魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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誉れ

 

 

 

「どうしてこうなった……」

 

 オルデン卿は、力なく言った。

 

 それは、わたしが聞きたい。どうしてこうなった。

 

 訓練場を貸し切り状態にして、ヴィルト君とシュタルク君が対峙している。

 どちらが負けても名誉にかかわるので、観客はいない。

 オルデンのオジサマに頼んで、そうしてもらった。

 だから、いま観客はフェルンちゃんとわたし。そしてオルデン卿だけ。

 

 フリーレンはあいかわらず「興味ない」の一言で、図書室にこもりきりだし、ザイン先生に至っては「アナ公モテモテだな」とかニヤニヤ笑って、またギャンブルでもしにいったのだろう。

 

――働けよ大人たち。

 

 役目でしょ。

 

 そんなわけで、観客の少ない訓練場は、静かだった。

 ふたりの青年は気迫に充ちており、互いに得意な得物をもっている。

 

 ふたりとも真剣だ。もちろん文字通りの意味で。

 シュタルク君はバトルアックスを、ヴィルト君は白銀に輝くロングソードを握っている。

 

 わたしはちゃんと木刀にしといたらって言ったんだよ。

 でも、シュタルク君たちは聞かなかった。

 

 決闘は遊びじゃないとか言って。

 

 馬鹿なのだろうか。いや事実、馬鹿なのだろう。

 それで、その馬鹿でくだらない決闘とやらの、トロフィーにされているのはわたし。

 人生ってままならないものだよね。

 正直なところ、気分は最悪。かわいい弟たちがわけのわからない意地とプライドで傷つくのは嫌だし、その遠因はわたしにあるのである。

 

 ついでにいえば、わたしの自由意思イズどこ?

 

「ふたりとも、準備はよいか」

 

 もはや諦観すらにじませて、オルデン卿が声をかける。

 

 シュタルク君は無言のまま頷いた。

 

「ああ、いつでもいいぜ。親父」とヴィルト君は不敵に笑む。

 

「父上と呼べといつも言っているだろう」

 

「細かいことにこだわっていたら禿げるぜ」

 

 案外、仲いいじゃん。

 

「ぬかせ。では――始めよ!」

 

 オルデン卿の号令とともに、刹那、金属音が甲高く鳴り響く。

 

 ヴィルト君のロングソードが、まるで意思を持っているかのようにシュタルク君の首筋を狙っていた。対するシュタルク君は、その鋭い一閃をバトルアックスの柄で弾き、力任せにヴィルト君を押し返そうとする。

 

 火花が散り、風圧が観客席のわたしたちの頬を撫でる。

 

 ヴィルト君の剣技は、騎士道物語に出てくる英雄そのものだ。流麗で、正確無比。一撃一撃が洗練されていて、無駄がない。見ているだけでため息が出そうなくらい()()()

 

 オルデン家は、クレ地方を祖にし、つまりシュタルク君のいた戦士の村と同じ血筋を引いてるらしい。その剣技もどことなく、シュタルク君のお兄さんであるシュトルツのものと似ているように思えた。

 

 いかに敵から反撃を受けないで、自分だけが攻撃を加えるか。そういうヒット&アウェイこそが基礎的な考え方として置かれている。泥ひとつはねない白いマントが最強の証。いまのヴィルト君はマントを装備しているわけではないけれど、その思想は共通している。

 

 一方、シュタルク君の戦い方は、もっと野性的で荒々しい。一撃の威力はヴィルト君を上回るかもしれないが、動きは大きい。それでも、魔物との数えきれない死闘を潜り抜けてきた経験が、その動きに予測不能な鋭さを与えている。

 

 簡単に言えば、ウォーリアーとタンクの中間みたいな戦い方なんだよね。多少ダメージを喰らっても、それ以上のダメージを敵に与えれば良しとするような。

 

 シュタルク君の場合、魔族の襲来から逃げたという経験が『剣』という武器を忌避させている面があるのだろう。もちろん、師であり育ての親であるアイゼンの戦い方が、斧を使うものだったからということも大きいが。

 

「正直、予想外です」とフェルンちゃん。

 

「なにがかな?」

 

「シュタルク様が、対人戦にこれだけ優れているとは思いませんでした」

 

 確かに、シュタルク君がおこなってきたのは、ほとんど魔物との戦いだ。

 

 対人戦らしい対人戦の経験は、おそらくリーニエちゃんとの茶番だろうが、あのときは青姦寸止めプレイをしていた。

 

「それに、ヴィルト様も、引きこもりとばかり思っておりましたが、お強いです」

 

「全然なまっていないみたいだよね。公務、ちゃんとこなしてたんだね」

 

「どちらが勝つのでしょうか」

 

「……それは、たぶん」

 

 一進一退の攻防が続く。

 閃光のような速さを持つのはヴィルト君。

 ヴィルト君の剣がシュタルク君の肩を浅く切り裂き、赤い血が滲む。

 

 しかし、知ったことかとばかりに、シュタルク君が力で押した。

 

 シュタルク君のバトルアックスがヴィルト君の体勢を崩し、危うく致命傷になりかねない一撃を、ヴィルト君は転がるようにして紙一重で避ける。

 

 お姉ちゃんは心配です。

 

 もちろん、死ななきゃ安い理論で、女神様の魔法で回復はしてあげられるけど、万が一にも即死しちゃったらと思うと怖い。シュタルク君もヴィルト君も、そのあたりはわきまえているとは思うけど、お姉ちゃんにバトル経験値はそこまでないのです。

 

 でも、わたしにはわかっていた。

 薄々、感じていたといったほうがいいか。

 

――シュタルク君が、勝つだろう。

 

 というのが、わたしの予測。

 

 ヴィルト君が弱いわけではない。さすがオルデンの英雄と呼ばれただけのことはある。あるいは勇者と呼ばれてもおかしくないほど、彼の技量は優れている。

 

 だが、ヴィルト君の剣には、ほんのちょびっとだけ()()があった。わたしのなかの<わたし>がヴィルト君の発汗、体温、言葉の調子から、わずかなズレを見抜く。

 

 たぶん、ヴィルト君は、目の前にいるこのわたし。リアルアナリザンドを守るべきなのか、それともバーチャルアナリザンドを守るべきなのか。処理しきれていない部分があるのだろうと思う。

 

 対して、シュタルク君は、わたしと問いかけした経験で、どっちもわたしだと言っていた。

 

 彼はただ、目の前の敵を打ち倒し、わたしを――お姉ちゃんを守ろうとしている。その単純さが、今の彼を強くしている。

 

 そして、その予感は的中した。

 激しい打ち合いの末、ヴィルト君の剣が大きく弾き飛ばされた。

 駒のように斧をまわし、そのまま遠心力で、がら空きになったヴィルト君の胴体を狙う。

 

「そこまでっ!」

 

 オルデン卿の悲痛な声が響いた。

 シュタルク君の斧は、ヴィルト君の数ミリ手前でピタリと止まっていた。

 

 空から吹き飛ばされた剣が降ってくる。踏み固められて硬いはずの地面に突き刺さる。

 それでもなお、ヴィルト君はシュタルク君を睨みつけたまま闘志を失っていない。

 

「ヴィルト! 見苦しいぞ! このまま殴りあいでも続けるつもりか」

 

 見かねて、オルデン卿が叱責の声をあげる。

 ヴィルト君は下を向き、唇をきゅっと引き結ぶ。

 

「まいりました……」

 

 ヴィルト君の、絞り出すような声が訓練場に響いた。

 敗北を認め、うなだれていた。

 

 シュタルク君は、そろりと斧を引き離し、地面にごとりとおろした。

 

「ふぅ……。やったぜ。姉ちゃん! これで姉ちゃんと踊れる」

 

 シュタルク君が振り返り、わたしに笑顔を向ける。

 自分が優秀な雄であることを証明できてうれしいのだろう。

 

 でもね。お姉ちゃん激おこですよ。

 

「なに言ってるのかな? シュタルク君」

 

「え、でも、決闘で勝ったのオレ……」

 

「誰が踊るって言ったの?」

 

「え?」

 

 わたしの言葉をまったく理解していないシュタルク君。

 いくらわたしが寛容を旨とする女神教徒でも、限度がある。

 

「シュタルク君。わたしのお話ちゃんと聞いてた? もともとはヴィルト君を立ち直らせるのが依頼でしょ。なんで、余計にこじらせてるの?」

 

 見ろよ。あの無様な姿をよぉ……。

 

 ヴィルト君は、地面でorzしてるんだよ。どうするんだよ、これ。

 

「だ、だって、あいつが姉ちゃんのこと……!」

 

「わたしはそれでいいと思って、ダンスに誘ったの」

 

「姉ちゃんはオレよりあいつのことがいいっていうのかよ!」

 

「そういうことを言いたいんじゃないの。あのとき、ヴィルト君をダンスに誘ったのは、ヴィルト君を後押ししたかったからだよ。それがオルデンのオジサマの依頼だったよね?」

 

「でもっ!」

 

「シュタルク様は、信じられないくらい馬鹿なお方なのです」フェルンちゃんが一見するとひどい言葉だが、シュタルク君をカバーしようとしている。

 

「ひでぇよ。フェルン……」

 

 わたしだって、シュタルク君がわたしを守ろうとして決闘におよんだことくらいはわかっている。だから、完全には否定しきれない面もあるんだけど、いくらなんでも短絡的すぎると思うんだよね。

 

 いわば、わたしは後ろからフレンドリーファイアされたような気持ちだったのだ。

 

「シュタルク君。わたし、お姉ちゃんとしてシュタルク君を叱るよ」

 

「姉ちゃんが、オレを叱ったことなんか……」

 

「いままでなかったよね。でもね。いっしょに冒険しているからこそ、叱る必要があるかなって思うの。いままで、アイゼン先生が叱ってくれてたけど、いまはわたしが、シュタルク君に一番近いお姉さんだからね。わかった?」

 

「ああ……」

 

「まずシュタルク君は依頼内容を無視して、達成を阻害しました。これは仲間からすると裏切り行為に等しいです。ダメなことだよね?」

 

「わかってるよ、姉ちゃん」

 

「次に、ヴィルト君はクライアントに近しいひとでした。そのヴィルト君と決闘するなんて、クライアントの気持ちを無視しています。ありえません」

 

「でもそれは……姉ちゃんを」

 

「シュタルク君によって、お姉ちゃんの気持ちは無視されました。勝手に決闘して、勝手に踊れるって勘違いして。わたしは一度もいいよって言わなかったよ」

 

「ごめんて、姉ちゃん謝るから。ゆるしてくれよ」

 

 しょぼしょぼ顔になるシュタルク君。

 くっ、かわいいな。ほだされそうになる。

 

 でも、ここで甘い顔を見せたら、本当に叱るってことにはならない。

 できる姉とは、きちんと叱れてこそだろう。

 

 だから、わたしは言った。

 

「シュタルク君。めっ!」

 

 がっくりとうなだれるシュタルク君。

 ヴィルト君の隣に並んで、仲良く地面につっぷしている。

 地面に瓜二つなオブジェクトが並んで、わたしは悄然とした気持ちになった。

 

「どうしてこうなった……」

 

 決戦のバトルフィールドに、一陣の風がひゅるりと吹いた。

 争いはむなしい。

 

 

 

 

 

 後日、オルデン卿から執務室に呼ばれたわたし。

 おっしゃりたいことはよーくわかっております。

 

「オルデン家の状況が、前よりも悪化しておるでん……」

 

 まさかの親父ギャグでした。

 でも、本当のことだった。

 

 あれから、ヴィルト君は前にもまして引きこもりになり、部屋のカーテンを閉め切って、バーチャルアナリザンドとの会話すらしていない。

 

「誉れは死んだ……アナさんのエスコートもできない……オレはもう……ただの抜け殻だ……」と、部屋の隅で体育座りしてブツブツ言うレベル。

 

 食事も喉を通らず、本当に廃人寸前らしく、リネンを替えに行ったメイドさんが、あまりにも幽鬼じみたヴィルト君の様子に、ひぃと叫んで逃げかえったらしい。

 

 このままでは依頼未達成どころか、損害賠償すらされかねない危機的状況だ。

 

「オジサマ。その件につきましては、当社は全力を尽くしておりまして」

 

 手をこねこね。オルデン卿に近づく。

 

「具体的には?」

 

「まず、サブクエストである時間稼ぎ――、シュタルク君の影武者作戦は万が一のときを考え、始めさせていただきました。シュタルク君も快諾しておりましたよ。もちろん、お相手はわたしではなくフェルンちゃん。人間の見目麗しい娘です」

 

「そなたが、叱ったからだろう」

 

 ああ、声が冷たい。

 でも、気が気じゃないんだろうな。

 

「いえ、彼は自身の過ちを認め、反省しておりましたよ。自発的にそうしたいとのことでした」

 

「それで?」

 

「メインクエストのほうですね。もちろん、こちらも粛々と進めさせていただいております。わたくしめが、毎日、ヴィルト様の部屋の前に立ち、会話を試みておりますゆえ。いましばらくお待ちいただければ、と」

 

「その喋り方、気持ち悪いからやめてもらえると助かるが」

 

 オルデン卿が深い溜息をついた。

 ギャグ言うから、そういうの求めてると思ったんだけど違ったようだ。

 

「あ、うん……。わたしもがんばってるから、オジサマももう少しだけ待ってくれるとうれしいな。ヴィルト君もきっと立ち直れると思う。オジサマ、信じて」

 

「社交会には間に合いそうなのか?」

 

「わかんない。ヴィルト君、自分のことを負け犬だって規定しちゃったから」

 

「負け犬か。ヴィルトは本当に立ち直れると思うか? 恋敵に負けた。つまり、男としての誉れも失った状態なのだろう。バーチャルのおぬしとすら話をしていないらしいではないか」

 

「勇者の魂は何度だって立ち上がるものなんだよ。だから、勇者と呼ばれるの」

 

「ヴィルトはそこまでは至ってないだろう。私にとっては、ただの若造だ」

 

 そうはいっても、息子に対する期待を捨てきれないのが男親というものなのだろう。

 

「ヴィルト君は強い子だと思うよ。わたしには魂の輝きが視えるの」

 

「そうか。そなたには期待しておこう。せめて報酬分は働いてくれ」

 

 もちろんでございます。

 

 

 

 

 

 そういったわけで、シュタルク君とフェルンちゃんは夜会に向けて影武者作戦のための演技指導が日々の業務になり、フリーレンとザイン先生はあいかわらずぐーたらしているだけのニート状態だったし、わたしはというと、英雄ヴィルトを現世へ帰還させることが任務となっていた。

 

 控えめながら言わせてもらうと、ヴィルト君はわたしのファンだし、わたしのことが好きなんだと思う。だから、部屋の前でひとことふたこと会話することはできる。

 

 お部屋のなかまでは入らせてくれないけれど、それは少しずつ距離を縮めていくしかない。

 

 最初のほうは、ドア越しに声をかけても、中からの返事すらなかった。ただ、静寂だけが重くのしかかってくる。

 

 それでもわたしは諦めずに、最強の会話デッキである天気の話や、街で見かけたおもしろい民間魔法の話、フリーレンたちが相変わらず金欠で困っている話など、とりとめもないことを話し続けた。

 

 やがて、数日経った頃だろうか。わたしがいつものように、「今日のドーナツは新作のベリー味だったんだけど、フェルンちゃんと半分こしたら一瞬でなくなったよ。ヴィルト君も甘いもの好きだったよね?」と話しかけると、ドアの向こうから、か細い声が聞こえてきた。

 

「どうせ、オレには関係ないことです」

 

「関係なくないよ。ヴィルト君が元気になったら、一緒に美味しいものでも食べに行こうよ。わたし、いいお店知ってるんだ」

 

「優しくしないでください。オレは負け犬なんです」

 

「負け犬って誰が決めたの? わたしはそう思ってないけどな」

 

「バーチャルなアナさんにかまけて、あの男に負けた。好いた女性のエスコートもできない。そんな男のどこが負け犬じゃないと言えるんです?」

 

「決闘に負けたこととヴィルト君自身の価値は別だよ。それにわたしは決闘の勝者としか踊らないなんて一言も言ってないんだけどな。わたしはあのときヴィルト君に対して踊ってほしいって言ったよね? 覚えてる?」

 

「慰めはよしてください。こんな弱い男と踊ったら、あなたが穢れてしまう。オレにはあなたのパートナーを務める価値すらない男なのです」

 

「ふうん。そういうこと言うんだ。ヴィルト君は自分が言った言葉にすら責任をもてない人なんだね。公務はおろそかにしていない。鍛錬に励む。民の声を聴くって言ってたのに、全部嘘だったんだ。そんな負け犬以下の嘘つきと、踊りたいなんて言うお姫様がいると思う?」

 

「手厳しいですね。バーチャルなアナさんなら、こんなオレにでも優しくしてくれるのに……」

 

「そうすることもできるよ。どうする?」

 

 どちらもわたしなので、当然そうなる。

 でも、ヴィルト君は結局のところリアルなわたしのほうを選んだのだ。

 夜会にわたしのパートナーとして参加したかったというのが理由である。

 

「あの男が言ったように、リアルなアナさんが本物なんですよね?」

 

「いいえ。そうじゃないよ。確かに生身の身体がないぶん、バーチャルなわたしは失敗をしにくいという特性があるし、みんなが求めれば求めるだけ、その時間を提供するシステムになっている。だから、バーチャルなわたしは、みんなの理想を投影しているといえるけれど、生身のわたしだって、その本性は変わらないよ。ただ表現方式やインタラクションの仕方に違いがあるだけなの」

 

「つまり、あなたはオレの妄想に過ぎないということですか」

 

「そうだよ。みんな互いにそうなの」

 

「では、オレはあなたにどうやって逢えばいいんでしょう」

 

「ここを開けてくれればいい」

 

 物理的に逢わなければ会話は始まらない。

 だれだってそうでしょう?

 

 どれくらいの時間が経っただろう。

 

 ガチャリ――と静かな音をたててドアが開かれた。

 

 薄暗い部屋の中で、わたしの動画アーカイブが机の上に見える。

 

 目の下に隈ができていて、いつものような元気がない。

 

「アナリザンドさん」

 

 かすれた声で、ヴィルト君がわたしの名前を呼んだ。

 

「うん、ヴィルト君。お久しぶりだね。リアルで逢うのは」

 

 わたしはできるだけ普段通りの軽い口調で声をかけた。

 

「オレはどうすればよいのでしょうか」

 

「とりあえず、中に入ってもいいかな? さすがに廊下で立ち話もなんだし。それとも、お散歩でもする? 今日はいい天気だよ」

 

 わたしは、あえて選択肢を与えてみた。

 ヴィルト君は少し逡巡した後、小さく頷いてドアを大きく開けた。

 

「どうぞ。散らかっていますが」

 

 部屋の中は、思ったよりも整頓されていた。ただ、空気が重く、彼の心の状態を映しているようだった。わたしは、前みたいにベッドの端にちょこんと腰掛けた。ヴィルト君は、壁際に立ったまま、わたしから少し距離を置いている。

 

「ヴィルト君はさ、わたしのこと()()だとか()()だとか言ってくれたよね」

 

「はい。あなたは、オレにとってそういう存在でした。今も……そう思っています」

 

「ありがとう。そう言ってもらえるのは、すごく嬉しいよ」わたしは、にっこりと微笑んだ。「でもね、女神様ってただ祈りを捧げられるだけの存在なのかな?」

 

「どういう意味でしょうか?」

 

「昔、ハイターが言ってたんだけどね。本当の信仰っていうのは、ただ願うだけじゃなくて、その教えに従って行動することなんだって。例えば、慈悲の女神様を信仰するなら、困っている人に手を差し伸べる、とかね。ただ助けてくださいって祈るだけじゃ、女神様も力を貸しにくいんじゃないかなって」

 

――行って、そうしてください。

 

 そう、ハイターは言っていた。わたしは、ずっとそうしてきたんだ。

 

「オレは、あなたに祈ることしかしてこなかった、ということですか……?」

 

「うーん、どうだろうね。でも、もしわたしが本当にヴィルト君にとっての女神様や太陽だとしたら、ただ部屋にこもってわたしの動画を見てるだけじゃ、その光はヴィルト君には届きにくいかもしれないね。太陽の光だって、カーテンを開けなきゃ部屋の中には入ってこないでしょ?」

 

 わたしは、部屋のカーテンに視線を向けた。それは、固く閉ざされたままだった。

 

「あなたは、わたしにどうしてほしい? ヴィルト君自身の言葉で聞かせてほしいな。わたしは、あなたの()()()()()()を演じることもできるけど」

 

 ヴィルト君は、しばらく黙って何かを考えていた。彼の視線が、机の上のわたしの動画アーカイブと、目の前にいるわたしとの間を行き来する。

 

「オレはリアルなアナリザンドさんと、ちゃんと向き合いたい。そして、もし許されるなら、夜会で、あなたをエスコートしたいです。今のオレには、それくらいしかできることが思いつかない」

 

「うん。いいんじゃないかな」わたしは、優しく頷いた。「夜会でわたしをエスコートする。それは、今のヴィルト君にとって、すごく大きな一歩だと思うよ。たくさんの人がいる場所で、胸を張ってわたしをリードするんでしょ? それって、ただ部屋でわたしの動画を見てるより、ずっと勇気がいることだよね」

 

「……はい」

 

「じゃあ、決まりだね。夜会に向けて、しっかり準備しないと。最高のわたしをエスコートするんだから、ヴィルト君も最高の自分でいなきゃダメだよ。わたし、中途半端な男の子にエスコートされるのは、嫌だからね。わたし、ワガママな女の子なの」

 

 わたしは、いたずらな小悪魔のように笑ってみせた。

 釣られてヴィルト君の顔に、ほんの少しだけ、血の気が戻ったように見えた。

 

「……善処します」

 

 それ一番ダメなセリフだよ。まあ、ヴィルト君に他意はないみたいだけど。

 

「期待してるよ。英雄ヴィルト君の魂の輝きをね」

 

 わたしは立ち上がり、部屋の出口に向かった。

 

「それじゃ、わたしはそろそろ行くね。みんなにはちゃんと顔を見せてね。心配してるから」

 

「アナリザンドさん」

 

 呼びとめられて振り返ると、ヴィルト君が、わたしをまっすぐに見つめていた。

 

「ありがとうございました。そして、これからもオレを導いてください。オレの女神よ」

 

 彼は、騎士らしく、深く一礼した。

 

「導くなんておこがましいよ。わたしは、ヴィルト君が自分の力で立ち上がるのを、ちょっとだけ応援してるだけ。頑張るのは、あなた自身だからね」

 

 勇者の魂は、何度だって立ち上がる。

 わたしは、そう信じている。

 

 

 

 

 

 その夜、フォーリヒの城は、かつてないほどの喧騒と華やぎに包まれていた。

 

 魔族との戦いでの戦勝会という意味合いをもつこのパーティは、戦死者ゼロというかつてないほどの快勝でもあり、その戦いで負傷したとされる英雄の帰還、そして勝利の立役者であるヴィルトの婚約者候補を探す目的もあった。

 

 大広間の巨大なシャンデリアが放つ太陽に似た光は、磨き上げられた大理石の床に反射し、きらびやかな宝石のように輝いている。

 

 弦楽四重奏が奏でる優雅なワルツの調べが、集まった貴族たちの楽しげな談笑と軽やかなグラスの音に混じり合い、祝祭の雰囲気を一層高めていた。

 

 地元の有力者たちは、英雄ヴィルトの健在と、そのダンスパートナー、すなわち婚約者候補を一目見ようと参加を許されている。パートナーの名前は知らされていなかったが、いまだ決定というわけではないだろう。少なくとも、ヴィルトに結婚する意欲があることは明らかだ。オルデン家としてもそうなのだろう。

 

 であれば、あわよくば、当家の娘も――と思う親がでてきてもおかしくはない。

 あるいは、ダンスパートナーが誰なのか明かされれば、その娘のほうと懇意にさせてもらうという選択肢も出てくるのである。

 

 それが政治というものだったが、今回は英雄の復帰という祝いの意味合いが強い。

 ともかく、招待客たちは皆、今宵の主役の一人である若き英雄の登場を心待ちにしている。

 

 やがて、大広間の入り口にひときわ大きな注目が集まった。

 

 現れたのは、黒色のドレスを纏った魔族の少女――アナリザンドと、彼女をエスコートする長身の青年。見違えるように背筋を伸ばし、自信に満ちた表情で歩を進めるのは、まさしく英雄ヴィルトその人であった。

 

 数ヶ月前に負傷したとされる姿など微塵も感じさせない、堂々たる立ち居振る舞い。

 その精悍な顔つきには、かつての輝き、いや、それ以上の強い意志が宿っているように見えた。

 

 アナリザンドは、ヴィルトの腕にそっと手を添え、悪戯っぽく微笑んでいる。その異質なまでの美しさと、人間離れした幼い容姿は、否応なしに人々の目を惹きつける。

 

 彼女は超大規模回復魔法という女神に匹敵するほどの奇蹟を成した存在でもある。英雄に引けをとらないどころか、一部にはぶっちぎりの人気を誇るキャラクターなのである。「ちっちゃいなぁアナ様。かわいいなぁ」「身長足りてなさすwww」「リアルアナちゃんキター」「結婚したのか。英雄と」「うちの息子と結婚してくれたら、アナ様、わしの娘になるんか?」「アナちゃんは既にオレの嫁だが?」といった声が聞こえてくる。

 

 ヴィルトも負けてはいない。

 世の御淑女様がたは、ヴィルトに熱っぽい視線を向けている。

 

「まあ、ヴィルト様。なんとご立派になられて」

 

「あの魔族のおなごをエスコートとは、さすがは英雄、型破りなお方ね」

 

「ロリコン、なのかしら……」

 

「可能性の獣、ロリコーン……」

 

「それはユニコーンではなくて?」

 

 囁き交わされる声には、驚嘆と賞賛の色が濃い。息子の晴れ姿に、オルデン卿は感極まった様子でそっと目頭を押さえていた。あの時、永遠に失われるはずだった――誉れを抱く騎士の姿。

 

 ヴィルトとアナリザンドがフロアの中央へと進み出ると、入れ替わるようにして、もう一組の男女が静かに入場してきた。

 

 純白のドレスを優雅に着こなす、紫髪の美しい少女――フェルン。そして彼女をエスコートするのは、ヴィルトと瓜二つの容姿を持つ青年――影武者のシュタルクであった。

 

 シュタルクは、まだどこかぎこちなさを残しながらも、フェルンの落ち着いたリードもあってか、懸命にステップを踏んでいる。その真摯な表情は、日頃の彼を知る者が見れば微笑ましいものだったろう。フェルンは、そんなシュタルクを時折ちらりと見やり、小さくため息をつきながらも、そのエスコートを静かに受け入れている。花開くように、少しずつ笑顔に。まんざらでもなさそうだ。

 

 会場は、再びどよめきに包まれた。

 

「ま、待て……あちらの青年もヴィルト様にそっくりではないか!」

 

「一体どういうことだ? あの美しい少女はどなたの御令嬢だろうか?」

 

「影武者? オルデン卿は、我々をからかっておられるのか?」

 

 二人のヴィルトの登場に、人々は混乱し、好奇の視線を彼らに注ぐ。アナリザンドとヴィルトは優雅に踊り、その隣ではシュタルクとフェルンが、ややぎこちないながらも一生懸命に踊っている。

 

 どちらのペアも、それぞれの形で注目を集めていた。

 やがて、フロアで二組がすれ違う瞬間が訪れた。その時、誰かが大きな声で叫んだ。

 

「一体どちらが()()のヴィルト様なんだ!?」

 

 その声は、会場中の人々の思いを代弁していた。

 

 ヴィルトは、その喧騒を気にも留めず、アナリザンドの耳元にそっと囁いた。

 

「アナさん。今宵、こうして貴女をエスコートできること、心から感謝しています。俺はもう幻影だけに溺れるのはやめます。どちらも本物と言われるのであれば、どちらも等しく信仰を捧げるべきでしょうから。貴女の隣に立ち、貴女を守り、貴女を笑顔にするために、騎士として、男として、努力し続けることを誓います」

 

 アナリザンドは、ヴィルトに手を伸ばす。

 星の進行のようにふたりが離れたりくっついたりする。

 

「男の子の顔になったね、ヴィルト君。その言葉を忘れないでよね。期待してるんだから」

 

 夜会は盛況のうちに幕を閉じようとしていた。

 

 客たちが帰り支度を始める頃、アナリザンドはオルデン卿から呼び止められた。

 

「アナリザンド殿、この度は感謝の言葉もない。息子のヴィルトは見違えるように立ち直った。これも全て、そなたのおかげだ。約束の報酬、シュトラール金貨12枚、確かに受け取ってくれ」

 

 金貨が執事さんの手から一枚一枚丁寧に、アナリザンドの小さな手のひらに乗せられる。その重みと輝きに、アナリザンドの瞳がハートマークになっちゃう。

 

「うひょー! 金貨様ぁん。一日千秋の想いでお待ち申し上げておりましたぁ!」

 

 アナリザンドは、金貨の感触を確かめるように、そのままほおずりする。

 マーキングする犬みたいな行動である。

 

 しかし、フリーレンとの約束で、金貨は山分け。

 断腸の思いだが、半分はフリーレンに渡さなければならないだろう。断腸の思いだが……。

 

 そこへ、シュタルクが少し申し訳なさそうな顔でやってきた。

 

「姉ちゃん、今回はオレが迷惑かけたから。オレの分の報酬はいいよ。自分で稼いでみる」

 

 その殊勝な言葉に、アナリザンドも感心したような表情を見せた。

 単純にシュタルク君の取り分を金貨二枚相当と考えれば、自分の取り分は金貨八枚相当?

 そんなふうに考えて、アナリザンドの鼻息が荒くなる。

 

 だが、その感動的な雰囲気をぶち壊すかのように、背後から声がかかった。

 

「アナ公、いい稼ぎだったな今回は」

 

 ニヤリと笑って現れたのはザインだった。

 彼は当然のようにアナリザンドの手のひらのうえから、金貨を三枚ひょいと取り上げた。

 

「あああああああ! なにすんの先生。強盗だよ。強盗!」

 

「なにって、山分けなんだろ。今回は――、シュタルクが辞退したから、オレとフリーレンとフェルンとおまえで四等分。なにもおかしなことねーじゃねぇか」

 

「先生、今回、なんにもしてないじゃん!」

 

「オトナは子どもを見守るのに忙しいの」

 

 とても、ちゃっかりしている。

 

「そういうことなら、私ももらっておこうかな」

 

 いつの間にか隣にいたフリーレンが、表情を変えずに金貨を三枚、自分の懐に入れた。

 

「ちょうど欲しかった魔導書があるから助かるよ」

 

「ちょ、ちょっと、フリーレンまで!?」

 

「おまえがそう言ったんだろう。山分けだって。その言葉どおりにしたんだ。何が不満なんだ?」

 

「たしかに、そう言ったけど……それは意味が、文脈が……」

 

 さらに、フェルンが静かに近づいてくる。

 

 アナリザンドは、ふるふると首を横に振った。

 かわいい妹なら、姉の意をくんでくれるはず。そう信じて。

 

 しかし、お財布係の妹は金にうるさかった。

 

「フリーレン様とザイン様がそうおっしゃるのでしたら、わたしも生活費として三枚、管理させていただきますね」

 

「あ……あ……ちょ、あぁ……」

 

 そして、フェルンもまた、冷静な手つきで金貨を確保した。

 

 あっという間に、アナリザンドの手元に残った金貨は、わずか三枚。

 

 さきほどの「うひょー!」という高揚感は消え失せ、そこにはゼーリエ直伝のエルフ顔で、「とほほ」と肩を落とす魔族の少女がいるだけだった。

 

 

 

 

 

 その日のアナリザンドの日記には、こう書かれている。

 

 英雄の魂は金貨三枚相当である、と――。

 

 どうやら英雄の魂を救うのは得意でも、自分の財布を守るのは苦手らしい。

 

 それもまた、かかる魔族少女なりの()()というやつなのかもしれない。

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