魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
魔族の極限魔法たる『呪い』とは、端的に言えば
あなたがたが、普段見ている風景のことを言っているのではない。
それは、あなたがたのまなざしによって加工され、脳によってろ過された現実のまがいもの。
わたしの語用において、現実とは器官なき身体でしか到達しえないリアルのことを言っている。
捉えようのない闇。言語化以前の剥き出しの生の現実。存在の陥穽。
――すなわち、現実界。
ゴミ、排泄物、汚物の入り混じるウンコみたいな場所。
人間たちが排除して、遺棄されたモノたちがたゆたう空間。
それゆえに、呪いは人間の観測をすり抜ける。
つまるところ、魔族は現実に片足をつっこんだ存在であり、それを想像界によってもたらされるイメージを触媒として現象へと変換するというのが呪いの根源的な原理なのである。
したがって、人間が現実に到達しえない以上、魔族の呪いを理解するのは不可能に近い。
もちろん、現象としての解析は不可能ではないよ。火が燃えているという現象を酸素を消費していると理解できずとも、水をかければ火が消えるということは経験上理解できるからだ。
他方で、女神様の魔法とはなんだろうか。
もちろん、女神様の魔法は現象としては『時空を操る魔法』である。
わたしはそのように解釈している。
しかし、その根源は現実界とは真逆――、言語と秩序を司る象徴界のように思える。
象徴界とは言語、法、秩序、文化、社会的なルールなど、人間たちが経済的に加工した『現実』を理解し、他者とコミュニケーションするための
女神信仰は、死にすら救いを与え、未来への希望、すなわち意味のある物語を記述する。
要するに、魔族とは対極に位置するのが女神様。
魔族は象徴界という輪っかがはずれかけている存在だから、
魔族に言葉が通じないとされるのも当然だ。
フリーレンが何度も言っている魔族とは会話が成立しえないというのは、現象としても原理としてもまったくもって正しいのである。
そんな、わたしが女神様の魔法を使えるのか。
実は、わたし。ちょっぴり不安だったりします。
ヤル気まんまんのフリーレンが傍らにいるからではなくてね。
それもちょっとはあるけど(小声)。
「アナリザンドさんは、ハイター様から聖典を引き継いでいらっしゃるのですね」
神父様の声が優しくなっていた。
聖典の出所を聞かれたわたしは、ハイターの名前を出した。
フェルンちゃんがさりげに、その経緯を証言し、わたしの発言は信憑性を増す。
ハイターに保証されたわたしは、神父様の株もかつてなく爆上がりだ。
「あの偉大なハイター様が認められ聖典を託された方であるならば、ますますお断りするわけにはいきませんね。ハイター様のお考えには、きっと深い理由があったのでしょう」
神父様の言葉に、わたしはただ静かに頷いた。
返事はしなかった。
できなかった、と言う方が正確かもしれない。
言葉にすれば否定してしまう。そんな魔族のあらがいがたい本性に逆らっていたからだ。
本当のところを言うと、そんなに深い理由なんてものは、きっと無かったのだと思う。
『死にたくはありません』
穏やかなようでいて、諦めきれない本音が滲む声。間近に迫る死を前にして、あの偉大な僧侶が漏らした、あまりにも素直すぎる言葉をわたしは聞いた。誰にでも訪れる絶対的な終焉を前にして、抗えない無力感と、それでも生きたいという切実な願い。
――人は、必ず死ぬ。
定命がある。
永遠の時を生きるエルフでもない限り、その摂理からは逃れられない。
だから、あの人は次善の策を選んだのだろう。
死を受け入れざるを得ないのなら、せめて何かを遺そう、と考えたのだろう。
ハイターにとっての意味ある死とは、きっと、フェルンちゃんがこの先も健やかに生きていくこと、その未来を守ることだったはずだ。愛娘が独り立ちできるまで、確かな道を歩めるように。
だから、わたしは、きっとオマケみたいなものだった。
フェルンちゃんが一人きりにならないように。
彼女の
それを命じるコマンドプロンプトとして、この聖典は託された。
だけど、少しは――。
この聖典を手にハイターが「興味がおありですか。私が死んだあとあなたにあげますよ」と言ったとき、わたしは小窓でしか人と相対しえない臆病者だった。いつかわたしが人を殺してしまわないか不安だった。
だから、わたしは「小窓だから受け取れないよ」と言った。
緩やかな拒絶のつもりだった。でも、ハイターはわたしの泣き言をゆるしてくれなかった。
「フェルンに託します。いつか受け取ってくださいますね」
と、そう言って、わたしのほっぺたに無理やりそのイチモツを押しつけたのだ。
象徴界の輪がはずれかけた魔族に、女神の言葉を託すという矛盾した行為。
人間は矛盾している。
ハイターは矛盾している。
綺麗に矛盾している。
「アナリザンドさん」
ハイターに呼びかけられた気がして、わたしは現実に向きなおった。
あいかわらず、神父様はやさしげな雰囲気であるが、声には厳粛さもともなっている。
「通常であれば、女神様の魔法への適性、その素養の有無は、ある程度見極めることができます。聖なる気に触れた際の反応や、祈りへの感応力などで、癒やしの力を僅かでも発現できるか試すこともあります。ですが――」
神父様は教会の指導者として告げた。
「あなたは魔族です。その本質は、我々の知る限り、女神様の教えとは対極にあるとされております。あなたが真に女神様を求めるのであれば、最も厳格な手順を踏んでいただく必要があります」
「うん。もちろん、神父様の言う通りにするね」
「洗礼は、その道のりの最終段階です。そこに至るには、長い求道期間が不可欠となります。ただ、あなたには実績がおありのようですね。私はネットというものを使っておりませんが、アナリザンドさんが三十年にわたり、人々と語り合ってきたという事実は聞き及んでおります」
長いこんマゾの歴史です。
「ですから最初のステップとして、一週間、あなたにはこの教会に滞在していただきます。私の直接の指導のもと、祈り、学び、そして奉仕の日々を送っていただきます。それが、あなたの第一の試練となります」
「推しの部屋を掃除できるなんて最高のご褒美だよね」
「そ、そうですか……。やる気があるのはよいことですね」
あれ? 神父様が引いてる。なんで?
わたし変なこと言ってる?
その時だった。
それまで黙って壁際に控えていたフリーレンが、静かに口を開いた。
「なら、私もここに滞在する」
シン、と空気が張り詰めた。
フリーレンは、いつもの淡々とした表情で続けた。
「言ったはずだ。魔族が関わる以上、悲劇が起きないように監視すると。魔族がこの教会にいる間、私もここにいるのが合理的だ」
神父様の顔に緊張が走る。
聖なる場所を闘争の場にしたくないと思う気持ちがあるのだろう。
「フリーレン様」神父様は、慎重に言葉を選んだ。「ここは祈りの場です。あなた様とアナリザンドさんが一つ屋根の下で過ごすとなれば、その緊張が、良からぬ事態を招かないとも限りません」
「対立するつもりはないよ」フリーレンは平坦な声で答えた。「ただ、監視するだけだ。そこの魔族が問題を起こさなければ、私も何もしない」
神父様はしばらく沈黙し、何かを熟考するように目を閉じた。
フリーレンの実力と名声、そして彼女がハイターの仲間であったという事実、魔族と対立してきた教会の指導者という立場。様々な要素が神父様の頭の中で巡っているのかもしれない。
やがて、彼はゆっくりと目を開けた。
「わかりました。フリーレン様の滞在を認めましょう。ただし条件があります」
「なに?」
「教会内でのいかなる争いも厳禁です。アナリザンドさんの試練を不当に妨げるような行為もお控えください。この教会の規律には従っていただきますよう重ねてお願い申しあげます」
「それでかまわない」フリーレンは短く応じた。
隣を見ると、フェルンちゃんが心配そうな顔でフリーレンとわたしを交互に見ている。シュタルク君は、明らかに居心地が悪そうに肩をすくめていた。
そしてザイン先生は空気。
はてさて――。
これから始まるは、おそらく人類史上類を見ない、人間エルフ魔族の奇妙な共同生活だ。
「フェルンちゃーん。いっしょに寝よ?」
まさかの同室ですよ。部屋数が限られていたんですよね。
氷のカタマリみたいなフリーレンを全力無視し、わたしはフェルンちゃんを勧誘する。
この妹同衾チャンスを逃すわけにはいかない。
――いつかきたるべき約束の
フェルンちゃんとの同居生活に向けて、その予行練習だ。
おおきめの白い枕をギュっと握りしめ、つぶらな瞳で堕ちろと念じる。
うおおおおお、フェルンちゃん、わたしと寝ろー!
体温高めで、まだ少し肌寒いから適温だぞー。
抱けえっ!! 抱けっ! 抱けっー!
「あ、はい。そうですね。ベッド二つですもんね」
フェルンちゃんが照れてあたふたしてる。かわいい。
「フェルン」フリーレンが冷たい声で言った。「アナリザンドをよく観察するんだ」
「え、っと……かわいらしい黒いネグリジェ姿ですが」
「そうじゃない。魔力をほとんど感じられないだろう」
「そうですね。魔力数60。グラナトでお見かけした時は5万程度はあったように思います」
「魔族の呪いだ」
「どういうことでしょうか?」
「こいつは魔族にしてはクソ雑魚のような魔力量を
いや、それがわたしの真の実力なんですが、それは……。
誇示? そうかな? そうかも。
「魔力制限をした状態では、魔力による絶対的な防御力も下がる。ゾルトラークで一撃すれば殺せる状態だ。なのに私は魔法一発すら撃ちこめない。私がこいつを殺せば、フェルンは私から離れていってしまう」
――だから、私は呪われている。
フリーレンはそのように主張した。
「あのね。フリーレン。フェルンちゃんは――」
「フリーレン様。私はフリーレン様のことも信じております。神父様との約束を破ったりしない方だと。そして、私のことを想ってくださっていることも信じております」
「そう。だからこそ、フェルンの信仰は呪いへと上書きされている。こいつは魔力もろくに使わず、ただの言葉だけでそういった状況を創り出している。七崩賢よりも恐ろしい存在だ」
フリーレンはあいもかわらず淡々と言い放った。
フェルンちゃんがフリーレンに寄せる純粋な信頼の言葉が、フリーレンの中では魔族の策謀だと翻案されてしまったらしい。
め、めんどくせー。
見てください。これこそまさにめんどくせー女ですよ!
わたしは思わず頭を抱えたくなった。なんて錆びついた……いや、凍りついた冷徹な論理回路をしているんだろう。フェルンちゃんの顔は、厳しい現実を前にしかめっつらをしていた。
ムッスウ。お餅のように膨らんでいくフェルンちゃんのほっぺ。
あわわ、このままだと風船みたいにはじけちゃいそう。
「フリーレン」わたしはできるだけ冷静な声で言った。「あなたの理屈はわかった。でも、それはあまりにも……えーっと、あまーいお菓子をつくろうとしたのに、お砂糖と間違えてお塩をどっさり入れちゃった感じに似てない?」
どうしよう。これ以上マイルドな言葉が見つからないんだけど。
「何がだ」
フリーレンは感情の読めない瞳でわたしを見る。
「フェルンちゃんの、あなたへの信頼が呪いになっちゃう? それは違うと思うよ。それは、あなたとフェルンちゃんが築き上げてきた本当の絆でしょ。それを、ウンコみたいなわたしの存在一つで上書きされたなんて。フェルンちゃんにも、あなた自身にとっても、失礼だよ」
「事実そうなってる」
「会話はひとりではできないからね。あなたの責任もあるんじゃないかな」
「フリーレン様……」フェルンちゃんは不安そうだった。自分の気持ちが呪いの一部だなんて言われたら、傷つくに決まっている。けれど、どちらかと言えば、そう思ってしまう、そう思わざるを得ない自縄自縛状態にある、まさに呪われているフリーレンを心配している視線だった。
埒があかないとはこのことだろう。
わたしはフリーレンに波長をあわせる。
「わたしは、あなたを殺せるよ。フリーレン」とわたしは言った。
フリーレンが身じろぐ。フェルンちゃんも固まる。
「魔力量だけで見ればね」
吹き荒れる魔力。
爆発的に集積される人の力。
「10億7200万……」
フェルンちゃんがわたしをHUDで観測し、呆然と呟いた。
その圧倒的な魔力に、本能的に足がすくんでいる。
できれば、フェルンちゃんには怖がられたくはなかった。
だから、フェルンちゃんと逢うときは、いつも魔力を抑えていたのに。
「だからどうした」フリーレンは変わらず焦りは見られない。
むしろ、予想とは異なる形ではあったが、魔族の呪いを視たことに、かすかに昏い喜びを感じているようだった。それでもいい。フェルンちゃんが傷つくよりは、魔族の呪いのせいにしたほうがまだマシだ。
わたしはフリーレンに言い訳を与えてあげている。
魔族の欺瞞に、本当の意味でフリーレンは騙される。
「あなたを殺すことなんてアリを踏み潰すよりも簡単なの。なのにしない。どうしてだと思う?」
「おまえは命をもてあそんで愉しんでいる」
「いいえ」
「より多くの人間を騙すためだろう」
「いいえ」
「人間を滅ぼすためか」
「いいえ」
フリーレンにはわたしの呪いを打ち砕けない。
「なぜでしょうか。アナリザンド様」
インタープリットされるスペル。
光の速さで繰り出される言葉に、わたしは刹那の時間、停止する。
いつかの時のようにフェルンちゃんはわたしを誘導しなかった。
それはフリーレンが答えに辿りつくための補助線。
フリーレンがわたしに騙されるのを防ぐ結界の役割を果たしている。
フェルンちゃんはわたしとの約束を守ったのだ。
だから、わたしも自分の中の不定を切り裂ける。
「そうされたから。そうしただけだよ」わたしは真実を唱えた。「とてもくだらない話でしょう」
その瞬間、フリーレンの瞳が、切り取られた空間に遷移するのを感じた。
なにかの風景を想起している。誰かの言葉。ふとした気づき。
「ああ……。本当にくだらない話だ」
フリーレンが初めて、わたしの言葉を肯定してくれた。
さて、フリーレンがずっと固まっているので、ここらで現実的な問題を解決したい。つまりはフェルンちゃんとの同衾に洒落こもうぜなどと考えているわたしだったが、フェルンちゃんはちょっと寂しそうな顔をしていた。
あ、これって。
「アナリザンド様」
「うん」
「今日はフリーレン様といっしょに寝ます」
「アッ、ハイ……」
さみしいことに、それはフェルンちゃんの宣告だった。
うれしいことに、それは力に対する畏れではなかった。
フェルンちゃんはわたしの言葉を「そうされたからそうした」という意味をきちんと理解してくれたんだと思う。
人間にとって、10億の声よりもたったひとりの声のほうが響くことはある。
その証拠にフェルンちゃんは、
でも納得できない。控訴したい。
今日という日は今日しかないのだから。
「フェルンちゃん。三人いっしょとかは……」
「さすがに物理的に無理です」
申し訳なさそうに言うフェルンちゃん。
フリーレンの服を脱ぎ脱ぎさせて、されるがままの真っ白エルフ。
信じられない。負けたのか。こんな赤ちゃんみたいなエルフに!
このわたしが! このわたしがぁぁぁぁ!
「妹どろぼう~~~~!」
ひとり枕を涙で濡らすわたし。
正直、フリーレンと同室なことよりも、会話にめちゃめちゃ疲れたことよりも、フェルンちゃんといっしょの布団で寝れなかったことのほうが、十億倍くらいつらかったです。
他方ザインとシュタルクは同じ部屋でハートフルモホォしてたかもしれない。