魔族少女のエロタナティブ 作:アナリザンド
「ひまひまザンド」
アナリザンドは、大陸魔法協会の支部、いつぞやからかゼーリエ先生によって仮初めのねぐらとしてあてがわれた客室の窓辺で、外を眺めながらぽつりと呟いた。
ザイン先生の村での洗礼騒動から、はや数週間。
フリーレン一行はあいかわらず天国を目指して旅を続けており、アナリザンドがいてもいなくてもその歩みは途切れることはない。
当のアナリザンド本人は一時的に離脱し、特にやることもなく、オイサーストで無為な時間を過ごしていた。
休暇と言えば聞こえはいいが、いまのアナリザンドは何もしていない。
配信で先生たちと文化育成にいそしむのも楽しいが、そればかりでは飽いてしまう。
マンガも、ラント君という名の自走式永久機関がいるので、わたしはほとんどノータッチ。レルネン先生はわたしが何も言わないでもゲーム創りまくってるし、なんなら他の先生たちも創作にいそしんでいる。レンゲちゃんは最初から神だった。
わたしが手を加えることはもはやほとんどない。
フェルンちゃんたちと旅をするのも愉しいが、それも道中は変わり映えのない景色。ただの――森。森、魔物。村。森、森、丘。森。時々城。森。魔物。森。山。森。村。森。森。森。
ほとんど森やんけ。
リアルでの旅なんてこんなもんだけど、RPGのようなイベントのない期間は退屈の一言。
正直、旅は向いてなかった。
人間観察も少し食傷気味。
先生の感情の起伏や社会の複雑さは興味深いが、パターンが見えてくると作業感が否めない。もっとこう、予測不能で、わたしの心をかき乱すような
ちらりと小窓を開き、匿名掲示板を覗いてみる。
アナ様で破産した件について。
アナ様会話サービスで結婚サービス取り入れたらどうかって提案してみた。
悲報。アナ様回復サービス使っても、わいの禿が治らない。
――いつも通りのレジデューアルデータ。
つまり、ウンコみたいな雑談のカタマリ。
これはこれで心地よい胎内のような安心感はあるけれど、刺激が足りない。
「はぁ……どこかにおもしろそうなダンジョンとか落ちてないかなぁ」
ないものねだりをしていると、不意に部屋の空気が重くなった。ピリリとした魔力の圧。アナリザンドは無意識に背筋を伸ばす。
この感覚は知っている。
ノックがされることもなく、返事をする間もなく、ギィ、と重厚な扉が開かれる。
「引きこもりか。アナリザンド」
そこに立っていたのは、見慣れた金髪のエルフ――大魔法使いゼーリエ先生その人だった。いつものように玉座にけだるげに座っているわけではなく、手ずからわたしをお呼び出しとは珍しい。
「先生。こんマゾ。何か御用かな?」
わたしは猫のように警戒心を隠しつつ、しかし愛嬌たっぷりに微笑んでみせる。
ゼーリエ先生は、そんなわたしの小芝居には特に反応せず、ただじっとわたしを見つめていた。その瞳の奥には、いつものように底知れない深淵と、いつものような
ゼーリエ先生は、女神様を選んだわたしを、本当の意味で突き放さなかった。
ここでは書けない――絵にも描けないようなおしおきはされたけど、それは逆に、わたしを受容しているということだ。
おそらく、ゼーリエ先生には『自分』と『それ以外』しかなく、わたしに女神様要素が付着したところで、『それ以外』というカテゴリーは変わらないからかもしれない。
でも少しは、わたしに執着してくれてるとうれしい。
「暇を持て余しているようだな」と、ゼーリエ先生が言った。
「え、なんでわかるの?」
「緊張感がない。魔族としていつ消滅してもおかしくないという不安が欠けたせいだろう」
先生もずっとそうだったからわかるってことかな。
まあ、ゼーリエ先生、殺しても死ななそうだもんね。
永遠を生きる予感が、退屈を誘発するという理屈だろうか。
「最近、少しだけマンネリ気味かなって」
「だろうな」ゼーリエは満足げに頷くと、命令するように言った。「ちょうどいい。おまえに仕事をくれてやる。せいぜい感謝するがいい」
「仕事? わたし一応先生の顧問扱いで、ここの職員じゃないんだけど」
わたしはむぅ、と唇を尖らせて抗議する。
雇用関係も結んでいないのに、ただ働きをさせようとするなんてひどい。
「口答えするのか?」冷たい視線がわたしを貫く。「まあいい。これは命令ではなく提案だ。おまえにとっても悪い話ではないはずだぞ」
「どんなお仕事なのかな?」
警戒しつつも好奇心が勝る。退屈なのは事実なのだから。
「ゼンゼだ」
「ゼンゼ先生がどうかしたの?」
「あいつは今、一級魔法使い試験の下見のため、近郊のダンジョンに潜っている」
「ふうん。それで?」
「どうにも手こずっているらしい。あいつの専門は魔法基礎学や理論構築であり、実戦的にいえば、
なるほど。ゼーリエ先生はゼンゼ先生の進捗状況を心配しているわけだ。
ゼーリエ先生が、ツンデレすぎる件。
「それで、わたしに手伝えって?」
「そうだ。おまえのそのふざけた転移能力と、馬鹿げた情報処理能力があれば、ゼンゼの助けになるだろう。ついでにいえば、おまえがハイハイして逃げまわるだけしかなかったあの頃から、少しは成長したか、知る機会にもなる」
やっぱりわたしのこと、おもちゃかなにかだと思ってる!
わたしはムッスゥ顔を選択したが、内心では少しワクワクしていた。
ゼンゼ先生とのダンジョン探索。それは確かにおもしろそうだ。
知的でクールで大人な先生と、ふたりきりでダンジョンデート。愉しそう。
「わかった先生。お仕事、引き受けるね」
「よろしい」ゼーリエは満足げに口角を上げた。「報酬はそうだな。私の気が向けば、何か魔法でも教えてやらんでもない」
「ほんと!? じゃあ、借金を半分にする魔法を――」
「そんな魔法はない」
ごもっとも。
ゼーリエ先生はそれだけ言うと、くるりと背を向け、扉へと向かう。
「あ、先生!」わたしは呼び止めた。
「なんだ?」
「ゼンゼ先生に連絡は?」
「不要だ。突然現れて驚かせてやれ。その方がおもしろいだろう」
やっぱりこの人、性格悪い。
わたしは、ゼーリエ先生の背中に向かって、小さく舌を出した。
「せいぜい励むことだな。零級魔法使い」
扉が閉まる直前、そんな言葉が聞こえた気がした。
――顧問というより弟子。
そう強調するところが、先生のツンデレなところなのである。
――さて、と。
わたしは気を取り直して、ゼンセ先生の気――じゃなくて魔力を探る。
「ゼンゼ先生、待っててね! いま逢いにいきます!」
わたしは軽い足取りで空間に溶けこむように転移した。
未知なる冒険と、ゼンゼ先生との知的な会話に胸を躍らせながら。
あるいは先生の髪の毛で触手プレイも捨てがたい、なんて妄想をしつつ――。
ひやりとした石の感触。
転移先は、明らかに人工的な建造物の内部だった。
ここはおそらく入口近く。ゼンゼ先生の気配を近くに感じる。わたしの転移は、人間の意識をアンカーにしているので、ゼンゼ先生の意識が入口から到達したところまでが転移範囲に含まれることになる。
べつにゼンゼ先生のすぐ
ここは洞窟のような天然のダンジョンというわけではなく、古代の遺跡があとから魔物が出没するようになってダンジョン化したようなタイプ。神殿みたいな感じだろうか。あるいはお墓?
「ここがダンジョンかぁ」
ひとけのない空間だった。
誰にも見られていないのであれば、息苦しい外套を纏う必要はない。
わたしは魔力で編まれたそれを霧散させ、いつもの軽やかなゴシックドレス姿に戻った。
魔力量も平常運転。
フリーレンの言うところのクソ雑魚レベル。素であるところの60程度に落ち着かせる。
隠匿の必要もないだろう。
どうせこのダンジョンにいるのは、ゼンゼ先生と、あとは魔物くらいのはずだ。
空気は重く、埃と、それから微かな魔力の残滓が混じり合った独特の匂いが鼻をつく。
壁面にはびっしりと、見たこともない複雑怪奇な紋様が刻まれており、それ自体が弱い魔力を放っているようだ。
通路は奥へと続いており、等間隔に設置された魔導灯らしきものが、ぼんやりと青白い光を投げかけているが、それでも全体的には薄暗い。
「なんかピラミッドの中って感じ? 呪われたりしないよね」
――まあ、魔族自身が呪いみたいなもんだけど。
わたしは周囲を見回しながら呟く。ここを選んだのは、ゼンゼ先生か、それとも稟議を通したゼーリエ先生かは微妙なところだったが、一級魔法使いの試験場になる予定の場所だ。命の危険もある高難度の場所が選ばれている可能性が高い。
そうでなければ、ゼーリエ先生が、「ゼンゼがてこずっている」などとは言わないだろう。
ゼンゼ先生、一見すると合法ロリだけど、超優秀だからね。
わたしが見る限りゼンゼ先生に勝てるのはレルネン先生くらいかなぁ。
魔力を探ってみる。ダンジョンの奥深くから、複数の比較的強い魔物の反応と、そしてひときわ大きく安定した、それでいて研ぎ澄まされた魔力の流れを感じる。
――間違いない、ゼンゼ先生だ。
わたしは魔族の本能――というよりは、わたしの趣味と言うべきか――に従って、獲物に忍び寄る猫のように、音もなく通路を進む。やがて少し開けた空間に出た。
そこは広間のようになっており、中央には祭壇のような石の台座が鎮座している。そして、その壁面の一つに、ゼンゼ先生が向かい合っていた。
雲のように豊かで、足元に届きそうなほどのスーパーロングヘア。
壁面を仰ぎみる姿は、知的でかわいくて、一見するとロリがものすごく背伸びしているようにも思える。実年齢不詳のロリおばさ――。いや、オトナの女性。
先生は壁に刻まれた古代文字とおぼしき文字列を、真剣な表情で解析しているようだった。時折、手にした魔導具――ペン型の測定器のようなもの――で壁に触れ、魔力の流れや組成を調べている。その集中力は凄まじく、わたしの接近には全く気づいていないようだ。
ふひひ……。
先生の髪の毛にダイブしたら、どう反応するだろう。
そんないたずら心が湧いた。
――ステルス。
魔力を隠匿する外套をわざわざもう一回身にまとう。
わたしはゼンゼ先生の真後ろ、吐息がかかるほどの距離まで音もなく近づいた。
隠れ鬼がタッチする気分。
これなら気づかれまい。そして――。
「せんせ――」
耳元で囁こうとした、その刹那。
ドシュッ!
という、空気を切り裂く鋭い音と共に、銀色の閃光がわたしの喉元をかすめた。
わたしの姿を認めた一瞬、大きく見開かれる目。
ゼンゼ先生と視線が交差した気がする。
一歩も動けなかった。
というか、反応すらできなかった。
振り返ると、わたしの立っていた背後の壁が、深く抉れている。
攻撃の主は言うまでもない。
ゼンゼ先生の長くしなやかな銀髪が、ドリルのように尖り、槍のように伸びたのだった。
でも、それは――わたしの姿を認識した瞬間に、わずかに逸れた。
「ぴゃ~~!」
わたしのクソ雑魚反射神経はそのずっと後になってようやく反応をみせた。
こ、殺されるかと思った。
いや、先生は一瞬で髪の毛をコントロールしてくれたのだろう。
もし、わたしを認識しないままだったら、断頭台のゼンゼになってたよ。
たぶん、わたし、首無しザンドになってた。
首つながってるよね?
わたしは涙目になりながら、ぺたぺたと首元を触る。
「……アナリザンド。君か」
ゼンゼ先生は驚きと、それと同じくらいの大きな安堵があるみたいだった。
わたしを殺さなかったことに、先生は安堵しているみたい。
「先生ひどいよ。死ぬかと思った」わたしは抗議の声をあげる。
「それはこちらのセリフだ」
ゼンゼ先生は、髪の毛でできた凶器を静かに収めながら言った。
「どういう意味?」
「君を殺すところだった。ダンジョンは危険な場所だ。不用意に他の冒険者の背後から近づいてはいけない。子どもの遊びじゃないんだ」
本当に怒っているみたい。
いつもの優しいゼンゼ先生が静かな気迫のようなオーラをまとっている。
「初めてのダンジョンでわからなかったの。ごめんなさい」
わたしは素直に頭を下げた。
ゼンゼ先生が軽くため息をつく。
「まあいい。次からは気をつけるんだ。ゼーリエ様から言われてきたのか?」
「うん。そうだよ。先生のこと手伝いたくて」
「そうか……」
顎に手をあててなにやら考えているゼンゼ先生。
わたしに何が手伝えるか算定しているのだろうか。
「ゼーリエ様も心配性だな」
「心配になるのも当然だよ。先生自身が危険と認識してる場所に、ひとりきりで来てるんだよね。かなりリスクが高い行為だと思うんだけど」
「私には責任があるからな」
「責任って?」
「試験官が、試験の難易度や命のリスクを見積もらないまま、それを試験の内容にするわけにはいかないだろう。一級魔法使いという人類最高峰を目指す以上、当然命の危険も伴う。だが、自己責任とはいえ、いたずらに命を散らすのは忍びない」
だからって、ゼンゼ先生がリスクを一身に背負う必要はないと思う。
「他の先生たちに同行を頼めばよかったんじゃ」
「このダンジョンは未踏破なんだ。何が起こるかわからない。
自分ならひとりでなんとかできると考えているんだ。
「すごい自信……」
「当たり前だ。一級魔法使いは人類最高峰に位置しているんだ。これくらいできて当然だ」
「先生、かっこいい」
「わたしのことをかっこいいと言ってくれるのは君くらいだな」
「そうなの? 周りが優秀すぎるせいかもね」
「あいかわらず君は優秀な魔族だな」
ゼンゼ先生の髪の毛の一部が、するりと伸びてきて、わたしの頬を優しくくすぐった。
なんだか、猫じゃらしで遊ばれている子猫のような気分だ。
でも、嫌な感じはしない。むしろ、少し心地いい。
もっと褒めてくれていいのよ。
「ところで、先生。いまなにしてたの?」
「壁を調べていた」
促されるように視線をやると、確かに壁だ。
「壁がどうかしたの?」
「この墓は魔法の全盛期統一王朝時代に建てられたものだと推察されるが、この壁の部分だけは妙に古いように思う。炭素年代測定をすると、計測不能なうえ、どうにも既存のどの言語体系とも完全に一致しない。部分的には類似点が見られるのだがな」
ゼンゼ先生は、ペン型の魔導具で壁の一部を指し示しながら説明してくれる。
さすが先生、仕事が丁寧だ。
「お墓の部分が、後から建てられたってこと?」
「その可能性は高い。この先の
「何かって?」
「それがわからないから調べている」
「ふぅん……。わたしも調べていい?」
「もちろん」
「じゃあ失礼して」
わたしは壁に近づき、解析を開始する。
複雑な幾何学模様と、象形文字のようなものが組み合わさった、非常に難解な言語体系だ。ゼンゼ先生は隣で自身の知識と照らし合わせながら、解析を手伝ってくれた。
先生のメモには、いくつかの文字に対応するであろう意味や、文法構造に関する推測がびっしりと書き込まれている。
わたしは壁の文字とメモを交互に見比べる。
脳内のデータベースにアクセスし、関連情報を検索。
言語パターン、歴史的背景、魔法体系の変遷。<わたし>の超並列思考が瞬時に情報を処理していく。数多の文献、伝承、遺跡調査の記録、スレッドの他愛のない噂。
その膨大な情報の中から、類似する可能性のあるデータをピックアップしていく。
未知というダンジョンをマッピングしていくような感覚だ。
「……あ、これって」
やがて、データベースの片隅に引っかかったのは、古代における月に対する信仰や、星々の運航に関する神話の記述だった。
「先生、この幾何学模様なんだけど」わたしは壁の一部分を指差す。「古代の星図や、月信仰で使われてたシンボルにすごく似てる気がする。ほら、この円と欠けた円の組み合わせとか、星屑みたいな点の配置とか」
「月信仰の? ここは月を祀る神殿だったのか?」
ゼンゼ先生が訝しげな目を向ける。
「そうかなって――、だって、この月を象徴するマークを境にして、文字が反転しているように視えるよ。つまり、文字は通常左から右に読むようにデザインされているんだけど、月のマークが現れたら右から左に読むみたいな感じだろうと思う。もっと複雑なルールはあるかもしれないけど、だいたいはこんな感じ」
「月――、太陽の光を反射する鏡、か」
「参考になった?」
「ああ助かった。君の知識はあいかわらずすごいな」
また先生にご褒美をもらう。とろとろザンドになっちゃう。
ひとしきり髪の毛でヨシヨシされた後、ゼンゼ先生がペンでの記述を止めた。
「ここはもういいだろう」
ゼンゼ先生といっしょに次のポイントへ向かう。
――道すがら。
「女神教との関連では、月は微妙な存在ではあるな」とゼンゼ先生。
「女神様が太陽だとすれば、月は何って話?」
「そうだ。もちろん、太陽も月も星々も女神がすべて創造したというのが一般的解釈だが、超古代――神話の時代ではそうではなかったのだろうか。月こそが女神だったとか?」
「ゼーリエ先生が匿名掲示板で言ってたけど、太陽はソース。つまり魔力の根源的本流であり、各々の魔力を与えられた存在からしてみれば、魔力の増幅装置だよ」
「では、月は?」
「月は、いわゆる一般的な魔法を使う際に使いやすいように加工された魔力を放射してる。だから、魔族にとっての太陽は月かな。魔法使いにとっても、そう」
「魔力の原液を使うのが僧侶たちで、魔法使いは薄めたカルピスを呑んでるようなものか」
「そうだよ。とはいっても、女神様の力も人の子が扱えるように調整はされているけどね」
「魔族は月を信仰しているのか?」
「魔族は自己完結的な生物だから、何かを信仰するということは非常に稀だよ」
そもそも関係性を持たないというか、持てないというか。
オレオール先生曰く「お、なんかこいつ光ってんな」って思われたのはリーニエちゃんくらいだからね。
「君は魔族ではないのか?」
「魔族だよ。でも人間だよ」
「どっちなんだ?」
「どっちも」
「君はインターネットみたいな存在なんだな」
いつかの問答を思い出して、ゼンゼ先生がクスリとわらった。
でも、先生だってロリなのにオトナなので似たようなものだと思う。
わたしも釣られて笑う。
――先生とデートしてる気分ですごく楽しかった、から。
「アナリザンド」
「ん?」
「そこに罠がある」
ゼンゼ先生が髪の毛で、わたしの一歩前の床を指し示す。
HUDで観測してみると、確かにちょっと魔力の質が異なる。
「あ、本当だ。先生よく気づいたね」
「これくらい、一級魔法使いなら当然だが――、君は魔力はちゃんと上げているか? 最低でもゼーリエ様と同じくらいには上げておいたほうがいい。不慮の事故が起こらないとも限らない」
「うん、わかった。それと――、この罠だけど、あえてかかってみてもいい?」
「わざと、か。なぜだ?」
「魔力を500万くらいまであげてれば、死ぬことはないだろうし、どれくらいの危険な罠かわかってたほうがいいんじゃないかって思って」
「君はどれくらいまで魔力数を上げられる? 限界は?」
「えっと……。1000億くらい?」
「…………そうか。まあ、わかった。とりあえず500万ほどあればいいだろう」
ゼンゼ先生が、十数メートルほど下がる。
「先生、この罠。ボッシュート系じゃなければ、圧迫系だったりしないかな」
「両側が細い通路になっているし、その可能性も高いか」
「もう少し下がって、その通路の一区切り前まで下がって見てて」
「わかった」ゼンゼ先生がさらに後退する。
「おいしょ」
わたしはジャンプして罠を踏みぬいた。
――――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ―――――。
途端に両側からせりだしてくる壁。
この遺跡を創った人は大変ご趣味がよいようだ。一気にスピーディに押しつぶすんじゃなくて、あえてゆっくり迫ってくる。そして、ご丁寧にトゲトゲまで出現し、脱出のための道は突然せり出した壁によって阻まれてしまった。唯一の脱出路は、暗闇の向こう側にあるかもしれない道だけだが、おそらく百メートルほど進んでも、そこも壁になってるんだろうな。
「お次はでっかい岩が転がってきたりするのかな」
「何をしている。早く脱出しろ!」壁の向こう側から先生の声がかすかに聞こえる。
「ん――」
操作魔法で無理やり破壊してもいいだろうけど、それだと後から試験会場として使えなくなるかもしれない。こんなとき、一番効率的なのは決まってる。
「ほい」
つまりは空間転移。ゼンゼ先生の隣にワープして危機回避だ。
「わかっていたが、君はチートもいいところだな」
「危なそうだから、ここはやめとく?」
「いやHUDで回避可能だし、即死でもないなら事前にそれなりの準備をしておけば命のリスクはそれほどないだろう」
壁はしばらくすると、また元に戻った。
さらに道を進むと、今度は細い道から、多少開けた空間にきた。
円形の闘技場みたいになっている。
その真ん中に、ぽつんと古めかしい宝箱が置いてあった。装飾はシンプルだが、使われている素材は年代を感じさせ、どことなく神秘的な雰囲気を漂わせている。
「宝箱……!」
わたしの目がキラリと輝く。RPGのお約束!
初めて見る本物の宝箱に、冒険心がくすぐられる。
思わず駆け出しそうになるわたしだったが、ゼンゼ先生が髪の毛で行く手をさえぎった。
「ミークハイト。赤。ミミックだな」
――ミミック。
宝箱のかたちをした魔物である。
開けた瞬間に冒険者を丸呑みにするといわれている。
「えー、でも、その魔法って99パーセントの識別確率でしょ」
わたしはソワソワしていた。
初めての宝箱。
もしかすると、中には財宝がザクザクだったりするかもしれない。
きらきら輝く太陽のような金貨様。
お星様のような銀貨様。
武骨だけど熟練の冒険者のような銅貨様。
まだ見ぬ星々がこの中に!
たとえ、1パーセントの確率だとしても、見逃すのはあまりにもったいない気がした。
「いくらなんでも、こんな単純な罠にかかる馬鹿はいない。アナリザンド、君が理性的な判断をすることを願っているよ」
「んんんぅ」
でも、そこにお宝があるかもしれないのに。
「リスクがあるからこそ、リターンがあるんだよ。先生」と、わたしは言った。
「適切なリスク管理があってこそ言えるセリフだな」
「でもね。なんか、この宝箱。年代物って感じだし――、ここって未踏破なんでしょ」
「実を言えば、先遣隊が一度は通っている。このあたりくらいまでは来ているはずだ」
悲報。ここは処女ダンジョンじゃなかった。
「でもでも、この宝箱は見逃されたかもしれないでしょ」
「こんなあからさまな場所に置いてある宝箱を見逃さないと思うが……」
「わかった。じゃあ危険がなきゃいいんでしょ!」
「どうするつもりだ?」
「こうするの!」
グッと腕を伸ばし、わたしは宝箱を捕捉する。
空中に浮かせて――、カギの部分を無理やり力でこじあける。
開けた瞬間に襲いかかる魔物なら、そうならないように動けないようにしておけばいい。
そして、そのまま無理やり開錠する。
500万パワーはもはやファイナルキー同様。開けないカギなど存在しない。
「むおりゃ!」
わたしは宝箱を無理やり引き裂いた。
ブチっ。ぶちゅうううううううしゃあああああああ。
嫌な感触だった。
あえて言えば、生物の口を無理やり両の手で引き裂いたような――そんな感触。
まき散らされる魔力の残滓が、わたしの顔を濡らし、びちゃびちゃと服にもかかる。
べつにそれで汚れるわけじゃないけれど、わたしのこころは哀しみでいっぱいだった。
宝箱――やっぱりミミックだった。
呆然としたまま、わたしはゼンゼ先生にわらってみせる。
「これがわたしの魔法。ミークハイト(物理)だよ……」
「そうか……。なかなか……その、すごいな……」
ゼンゼ先生が憐れんで見ていた。それがちょっぴり悲しい。
そんなダンジョンでの苦い経験――。
ずっと前からゼンゼ先生は月の女神様的なイメージ。
性欲ギラギラのゼーリエ先生との対比っぽく?