魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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鏡蓮華

 

 

 

 先生たちは鏡蓮華という花を知っているかな。

 

――花言葉は久遠の愛情。

 

 装飾品の意匠としては、わりと定番で、恋人や夫婦間で贈り合うということが多い。

 

 それでね、フリーレンがその意匠の指輪を失くしちゃったんだって。

 

 なんでも商人さんの馬車に乗ってた時に、鳥型の魔物に襲われたらしくてね。普段はHUD――ヘッドアップディスプレイを導入しているフェルンちゃんも、熟練の魔法使いであるフリーレンも、その魔物の接近に気づかなかった。

 

――油断、だろうね。

 

 そもそもステルス能力が高い鳥型魔物だったっていうのもあるけど、どうやらその時、フェルンちゃんはシュタルク君に誕生日プレゼントとして渡された腕輪――これも鏡蓮華の意匠だったんだけど――そのことで頭がいっぱいだったみたい。ザイン先生あたりが、花言葉の意味とか教えてからかっちゃったんじゃないかな。

 

 まあ、魔物自体はフリーレンがあっけなく倒したらしいんだけど……。

 

 問題はそのあと。

 

 魔物は、馬車ごとわしづかみにして空中散歩してたもんだから――。

 

 その魔物を倒してしまったら――小学生でもわかるよね?

 物理法則に従って、みんな仲良く落下したわけ。

 

 幸いにも魔法で落下寸前に、地面との衝突は免れたらしいんだけど、完全に威力を殺しきれなかった。その拍子に、フリーレンも、たまたまフェルンちゃんに見せていた鏡蓮華の指輪を無くしてしまった、と、そういうことらしい。

 

 まあ、旅にはつきものの、ありがちなアクシデントかな。

 

 そんなわけで、かわいいわたしの妹、フェルンちゃんがわたしにヘルプを求めてきた。

 

 わたしはその時、例によってフリーレン一行とは別行動してたんだけど、妹のピンチにかけつけない姉はいない。

 

 フェルンちゃんはフリーレンのことも大切な家族みたいに思っていて、わたしもそのことはよく理解しているから。

 

 ただ――このエルフ。

 大の魔族嫌いなのである。というか、わたしのことが嫌いなのかもね。

 この頑固エルフ。強情につき。

 

 

 

 

 

 夜。森の中。

 フェルンちゃんの前に転移したわたしは、事情を聞いて頷いた。

 傍らには、フリーレンがムスっとしてて、わたしを睨んでいる。

 どうやら、魔物に襲われた後、馬車の復旧に数日かかる間、フリーレンはずっとひとりで夜抜け出して、指輪を探しに出かけていたらしい。

 

 フリーレンはHUDを使わない。というか、ネット嫌いなのはあいかわらずだ。

 本当にチラリとも使おうと思わなかったのかは謎だけど、少なくとも使用履歴には、HUDを使った形跡はない。

 

 たぶん、わたしの呪い(と思っている人間の魔法)に関わるのが嫌だったんだろう。

 

 そして最後の夜。まさに今、敏いフェルンちゃんに見つかり、こうしてわたしを呼んだわけだ。

 

「アナリザンド様。それで――、私のHUDではどうしても見つけられなかったんです。鏡蓮華の指輪は魔道具でもなく、魔力を帯びているわけでもありませんので、私には不可能でした」

 

「それで、フェルンちゃんはわたしならもしかしてって思ったわけだね?」

 

「そういうことです。お願いです。アナリザンド様。お力をお貸しください。いつかの時、蒼月草を見つけてくださったときみたいに」

 

 祈る乙女なフェルンちゃんがかわいい。

 

「確かにね。わたしの情報解析能力を使えば――、わりと人の認識というのは広範囲に及ぶから、過去の歴史との差異を見つけ出して、その指輪を見つけ出すことも可能かもしれないね」

 

――だが、断る。

 

「え、なぜですか」

 

 フェルンちゃんがショックを受けてるみたいだった。

 

「フリーレンは、わたしに助けられたくないみたいだから」

 

 わたしは、少しだけ意地悪く、フリーレンをちらりと見ながら言った。

 

 フェルンちゃんが「え?」と息を呑むのが気配でわかる。

 フリーレンの眉間に、さらに深い皺が刻まれたのも。

 

「ですが……。アナリザンドお姉様は、私を助けてくださらないのですか……」

 

 うるうる瞳のフェルンちゃん。小動物のような仕草で、わたしの袖を掴む。

 い、いつのまにこんな妹ぢからを!?

 フェルンちゃん恐ろしい子。

 

 その小さな手には、切実な願いがこもっている。

 フリーレンを助けたい、その一心だ。

 この健気さ。あざとさを越えた純粋さが、わたしの姉心を激しく揺さぶる。

 く……くそ。こんな……。こんなところで、わたしが。

 

――だが、断る。

 

 はぁ……。はぁ……。

 わたしは内心の葛藤を押し殺し、あえて冷たく突き放した。

 

「ダメだよ。フェルンちゃん。フリーレンはひとりで探すという()()をしたんだから。わたしが勝手に探してあげるというのもお節介になっちゃうでしょ。余計なお世話ってやつだよ」

 

 わたしは再びフリーレンに視線を向けた。

 挑発の表情2を選択。

 

「ね~、フリーレン。そうでしょ。黙ってないで、なんか言ってよ。あなたのせいでフェルンちゃんが困ってるんですけど!」

 

「黙れ」

 

 フリーレンの返事は短く、冷たい。テンプレかよ。

 

 でも、その声には、隠しきれない焦燥の色が滲んでいた。

 失くした指輪は、ヒンメルから贈られたもの。

 

 その価値は、フリーレンにとってかけがえのないもののはずだ。

 

 大嫌いな魔族に助けを求めれば、もしかすると指輪を取り戻せるかもしれない。

 フリーレンは冷静に計算しているはずだ。

 

――感情と計算。嫌悪と親愛。

 

 その板挟みで、彼女のプライドが軋みをあげている。

 

「いや、黙れはないでしょ……。ほら、フェルンちゃん、泣きそうになってる」

 

 わたしがそう言うと、フリーレンはわずかに視線をフェルンに向け、そしてすぐに逸らした。その一瞬の動揺を見逃すわたしではない。

 

 フリーレン、あなたの負けだよ。

 プライドなんか棄てて、かかってこい(わたしを頼って)。

 そう、心の中で勝利宣言をしかけた、その時だった。

 

「あの……すみません」

 

 不意に、穏やかな声が割りこんできた。

 

 いつの間にか起きてきて、こちらの様子を窺っていたのだろう。馬車の御者台の近くに、若い商人風の男が立っていた。歳は二十代半ばくらいだろうか。旅慣れた様子だが、どこか人の良さそうな雰囲気をまとっている。

 

「何かお困りですか。騒がしいので目が覚めてしまって」

 

 彼は状況を把握しようと、フリーレン、フェルンちゃん、わたしを順に見やる。その視線は詮索するようなものではなく、純粋な心配から来ているように見えた。

 

 商人さんはわたしの姿を見かけると少し驚いた様子だったが、世界に光を放射した人の子アナちゃんである。動揺はすぐに収まったようだ。

 

「いや、なんでもないよ」フリーレンは、いつもの無表情を取り繕って短く答える。

 

「ですが、お連れの方はひどく落ちこんでいるご様子」

 

 ションボリしているフェルンちゃんに、気づかわしげな視線を送る商人さん。

 

「実は、フリーレン様がヒンメル様に贈られた指輪を失くしてしまって……」

 

 フェルンちゃんが継いだ。

 

「それはさぞお困りでしょう」

 

「困ってはいないよ。ヒンメルにもらったものは指輪だけじゃないし」

 

 フリーレンは、壁を作るように言い放つ。

 失くしたものをたいしたものではなかったと言い放つのは、反動形成だろう。

 あの葡萄はすっぱいと、木の上のとれない葡萄をあきらめる狐と同じ。

 つまりは、コンクリートみたいに頑固なエルフ。コンクリートエルフだ。

 

「お困りごとを解決するのが商人の仕事です」商人さんは困ったように笑った。「こうして短い間ですがいっしょに旅をし、助けていただいたのですから。もし私にできることがあるなら、お力になりたいと思っております」

 

 彼の言葉には、嘘や下心は感じられない。

 

――ただ純粋な善意。

 

 魂の輝きは誰にでもある。すさまじい魂の輝度。

 それは勇者の魂にも匹敵する。

 

 フリーレンは、その真っ直ぐな言葉に、一瞬、言葉を失ったように見えた。

 

「ちょうどよかった」商人さんがスクロールを手にしながら言った。「失くした装飾品を探す魔法です。私の村でも昔から装飾品を失くされる方はそれなりにいました」

 

 フリーレンは幼子のように、商人さんを見つめた。

 そして、おずおずと伸ばされる手。

 

――だが、そんな結末は認めない。

 

 フリーレンが、何も選択もしないまま、安易に救われるなんて虫がよすぎる。

 わたしは密かにイラっとしていたのである。

 その無垢さに。無自覚さに。モラトリアムに。

 フェルンちゃん、涙目になっちゃってるし!

 

――妹を泣かせた罪は重い。

 

 フリーレンは、結局のところヒンメルの遺したものを諦めきれない。けれど、プライドを棄てることも嫌だと言っている。ワガママエルフなのである。姉としての自覚が足りない。

 

 対して、この若い商人さん。彼の魂の輝きは濁りがなく真っ直ぐだ。

 わたしには視えている。だから、この後の展開も必然的に――。

 

 女神様、ごめんなさい。

 わたし、ちょっとだけ悪い子になります。

 

「ねえ商人さん」と、わたしはねっとり声をかけた。

 

「ん。はい。アナリザンド様、ですよね。いかがいたしましたか?」

 

「その魔法、金貨100枚で買うよ。わたしに譲ってくれないかな?」

 

 わたしの声は、夜の静寂を破るには、少しばかり甘ったるすぎたかもしれない。この提案が拒絶されることを知っていながら、あえて持ちかける。フリーレンに、目の前で起こるであろう()()()()()を、その目に焼きつけさせるために。

 

 商人さんは、わたしの提示した金額に、一瞬だけ息を呑んだのがわかった。しかし、彼の魂の輝きは揺るがない。予想通り、彼はすぐに落ち着きを取り戻し、そして――少しだけ、困ったような、それでいて毅然とした表情で、わたしに向き直った。

 

「申し訳ありません、アナリザンド様。これは売り物ではないのです」

 

 きっぱりとした拒絶。やはり、この人は金では動かない。

 なんて綺麗な魂なんだろう。黄金よりも輝いている。

 

「どうして?」わたしは、知っていながら、わざとらしく小首を傾げてみせる。「商人さんなんでしょ? 利益を追求するのがお仕事じゃないの? こんなボロいスクロール一つで、金貨100枚だよ? 惜しくないの?」

 

「先ほども申しましたが、私はフリーレン様方に助けていただきました。道中の安全を確保していただき、時には他愛ないお話を交わしてもくださいました。これは、その恩義に対する、ささやかな()()なのです。お礼を金銭で売り買いするような真似は、商いの流儀に反します」

 

 ほらね。これが()()だよ。フリーレン。

 

 フリーレンは計算能力が高い。わたしの言葉を選ばなかったことで、商人さんが損をしていることはわかっているだろう。そして、なぜ選ばなかったかを、考えているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 フリーレンは思う。

 

 馬鹿げた金額だ。金貨100枚。あの魔族は、まるで子供がおもちゃを欲しがるように、あっさりと口にした。

 

 目の前の若い商人にとっては、人生が変わるほどの額だろう。断る理由など、あるはずがない。そう思った。

 

 商人は金で動く。人間は金で動く。それが私の識る、千年の経験則の一つだった。魔族が人間を欺くように、人間もまた利益のために動く。それが世界の摂理だ。

 

 もちろん、そうでない人間もたくさんいる。

 それは十年の旅路の中で理解している、つもり。

 

 だけど、目の前にいる商人は勇者でも英雄でもない。

 力なき人間だ。たった数十年生きて消えていく。か弱き存在。

 

 だから、商人が静かに首を横に振った時、私は一瞬、自分の認識を疑った。

 

――申し訳ありません、アナリザンド様。これは売り物ではないのです。

 

 きっぱりとした声。金銭への誘惑に対する軽やかな拒絶。

 彼の瞳は真っ直ぐで、濁りがなかった。

 その澄んだ瞳は、誰かを思い出させる。

 

――お礼を金銭で売り買いするような真似は、商いの流儀に反します。

 

 お礼? 助けてもらったことへの?

 同じ馬車に乗った、たったそれだけのことで?

 

 理解できなかった。理解が、追いつかなかった。

 

――名もなき勇者。

 

 そんなフレーズが頭をよぎる。

 

 目の前にいるのは、名も知らない、どこにでもいるような若い商人だ。彼が特別な力を持っているわけではないだろう。それでも、彼は自分の信念を貫き、損得を超えたところで、私に手を差し伸べようとしている。

 

――まるで勇者のように。

 

 ヒンメルだったら、どうしただろう。

 ハイターだったら? アイゼンだったら?

 

「私は……」

 

 そう、私はアナリザンドの手を借りるのが嫌だった。

 いけすかない奴だと思っているし、ヒンメルの遺言を引き合いに出す手口も汚い。

 正直なところ、一秒もいっしょの空間にいたくないほど嫌いだ。

 

 だけど――。もっと汚いのは、私。

 

 ちっぽけなプライドのために、またヒンメルを失いかけている。

 

 ヒンメルは――あのまばゆいばかりに輝く光の魂は、私のすぐ側にいるというのに。

 

 きっと、ヒンメルが生きていたら、呆れて笑うだろうな。

 

『フリーレン。そんな小さなことにこだわってるのかい? 大切なことを見失ってはいけないよ』

 

 そんなふうに言うだろうか。

 

「アナリザンド……」

 

 唇が重い。

 でも、言わなければならない。

 私も勇者一行の魔法使いだから。

 

「おまえの力を借りたい」

 

 フリーレンは選択した。

 

 

 

 

 

「おまえの力を借りたい」

 

 フリーレンの口から、その言葉が紡がれた瞬間、わたしは内心でガッツポーズを決めた。計画通り、とは少し違う。商人さんの純粋な魂の輝きという予想外の光が介在したけれど、結果として、この頑固なコンクリートエルフは、ついにわたしに助けを求めたのだ。千年のプライドを、ほんの一瞬だけ、わたしの前で手放した。

 

「商人さんが、せっかく無料で魔法を譲ってくれるのに、わたしを選ぶんだ。それでいいの?」

 

「それでいい」

 

 もう、迷いはない。

 わたしの挑発の言葉にも乗らない。

 勇者の側にあって、フリーレンの魂も輝いている。

 薄く、月明りのような優しい光だったが、それでもその輝きはとても綺麗。

 

 わたしは嬉しくなって、でも今回は悪役だったから、いつもどおりのお澄まし顔2を保持した。

 

「アナリザンド様。お願いします」フェルンちゃんも口添えしてくる。

 

 うちの妹はあいかわらず天使だな。

 

「いいよ。かわいい妹の頼みでもあるしね」

 

 わたしは、内心の喜びを隠して、少しだけお姉さんぶった口調で応えた。

 

 フリーレンがわたしを選んだ。その事実が、なんだかとてもくすぐったい。商人さんの魂の輝きも素晴らしかったけれど、この千年エルフの、ようやく見せた素直さも、捨てがたい魅力がある。

 

 人間っていいなって、心の底から思えるから。

 

――さあ、お姉ちゃんの実力を見せてあげよう。

 

 あの時、蒼月草を見つけた時のように。

 今度は、ヒンメルの遺した、もっとずっと大切なものを。

 

 わたしは右手をそっと夜空へと掲げた。指先から、淡い金色の魔力の粒子が、星屑のようにこぼれ落ち、夜風に乗ってふわりと舞い上がる。

 

「魔法よ。魔法よ。()()()()()()()()()

 

 それは、呪文というよりは、子どもが宝探しをする時のような、無邪気な呼びかけ。でも、その言葉に呼応するように、わたしの内なる<わたし>――広大なネットワークが動き出す。

 

 森のざわめき。土の匂い。夜露の冷たさ。フリーレンの焦燥。フェルンちゃんの心配。そして商人さんのゆるやかな親愛の情。

 

 あらゆる情報が、光の速さで流れこんでくる。

 

「オレオール先生も力を貸して!」

 

 過去の痕跡。魔力の残滓。物質の固有振動。エルフの残り香。想いの()()()

 

 それら全てが、巨大なデータベースの中で照合され、解析されていく。

 

 イメージするのは、鏡蓮華の意匠。

 

――久遠の愛情を象徴する、白く可憐な花。

 

 そして、それをフリーレンに贈ったであろう、今は亡き勇者の、いつもイケメンを崩さない澄ました笑顔。その裏に隠された想いの欠片。

 

 フリーレンが失くしてしまった、大切な思い出の一品。

 

 情報の渦の中から、特定のパターンが浮かび上がる。ノイズが消え、ターゲットの輪郭が鮮明になっていく。それは、まるで夜空に輝く一番星のようにわたしの瞳に飛びこんできた。

 

「あったよ」

 

 わたしは、夜空に掲げていた手をゆっくりと下ろし、フリーレンに告げた。

 

「ここから北東に300メートルほど。大きな樫の木の、一番下の枝のところに引っかかってるみたいだね。鳥の巣でもあるのかな? HUDにマーキングしてあげようか?」

 

「要らん」

 

 わたしの言葉が終わるか終わらないかのうちに、フリーレンの姿は風のように消えた。指輪のある場所へと、一目散に駆け出したのだ。本当に、ヒンメルのこととなると見境がない。魔族まっしぐらの次は勇者まっしぐらかよ。お礼くらい言ってけ。

 

――なんて思ったけど、まあいいか。

 

「フリーレン様! お待ちください!」

 

 フェルンちゃんが慌てて後を追っていく。

 その背中を見送りながら、わたしは小さく息をついた。

 わたしはフリーレンのママじゃないんだけどな。

 

 

 

 

 

 やがて、森の奥から、フリーレンとフェルンちゃんが戻ってきた。フリーレンの手には、わたしが視た、あの鏡蓮華の指輪が握られている。その表情は、まだどこか硬さが残っていたけれど、指輪を見つめる目には、確かな安堵の色が浮かんでいた。

 

「……あったよ」

 

 幼子を抱く母のように、フリーレンは指輪をギュっと握り締めている。

 フリーレンのくせに、ちょっとかわいい。

 

「よかったね」

 

()()()助かった」

 

「素直じゃないんだから」

 

「それよりおまえ。あの魔法をこの人からきちんと買い取れ。おまえが言ったんだ」

 

 む。むむ。

 

 フリーレンのくせに生意気な。

 

 彼女は言っている。私はちゃんと言えた。

 それなのに、おまえは約束を反故にするのか、と。

 

 まるで、自分のほうが人間力で勝ってると言いたげだ。

 さっきまで泣きべそかいてた幼女みたいだったくせに!

 

 商人さんと目があう。

 もちろん、彼もフリーレンの言葉の意味を理解している。

 フリーレンが彼に直接お礼を言えないのは、ある種エルフ特有のツンデレ精神なのだろうか。

 

「あなたも、この魔族の特性を理解したほうがいい。こいつは欲しいものはなんでも欲しがる貪欲な性格をしている。そしてあきらめも悪い。手切れ金とでも考えて、素直に金貨100枚を受け取ったほうが後腐れなくていいよ」

 

「フリーレンさん……」

 

 たじたじとなっている商人さん。

 いくら、なんでも金貨100枚はないよ。

 たぶん標準価格は金貨一枚いくかいかないかくらいだと思う。

 フリーレンの思わぬ反撃で、わたしは白旗をあげるほかなかった。

 

「あ~あ、今回はわたしの負けだね」

 

 フリーレンに負けたというより、商人さんというイレギュラーに負けた。

 いや、イレギュラーではなく、どこにでも存在する人間の魂の輝きに負けたのだ。

 

 エルフも魔族も、きっと勝てない。魔王でさえも。

 

「……いや、私の負けだ」

 

 フリーレンがぽつりと言った。

 

 まるで独り言みたいに、言葉の水滴が一粒落ちる。

 

「おまえが何を狙っていたかくらいは、私にもわかる。善良な商人の気持ちを利用したのは気に喰わないけれど、ヒンメルをまた失わずに済んで、ほっとしている私がいる」

 

 珍しいことだった。

 

 負けん気の強いフリーレンが、初めて敗北を認めたように思えた。

 

 たぶん、わたしにというより、やっぱり勇者の魂に降伏したんだろうな。

 

 わたしもそうだったからわかるよ。

 

 商人さんがほがらかに手を打つ。

 

「では、お二方が負けているのでしたら、私も負けましょう」

 

 お?

 

 商人さんは楽しげに言った。

 

「アナリザンド様。この魔法、金貨一枚でいかがですか」

 

 ああ、なるほど――。

 

 わたしもまだまだ人間の商人には敵わない。

 

 本当に商売上手だ。

 

――これにて、三方一両損。

 

 誰も彼もが『負けた』と笑い合って、それで、みんな大切なものを手に入れた。

 

 結局、みんなが不思議な負けによって得をしたのだ。

 世界なんて変わらないくだらない奇跡。和らぎのこころをもって。

 

 でも、できれば銀貨70枚くらいにしてほしかったな。

 

 先生たちもそう思うでしょ?




鏡蓮華のエピソードは、フリーレン視点だと感動シーンなんだけどね。アナリザンドの視点では、ビジネスシーンにならざるを得ないんだよね。この魔族、強欲につき。
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