魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
アナリザンドは初めて人間との戦いで敗北を味わっていた。
みんな思い出してほしいけど、わたしは人間との戦いで敗走したことは一度たりともない。
つまりは、これが――
わたしのただ一度の敗北!
ゴミのような人間に魔族が敗れたのだ。
――屈辱である。
そこは魔法都市オイサースト。大陸魔法協会が拠点をかまえる都市。
実を言えば、北部支部なので本部ではないのだが、最近ゼーリエがなぜかずっとこっちにいるので、アナリザンドもなぜか訪れることが多い。
べつに人間の街を破壊してやろうとか、そんなだいそれたことは考えていない。
ただ、ちょっとだけ――
さきほど手痛い反撃を喰らったばかりであるが、人間風情に負けっぱなしというわけにはいかない。傲慢な魔族の思考がアナリザンドを闘争へとかりたてる。
それで、いつものように黒いフードをギュウっと握り締めながら、敗北を味わわせたその人間にもう一度食い下がった。魔族のプライドをかけて、決死の表情をつくりながら。
「なんでぇ? ねぇ。ダメなのぉ。
そう、屋台のおばちゃんだった。
刻まれた皺は深く、おばあちゃんといってもいい年頃かもしれない。
そこでは、昔ながらのクレープを売っており、ふと匂いに誘われて食べたくなったのだ。
光に誘われる蛾のような性質を持つのが魔族である。
もちろんお菓子なんて高度なもの、魔族に創れるはずもない。
それは人間の文化そのものであり、十分にハイコンテクストなものである。
魔族らしく子どもっぽさを擬態して、人間の情に訴えかける。
孫みたいな、そんな心持ちで、おばちゃんに説得を試みている。
が、ダメ。
「ごめんねぇ。うちでは魔法通貨は取り扱ってないんだよ」
「えー、今すぐにでも導入できるでしょ。導入代金もかからないし、お得だよ!」
それどころか、システムの利用料もかからない。
売り手にとっても負担のない夢のようなシステムなのである。
ただし、精神的な負担は別物なのだろう。
新しい何かを覚えるということが、年老いた人間にとっては既に負担なのだ。
ネットの普及率も、実のところ年代がいくほど使用率は下がる。魔法使いでもないただの一般人だとなおさらだ。
「よくわからなくてねぇ。お母さんにお小遣いもらって、また買いにきてくれるかい」
「むぅぅぅぅん」
実のところ、現物通貨も持ってはいる。
虎の子の一枚、ライヒ金貨をアナリザンドはいつも懐に忍ばせている。
でも、初めて人間からもらったお金を、アナリザンドは崩したくなかった。
金貨はただのお金ではなく、ゴールドで組成された物質以上の意味をもっていた。
つまるところアナリザンドにとって宝物だったのだ。
価値的には日本円で50万円ほどするので、街のクレープ屋で両替できるかは謎であるが、アナリザンドはポケットの中で金貨をこねくりまわし、使うべきか使わざるべきかハングアップしている。思考回路はショート寸前だ。
と、そこで。
「おばちゃん。クレープ二つ」
背後から若い女の子の声が聞こえた。
振り返ってみると、年のころはちょうどフェルンと同じくらい。
アナリザンドと似た鈍色の髪、瞳は涼しげな蒼眼をしている。
口調はちょっとぶっきらぼうだが、髪の毛はいつかのアナリザンドのようにあみあみになっているし、着ている服もどこかのお嬢様学校の制服みたいにかわいらしい。肩から垂れた部分がちっちゃなマントみたいになっていて、白いフリルがついている。
――どこかのお貴族様かな?
と、アナリザンドは評価する。
が、そんなことよりアナリザンドは、そのくすんだ輝きを放つ銅貨に釘づけになった。
金もいいけど、銅もいい。
なんというか歴史を感じさせてくれる。
何人もの人の手を渡ってきた銅貨はどこか熟練の戦士のような風貌をしている。
渋い冒険者のおじさんみたいなイメージがある!
けしてエリートではないけれど、冒険ではなくてはならない存在だ。
好き。大好き。めろめろする。
どこかで言ったかもしれないが、魔族とは死者のようなものである。
そして、アナリザンドは金の亡者なのである。
「ん?」
まるで、エサに首が動く犬――あるいは猫のような動き。
その女の子はアナリザンドの視線に気づき、銅貨をゆっくりと動かす。
じー。まんまるおめめの視線がトレースしている。
動かす。
じーーーー。口元に手をもっていって、お金を食べたそうに見つめている。
物乞いでもここまで執着する視線はもってないだろう。
その子はおもしろがって、アナリザンドの目の前で銅貨をゆらゆらと揺らす。
ぷるぷると首を振って、銅貨を追い続ける。
上下に振ったらヘドバンしている。
「欲しいのか?」と、その子が聞いた。
コクコクコク。と高速で上下する首。
「どっちが欲しいんだ?」
「え、どっちって?」
「金かクレープか」
「え!? くれるの?」
パァァァと輝くような表情になるわたし。
表情筋をコントロールするまでもなく、こころの底から希望が湧いてくる。
しかし、ここは悩みどころだ。
正直に言えば、どちらも欲しい。
クレープはおいしそうだし、銅貨もおいしそうだ。
でも、強欲は身を滅ぼすということをわたしは識っていて、だから戸惑いのほうが先行した。
見知らぬ女の子に突然恵んでもらえるなんて、思ってもみなかったからだ。
もちろん、純粋な数理的な計算としては、銅貨のほうがいい。
現在という時空においてはクレープと等価だが、交換価値としてみれば銅貨のほうが高いからだ。物々交換は成立しにくいが、お金はいつでもどこでも通用しやすい。交換可能性の高さからみれば、金銭のほうがよいにきまっている。
でも、わたしが本当に欲しいのは今のところクレープであって、銅貨ではなかった。
アナロジーとしては、お金を食べるアナリザンドも本当にお金をむさぼるわけではないので。
だから悩みどころなのである。
そんなこんなで、悶々と思考を続けること約三分。
「はい、お待ち」
おばちゃんが焼きたてのクレープを差し出し、女の子は銅貨を代わりに渡した。
「残念。時間切れだ」
「ああああああ!」
魔族らしからぬ絶望の声が響いた。
二兎を追う者は――と、人は言うが、機会損失ほど手痛いダメージはない。
思考の遅さが今回の失態につながったのである。
アナリザンドはしょんぼりエルフ顔になって肩を落とした。
クレープの甘い香りに未練たらたらで、とぼとぼとその場を離れようとした。
「およ、ラヴィーネ。先についてたんだ」
新たな声が背後からかけられた。
アナリザンドが見てみると、今度は快活そうな冒険者っぽい見た目の女の子がいた。
ラヴィーネと呼ばれた少女と同年代のようだ。
「おせーぞ。カンネ」
カンネちゃんというらしい。
「ラヴィーネどうしたの。そんな小さい子いじめちゃって」
「いじめてねーよ。こいつが物欲しそうに見てるから気になっただけだ」
「こいつ?」
カンネちゃんがわたしを見る。
マジマジとわたしを見つめている。
「あー!!」そして突然の叫び。「アナ様じゃん!」
「こんマゾ?」
わたしはいつもの半分くらいの出力で、いつもの定型句を発する。
「こんマゾ。アナ様!」
むふん。どうやら、カンネちゃんはわたしのことをご存じらしいな。
しかも、表情や声のトーンから察するに、わたしのファンらしい。
配信者として、これ以上うれしいことはない。
ファンサのひとつとして、カンネちゃんの手をとってぴょんぴょんはねる。
そしたら、なぜかカンネちゃんもいっしょになってはねてくれた。
カンネのベリィショートなツインテールがぴょこぴょこはねる。
「アナリザンドか。普通に人間の街にいるんだな」
と、幾分冷静なのはラヴィーネちゃん。
声のトーンは少々あきれた様子だが、憎悪とか、悪感情は乗ってはいない。
魔族が人間の街にもぐりこんでいるのは、人間の常識にてらしてどうなのかという意味合いなのだろう。
しかし、自慢じゃないがわたしは三十年近く配信をやってきた身だ。
フェルンちゃんと同年齢くらいの子は、みんなわたしをただの魔族ではなく、身近なお姉さんとして認識しているはずだという自負がある。
「ねえねえ。アナ様。クレープ食べたかったの?」とカンネちゃん。
「うん。食べたかった」
わたしは素直に述べる。
「ラヴィーネ。かわいそうじゃん。おごってあげなよ」
カンネが非難めいた声をあげる。
ラヴィーネは鼻でわらった。
「このクレープはおまえにやろうと思ってたんだがな。別にいいぜ。アナリザンドにおごっても」
ヘっ! という顔をして、ラヴィーネがクレープを見せつける。
わたしも自然とクレープに視線誘導される。
「あ……あ……、ラヴィーネ様。下賤の者におめぐみをぉ」
カンネちゃんはわかりやすく媚びを売っている。
なんだか見た目以上に幼くてかわいらしい。
「ほらよ」「やった」
ラヴィーネはカンネに差し出し、カンネは嬉しそうにクレープをゲットする。
所在ないのは、わたし。
うるうる瞳で、ラヴィーネを攻めるほかない。
両の手を軽くくんで、ラヴィーネを一心に見つめる。
女神様に祈るように。
「なんだよ……」
もう一押し。これは勝つる。
わたしは長年の経験から、勝利の方程式を導く。
このままかわいさのごり押しで、この子は堕ちる。
「しかたねぇな……」
後頭部をポリポリ、ちょっぴり苛立っているようだが、別に悪い気はしていないようだ。
贈与というのは、実のところ、贈った側にも快楽をもたらす。贈られた側だけでなく贈る側もうれしいのだ。シュタルクに誕プレあげてたフリーレンですらウキウキしていたのだから、人間なら誰しもわかる感覚だと思う。
くくく。ちょろいな。年端も行かぬ少女を騙すなどたやすい。
「あ、ちょっと待って」
物言いは意外なことに、カンネちゃんのほうから入った。
「なんだよ」
「ねえねえ。アナ様。クレープおごるからお願いごと聞いてもらってもいいかな」
「私がおごるんだけどな」とラヴィーネ。
わたしとしては、それが罠だとしても断る理由はない。
「なぁに?」
そういうわけで、わたしはクレープと引き換えに誘拐されるのでありました。
誘拐といってもそこまで強制力があったわけじゃない。
わたしはカンネちゃんたちに連れられて、ありきたりな宿泊施設に辿りついていた。
とはいえ、中の上くらいのレベルだろう。女の子が泊まってもそれほど危険ではないくらいのレベル。室内は明るく、植栽で彩られていて、なんというか軽やかな空気をまとっている。粗野な感じがしない。
わたしはベッドに座らされていた。
隣に腰かけ、カンネちゃんが身をのりだしながら口を開く。ラヴィーネちゃんは立ったまま腕を組んでる。カンネちゃんを監視してるような雰囲気だ。
「ねえアナ様。配信に参加させてよ」
「配信? べつにいいけど、顔出ししても大丈夫なの?」
「大丈夫。だって、私達は一級魔法使いになるつもりだから」
「おお……」
一級魔法使い。
それは言うまでもなく、魔法使いの最高峰であり、人類の英雄である。
そのプロフィールは謎に包まれた人もいるものの、フルオープンの人もいる。
いわば有名人なのである。
基本的には匿名掲示板に取沙汰されるわけだし、顔出しNGなんて言ってはいられない。
カンネちゃんの言葉は自分に対する自信がなければ言えない言葉である。
ただ――、その自信には根拠がないようにも思う。いまだよくわからない未来。自分の実力も、社会的立ち位置も理解していないからこそ、
つまり一級魔法使いになった自分を具体的にイメージできているわけではないのだ。もちろん、そうなれたとして、そのあと何を想い、何をなすのかといった点も未知。
わからないままに突き進んでいる。
これが若さか。なんてね。
「配信したいのはなんで?」
「だってずるいじゃん」
「?」
意味が分からない。
「
「おまえ馬鹿かよ」ラヴィーネちゃんはあきれている。
でも、わたしはキュンとときめいてしまった。
確かに、わたしはフェルンちゃんを特別扱いしていた。ハイターから任せられたという点も大きいが、全人類の姉になるという目標を掲げながら、フェルンちゃんだけを本当の妹扱いしてきた点も否めない。
「カンネちゃん。わたしのこと、お姉ちゃんだと想ってくれてるの?」
「うん。アナお姉ちゃん。ヨシヨシしてぇ」
これはなかなかの妹力。
でも、なんだろう。なんとなくラヴィーネちゃんのほうが妹っぽい感じがするんだよな。リアル妹臭というか。
フェルンちゃんもだが、女の子がわたしを姉扱いしてくる場合、こんなふうに、なんというか、シュタルク君みたいに甘えてくることは少ないんだよね。
そう考えると、女の子版シュタルク君みたいな気がしてきた。
かわいいぞ、こいつ。おー、よちよち。
でも、そうだとすると、疑問が残る。
どうしてわたしの配信に出演したいの?
その疑問はすぐに解消されることとなった。
クレープを既に食べてしまっている以上、わたしに断るという選択肢は存在しなかった。
しかたなかったのである。
「ウェーイw フェルンちゃん配信見てるー? フェルンちゃんの大事な大事なお姉ちゃんはいま私のふとももで寝てまーすw」
『え、なにこれ? なにこれ?』
『アナ様? これはいったい……』
『もしかしてフェルンちゃんと思ったが、違うのか』
『誰この子?』
『アナ様が、フェルンちゃん以外の女の子と寝ている(文脈)』
そう――。
アナリザンドはカンネの膝枕に横たわりながら、耳かきされている。カンネは楽しそうに耳かき棒をくるくると回し、配信画面に向かって得意げに笑う。ラヴィーネは撮影者だ。カメラのように配信小窓を動かして、半ば呆れながらもカンネに付き合っている。
「ほらほら、フェルンちゃん! みてみてーwww アナお姉ちゃんの穴という穴をほじくりまわしたのは、私が初めてだかんねぇぇぇwww。ざんねんだったねぇ。お姉ちゃんの初めて取られちゃったねぇぇぇwww」
言ってることは邪悪そのものだが、わりと耳かきうまいよこの子。
この長い魔生で初めての耳かき。
正直、悪くない。魔族と人間は長く戦争をしてきて、憎しみあってきた間柄だ。
こんなにも、肉体的な接触をした例は初めてじゃなかろうか。
なんだか眠くなってくる。人間の頃の遠い記憶を思い出す。
――魔族と人間の接触史に残る奇跡的平和の一幕。
なんてね。
それと、カンネちゃんがなんで配信にでたがったのかの理由も理解した。
この子はフェルンちゃんが羨ましかったのだろう。わたしの
わたしは薄目をあけて、配信窓を見る。
『なんだかリラックスしてるアナ様って猫っぽいな』
『これも一種のASMRじゃね?』
『アナ様耳かきされてうれしそう』
『もうね。赤ちゃんなんよ』
『耳かきごときに敗北する雑魚雑魚魔族で草』
『しかし、フェルンちゃんは今いなさそうでよかったな』
『いたら、漆黒のゾルトラークが飛んでくるだろw』
『ネトラレは、こころの栄養なんだ』
『フェルンちゃんの曇り顔を想像するとはかどります』
フェルンちゃんのことはちょっぴり気になったが、たかが耳かきくらいで嫉妬をするような子じゃない。フェルンちゃんは素直でかわいらしいわたしの自慢の妹なのだ。
カンネちゃんとも仲の良い友達になれるかもね。
そんな未来を夢想しつつ、もうね。余裕の表情ですよ。
フェルン『おおおおおあああああああああああああああああああああ。50000AP』
えっと。あれ?
『フェルンちゃんきちゃw』
『突然の赤スパ絶叫でワロタ』
『あーあ、浮気現場見られちゃったね』
『曇らせちゃったねぇ』
『美少女の曇り顔でしかとれない栄養素ある』
「あ、あ……フェルンちゃん見ないで」
と、今更ながら取り繕ってみてももう遅い。
『説明してくださいますか。アナリザンド様。この人間との不適切接触を』
「ひえっ」
文字だけで怖い。
「あの、ただの耳かきだよ。なんのたいしたこともないよ」震え声。
『所詮、魔族の言い訳よな』
『不適切接触なんて言葉初めて聞いたわw』
『もうだめだぁ。おしまいだぁ』
『耳かきしてるほうの女の子もビビっちゃってるじゃん』
『あんなにイキってたのによぉ』
『正妹に勝てるわけがないんだよなぁ』
小窓を通して、フェルンちゃんの怒りが伝わってくるようだ。
なぜか部屋の温度が十度くらい下がった気がする。
「フェルンちゃん。嫉妬なんてみっともないよwwwこの配信の意義わかってんの? 魔族の生態調査だよ。魔法使いとして誰かがやらなきゃいけなかったの。フェルンちゃんが顔出ししないから、私が代わりにしてやったんじゃん」
最初は哂っていたカンネちゃんも最後のほうは怒りがにじんでいた。
『部外者は黙っててください』
ひえ。
「部外者? お姉ちゃんはみんなのお姉ちゃんなの」
『確かに私は顔出ししてませんが、あなたは名を名乗ってすらいないじゃないですか』
「カンネだよ。一級魔法使いを目指している」
『カンネさんですね。覚えました』
ひえ。なんか聞こえちゃいけない副音声が聞こえてくるんですけど。
さすがにかわいい妹同士が争うのを黙ってみてはいられない。わたしがその端緒になったというのは置いておいて。
「まあまあまあまあ。なんというか、カンネちゃんの言う通り、魔法使いは魔族に対抗する人間の戦力だからね。わたしを通じて、魔族の生態調査をするのも理にかなってるんじゃないかな。かな?」
わたしが場を丸く収めようとするも、それがフェルンちゃんの怒りを燃え上がらせたらしい。
フェルンちゃんは現代魔法史の講義さながらに論理的反駁を開始した。
以下抜粋である。
『1、魔族の触覚神経は三叉神経第二枝(上顎神経)の頬骨領域に高度に局在→耳かきは神経支配域外の無意味な行為』
え、そうなの?
何回か身体的接触を試みるうちに、わたしのなにやらを調べていたらしい。
でも普通にお耳の中も感じちゃうけど?
ていうか、ほっぺたのことをそんなふうに表現するなんて初めて聞いたよ。
ふにーんしてるときに、そんなこと考えてたんだ……。
『2、人間の膝枕は魔力汚染リスク62%→防護魔法未施行は怠慢』
生体調査というのなら、シールドくらい張れってことね。
これはなんとなくわかる。
魔族は言葉を話す猛獣だからね。檻なしで接触するなんて危険極まる行為だ。
『3、配信視聴者への悪影響→魔族の脆弱性を晒す戦略的失態』
魔族に対して人間が油断しちゃうよってことか。
というか、魔族よりの視点なんですけどぉ。
お姉ちゃんだからノーカンなんですか?
『……つまりアナリザンド様は、私の管理下に戻る必要があります』
お、おう。
それが結論なのね。
『要するに膝枕も耳かきも赦さんってことじゃねーかw』
『魔族の触覚神経は三叉神経第二枝(上顎神経)の頬骨領域に高度に局在しており、顔面感覚情報の83.7%が頬部皮神経叢を介して処理されることが魔導生理学的研究で確認されている。対して外耳道の感覚は迷走神経耳介枝が支配するため、解剖学的に頬部神経叢と耳介神経支配域は完全に分離されている。この神経分節化により、耳かき行為は魔族の主要感覚野を刺激しない無効刺激に分類され、生理学的反応閾値を超えないことが示されている。
※神経解剖学的根拠:
頬部神経密度:182.4±12.3神経線維/mm2(魔族平均)
耳介部神経密度:5.8±1.2神経線維/mm2
刺激伝達効率比:頬部1.0に対し耳介部0.03 』
『はい』
『はいじゃないが』
『白目』
『フェルンちゃん天才wwwww』
『私の嫌いな天才だ』
『超高度なおまえの耳かきなんて意味ねーよというゾルトラーク』
『古エルフ語の解読でもしないと出てこない学術的知識だぞ……』
『カンネちゃん涙目』
『なぜかアナ様も涙目w』
「えっと、今度フェルンちゃんにも耳かきしてもらおうかなぁ」
『アナリザンド様なんて知りません!』
「わたしはフェルンちゃんにも女の子の友達がいたらいいなって思ったの」
わずかばかり打鍵が停止する。
フェルンちゃんが画面の向こう側で考えているのがわかる。
『フリーレン様がいらっしゃいますが……』
「でも、フリーレンとは立場が違うでしょ? フリーレンは先生みたいな存在で、対等な友達って感じじゃないじゃない?」
『……それは、そうかもしれません』
「ほら、カンネちゃんみたいな友達がいたら楽しいと思うよ? ちょっと変わった子だけど、いい子だし」
カンネはその言葉に反応して、「えへへ」と得意げに笑いながら耳かき棒をくるくる回す。
この子、回復はえーな。
フェルンちゃんたちが目指す天国は、北部高原を抜ける必要がある。
そして、そのためには一級魔法使いの同伴が必要になる。
だから、フェルンちゃんは一級魔法使いを目指すことになるだろう。
そうなれば、カンネちゃんとも邂逅するかもしれない。
ほんのわずかの時間かもしれない。
でも、袖振り合うもって言うしね。それが動機です。けして他の女の子に耳かきされてフェルンちゃんの脳を破壊したかったわけではありません。
姉ごころなんです。姉ごころ!
わかって、フェルンちゃん。
『わかりました。検討いたします』
めっちゃ長考のあと、フェルンちゃんは妥協してくれた。
そんなわけで、わたしはなんとか辛くも勝利を手にしたのでした。
配信終了後。
「おまえさぁ。やべーだろ。あれ」とラヴィーネちゃん。
「え、なにが?」
今度はわたしの膝枕に頭をあずけているカンネちゃん。
なんだかフェルンちゃんに詰められて、精神的にお疲れのようだ。
ヤバいっていうのはあれだ。
フェルンちゃんの
もちろん、いきなり魔法をぶっぱなすような危険な子じゃないけどね。
ただ――、それはわたしがフェルンちゃんのことを識っているからこそ言える言葉であって、本来的には他者とは未知の存在だ。
カンネちゃんが未知の存在に対して、あまりにも向こう見ずなところがあるのは否めない。
もっと慎重にならなければ、クレバーに。冷徹に。計算マシーンのように。
それがおそらく一級魔法使いに求められる素質だ。
だって、
オレンジ色の髪の毛の下には、細い首筋があらわになっている。
1000……2000……。
ピピピピ。魔力を隠蔽しながら、少しずつ魔力をひきあげていく。
フェルンちゃんなら気づいただろうけど、ふたりはまだ気づかない。
カンネちゃんはリラックスしてて、無垢な小鳥のようで、未知の怖さを識らない。
「おまえ、一級魔法使いになるまえに殺されるぞ」とラヴィーネが忠告した。
べつにフェルンのことを言っているわけではないのはわかった。
誰かに。何かに。あるいは自分自身の油断によって。
そうなる可能性は確かにある。
「ラヴィーネ嫌い」カンネがムスっとした顔で言う。「お姉ちゃん。もっとヨシヨシして!」
おー、よちよち。こわかったでちゅね。
「こいつ臆病なくせにお調子者だからな。アナリザンドもあんまり甘やかすなよ」
かわいい妹のためだからね。
カンネちゃんに未知を教えようとは思うよ。
でも、なんだかんだ言って、ラヴィーネちゃんも人がいい。
いや、そうではなく――。
「ラヴィーネちゃんはカンネちゃんの
「ち、ちげーよ」
はい。ストライク。
否定したところで、ラヴィーネちゃんが嘘をついているのはすぐにわかった。
人間と魔族の解剖学的な差異として、それは明らかに証明されている。
と、ここで終われば綺麗に落ちたなって感じだったのだけれども。
なんのきなしに、大陸魔法協会支部に行ってみると、いつものようにゼーリエ先生がお怒りでした。もうなんというか定番な気がするから驚きもない。
その両の手には、三十センチはありそうな極長の耳かき棒が握られている。
「どうしたアナリザンド?」
「先生、それ貫通しちゃう……」
お団子みたいに頭蓋骨が貫かれそうな長さなんだけど。
「痛くないんだよな?」
「やだああああああああ!」
セカンド耳かきはゼーリエ先生のものになるのでした。
あんまり挟まってないな?