魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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収穫祭

 

 

 

 教会滞在が始まって、早くも三日が過ぎた。

 

 簡素だが清潔な部屋、規則正しい生活、神父様の真摯な指導。

 

 そして、三食の食事とささやかながらも優雅なティータイム。そのいずれも、フリーレンという名の監視衛星つきではあるけれど、最後のやつさえなければ、思ったよりも快適な日々と言えたかもしれない。

 

 朝の祈りを終え、わたし達は教会の小さな食堂で朝食をとっていた。今日のメニューは、少し硬めの黒パンと、温かい野菜スープ、それから教会の中で唯一ゆるされた贅沢品の紅茶。

 

 質素だけれど、心のこもった食事がうれしい。無料というところもポイント高い。さすがに心苦しかったので、少し魔法通貨を寄進しようとしたんだけど、神父様は受け取らなかった。代わりになぜかザイン先生が受け取って、その翌日にはすってんてんになって帰ってきてた。なんぞこれ。

 

 料理についてなんだけど、わたしもギリギリ野菜を煮こむくらいはできる。他の魔族の料理風景なんて見たことないけど、おそらく魔族としては超絶優秀な部類だと自負してます。

 

 それと、持ち回りで準備している食事だが、驚いたことに生活破綻者のフリーレンも料理ができるみたいだった。本気を出せばできるタイプだったのかと少し感慨深い。

 

 でも、だったらフェルンちゃんに毎朝起こしてもらわないで、自分で起きればいいのにと思う。

 グーたらな師匠を反面教師にして、フェルンちゃんがスクスク育ってる説、あると思います。

 

 そして、現在は食後のティータイム。

 清貧を旨とする神父様としては、贅沢に位置するこの時間はあまり褒められたものではないのかもしれないが、わたしが持ち込んだ魔法都市産の良質な紅茶を、会話とともに静かに愉しむことを、頭ごなしに否定するほどではないようだ。

 

 まあ、破戒僧と名高い弟(ザイン先生のことだ。彼は今、魂の故郷とやらで現実逃避中らしい)の奔放さを見ていれば、このくらいは可愛いものなのかもしれない。

 

――お茶を淹れるのは、いつの間にかわたしの仕事になっていた。

 

 まあ、わたしの所持品なので、当たり前と言えば当たり前だろう。

 

 わたしは自分の席にちょこんと座り、まず、温めておいた素朴な陶器のポットに、人数分の茶葉を精確に計り入れた。そして、やかんで沸かした熱いお湯を、ポットの中にそっと注ぎ入れる。ふわりと、豊かな紅茶の香りが立ち上った。蓋をして、しばし蒸らしの時間。茶葉がゆっくりと開いていくのを待つ。

 

 やがて、頃合いを見て、わたしはポットを持ち上げ、まずは神父様のカップへ、そして順番に紅茶を注いでまわった。透き通った琥珀色の液体が、それぞれのカップを満たしていく。

 

 わたしの人生の大半をかけた、おいしい紅茶を入れる魔法(物理)である。

 

「はい。神父様」

 

 わたしは両手でカップを差し出した。

 

「ああ、ありがとうございます、アナリザンドさん。いつもすみませんね」

 

 神父様は柔和な笑みで受け取ってくれた。

 

 ザイン先生。(あそこでフォーカードとか絶対イカサマだろとか呟いている)

 フェルンちゃん。(花の香りがかすかにします。素敵な香りですねって、妖精さんかな?)

 シュタルク君。(姉ちゃん、ありがとうって子犬みたいな君)

 

 そして、もちろんフリーレンにも。(エ・ル・フ・の・塩)

 

 予想するまでもなく塩対応だ。

 

「……」

 

 フリーレンは置かれたティーカップを前に微動だにしない。

 

「フリーレン様」とフェルンちゃんが短く促す。

 

「魔族にしては、悠長な趣味だ」

 

 ああ、言外の意味が透けて見える。

 

――魔族が人間を殺すのに、こんなまわりくどい毒でも使うのか?

 

 そう言いたいのだろう。

 

 もう三日目になるんだから、そろそろこのやりとり卒業しないかな。

 

「フリーレン様。怒りますよ」

 

「わかったよフェルン。形式的には感謝しておく。紅茶に罪はないからね」

 

「フリーレン様!」

 

「怒らないでよ。ちゃんとやったでしょ」

 

 フェルンママは、時として神父様よりも厳しいのだ。

 

 そんなふたりのやり取りを、わたしは紅茶をすすりながら眺めていた。なんだかんだ言いながら、この師弟の絆は深い。そして、この紅茶、思ったより苦い。

 

 忘れてた。砂糖入れなきゃ。……と思ったところで、問題発生。

 

 食堂のテーブルは、質実剛健な木製で、わたしには少し大きい。そして、目的の砂糖壺は、テーブルの中央、わたしの短い腕ではどう頑張っても届かない位置に置かれていたのだ。

 

 うぐぐ……。バカな。こんなところで。

 腕を伸ばしても届きそうにない。体を乗り出せばとれるけど、そんなはしたない真似、神父様の前でしたくない。じゃあ操作魔法はどうか。これもダメ。

 

 教会の中では魔法の使用は禁止されている。操作魔法で楽々生活なんて許されていないのである。ちなみに魔力全解放したあのときはお部屋の中に結界を張って、魔力が外に漏れないようにしてました。後から、ザイン先生にはバレてたけどね。黙っておく代わりに5万APを泣く泣く渡し……、それも今は闇の中へと消えてしまった。なんぞこれ?

 

――つまるところ。

 

 隣のフェルンちゃんに頼むのがいちばん早い。それはわかっている。

 フェルンちゃんはもう既に察している。それもわかっている。

 でも、ここはあえて――。

 わたしは、テーブルの向かい側、静かに紅茶をすすっている氷のエルフに声をかけた。

 

「ねえ、フリーレン」

 

「……なんだ」

 

 フリーレンは、カップを見つめたまま顔をあげずに答えた。

 

「そこのお砂糖、取ってくれないかな? ちょっと手が届かなくて」

 

 わたしは精一杯、腕を伸ばしてアピールしてみる。

 

 フリーレンは、ちらりと砂糖壺とわたしを見比べた。

 

 その目に宿ったのは、ほんの一瞬の……呆れ、だろうか? いや、あるいは「魔族がこんなことで助けを求めるのか?」という疑念かもしれない。魔族も助けを求めることはある。人間を騙し喰らうために「タスケテー」するのはべつに珍しくもなんともない。

 

 フリーレンにとっても見慣れた風景だろう。

 

 でも、わたしのヘルプコールは、あまりにも日常的で、フリーレンにとっては異質なものだったに違いない。

 

 わたしはあなたに助けてほしい。

 わたしは祈る。

 

――わずかな遅延。

 

 他者の心は見えない。わたしにはフリーレンが何を考えているのかわからない。

 心は見えないが心遣いは見えるというほど、妄想に――人間病に浸されてはいない。

 けれど事実は示された。

 コトリという音を立てて、砂糖壺はわたしの前に置かれた。

 神の啓示。白い指先は女神様の見えざるおててみたい。

 

 そのとき、わたしはヒンメルとのエピソードを思い出していた。

 

 

 

 

 

 どうして助けてくれるの?

 

――確かに小さな人助けだ。

 

――きっとこんなことをしたって世界は変わらない。

 

――でも僕は目の前で困っている人を見捨てるつもりはないよ。

 

 わたしは人じゃない。見てわからないの。

 

――関係ないさ。泣いてる女の子に魔族も人も。

 

 どうして。

 

――僕が勇者だからだよ。

 

 

 

 

 

「ありがとう、フリーレン」

 

 あのときヒンメルに言えなかった言葉がようやく追いついた。

 

 わたしは花咲くような笑顔を浮かべた。

 

 フリーレンの中に勇者の魂は確かに息づいているのだと感じたから。

 

 わたしはご機嫌になって、砂糖をスプーンで一杯、紅茶に落とし、くるくるとかき混ぜる。湯気と共に、甘い香りがふわりと漂った。

 

 フリーレンは、もう自分の紅茶に戻っていた。けれど、ほんの一瞬だけ、わたしの「ありがとう」という言葉に、鉄壁の氷壁が和らいだような気がした。

 

 気のせいかもしれない。エルフの感情の機微なんて、魔族のわたしにはわからない。

 それでも、ほんの少しだけ、凍てついた氷が溶けたような、そんな朝だった。

 

 

 

 

 

「そういえば、今日から収穫祭らしいですね」

 

 フェルンちゃんが、パンを齧りながら言った。

 あ、このパンよくみたら教会で出されている硬い黒パンじゃない。

 おそらく村で購入した焼き立てふわふわのやつだ。

 この子、食事終わったのに……もしかして、足りなかったの?

 お、お姉ちゃんがハンバーグつくってあげようか?(震え声)

 

「午後は自由時間だそうですけど、どうしますか?」と、フェルンちゃんは続ける。

 

 収穫祭。たくさんの出店。おおざっぱだけどおいしいB級グルメたち。

 あっ(察し)。

 フェルンちゃん、この子、またX軸に成長しようとしているな。

 冬山でだいぶんカロリー消費したのに、また増ぇるんちゃんになっちゃう。

 

「フェルンちゃん。ヘモグロビンエイワンシーには気をつけてね。気づいてからでは遅いんだよ」

 

「はい?」

 

「食べすぎ注意ってこと」

 

「あるのがいけないんです」

 

 わたしの忠告もまったく響いてないようだった。

 お姉ちゃんちょっとだけ心配です。

 いまはまだ成長期だろうからいいけどね。

 

「お祭りかぁ! いいな、行こうぜ!」

 

 シュタルク君が目を輝かせる。まだまだ少年のような心持ちのシュタルク君にとっては静謐な教会よりお祭りの喧噪のほうが好ましいのだろう。男の子はいつまでたっても男の子だ。

 

「アナリザンド様も、少し気分転換にいかがですか?」

 

 フェルンちゃんがわたしに優しく微笑む。

 もちろん、断る理由はなかった。

 

「うん。いっしょに行こうか。何か面白いものがあるかもしれないし」

 

「フリーレン様もいかがです?」とフェルンちゃんが誘う。

 

 わずかに差し出された手を見つめるフリーレン。

 

 火傷で腫れあがっていた手も、いまでは女神様の慈悲ですっかり元通り。

 

 でも、フリーレンはそこに何かを幻視したのかもしれない。

 

「私はいいや。行っておいでフェルン」

 

 フェルンちゃんは敏感にフリーレンの変化を感じ取っていた。

 わたしも、少し驚いた。

 フリーレンがわたしの監視を緩めるなんて今までなかったからだ。

 それは自信の喪失の表れか、それとも不意にフィードバックされた後悔の念なのかはわからなかったけれど、わたしは少しだけフリーレンが譲歩してくれたように感じた。

 

「わかりました。なにかおいしいもの買ってきますね」

 

 フェルンちゃんは、わたしによく似た曖昧な微笑を浮かべている。

 フリーレンのこころに寄り添えるのは、やっぱりフェルンちゃんしかいないのかもしれない。

 わたしは、少しだけ振り返り、フリーレンを見た。

 

 フリーレンは、テーブルの上に残された空になった紅茶のカップを、まるで初めて見るもののように見つめていた。その指先が、カップの縁を無意識に辿っている。表情は、やはり乏しい。けれど、その仕草には、どこか手探りをするような、答えを探しているような、ほんのわずかな戸惑いがにじんでいた。

 

 彼女もまた、『そうされたからそうした』人だから。

 いや、今はまだそうしようとしている途上かもしれないけれど。

 

 だから、わかるよ。

 

 

 

 

 

 静まり返った教会に、窓から差し込む柔らかな陽光が埃を照らしている。アナリザンドたちが収穫祭へと出かけていき、食堂にはフリーレンと神父様の二人だけが残されていた。

 

 フリーレンは、先ほどまでアナリザンドが座っていた席の向かいで、まだ湯気の立つ紅茶のカップを静かに見つめている。

 

「……よろしいのですか? フリーレン様」

 

 神父様が、穏やかな声で問いかけた。

 

「……少し、考えたいことがあって」

 

 フリーレンは短く答えた。視線はカップに注がれたままだ。

 

 神父様は、それ以上は追及せず、静かにフリーレンの向かいの席に腰を下ろした。しばらくの間、ただ紅茶の香りだけが漂う、穏やかな沈黙が流れた。

 

 やがて、神父様が再び口を開いた。

 

「フリーレン様は何か、後悔していらっしゃるのですか?」

 

 神父様の問いは、真っ直ぐにフリーレンの核心に触れていた。

 エルフよりも、魔族よりも、恐ろしいほど鋭い光の刃。

 

 フリーレンの目が、わずかに細められる。

 探るような、あるいは、少しだけ拒絶するような色。

 

「さっそく、僧侶のお仕事? 聖職者は勤勉だね」

 

 声には、いつもの平坦さの中に、微かな棘が含まれていた。

 

「いいえ」神父様は穏やかに微笑んだ。「ただ、あなたの瞳の奥に、長い旅路の中で積み重ねてきたであろう、深い悲しみのようなものが見えた気がしたものですから。……差し出がましいことを申しました」

 

 フリーレンは、ふい、と視線を窓の外に向けた。

 教会の庭には、春先の穏やかな光が降り注いでいる。

 

「後悔なら、山ほどある」

 

 ぽつり、と漏らされた言葉は、やはり懺悔のようで。

 

「私は、人間を知ろうとしてこなかった。……ヒンメルが死ぬまで」

 

 神父様は、黙って耳を傾けている。

 

「彼の考えていたこと、感じていたこと……その千分の一も、理解していなかった。隣にいたはずなのに。だから、今、こうして旅をしているんだ。人間を知るために。ヒンメルの生きた証を、ほんの少しでも理解するために」

 

 それは、フリーレンなりの告解だったのかもしれない。

 長すぎる時の中で見過ごしてきた風景たちへの、静かな悔恨。

 

「……そうですか」神父様は深く頷いた。「あなた様は、ご自身の後悔と向き合い、それを未来への糧として、前に進もうとしていらっしゃるのですね。ヒンメル様も、きっと天国で喜んでおられるでしょう」

 

 そして、神父様は決意を秘めたような表情で続けた。

 

「私の弟、ザインも同じように、後悔に囚われています。親友を救えなかった過去に。果たせなかった冒険の夢に。ザインはあなた様とは違い、後悔から目を背け、立ち止まってしまっている」

 

 神父様の強い視線が、フリーレンを捉える。

 

「フリーレン様。後悔を知り、それでも前を向いて旅を続けるあなた様でなければ、弟を再び歩ませることはできないのかもしれません」

 

 神父様の声には、切実な願いが込められていた。

 どんなに高潔であれども、女神様を信じていても、彼もまたひとりの人間に過ぎない。

 後悔しない人間などいないのだから。

 神父様はただの信徒となり、女神様によく似た姿のフリーレンに告解するように告げた。

 

「厚かましいお願いだとは承知しております。ですが……どうかザインを……。あなた様の旅に、連れて行ってはいただけないでしょうか?」

 

 フリーレンは、驚いたように神父様を見返した。

 

「神父様も見てたでしょ。わたしは魔族にすら負けている。人間のこころなんてなにひとつわからないんだよ。きっとこれからもそうだ」

 

 フリーレンの声は、自嘲的とも取れるほどに平坦だった。

 千年以上の時を経てもなお掴めない人間の心への諦念。

 あの魔族ですらわかっていることのようなのに、自分にはなにひとつわからない。

 そういう生物だからだろうか。それとも、自分がそういう存在だからだろうか。

 人間と言葉が通じないのは――私だ。

 

「アナリザンドさんは努力をされているようでしたよ」

 

「努力?」

 

「ええ、人間を理解しようと彼女も必死なのです。他種族にとって人間を理解するということがどんなに研鑽が必要なことか、私には想像もつきません。私にはあなた様も変わらないように見受けられました」

 

「それでも、あいつのほうが一枚上手だ。たった三十年で人間の認識を変えてしまったんだから」

 

「あなた様は勇者一行の魔法使い様ではありませんか。魔王を(たお)し、人々を救ったのは人類史に永遠に刻まれるべき功績です」

 

「くだらないよ、そんな功績。三百年も経てばきっと忘れさられてしまう」

 

「フリーレン様は、ヒンメル様と過ごされた時間を大切にされてらっしゃるのですね」

 

 表層的な功績に意味などなかった。

 石碑はいつか風化するだろう。

 紙はいつか崩れ去るだろう。

 人々の記憶のなかにすら遺らない。

 人間は物質的な何物をも遺せない。

 その深い深い諦念に、神父様は寄り添おうとしたのだ。

 

「ハイターも、あなたも同じだね。みんなわかったような口を利く」

 

「女神様の代弁者ですからね。時にわかったような口を利くのも仕事のうちということです」

 

 神父様はうっすらと笑った。自嘲気味に。

 

「それと、実は言いにくいんですが……」

 

「なに?」

 

「実のところアナリザンドさんには既に断られてしまったんです」

 

 魔族に先に聞いておきながら、予備的にフリーレンに聞く。

 失礼な行為だとは承知しておきながらも、藁にも縋る想いだったのだろう。

 フリーレンは良くも悪くも無頓着。

 別に貶められたなんて考えてはいない。

 

「神父様もけっこうハイターに似ているね。真面目そうに見えてずいぶんな策略家だ」

 

「過分な評価、恐れいります」神父様は丁寧に頭を下げた。

 

「それで」フリーレンの口調が少し軽くなる。「あいつはなんて言って断ったんだ?」

 

「そうですね。魔族の心は闇属性なので、停滞と安寧、やすらぎを望むとか……。人の歴史に干渉したくはないから、あの子の意志を尊重したいとおっしゃっておりましたよ」

 

「でも、それはあなたにとって満足な答えではなかった」

 

「そのとおりです。あの子は心の底では前に進みたいと考えているはずです。誰かに背中を押されるのを待っているのです」

 

「冒険者は死と隣り合わせだよ。背中を押された先が崖かもしれない。最後はザイン本人が決めるべきことだ。アナリザンドも……その点では間違ってはいない、と思う……」

 

「それでも、兄としては願ってしまうのです。たった一度切りの人生ですから」

 

「わかった。考えてみるよ」

 

 フリーレンは了承した。

 もしかすると、魔族より人間に理解を示せたことに、安堵の笑みを浮かべながら。

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