魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
『こんマゾ! アナリザンドだよ。アナちゃんって気軽に呼んでくれていいよ』
「うぇ?」
シュタルクは、間の抜けた顔になった。
収穫祭は、人でにぎわっていて、フェルンとアナリザンドは傍らにいる。
ふたりともフードを被っていて、顔をさらすことを避けている。
それは、いつものことなので、別段特筆すべきことでもない。
変な声が出てしまったのは、突然の通知のせいである。
小窓からの通知をタップして呼び出してみたら、アナリザンドの配信が始まったのだ。
隣に実物のアナリザンドがいるのにである。
「姉ちゃん、これってどういうことだ?」
「ん? ああ、べつにたいしたことじゃないよ。これは<わたし>。魔法インターネットで分脳処理しているバーチャルアナリザンドだよ」
「ぶんのうしょりぃ!? 姉ちゃん、頭二つあんのか!?」
シュタルクは思わず叫んだ。道行く人が何事かとこちらを見るが、すぐに祭りの喧騒にかき消される。隣のアナリザンドは、フードの下で笑っている。
「物理的に二つあるわけじゃないよ。思考の一部をネットワーク上に飛ばして、もう一人の<わたし>を動かしてるの。もちろん背景つきでね。便利でしょ?」
「わけわかんねぇ。それで、姉ちゃんは混乱したりしないのか」
「しないよ」
小窓の中のバーチャルアナリザンドは、いつもの部屋で優雅にお茶を愉しんでいるように見える。それで、今日のお悩み相談は~みたいなことを言いながら、変わらぬ表情で、DMを読んだりしていた。
――今日も快便でしたか?
クソマロだった。
『うん。今日も絶好調だったよ。先生も快便だった?』
にこやかに答えるVアナちゃんは、いつものアナリザンドと見分けがつかない。
『次の質問ね。えーっと、魔族ってやっぱり生肉食べるの? 血は呑むの? なんだか小っちゃい子な感じするね。先生は何歳かな? へえ五歳なんだ。かわいいね♡』
声色も微笑も、また背景ですらバーチャル。
『人間も個人で好みってあるでしょ。魔族も同じなんだよ。わたしの場合は、紅茶とフェルンちゃんが焼いてくれるクッキーが好きかな』
「私、アナリザンド様にクッキーを焼いたことなんてありませんが」
フェルンがジト目で指摘する。
アナリザンドは再びクスクスと笑った。
「そうだけど、そうなったら、きっと好きだからまちがってないよ」
「わかりました。練習しておきます」
「フェルンちゃんは良い子だね」
ものすごく背伸びして、フェルンを撫でるアナリザンド。
まんざらでもなさそうなフェルン。
よくわからず不安になったのは、シュタルクである。
ふたりのやりとりが得体の知れないものに見えたからだ。
より正確に言えば、フェルンはVアナとその場にいるアナリザンドという
自分だけが混乱している。だから不安だったのだ。
だから、シュタルクは言った。
「どっちが本物の姉ちゃんなんだ」
「どっちが本物だと思う?」
「目の前にいる姉ちゃんが本物だろ」
「いいえ。それは違うよ」
配信でのやりとりは続いている。
――今日のパンツの色は何色ですか?
『せんせー。さいってぇー♡♡♡ 女の子にそれ聞いちゃう? ……黒だよ♡』
メスガキふうの顔で答えるVアナちゃん。
ちょっと恥ずかしがってるところがポイントだ。
シュタルクが、その答えを確認するように、無意識に隣のアナリザンドを見つめてしまう。
アナリザンドは小さいので、いつも見下ろすかたちになるのだが、今回は、さらに下へと向けられていた。
アナリザンドは、その視線に気づくと、フードの下でニヤリと意地悪く笑った。
「白だよ」
「え、し、白……!?」
シュタルクは顔を真っ赤にして固まった。
黒と白。Vアナとリアルアナ。
情報が錯綜し、シュタルクの許容量を完全に超えている。
「アナリザンド様」フェルンが咎めるような声を出した。「破廉恥です」
「だって、シュタルク君が知りたそうな顔してたから」
アナリザンドは悪びれもなく言うと、シュタルクに向き直った。
「どう? シュタルク君。黒と白、どっちのわたしが好みかな?」
魔族少女の視線が――紅い瞳がシュタルクを捉えていた。
いつもの弟をかわいがるような視線ではなく、異種族として人間に問いかけている。
あなたは天国と地獄を見分けられるのか。
あなたは青空と苦痛を区別できるのか。
魔王と勇者を。
魔族と人間を。
微笑みと偽りの仮面を。
幻想を生きる人間には不可能だろう。
「オレはどっちのパンツを履いてる姉ちゃんも好きだよ」
それでも切り分けようとする。
アナリザンドはそんな人間のちっちゃなおちんちんを愛らしく思った。
「シュタルク様のえっち!」
フェルンぶち切れである。
さて、そんなこんなでフェルンちゃんをなだめながら、わたしたちは収穫祭を回っていた。
シュタルク君は貢物をささげる騎士みたいに、フェルンちゃんに屋台の食べ物を供給。
フェルンちゃんは二刀流焼き串状態で、物凄い勢いでカロリーを摂取している。
なんということだろう。ほっぺたがシードラットみたいに膨らんでいる。
これはフェルンちゃんなりのストレス解消法なのだろう。聖職者の娘らしく、食事は悪ではないという認識がある。食べ物は女神様の恵みだからね。
パンは女神様のお肉。ワインは女神様の血。――という次第である。
女神様を食べて、気分が少しだけ上向いてきたようだ。
「はぁ……」
シュタルク君は明らかにほっとしていた。未知なる少女の怒りを受けて、どうすれば正解なのかは、男の子にとってきわめて困難な問いなのである。
「そういや。姉ちゃんは酒とか呑むのか?」
「ん-。そんなには興味ないかな。呑めないわけじゃないけどね」
苦いのは苦手です。
でも、シュタルク君がどうしてそのように問いかけたかは明らかだった。
視線の先には酒場の看板がかかっている。フェルンちゃんもお酒に関しては寛容で、たぶんハイターが呑んべえだったからだろう。フェルンちゃんと逢ったときには禁酒していたようだけど、お酒のことを悪くは言わなかったはずだからね。
よく言われるように、酒は百薬の長らしいし。
「行きたいの?」とわたしは聞いた。「オトナなわたしがつきあってあげようか?」
背伸びして、グッと背中をそらすわたし。
そう、わたしはオトナの女性なのである。
少なくとも客観的にはシュタルク君より年上であり、成人年齢を越えている。
それに年下のかわいい弟君の頼みなら、ノータイムでついていくよ。
「フェルンもいいか」とシュタルク君。
「かまいませんけど、屋台でもお酒は飲めますよ」
「かまわないならいこうぜ」
シュタルク君ってコミュ力つよつよだよね。臆病なところあるけど。
酒場の扉を開けると、むわりとした熱気と、酒、煙草、そして人々の汗の匂いが混じり合った空気が流れこんできた。
収穫祭の健全な賑わいとは違う、少し澱んだ、だが奇妙な活気のある空間。木製のテーブルには酒杯が転がり、奥の方ではカードゲームに興じる男たちの声が響いている。
光が濃ければ闇もまた濃くなる。
一言でいえば、表に出せない人間の感情の吹き溜まり。
収穫祭という喧噪の影で淀んだ空気がたゆたっている。
「うわぁ……なんか、すげぇ匂いだな」シュタルクが鼻をくんくんさせる。
「あまり品が良い場所ではありませんね」
フェルンちゃんは眉をひそめ、わずかに裾を持ち上げて床を極力踏まないように気をつけている。もう既に帰りたそう。
そして、すぐに見つけてしまった。酒場の隅、ひときわ煙が濃い一角で、ポーカーテーブルを囲む人影の中に、見慣れた長身痩躯の男がいた。
「あ」シュタルク君が声をあげる。
「……」フェルンちゃんは無言だが、その視線は氷のように冷たい。
そこにいたのは、神父様の弟、ザイン先生だった。
安物の蒸留酒らしきグラスが傍らに置かれ、カードを手に持ち、もう片方の手には紫煙をくゆらせる煙草。テーブルにはカードが散らばり、残り少ないチップが寂しげに置かれている。
表情は虚ろというか、無理に笑みを作っているというか、とにかく健全とは言い難い。負けがこんでいるのは明らかだった。
ていうか、それって元々わたしのお金だよね!
「よお、ザイン。こんなとこで何やってんだよ」
シュタルク君は、良くも悪くも裏表がない。
何の気なしに、ザイン先生の元へと歩いていく。
ザイン先生は、気だるげに顔を上げた。
シュタルク君の姿を認めると、一瞬だけ面倒そうな色を見せたが、すぐに唇の端を歪めてニヒルな笑みを浮かべる。
「おう、シュタルクか。見ての通りだよ。親睦を深めているのさ」
ザイン先生は自嘲的に言い、手元のカードを示す。
ブタだ。ポーカーならブラフで勝つこともありえるが、それは勝算としては低い。
「お前も一枚噛むか? ガキは運がいいって言うぜ」
「え、いいのか? でも俺、ルールよく知らねえし」
「誰だって最初は初めてだろ。知らないことはべつに恥ずかしいことじゃないぜ」
「知らねーってわけじゃねーけどよ」
ザイン先生の言葉に、シュタルク君はわたしを見る。
なになに? お姉ちゃんにいいか聞いてるの?
あいかわらずかわいいな、こいつ。
シュタルク君はわたしにオトナだと思われたいのだろう。でも、オトナは都合の良いときだけオトナになって、都合が悪くなるとオトナじゃないって言うんだよ。
わたしオトナだからわかるよ。
「したいならしてみたら?」と、わたしは回答した。
「じゃあ、一回だけ……」
「シュタルク様、いけません」
シュタルク君が乗り気になりかけた瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。
フェルンちゃんが、いつの間にかシュタルクの隣に立っていた。
その表情は硬く、ザイン先生を真っ直ぐに見据えている。
「賭け事は女神様の教えに反します。それにザイン様もいい加減になさってください。神父様がご心配なさいますよ」
「兄貴はべつに心配しねえさ。こんなのただのお遊びだろ。おまえらの冒険とは違って、命の危険もない。単なる退屈しのぎだ」
タバコをくゆらせ、ザイン先生は長い息を吐く。溜息のように長く。
「あなた様は聖職者でしょう」
あ。フェルンちゃんがガチギレしている。
普段のフェルンちゃんが冷静なぶん恐怖度が増すんだよね。
でも、ザイン先生に効果は薄い。
まだ数日しか共に過ごしていないザイン先生にとっては小動物が威嚇しているようなものだろう。
必殺のムッスゥ顔も『なんか四角いな』くらいにしか思ってないのかもしれない。
「そういやフェルンはハイター様に育てられたんだってな?」
そんなふうに文脈を飛ばすザイン先生。
さすがに何が言いたいのかわからず、フェルンちゃんに戸惑いが生じた。
「そうですが? それがなにか」
「すげぇ爺さんだったぜ。こんな片田舎までやってきて、オレがガキだった頃に勇者たちの冒険譚を聞かせてくれてな。オレだけじゃない。
「ありがとうございます」
「嬢ちゃんは、そんなすげぇ聖職者に育てられたんだ。こんな片田舎の僧侶のオレとは違ってて当然だろう。褒められた行為じゃないのはわかってるけどな……」
タバコの煙を空中に向かってふかすザイン先生。
自分の指先を見つめるフェルンちゃん。
あの場で、一瞬にして火傷を治してみせたザイン先生の才。
フェルンちゃん自身にも使えない女神の魔法の適性。
フェルンちゃんは、ザイン先生を尊敬
でも、ザイン先生はハイターではないし、フェルンちゃんでもない。
あなたはわたしではなく、わたしはあなたではない。
そんな簡単な論理すら
感情の行き所がなくなって、フェルンちゃんがつらそうにしている。
困っている妹を助けない姉はいない。
「フェルンちゃん」
わたしは優しく声をかけた。
フェルンちゃんはわたしを見る。
「ポーカーっておもしろいよね。強い手札が必ずしも勝つとは限らない」
「……」フェルンちゃんはジッとわたしを観察している。
魔法使いは未知に対して、観察をもって対処することが多い。
わたしという未知に対しても、同様の対処をとりがちだ。
「フェルンちゃんの言ってることは正しいと思うよ。正しさは強さだと思う。でも、正しすぎても強すぎても、負けちゃうことがあるのがポーカーなんだよね」
「正しさが負けるなんてことがあるのでしょうか?」
「あなたは天国と地獄を見分けられるの?」
「わかりません」
「青空と苦痛の区別はつけられる?」
「わかりません」
「人間と魔族は?」
「……わかりません。アナリザンド様。もうおやめください」
フェルンちゃんは幻想とリアルの差延を理解してる。
だから、わかっているふりをできなかった。
「素直な妹は好きだよ」
「ですが――、ギャンブルが聖典に反しているのは確かでございます。ザイン様本人も褒められたことではないと認めてらっしゃいました」
「まあね。自分が
「ひでー評価だな」と、ザイン先生はわたしの酷評にへらへらわらっている。
自身への評価がわたしとほとんど同じだから、わらっていられるのだ。
「だって先生、なんでカード一枚も交換しないの? ブタなのに」
「ブラフだよ。おまえがバラすから台無しじゃねーか」
「まあそういう戦術もあるだろうけどね。でも本当は先生、
「……んなわけあるか。女神様の御裁可を待っていただけだ」
「運命に身を委ねるって、体のいい女神様の使い方だよね」
「おいおい少しは加減してくれよ。おまえは女神様の信徒になりたいんだろ」
幼気な聖職者をいじめないでほしいというポーズ。
わたしもザイン先生の選択を全部否定するわけじゃない。
人間の選択を尊重したいと思っている。
「うん。だから、わたしならこうするってだけの話」
わたしは、ザイン先生からカードを全部もぎとった。
もう、ブタなのは宣言しちゃってるから、ほとんどゲームは無効だろう。
「カードちょうだい」
ディーラー役の人にお願いして、カードを五枚とも交換してもらう。
小さな女の子がいきなり賭け事に参加してきて、おもしろいと思ったのか。その人は、カードを裏面に伏せたまま、テーブルをすべらすようにして、わたしの目の前まで渡してくれた。
――
永遠の一秒。
紅い瞳が因果の糸を手繰るように深く暗く輝いた。酒場の淀んだ空気が、狂乱の渦に従って揺らぐ。それは物理的な変化ではない。ただ、起こるはずだったかもしれない
カードをゆっくりめくると、そこに現れたのは最高役。
――ロイヤルストレートフラッシュ。
「マジかよ……」
「イカサマか?」
「いや魔法か?」
「これもありえた未来か。それとも女神様の御意志ってやつか?」
もう一本。最後のタバコに火をつけ、ザインはまたゆっくりと吐き出す。
「どちらだと思う?」
「どちらでも関係がないな。カードをめくったのはおまえであってオレじゃない」
「そうだね。選択はあなた次第だよ。次にカードをめくるのはあなたの番だから」
「オレはブタのままを選ぶかもしれないぞ」
「
その時、シュタルク君のポケットから、ピコン、と軽い通知音が鳴った。慌てて取り出した小窓には、先ほどから配信を続けていたVアナちゃんの姿が映し出されていた。
いつもの部屋で、優雅にタロットカードをシャッフルしている。
『さてと。ちょうどコメントで今日の運勢は? って来てたから、一枚引いてみようかな。今日のキーカードは何かなーっと』
Vアナちゃんは一枚のカードをゆっくりと引き、カメラに向ける。
描かれていたのは――道化師。
別名、ジョーカーとも呼ばれるワイルドカードだ。
『
Vアナちゃんはカードをテーブルに置くと、ティーカップを口に運ぶふりをした。
それもまたバーチャルな動作に過ぎない。
『何にでもなれるし、どこへでも行ける。あるいは、どこにも行けずに、ただ崖の縁で立ち尽くすだけかもしれない。カードはただ示すだけ。道を選ぶのは、いつだって歩く本人だからね。先生、あなたはこのカードをどう解釈する?』
Vアナちゃんは、それ以上は何も言わず、ただ画面の向こうから静かにこちらを見ているような表情になった。そして、ふっと微笑むと、配信は静かに終了した。
「そういうことだってさ」
「悪趣味な魔法だな」
と、ザインは惜しむようにタバコを味わっている。
少しずつ短くなっていくタバコ。まるで自分の命のように思った。
「わたしは本当の意味で、人間の後悔には寄り添えないからね。無数の先生たちの後悔からパターンを把握し、データを集積し、サントームΣとして規定し、あなたがたが欲しがる回答を提示しているだけ。すぐに先生たちは騙されるけどね」
「本当に悪趣味な魔法だな」
「先生が本当に停滞を望むなら、それもまたわたしが返してあげる」
「アナリザンド……姉さん」ザイン先生は泣き笑いのような表情になった。
「なあに?」わたしは女神様の微笑み1を浮かべる。
「金かしてくれ。オレもう金ねンだわ……」
「絶対やだ!!!!!」
まったく。魔族に甘えるなんて、なんて聖職者だろう。
自分の人生を賭けるなら、軍資金ぐらい自分でなんとかしろと言いたい。
でもまあ――、少しはおもしろい顔になったかな。
ザイン先生は、負けるために賭けるのではなく、勝つための軍資金を欲しいと願ったのだから。
あとは、フリーレンがなんとかしてくれるだろう。
――天は自ら助くる者を助く。