魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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水鏡の悪魔

 

 

 

「君は――殺意を抱けるようになったのか?」

 

 ゼンゼ先生の声は、隣を歩くわたしの肩に静かに投げかけられた。広間の喧騒や戦闘の余韻は遠のき、今は二人分の足音と、時折響く乾いた風の音だけが通路に満ちている。

 

 先生の表情は、髪の毛に隠れて見えない。

 

 観測ができない。意図が測りかねる。

 

「うん?」

 

 わたしは足を止めずに、曖昧に返事をする。先生の意図を探るように。ミミックを引き裂いた時の感触が、まだ手のひらに残っている気がした。

 

――あれは、殺意だったのだろうか。

 

 どちらかと言えば、事故だったような。

 

 あるいは、里長ちゃんを守るために、狼タイプの魔物を殺したこともある。あれは、反射に近くて、情動の動きはなかったけれど。

 

 よくわからない、が正直なところ。

 

「前に殺意が形にならないというようなことを言っていたような気がする。けれど、先ほどの君はミミックである可能性をわかりつつ破壊した。言い方を変えれば、君に殺意があったともいえるかもしれない」

 

 先生は、わたしが先生を杖代わりに使った時のことを覚えていた。

 

 あの血なまぐさくて死臭たっぷりの――魔族がウンコであることを鑑みれば――()便()()()()()と対峙したとき、わたしはちっとも戦えないクソ雑魚魔族だった。

 

 ゼーリエ先生に助けられて、ゼンゼ先生にも手伝ってもらって、なんとか撃退した経緯がある。

 

 先生の髪の毛をあやうくアフロにするところだったから、わたしもちゃんと覚えている。

 

「先生がたぶん正しいよ」わたしは少しだけ前に駆け出していって振り返り、先生の顔を見た。「殺意以前に、わたしには()()がなかったの」

 

「憎悪がない?」

 

 ゼンゼ先生の足が止まった。

 先生の顔は、ねむたげな何を考えているかわからない表情をしている。

 

「そう、憎悪がなかったの」

 

「今はある、と」

 

「たぶんそう」

 

 これを言うのは魔族に対しては忍びないんだけど。

 

「わたしは女神様に人の子として認められたんだよ。信じてくれる?」

 

「信じざるをえないだろうな。あれだけの大規模魔法は――たとえ人の力を結集しても不可能に思える。人の力を越えた何かの手伝いがなければ無理だろう。それが女神かどうかまではわからないが、君がそういうならそうなんだろう、と思うことにしておく」

 

 先生は、わたしの突飛な告白を、否定も嘲笑もせず、ただ事実として受け入れてくれた。

 月のようにほのかにあたりを照らす優しい輝きを放つ魂。

 ゼーリエ先生とはまた異なる、静かで知的な受容。

 それがゼンゼ先生の思想なのだろう。平和主義らしい先生らしいやり方だ。

 

「ありがとう、先生」

 

「だが、それが憎悪や殺意とどう繋がる? 人の子となったのなら、むしろ、そういった負の感情からは遠ざかるのでは?」

 

「違うんだよ、先生」わたしは首を横に振る。「人の子になるっていうのは、()()()()()()()()()()()ってことなんだと思う。万能だった自分が終わり、自分の限界を知って、ちっぽけな自分を認識する。だから世界は目の前に広がってるの」

 

「自己と他者の境界線を引いたということか」

 

「うん。その境界線ができたからこそ、わたしは()()()()()()()()()()()()()()の。今までは自分と世界との境界が曖昧で、傷つけられても癒されても等しく()()としか感じなかった。でも、今は違う。はっきりとした()()()()ができたから、それを壊そうとするものに対して、明確な()の感情が湧いちゃう」

 

――接触防壁。

 

 憎悪とは自我の外郭。卵の殻である。

 

「わたしじゃない誰かが、わたしの領域を侵そうとした時。あるいは、わたしの大切なものを傷つけようとした時、それを()()()()()って思うようになったの。それが、たぶん憎悪で、殺意の始まりなんだと思う。先生、わたしって悪い子かな?」

 

「君は、悪い子ではない」

 

 ゼンゼ先生は、茫洋とした捉えどころのない視線でわたしを見ていた。

 

 写し鏡を覗きこむような――、わたしを鏡にして、自分を見ているみたい。

 

「先生?」

 

「なんでもない。だが、憎悪や殺意を抱けるようになったということは、人を喰い殺す魔族の本性が、より強化される可能性もあるんじゃないか?」

 

「そうならないよう気をつけてます!」

 

「そうか。君は純粋で、不思議な子だ」

 

「あー、先生、わたしのこと子どもっぽいって思ったでしょ。先生ひどい。わたしはレディ!」

 

「ますます幼女っぽいな……」

 

 ロリな先生にロリ扱いされるとは。

 でも、ヨシヨシされながらだと攻勢にでにくい。

 なかなかに現実は厳しいものなのである。

 

 

 

 

 

 また狭い通路が続いた。

 

 その通路を抜けると、広い空間が広がっていて、少し大きめの扉が奥のほうに見える。

 扉の両側には石でできた、鳥人間みたいな――いわゆるガーゴイルの石像が複数体並んでいる。

 どこを見ているかわからない不気味な視線は、確実にこちらを見ているようにも思える。

 

「あ……」

 

 全力で察した。

 

――動くよね?

 

 むしろ動かないほうがおかしい。

 

 少なくともRPGだと絶対動くヤツだ。これ。

 

「先生、これ……動く?」

 

 わたしが不安な声を出して警戒を促す。さっきのミミックの件もある。油断は禁物だ。

 

 でも、ゼンゼ先生は変わらない無表情のまま、わたしを見下ろした。

 

「ちょうどいい。君がどれくらい戦えるようになったか。殺意とやらが本当に芽生えているのか。知ることができるチャンスが早速きたぞ」

 

「え? え?? 先生は戦ってくれないの?」

 

「もちろん私も戦う。だが、相手は六体。私の手には少々余るかもしれない」

 

 先生の表情はいつもどおり眠たげで、声も抑揚のないエルフみたいな感じだ。

 

 焦ってるの? 焦ってないの?

 

 どっちなの!?

 

 ガーゴイルたちに命が宿り、ギギ、と重々しく動き出す。数は六体。一体一体が屈強な戦士のような体躯を持ち、その石の瞳には赤い光が灯っている。

 

 そのうちの一体が、ゼンゼ先生にとびかかる。

 

 速い! 音速を越えるとは言わないまでも、一息の間に距離が潰された。

 

 が、その速さすら()()。遅かった。遅すぎた。

 

 魔法使い最高峰、人類で最強クラスに数えられる一級魔法使いにとっては――。

 

 その速さは比較にすらならない!

 

 ドシュ!

 

 たった一撃。

 

 ゼンゼ先生の髪の毛が、ドリルのように突き刺すだけで、ガーゴイルはバラバラに。

 

 スピードとスピードの衝突で、パワーが生まれたのかもしれないが、こんなあっさりと。

 

 ダンジョンの守護者が、そこらの雑魚モンスターみたいな扱いだなんて。

 

「……もう先生だけでいいんじゃないかな」

 

「おっとすまない。手に余るとは言ったが――、髪の毛に余るとは言ってない!」

 

 乱戦になりました。

 

 

 

 

 

「クソ鳥どもが。かかってこいよぉ!」

 

 普段ゼンゼ先生から天地がひっくり返っても出ない言葉にびっくりした。挑発なのか、戦闘モードに切り替えたのかはわからない。

 

 しかし、その言葉が合図だったかのように、残りのガーゴイルたちが一斉に動き出す!

 

 二体がわたしに、三体がゼンゼ先生に向かって突進してくる!

 

「うやぁ」

 

 わたしは咄嗟に横に跳んで一体目の石の拳をかわす。しかし、もう一体が間髪入れずに薙ぎ払うように腕を振るってきた。避けきれない!

 

――壊す!

 

 ミミックを引き裂いた時の感覚を思い出す。邪魔なものを排除する単純な衝動。

 わたしは両腕に魔力を込めてクロスガードの体勢をとる! 借り物の力も乗せて!

 

 ガギィィィン!!!

 

 凄まじい衝撃! 腕が痺れる。でも、弾き返した!

 ガーゴイルが一瞬たたらを踏む。好機! ここだ!

 

「アナリザンド・ぱーんち!」

 

 理論もへったくれもない、何の変哲もない幼女パンチ。

 けれど、そこに結集しているのは10億パワー。

 

 ズドン!

 鈍い音と共に、ガーゴイルの胸部に亀裂が走る。

 数秒後、亀裂が広がり、パサァという音とともに砂のように崩れた。

 

「やったぁ」

 

 初戦果。初めて意識的に対象を破壊できた気がする。これはわたし最強チート魔族になっちゃったかもしれない。

 

「アナリザンド。後ろだ!」

 

 ゼンゼ先生の声!

 振り返る間もなく、衝撃に備えて身を固める!

 

 しかし、衝撃は来なかった。代わりに、シュンッ、と風を切る音。

 ゼンゼ先生の髪の槍が、わたしを襲おうとしたガーゴイルの頭部を正確に貫いていた。

 

「戦闘中に油断するな。敵は一体とは限らない」

 

 ゼンゼ先生は、二体のガーゴイルを相手にしながらも、冷静にわたしに指摘する。その戦いぶりは相変わらず流麗で、髪の毛が鞭のようにしなり、槌のように打ち付け、槍のように突き刺さり、ガーゴイルたちを翻弄している。

 

 捌き方がうまい。

 

 これが戦闘経験の差ってやつ?

 

 先生が残りのガーゴイルを抑えておいてくれるおかげで、わたしは一体と向きなおれる。

 

「かかってこいよぉ」

 

 わたしは、さっきのゼンゼ先生の真似をして、ちょっと偉そうに挑発してみる。

 

 しかし、さきほどのわたしのパンチによる破壊を見ていたせいか、そのガーゴイルは空中に飛び上がり、なかなか降りてこない。なんかみくだされてる感じがする。

 

「もう。なんで!」

 

 アナリザンドパンチを恐れたか。ジャンプとか苦手なんですけど!

 

「魔法!」

 

 ゼンゼ先生の声が飛ぶ。そうだ、わたし魔族だった。魔法が使えるんだった。

 

「ゾルトラーク!」

 

 わたしは、フリーレンやフェルンちゃんには劣るかもしれないけど、一応ゾルトラークだって使えるのだ。白いビームのようなそれは、空中を舞うガーゴイルを正確に狙う!

 

 ……が、全然あたらない。ひらりひらりとかわされる。

 

 通常のゾルトラークよりも大きめのサイズ。

 しかも込められた魔力も相当なものなのに!

 

「むん、むん、むん。むん!」

 

 わたしはムキになって、ゾルトラークを連射する。

 ダンジョンの壁や天井に光線が当たり、火花が散る。

 でも、肝心のガーゴイルには一向に当たらない。

 

「くそー! 当たれー! 動くと当たらないだろ!」

 

 もはやヤケクソだ。魔力消費なんて考えずに撃ちまくる!

 

 完全に頭に血が上っているわたしを見て、ゼンゼ先生が深いため息をついたのが、なんとなくわかった。

 

「まあ、君らしい()()だな。まるで子猫が毛を逆立てて威嚇しているみたいだ」

 

 いつのまにやら、ガーゴイルを殲滅したゼンゼ先生が、わたしの傍らに立った。

 

「にゃああああん(錯乱ザンド)!」 

 

 からかわれてる! わたし、先生にからわれちゃってる!

 わたしは悔しさで顔を真っ赤にする。もう言葉にならない鳴き声しか出ない!

 

「軌道を予測しろ」

 

 ゼンゼ先生は、わたしの錯乱ぶりには構わず、冷静にアドバイスをくれた。

 

「敵の動き、魔力の流れ、そして君自身の魔法の特性。それらを複合的に計算し、未来位置を予測して撃つんだ。ただ闇雲に撃っても、魔力の無駄遣いになるだけで効果的とは言えない」

 

「どうすればいいの?」

 

 冷静さを欠いたわたしには、先生の高度な要求に応えるのは難しい。

 

「抑圧するんだ」

 

 先生の声は静かだが、有無を言わせぬ響きがある。まるで何百、何千と繰り返してきたような、淡々と機械的にこなしてきたような。自分自身にかける魔法のように。

 

「憎悪や殺意を抑えて――感情に流されるな。()()()()ほど冷静にならなければならない」

 

「……わかった。やってみるね」

 

 先生の言葉に、わたしは頷いた。

 わたしは深呼吸をして、乱れた魔力を落ち着かせようとする。

 そして、思い出した。

 

 そういや、わたし、因果律をほんのちょっとだけ調律できたんだった。

 

 未来位置を予測して撃つ? そんな面倒な計算、必要ない。

 だって、わたしは結果を先に決めてしまえるんだから。

 たった一秒。されど一秒。

 

 わたしにとって、その一秒は永遠よりも長い、絶対的な時間。

 

 わたしは、空中を飛び回る最後のガーゴイルを見据える。

 紅い瞳が、深く、暗く、そして狂おしいほどに輝きを増す。

 

――この一撃は、当たる。

 

 当てるではなく、当てようとするのではなく、結果として完全に完結的に当たる。

 

 その結果が、原因に先んじて、この時空に逆流するように確定する。

 

――因果を逆流させる魔法(クレイジー・アイズ)

 

 わたしは、再びゾルトラークを放った。

 それは、先ほどまでの乱れ撃ちとは比較にならないほど、静かで、確実な一閃。

 白い光が、まるで運命の糸を手繰るように、空間を切り裂く。

 

 ガーゴイルは、いつものようにひらりとかわそうとする。

 わたしを嘲笑するかのような笑みも見えた。

 

 だが――。

 ズドン!

 

 光線は、回避行動をとったはずのガーゴイルの軌道を()()()していたかのように、寸分の狂いもなくその核を捉え貫いた。

 

 赤い光が消え、石像は力なく地面へと墜落し、こなごなに砕け散った。

 

「…………」

 

 今度こそ、本当に静寂が訪れた。

 

 優勝。優勝です。アナリザンド大勝利!

 

「なんかガーゴイルが当たりにいったように思えるんだが……」

 

「そう? あのガーゴイル。運が悪かったんだろうね」

 

「……君は。いやいい。ひとまず、これで第一関門は突破だ」

 

 なんか含みのある言い方だったけど、いよいよ終盤戦らしい。

 

 そして、この未踏破のダンジョン。

 

 お宝。絶対眠ってるよね!

 

 わたしのワクワクは止まらない。

 

 

 

 

 

「先生、この調子なら、先生とふたりでダンジョン踏破も楽勝だよね。お宝部屋にある金銀財宝って半分くらいもらってもいいのかな?」

 

 わたしはルンルン気分(死語)で、話しかける。

 

 ゼンゼ先生は軽く首を振った。髪の毛のせいで頭重そう。

 

「甘い観測だな。君はこの零落の王墓が未踏破の理由を知っているか?」

 

「ううん。知らない」

 

「君は知っているはずなんだが」

 

「え、どうして?」

 

「先遣隊がこの迷宮を調べたときに、わずか一部隊を除き、すべての部隊が潰滅的な被害を受けた。幸いにして、出張回復サービスなるもので、命を落とした者はいなかったが――」

 

「そうなの? なんだか便利そうなサービスあるね。世の中進歩してるなぁ」

 

 どこにいても回復とか便利すぎる。わたしと競合しないか心配だ。

 

「君のことだろう」冷静にツッコミをいれるゼンゼ先生。

 

「んう? ああ……! そうだったかも?」

 

 べつにボケたわけじゃない。

 

「覚えてないのか?」

 

「正直、いちいち誰を治したとか覚えてないよ。ドライでビジネスライクな関係なの! お客様の個人情報に立ち入りすぎるのはよくないでしょ」

 

「確かにそうかもしれないが……」

 

 ゼンゼ先生は少し呆れてるみたい。

 

 でも、正直なところバーチャルアナリザンドは確かにわたしではあるんだけど、わたしそのものなのかといわれると、そうとも言い切れない部分があるんだよね。自動的――というか。

 

 記憶を統合してみると、確かにこの墳墓に近い映像が流れたけど、ほとんどは壁――。そして血塗られて助けを求めてる魔法使いさん。あるいは騎士さんって感じで、わたしはそれどころじゃなかったというのが本当のところだ。早くしないと死んじゃいそうな人もいたし。

 

「それで、この迷宮には、なにかしら脅威があるってこと?」

 

「ああ。先遣隊の前に現れたのは、彼等の複製体だったらしい。君が月――太陽の鏡という知見をもたらしてくれたおかげで、はっきりと理解したよ。ここの主は、迷宮に入りこんだ者の記憶や能力を写し見る、神話の時代から語り継がれる鏡の魔物」

 

――水鏡の悪魔(シュピーゲル)、だ。

 

 先生が言うには、その姿を見たものは誰もいないらしい。

 自分の影と戦わせるなんて、とんでもない魔物だ。しかも、能力も記憶も戦い方も全部まるっとコピーして戦う。そして無限に再生するらしい。

 

 運よく勝てても、次は消耗している自分。相手は入口に入ったころのエネルギー満タンの影。

 未踏破の理由がわかった気がする。

 

 でも、わたしの場合、どうなんだろ。

 借り物の力もコピーできるんだろうか。

 

 シュピーゲルが月の女神に相当するなら、太陽の力すら反射している。魔力数はわたしと同等まで引き上げられるかもしれないけれど。

 

 所詮は魔物。太陽の――つまり女神様の力を完全には反射しきれないとも考えられる。それに、ついでに言えば、魔法インターネットによって結集した力も、本来、わたしのものじゃないしなぁ。

 

 シュピーゲルの魔力量限界値はいったいどれだろう。

 いずれにしろ――、ゼンゼ先生にとっては非常に危険な状態だ。

 

「先生、ここからあとどうするつもり? もう引き返す?」

 

「君はどうしたい?」

 

「できるなら挑戦したいかな。でも、先生が危なくなるのはヤダ」

 

「魔力数だけならすぐにでも私は消し飛ばされそうだな」

 

 影――シャドーたちは特定のポイントを通過すると出現するらしい。

 

 だけど、少人数が固まって動いている場合は別。

 

「ふたり程度なら、おそらく最終関門の前で待っていることが多い」

 

 ――とのこと。

 

「じゃあ……、わたしが先にひとりで行くね。先生は後からついてきて」

 

 わたしはゼンゼ先生にそう告げると、深く息を吸った。これから対峙するのは、わたし自身の影、そしてゼンゼ先生の影だという。

 

 少し怖い。わたし、まだ生まれたばかりだから。

 

 しかし、実力が同じなら、どうして――ひとりで探求した誰かが運よく勝利するということが歴史上一度もなかったんだろう。未踏破というのはそういう意味だ。

 

 実力が拮抗しているなら、一勝一負する。つまり、勝ち負けは運否天賦で、いずれサイコロがうまく転がったら、勝ったりしなかったのかな。ガーゴイルとかミミックとか、他にも魔物とかいるのかもしれないけれど、どうして誰ひとり自分に勝てなかったんだろう。

 

 疑問は尽きない。

 

 考えながら歩いていると、やがて、暗闇の中でぼんやりと黄金色――オレンジ色といったほうがいいか――に突き当たる。

 

 ダンジョンの最深部にはお決まりのセーブ部屋というやつだろうか。

 

 そこは、大人数でも休憩可能なほど広かったが、特に物とかは置かれていない。

 

 なんだか儀式の前の予備室のように思えた。

 

 視線をやると、武骨な扉が鎮座していて、たぶん、その扉を越えるとBOSSがいる。

 

 ダンジョンの主、シュピーゲルではなく、その影であるシャドーたちが。

 

 さらにシャドーたちを突破できれば、シュピーゲルがいるらしい。

 

 シュピーゲル自体は戦闘能力は皆無らしいので、対峙するのは自分の影のみといえる。

 

「先生。かいまみしてね?」

 

「かいまみ?」

 

「貴族のたしなみだよ。先生って、貴族だったんじゃないの?」

 

「そんな過去は忘れたな」

 

「そこの扉から顔だけ出しておいて、チラっとわたしを観測してて」

 

「わかった。危なくなったら帰ってくればいい。君でなくてもいいんだ。誰かが踏破すればそれは人類の勝ちだ。私たちの勝ちなんだからな」

 

「うん。ありがとう先生。じゃあ、行くね」

 

 ギギギと音を立てて、扉を開く。

 

 眩い光が溢れ出した。

 思わず目を細める。光が収まると、そこには息をのむような光景が広がっていた。

 

 どこまでも広がるかのような、光に満ちた広間。

 

 床一面には、巨大な太陽と、そこから放射状に広がる無数の花びらを組み合わせたような、複雑で美しい意匠が描かれている。天井は見えず、ただただ温かく、生命力に満ちた金色の光が降り注いでいる。まるで、世界の創造の瞬間に立ち会っているかのようだ。

 

――太陽の広間。

 

 もし、ここを名づけるなら、その呼称がふさわしい。

 

 月の神殿の最奥にある、この矛盾した空間。

 わたしは、ゆっくりと一歩、広間の中へと足を踏み入れた。

 

 瞬間、空気が震えた。

 

 広間の中央、太陽の意匠の中心部分が輝いたように見えた。

 太陽の光を反射し、最奥にある月が輝く。

 

 あくまで、ここの主役は月。

 太陽の莫大な力も副次的なものに過ぎない。

 

――ゆえに影。

 

 扉の前には、ぬるりと、最初からそこにいたようにふたりの影があった。

 

 ひとりはゼンゼ先生にそっくりな――、色のない黒色をした影。

 そしてもうひとりはわたしそっくりな影。

 

 シャドー達は感情を感じさせない虫のような視線でわたしを見ている。

 

「これが、わたしと先生の影」

 

 わたしはゴクリと息を呑む。二対一。しかも、相手はわたしと先生のコピー。

 さらに悪いことに、扉の向こうのゼンゼ先生は、手出しできない。

 

――わたしひとりで、この二人を相手にするしかない。

 

 シュピーゲルの能力は、対象の能力を完全にコピーする。記憶も、戦い方も。

 

 問題は、わたしのコピーだ。

 シュピーゲルは、わたしの『借り物の力』――1000億パワーに達するこの莫大な魔力を、どこまで正確にコピーできるのか?

 

――もし、完全にコピーできるなら?

 

 わたしの初手は決まっていた。

 

 最初から、全力全開で叩き潰す!

 

――殺られる前に、殺るしかない!

 

 わたしは瞬時に判断し、全身全霊の力を解き放つ!

 

 <わたし>へと完全に接続! 人間たちの、星々の魂の輝きを、今、この身に!

 

 ピピピピピピピ。HUDの計測値が激しく揺れる。

 

 わたしの身体から放たれた魔力の奔流は、太陽の広間そのものを揺るがすほどだった。 金色の光が爆発的に広がり、壁画の紋様が激しく明滅する!

 

 推定魔力数――1000億!!

 わたしは全力で、シャドーアナとシャドーゼンゼを同時に睨みつける。

 先手必勝! こいつらが動き出す前に、わたしの最強の魔法で!

 

 シャドーアナが反応した。

 その小さな身体からも、わたしとほぼ同等の途方もない魔力が溢れ出し始めた。

 

「こいつ……。1000億でも反射できるの!?」

 

 アラートが鳴る。

 

 

 

 

 

WARNING ⚠ WARNING ⚠ WARNING ⚠ WARNING

 

 

 

      高エネルギー反応。存在確率収束。臨界点接近。

 

 

 

WARNING ⚠ WARNING ⚠ WARNING ⚠ WARNING

 

 

 

 

 

 ヤバい。ヤバい! ヤバすぎる! こんな魔法が発射されたら、遺跡どころかこの星が、時空ごと消し飛びかねない!

 

 わたしの影が、その右手――白く細い、しかし今は世界の終焉を握りしめているかのようなその手に、虚無そのものを凝縮させ始めた。

 

 光が歪む。音が歪む。空間が、時間が、存在そのものが、その一点に向かって引きずりこまれていく!

 

 全てを破壊し、分解し、存在したという記録すら抹消する、単純にして、それゆえに抗える者がいない絶対的な破壊の力が放たれようとしている。

 

 

 

 

――究極にして絶対の破壊をもたらす魔法(マジック・ディスラプター)

 

 

 

 

 

 その魔法が形を成していく過程で、わたしは視てしまった。無数の可能性が、無数の歴史が、無数のわたしが、その力によって()()()()()()にされていく様子を。

 

 この魔法は因果律すら歪めて、対象の存在を黒く塗りつぶそうとしている。

 

 瞬間、音と光が完全に消滅した。

 

 

 

 

――真空。無。

 

 

 

 

 あんなものに塗りつぶされたら、わたしだけじゃない。扉の向こうのゼンゼ先生も、この遺跡に刻まれた古代の記憶も、オイサーストの街でクレープ売ってるおばちゃんも、すべてが、最初から存在しなかったことになる。

 

 わたしは魔族だけど、人の子だ。そんな結末は絶対に、絶対に許容できない。

 

 わたしも対抗する! わたしの持つ、もう一つの、存在を否定する力で!

 

 

 

 

 

――魔法を殺す魔法(デセマンティ)

 

 

 

 

 

 わたしの右手にも、マジック・ディスラプターとは対極の、全てを在ることから無いことへと強制的にフェイズシフトさせる絶対的な拒絶の力が集束していく。1000億の魔力を触媒として、概念そのものを殺す魔法。

 

 破壊と抹消。

 

 鉛筆と消しゴム。

 

 二つの絶対的な力が、今、まさに衝突しようとしていた――!

 

 世界が、黒と黒に塗りつぶされる! 生き物どころか存在そのものが許容されないほどの超高魔力空間を形成している。

 

 存在と非存在の境界線そのものが、この狭い広間で激しくぶつかり合っている。

 

 ガリガリガリガリガリ!!!

 

 ドリル同士がぶつかるような、金属的な不快音ではない。

 

 もっと根源的な、世界の法則そのものが悲鳴を上げているような、聞く者の精神を直接削り取るような、恐ろしく甲高い音が空間を満たす。

 

 

 

 

 存在否定消滅虚無混沌破壊根源回帰非在不生(キィィィィィィィィィィィィィィィィィィン)

 

 

 

 

 

 

 視界が明滅する! 完全な静寂と完全な暗闇が、猛烈な速度で入れ替わる。

 

 そして、次の瞬間――!

 

 パァン!!!

 

 はじけ飛んだ風船のように、二つの絶対的な概念が衝突し、互いを打ち消し合い対消滅した。

 後に残ったのは、絶対的な破壊でも、完全な無でもない。

 

 ただ、寂滅したかのような空間。空虚で魔力の残滓すら感じられない。

 まるで、最初から何も起こっていなかったという、そんな事実だけが残った。

 

 いや――、()()()()()()()()()()

 

「ギリ、間に合ったぁ」

 

 緊張感で汗びっしょり。

 借り物の力なので体はさほど疲れていないけれど、この星が終わるところだった。

 

 そして、理解した。いや、確信した。

 

 こいつら影に、あまねく冒険者たちが勝てなかった理由。

 こいつらには、()()というものが一切ない。

 

 心がない。自分というものがない。ただ、写し取った力を、何の加減もなく、何の配慮もなく、ただ相手を排除するためだけに、最大効率で振るう。

 

 目的の遂行、対象の排除に向けて最短距離をとる。

 人間なら誰しもが有する、ためらいや、迷いや、誰かを想う心。

 

――そんな迂回路が存在しない。

 

 人の子であれば、それがたとえ自分の影であっても、人の似姿というだけで攻撃を躊躇してしまう瞬間があるだろう。全力で、相手を破壊し尽くすことへの、根源的な抵抗感があるだろう。

 

――それが、敗北の理由。

 

 わたしは、床に膝をつきそうになるのを、必死でこらえた。

 精神的にきっつい。

 

 目の前のシャドーたちは、少しも消耗した様子を見せていない。

 ただ、無表情に、次の攻撃機会を窺っていた。

 

「アナリザンド! HUDで観測した。シャドーの魔力は――君と等価だ!」

 

 ゼンゼ先生が叫ぶように声を出す。

 

「わかったよ! 先生!」

 

 わたしはゼンゼ先生の指示に従い、魔力を急速に抑制していく。

 

 10億、1億、1000万……。

 

 シャドーの魔力も、それに呼応するように不安定な揺らぎを見せながら低下していく。

 

 よし、これなら――!

 

 わたしは最終的に魔力を1000ユニット――フリーレンにはほんのちょっと劣るが、それでも並の魔法使いを凌駕するレベル――で固定した。これならば、シャドーアナの暴走リスクも低く、シャドーゼンゼに対しても最低限の抵抗はできるはずだ。

 

 状況は少し変わった。だけど、わたしが一人で、躊躇のない二体の影を相手にしなければならないという現実は変わらない。

 

――どうすれば、この心ない鏡を打ち破れる?

 

 わたしは、ゴシックドレスの裾を翻し、改めてシャドーたちと対峙する。

 太陽の広間に満ちる金色の光が、わたしの紅い瞳に宿る決意を静かに照らし出していた。




中二病が好きなの……
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