魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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エーデル

 

 

 

 旅の夜は、静かに更けていく。

 

 焚き火の赤い熾火が、時折ぱちりと小さな音を立てる以外は、フリーレンたちの穏やかな寝息だけが聞こえていた。

 

 フリーレンは自身の周囲数メートル四方に、フランメじこみの淡い光を放つ簡易的な結界を張り、その中で静かに眠っている。律儀なことに布団を敷いているのは、ストレージを使える魔法使いの特権だろう。

 

 シュタルク君は少し離れた場所で樹を背もたれにして寝ていた。戦士の休息って感じで、寝顔がかわいい。

 ザイン先生は火番らしい。ぼーっとした視線で、ただ火を見つめている。下手に接触すると、またからかわれるかもしれないから、ここはスルーで。

 

 そんな静寂の中、わたしはふわりと宙に浮いたまま、少し離れた木陰に視線を向けた。そこだけ、淡く不自然な光が揺らめいている。好奇心に導かれるまま、音もなくそちらへ近づいてみると――案の定、フェルンちゃんがそこにいた。

 

 彼女は大きな木の根元に背中を預け、膝を抱えるようにして座っている。その手元には、光量を最小限に絞られた小窓が浮かび、そこに映る画面を食い入るように見つめていた。周りに気づかれないよう、細心の注意を払っているのがわかる。

 

 親バレしないか、ビクビクしながらエロゲーをたしなむ男の子みたい。

 

 画面には、見慣れた乙女ゲーム『勇者な彼とわたしの旅路』。

 

 優しげな笑みを浮かべた若かりし頃の僧侶ハイターの立ち絵が、月明かりの下でぼんやりと光っている。遠目からでもわかるメッチャ美形のイケメン僧侶。しかし、絵や像に遺っているハイター像から乖離しすぎない絶妙な塩梅。ラント君に外注したのがよかったんだろうね。

 

 そして音は、HUDを使って自分だけにしか聞こえないようにしているのだろう。

 

 わたしがすぐそばまで近づいても、フェルンちゃんは全く気づかない。イヤホンでASMRを爆音で聞いてるのと同じ状態なのだから、むべなるかな。

 

 フェルンちゃんはゲームに完全に没入しているようだ。

 画面には、キラキラとしたフォントでセリフが表示されていた。

 

『ワインの香りは、思い出を呼び覚ますと言います。これは北方のグラナト地方、星降りの年に作られた逸品でしてね。芳醇で、しかしまだ年若い香りが、まるで貴女のようですフェルン』

 

 ああ、やっぱりプレイヤー名は『フェルン』なんだ。健気だなあ。

 

 そして、ハイターの立ち絵が少しアップになり、セクシーな口元が近づく。

 フェルンちゃんの耳元だけに囁くように、甘い声が紡がれる。

 

『貴女ももうすぐ18歳。少しだけ、大人の世界の扉を開けてみませんか? 私がエスコートしますよ。フェルン……』

 

「ひゃっ……!」

 

 フェルンちゃんは息を呑み、びくりと肩を震わせた。

 慌てて口元を手で覆い、真っ赤になった顔を俯かせる。

 画面には、すかさず3つの選択肢がポップアップした。

 

『A:いけませんハイター様。女神様が見ていますよ!』

『B:わたしを大人の世界へ導いてくださるのですね?』

『C:もう、お酒の飲みすぎですよ。ハイター様ったら』

 

 フェルンちゃんの視線は、明らかにBの選択肢に釘付けになっている。潤んだ瞳が揺れ、わずかに開かれた唇から熱い吐息が漏れている。人差し指が、ためらいがちに、しかし確実にBの選択肢に向かってゆっくりと伸びていく。

 

 普段の彼女からは想像もつかない、大胆な一歩を踏み出そうとしている瞬間だ。

 

「な、なんて。ふしだらな……!」という声が微かに漏れるが、指は止まらない。

 

 熱い吐息。震える指。そして――――。近づいていく。

 その選択肢へ。真っ直ぐに。一直線に!

 

 BBBBBBBBBBBBBB。

 

「夜更かしは美容の敵だよ、フェルンちゃん」

 

 背後からの顔を覗かせながら言うと、フェルンちゃんは「!!!???」と飛び上がらんばかりに驚き、バッとこちらを振り返った。

 

 その瞬間、伸びかけていた指は慌てて引っ込められ、インターフェースの光もパッと掻き消された。まるで禁断の果実を口にする寸前を見られたかのように。

 

「ア、アナリザンド様!? な、なぜここに!?」

 

 声が裏返っている。必死に動揺を隠そうとしているけれど隠しきれていない。さっきまでの甘やかで少し妖しい雰囲気は吹き飛び、いつものクールな表情を取り繕おうと必死だ。

 

「かわいい妹の寝顔でも見ようかなと思ってただけだよ。フェルンちゃんこそ、どの扉を開けようとしてたのかな? 聖職者としての扉? 現状維持? それとも大人への扉かな? 」

 

 意地悪く笑いかけると、フェルンちゃんの顔が月明かりの下でもわかるほど、みるみる赤くなっていく。ムッスゥする怒りも湧かないみたいだ。

 

「も、もう! いじわるですアナリザンド様。し、してません。私は何も選んでません!」

 

 ぷいっとそっぽを向くけれど、耳まで真っ赤だ。

 

「ふーん? Bの選択肢、すごく見つめてた気がするけどなぁ」

 

 さらにからかうと、フェルンちゃんは「違いますっ!」と蚊の鳴くような声で反論する。

 かわいいなあ、もう。わたしの妹がかわいすぎる件。

 

「でもよかったよ」と、わたしはほっと一息、声を出す。そして隣に腰かける。

 

「なにがですか?」

 

 少し、ムッスゥ顔なフェルンちゃん。

 まだ、さっきのことを引きずってるらしい。

 

「フェルンちゃんが乙女ゲームを受け入れてくれてよかったなって。エーレちゃんも頑張ってたからね。完全には受け入れられないかもしれないけど、ひとまずプレイしてみてくれて嬉しい」

 

「そうですね。このゲームはかなり巧妙です。特に私にとっては()()()()()()()()でした」

 

「どこらへんがよかった?」

 

「そうですね。ハイター様の似姿も懐かしく思いましたが、一番はやはり()でしょうか」

 

「確かにね。イケメンボイス風ハイターの声って、けっこういいよね」

 

 すごく包容感があって、安心する。

 

 声をどう感じるかは、人それぞれ。いわゆるクオリアの問題に帰するわけだけど、フェルンちゃんもわたしとほとんど似たような感想を抱いたみたいで、それが一番うれしかった。

 

「あの、アナリザンド様」

 

 ひそひそ声で、わたしに問いかけるフェルンちゃん。

 

「なあに?」

 

 わたしも声を潜めて応じる。

 

「このゲームのハイター様の声のことなのですが。これは、どうやって? 以前、アナリザンド様がヒンメル様の声を模倣されたことがあると、フリーレン様から伺いました。それと同じように、アナリザンド様が声を合成して出力されているのでしょうか?」

 

 なるほど、フェルンちゃんは類推したわけか。確かにあの時、わたしはフリーレンと喧嘩するために、記録された音声データからヒンメルの声を再現してみせた。

 

 フェルンちゃんに直接聞かせたわけではないけれど、わたしが死者の声を真似ることができるということはフェルンちゃんも知っているわけだ。

 

 でも――。

 

「あの時の技術とは違うよ。あれは記録された情報を元にした、いわば声真似の魔法に近いけどね。これは、もっと別の理屈なんだよ」

 

「別の魔法ということですか?」

 

「そう、これは精神感応魔法の一種で、受け取り手の記憶を読み取り、その人の望む声でレスポンスしている。記憶になければ想像上の、こんな声かなっていう理想を読み取ってね。だから、あの声は、必ずプレイヤーに刺さるんだよ。すごい仕組みだよね」

 

 HUDで聞けば、乙女はみんなメロメロになるのだ。

 自分が一番聞きたい声で囁きかけてくるのだから当然だ。

 

「すごい仕組ですね。どうやって、そんなことが……」

 

「ん? フェルンちゃんは既に識ってるはずだよ」

 

「え?」

 

「まずは――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まずは、野生の幻影鬼(アインザーム)を捕まえてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事は、エーレちゃんが開発中の乙女ゲーム『勇者な彼とわたしの旅路』が、佳境を迎えつつあった時のことだった。

 

 グラフィック、シナリオ、ゲームシステム、基本的な部分はほぼ完成し、あとはプレイヤー体験をより豊かにするための最終調整段階に入っていた。

 

 まあ、わたしは完成品を楽しみたかったから、その時には開発から離れ、時折来るアドバイスにちょこちょこ答える程度の関わりだったのだが、技術的な問題に直面したエーレちゃんは、私により強力な助けを求めたのである。

 

 エーレちゃんは、クリエイターにありがちな悩みを抱いていた。

 百点満点を目指したい完璧主義者な彼女は、ゲームの完成度に悩んでいたのである。

 

 いつものわたしの部屋で紅茶のカップをガチャリと音を立てて置きながら。

 

「どうしても納得できないのよ」

 

 と、焦ったような声をあげるエーレちゃん。

 

「納得できないって、何が?」と、わたしは聞いた。

 

「キャラクターの()よ」

 

「今のままでも、結構雰囲気出てるとは思うけどな。声優さん――じゃなくて、声真似が得意な魔法使いさんに頼んで、それっぽく録音してるんでしょ?」

 

 ファルシュっていうんだけどね。

 そう、一級魔法使いの彼は、声真似の魔法が使えるのである。

 ただ、問題なのは勇者一行の声のサンプルがとれるのは、フリーレンとアイゼンだけ。

 ヒンメルとハイターの声はサンプリングできない――と考えているわけだ。

 エーレちゃんにはわたしの声真似を聞かせてなかったからな。

 

「えっと、わたしはヒンメルやハイターの声真似もできるよ」

 

「そうなの? いや……ダメよ」

 

 一瞬、希望の光が灯ったが、すぐに否定した。

 

「え、ダメ?」

 

「これは私の感性の問題なんだけど……。確かに実際のヒンメル様やハイター様の声に似せて収録するというのも、いいと思うわ。でも、みんなが求めているのは、理想の声だと思うの。心の底から『わたし』を大切に想ってくれて、『わたし』だけに語りかけてくれてるような、そんな声」

 

「ふむふむ……()()()()かぁ……」

 

 それはかなり高難度の魔法的課題だな。

 

 わたしはエーレちゃんの熱弁を聞きながら、改めてその難題について考える。

 

 確かに、プレイヤーの記憶や感情に深く響く声というのは、単なる声真似では到達できない領域かもしれない。ファルシュ先生がいかに寸分たがわぬ声を真似られたとしても、そこには抑揚や情緒や熱量みたいな、魂をこめる技術はまだ伴っていないのかもしれないわけで。

 

――この世界では、まだ声優という文化はないのである。

 

「そうなのよ。ファルシュ様の声真似の魔法は素晴らしいと思うけど、それはあくまで模倣であって、プレイヤーの心の中にある本物にはなり得ないと思うの」

 

「うーん。プレイヤーはひとりひとり違うからね。そのひとりひとりに訴えかける声を出すって、心でも読まない限り……」

 

 あれ? なんかどこかで同じような状況があったような気がしないでもないな。

 

――コンコン。

 

 その時、部屋の扉が控えめにノックされた。

 

「……入っても、よろしいですかな?」

 

 聞こえてきたのは、いつになく力のない沈んだ声。レルネン先生だ。

 

「先生? どうぞ」

 

 わたしが応じると、扉がゆっくりと開きレルネン先生が姿を現した。

 いつもより20パーセントくらい猫背ぎみで。

 いつもより、どどめ色をしたオーラをまとっているようで。

 闇の世界の住人かよって感じで。

 見るまでもなく、落ちこんでいるのがわかる。

 

「師匠、どうしたんですか。顔色が優れないみたいだけど」

 

 エーレちゃんが心配そうに声をかける。

 

「ああ、エーレ……。いや、なんでもない……なんでもないんだ。ただ、少し……その……」

 

 レルネン先生は言葉を濁し、深い深いため息をついた。

 この落ちこみようは尋常ではない。

 

「先生、もしかして例のゲームの件?」とわたしは言った。

 

「はい。ゼーリエ様にキャラクターボイスの出演をお願いしたのですが……」

 

(あ、察し)

 

「くだらん。私の声を使いたいなら、まず私を超える魔法使いになってから物を言え、この半人前が、と。にべもなく」

 

 がっくりと項垂れるレルネン先生。

 乙女の曇らせ顔になっちゃってる!

 

「ゼーリエ先生の最後の抵抗ってやつかもね。ファルシュ先生に代役は頼まなかったの?」

 

「穢れます」殺意。黒ゾルトラークを幻視した。

 

「ああ、うん。そうだね。ごめんなさい。ちょっと軽はずみな発言でした」

 

「ファルシュに頼むなど言語道断です。私の敬愛するゼーリエ様の御声を、よりにもよって男の声で再現するなど断じて許されん! それなら声など無いほうが何億倍もマシというもの!」

 

 突然キレ散らかすのやめてー。

 そして、今度はシュンっと落ちこみモードになるレルネン先生。

 乙女心はまことに複雑なのである。

 

「しかし、それではエーレのゲームとの差が……。声がないなど、もはや時代遅れ。ゼーリエ様の完璧な御姿を遺すという私の野望が頓挫してしまう。私など死ねばどうせ誰も覚えておらんのです。ああ、理想の声をもたらす魔法はどこかにないものか」

 

 頭を抱えて悩み始めたレルネン先生を見て、わたしとエーレちゃんは顔を見合わせた。

 奇しくも、二人とも同じ壁にぶつかっている。

 

「先生」わたしは口を開いた。「実は、わたし達もちょうど()()()()をどうやってゲームに実装するか、悩んでたところなんだよ」

 

「なんと。アナリザンド様たちもですか?」

 

 レルネン先生が、わずかに顔を上げる。

 

「そうなの。エーレちゃんは、プレイヤーの心に響くような、本物の声を入れたいって言っててね。わたしも、何かいい方法はないかなって考えてたんだ。ひとつ思い出したんだけど、対象の記憶を読み取って、理想の声を出す魔物がいたよね」

 

 すると、レルネン先生の目が、わずかに研究者のそれに戻った。

 

幻想鬼(アインザーム)ですか。確かに、あの魔物は精神魔法の一種を使っていると言われております。しかし、人類の扱う精神魔法と、どれほど互換性があるか……」

 

 そこで、レルネン先生がハッとした。

 

「精神魔法のエキスパートであれば、私が存じ上げております。()()であれば、解析が可能かもしれません」

 

「へぇ。その彼女ってだあれ?」

 

「エーデル。二級魔法使いです。彼女の実家は精神魔法を生業としておりまして、彼女自身もわれわれ一級魔法使い以上に、精神魔法に長けているのです」

 

 専門分野では一級魔法使いを超える逸材か。

 おもしろそうではあるな。わたしも、ファルシュ先生がハイターの声真似してるのなんか嫌だし、ここは一肌脱ごう。魔族が全裸なのは置いておいて!

 

「先生、そのエーデルって子の住んでる場所、教えてくれる? わたしが行って交渉してくるよ。先生たちはゲーム創りが佳境で、忙しいだろうし」

 

「よろしいのですかな。そのような大役をお任せしても」

 

「もちろんですとも!」

 

 わたしは胸をポンと叩いた。

 

 

 

 

 

 ずり……。ずり……。ずり……。

 ずり……。ずり……。ずり……。

 

 アインザーム君はけっこう重かった。

 まあ、500万くらいのパワーで十分な重さではあったけど。

 

 スカートみたいな闇色の下半身は、もしかして実体がないのかなって思ったけれど、めくってみたらなんと、そこには真っ白くて細長いおみ足があったのである。

 

 意外とセクシーじゃないか♡ アインザーム君。

 

 ちょうどよかったので、細長い棒みたいな、そこをひっつかみ、ひきずりながら移動中。

 もちろん、道中は他の先生たちが驚いちゃいけないから、操作魔法で浮かせながらだったけど、あともう少し。敷地内に入ったからには、逆に飛行魔法はよろしくない。魔法都市ですら上空を飛ぶのは禁止されているのだから、私有地ならなおさらだろう。

 

 エーデルちゃん家の実家は、かなり太いのか。私有地もかなり巨大なようだった。

 

 だから歩いている。わたしは礼儀を知っているレディなのだ。

 

 アインザーム君、スカートがめくれて恥ずかしいのか、これまた真っ白くて細長い腕は、彼の顔にしっかりとあてられていて、顔を見られまいと必死な乙女のようでもある。かわいいね♡

 

 アインザーム君が声にならない精神衝撃波を放つが、なんの痛痒も感じない。

 

「元気がいいね♡ 生きがよさそうでよかったよ。これなら()()()は要らなさそう」

 

 わたしがにっこり微笑を浮かべると、なぜかアインザーム君は大人しくなった。

 わりと賢明だね。知能もそれなりにありそう。

 

 ずり……。ずり……。ずり……。

 ずり……。ずり……。ずり……。

 

 わたしは、アインザーム君のおみ足をひっつかみ、エーデルちゃんの家を目指している。

 

 そして、見えてきた。小高い丘の上にたつ、それなりに大きなお屋敷。

 

 坂道の向こう側から、徐々に屋敷が見えてくる。

 門の前では、小さな女の子が腕を組んで待っている。

 ぼんぼり頭は、どことなくアウラ様に似ていて、切れ長のおめめがかわいらしい。

 

 ずり……。ずり……。ずり……。

 ずり……。ずり……。ずり……。

 

 わたしは片方の手で、手をふりふり。

 あれ? なんか、エーデルちゃんの顔がひきつってるんだけど。

 

「こんマ――」

 

「な、なんじゃ、こりゃあああああ!」

 

 わたしの挨拶は、エーデルちゃんの絶叫でかき消された。

 

 

 

 

 

「あ、アナリザンド。 レルネンから話は聞いておったが……。そ、そやつを、魔物を、そのように無造作に持ってくるやつがあるか!」

 

「え、でも実験材料は生きてなきゃいけないんでしょ?」

 

「そうじゃが……。そうじゃがなぁ。――――まあよい。入れ」

 

 まだまだ何か言い足りないようだったが、飲みこんだらしい。

 

「うん。ありがとう」

 

 ずり……。ずり……。ずり……。

 わたしはそのままアインザーム君をひきずりつつ、家の中に入ろうとする。

 

「まてまてまてい!」

 

「ん?」

 

「まさか、そのまま家の中までひきずっていくんじゃあるまいな。床が汚れるじゃろうが」

 

 野生のアインザーム君だもんね。確かに、土っぽいかもしれない。

 なぜか、背中も土埃で汚れているしね。

 

「じゃあ――」

 

 操作魔法で、うまく長い手足を折りたたんでもらって、胎児みたいな恰好にする。

 じたばた暴れてたけど、病院に行きたくない犬をケージに入れるような感じだ。

 こら♡ おとなしくしろ♡ おまえの代わりはいくらでもいるんだぞ♡

 

「なんだか、この魔物が哀れに思えてきたのじゃが……」

 

「共感能力って、人間にとっては一番大事な特性だよね!」

 

「魔族に言われると、こう、なんか、アレじゃな……」

 

「指示語を飛ばすのも、人間の素晴らしい特性だね!」

 

 

 

 

 

 通されたのは応接間だった。

 天井高い。格調高い壁の装飾。お金の匂いがする! くんくん。

 

――いや……。しない、かな。

 

 というよりは、歴史のある名家って感じなのかも。

 貧乏ってわけではないけど、お金はあんまり持ってないのかもしれない。

 

「それで、その丸めた物体はどうするんじゃ?」

 

 エーデルちゃんは、わたしの操作魔法で使用済ティッシュのように丸められ、プカプカと宙に浮いているアインザーム君を、半眼で見つめながら尋ねた。

 

「んー、とりあえず、そこらへんにでも置いとく?」

 

 わたしは、部屋の隅にある少し埃をかぶった古い鎧兜の隣あたりを指差す。

 

「応接間にそのまま魔物を放置するわけにもいくまい。おぬしと儂が見ておるから大丈夫じゃとは思うが、念のためじゃ」

 

 エーデルちゃんは、指先で印を結び、胎児ポーズのアインザーム君を包むように強力な結界を展開した。キラキラと光る檻の中で、アインザーム君が時折もぞもぞと動いているのが見える。

 

――戦闘能力はほとんどない。

 

 ってレルネン先生には聞いたけど、エーデルちゃん、やり手だな。

 

 補助魔法が得意なタイプだろうか。

 精神魔法も、正確には精神操作魔法と呼ばれるらしいしね。

 操作魔法の一系統なのかもしれない。

 

「これでよいじゃろ。さあ、座れ。話を聞こう」

 

 エーデルは、やれやれといった表情で、部屋の中央にある年季は入っているが上質そうなソファを指し示した。

 

「はーい」

 

 わたしも、軽やかにソファに飛び乗るようにして腰をおろす。

 創りたてのパンみたいにふかふかだ。エーデルちゃん、意外と良い暮らししてる?

 

「さて――、アナリザンド。レルネンから大雑把な話は聞いておる。理想の声とやらを届けるため、アインザームの魔法を解析してほしいそうじゃな」

 

「うん。もちろん報酬は払うよ」

 

 ストレージから、金貨がぎっちり詰まった袋をとりだし、テーブルの上に積み上げていく。

 

 これはレルネン先生に持たされた、いわゆる交渉のための資金ってやつ。

 

 わたしのお金じゃないのが残念だけど、これは必要な投資というやつで、それほどの時を要せずとも、この金貨の倍するお金を生み出せる。

 

 お金はお金を生むのである。いつか月まで届く金貨タワーを建てたい。

 

「ぶ、ブルジョワじゃ……」

 

 あ、やっぱりお金持ちってわけじゃないんだ。

 しばらく、目を見開いて金貨タワーを見つめていたエーデルちゃんだったが、ふと我に返り、こほんと空咳をうった。

 

「報酬については、これで十分すぎるほどじゃ。問題ない。じゃが――」

 

 エーデルちゃんは、表情を引き締め精神魔法の第一人者としての顔に戻る。

 

「依頼内容そのものについて、いくつか確認と懸念事項がある」

 

「懸念事項?」

 

「うむ。まず、魔物、特にアインザームのような精神干渉系の魔物の精神構造は、我々人類のそれとは根本的に異なると考えられておる。魔族も同じじゃな。儂の専門はあくまで人間の精神じゃ。魔物の精神を直接解析し、その魔法構造を正確に理解するのは、正直なところ、未知数の部分が多い。かなりの困難が予想される」

 

 専門家としての冷静な分析。確かに、そう簡単な話ではないだろう。

 

「ふむふむ。それで?」

 

「そこでじゃ」エーデルちゃんは提案してきた。「まずは、よりリスクの少ない方法を試みたい。おぬしの精神を、少しだけ覗かせてもらうことは可能かの? おぬしは魔族でありながら、人間との繋がりが深い、特殊な存在じゃと聞いておる。おぬしの精神構造を解析できれば、あるいは魔物の精神へのアプローチの糸口が見つかるやもしれん。もちろん、細心の注意を払う。害は与えんことを約束しよう」

 

 なるほど。まずは比較的安全に見えるわたしから、ということか。

 研究者としては合理的な判断だ。しかし――。

 

「うーん、それは、ちょっと……いや、かなりマズいかもしれない」

 

「マズい? なぜじゃ? 儂の腕を信用できんか?」

 

 エーデルちゃんが、むっとした。精神魔法使いとしての誇りがあるのだろう。

 

「いや、エーデルちゃんの腕は信用してるよ! たぶん大陸一だと思う。でもね、わたしの精神って、ちょっと特殊なことになってて……」

 

 わたしは、どう説明したものか、少し言葉を選ぶ。

 これまで何十年と説明してきたことだけど、人の子として承認されたとはいえ、魔族の精神構造が根本から変わったわけではない。けれど、それを説明しようとすると、どうしても差延が発生しちゃうのである。

 

 これは、わたしがわたしと発音した瞬間に、その言葉としてのわたしは、発言者であるソレとしてのわたしとは、ズレが生じることを意味する。

 

「特殊?」

 

「魔族の思考は、タンジェントカーブ。どこまでも無限発散していくカタチをしている。それに対して、人間の思考は、サインカーブみたいなもの。必ず接触防壁より跳ね返される。安全防壁があるようなものなんだよ」

 

「ふむ。しかし、瞬間を切り取れば、多少は読み取れるはずじゃろ」

 

「それは、普通の魔族ならそうだろうね」

 

 ある程度の限られた時間軸であれば、無限発散する線も、サインカーブも変わらない。

 

「おぬしは異なると?」

 

「そう、わたしは、十億人以上の人間たちの魔力――祈りとか、願いとか、そういうたくさんの想いの力を使って、無理やり、こう……、波打つ安定した曲線、人間の精神波である()()()()()()みたいな形に、ぎゅーっと押し込めて、固定してる感じなんだよ。たくさんの想いが重なり合って、巨大な一つの精神構造――()()()()()Σ()を形成してるって言えばいいかな」

 

「十億の……人間の想いを……一つの精神構造に……?」

 

「そう。だからね。なんとなく想像できるでしょ? もしエーデルちゃんが、そのサントームΣを無理やり覗こうとしたら、たぶん、膨大すぎる情報量と、本来の形に戻ろうとする歪みの力に耐えきれなくて――――」

 

―――パァン。

 

「と、エーデルちゃんの優秀な脳みそが破裂しちゃう、かもね?」

 

「……」

 

 エーデルちゃんが青白い顔で引きつった笑いを浮かべている。

 あ、恐怖したな。ってことくらいはわかるよ。わたし、素人だけれども。

 

「それは、まずいのう……。痛いのは嫌じゃ」

 

 痛いっていうか、なんていうか。

 

「だから、わたしの精神分析は諦めたほうがいいと思うんだ。もちろん、エーデルちゃんに自信があるなら、わたしのほうはいいよ。いつでもウェルカムだから」

 

「やめておくかのう。儂もまだ死にとうない」

 

「うん。わかった。じゃあ、どうしよう? わたしに手伝えることある?」

 

「ううむ。ぶっつけ本番にはなるが、あの魔物の精神に直接アクセスし、魔法を発動させて、その構造を観測、解析するしかないかのう。あの縮こまってる状態じゃと、魔法を使ってくれるかもわからんが」

 

「ああ、なるほど――、だったら簡単かも」

 

「どうするつもりじゃ?」

 

「アインザームとわたしが戦って、魔法を受けてるときに、エーデルちゃんが傍から解析すればいいんじゃない?」

 

「おぬしと戦ったら、アインザームが消し飛びそうじゃが……」

 

「大丈夫だよ」わたしは天使のような微笑み2を浮かべる。「ダメになっても代わりはいるから」

 

「恐ろしいのう……」

 

「じゃあ、決まりだね!」

 

 わたしはソファから飛び降り、アインザーム君が閉じ込められている結界へと歩み寄った。

 

「ちょ、おぬし、まさか本当にやる気か!?」

 

 エーデルちゃんが慌てて声をかける。

 

「だって、他に方法ないんでしょ? 大丈夫だよ、この子けっこう大人しいから。ね?」

 

「おぬしのほうが恐ろしいんじゃが……」

 

「手加減はするよ」

 

 わたしはエーデルちゃんを安心させるようにウィンクすると、パチンと指を鳴らして結界を解除した。

 

――魔法を殺す魔法。

 

 解放されたアインザーム君は、一瞬、何が起こったのかわからない様子だったが、すぐに状況を理解したらしい。その真っ白で細長い身体をブルブルと震わせ、次の瞬間、脱兎のごとく応接間の扉に向かって逃げ出そうとした!

 

「あ、こら待て」

 

 シュンッ!

 

 わたしは、逃げるアインザーム君の前に一瞬で転移し、操作魔法で磔にする。

 

『!?!?!?』

 

 アインザーム君の、これまでで最大級の精神的絶叫が部屋に響き渡る。

 何を怖がってるんだろう。痛くしないのに。

 

「もう、逃げちゃダメでしょ。これから大事な大事な()()()があるんだからさ♡」

 

 わたしは、逆さ吊りのような状態になったアインザーム君の顔を覗き込み、にっこりと微笑む。

 

「さて、アインザーム君。魔法の時間だよ? 君の得意な、幻影魔法を見せてほしいな。ほら、怖くないから。ね? ほら♡ はやく♡ 魔法出せよ♡」

 

 優しく、優し~く語りかける。まるで、言うことを聞かない子どもをあやすように。

 

『…………(ぷるぷるぷるぷる)』

 

 アインザーム君は、恐怖のあまり完全に硬直し、ただただ震えている。

 

「どうしたのかな? もしかして緊張してる? 緊張して出ない日ってあるよね♡ わかるぅ」

 

 わたしは魔法で掴んでいる手足を、ぶらんぶらんと揺らしてみる。

 解剖するときのカエルみたいに引っ張ってみる。

 

『…………!!!!!………』

 

「アナリザンドよ」傍らで見ていたエーデルちゃんが若干引いているような声で言った。「あまり魔物を虐めるな。恐怖で精神が不安定になりすぎると、正確なデータが取れんかもしれん」

 

「あ、そっか。ごめんごめん」わたしはアインザーム君をそっと床に降ろしてあげる。「大丈夫? 怖かったねー、よしよし♡」

 

 ぽんぽん、と闇色のスカート部分を叩いてあげる。

 アインザーム君は、ビクッ、ビクッと怯えたように反応する。

 

「さて、気を取り直して。アインザーム君、お願い♡ 幻影魔法、見せてくれるかな?」

 

 今度は、できるだけ真摯な態度でお願いしてみる。

 

 アインザーム君は、おずおずとわたしの顔色を窺っている。そして、隣にいるエーデルちゃんの姿を見て、観念したようだった。生き残るためには、協力するしかない、と判断したのかもしれない。

 

 ふわり、と。

 

 アインザーム君の周囲の空間が歪み、淡い光と共に幻影が現れた。

 

 彼の魔法領域に、わたしの精神が感応している。

 

 あ、でもよく考えたら、わたしの精神構造って――、破裂しないよね? アインザーム君?

 

 少し心配だったが、アインザーム君の魔法は巧妙だったらしい。

 

「なるほどのう。こやつ、記憶の()()()()()をしてるのじゃな」

 

 そういうことか。だからはじけ飛ばなかったんだ。

 

 アインザーム君は、もういやだぁとばかりに顔を覆っている。

 

 そして、現れる幻想。スカートのような暗闇の中に現れたのは?

 

「これはまた……、マッチョなハイターじゃな……」

 

 エーデルちゃんが、こめかみを押さえながら呟いた。

 

 どうやら、記憶を読み取るのが得意なアインザーム君も、わたしの深層心理をそのまま読み取ることは不可能だったらしい。結果として、歪像としてあらわれたのは、腹筋が割れたふんどし一丁姿のハイターだった。

 

 わたし、望んでるの? ハイターのこの姿を。

 い、いや、しかし。胸筋も、すご。

 

「あ、あの、エーデルちゃん。幻影は幻影だし、これで解析できる?」

 

「ふむ。精神波形はやはり恐怖によるノイズが大きいが、基本的な魔法構造は読み取れそうじゃな。よし、そのまま維持させろ。魔力の流れを追う」

 

 エーデルちゃんは、マッチョハイターには目もくれず、真剣な表情で解析を開始した。

 

 しばらく、奇妙な静寂が流れる。

 

 筋肉隆々のハイターが静かにポーズを決めているように見える。

 

 エーデルちゃんが手のひらをかざしてデータを収集し、わたしはアインザーム君が逃げ出さないように、無言の圧力をかけ続ける。アインザーム君は、小刻みに震えながら幻影を維持している。お家帰りたいーって鳴いてるような気がするのは気のせいだろうか。

 

 なんともシュールな光景だ。

 

「ふむ。なるほどのう。記憶領域へのアクセスと、イメージの具現化。やはり、人間の魔法とは経路が異なるが、応用は可能じゃな」

 

 エーデルちゃんが、解析結果を呟きながら、満足げに頷く。

 

 あ、終わったらしい。

 

 お疲れ様。アインザーム君。

 

 もう、いいよね。じゃあ次は。

 

「ねえ、アインザーム君。もう用済みなんだってさー♡」

 

『!?』

 

「でも、もしかしたら、もっと幻影見せてくれたら、利用価値あるって判断されるかも? 例えば、ヒンメルとかどう? キラキラしたヒンメルの姿って出せる? ねえ♡ ねえ♡ ねえ♡」

 

 わたしは、解析が進んでいることに気を良くして、さらに要求を出す。

 

『…………』

 

 アインザーム君が、さらに激しく震えだす。もう限界が近いようだ。

 

「まあ待て、アナリザンド。基本的な構造は把握できた。これ以上この魔物を酷使せずとも、あとは儂のほうで理論構築と応用術式の開発ができそうじゃ」

 

 エーデルちゃんが、アインザーム君を庇うように言った。

 

「えー、そうなの? つまんないのー」わたしは少し残念がる。

 

「十分じゃろう。……ご苦労じゃったな、魔物よ」

 

 エーデルちゃんは、解析を終えると、アインザーム君に労いの言葉をかけた。

 

 アインザーム君は、それを聞いて、心底ほっとしたように、幻影を掻き消した。そして、今度こそ本当にぐったりとして、その場にへたりこんでしまった。

 

「お疲れ様。君のおかげで、たくさんの人が幸せになれるゲームができそうだよ♡」

 

 わたしは、満面の笑みでアインザーム君の頭を撫でてあげる。

 アインザーム君は、もはや反応する気力もないようだった。

 

 こうして、わたしの協力要請と、エーデルちゃんの卓越した解析能力、そしてアインザーム君の多大なる犠牲精神によって、『理想の声』プロジェクトは、大きな一歩を踏み出したのである。

 

 

 

 

 

 森の中。

 

 フェルンちゃんはわたしの話に聞き入っていた。

 このゲームにこめられた想いに感動しているのだろう。

 

「それで……、そのアインザームはどうなったんですか?」

 

 わたしはニコリとわらって言った。

 

「放してやったよ」

 

「そう、ですか」

 

 フェルンちゃんはやっぱり天使みたいにわらうのだった。




久々のメスガキモード。
アインザーム君は、もしかするとエーデルちゃんのお家で飼われてるかもしれない。
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