がわずかに寄り、どう対応するべきか悩んでいる様子が伝わってきた。シュタルクの言葉にどう返すべきか考えあぐねている。すると、シュタルクの目が急に別の方向に向いた。空だ。

 

「姉ちゃん、あれ見てみろよ」

 

 シュタルクが指差した方向に、アナリザンドは視線を移した。

 そこには、ふわふわと柔らかそうな白い雲が、何の因果かとぐろを巻いていた。

 

「おおー、うんこ雲だ!」とアナリザンドは楽しげに言った。

 

 その目はキラキラと輝き、嬉しそうに揺れている。シュタルクはそんなアナリザンドを優しい眼差しで見つめていた。いつもは姉に甘える弟のような立ち位置を崩さないシュタルクが、今だけは少し大人びて見える。

 

 フェルンは二人の様子を見て、自分でもよく分からない感情が再び心をかき乱すのを感じた。その黒いモヤは、嫉妬や寂しさ、そして少しの戸惑いが混ざったものかもしれない。

 

――私はどうしてしまったんでしょうか。

 

「あとでフェルンちゃんに教えてあげよう」

 

「そうだなぁ」

 

――リアクションに困るよ。

 

 フェルンはもうわけもわからず、がむしゃらにふたりの前に歩み進んだ。

 

「アナリザンド様。シュタルク様」

 

「あ――、フェルンちゃん」

 

 アナリザンドは気づいていたのだろうか。弾むような声をあげる。

 

「フェルン。ちょうどいいところに。あの雲さ――――」とシュタルクが続けようとした。

 

 姉が喜んだ成功体験からか、フェルンも同じように喜ぶと思ったのだろう。

 そんな年頃ではない。と、否定の言葉が心の内に湧いてくる。

 そのときのフェルンの顔は、何と言えばいいか。完璧に濁っていた。

 曇り顔を越えた混沌の雲に覆われた表情だった。

 

「……すみません。なんでもないです」

 

 シュタルクは身を小さくして嵐をやり過ごそうとする。

 フェルンは見た目怒っているように見える。不機嫌を隠そうとしていない。

 というか、怒りというカバーで蓋をしないと、このぐちゃぐちゃとした感情を治めることができそうになかった。少女のこころは見た目以上に複雑である。

 

 アナリザンドもそのことに気づいたのか、優しく声をかけた。

 

「フェルンちゃん、どうかしたの?」

 

 フェルンはしばらく沈黙を保ったが、やがて、深い呼吸を一つしてから、まっすぐにアナリザンドを見つめた。

 

「アナリザンド様、ひどいです。どうしてシュタルク様の誕生日を教えてくださらなかったのですか」

 

 その言葉には、微かに震える声が混ざっていた。フェルン自身も何がこんなに自分を苛立たせているのか、はっきりとした答えが見つからずにいた。

 

「うん? フェルンちゃんも祝いたかった?」

 

 アナリザンドは少し驚いたように問い返したが、その声色にはどこか暖かさが感じられた。

 

「それは……そうです」

 

 フェルンは視線を逸らし、少し躊躇しながら答えた。

 

 アナリザンドはフェルンの言葉を聞いて、にこりと笑みを浮かべた。

 

「そっか。ようやくフェルンちゃんもシュタルク君を()()()()()んだね」

 

 その言葉に、シュタルクは戸惑ったように眉をひそめた。

 

「どういうことだよ?」とシュタルクが尋ねた。

 

 アナリザンドは穏やかな表情で説明を続けた。

 

「フェルンちゃんって、家族とそれ以外の人をしっかり区切るタイプなんだよ。家族と思った人だけを()()()()()んだ。だから、フェルンちゃんがシュタルク君の誕生日を祝いたいって思うようになったのは、シュタルク君を()()()()()証拠だよ」

 

 シュタルクはその説明を聞いて、少し照れくさそうに頭をかいた。

 

「そんなふうに言われると、なんかむず痒いな……」

 

 フェルンはアナリザンドの言葉に驚きながらも、少し照れたように頬を赤らめた。彼女自身、自分がシュタルクに対してどんな感情を抱いているのか、まだ整理がついていなかった。

 

――シュタルク様を()()()()()

 

「フェルンちゃんが祝ってくれたら、シュタルク君が嬉しくなるのは間違いないよ」

 

 アナリザンドの言葉は、フェルンの胸に響いた。そして、フェルンはふと気づいた。自分が今感じているこの複雑な感情は、シュタルクとの距離が縮まっている証拠なのかもしれない、と。

 

「アナリザンド様はシュタルク様に何かプレゼントを差し上げたのでしょうか?」

 

「ん-。いままではわりとハンバーグを焼いたりしてたよ」

 

 アナリザンドがそう答えたとき、フェルンは少し驚いた表情を見せた。ハンバーグというと家庭料理の一つだが、アナリザンドがただの物質に過ぎないものをシュタルクへの誕生日プレゼントにしているというのは意外だったからだ。

 

「ハンバーグ……ですか?」

 

「そうだよ。シュタルク君は男の子だからね。ハンバーグが大好きなんだ。それに、これは戦士の村の特別な風習でもあるんだよ」

 

 アナリザンドは少し懐かしそうに話し始めた。

 十年ほど前、アナリザンドはシュタルクとともに魔族に襲われた村から脱出し、時折アイゼンの家に遊びに行っていたらしい。

 

「戦士の村では、ハンバーグはただの食べ物じゃないんだ。戦士として認められた者に贈られる、特別なプレゼントなんだよ。それはその子が戦士として立派に成長していることを意味する最大の賛辞なんだ」

 

 フェルンはその言葉を聞いて、アナリザンドがどれだけシュタルクを大切に思っているのか、そして彼を一人前の戦士として認めているのかが理解できた。ハンバーグが、そんな深い意味を持っているとは思わなかった。

 

「だから、シュタルク君の誕生日には、毎年ハンバーグを焼いてあげるんだ。これは私からシュタルク君への、『君はもう立派な戦士だよ』っていうメッセージなんだよ」

 

 アナリザンドはそう言って、柔らかな笑顔を浮かべた。

 あいかわらずお餅のように伸びしろのありそうなほっぺだ。

 

「戦士として認める……」

 

 フェルンはその言葉を反芻しながら、隣にいるシュタルクを見た。アナリザンドの言葉に顔を赤くしているシュタルクのことをなぜか可愛らしく感じる。彼がただの甘えん坊な弟ではなく、アナリザンドにとって誇れる戦士であることを――そして、シュタルクがそうあろうとしていることを、フェルンは理解した。

 

「……アナリザンド様は、本当にお優しい方ですね」

 

 やはりシュタルクにとって最も欲しい言葉を授けているように見える。

 

「今年からはフェルンちゃんもいっしょに祝ってくれる?」

 

「ええ、もちろんです」

 

「ありがとな、フェルン」シュタルクは素直に感謝の言葉を述べた。

 

 なんだかほんわかした空気が流れる。

 

「でも、今年はちょっと問題があってね」

 

 アナリザンドは困った声になった。

 すこしだけ悩まし気な表情をしている。

 シュタルクは姉の悩みに心配そうだ。

 

「何かあったのか、姉ちゃん」

 

「うん」アナリザンドは言う。「最近、物価高なんだよね」

 

「物価高?」

 

「いわゆるインフレってやつ。加えて、わたしちょっと最近、投資に失敗しちゃって、お金がほとんどないの。わかってくれる?」

 

 妙だ。とフェルンは思った。

 

 アナリザンドの配信での収益は数えたことはないが、月に30万APくらいは楽に稼いでいるように思える。ハンバーグがいくら高級なお肉を使っているとしても、どでかいサイズだとしても、アナリザンドの稼ぎからすれば、十分に捻出可能なものだろう。

 

 けれど、そんな違和感は当事者であるシュタルクにとってはどうでもいいことらしい。

 

「姉ちゃん。気にすんなって。オレ、姉ちゃんが祝ってくれたらそれでいいからさ」

 

「ありがとう。シュタルク君。じゃあ、いこっか」

 

「え、どこに?」

 

「ハンバーグを食べに」

 

「今年はないんじゃなかったのか?」

 

「いいえ。無いとは言ってないよ。サイズダウンしてるだけ。フェルンちゃんもいっしょに食べる?」

 

 突然申し向けられて、フェルンの思考は中断した。

 なにか妙な感覚であったが、たぶん悪いことではないのだろう。

 フェルンもそれくらいはアナリザンドという魔族の姉を信じている。

 

「あ、でもフリーレン様が……」

 

 晩御飯はみんなでいっしょに食べることが多い。

 外で食べてきたといったら、フリーレン様は気を悪くされるかもしれない。

 けれど、フリーレンに外で食べるということを伝える術を持たない。フリーレンはネットを使わないからだ。もちろん、宿に一度帰れば可能だろうが、ここまで来るのにわりと時間がかかっている。今度は、アナリザンドを待たせることになるだろう。

 フェルンはそう考え、一瞬躊躇した。

 

「フェルンちゃんはお昼ご飯食べた?」

 

「いえ、まだですが」

 

「うーむ。今、四時くらいか。ちょっと遅い昼食だとすればいいんじゃないかな」

 

「わかりました」

 

 

 

 

 

 

 

 そこはフェルン達が宿泊しているところとはちょうど反対側の街のはずれにある宿だった。

 

 なるほど、フリーレンと遭遇したくないアナリザンドは、距離的に一番遠い場所を選んだのだろう。雑貨屋が立ち並ぶ表通りからも離れていて、万が一にも出逢う可能性はない。

 

 それでいて隠れ家的な、品の良い造りをしていて、かなり高級そうだ。

 

 普通であれば、街の表通りに面しているところこそが高級宿であろうが、あえて静謐のために街のはずれに位置しているように思える。

 

 つまり、金持ちご用達とか、そんな感じの。実はそれなりに裕福な家庭に生まれたフェルンは、宿の雰囲気だけで察してしまった。静謐はお金で買うものなのである。しかも、生半可なお金では買えない程度の金額が必要になるはずだ。

 

 お金なかったんじゃないの? とフェルンは思うものの、シュタルクはなんの疑問も抱かず、アナリザンドに手をひかれて嬉しそうに宿に入っていく。

 

「お帰りなさいませ。お嬢様」

 

 アーチ型の窓から差し込む夕陽が大理石の床を金色に染め、エントランスに立つ執事風のコンシェルジュが深々と頭を下げる。「ご用意いたしましたキッチンがこちらです。ベルジャン産鋳鉄製のグリルと、地元牧場直送のA5ランク牛肉が揃っております。ご用命がございましたら、他の食事もご用意できますが」

 

「今日は用意してもらったやつだけでいいよ」

 

 アナリザンドがエプロンを着ると、コンシェルジュがさりげなく補助に回って紐を結ぶ。アナリザンドは手を横に広げて、お澄まし顔でされるがまま。お嬢様モードだ。

 

 シュタルクが「すげェ……」と呟いた厨房には、磨きぬかれた銅鍋が壁面に輝き、天井から吊るされたハーブ類が微かに香る。さすがに異世界めいた高級感にシュタルクも気づいたようだ。しかし、それだとお金がないという先ほどの言葉との整合性がとれない。

 

 なのに、それには一切気づかず、単純に浮かれているように思える。

 そのシンプルさが羨ましい。

 

――これはアナリザンド様の罠なのでは?

 

 と、チラリと考えた。

 もちろん、命をとるような、そんな危険な罠ではない。

 ただし、魔族は嘘をつく。アナリザンドも例外ではない。

 

 その答えに辿りつかない状況に、フェルンは焦りにも似た感情を抱いたが、当のシュタルクが姉にデレデレしている浮かれポンチ状態なので、なんとも言えない気分になるのである。

 

 厨房では、下準備が完璧に整っており、ハンバーグはすでに整形されていた。横には型抜きされたハートマークのチーズが置かれている。たぶん最後にオンするのだろう。

 

 まるで少女のように愛らしい演出だ。

 

「あとは焼くだけだよ」とアナリザンドが微笑みながらグリルに手をかけた。

 

 アナリザンドがグリルにハンバーグを乗せると、柔らかい肉汁がじわじわと滲み出る音が響き始めた。ジュ―という音とともに、お肉の匂いが充満する。

 

「すごくいい匂い……」とフェルンが呟くと、シュタルクも「姉ちゃん、本当にプロみたいだな!」と感嘆の声をあげた。

 

 小さな違和感を吹き飛ばしてしまうほどの、美味への期待感。

 

「プロじゃないよ。ただの趣味。でもね、このハンバーグには特別な思いをこめてるから。愉しんでくれるとうれしいな」とアナリザンドは優しく微笑む。その言葉には、家族としての温かさが滲んでいた。

 

 ハンバーグは片面三分ずつ中火でじっくり焼かれ、美しい焼き色をまとっていく。さらに蓋をして蒸し焼きにすることで、中までふっくらと火が通り、肉汁を閉じこめていく。

 

「最後の仕上げね」

 

 アナリザンドがお酒を少量注ぎいれると、蒸気が立ちのぼり、香りがさらに引き立った。

 

 そして、用意しておいたハートマークチーズをオン!

 すぐに崩れてふにゃふにゃハートになってしまったが、ともかくとろけたチーズとあいまって、食欲をそそる匂いを発している。

 

「これで完成!」アナリザンドは満足そうにハンバーグを取り出した。

 

 コンシェルジュが横からスムーズに手を差し伸べ、お皿に盛りつけた。つけ合わせの野菜も美しく配置され、その見た目だけでプロの手腕を感じさせる。

 

 アナリザンドは焼いただけ――なんて野暮なことはフェルンも言わない。もちろん、シュタルクも絶対に言わないことはわかりきっている。

 

 魔族にとって、料理をするというのは、超がつくほど困難なことだと聞いた覚えがある。たとえ焼くという単純な行為ですら、魔族にとっては難しいらしい。在るものを在るがままに喰らうというのが魔族の食事なのだから。

 

 この単純な料理が、魔族にとっては超絶的な努力の果てに生まれたことは、フェルンも理解していた。だから、たとえ罠であっても喰らってみせようと、フェルンは覚悟にも似た意志を抱いたのであった。じゅるり……と、少しばかりおいしい匂いにつられてしまったのは愛嬌である。

 

 

 

 

 

「はぁ……食った食った」

 

 夕方の五時半を回った頃に食事は終わり、フェルンとシュタルクのふたりは高級宿をあとにした。アナリザンドは用事があるとかで、そこでお別れになったが、フェルンにはいまだなすべきことがある。

 

――シュタルクに誕生日プレゼントを購入する。

 

 フェルンは当初の目的を忘れていなかった。

 

 幸い、夜が短くなってきており、まだ店は開いているだろう。

 

 急いで表通りまで戻れば、なんとか間に合う。

 

「シュタルク様。急ぎましょう」

 

「どうしたんだよ。フェルン」

 

「シュタルク様の誕生日プレゼントですよ」

 

「え……でも」

 

「でも、なんですか?」

 

 今のフェルンは視線だけで人を殺せるかもしれない。

 

「こえーって……。いや、さっき姉ちゃんといっしょに祝ってくれただろ」

 

「確かにそうですが、それとこれとは別です。あれはアナリザンド様のプレゼントであって、私のプレゼントではありません」

 

「えっと……、フェルンはオレのことを祝いたいのか?」

 

「やっぱりなんかムカつくからあげない」

 

 フェルンはちょっぴりムッスゥした。

 

 慌てたのはシュタルクだ。

 

「いや、わりぃ。そんなんじゃなくて……。オレなんかを祝ってくれる理由がよくわかんねぇんだ。姉ちゃんもそうだけど、どうしてそんなにオレを褒めたり気にかけたりするんだろうってさ」

 

「……」

 

 フェルンはその言葉にどんな言葉を返せるか考えた。

 考えたからこそ、遅延する。

 光の子である由縁を、シュタルクもフェルンも有している。

 

 かつて、アナリザンドはシュタルクに、言葉を与えた。

 デカいハンバーグは、がんばったやつへのご褒美。

 シュタルクの兄シュトルツも、厳しいアイゼン師匠も、シュタルクを褒めてくれていた。

 アナリザンドが言葉を尽くして説明してくれたおかげで、シュタルクもそのことは理解している。

 

 けれど、シュタルクは自分に自信がなかった。

 どれだけ実績を積み重ねても、どれだけ強さを身につけても。

 

――兄を見殺しにした。

 

 という後悔から逃れる術はなかったからだ。

 

 フェルンはシュタルクの闇を感じ取り、その文脈を読んで、沈黙せざるをえなかった。

 シュタルクの過去に何があったかはわからずとも、その後悔の念は、フェルン自身にも通じるところがある。シュタルクの過去が、彼の言葉に影を落としていることは、言わずとも伝わった。

 

 闇が静かに近づいてくる黄昏時。

 光と闇が地平線の彼方で交わるように一体化している。

 最後の残光がフェルンにあたる。

 

「私が褒めたいからです」と彼女は静かに答えた。

 

 シュタルクはその答えに驚いたように目を見開いた。

 かつてのアナリザンドの言葉と同じだったからだ。

 

「褒めたいって……なんで?」

 

「シュタルク様ががんばっていると、私も識っているからです。それに……」

 

 フェルンは続けた。

 

「誕生日というのは、過去だけではなく未来を祝うものです。だから私は、シュタルク様の未来を祝いたいんです」

 

「……ありがとな、フェルン」と彼はぽつりと呟いた。「そう言われると、なんか少しだけ気が楽になる気がするよ」

 

「さあ、急ぎましょう。店が閉まる前に間に合わなくなります」

 

 残光に照らされながら、光の子らはともに駆けだした。

 

 

 

 

 

 デデーン!!!!

 なんとか誕生日プレゼント購入に間に合ったあと。

 ふたりを出迎えたのは、フリーレンお手製のドデカハンバーグである。

 プレートの九割を占有するような、超巨大なハンバーグが乗っかっている。

 ゴム草履か何かみたいな分厚さだ。

 

「う、うぷ」

 

 それを見た瞬間、シュタルクが口を押える。

 最後にハンバーグを口にしてからわずか二時間しか経過していない。

 その質量体を見ただけで、口から何かが逆流してきそうなくらい途方もない大きさに感じた。

 肉の香ばしい匂いも、逆効果。

 臓腑が拒絶反応を示している。

 

 もちろん常ならば、シュタルクは若い男の子。

 この程度のハンバーグ、ペロリとたいらげるのは造作もない。

 そして、なぜかフェルンも女の子ながら、ペロリとたいらげる程度には巨大な胃袋を持っている。しかし、今は――今だけは!

 

「お帰り。遅かったね」

 

 感情を感じさせないフリーレンの言葉には、わずかながら喜色がまざっている。

 

「ふぇ、フェルンこれって……」

 

 シュタルクが泣きそうな顔になっている。

 フリーレンに悪意はない。むしろ、フリーレンがこれだけシュタルクを想っていたことが意外だった。朝方には男なんてとエロ薬を自慢してきたようなフリーレンが、こんなにもシュタルクを評価していたなんて。

 

 普段感情に乏しいエルフが、惜しみない称賛と親愛をふるまっている。

 

 おそらく、アナリザンドはこのことを予想していたのかもしれない。

 それでも、シュタルクが一番欲しがってるものをやらないなんてことはできなかったのだ。

 

 罠なんかではない。

 

 いつもよりダウンサイズしたハンバーグは、むしろアナリザンドがフリーレンに対して遠慮した結果なのだろう。アナリザンドはフリーレンのためのスペースを譲ってあげていたのだ。

 

 つまり、ふたりとも善意百パーセント。

 光と闇が胃の中でロンドしている。

 

 フェルンはもちろんのこと、シュタルクもフリーレンの善意を無碍にするほど、酷薄な男ではない。むしろ、戦士とはみんなのために耐え忍ぶものだと、アイゼンから口を酸っぱくして言われている。いまは別の意味で口の中が酸っぱかったが。

 

「どうしたの? ふたりとも変な顔して」

 

「オレ、がんばれっかな」

 

「シュタルク様。腹をくくってください。戦士でしょう」

 

 小声で悲壮な決意を伝えるフェルン。

 彼女の胃もわりと満身創痍。

 

「う……う、うおおおおおおお!」

 

 鬼気迫る様子で、口の中に肉塊を運ぶふたりを見て、フリーレンは目を丸くする。

 不退転の覚悟で挑む決死隊のようだ。

 

「そんなにハンバーグ好きだったんだ。おいしい?」

 

「ううううううううううう」

 

 口の中を満杯にさせながら、首だけでコクコクと頷くふたり。

 

「おかわりもあるからね」

 

 フリーレンはエルフにしては珍しく明るく言った。

 

 その残酷さに気づきもせず。

 

「あああああああああああ!」

 

 ふたりがゾンビみたいな声をあげる。

 

 それを歓声の一種だと勘違いして、人間って変だねと思うフリーレンである。

 

 シュタルクはこれから毎年、同じことが繰り返されるであろう明るい未来に絶望した。




ごめん。遅れちゃった。次回、ラヴィカンの間に挟まる魔族。
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