魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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穢腐ノート

 

 

 

 神は悩んでいた。

 

 神といっても、形而上学的な神ではないし、ただの悩める女の子である。

 彼女の名前はレンゲ。びーえる小説の祖にして、創作神。

 

 ゆえに、彼女は神である。

 

 ちなみに、ハンドルネームは『腐神者さん』である。

 

「素材が……足りないの」

 

『そっかー。素材が足りないかー』

 

 と、わたしはいつものようにお悩み相談を受けていた。

 

 レンゲちゃんは新進気鋭のクリエイターではあるが、オリジナルキャラよりは、読者のフックにかかる英雄を素材として扱い、それをもとに創作する、いわば二次創作的な作風を好む。

 

 この世界における最も有名な英雄譚は、勇者ヒンメル一行の魔王討伐の旅路ということになるので、必然的にレンゲちゃんの書く物語は、ハイターやヒンメル、そしてアイゼンの絡みが多い。

 

 フリーレン? そんな子は知らないな。

 

 ともかく、そうやって、創作を続けてきたわけだけど。

 いよいよ、限界が近いらしい。

 

「でも、レンゲちゃん。乙女ゲームの細マッチョアイゼンを取り入れて、創作はかどるって喜んでたんじゃなかったっけ?」

 

「……うん」

 

 レンゲちゃんは静かに頷いた。

 

 エーレちゃん作のアイゼン改二の導入は、レンゲちゃんの心を焦がしたみたいだ。

 だれかの創作物がだれかに影響を与える。まさに文化とは爆弾だ。

 誘爆し、次々と創作物が生まれていっている。

 

 それが、びーえる小説という、まったく違う分野であっても、その影響は及ぶ。

 

――確か、ハイターとヒンメルが喧嘩するというような内容だったはずだ。

 

 詳しくは読んでないけれど、細マッチョアイゼンが、『昔の女?』として迫る話で、「俺で童貞を棄てたくせに」とかなんとか言って、ハイターに詰め寄る。

 

 ハイターは「終わった話です」と、にべもない反応だったが、ヒンメルが「アイゼンと、そんな関係だったのか。僕のほうが先だと思ってたのに」みたいな感じになって、ワチャワチャしていた。

 

 それから『異端であるが』と注釈をつけつつ、ヒンメルがリバって、攻勢にでるのだが、もうね、リーニエちゃんがベッドでグルグルローリングしながら、神を讃えてましたよ。はい。

 

 なんで、そんな痴態を知っているかって?

 いつものように覗き見ザンドか? なんて思われるかもしれないが。

 

 違う。

 

 呼ばれたからだよ、リーニエちゃんに。

 そして、わたしはハイター役をやらされました……。

 深くは聞かないでほしいけど、リーニエちゃんの演技力はすさまじかったとだけ。

 わたし魔族だけど、同じ魔族のリーニエちゃんに食べられちゃうかと思っちゃった。

 

「でも……、そろそろ素材が足りない感じ。もっと違う関係も書きたい」

 

『じゃあ、オリジナルキャラで書いてみる?』

 

「それはイヤ」

 

『いやなんだぁ』

 

「リアル感」

 

『なるほど、前にも言ってたもんね』

 

 英雄ないしそれに準ずるような人物でないと、レンゲちゃんの創作魂が駆動されないらしい。

 それはもう趣味というか、感性の問題なので、わたしが言うべきところではない。

 

「だから、一級魔法使いに、私、なる!」

 

「え? ええ?」

 

 それは飛躍のような。

 確かに一級魔法使いは、現在の英雄たちとも言えるけれど。

 現在のということは、存命しているわけで、生ものは危ない。

 いくら鍵つきの秘密の花園で、こっそり書いているといっても限度があるだろう。

 その、腐った情熱はすばらしいと言えるけれども。

 

「レンゲちゃん。一級魔法使いさんたちを素材にするの?」

 

「そう」

 

「それは危ないよね。生ものはダメだよ」

 

「大丈夫。ヒンメルたちにインストールする」

 

 ああ、この子。

 アイゼン改二を見て、()()()()()()んだ。

 いくらでもキャラは改変していいって、理解しちゃったんだ。

 素材と素材を悪魔合体させて、グチョグチョのスライムさんができそう。

 

「でも、いままで書いてきたイメージとズレが生じると、読者さんは混乱しないかな」

 

 わたしは、わずかながら抵抗を試みる。

 

「深堀り」

 

「キャラの深堀りに使うってことだね。まあ、それだったら……いいか」

 

 いや、よくない。

 

 この子、飽くなきびーえる魂で、この世界の最難関試験を受けようとしているけれど、実際のところ、レンゲちゃんの実力じゃ、絶対に受かりそうにない。

 

「ねえ。レンゲちゃん」

 

「なに?」

 

「レンゲちゃんって四級魔法使いだよね。試験会場まで辿りつけるの?」

 

 そう、そこからして心配だ。

 

 オイサーストまでの道のりは遠く、旅を続ける中で、魔物や野盗あるいは魔族に出逢ったら、正直なところ、フェルンちゃんたちみたいに乗り切れるとも思えない。

 

「大丈夫。問題ない」

 

「護衛でも雇うつもり?」

 

「ん……」

 

 ツイっと指さされたのはわたし。

 え、わたしですか?

 

「もしかして、わたしに護衛してもらおうとか思ってる?」

 

「あなた、強い」

 

「うーん。戦闘経験はあんまりないよ」

 

「超すごい回復魔法」

 

「ありがとうね」

 

 レンゲ神に褒められてうれしくないわけではないけれど。

 そもそも、レンゲちゃん、旅慣れてなさそうなんだよな。

 ほんと心配。

 

「出発する」

 

「ちょっと待って!」

 

「ん……」

 

「いくらなんでも気が早いよ。わたしも忙しいし、ずっとレンゲちゃんと旅するわけにはいかないんだよ。スポット的に手助けするのはできるかもしれないけどね」

 

「じゃあひとりで行く」

 

「ひとりで行っちゃダメだって」

 

「確かにひとりでイッたら、ヒンメルも怒る。だから、いっしょにイこ?」

 

 それ、意味違いませんかねぇ。

 

「ま、まあ少し待ってて。レンゲちゃんの護衛役によさそうな子を知ってるから」

 

「焦らしプレイ?」

 

 この子、魂まで腐ってやがる……。

 ともあれ、わたしはあの子にコンタクトをとることにした。

 

 言うまでもない。

 敬虔なる神の信徒。リーニエちゃんである。

 

 

 

 

 

『こんマゾ。リーニエちゃん。元気してる?』

 

「なんだ。アナリザンドか。こんマゾ」

 

 リーニエちゃんはグラナト伯爵領の、屋敷の一室で、いつものようにリンゴをかじりながら、わたしと相対した。

 

 リーニエちゃんはオレオール先生もお墨つきの、腐り輝く魂を持っている。

 稀有な超希少魔族なのである。天国に最も近い魔族とも言えるだろう。

 

「なんの用?」

 

 いつもの感情の薄い表情で、リーニエちゃんが聞いてくる。

 

『リーニエちゃんにミッションを与えたいなって』

 

 ミッション――使命。神の試練的な?

 リーニエちゃんは怪訝そうな表情になった。

 

「ミッション?」

 

『うん。実は、とある女の子が一級魔法使いの試験を受けにいきたいって言っててね。リーニエちゃんに護衛をお願いしたいんだ」

 

「やだよ。面倒くさい」

 

 まあ、そう言うとは思ってた。

 

 そもそも、魔族的な感性で、なにかしら他者のために行動するというのが、もう異常なほどすごいことなのである。イヤだという感覚を伝えることすら難しい。

 

 でも、リーニエちゃんが求めているものを、わたしは理解している。

 

「神さまのためだよ」

 

「神のため? どういう意味?」

 

「最近、リーニエちゃんの神さまが、ちょっとスランプ気味だってこぼしてたじゃない」

 

「確かに最近、更新速度が落ち気味だな。神を信じるほかないが……」

 

「それはリーニエちゃんにとっても地獄だよね?」

 

「――地獄とは神の不在なり」

 

 お、おう。

 敬虔な神の信徒らしい回答だな。

 

「実は神さまが困っているのは素材不足なんだって。リーニエちゃんが素材を集めて、神に捧げれば、喜んでくれるかもしれないよ」

 

「一級魔法使いが素材になりえるのか? 素材になってもいないのに?」

 

「アイゼンだって死んでないでしょ。死ぬことが必ずしも素材化の条件じゃないんだよ」

 

「だとしても、私なんかが素材をもちこんだりしたら、神の聖域を犯すことにならないか」

 

「他ならぬ神さまが求めているんだよ。求めよ。さらば与えられんって言うでしょ。リーニエちゃんがもたらした素材が、もしかしたら、神への供物になるのかもしれない」

 

「うーん。いまいち信じられないな。おまえって調子のいいことばっか言うから」

 

 リーニエちゃんにとってのわたしっていったい……。

 

「あ、あのね。わたしってこう見えて、シスターをした経験もあるんだよ。リーニエちゃんとは異なるけど、神さまを信じる者は、神へ奉仕活動をしなければならないんじゃないかな」

 

「それが、信者のつとめってやつか?」

 

「そう。そのとおり! リーニエちゃんはただ与えられるのを待つだけじゃなくて、神さまに対して祈りを捧げなくちゃいけないの」

 

「確かにそうかもしれないな。処女ヒンメルが、最初にハイターをベッドの中に招きいれたとき。彼は祈っていた。一方的な願いではなく、ハイターの心に沿って、ハイターの願いに合わせたいと。女神様の導きによって、そうなるよう祈っていたという一節がある」

 

 御名を讃える敬虔な信徒のように、リーニエちゃんの口調にはわずかに熱がこもっている。

 

【悲報?】びーえる小説、魔族にとっての聖典扱いでした【朗報?】

 

 遠い将来に、びーえるが魔族の聖典にならないことを祈りつつ。

 まま、えやろの精神でいくしかない。

 

 その日のうちに、リーニエちゃんはグラナト伯爵に「ちょっと一級魔法使いの試験を受けにいってくる」とか挨拶して、素材を求める旅へと出発した。グラナト伯爵は気前のよいことに、100万APを路銀として渡し、まるで孫でも送り出すような勢いだった。

 

 うらましい。

 

 ちなみにレンゲちゃんが神であると明かさなかったのは、わたしのちょっとした悪戯心というか、もちろん、個人情報保護の観点もあるんだけどね。

 

 ふたりの出逢いがどんなケミカルを起こすか、ちょっと興味があったのだ。

 

 リーニエちゃんには一級魔法使い受験者の護衛任務も、()()()()こなしてもらうようお願いすると、とても面倒くさそうな顔をしていた。

 

 

 

 

 

 待ち合わせ場所は、とある街の門の前。

 

 そこに至るまでは、紆余曲折、ここで語るのもはばかられる幾多数多の物語があったのだが、ここではバッサリカットし、リーニエはようやく、レンゲの住む街へと辿りついた。

 

 門の前では、旅にいくとは思えないほど軽装で、かろうじて魔力をまとっているのがわかる、一般人としか思えない女の子が、ぽつんと待っていた。

 

「おまえがレンゲか?」

 

 アナリザンドからは事前に静止画で、ターゲットの顔は知らされている。

 べつに、二者間通信をおこなってもよかったのだが、リーニエはべつに興味がなかった。

 

 あくまで、依頼を引き受けたのは、びーえるの素材を神に捧げるため。

 

 受験者の護衛は単なるサブクエストであって、ターゲットの個人情報、人となりも、リーニエにとって無価値だったからである。

 

 レンゲはリーニエの言葉に、こくりと無言のまま頷いた。

 

「おまえ本気か?」

 

「?」

 

 不思議そうな顔で、リーニエを見るレンゲ。

 

「その貧弱な魔力で、本気で一級魔法使い試験を受けに行くつもりか、と聞いている」

 

 リーニエは、腐っても魔族である。

 

 魔族にとっては、魔力数が人間にとっての地位や名誉、つまり偉さにあたる。

 目の前にいる少女が、力なき存在にしか思えず、嘲るような視線を帯びてしまうのもいたしかたないところなのである。

 

「あなたが守ってくれる。アナリザンドも、そう言ってた」

 

「やっぱり、面倒くさいことになったな。あいつはほんと……」

 

 アナリザンドからのミッションに対して、リーニエは嫌な顔になった。

 

「断る?」

 

「べつに。ついでだ。でも、おまえが死んでも責任はとれない」

 

「それでいい。ありがと」

 

 こうして、神とその信徒は互いの正体を知らずに、いっしょの道を歩き始めた。

 

 

 

 

 

「ヒャッハー! 運がいいぜ、お前ら! こんな森の奥で、か弱い女二人たぁな!」

 

 街道から少し外れた、木々が鬱蒼と茂る薄暗い森の中。

 

 突如として、背後の茂みから野太い声と共に、五人の男たちが姿を現した。

 

 いずれも手には錆びついた剣や手斧を握り、その目は獲物を見つけた獣のようにギラついている。典型的な追い剥ぎ、あるいは山賊といった風体の連中だ。

 

「でも、ボス。ひとりは魔族……、いや、あの()()()()()()()()()()ですぜ!」

 

 手下のひとりが、リーニエの姿を見て、警戒の声をあげた。

 リーニエはアナリザンドの配信に出演し、グラナトの和睦の主体として、名をはせている。

 

 魔族が並の人間に比べれば強力な力を持っていることは広く知られているし、リーニエが領主アウラを継いだ者であることからすれば、その実力は七崩賢に匹敵するのではないかと思われているのである。

 

「……うるさいな。おまえら。死にたくなければ消えろ」

 

 リーニエは唸るように言った。

 その声には、明らかな不快感と隠しきれない実力者としての余裕が滲んでいる。

 所詮、野盗など、魔族にとってはそこらにいる一般人とさほど変わらない。

 

 邪魔な物体をどかすといったイメージに近い。

 

 野盗のリーダー格の男は、リーニエの捕食者としての雰囲気に、顔を引きつらせた。

 

 アナリザンドの配信は、娯楽の少ないこの世界においては、ある種の共通言語と化している。そして、グラナトの和睦は、良くも悪くも大陸中で大きな話題となっていた。その中心人物の一人が、目の前にいる魔族の少女。

 

「へ、へへ。ま、まさか、あの『和睦の姫君』様が、こんな寂れた森にいらっしゃるとはなぁ。こいつは、驚いた」

 

 リーダーの男は、冷や汗を滲ませながらも、虚勢を張るように言葉を続ける。魔族、それも七崩賢クラスと噂される相手に、まともに喧嘩を売るほど馬鹿ではない。しかし、ここで何もせずに引き下がっては、野盗としての面子が立たないとでも思っているのだろう。

 

「し、しかしだぜ、姫君。あんたも、こんな小娘一人連れて、こんな場所をうろついてるってことは、よっぽどお忍びの旅なんだろう? 大っぴらに事を荒立てたくはねぇんじゃねぇか?」

 

「何が言いたい?」

 

「金を置いてけ。安心しろ。命まではとらねぇよ。女としての名誉もな。ぎゃはは」

 

「嫌だと言ったら?」

 

「俺たちゃ人間様だぜ。おまえが人間を殺したとあっちゃ、せっかくの和睦もご破算だ」

 

「よくわからないんだよね」リーニエは手のひらに巨大な斧を出現させる。「おまえたち人間はどうして、和睦なんてカタチのないものにこだわるのか」

 

「お、おまえたち魔族が求めたんだろうが」

 

「違う。私は人間を模倣しただけだ!」

 

 瞬間、リーニエは斧をふりかぶり、前衛のふたりを瞬く間に切り裂いた。

 剣や斧を盾にするもかまいなし。

 魔族の膂力でふりかぶられた一撃は、それごと粉砕する。

 

 うろたえるボスが子分たちに指示をとばす。

 

「お、おまえら、先に行け!」

 

「そ、そりゃねえぜ、ボス」

 

「うるせえ。後ろから切りつけるぞ! 死にたくなけりゃさっさとしろ」

 

 けしかけられた子分たちはイヤイヤながら、リーニエに迫る。

 せめてもの戦術として、二手にわかれ、死角外から切りつけようとする。

 

 ジャキ。

 

――鉄のカタマリ。

 

 つまり、斧は横から縦にかまえなおされ、巨大な鉄板のような状態になった。

 

 その鉄板が、物凄い勢いで――ホームランバッターのようなスピードで、子分たちに迫る。

 

「ぎゃ」

 

 そのまま振りきり、ふたりの野盗は、肉団子のようにからみあって吹っ飛び、大きな樹木にぶちあたって大人しくなった。死んではいないようだが、もう動けない。

 

 リーニエは振り返る。

 

 あとは――ボスだけ。

 

「よ、よう。姫さんよ。こいつの命は俺が預かってるぜ」

 

 野盗のボスは、いつの間にか背後に回り込んでいたのか、レンゲの細い首に錆びついたナイフを当てがいながら、引きつった笑みを浮かべていた。

 

 仲間たちが一瞬で無力化されたことへの恐怖と、最後の切り札を手にしたことによる僅かな希望が、その表情に混じり合っている。

 

 レンゲはというと、感情を感じさせないどこか上の空で、ぶつぶつと独り言を呟いていた。

 

「人質……古典……葛藤……誇り……愛……天秤……選択。くっ殺。穢され。……刺し違え……。おまえが傷つくほうが。上書きして。疵舐め。イイ感じ。さっそくのネタ……」

 

「なにブツブツ言ってやがんだ。こいつ」と野盗のボス。

 

 レンゲはいつのまにやらストレージから出した、黒いノートに、なにやら文字を書きこんでいた。

 そのタイトルには、かわいらしい丸文字で、穢腐ノートと書かれてある。

 

「お、おい。動くな。お、おまえも動くなよ」

 

 リーニエに対して、またも焦った声を出すボス。

 

「面倒くさいな、もう」

 

 なにやってんだよと言いたげだ。

 一級魔法使いとして試験を受けようとする受験生にしては、あまりにもお粗末な戦闘能力。

 

「武器を棄てな」

 

「わかったよ」

 

 野盗のボスは、魔族の恐ろしさをまったくわかっていなかった。

 リーニエが既に見せているように、彼女は武器をストレージから取り出したのではない。

 魔力を練って、武器を創りだしているのだ。

 

 そのこともわからず、武器を棄てるように促したところで、まったく意味がない。

 

 むしろ、手から離れた斧に、視線が引き寄せられる。

 

 その一瞬で十分だった。

 

――ヒュンッ!

 

 リーニエのふんわり広がる袖口の奥から、目にも留まらぬ速さで、魔力で構成されたナイフが放たれた。リーニエは高速で腕を振りあげただけ。その単純な動作が、ナイフを投擲――というより、スリングショットの要領で飛び出させたのである。

 

 それが、ボスのナイフを握る右手の甲へと深々と突き刺さった!

 

「ぎゃあああああああっ」

 

 ボスは、激痛と驚きに短い悲鳴を上げ、反射的にレンゲから手を離した。

 ポテっと地面に落とされるレンゲ。

 ころころと地面を転がって、ノートを落とさないように必死だ。

 

「本当にうるさいな」

 

「い、いてぇよ。かあちゃーん!」

 

「私はおまえのママじゃない」

 

「こ、こんなん、死んじまうだろ。人殺し!」

 

「死にはしない」

 

 ボスは、ちらりと横を見た。つられてリーニエも見た。

 魔力というものがほとんどない野盗たちは、リーニエにとって物体と同じように見える。

 だが、その人体の構造を模倣しているリーニエにとって、なんとなく子分たちの状態は理解できるものだった。

 

 倒れ伏している子分たちは、ボスよりも重傷だ。

 特に最初に切りつけたふたりは、致命傷を負っているかもしれない。

 人間の社会では、正当防衛という概念があるらしいが、リーニエにはよくわからない。

 

「ほんっとうに面倒くさいなぁ。ねえ、アナリザンド。見てるんでしょ」

 

 リーニエは虚空に向かって問いかける。アナリザンドがすぐそばで見ていることは、なんとなくわかっていた。果たして、そのとおりだった。

 

『はいはい。こんマゾ』

 

 すぐにあらわれるアナリザンド。

 

「見てたんならわかるだろ。さっさと治して」

 

『お代は~』

 

「こいつら、賞金首かなんかだろ。それやるから、早くしろ」

 

『さっすが、リーニエちゃん。ふとっぱらだね』

 

「おまえのほうが野盗よりも百倍くらい面倒くさいな」

 

 ともあれ、アナリザンドはいつものように女神様の魔法を唱え、黄金色の輝きがあたりを照らしていく。気絶していたらしい盗賊たちも、すっかり傷が癒え、ぱちくりと目を覚ました。

 

「み、見逃してくれよ。二度と悪さはしないから。な? な?」

 

 野盗のボスも、手の傷が癒え、涙ながらに懇願した。

 ここで勇者だったら甘い顔をして赦すところだろうが、残念ながらリーニエは魔族。

 そんな慈悲のこころなど持っていない。

 

「おまえたちの命の代金は、おまえたちの賞金からでるんだ。ダメに決まってるだろ」

 

 と、にべもなかった。

 

 哀れ、リーニエの魔法の輪っかによって樹の幹に縛りつけられ、憲兵たちの到着を待つばかりとなった。

 

 こうして、リーニエはほぼひとりで野盗を撃退したのである。

 

 

 

 

 

 野営。旅でのありふれた一幕。

 

 リーニエは火の番をし、レンゲは昼間の疲れからかスヤスヤと眠っている。その小さな手は、胸の上でそっと組まれ、まるで祈りを捧げているかのようだ。

 

 そして、その指の間からは、先ほどリーニエもちらりと見かけた黒いノート――『穢腐ノート』と題された薄いネタ帳の端が、僅かに覗いていた。もちろん、リーニエはその中身までは見えないし、見ようとも思わない。興味など、ひとかけらも湧かなかった。

 

 たとえそのノートに、世界の真理が記されていようと、あるいは破滅の呪文が綴られていようと、今のリーニエにとってはどうでもいいことだった。

 

 彼女の関心は、ただ一つ。

 

 このか弱く、そして恐ろしくマイペースな小娘を、どうやって一級魔法使い試験の会場まで無事に送り届けるか、それだけにかかっていた。

 

 いや、正確に言えば、それすらも彼女の本意ではない。

 

 リーニエがレンゲという存在に興味一片も持たなかった理由は単純だ。レンゲがあまりにも弱すぎたからである。

 

 昼間の野盗くずれとの遭遇。

 

 あの時、レンゲは戦闘という緊迫した状態でも、まともに動けず、ただぼんやりと独り言を呟いているだけだった。リーニエがいなければ、運が悪ければ命を落としていたかもしれない。たとえ殺されなくても、ろくでもない目に遭っていたのは想像に難くない。

 

「こいつ……。試験まで生き延びられるのか?」

 

 リーニエは、眠るレンゲの無防備な寝顔を一瞥し、魔族らしからぬ深いため息をついた。

 

 その評価は客観的に見ても、まずまず正当といえた。

 

 そして、魔族的な価値観においては、力なきものは存在する価値すらないのである。

 この小娘は、まさにその典型だった。

 

 それでもリーニエがこの護衛任務を続けているのは、ひとえにアナリザンドへの義理と、そして、あの日アナリザンドから示唆された『神への奉仕』という言葉がふくらみかけの胸に、淡い光を放ちながら灯っているからである。

 

 いま、リーニエは神への信仰心を体現し、なんとかこの頼りない小娘を守り抜こうと、内心で『腐心』しているのであった。

 

――地獄とは神の不在なり。天国とは神の御側なり。

 

 しかし、ここには神はいない。

 神は、ブログという名の楽園で、自由気ままに創作している、はずだ。

 

 そんなことをぼんやりと考えていると、ポツリ、とリーニエの鼻先に冷たいものが落ちてきた。

 

 雨だった。

 

 いつのまにやら、空は曇天で覆われ、暗闇の中から、雨粒が容赦なく降りそそいできている。

 いくら、護衛としての役割を十全に果たしているリーニエといえども、雨粒から守るすべはない。

 

 火が弱まった。

 

「レンゲ。このままだと濡れるよ」

 

「んんぅ……」

 

 目をこすり、そしてハっと飛び起きるレンゲ。

 いつのまにか腕の中からこぼれ落ちているノートをひっつかみ、そっと胸に抱きなおす。

 

 レンゲは自分が雨に濡れないことより、まずノートの安否を気遣うそぶりを見せた。

 母親が子を抱くように、濡れないように背をかがめながら、雨を避けられる場所を探す。

 

――雨が、突然土砂降りになった。

 

 夏の通り雨のように、一瞬で視界が黒く塗りつぶされ、まるで堰を切ったかのように、空から猛烈な勢いで雨が降り注ぎ始めた。

 

「ヤダ。濡れちゃう……」

 

 レンゲはずっと向こうの大きな木に向かって走り出した。

 

 よっぽど慌てていたのだろう、ストレージにいれれば大丈夫なことにも気づかず、一直線に走っていく。小さな身体で一生懸命走る。

 

 穢腐ノートは、レンゲの魂そのものなのである。

 

「おい。いきなり走り出すな」

 

 リーニエも後を追いかけた。

 

 焦りが仇となった。ぬかるんだ地面に足を取られ、レンゲがバランスを崩す。

 

「ぅあっ!」

 

 短い悲鳴と共に、レンゲの手から、あの黒いノートが宙を舞った。

 

 スローモーションのように、ノートは放物線を描き、雨に打たれながら、地面にでき始めていた泥水たまりへと、まさに落下しようとしていた――。

 

「!」

 

 リーニエは、その光景を視界の端で捉えた瞬間、思考よりも早く身体が動いていた。

 

――ダンッ!

 

 魔族の俊敏さをもって、地面を蹴る。

 ノートが汚泥に沈む寸前、リーニエの白い指が、それを間一髪で掴み取った。

 

 手に出した斧を傘代わりにして、片方の手で広がったノートの無事を確かめる。

 

――ほんの刹那。

 

 魔族としての超常的な反射神経と情報処理能力が、その一瞬を常人には捉えられないほどに引き延ばす。脳が灼かれる。ぐわんと、視界が歪む。

 

 そんな文字の本流。

 たった1ページの言葉の概念が、魔法のようにリーニエの存在そのものを揺さぶる。

 

 その圧倒的なまでの―――――腐力――――とでも言うべき力。

 

『……リバ……オメガバース……発情期ヒート……運命の番……魂の刻印を……』

『……主従逆転……下剋上だ……飼い犬に手を……支配と被支配の倒錯遊戯……』

『……猫ヒンメル……狼ハイター……異種族交配……その瞳に宿るは獣の光……』

『……記憶喪失……過去の因縁……繰り返され……惹かれ合う……前世から……』

『……男体妊娠……産卵……我らが愛の結晶よ……! 産め! 我等神の子を!』

『……寝取られ……絶望の淵で咲く歪な愛……? 脳破壊……キモチイイ………』

『……ショタおに……年の差……禁断の果実の味……育ての親に抱かれる夜……』

『……サンド……3ピー……ああ、どちらも選べないのなら、いっそ三人で……』

 

「もッ! ホっ!」

 

 もはや意味をなしていない言葉を発し、吐血すらしそうな勢いで、リーニエはくず折れた。

 なんとか斧は掲げたままだし、ノートも無事だ。

 ただ、リーニエの精神だけがとてつもないダメージを受けていた。

 

 レンゲが走って戻ってくる。

 

「リーニエ。大丈夫?」

 

「……大丈夫。大丈夫。もほほ。し、死にはしないから。もほほ……」

 

 言いながら、リーニエはノートを差し出す。

 ギュっとノートを抱きしめながら、レンゲは儚くわらった。

 

「ありがとう。リーニエ」

 

 

 

 

 

 雨はやみそうになかった。

 雨足は強まるばかりで、木陰からも雨粒がしたたり落ちてくる。

 レンゲが寒そうに身体を震わせた。

 

 魔族と違って、人間の身体はこんなにも脆弱である。

 しかし、先ほどの凄まじい情報の奔流は?

 けっして魔族に創りだせるものではない。

 いや、魔族どころか常人でも不可能なものだろう。

 

――半ば、確信。

 

 しかし、クシュンと小さくくしゃみをしているレンゲを見てみると、いやまさかという思いも抱く。こんなにもか弱い存在が――まさか――。

 

「レンゲ。HUDで近くの避難小屋を見つけた」

 

 動揺している心を鎮めようと、リーニエは事務的に護衛任務を進める。

 

 斧をブンブンと頭上で振り回し、雨粒を弾き飛ばしながら、小屋へと向かった。

 

 そこは古びた狩猟小屋のようで、扉は軋み、壁には所々穴が開いていたが、それでも激しい雨を凌ぐには十分だった。おそらく旅人がいつ使ってもいいように最低限の保守管理はなされているのだろう。まさに最低限ではあるが。

 

 小屋の中は薄暗く、ひんやりとした空気が漂っていた。リーニエは手早く焚き火を起こし、濡れたレンゲの服を乾かすよう促す。レンゲは言われるがままに、しかしどこか上の空で、火のそばに寄り、かじかんだ手を温めている。

 

 その手には、いったんストレージにしまったはずのあの黒いノートが固く握りしめられていた。

 

 そして、ゆっくりと考えながら――悩み顔でなにかを書きこんでいる。

 

 確かめてみたい。中を覗きこんでみたい。

 

 そこに――()()のかもしれない。()が、そこに。

 

 そして、あのノートこそが、神が紡ぐ『聖典』なのではないか。

 

 雨音だけが、静かに響く。

 

 リーニエが、静かに歩く。

 

 木張りの板が、ギィギィと鳴り、それすらも神聖さを帯びているようで、リーニエは神の信徒のように、神聖な儀式を遂行するように、厳かに近づく。

 

 ほんの二メートルほどの距離。ただ、その距離からもハッキリと神託は視えた。

 

『魂の産み直し――オメガリバース』

 

 その文字を見たとたん。

 

 リーニエの中で何かが弾けた。アナリザンドの言葉。『神への奉仕』『素材集め』『使命』。それら全てが、今、一つの線として繋がったのだ。

 

 自分は、この神聖なる瞬間に立ち会うために、ここに導かれたのだ、と。

 

 リーニエという存在そのものが、魂が――、そのすべてをもって理解した。

 

 目の前で、か弱く雨に濡れ、寒さに震えているこの少女こそが、世界の理を覆し、魂すらも新たに創造しうる、まさしく神そのものであると。

 

 そして、薄汚れて何度も何度も書きつぶされて、へろへろになっている、あの黒いノートこそが、その神託を記した聖典なのだと。

 

 リーニエは信じた。

 

 もはや、リーニエの中に、疑念や戸惑いは一片も存在しなかった。

 

 彼女は、ただ歩く。

 

 その動きは、もはや単なる護衛対象への接近ではない。それは、巡礼者が聖地へと向かうような、あるいは巫女が神託を受けに神殿の奥へと進むような、厳かで神聖なものへと変貌していた。

 

 レンゲは、リーニエのただならぬ気配に気づき、「……?」と不思議そうな顔で彼女を見上げる。その無垢な瞳には、リーニエの内面で起こっている天変地異など、微塵も映っていない。

 

 リーニエは、レンゲの前に恭しく跪くと、まるでハイターがヒンメルに寄り添うかのように、その肩にそっと手を置いた。そして、慈愛と、そして秘めたる情念をこめたような、しかしどこか厳粛な声色で、あの聖典『穢腐ノート』の――正確にはブログにコピーされた一節――を、諳んじ始めた。

 

 それは、かつてアナリザンドも『再現』させられた、とある雨宿りの場面。

 

 しかし、今のリーニエの言葉には、あの時とは比較にならないほどの魂がこめられている。

 

 なぜなら、彼女の魔法は、模倣を超えて、神をすら顕現させようとしているのだから。

 

「レンゲ」限りない優しさをこめて。「雨が止むまでここで、少し休みましょう。冷えた身体を温めるには、人の温もりが一番ですから」

 

 レンゲは、ポヤポヤしているが、自分の子ども――創作物がわからないほど、頭は悪くない。

 リーニエの迫真すぎる演技に、すぐに反応し、半ば無意識に言葉を紡ぐ。

 

 やはり、その物語の続き。

 

「リーニエ……。君は、いつも。そうやって、私を……。甘やかす。だけど、今は……。その温もりが。私には……。痛いんだ……」

 

「なぜです、レンゲ? 私の温もりでは、貴方の魂の渇きを癒すことはできないと、そうおっしゃるのですか?」

 

 熱っぽい視線。神託を受ける喜び。

 

「違う。そうじゃないんだ……。君の温もりは、僕の中の獣を目覚めさせてしまう」

 

「獣? それならば、私もあなたのような美しく気高い獣に喰らわれたいと望むばかり」

 

 リバって、ワチャワチャ。

 リーニエがおめめぐるぐるで、フゥフゥと熱い吐息を吐いている。

 

「リーニエ! 僕は……僕は君を欲望のまま喰らいたいと思っている。こんな汚らしい欲望まみれの僕を、君は本当に受け入れてくれるのか?」

 

「もほっ!」

 

 ついに限界がきてしまったようだ。

 あまりにも迫真プレイすぎて、先につぶれたのはリーニエだった。

 それでも歯をくいしばって、この神話を完成させる。信者の鑑。

 

「ヒンメル。いやレンゲ。あなたに食べられるのなら本望です。さぁ、私をあなたのものに……」

 

 その熱演が最高潮に達した瞬間、レンゲはふと我に返った。

 

 目の前の魔族の少女の、あまりにも真に迫った演技と、その瞳に宿る狂気的なまでの熱量に、さすがのレンゲも少しだけ怖気づいたのかもしれない。このままでは、本当に喰べられてしまうかもしれない、と。

 

 リーニエはまぎれもなく魔族でもあることだし。

 

 しかしながら、祈りは届いた。

 

「……あなた……もしかして……私の『読者』さん……?」

 

 これこそが、他ならぬ、神の存在証明だった。

 

 リーニエは、魂が打ち震えるのを感じながら、待ちに待った言葉を発する。

 それは確認ではない。それは疑念ではない。

 それは、ただ御名を讃えたかったのである。

 

「あなたが……、あなたが神か?」

 

 レンゲは、コクンと頷いた。

 

「私が……。物語を紡ぐ者。『腐神者』レンゲ』

 

「神……! おお、神よ……!!」

 

 その後、レンゲにネタ帳を見せてもらうという神対応をされ、リーニエは心の底からヤル気モリモリになり、護衛任務を全うすることを心に誓うのだった。

 

 

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