魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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カンネ

 

 

 

 カンネちゃんが拗ねちゃった。

 

 いつもの宿で、ベッドの上で体育座りをしているカンネちゃん。

 ずうううううんという擬音が聞こえてきそうなほど落ちこんでいる。

 またまたあきれ顔の――しかし、ちょっとだけ心配そうなラヴィーネちゃん。

 そして、傍らでカンネちゃんをヨシヨシしてるわたし。しかし効果はいまいちのようだ。

 

 この経緯を語るには、一行ぐらいで済むかもしれない。

 

 要するに、前回わたしの配信に出演したカンネちゃんは、『ネトリのカンネ』として匿名掲示板にスレッドがたてられ、おもしろおかしく取沙汰されてしまったのである。

 

 みんな忘れているかもしれないけど、フェルンちゃんは伝説的な魔法使い、勇者一行の魔法使いであるフリーレンの弟子であり、()()()()()()()として知られている。いわば期待の新人であり、既にいくつかの功績をあげている魔法使いのサラブレッド。

 

 そんなフェルンちゃんに挑んだカンネちゃんは、わたしのお耳を犠牲にして、ある意味ではジャイアントキリングを成したという面もあるのだが、フェルンちゃんに学術的論破をされてしまったという事実も残った。

 

 事実として、同じ三級魔法使いだけど、フェルンちゃんとカンネちゃんでは魔法使いとしての実力は天と地ほど差がある。はっきり言えば実力不足。

 

 掲示板でも、そのことが指摘された。悪意――というほどカタチにならなくても、英雄をひきずりおろしたいというのは大衆の欲望である。そして、ニュービーも例外ではない。出る杭は打たれるのである。

 

 特に悪かったのは、カンネちゃんもムキになって降臨して、反論してしまったこと。

 

 これでもう炎上ですよ。はい。

 

「お姉ちゃん。消してよ」

 

 カンネちゃんがグスリと涙目で言う。

 ものすごく圧縮されているが、掲示板の一連の言葉を消してほしいのだろう。

 無論、ひどい言葉を投げつけた相手の発言を、である。

 このあたりは、シュタルク君と違うところかな。シュタルク君はわたしがヨシヨシしてれば、基本的に他の誰かに何かを言われても、べつにどうでもいいと思っている節があるからね。

 

「あのね。カンネちゃん」

 

 わたしはヨシヨシする手を止めずに、ゆっくりと話し始めた。

 

「ブログとかでさ、自分への批判的なコメントをすぐに消しちゃう人っているでしょ?」

 

「……うん」

 

「中にはね、『批判も歓迎!』とか『どんどん意見交換しましょう!』なんて言いながら、都合の悪い意見は光の速さで削除して、相手をブロックしちゃう人もいるんだよね。『暴力は嫌いだ!だからお前を殴る!』みたいな、ちょっと聞いただけじゃ、ん? ってなっちゃうような感じの人」

 

 カンネちゃんは、まだ俯いたままだ。

 

「どっちが良いとか悪いとか、そういう話じゃないんだよ。ただ、どうしてそういうことが起きちゃうのかなーって考えてみたことがあってね」

 

 わたしは言葉を探しながら続ける。

 

「人がさ、誰かに何かを言うときって、一種の『鏡』を見ているようなものなのかもしれないなって思うんだ」

 

――いわゆる鏡像段階。

 

 あるいはシェーマL。

 

 わたしとは()()()()()()なのである。

 

 わたしはそれを識っている。

 

「かがみ……?」

 

「うん。例えば、カンネちゃんが誰かに何かを言って、相手が反応してくれる。その反応を見て、『あ、自分はこう思われてるんだな』とか『自分の言ったことはこういう風に伝わったんだな』って、自分自身を確認するみたいな感じ。おとぎ話の女王様が『鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?』って聞くみたいにね、無意識に他の人に自分の姿を映してもらおうとしてるのかもしれない」

 

 ラヴィーネちゃんが、少しだけ眉をひそめてこちらを見ている。難しい話かな?

 

「でね、ほとんどの人は、その鏡……つまり他の人が、ある程度ちゃんと自分の姿を映してくれるものだと思ってる。それが当たり前だって。だから、もし鏡がいきなり全然違うもの。例えば、自分が話しかけてるのに無視されたり、的外れなことばかり言われたり、それこそひどい言葉を返されたりすると、『え?なんで?話が通じない!』ってなっちゃう。カンネちゃんが今、傷ついてるみたいにね」

 

 カンネちゃんの肩が小さく震えた。

 

「でもね、世の中には、その鏡がちょっと曇ってたり、歪んで見えちゃったりする人もいるんだよ。わざとじゃなくてね」

 

「……どういうこと?」

 

「うーん、そうだなあ。例えば、まだ成長途中の子とか。自分の言うことが一番正しい! 他の人は間違ってる! って思いたい時期って、誰にでもあるでしょ? ちょっと前のカンネちゃんも、ムキになって反論しちゃったみたいにね」

 

――いわゆる()()()というやつである。

 

 根拠のない自信を抱く時期は誰しもあるものだ。社会に順応する、すなわち去勢するという成長は、段階として揺り戻しが存在する。つまりは、去勢を否認して、自分の万能感を保持しておきたいというのは、人間にとっては自然な成り行きなのだ。

 

 カンネちゃんのグズリがひどくなった。

 

 しまった。今の言い方は良くなかったかな。

 

「ご、ごめんね! 今のはちょっと意地悪だったかも。でも、そういう自分の考えこそが世界の真実って強く思ってる時期って、健全な成長の一部でもあるんだよ。だから、そういう人が、自分と違う意見……、例えば、カンネちゃんの頑張りを認めないような意見とか、フェルンちゃんを持ち上げる意見とかを見ると、自分の信じてる世界が壊れちゃうような気がして、すごく嫌なんだ。だから、聞きたくないし、見たくない。それで、反射的に攻撃しちゃったり、無かったことにしようとしちゃったりする」

 

 わたしはカンネちゃんの背中を優しく撫でる。

 

「だからね、カンネちゃんが掲示板で言われたひどい言葉は、もちろんカンネちゃん自身のことについて言ってるんだけど、それ以上に、言ってる人自身の鏡の歪み――その人自身の弱さとか、未熟さとか、そういうものが映りこんじゃってる場合も多いんだよ」

 

「わたしのせいだけじゃ、ない……?」

 

「うん、全部が全部カンネちゃんのせいじゃない。もちろん、反論しちゃったのは、火に油を注いじゃったかもしれないけどね。でも、根っこにあるのは、カンネちゃんを叩くことで自分の何かを守ろうとしてる人たちの、そういう理屈なんだと思う」

 

 わたしはラヴィーネちゃんと目を合わせる。彼女は黙って頷いた。

 

「ネットの書きこみって、残念ながら簡単には消せないんだよね。それに、一人ひとりに『あなたの鏡は歪んでますよ』って言って回るわけにもいかないし」

 

 鏡自体が歪んでいる魔族に、それを言われたくもないだろう。

 わたしの立場としては放っておくしかない。

 

「……うん」

 

「だから、すごく難しいことだけど、そういう声もあるんだなって、少しだけ距離を置いてみる練習もこれから必要になるかもしれない。自分の心を守るためにね。言われたこと全部を真正面から受け止めすぎると、カンネちゃんが潰れちゃうから」

 

 わたしはカンネちゃんの顔を覗き込む。まだ涙は止まってないけど、さっきよりはずっと落ち着いているように見えた。

 

「今は辛いと思う。無理に受け流せなんて言わないよ。でも、カンネちゃんが頑張ってること、わたしもラヴィーネちゃんも、ちゃんと見てるから。それに、カンネちゃんの実力が足りないって言ったって、それは()()()()()()って話でしょ? これからいくらでも伸びるんだからね」

 

 よしよし、と再び頭を撫でる。

 

「だから、ね? あんまり落ち込みすぎないで。大丈夫だよ」

 

 ずうううううん、という擬音は、少しだけ小さくなったような気がした。

 

 まったくかわいい妹ちゃんだな。

 

 こんな魔族の甘言にすぐ騙されるのだから。

 

 

 

 

 

 人を繋ぐ魔法――インターネットは光と闇の混成魔法である。

 

 炎上はどちらかといえば、未去勢の方面、去勢否認によってもたらされるディスコミュニケーションであるから、闇の属性であるといえるだろう。

 

 では、光の属性は?

 

 それは、オトナの抱擁にあると思うところです。

 特に、包容力の高い人をわたしは存じあげている。そう、メトーデである。

 彼女は冬の間、わたしの家に住みこんで、一日十分の抱っこ契約を結んでいる。

 いや、結んでいたといったほうが正しいか。

 

「ねえ。メトーデ」

 

「なんでしょうか。アナリザンドさん」

 

「もう春だよね」

 

「いえ、まだ冬ですよ」

 

「春になったら修行しに出かけるって約束だったよね」

 

「まだ冬です」

 

 いや、明らかに春なんだが。

 外からは柔らかな日差しが差しこんでいるし、芽吹いた草花は生命を謳歌している。

 それに、フェルンちゃんを出迎えるための、()()()()も、わたしの眼球にうつりこんだ。

 ピンク色をした柔らかな花。

 これが春でなくて、なんなんですか?

 

「冬です」

 

「そうですか……。ところでメトーデって二級魔法使いなんだよね」

 

「ええ、そうですね」

 

「メトーデの場合、二級のなかでも上澄みじゃないかな」

 

「あら、私を買いかぶってくださるのですね」

 

「客観的な事実だよ。私が知ってる一級魔法使いの先生たちと比べても、メトーデは遜色ないし、今すぐにでも一級に合格できるんじゃないかな」

 

「おだてても母乳はでませんよ」

 

 メトーデは口元に微かな笑みを浮かべて、さらりとかわす。

 

 この人、わたしが――――好きなこと知ってるからな。

 

「おっぱいなんて気にしてないよ!」と、わたしは焦りつつ言う。「でも、その実力と、あとメトーデのその落ち着きっぷり。包容力っていうのかな、それは本物だと思うんだよね」

 

 要するにオトナの女性って感じ。

 

 わたしとしては、ゼンゼ先生もオトナって感じだけど、まさか一級魔法使いの試験を受けようとしている子に、一級魔法使いを引き合わせるわけにもいかないだろう。

 

 ある種のカンニングになっちゃうし。

 

 わたしはソファに座り直し、本題に入った。

 隣に座るメトーデからいい匂いがする。

 メトーデもなんだか、わたしを見る目がちょっと妖しい。いや優しい。

 

「それでさ、メトーデにちょっとお願いがあって」

「お願い、ですか?」

 

 メトーデは読んでいた本から視線をわたしに向けた。促すような、静かな眼差しだ。

 

「うん。この間、わたしの配信に出てくれた子がいるんだけど。カンネちゃんっていう、三級魔法使いの女の子。それとその子の友達のラヴィーネちゃん」

 

「ええ、見ておりましたよ。たしか、フェルンさんと……ふふ」

 

 フェルンちゃんのこともかわいいとか思ってそうだ。

 

「そうそう。でね、その配信の後、匿名掲示板でちょっと、まあ、炎上しちゃったんだよね。特にカンネちゃんが、『ネトリのカンネ』なんて不名誉なあだ名をつけられちゃって、すごく落ちこんじゃってるんだ」

 

 わたしは少し声を落とす。

 

「カンネちゃん、掲示板を消してなんて泣いちゃってさ。それで、さっきまで慰めてたんだけど、やっぱり根本的な解決にはならないじゃない? 実力が足りないって言われたのが悔しいみたいだし」

 

「なるほど」

 

 メトーデは静かに相槌を打つ。彼女の表情からは、何を考えているのか読み取りにくい。でも、きっと理解してくれているはずだ。

 

「そこで、メトーデにお願いなんだけど」

 

 わたしは身を乗り出した。

 

「メトーデの実力なら、あの子たちに的確なアドバイスをしてあげられると思うの。それに、メトーデのその……オトナの抱擁力? で、カンネちゃんの傷ついた心も少しは癒してあげられるんじゃないかなって。光の属性で、闇を中和する感じで」

 

 そう、その大きなお胸に貯めこんだ幼女パワー(アナリザンド産)で。

 

 メトーデは少しの間、黙ってわたしを見つめていたが、やがて小さく息をついた。

 

「アナリザンドさんは、私を都合の良い女扱いされるのですね」

 

「そんなことないよ! 適材適所だって! それに、()()()()()()()()使()()()()ものでしょう!」

 

 メトーデも姉ポジションに拘っていたからな。

 その気持ちは、わたしにも理解できるのである。

 ()()()()()()()()使()()()()()のだ。

 

「ふふ……まあ、いいでしょう。若い才能が心無い言葉で萎縮してしまうのは、見ていて気持ちの良いものではありませんからね」

 

 若いという言葉に、ちっちゃくてかわいい女の子という副音声が乗っている気がする。

 

「それに、()()()ですから。修行に出るまでの間くらいなら、少し面倒を見てあげるのもやぶさかではありませんよ」

 

 これは、今が冬であることを交換条件にしようとしているな。

 

 是非もなかった。

 

 交渉もうまいんだよね。メトーデって。やっぱり才媛なのはまちがいない。

 でも優しいのもまちがいない。

 

「ありがと、メトーデ」

 

 わたしはすくりと立ち上がった。

 

「じゃあ、早速あの子たちに声をかけてみてもいい? ちょうど宿にいるはずなんだ」

 

「ええ、構いませんよ。アナリザンドさんの気が済むようにどうぞ。お茶の準備でもしておきましょうか」

 

 メトーデはそう言って、静かに立ち上がり、キッチンへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 わたしのお家に人間を招き入れるのはセキュリティ的にどうかという意見もあるかもしれない。しかしながら、メトーデも住んでいる状況でいまさらであるし、かわいい妹がお家にくるのに、おいでって言わない姉もいない。

 

 つまりはそういうことである。

 フェルンちゃんが知らないところでネトラレているなんて言わないで。

 

 わたしはカンネちゃんとラヴィーネちゃんを連れて、メトーデの待つ家へと戻った。

 

 カンネちゃんは最初は渋っていたが、先ほどのわたしの説得が効いたのか、最後には素直にしたがってくれた。ラヴィーネちゃんはやっぱり保護者の視点である。カンネちゃんについてきた感じだ。もちろん、自分の実力不足を、カンネちゃんよりは冷静に判断したのかもしれない。

 

 リビングの扉を開けると、ふわりと優しいお茶の香りが鼻をくすぐった。メトーデは既にテーブルにティーセットを用意してくれていた。

 

「おかえりなさい、アナリザンドさん。そして、ようこそ、カンネさん、ラヴィーネさん」

 

 メトーデは穏やかな微笑みで二人を迎える。その落ち着いた佇まいに、カンネちゃんはもちろん、比較的しっかりしているラヴィーネちゃんも少し緊張しているのが見て取れた。

 

「こ、こんにちは……」とカンネちゃん。

「邪魔するぜ」とラヴィーネちゃん。

 

 二人は小さな声で挨拶をする。

 

「大丈夫だよ、メトーデは優しいから。ね?」

 

「ふふ、アナリザンドさんはお世辞がお上手ですね。さ、どうぞ座ってください。お茶が入りましたよ」

 

 メトーデに促され、わたしたちはテーブルについた。温かいお茶を一口飲むと、少しだけ場の空気が和らいだ気がする。

 

「さて……」メトーデはカップを静かに置くと、改めて二人に向き直った。「アナリザンドさんから少しお話をうかがいました。掲示板の件は、心中お察しします。ですが、落ちこんでばかりいても始まりませんものね」

 

 その声は静かだが、有無を言わせぬ説得力がある。

 

 メトーデの実力は未知数だが、おそらく北部高原という鉄火場みたいなエリアで戦いぬいてきた歴戦の猛者。魔法使いとしてはベテランなのである。ついでに言えば、見た目だけならクールビューティだからね。見た目だけなら。

 

 カンネちゃんがごくりと喉を鳴らした。

 

「もし差し支えなければ、お二人の魔法を少し見せていただけませんか? ほんの少しで結構です。このリビングでできる範囲で構いませんから」

 

 やはり、まずはそこからか。カンネちゃんとラヴィーネちゃんは顔を見合わせる。ラヴィーネちゃんが小さく頷くと、カンネちゃんも意を決したようにメトーデに向き直った。

 

「わ、私から……やります」

 

 カンネちゃんは立ち上がり、少しスペースのある場所に移動する。深呼吸を一つして、目を閉じて集中。そして、杖を出現させた。

 

――水を操る魔法。

 

 それがカンネちゃんの得意魔法のようだ。

 

 呑みきっていない紅茶がカップの中からふわりと浮き上がり、杖の前で静止する。液体は生き物のように蠢き、カンネちゃんの杖の動きに合わせて形を変え始めた。

 

 茶色い液体は、まず細長く伸び、くるりと丸まって、やがて、それはふさふさの尻尾を持つ小さなリスの形になった。琥珀のような、温かみのある紅茶色のリス。表面張力で形を保っているのだろう、ぷるぷると微かに震えている。

 

「おぉ!」

 

 わたしは感嘆の声を漏らした。紅茶で動物を作るとは、面白い発想だ。

 

 カンネちゃんはさらに集中し、杖を小さく振るう。すると紅茶リスは、まるで生きているかのように、空中でちょこんと前足を上げ、木の実を探すような仕草を見せた。紅茶ならではの甘い香りも、心なしか漂ってくるようだ。

 

 メトーデは黙ってその様子を見つめている。

 その表情は読み取れないが、興味深そうにしているのは確かだ。

 

 数秒後、カンネちゃんがふっと息をつくと、紅茶リスはその形を失い、元の液体となって静かにカップの中へと戻っていった。

 

「……以上です」カンネちゃんは少し顔を赤らめながら席に戻った。

 

「次は私だ」

 

 入れ替わるように、ラヴィーネちゃんが立ち上がった。彼女はカンネちゃんのように杖は出さず、ただ静かに右手を前に差し出す。杖は魔法伝導体であるが、杖がなければ魔法を発せないというわけではない。ただ、それには相応の実力を必要とする。

 

――氷の魔法。

 

 ラヴィーネちゃんの指先に、冷気が収束していくのが見えた。空気中の水分が急速に凍りつき、キラキラと輝く氷の粒子が集まっていく。生成系の魔法だ。

 

 粒子はラヴィーネちゃんの魔力によって形作られ、みるみるうちに一羽の小さな小鳥の姿になった。透き通った氷でできた、精巧な造形の小鳥。羽の一枚一枚まで繊細に表現されている。

 

 ラヴィーネちゃんが指先をわずかに動かすと、氷の小鳥はまるで命を吹き込まれたかのように軽やかに羽ばたき、リビングの中を数回旋回した。その動きは滑らかで、制御の確かさを物語っている。最後に、氷の小鳥はラヴィーネちゃんの肩にそっと止まり、そして静かに霧散して消えた。後に残ったのは、ひんやりとした空気だけ。

 

「……これで終わりだ」ラヴィーネちゃんは淡々と言い、席に戻った。

 

 メトーデは二人を見比べ、そしてゆっくりと口を開いた。その目は、二人の魔法使いの可能性と、そして課題とを、既に見抜いているようだった。

 

 二人が席に戻ると、メトーデは優しく拍手をした。

 

「素晴らしいですね。カンネさん、あなたの水を操る魔法は、とても練度が高い。一つの系統を深く、精密に扱えるのは、魔法使いとして大きな武器になります」

 

 まずは肯定から。カンネちゃんの表情が少しだけ明るくなる。

 この子、褒められて伸びるタイプかな。

 だろうね。頭がすりきれるかもって思うくらいヨシヨシを要求してきたし。

 

「ラヴィーネさんも、基本魔法の精度が高い。魔力の制御も安定していますね。基礎がしっかりしている証拠です」

 

 ラヴィーネちゃんは「ありがとうございます」と静かに頭を下げた。この子、丁寧語も使えるんだね。まあ人間なら当然の能力ではあるか。

 

「ただ――」メトーデは言葉を続ける。ここからが本題だ。「少し気になった点をお話ししてもよろしいでしょうか」

 

 二人は緊張した面持ちで頷いた。

 

「カンネさん。あなたの水を操る魔法は見事ですが、それゆえに、少し得意な形に頼りすぎているように見えました。例えば、先ほどの水を、防御壁のように瞬時に展開したり、あるいは霧状に変化させて視界を眩ませたり、といった応用はどの程度できますか?」

 

 カンネちゃんはハッとした顔になった。

 

「あんまり考えたことなかったな。私って水の生成はできないし、あれだけの量じゃそもそも……」カンネちゃんの声がどんどん小さくなっていく。

 

「得意なことを伸ばすのは大切です。ですが、魔法使いは常に想定外の状況に対応できなくてはなりません。水の特性を理解し、攻撃だけでなく、防御、補助、あるいは攪乱など、様々な状況に応用する発想力と技術、つまり『汎用性』ですね。それを意識して訓練すると、あなたの魔法はさらに輝くでしょう」

 

「でも、水がいっぱいないと輝けないんだよ」

 

「一般攻撃魔法」研ぎ澄まされた魔法のようにメトーデの言葉が飛来する。

 

「……?」

 

「ゾルトラークは使えないのですか?」

 

「え、使えるけど……」

 

「なら、なぜカンネさんは水を操る魔法が圧倒的に不利な状況で、その魔法を使う選択をしたのでしょうか」

 

「得意な魔法だから……、それに家の中で一般攻撃魔法はヤバいでしょ」

 

「ゾルトラークはそれ自体が汎用性の高い魔法です。殺傷能力――破壊性能も抑えることができます。水を操っても効果が薄い状況ならば、カンネさんは一般攻撃魔法を選択すべきだったとは思いませんか」

 

 メトーデの指摘は的確で、それでいて優しい。

 カンネちゃんも反論する気は起きないようだ。

 

「それから、お二人ともに言えることですが」メトーデは続ける。「魔法を発動する、その一瞬前の判断。そして、魔法を使いながらも、()()()()()()()()()()()()()。これが、実戦では非常に重要になります」

 

 メトーデはカンネちゃんを真っ直ぐに見つめた。

 

「掲示板で、ついカッとなって反論してしまった、と聞きました。気持ちはわかります。ですが、魔法使いの戦いにおいても、感情に流されず、冷静に状況を分析し、最適な一手を打つ判断力が求められます。どんなに強力な魔法も、使うべき時と場所、そして使い方を間違えれば、効果は半減してしまう。時には、自分や仲間を危険に晒すことすらあります」

 

 メトーデの言葉が刺さりまくってるのか、カンネちゃんがダークモードになりつつある。

 がんばぇ~。

 

「気づいておりましたか? カンネさんが魔法を使っているとき、私も魔力を高めておりました。一般攻撃魔法でいつでも狙い撃てる状態だったんですよ」

 

 今度こそカンネちゃんは愕然としていた。ラヴィーネちゃんのほうは頬に汗が伝っている。ラヴィーネちゃんの場合は、少しは違和を感じていたのかもしれない。けれど、結局はカンネちゃんと同じ。自分の魔法を披露することに集中してしまっていた。

 

 わたし?

 わたしの場合は魔族の特性で、ビンビンに感じていましたよ。

 メトーデの殺意。まあ、岡目八目って言うしね。

 

 カンネちゃんは唇をきゅっと結び、メトーデの言葉を噛み締めているようだった。ラヴィーネちゃんも真剣な表情で聞いている。

 

「魔法の技術を磨くことと同じくらい、状況を判断する眼を養うこと。これも、魔法使いの大切な修行なのですよ」

 

 厳しい指摘ではあったが、メトーデの声には終始、二人への期待と優しさが込められていた。

 というか、わたし空気だな。お姉さん力で負けてる気がする。

 

「でも、心配はいりません」メトーデはふっと表情を和らげる。「それらは経験を積むことで、必ず身についていくものですから。焦る必要はありませんよ。あなたたちには、まだ時間がたくさんあります。こんなにもちっちゃくてかわいらしいのですから」

 

 本音漏れちゃってる!

 でも、今までの文脈からはかっこいいお姉さんにしか見えない。

 策士です、この人。

 

 メトーデはカップに新しいお茶を注ぎながら言った。

 

「もしよければ、ですが。まだ()の間くらいなら、時々カンネさんたちの練習に付きあうこともできます。いまだ私自身も未熟な身ですが、ほんの少し、お手伝いできることがあるかもしれません」

 

 その言葉に、カンネちゃんの目に再び光が灯った。

 ラヴィーネちゃんも、わずかに口元を緩める。

 

「お願いします! メトーデ()()!」

 

 カンネちゃんは、今度は迷いのない声で、しっかりと頭を下げたのだった。うんうん、これで少しは前向きになれたかな。わたしはもう後方腕組コンサルティングお姉さんな気分ですよ。

 

「いいえ。メトーデです」と彼女は微笑する。

 

「?」

 

「メトーデと呼んでください」

 

「なんで?」

 

 カンネちゃんが、こてんと首を傾げてメトーデを見上げる。純粋な疑問、という顔だ。

 メトーデは悪戯っぽく輝く瞳でカンネちゃんを見つめ返し、ふわりと微笑んだ。その微笑みは、いつもの落ち着いたものとは少し違う、親密さを感じさせる響きがあった。

 

「ふふ、先生なんて呼ばれると、なんだか背中がむず痒くて」

 

 メトーデは自分の肩を軽くすくめる仕草をする。

 

「それに」

 

 彼女は少しだけ身を乗り出し、カンネちゃんの耳元に顔を寄せるようにして、囁いた。わたしの耳にも辛うじて届くくらいの、小さな声で。

 

「カンネさんが私のことをメトーデって、そう呼んでくれた方が、なんだか、ずっと可愛い気がしませんか?」

 

 その言葉には、からかうような響きと、どこか本心からの親愛のような響きが混ざっているように感じられた。カンネちゃんは一瞬きょとんとし、それから、じわじわと顔を赤らめた。

 

 どうやら、このクールビューティ(魔族を遥かに凌駕する擬態)な二級魔法使いは、年下の女の子をからかったり、懐かせたりするのがお好きなようだ。

 

 まあ、わたしも対象のひとりなのかもしれない。

 

 なんとなく、わたしのこともネトラレ匂わせて、より深くひっかけようとしているようにも思えるし……。

 

 これは罠だ! と言い切れないところがもどかしい。

 

 ともあれ、こうしてカンネちゃんとラヴィーネちゃんの、メトーデによる()()()()()()()()魔法修行が始まることになったのだった。わたしの知らないところで、二人がメトーデに懐きすぎないか、ちょっとだけ心配しつつ、わたしは温かい紅茶をすすった。

 

「アナリザンドさんくらい小っちゃいと、なおのこと良いのですけどね」

 

 むせる。

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