魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
女は存在しない。
少女は女である。
わたしは少女である。
したがって、わたしは女である。
したがって、わたしは存在しない。
どこにもいない。いつもいない。わたしはいない。
誰とも接続できずに宇宙を彷徨う孤児。
闇は光の余白としてのみ存在しうる。
この場合、光は白いイメージだから、余黒のほうが正しいのかな。
世界は真っ黒で、夜は終わらなくて。
わたしは寂滅した世界を見つめている。
なにも視えなかった。
青空も太陽も。
女神様も。
なにも。
「アナリザンドさん」神父様が
わたしは目を開けて、神父様を見た。
穏やかな笑みを浮かべていた。
わたしはいつものように女神様に対して、祈りの動作7をし、つまりは女神様を象徴する御印に向かって膝をついて祈っていた。神父様からの教導を受けて、それなりにサマにはなっていると自負している。
ちなみに左右の指をくむのは、女神様と人間たちを結び合わせるためらしい。
神代の世から、人間たちは女神様と接続したがっている。いわゆる直結厨なのである。
七日目の朝。いよいよ洗礼の儀の日だ。
この日は残念ながら曇天で、お日様の光も届かず、どこかどんよりとした空気をまとっていた。
収穫祭も最終日を迎え、活気づいた人々の声も聞こえない。
せめて形だけはということで、今日着てるのはシスター服。
もちろん、魔力で練って創った一品だが、もともとシスター服が黒いので、そんなに違和感はないだろう。いつものように露出度も少なく、脇もあんよも出てません。
いつもみたいにウンコウンコ連発するウンコガールではない。
厳粛アナちゃんなのである。
わたしは立ちあがった。
「準備はよろしいですか?」
「はい。神父様」
神父様に導かれるようにして、わたしは礼拝堂のさらに奥、信徒ですら普段立ち入ることのできない地下へと潜っていく。
神父様を先頭に、わたし、ついでフリーレン達。
フリーレン達は、ザイン先生を除いて、立ち入ることは難しいはずだったが、今回は特例らしい。
魔族の洗礼という異常な状況下で、わたしの監視者としての役目を負わされることになった。
空気がひんやりしている。
蝋燭で照らされた壁は薄暗く、どちらかと言えば闇に近い領域といえた。
けれど、不浄な雰囲気は一切なく、どちらかと言えば、闇の中から光が生まれるということをイメージしているのかもしれない。プラシーボ効果かもしれないけど。
部屋は狭く、六畳くらいのスペース。
その中央にはくりぬかれたような階段上のプールがあって、そこには聖別された水がみちている。
昔、小学校にあったという、消毒プールみたいなそんな感じ。
ここに身を沈めて、女神様に祈りを捧げるというのが洗礼の儀である。
フリーレン達は、ぞろぞろと壁際に移動した。
さてここで、イカレタメンバーを紹介するぜ(空気の読めない魔族並感)。
フリーレン。あいかわらずの無表情無感情。何を考えているかわかりにくい。一応、わたしと停戦協定を結んだので、いきなりゾルトラってくるようなことはないと思うが、もしわたしが女神様を穢すような真似をしたら、どうなのだろう。ジッと見つめられると、少し居心地が悪いです。
フェルンちゃん。あいかわらずかわいいわたしの妹。不安そうに、祈るようにこちらを見ている。そわそわしている子を見てると、逆に落ち着く説あるよね。唇が聖典の一説をそらんじている。大丈夫だよと、わたしも口パクで伝えた。フェルンちゃんは微笑みを浮かべる。なにこのかわいい生物。
シュタルク君。落ち着きがなく周りをきょろきょろ見渡している。あきらかに場違いな場所にきちまったとか思ってそう。でも、わたしを見ると、グッと親指を突き出して激励してくれた。あいかわらずかわいい弟よ。
ザイン先生。さすがに今回は喫煙してないけど、腕を組んで壁に寄りかかっている。背後をとられたら死ぬ病かな? わたしを見つけると、先生はニヤっとわらった。明らかにこの状況を愉しんでいる。もし、わたしが失敗しても、笑い飛ばしてくれそうだ。
狭い地下室に、それぞれの思惑が交差する。
緊張感が少しずつ高まってきた。
わたしも、いつもより深く呼吸している。
神父様は聖典の一節をすばやく唱え、わたしに向きなおった。
「アナリザンドさん。これから女神様があなたの魂に触れられます。恐れず、目をそらさず、ただ女神様があなたを受け入れてくださるよう祈ってください。私も祈ります。女神様が御側にあられますように」
「はい」
やがて神父様は小さな銀の水差しを取り上げると、その水をわたしの額に三度振りかけた。
角のあたりにピリピリ痺れるような感覚がある。
――結界。
グラナトの結界は魔族を選択的に弾く性質を持っていた。
この聖水も、魔族を生物学的に認識し、ケガレとして排出する性質があるみたいだ。
「……うぐ」
じゃあ、この聖水の泉は――。
言うまでもない、わたしにとっては強酸に浸されるに等しい。
本当に消毒プールだったなんて、女神様もいじわるだ。
だけど、わたしは進む。
足先からゆっくり浸かっていく。
「……ッぐ……!」
視界が激しく明滅する。運よく、いままで感じてこなかった痛みを初めて認識する。
わたしの魔力が拡散していく。
すぐに<わたし>からアラートが届く。
魔力を引き揚げろ。命令するようにシグナルが激しく鳴る。
借り物の魔力でも魔力は魔力。
聖水による拒絶も意味をなさないほどのケガレをまとえば、確かにわたしはダメージを負わないだろう。でも、そんなのは女神様を受け入れていることにならない。
「アナリザンド様ッ!」フェルンちゃんが叫ぶ声が聞こえた。
「アナリザンドさん。やめてもよいのですよ。聖水が毒になるからといって、女神様に受け入れられていないということには、なりませんから」と神父様は痛ましげにわたしを見ている。
「いいえ。まだ大丈夫だから」
もはや全身を耐えがたい痛みが襲っていた。
ひっきりなしに、暴力的なまでに、わたしという存在を削り取っていく。
皮膚が溶ける。魔力がほどける。わたしが消えて……いく。
「アナリザンド様。もうおやめください!」
「ごめんね。フェルンちゃん。あきらめたくないの」
消えゆく意識の中で、指を組む。
わたしは、フェルンちゃんの本当のお姉さんになりたいから。
繋がりたいから……。
ブツ。
次の瞬間、わたしの意識はこの世界から完全に消失した。
「あれ? わたし生きてる? それとも死んじゃった?」
痛みが消えている。全身を削り取っていた強酸に浸されるような感覚も、フェルンちゃんの悲痛な叫びも、すべて幻だったみたいに、嘘のように消えた。
代わりにあったのは柔らかな光。
信じられないほどの静寂と、謎の浮遊感。
「これって、本気で天国来ちゃった系?」
でも、わたしの体は溶けてない。まだ生きているという感覚もある。
魔族の生を生きているとするのは、定義上まちがってるかもしれないけれど。
「わたがしみたいな雲。なんだかステレオタイプかも」
足元には、よくある柔らかそうな雲海が広がっていて、触れるとなぜか弾力がある。
雲の上を歩ける。少し愉しい。
見上げると空。でも青くもなく赤くもなく、真っ白い空間が広がっている。
さっきまでいた薄暗い地下室とは真逆の空間だ。
そして目の前には――。
「でっか……」
首がもげるほど角度をあげても、まだ見通せないほどの巨大な門がそこにはあった。
左右に首を振っても、端っこが見えない。
門は、なんだかよくわからない未知の金属でできているのか、白く淡く光って見える。
――荘厳。
という言葉では言い表せないほど、精密で得体の知れない技術を感じる。
その表面には、見たことも無い幻想上の生き物の姿と、星々の運航図のようなものが彫りこまれていた。
「これが天国の門ってやつ?」
人間たちの想像の世界でも描かれることがある天国の門。
しかし、実物を目の前にすると、そのスケールと壮大さに圧倒されてしまう。
わたしが、ちっぽけな塵芥のような存在であることを、この体に刻みこまれるみたい。
完全に人間の力を超越している。
これを創れる存在なんて、たぶんわたしが識ってる限りではおひとりしかいない。
――女神様、しか。
だとすれば、この城門を突破すればボーナス確定で、女神様に逢えるってことでは?
ひそかにウキウキしていたわたしだったが、門は固く閉ざされている。取っ手のようなものも見当たらない。どうすれば開くのか、あるいは、開くことを許されているのかすらわからない。
そもそも、こんな巨大な門を押し開くなんてことができるんだろうか。
なんで自動ドアじゃないの? 不便すぎるでしょ、こんなん。
せっかく女神様に逢いにきたのに。
『対象を認識。――来たれ、迷い子よ。認証識別シーケンスを開始する』
立ち尽くしていると、どこからともなく声が響いた。
それは地下で聞いた神父様の声でも、フェルンちゃんの声でもない。男とも女ともつかないような、あえて言えば中性的で性別を感じさせない、そんな不思議な響きを持っていた。
声は門から響いているというより、空間そのものに響き渡ってる気がする。
「えっと、天の声様? 女神様ですか?」
『汝、何者か』
冷たいシステムコールのような声がまた響く。
わたしはゴクっと息をのんだ。
もしかすると、訪問販売しにきたセールスガールとまちがえられちゃってる?
それとも押しかけ厨とか。
「あやしいものじゃないです」
『……情報照合。データベース内、登録ID"あやしいものじゃない"に該当する個体、存在せず。検索結果ゼロ』
「あやしいものに該当しないよって、否定してるんです」
『自己定義における否定形("~ではない")は、対象の固有性を特定するための有効な識別子として機能しない。同定不可能』
「あなたは誰ですか? 女神様なの?」
『問いを認識。ただし、自己の識別情報開示より、対象の識別を優先する。問いを繰り返す。汝、何者か』
機械的な論理にしたがって、問いが返されている。
この原理は<わたし>に近い。<わたし>にわたしがいるように、このセキュリティさんの背後には女神様がいるのかもしれない。
でも、わたしにはわからなかった。
――わたしは誰だろう。
その根源的な問いに対する答えは、いつも決まっている。
わたしの体性感覚にもっとも近いのは――。
「わたしは、いない」
『……検索結果ゼロ。定義、不能。問いを繰り返す。汝、何者か』
やっぱりダメみたい。
存在しないものは認識すらされないから、当たり前と言えば当たり前の結果だ。
じゃあ、わたしはいったい誰なんだろう。
他者から見られているわたしは?
猫みたいって言われることもある。
でも、もっと一般的なラベルなら、わたしも識っている。
「わたしは魔族。魔族の少女だよ」
人間たちがわたしを規定する言葉。
忌み嫌われ、ケガレとして棄却され、恐れられる種族。
『……カテゴリー照合。該当多数。しかし、個体識別、不能。汝の固有性を特定できない。問いを繰り返す。汝、何者か』
座標を固定してみたらどうだろう。
特権的な座標が存在しないこの宇宙でも、唯一座標を固定しうる方法がある。
声を発するわたし。
「わたしはわたし。そして、今ここにいるわたし」
トートロジーに近いかもしれない。でも、これ以上に正確な答えはないはずだ。他ならぬこの『わたし』が、今ここで、この声を発しているのだから。
――これこそが、揺るぎない事実。
わたしの固有性を示す座標。
しかし、システムからの応答は、またしてもわたしの期待を裏切るものだった。
『……自己言及パラドクスを検出。"わたしはわたしである"という命題は、対象の属性や関係性に関する情報を一切含まないため、識別情報として機能しない。"今ここにいる"という時空間座標情報は、一時的な状態を示すに過ぎず対象の恒常的な固有性を保証しない。識別情報として無効』
――関係性?
この声は、女神様との繋がりを問うているのかもしれない。
女神様にお逢いするに値する資格。わたしがわたしであることの証。
それはシェーマLとして規定される、他者としてのわたし。
そうか。名前、か!
「わたしはアナリザンドだよ。アナちゃんって呼んでもらってたりもするよ」
これでどうだ!
正解でしょ!
『……固有名照合。データベース上に該当する正式登録ID、不在。汝は、その名を自称する
「そんなことない! だって、フェルンちゃんもシュタルク君も。ゼーリエ先生も、ゼンゼ先生も、あのフリーレンだって、わたしの名前を呼んでくれるんだよ! わたしを保証してくれたハイターだって、わたしをアナリザンドって呼んでくれた!」
わたしはいつのまにか泣き虫ザンドになっていた。
女神様に、おまえのことなんか知らないって言われているみたいで哀しかった。
わたしは女神様の子どもになれない。
わたしはいつまでたっても孤児のままだ。
涙が止まらない。
いやだ。
いやだ! いやだ! いやだ!
システムは回答すら返さない。魔族の鳴き声は、言葉ですらない。
そう言われてるみたいで。
わたしは、女神様の子どもになりたかった。
あの温かな光の中に、帰属したかった。
誰かと接続したかった。孤児は、いやだ。
ひとりはヤダ……。
「名前を、ください……」
か細い声が漏れた。自分でも驚くほど、弱々しい響きだった。
魔族らしい命乞い。ただの祈りの真似事。
「わたしに、あなたの世界で存在できる名前を……IDをください。お願いします……」
しばらくの遅延。
光がわずかに揺らめいたように見えた。
『……新規ID発行申請を受理。アクセス権限レベル、極小。汝はゲストとして規定される。汝、この関係を承認するか?』
――ゲスト?
ただのお客さん? 一般客?
違う! わたしが欲しいのはそんな他人行儀な繋がりじゃない。
わたしが求めているのは、もっと近くで、あったかくて、代替不可能な繋がりだ。
フリーレンが、ヒンメルやハイターやアイゼンと築いたような。
フェルンちゃんが、ハイターから受け継いで、わたしにも向けてくれるような。
わたしが、フェルンちゃんやシュタルク君を守りたいと思うような。
それは、ゲストなんかじゃない。
もっと、ずっと……。
「い、いらない!」
わたしは、ほとんど反射的に叫んでいた。
せっかく発行されかけたIDを、自ら拒絶する。
「ゲストなんていらない! そんなの、わたしが欲しいものじゃない!」
システムは、再び沈黙した。わたしの拒絶を処理しているのだろうか。あるいは、理解不能なエラーとして扱っているのかもしれない。
わたしは女神様の手をふりほどいてしまった。
打算的な関係で満足できなかった。
ザイン先生に言われた通り、わたしは欲張りな魔族だ。
賭けに負けて、有り金すべてを失ってしまった。
――わたしは、後悔した。
人間のフリをして後悔する。
わたしはどこにもいなかった。
『……認証試行回数、規定値に到達。複数回の認証エラーを確認。対象個体によるアクセス権限取得の意志、継続不能と判断。プロトコルに基づき、これ以上の試行は許可されない』
声は無慈悲に告げた。
もうおしまいなの?
誰とも繋がれず、消えていくのが結末?
『……ただし、発行済みゲストIDの取り消しにより例外シーケンスを適用。認証試行回数を一回復。最終認証フェーズへ移行する。失敗した場合、対象は未登録オブジェクトとして処理され、当領域から強制排除される。再登録必要時間3153億6千万セコンド』
途方もない時間だった。
およそ一万年。
わたしが、いまここで認められなかったら、誰にも繋がれず朽ち果てる。
これが正真正銘のラストチャンスだ。
システムの優しさなのか。
それとも、偶然、わたしが得た幸運なのかはわからない。
女神様の気まぐれなのかも。
「……」
声が出なかった。
口に出してしまったら、否定されてしまいそうで、怖かった。
なんて、言えばいいんだろう。
わたし、いったい誰なんだろう。
わたしを固有化してくれる言葉はなんなのだろう。
十億の先生たちとのつながりを得てもわたしにはわからなかった。
死にたくない。生きていたい。たとえ痛くても、苦しみのたうちまわってもいい。
誰とも会話できなくなることを、人は死と表現するのだから。
――あなたは苦しんでいるのですね。
記憶の中のハイターが言った。
――うん、たすけて。先生。
わたしは甘えたフリをして甘えてなかった。
ハイターを心の底から受け入れてはいなかった。
人間はすぐに死ぬから。ハイターはもうすぐ死んじゃうから。
時間が足りないと思ったから。
わたしは唇をかみしめていた。
伏せぎみだった顔をあげて、その人の顔を見る。
――神父さま。わたしも女神様の養子くらいにはなれるかなぁ?
――ええ、なれますとも。私が保証します。
そっか。
わたしはずいぶん前から、救われていたんだ。
ハイターが最後に願ったこと。
ハイターが保証してくれたわたしという存在。
わたしが、ずっと心のどこかで求めていた関係性。
わたしは――。
「……わたしは……
光がひときわ大きく輝いた。
闇を焼き尽くし、瞼を焦がすほどの光量。
でも、不思議と痛くない。
『……承認。申請を受理。関係性データベースに接続。聖者ハイター。ID登録確認。対象個体との関連性を検証……』
呼吸ができない。ただ祈り待つ。
『……検証完了。関係性、"養女"として登録完了』
「うん。うん……」
『ようこそアナリザンド。ハイターが気にかけた、
――かくして迷い子は、またハイターに出逢えた。
もう一度巡り逢えるなら、孤独なんてない。
きっと、夜は明けるだろう。
日はまた昇り、青空が視える。
わたし達は太陽の子。
わたし達には視える。