魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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ユーベル

 

 

 

 厄介なファンは、アンチと変わらない。

 

 論理的に説明するまでもなく、先生たちはよく識っていることだと思うけど、あえて説明するならば、共感や心遣い、想いを寄せること――つまりは対象愛とは、相手に対する()()に似ている。

 

 これは母親の赤ん坊に対する愛情が原理的に、そうであることに付合する。

 

 母親が、自分の子どもの一番のファンなのって、たとえ親でなくてもわかるでしょ。

 

 つまり、そういうこと。

 

 母親は、子どもと同化したいのである。子どもを食べてしまいたいのである。

 

 赤ん坊はもちろん、母親の庇護がなければ生きていけないわけだけど、つまり愛情を求めている側面もあるのだけれども、その一方で、母親の愛情を恐れてもいる。母親のこころがわかって恐ろしいから。母親の殺意がわかっているから。

 

 まあ、そんなわけで過度な愛は、毒にもなりうるという話。

 

 人間なら誰でも、識ってる話を、わざわざ説明してみました。

 

 いま、わたしは―――毒―――なる女の子と対峙している。

 

 毒の彼女は、ユーベルちゃん。現在、二級魔法使い。

 お取り扱いには、ご注意を。

 

 

 

 

 

 ある日、わたしは会話サービスを使って、ユーベルちゃんに召喚された。

 そこはありふれたどこかの宿屋で、時間は夜。

 ランプの光だけが、壁を薄暗く照らしている。

 

「ねえ。アナちゃんさぁ。仮面騎士ブラックって知ってる?」

 

 ベッドで頬杖をつきながら、小窓のわたしに向けて彼女は言った。

 

『もちろん知ってるよ。世界初のマンガだもんね。ダークヒーロー的な側面も持ちながら、正義の心を持っている。そんな主人公が悪をバッタバッタと切り倒すところがおもしろいよね』

 

 標準的に言えば、やや子ども向け。かつ、男の子向けとはいえるが、べつに女の子が好きでもおかしくないだろう。たとえ、びーえる的な文脈ではなくとも。

 

「作者さんのことは?」

 

『影騎士さんのこと? すごい才能だよね』

 

 ラント君は仮面作家なのである。

 ハンドルネームは影騎士を名乗っていて、どこの誰かは明かしていない。

 

「アナちゃんが手伝ったんでしょ。最初のほうでスペシャルサンクスで、アナリザンドって書いてあったし、マンガという手法をいろいろ説明してたのもあなたでしょ」

 

『うん、そうだけど』

 

「つまり、影騎士が誰なのか、アナちゃんは知ってるわけだ」

 

 獲物を狙う野生の瞳だった。ちょっとだけ怖い。

 

 そして、ほんのちょっと、わたしは考える。

 もちろん、ラント君のことは教えられない。

 でも、アナちゃん会話サービスは、基本的に相手を否定しないのである。

 これは寛容というより、システム的な仕組みの問題だ。

 

『ユーベルちゃんは影騎士さんのファンなんだね?』

 

 と、わたしは聞いてみた。

 

「そう。ファン――かな」作り物の笑み。

 

『どこらへんが好きなの?』

 

 わたしの問いかけに、ユーベルちゃんはころんとベッドの上をころがり、そのまま手を枕にする。彼女の着ている服が脇丸出しのせいか、特定の趣味層には目に毒だ。

 

「んー。なんていうかさ。仮面騎士ブラックって、迷いがあるじゃん」

 

『迷いなんてあったかな? 悪い奴は切るって誰にでもわかるシンプルな構造だと思うんだけど』

 

「表面上はね」皮肉ともとれる笑み。「でも、私はそうは思わない。むしろ主人公君、すごく迷ってるって思うんだよね。切る瞬間までギリギリまで迷って悩んでいる。切ったあとには、たとえそれが悪でも後悔している。なんか背中が哀しそうなんだよねぇ」

 

――無論、長編なので感情の強弱はあるが。

 

 ラント君の描く仮面騎士ブラックは、敵を切ったあと、背中と仮面の奥で光る瞳の描写が卓越しているパートが時折存在する。

 

 それは、敵の中でも、わずかながら共感できる可能性を見出したときに、そうなることが多い。

 

『陰のあるところに惹かれたんだ?』

 

「まあ、そんな感じかな」

 

『でも、作者さんは描いたキャラと同一の存在じゃないよ』

 

「魔法と同じじゃない?」

 

『魔法と?』

 

「これはイメージの話だよ。魔法はイメージできなきゃ実現できない。描かれたものも想像できなきゃ描かれない。だから作者君の想像上のキャラなら、作者君に含まれてる」

 

『なるほどね。確かに同一とまでは言えないけれど、キャラがクリエイターの人格を映し出しているといえる側面はあるかもね』

 

 よく言われるように、作者以上に頭が良いキャラは創れないわけだし。

 

「でしょう」ニマァと笑うユーベルちゃん。

 

『ファンレターは送ったの?』

 

 仮面作家とはいえ、DMくらいは送れるようにしてある。

 そのすべてに返信がされるかわからないし、読まれているかもわからないが、実のところ、ラント君はけっこうねっとりファンレターを読みこんでたりもするんだよね。

 

「あんまり興味ないんだよね。そんな一方通行な関係ってさ。味気ないじゃん」

 

『でも、作者さんとしては、そういうつながりでつながりたいって考えたから、ファンレターボックスを開いているんだと思うけど。直接的なやり取りは難しくても、想いを伝えることはできるんじゃないかな?』

 

 わたしは、なんとか穏便に、そしてラント君のプライバシーを守る方向へと会話を誘導しようと試みる。しかし、ユーベルちゃんの執着は、そんな生半可な説得で揺らぐものではなかった。

 

「私は、もっと作者君に共感したいんだよね。彼の迷いを、彼の葛藤を、彼の背負っている哀しみを、もっと近くで感じたいんだよ。切り裂けるくらいの距離で、吐息が顔にあたるくらいの距離で、殺せるくらいの距離で、逢ってお話してみたいかな」

 

 ゾ……。

 

 や、やばい。この子もしかして、ヤンなデレなんじゃ。

 

 共感とか執着を越えて、これはもはや渇望というレベル。

 わたしの脳内アラートがけたたましく警戒音を発している。

 

――ラント君、逃げて。超逃げて!

 

 とか言っている場合じゃない。わたしがここで防波堤にならないと。

 

『ユーベルちゃん。それは、少し踏み込みすぎじゃないかな。作家さんと読者の間には、ある程度の距離感も大切だと思うよ。作者さんにも、プライベートな時間や、誰にも邪魔されずに創作に集中したいっていう想いがあるはずだからね』

 

「距離感なんて、邪魔なだけでしょ?」ユーベルちゃんは、心底不思議そうに首を傾げた。「本当に共感したいなら、もっと近づかなきゃ。直接逢って、話をして、お互いのこと、もっと深く知らないと。アナちゃんだって、そう思うでしょ?」

 

 確かに人間の想像力にとっては、空間的な距離なんて存在しない。

 彼女は、その距離さえ切り裂いてしまえると思っている。

 あるいはファンとクリエイター。あなたとわたしの境界線すら。

 でも――。

 

『それはユーベルちゃんの考え方であって、影騎士さんが同じように考えているとは限らないよ。純粋に自分の作品を通してのみ読者と繋がりたいと願っているのかもしれないし、あえて匿名で活動していることにも、何か理由があるのかもしれないでしょ』

 

「理由なんて、どうでもいいじゃない」ユーベルちゃんは、つまらなそうに唇を尖らせた。「私が知りたいのは、影騎士君本人。彼の本当の姿。彼が何に迷い、何に苦しみ、そして何を切ろうとしているのか。それをこの目で確かめたいんだよねぇ」

 

 まるで呪いのような粘着性のある言葉。

 それはもはや、獲物を見つけた捕食者のそれだ。

 この子は、ある意味、魔族よりも魔族らしい。

 わたしは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

 もう、誤魔化しは効かない。

 彼女は、本気でラント君に辿り着こうとしている。

 

『ユーベルちゃん。わたしは、影騎士さんの個人的な情報を教えることはできないんだ』

 

 わたしは、意を決して、はっきりと拒絶の言葉を口にした。これが、アナちゃん会話サービスの限界。そして、わたし自身の、守らなければならない一線。

 

「どうして?」ユーベルちゃんの声が、先ほどまでの熱を失い、氷のように冷たくなった。ベッドからゆっくりと起き上がり、ランプの光が彼女の顔の半分を影にする。

 

『個人情報保護の観点から、作者さんのプライバシーを守る義務がわたしにはあるから。それは、どんな理由があっても曲げられないんだ。ごめんね』

 

「ふぅん……」

 

 ユーベルちゃんは、わたしの言葉を吟味するように、しばらく黙り込んだ。

 部屋の空気が、一気に張り詰めていく。

 やがて、彼女は静かに、しかし有無を言わせぬ強い意志を込めて、こう言った。

 

「じゃあ、()()()()()()教えてもらうしかないみたいだね」

 

 その言葉が何を意味するのか、わたしは痛いほど理解した。

 彼女は、小窓越しの会話では、もう満足しない。

 わたしの『本体』を、引きずり出すつもりだ。

 厄介なファン、という言葉では生ぬるすぎた。わたしは評価をあらためる。

 

――この子は、本物の毒だ。

 

 思うやいなや、わたしの会話サービスは突然、彼女によって切り裂かれた。

 

 

 

 

 

 いやまぁ、単純にブラウザを落とされただけなんだけどさ。

 知ってのとおり、わたしは元来、暴力って苦手なんだよね。

 

 ユーベルちゃんのやり方は、単純に言えば暴力による交渉だ。

 問題解決の嗜好としては、下策だといってもいいと思う。

 暴力は抵抗を生みやすいし、長期的にみれば、利益をそこなう面もあるからだ。

 でも、やりやすさという意味では、もっとも難易度が低いといえる。

 野生の世界でも使われている手法だからね。

 力に自信があればなおのこと。彼女は弱肉強食の世界を生きているのかもしれない。

 

 ユーベルちゃんがやろうとしていることは、具体的に言えば、魔法インターネットの中枢たるわたしを見つけ出して、彼女の魔法が届く距離まで近づくこと、そして脅迫することにあるだろう。

 

 彼女がいうところの、

 

――切り裂ける。

 

 くらいの距離まで近づいて。

 

 前に、血便お姉さんに迫られたときは、逃げることもできずに震えてることしかできなかった。

 

 でも、いまのわたしは、少しは成長したと思いたい。

 無抵抗なままのわたしはもういない。

 

 だから、とりあえずのところ、わたしがやったのは、ユーベルちゃんの位置情報を把握することだった。いまのところ、彼女は表面的にはおとなしい。わたしとの再度の交渉もおこなわず、何事もなかったかのように旅を続けている。

 

 場所はグラナト伯爵領の辺境。

 月明かりだけが頼りの、薄暗い森の中の街道を、ひとり楽しそうに歩いている。

 鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。

 

――女の子がひとり危ないよ。

 

 なんて思いもするものの、ユーベルちゃんには自信があるのだろう。

 

 と、その時だった。

 

「ヒャッハー! こんな夜更けに、お嬢ちゃん一人たぁ、運がいいぜ!」

 

 背後の茂みから、野太い声と共に、数人の男たちが姿を現した。手には錆びついた剣や棍棒。典型的な追い剥ぎ、あるいは野盗の類だろう。数は五人。ユーベルちゃんを半包囲するようにじりじりと距離を詰めてくる。

 

 野盗って本当にどこにでもポップするよね。雑魚モンスターみたい。

 

 特にこのようなファンタジー世界においては、命はだいたい魔物と同じくらいで、切り捨てごめんとされている。なかには憲兵さんのところまでしょっぴいていけば、わずかな賞金をもらったりもできるらしいけど、殺してしまっても罪に問われることはない。

 

 けど――、わたしはやっぱり人間が死ぬのは嫌だった。

 

 たとえ、それが人の道を踏み外した野盗であったとしても。女神様の子である以上、命の重さに違いはないはずだ。甘いのはわかってるんだけどね。

 

 わたしが小窓を通して介入しようか逡巡している、まさにその刹那。

 ユーベルちゃんが、ふふん、と鼻で笑った。

 まるで、わたしがそこにいるのをわかっているかのように。

 

「こんな夜更けにお客さんかぁ。運が悪いね」

 

 どちらがだろう。

 自分に対してか、それとも目の前にいる野盗に向けてか。

 

「ちげぇねぇな。嬢ちゃんは運が悪い。だが、俺たちは優しいんだぜェ。金さえ出せば命はとらねえ。乱暴なことはしねぇよ。ぎゃはは」

 

「ふぅん。優しいんだねぇ」

 

 ユーベルちゃんが持ってる杖をおろした。一見すると、恭順の姿勢。

 だが――。

 まずい。魔力値が、瞬間的に高まっている。魔法の種類によっては、必ずしも杖を相手に向ける必要はない。発射態勢など不要で、そのまま、魔力をカタチにすれば、イメージ次第でいかようにも放てる。それが魔法だ。

 

 なにかしらの不可視の力が――周りに充ちている。

 

 魔法的素養がない野盗のリーダー格の男が、下卑た笑みを浮かべて一歩前に出た。

 

「お嬢ちゃん、物分かりがいいじゃねえか。さっさと金目のモンを……」

 

 その言葉は途中で切り裂かれた。

 

――シャキン。

 

 というハサミが交差するときのような高音が響き、ユーベルちゃんの魔法が、空間ごと周りの木々を切り裂いた。

 

 血の華が咲かなかったのが幸いか。

 

 代わりに、彼らを取り囲むように生い茂っていた木々が、まるで熟練の木こりが斧を振るったかのように、鮮やかに、そしていともたやすく両断されていく。太い幹が、次々と。

 

 これが彼女の魔法。

 

――大体なんでも切る魔法(レイルザイデン)

 

 ユーベルちゃんが、うっとりと、その結果を――正確には切り裂かれた音を聴く。

 

 ズシャアァァン! ズシャアァァン!

 

 数秒後、時間差で切り倒された木々が地響きを立てて倒れこみ、土煙を上げた。

 

「ひっ……!?」

「な、なんだ今の……!? 魔法か!?」

「こいつやべーよ。ボス!」

「逃げたほうがいいんじゃ」

「お、おたすけ……」

 

「あはは。おもしろい顔してるねぇ。おじさんたち」

 

 もはや野盗たちは戦闘意欲を削がれ、いまにも逃げ出しそうになっている。

 しかし、ユーベルちゃんの不可視の魔法が、どこまで届くかわからない。

 わたしの目測では、おそらく5メートル前後、最大でも10メートルくらいが限界だろう。けれど、魔法使いでもない野盗たちにわかるはずもない。

 

 背中を見せれば切り裂かれると思って、逃げることもできずにいる。

 

 ユーベルちゃんが、一歩一歩、ゆっくりと近づく。

 野盗のひとりが恐怖に足をもつれさせ転んだ。

 

 その首筋に、杖がピタリと当てられる。

 

「し、死にたくねぇ。た、たすけ――」

 

 ユーベルちゃんは、けれど命乞いをした野盗を既に見ていなかった。

 その視線は、夜闇に向けられていて、少女らしいあどけない微笑みを浮かべている。

 

「ねえ、アナちゃん。いるんでしょ」

 

 月のように冷たく、そして、確信を帯びた声だった。

 この子が言った『運が悪い』って、もしかして、わたしのこと、だったとか。

 

「出てきなよ。この人たちの血を、見たくないならね?」

 

 わたしは、ゴクリと息を呑んだ。

 彼女は、この野盗たちを人質に取るつもりだ。わたしが出てこなければ、彼らを躊躇なくその不可視の刃で切り裂くだろう。

 

 一片の躊躇もなく、一片の迷いもなく。

 

 そして、その責任の一端は、わたしにもあるのだと、暗に告げている。

 

 卑怯だ、と思った。でも、彼女のやり方は確かに効果的だった。

 

 わたしは暴力に弱い。

 

 わたしは、観念してユーベルちゃんのすぐ近くに小窓を起動させた。

 

『ユーベルちゃん。悪趣味だよ』

 

「やぁっと、出てきた。待ってたよ。アナちゃん」

 

『無関係な人たちを人質にとる必要はないじゃん』

 

「だって、アナちゃん。私との大事な話を途中で切っちゃったじゃない」

 

 いや、切断したのはユーベルちゃんなんですけど。

 でも、交渉を打ち切って、拒絶したことを彼女はそう表現しているのだろう。

 

『交渉の余地がなかったからだよ。わたしにとって、先生たちの個人情報は等しく守るべきものなの。ユーベルちゃんだけを特別扱いするわけにはいかないの。わたしは女神様の良い子として、そうする義務があるんだよ!』

 

「義務ねぇ」ユーベルちゃんは、つまらなそうに杖の先端で地面を軽く突く。「でもさ、アナちゃん。今、ここにいるこの人たちの命と、影騎士さんのプライバシー。どっちが大事? 女神様にとってはどっちが大事なのかな?」

 

 ユーベルちゃん。恐ろしい子。

 どこまで本気かわからないけれど、残酷な選択を突きつけてくる。

 フリーレンが聞いてたら魔族判定されそうな言葉だ。

 

『ユーベルちゃんは、その人たちを本当に殺すつもりなの? 正当防衛だと言えなくもない面もあるけど、もう無抵抗だよ。殺す必要はないよね』

 

「私ってさぁ。奪われるのは好きじゃないんだよね。こいつらは人間からしてみれば、害虫といっしょでしょ。害虫を駆除したところで、悪いことじゃないと思うんだけど」

 

『ユーベルちゃんは、魔族であるわたしをどう思ってるの?』

 

 わたしは、あえて文脈を無視して言った。

 

「んん?」と、ユーベルちゃんは不思議そうな顔をする。

 

『わたしは見ての通り魔族だけど、人の子だと思ってるよ。人はどの瞬間でも無限に創造的だし、いつでも反省できると信じてる。魔族ですらそうなんだから、そこにいる野盗さんたちもそうじゃないかなって思うよ』

 

「それで私が見逃したとして、どこかの誰かが襲われるかもしれないよね」

 

『そうかもしれないけど、そうはなりにくいよ。野盗さんたちは悪いことをするために、ネットに接続できない。そうしたら、わたしになにもかもバレちゃうからね。因果応報ってやつだよ』

 

 位置も。犯行現場も。目撃情報も。

 すべて、人間たちの目にさらされる。

 それが抑止力になるはずだ。

 

「甘ちゃんだねぇ。因果応報なんて言葉を信じちゃってるんだ」

 

『いずれそうなるよ』

 

「いずれ、ね……。こいつらが罰を受けるときまで、被害者が増えなきゃいいけどね」

 

『わたしがそうはさせないよ』

 

 オレオール先生と接続した経験から言えば、それは絶対的に正しい真理だった。

 とはいえ――それがミクロ的にはとりこぼされてしまうものがあることも真実だ。

 わたしの言葉は理想論として棄却され、レジデューを発生させることも知っている。

 

「アナちゃん。人間はね、不確かな希望よりも確かな絶望に浸りたい生き物なんだよ。だって、その方が楽だから。期待して裏切られるより、最初から諦めていた方が傷つかなくて済むんだ」

 

『それはユーベルちゃんがそうだったから?』

 

「つまらないな……。もういっか。私、やっぱりこの人たち、邪魔だから切っちゃおうっと」

 

 その言葉と共に、杖が振り上げられる。まずい! 彼女は本気だ!

 魔力に殺意が乗っている!

 

『待って!』わたしは悲鳴に近い声を上げた。『待って、ユーベルちゃん! 停まって!』

 

 わたしの必死の懇願に、ユーベルちゃんの動きが、停止した。

 彼女は値踏みするような視線を、小窓のわたしに向ける。

 

「へぇ。アナちゃん、そんなに必死になるんだ。こんなやつらのために」

 

『当たり前でしょ! 人の命がかかってるんだよ!』

 

「じゃあ、アナちゃんは何をしてくれるのかな?」ユーベルちゃんは、まるで追い詰められた小動物をいたぶる猫のように、サディスティックに問いかける。「私に、この人たちを切るのをやめさせるだけの、何かいいこと、ある?」

 

『なにかいいこと、あ、ありまぁす!』

 

 猛獣に狙われた鼠みたいなわたしです。

 

「ふうん。なにかな」

 

『影騎士さんに、ユーベルちゃんが、その……すごく逢いたがってるって、伝えることは、できる、かな……。もちろん、影騎士さんがどう反応するかは、わたしにも分からないけど……』

 

「へぇ。伝えるだけ? それで、こいつらの命と釣り合うとでも思ってるの?」

 

『もともと逢って話がしたいっていうのが最終目標だよね。ユーベルちゃんはその目標に一歩近づいたんだよ。悪くない話だよね。こ、これ以上は本当に無理だよ。わたしにも女神様の子としての誉れってものがあるんだから」

 

「誉れねぇ……」ユーベルちゃんは、面白そうに呟くと、ゆっくりと杖を下ろし始めた。「まあ、いいや。今日は、それで手を打ってあげる。魔族の泣き顔見れておもしろかったし。でもね」

 

 彼女の瞳が、月明りを浴びて狂喜に染まる。

 

「影騎士君が私に興味を持ってくれなかったら、その時は()()お願いするかもね? 成功するまで、何度でも。何度でも。こんなやつらなんて、そこら中にいくらでも転がってる。代わりは、いくらでもいるんだからさ」

 

 命が軽い。軽すぎる。まるで羽毛みたいだ。

 風が吹けば飛んで消えてしまうような、そんなふうに命をとらえている。

 

 彼女は、目の前で命乞いをしていた野盗たちを、まるで道端の石ころか、あるいは使い捨ての道具のようにしか見ていない。

 

――まさに標準的な魔族の視点。

 

 でもわずかながら違いがあるとすれば、やはり共感しようとするところだろうか。

 

 魔族にはその基盤がまったくないけれども、ユーベルちゃんには、深い井戸の底で光る月面のように、なにかしらがあるんじゃないか。そのなにかまでは、まだわからないけれども。

 

「じゃあ、アナちゃん。影騎士君への伝言よろしくね? 楽しみに待ってるよ」

 

 彼女は、満足そうにそう言うと、野盗に一瞥すらくれずに踵を返し、闇の中へと消えていった。その足取りは、先ほどよりもずっと軽やかで、まるでこれから始まる『楽しいゲーム』に胸を躍らせているかのようだった。

 

 それにしても、ラント君にはどう伝えよう。

 

 誰かタスケテ!

 

 

 

 

 

 

 たったひとつの冴えたやり方。

 

 それは、超甘えザンドになることだった。

 これしかできないともいうが、まあそれはそれとして。

 

 さっそく、ラント君のお家に生身の身体でお邪魔して、椅子に座ったまま、複数の分身を動かしてマンガを描き続けるラント君のひとりにすがりつく。たぶん本体なのはわかっている。

 

「ラント君。先生のお話聞いてくれるかな? 君の唯一の先生だよ。ねえねえ」

 

「君さ……。また、なんかやらかしたわけ?」

 

 ラント君の目は冷たかった。

 

「う、なんでそう思うの?」

 

「猫だって、エサをもらうために媚びを売る。君は猫よりは多少は高等だろう?」

 

「ごもっともでございます」

 

 たった数分で、わたしの策謀は瓦解した。

 でも、まあ、伝えるほかないのは確かなのだ。

 

 いくら、ユーベルちゃんが狂愛じみた感情をラント君に向けているといっても、ラント君がどう捉えるかはラント君次第だ。

 

 わたしはユーベルちゃんの想いをできるだけ毒素を抜いて、マイルドに伝える。

 熱烈なファンがいて、生身のラント君に逢いたいと想ってる。そんな感じだ。

 ちょっと火傷するレベルかもしれないけれど。

 

「ふぅん。とんでもない勘違い女だな。失せろと言っておいて」

 

「失せろですか……それはまた。その、いろいろと問題が」

 

「迷惑なんだよね。正直」

 

「さよですか」

 

 でも、このままあきらめるわけにはいかない。

 死人がでるぞ、マジで。

 

「えっとでもね、ラント君。その子、ちょっと普通のファンとは違ってて……」

 

「だから、何? 僕になんの関係があるの?」

 

「いやないです……」

 

 この子はこの子でコミュニケーション断絶系男子だった。

 

 

 

 

 

『――というわけなんだよ』

 

 わたしはまたもやユーベルちゃんに話をしに向かった。

 もちろん、小窓である。

 

――できるだけ、ラント君の言葉をマイルドに。

 

 今は創作に集中したいんだ。ファンとの交流は必要最小限にしたいと思ってる。気持ちはうれしいけど、ごめんね。そういう感じで、優しく刺激しないように、ふんわり風味で伝えた。

 

「あのさぁ。アナちゃん。もしかして私のこと馬鹿にしてるでしょ」

 

『そんなことないけど』

 

「私が思うに、影騎士くんはそんなこと言わないと思うんだよね。むしろ、失せろこの勘違い女くらい言ったんじゃない?」

 

『え、い、いや、そ、そんなこと、あ、あるわけないじゃまいでふか』

 

「嘘ついたんだ。私に」

 

『嘘じゃないです。ちょっと、その、なんというか目的論的な解釈というか』

 

「じゃあ、本当はなんて言ってたの? アナちゃん、正直に教えてよ。隠し事されるの、私、一番嫌いなんだよね」

 

 ズイっと迫るユーベルちゃん。

 わたしは正直に答えるしかなかったのである。

 

「……なるほどね。くふっ。やっぱり、影騎士君って男の子だったんだねぇ」

 

『え、なんでわかるの。ハッ!?』

 

 もしかしてブラフ? ラント君の個人情報バラしちゃった!?

 

「そうじゃないよ。ただ僕って言ってたんでしょ」

 

『僕っ娘かもしれないじゃん!』

 

 わたしはもはや訳のわからない言い訳を述べた。

 

「それはべつにどうでもいいよ。どうせ最初からわかってたことだから」

 

『作者さんが男だってわかってたの? どうやって?』

 

「なんとなくわかるんだよね。仮面騎士ブラックの考え方っていうかさ。影騎士君の考え方が私に似ている部分があるから。似た者どうしだと思うんだよねー」

 

『似た者どうし?』

 

「自分のことが嫌いだってところ」

 

 うーん。ラント君にそういうところがあるのだろうか。

 確かに陰があるようなところはあるけれど。

 

『ユーベルちゃんは自分のことが嫌いなの?』

 

「さあ、どうかな」

 

 地雷原をタップダンスしているような気分。

 このコミュニケーションは、今までで段違いに難易度が高い。

 

『ねえ――、ユーベルちゃん』

 

「なにかな?」

 

『わたし、ユーベルちゃんが影騎士さんに逢いたいっていう動機の理由を聞いてなかったんだけど、教えてもらえるかな?』

 

 じっとわたしを見つめる視線。

 獰猛な獣はそこにはおらず、弱々しい傷ついた幼い子猫がいた。

 

「……アナちゃんはさ」しばらくの沈黙の後、彼女はぽつりと言った。「本当に何もかも切れたら、どうなると思う?」

 

『何もかもって、物理的なもの以外も全部ってこと?』

 

「そう。例えば、嫌な記憶とか、苦しい感情とか、自分の中の気に入らない部分とか。そういうのも全部、ハサミで布を切り刻むみたいにスパッと断ち切れたら、楽になれると思わない?」

 

『でも、それじゃあ、ユーベルちゃんが大事に想ってることも全部、切り裂かれちゃうよ』

 

「私にとって、何が大事なのかなんて、もうよくわからないんだよね。ただ時々、どうしようもなく、全部消してしまいたくなる時がある。自分自身も、周りの何もかも」

 

――ユーベルちゃんは自分の魔法で、自分自身を切り裂いてしまいたかったのかもしれない。

 

『本当に大事なものはないの? 仮面騎士に切り裂いてもらって、それで満足?』

 

 わたしの言葉に、ユーベルちゃんが文脈を生成する。

 

「いまのアナちゃんって、もしかして本当のアナちゃんだったりする?」

 

『うん、まぁ……』

 

 システム的なロジックだけじゃ対応できない事案ですし。

 いまのわたしは全身全霊を傾けている状態だ。

 

「へえ、じゃあさ。生身でお話しよーよ。せっかくだからさ」

 

『いや、それはちょっと難易度が高いというか』

 

 ざっくり、アナリ/ザンドになりかねないというか。

 

「ガードが硬いね。アナちゃんもさぁ」

 

 くふっと笑い。

 

 ユーベルちゃんは中指と人差し指で、ちょうどハサミのようにちょきんちょきんと空を切る。

 意味のない動作。ユーベルちゃんはわたしではなく、遠い昔を思い出しているようだった。

 

「私には、姉貴がいたんだよね。十にもならないくらいの頃だったかな。私は姉貴が裁縫をしているのをよく見ていた。それで、布を切るときって、ハサミで、こう――シャーっと切るんだ。その音が好きでね……」

 

――お姉さんがいた?

 

 いまはもういない?

 

「私にとっての大事なもので残ってるのって、()()()くらいなのかもね」

 

 ユーベルちゃんの精神は危ういバランスのうえに成り立っている。

 こんなにも危ない女の子は、初めて視た。いまなにか言っても逆効果になる気がする。

 わたしはこれ以上踏みこむことをやめ、いったんラント君に話を持ち帰ることにした。

 

 

 

 

 

 半ば予想してたことだけど――。

 

「彼女は僕のことをなにひとつわかっていない」

 

 というのが、ラント君の辛辣なまでの評価だった。

 

 わたしは工夫に工夫を重ね、ここでは記述できないほどの慎重のうえにも慎重を期した言葉を選んだんだけど、所詮は伝聞は伝聞に過ぎないということなのかもしれない。

 

 大切なことは、ひとつ。わたしの解釈はなるべく混入させなかったという点だ。

 ユーベルちゃんが、お姉さんとの思い出を大事に想ってるとか、そういうことは一切伝えなかった。それは、わたしというフィルターを介したユーベルちゃんなわけで、いわば妄想の産物に過ぎないからだ。

 

 でも、ユーベルちゃんはただの狂人というわけではなく、彼女なりの思考によって、ラント君に迫ろうとしている。わたしとしてはラント君も守らなくちゃいけないし、で。

 

 こんなにも会話を重ねることは難しい。

 

「ねえ。ラント君。ほんのちょっとだけでも、ユーベルちゃんと話をしてみたりはできないかな。もちろん、ラント君がラント君だってバレないようにフィルターをかけることだってできるよ」

 

「どうして僕がそんなことしなくちゃいけないの?」

 

「そうだけど! そうなんだけどぉ! お願いお願いお願い!」

 

 ぐりぐりと頭を押しつけるようにして懇願する。

 

「角、角あたってるんだけど」

 

「じゃあ、お話してくれる?」

 

「僕にとって、なんのメリットがあるの?」

 

「う、うーん。例えば、これ以上放っておいたら、そのうちユーベルちゃんが本当にラント君に辿りつくかもしれないよ。わたしひとりでは守り切れないかもしれない」

 

「それって脅しのつもり?」

 

「違うよ! 本当に心配してるの。わたしだっていつまでユーベルちゃんを停められるかわからないんだから。火種は小さいうちに消しておくべきだよね!」

 

 ラント君はあいかわらず無表情に近い。

 何を考えているのかわからない。

 そして、うっとうしそうに虫を追い払うかのように、手を払った。

 やっぱりダメなの?

 

「ひとつ気になることがあるんだけどさ」

 

「なに? ラント君」

 

「君って、僕の作品のスレとか見たことある?」

 

「んん。最近は、ユーベルちゃんとの対話にリソースを割いてたから、あまり集中して見れてないかもしれないかな。ユーベルちゃんっぽいレスでもあったの?」

 

 ついでに言えば、この頃のわたしは、フリーレンの旅につき合ったり、ゲーム開発にいそしんだりと、なにかと忙しかった。バーチャルな<わたし>の対応がおざなりになっていた面はあるかもしれない。

 

「君さ。あんまりコメントを消したりしないよね」

 

「んー。まあ、そうかも」検閲しないザンドです。

 

「でも、最近、なんだか誹謗中傷とも批判ともとれない微妙なラインにあったコメントが消えてる気がするんだけど、これって君のせい?」

 

「え?」

 

 そんなことが、まさか――。

 

 わたしは急いで、スレッドを精査する。

 

 確かに、消えてる。わたしが無意識に消したという線もない。ログ自体が霧散している。

 

 これって、いったい。

 

「どうやら、君が消したわけじゃなさそうだね」

 

「う、うーん。そうかな」

 

 わたしは情報の精査に忙しく、曖昧な返事しかできなかった。

 

「誰が消したのかって顔してるけど、犯人はひとりしかいないだろう。そのユーベルって子じゃない? 魔法で、コメントを切り裂いたんじゃないかな」

 

 そんなバカな。

 いくら魔法はイメージとはいえ、大規模なネットというシステム自体に干渉できるなんて。

 外部から魔法的に干渉し、特定の情報をピンポイントで『切り裂く』だなんて……。

 そんな芸当が、果たして一介の魔法使いに可能なのだろうか。

 

 いや、彼女の魔法は大体なんでも切る魔法(レイルザイデン)。その名の通り、対象の物理的な強度や構造を無視して『切断する』という結果だけを強制的に現出させる、極めて特殊で危険な魔法だ。もし、彼女がネット上の言葉や情報そのものを切断すべき対象として強くイメージしたのなら……。

 

 そして、言葉すら切り裂けるのだと、強くイメージできたのだとしたら。

 

――彼女の精神は、常軌を逸している。

 

 そう結論づけるほかない。

 

 ユーベルちゃんの魔法で<わたし>は切り裂かれてしまう。

 

「ラント君どうしよう。このままだと、ユーベルちゃんは自分の価値基準で要らないものをどんどん切り裂いていっちゃうよ。いつか自分自身のことも切り裂いちゃうかも」

 

「僕には関係ないことだけど――。正直、そいつの勝手な判断で僕の作品の価値を決められるのは気に喰わないと思ってるんだよね」

 

「たすけてくれる?」

 

「僕だって、借りを返すぐらいの義理はもってるつもりだ」

 

 ラント君はやっぱり光の戦士ブラック・サンだったみたい。

 

「ねえ。ラント君。わたしどうしたらいいと思う?」

 

「それくらい自分で考えてと言いたいところだけど……、君ってさ。一番カンタンな方法をいつも選ばないよね」

 

「一番カンタンな方法って?」

 

「その女を排除してしまえばいいでしょ。べつに物理的に殺さなくても、ネットに障害をもたらしたとなれば、どこかの誰かが捕まえてくれるんじゃない?」

 

「それはヤダ」

 

「どうして? 君が甘いことは知ってるけどさ」

 

「だって、ユーベルちゃんがすごく寂しそうに笑っていたから。経緯とかまではわかんないけど、お姉ちゃんがいなくなっちゃったんだって」

 

 ピクリと、ラント君が反応する。

 それも一瞬で、眼鏡をあげて、淡々と言う。

 

「それはどこにでもあるありふれた現実ってやつでしょ。そいつだけが特別ってわけでもない」

 

「そうかもしれないね」

 

――ラント君もいま寂しそうな顔をしてるし。

 

 でも、それをいったら、ラント君が傷つくと思って言わなかった。

 

 代わりに言った。

 

「わたしは、ユーベルちゃんとも少しでも繋がれたらって思うよ。わたしの魔法は逢いたい時に逢えることを実現するために創ったんだから。さみしがってる子がいたら側にいてあげたいの」

 

「本当にお節介だよね。君って」

 

「うん。まあ。それはよくいわれる」

 

「人ん家を我が物顔で練り歩く猫みたいだって言われない?」

 

「それもまあよくいわれるかも……」

 

 ラント君は、小さく溜息をつく。

 溜息の向けられた対象は、おそらくユーベルちゃん。

 

「そいつはべつに救われたくはないんじゃない。繋がりとか、そういうのを求めてないんだ」

 

「どうしてそう思うの?」

 

「業腹だけど、そいつに共感できる部分もあるからかな」

 

「そうなんだ」

 

 だったら、ユーベルちゃんが言ってた似た者どうしって言葉は、当を得ていたのかもしれない。

 

「誤解されたくないから言っておくけど、僕はその女みたいに単純じゃないよ。あくまで似ている部分もあるってだけ」

 

「そうだよね。ぴったり鏡合わせなんておかしいもんね。でも、ラント君のほうがわたしより、その子のことをわかってあげられるかもしれない。なにかヒントがほしいな」

 

「君さ。下手すると、そいつに殺されるよ」

 

「……かもしれないね」地雷原に突撃する兵隊ザンドな気分です。

 

「僕なりに君のことを心配してるんだけど」まったくの無表情なラント君。

 

「すごく嬉しいよ。ラント君は優しいね」はにかみザンド。

 

「僕の創作物のせいで、誰かが犠牲になるのが嫌ってだけだ」

 

――それでもやっぱり優しい。

 

「ヒントっていうほどでもないけどさ。君は物語のすべてを記述したいと考えるタイプじゃないかな。君って思った以上に理論的だし論理的だ。クオリアよりも客観的なデータを扱うことに長けている気がする。言葉の感情の乗せ方も、案外数値で測ってから出力してたりするんじゃないか」

 

 ラント君は、ユーベルちゃんではなく、わたしのことを語りだした。

 魔族のわたしは、クオリアをあてにできない部分があるので、概ねその評価は正しい。

 おはようって言われただけで、うんこを投げつけられた気分になるのが魔族なのだから。

 

「正しいよ」

 

 わたしの言葉を受けて、ラント君は深く息をつく。

 

「これは持論になるけど、物語は、すべてがすべて記述される()()()()()()。時には語られない部分、描かれない空白にこそ、本当の想いを隠してたりするんだ。沈黙は多弁だって言うだろ」

 

 クリエイターらしい言い分。でもそれは一般論。

 

 ラント君は、自分をさらけ出したくないけれど、それでもさらけだしたいと思う部分もあって、それがクリエイターとしての自分なのだろう。創作者って、多かれ少なかれ露出狂なわけだし。世に発表している時点で、少なくともそうなのだと思う。

 

 いまも、ユーベルちゃんの想いを彼なりに分析しようとしているのだろうけど、それは自分の鎧を脱ぎ去るに等しく、ミノムシさんが剥かれて裸になるみたいな不安な気持ちもあるのだろう。

 

 つまり、ラント君はすごく努力してくれてる。

 

 わたしはラント君の話に、じっと耳を傾ける。

 

「……そのユーベルって子も、言葉にしていない、あるいは自分でも気づいていない『空白』を抱えているんじゃないかな。それを無理に埋めようとせず、ただそこにあることを認めてあげるのが、君にできることかもしれないね。詮索は、野暮ってもんだろ?」

 

「ラント君。すごいね」

 

「そうかな。君がいつもやってることだと思うけど」

 

「そうじゃなくて、ラント君がわたしに歩み寄ってきてくれたことがうれしいの」

 

 最大限の感謝と賛辞をこめて。

 わたしは猛烈にラント君の指先にすりすりする。うおおお。すりすりザンド~!

 

「なれなれしいな」

 

「え?」

 

「少しは悪い人間がいるかもしれないって思ったほうがいいよ」

 

 そして、ポンっと頭に手を置かれる。

 く、こんなことでほだされたりなんかしない。

 少し撫でられたくらいで、ほだされたりなんか。ほだされ……。

 

――にゃあ。

 

「ちょろすぎるでしょ。いや、それが君のやり方なのかもね」

 

 自嘲気味に言うラント君だった。

 もしかして、ラント君もほだされちゃった系?

 そうだとしたらうれしいな。

 

 ともあれ、わたしは、ユーベルちゃんと最後の交渉テーブルにつくことにした。

 

 

 

 

 

 また、何処かの宿屋。薄暗い一室だった。

 

 ランプの光が壁に揺らめき、夜の静寂が部屋を支配している。

 

 わたしは、何度目になるか分からない深呼吸をしてから、意を決してユーベルちゃんとの二者間通信を試みた。前回、一方的に会話を切り裂かれたトラウマが、まだ胸の奥にチリチリとした痛みを残している。

 

 小窓が起動し、ベッドの上で気だるげに頬杖をついているユーベルちゃんの姿が映し出された。

 

――コールサインを発信。

 

 彼女は、わたしの呼び出しに気づいているはずなのに、しばらくの間、わざと視線を合わせようとしない。まるで、わたしがどれだけ焦れているか試すかのように。

 

 やむをえない。わたしの権限で無理やり小窓を出現させる。

 

『ゆ、ユーベルちゃん? ちょっと、お話したいことがあるんだけど、今、大丈夫かな?』

 

「どうしたの、そんなに改まっちゃって。いよいよ影騎士さんとお話できるのかな?」

 

『その前に少しだけ、ユーベルちゃんと直接逢ってお話ししたいかなって』

 

 わたしの言葉を聞いて、ユーベルちゃんは、クスクスと喉の奥で笑った。

 

「アナちゃんってさぁ。猫みたいだよねー」

 

『……ね、猫?』

 

 あなたもですか? そうですか。

 

「そう、猫。ほら、ご飯が欲しい時とか、撫でてほしい時とか、最初は遠くから様子を窺って、大丈夫そうだと分かると、そろーっと近づいてきて、スリスリしてくるじゃない? 今のアナちゃん、なんだかそんな感じ」

 

 的確すぎる比喩に、わたしはぐうの音も出ない。

 統計学的な評価で、わたしは猫っぽいと言われたりする。

 しかも、人慣れして、野生を失った猫みたいな評価。

 

「それでね」ユーベルちゃんは、楽しそうに続ける。「猫って、許可を求めてるようでいて、本質的にはなんの許可もなく、人の心の中にズカズカと入りこんでくるじゃない。そこが、アナちゃんとそっくりだなって思うんだよね」

 

『そ、それは……まあ、確かにわたしはみんなとお話したいって欲求はあるけれど』

 

 言いたくないことを無理やり言わせたり、暴いたりするようなことはしないように気をつけてきたつもりだ。でも、ユーベルちゃんやラント君みたいに、心の防壁が高い子たちにとってみれば、わたしの存在はウザいの一言なのだろう。コバエだと言われなかっただけマシなのかもしれない。

 

「ダメって言ったら、どうするの? また会話、打ち切っちゃう?」

 

 彼女は、悪戯っぽく片目を瞑る。その言葉には、明確な挑発の色が滲んでいた。

 わたしは、ゴクリと息を呑んだ。ここで下手な返事をすれば、また同じことの繰り返しになる。

 

『ユーベルちゃんが、ダメって言うなら、もちろん、今日は諦めるよ。でも、わたしはユーベルちゃんと、ちゃんと向き合ってお話ししたいって思ってる』

 

「まあ、いいよ。好きにすればいいじゃない。退屈してたところだし」

 

『ありがとう』

 

 わたしが、なんのきなしにポンっと目の前に現れても、ユーベルちゃんの張りつけたテクスチャのような笑みは変わらない。この子は、こうなることをどこかで予想していたのかもしれない。

 

「それで、アナちゃん」ユーベルちゃんは、ベッドからゆっくりと身を起こすと、ランプの光が彼女の顔に不気味な影を落とした。「わざわざ私のところまで来て、一体何がしたいのかな?」

 

 彼女の瞳が、わたしを断罪していた。

 

「私を殺しに来たのかな? それとも私に、殺されに来たのかな?」

 

 その言葉は、甘く囁くようでいて、背筋が凍るような冷たさを帯びていた。

 

「ち、違うよ。どっちも違う。わたしはユーベルちゃんにお願いがあってきたの」

 

「お願い?」ユーベルちゃんは、おもしろそうに小首を傾げる。「アナちゃんが、私にお願いなんて、珍しいね。それともなにかの時間稼ぎかな。聞いてあげるよ。おもしろい話ならね」

 

「ネットの情報を切り裂かないでほしいの」

 

「どうして?」

 

「どうしてって……、どんな言葉だって、誰かの想いがつまってるはずだよ。影騎士さんに対する誹謗中傷は許せないのもわかるけど、その人がどんな気持ちで発信したかまではわからないはずでしょ。ユーベルちゃんが自分の判断だけで、その言葉を消しちゃうのは悪いことだと思う」

 

「悪いことねぇ。じゃあ、アナちゃんにとって私は悪い子なんだ」

 

「そうは言ってないよ。ただ、会話を一方的に切り裂いていたら、相手は傷ついちゃうし、いつか、誰も話したがらなくなって、結果的にユーベルちゃんも傷ついちゃうかもしれない。わたしはそれが嫌なの」

 

 わたしの言葉に、ユーベルちゃんの表情から、ふっと笑みが消えた。真顔になった彼女の瞳の奥に、一瞬、理解できないものを見るような、そんな色がよぎった。

 

「アナちゃんって、本当に面白いこと言うね」やがて、彼女はぽつりと言った。「私が、そんなこと気にすると思う?」

 

「気にしないかもしれない。でも、わたしは気にする。ユーベルちゃんが、これ以上、自分を傷つけるのは、見ていたくないから」

 

「ふぅん……」

 

 ユーベルちゃんは、わたしの言葉を吟味するように、しばらく黙り込んだ。

 そして突然、思い出したかのように言った。

 

「そうだ、アナちゃん。私って、共感した子の魔法をなぜか使えちゃうんだよね。この前からアナちゃんの魔法、少しだけ使えるようになったんだよ」

 

「え?」

 

 そんなことができちゃうの。この子、チートキャラなんですか。

 

「わたしのどんなところに共感したの?」

 

「アナちゃんが、一生懸命、女神様の良い子になろうとしてるところにね、すごく共感しちゃったんだ。だからかな? なんとなく、アナちゃんの考えてることが分かる気がするし、アナちゃんが使ってる小窓だって、私にもちょっとだけなら動かせる」

 

 ユーベルちゃんは何もない空間に手をかざした。

 すると、そこに小窓が在った。

 小さくて頼りない光を放っているけれど、これはまぎれもなくわたしの魔法だ。

 

「アナちゃんってさぁ、魔族なんでしょ? なのに人間の真似して、女神様を信じるフリして。まるで、本当の自分を隠して、()()()の仮面を被ってるみたい。昔の私と、ちょっとだけ、似てるかなって」

 

「フリじゃないよ」

 

「今はそうかもね。でも、人が生きててずっと良い子でいられると思う? たった十数年でも間違える人はたくさんいるよね。アナちゃんの場合、どれくらい生きるのかは知らないけど、人間の十倍、二十倍も生きるわけだから、間違えちゃう可能性のほうが大きいと思うけど」

 

「努力するよ。そして、もし間違えたら女神様にごめんなさいって謝ればいいの」

 

「人を殺しちゃっても? 食べちゃっても? それでも女神様は赦してくれると思うの?」

 

「思うよ」

 

 瞬間、すさまじい殺意が忍び寄る。

 わたしの信仰告白に対して、ユーベルちゃんは怒ってるみたいだ。

 

「ねえアナちゃん。ちょっと前にすごい回復魔法を使ったでしょ? 死にかけてた人たちも、みんな元気になるような、奇跡みたいな魔法。あれ、もう少し早ければ、私の姉貴も助かったのかなって、時々思うんだよね」

 

「そう、なんだ」

 

「ねえ。いま罪悪感をかんじた? 自分が悪いことしたって思った?」

 

 ユーベルちゃんは哂っていた。

 言葉の刃が、不可視の力となって、わたしを切り刻もうとしてる。

 

 でも――。たぶん、正解は。

 

「残念だって気持ちが強いよ」

 

「ふぅん。……ふぅん。アナちゃんならすぐに謝るかと思ってたんだけど違ったか。もし謝罪の言葉を口にしていたら、すぐに殺してあげようって思ってたのに。残念」

 

 謝ったら赦さない。

 そう彼女は宣告する。

 ユーベルちゃんの心の中は、喪失感でいっぱいだ。

 その空っぽの心を切り裂いた残骸で埋めようとしている。

 

「どうして、謝ったら殺そうと思ったの?」

 

「だって、その方が楽でしょ?」ユーベルちゃんは、こともなげに言った。「アナちゃんが罪悪感を覚えて、私に赦しを乞う。私は、そんなアナちゃんを可哀想だなって思いながら、優しく切り裂いてあげる。そしたら、アナちゃんも、私も少しだけスッキリするかもしれないじゃない」

 

 はっきり言おう。

 こんなシリアスな場面で、こんなことを言うのもなんだけど。

 ユーベルちゃんは想いをためすぎて、イライラマックスな便秘ガールなのである。

 

 彼女にとって、切り裂くことは憎悪や復讐心からくるものじゃない。殺すことすらコミュニケーションの一種であり、もしかしたら救済の一種なのかもしれない。

 

「便秘はつらいもんね」

 

 わたしにもその経験はあるからわかる。

 いつも快便というわけにはいかないのが人生なのだ。

 

 だったら、吐き出させてあげるしかないだろう。

 ラント君が言ったように、ユーベルちゃんの空白には一生触れてあげない。()()では!

 

 ただ、わたしでストレス解消すればいい。

 

――抱き枕になる魔法。

 

 わたしはゼーリエ先生に教えてもらった、とっておきの魔法を唱える。

 その魔法は実のところ細かいアレンジが可能だ。

 四角いノーマル抱き枕じゃなくて、等身大アナリザンド枕も顕現させることができる。

 

 いや、それはもはや枕などではなく――――。

 

 黄金色をまといながら、ぽてんとベッドの脇に配置されるわたし。

 

 ユーベルちゃんが、目を細めてわたしを見た。

 

「なんのつもり?」

 

()()()()だよ。ユーベルちゃん』

 

 わたしは小窓を出現させて宣言した。

 そう、それはまぎれもなく、わたしのぬいぐるみ姿だった。

 

 縫合された布の中には、やわらかい綿毛が詰まっているようでもあり、そして触ればほのかにあたたかい。抱きしめて眠れば、快眠まちがいなしの一品だ。ゼンゼ先生もそう言ってた!

 

 だから、わたしはこれもまた枕であるとイメージする。イメージできる。

 

「そうじゃなくて、私に殺されようとしているの? これがあんた自身?」

 

『うん。わたし』

 

「じゃあ、いまぬいぐるみのアナちゃんを切り裂けば、アナちゃんは死んじゃうんだ。へぇ」

 

『死にたくはないよ。でも、ちょっとくらいなら大丈夫。わたしって頑丈だから』

 

 ユーベルちゃんはHUDで計測した。

 

「魔力数60。転移してきた瞬間の魔力とは全然違うね。無防備な姿を見せたら同情されて殺されないとでも思ってる? 私はそんな良い子じゃないんだけどなぁ」

 

 ユーベルちゃんの細い指先が、わたしの首に触れた。

 

 いつでも切り裂ける距離。いや魔法を使う必要すらない。柔らかなぬいぐるみの身体は、少女の膂力であっても、引き裂くことは容易だ。

 

「?」ユーベルちゃんが指先に違和感を覚えて、さっと手をひっこめた。

 

 そして、今度は確かめるように、わたしの頬っぺたのあたりを触る。

 

「なにこれ。あったかい」

 

 ユーベルちゃんの声には戸惑いが混じっていた。

 

 彼女の指先は、わたしの頬に触れたまま、その微かな温もりを確かめているかのようだ。

 普段の彼女からは想像もつかない、子どものような無邪気な仕草。

 

――幼子のような視線。

 

 郷愁と寂しさと憧憬と、その先にあるほんのわずかな安らぎが視える。

 視えている。

 

『ゼーリエ先生直伝のあったか素材だよ! 抱き心地も抜群だよ。試してみて』

 

 わたしは心の中で胸を張る。

 

 彼女はきっと、わたしを切り裂けない。

 

 この魔法を切り裂ける人間はいない。

 

「バカみたい……。こんなもので、こんな魔法で、私が切るのをやめると思ったの……」

 

 強がりな言葉。

 ユーベルちゃんの空白の時間をわたしは知らない。

 でも、いまわたしを切り裂けなければ、いままでの自分を否定してしまう。

 だから、殺意。でも、切り裂けない。

 

――停止信号。

 

 わたしの真っ赤な瞳が、ユーベルちゃんと交差する。

 

『切ってもいいよ。ユーベルちゃんが、それで少しでも楽になれるなら。わたしは、そのためにここに来たんだから』

 

 ぬいぐるみは、少女の側にいることで、存在を赦されるのだから。

 

「あああああああ!」

 

 ユーベルちゃんが杖を振りあげるのが見えた。

 その顔は―――――いや、書かないでおこう。

 

 からん、と杖は力なく床に倒れ、わたしはギュっと力強く抱きしめられていた。

 離さない。離れないで。そんなふうに、ギュウギュウに押しこめられる。

 

 苦しくないよ。だって、ぬいぐるみだもんね。

 

 わたしはただ黙って、ぬいぐるみの使命をまっとうしていた。つまり抱きしめられて、撫でられて、顔をうずめさせて――。そんな感じ。

 

 

 

 

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 不意に、部屋の扉が、ギィ、と軋む音と共に、静かに開かれた。

 

 ユーベルちゃんが、ぬいぐるみのわたしを抱きしめたまま、ハッと顔を上げる。

 こんな距離まで他者の接近に気づかないというのは、一人旅の魔法少女にとっては、ありえない失態だったのだろう。

 

――それだけ、ユーベルちゃんが安らいでいたのならいいけど。

 

 彼女の名誉のために言っておくけど、べつに泣いていたわけじゃないよ。

 ただ、ギュってして――ギュってしたままだっただけ。

 

 月明かりを背に、部屋の入り口に立っていたのは、顔を全部覆うような黒い仮面と、夜闇に溶け込むようなマントを身にまとった、長身の細マッチョな男。かもしだす雰囲気はどこか陰があり、そして、仮面の下は、きっとこれ以上なくイケメンだろう。

 

 その姿は、まさしく仮面騎士ブラック。

 

 マンガの世界から飛び出してきたかのように、歴戦のつわものを思わせる彼が立っていた。

 

 まあ、ラント君なんだけどね。

 

「影騎士君……?」

 

 ユーベルちゃんが驚いている。

 

「少し違うな。オレの名は仮面騎士ブラックという……」

 

 この声は――、そうか。技術提携をしたんだ。エーレちゃんの理想の声を出す魔法を仮面の下に構造的に仕込んでいる。アナちゃんが一晩でやってくれました。アナちゃんって誰?

 

 わたしには低くて渋い漢って感じの声に聞こえるけど、ユーベルちゃんにとってはどうだろう。

 

「へぇ。影騎士君が自ら、私を断罪しにきたんだ」ユーベルちゃんがクフっと笑う。「アナちゃんの言ったとおり因果応報になったね。……いいよ、受けて立つ。私が悪かったんだからさ」

 

 ユーベルちゃんはわたしを抱きしめたまま、杖をかまえすらしない。

 それでは殺し合いにすらならない。

 叱られるのを待つ子どもみたいだ。

 

 ラント君が、仮面の下で小さく溜息をつくのがわかった。

 

「なにか勘違いしてるようだな? オレが討つのは悪だけだ」

 

「ここに悪人ならいますよー」と、ユーベルちゃんはおどけたように言う。

 

「どこにだ。ここには悪の気配はないようだが……」

 

 ラント君が部屋をみまわす。

 マンガを描くうえで、実際にやってみたカッコいい索敵動作。

 迫真の演技というやつである。

 

「影騎士君さぁ。私が他の人のコメントを切り裂いちゃったのを知ってるよね。君は自分の作品が傷つけられたって思ったんじゃないの? だから私を罰しにきた。違う?」

 

「確かに君の行為は褒められたものではないだろうな」

 

「でしょでしょ」

 

「だが、今の君は、まだ自分の剣の重さを知らない幼子に過ぎない。そんな子どもの戯れに、オレの剣を汚す価値はない」

 

「私って、君と同年齢くらいだと思うんだけどなぁ」

 

「オレはぬいぐるみを抱きしめて眠るような年齢ではない」

 

「ふうん。そう……まあ、そうかもね」

 

 少し視線を落とす。

 わたし、捨てられちゃう?

 いや、そうはならなかった。

 

「じゃあ、影騎士君は私に説教しにきたわけ?」

 

「それも違う。ここへは少し騒がしかったから来ただけだ。何か困りごとかと思ってな。何も問題がないのならオレは行くぞ。どこかで悪が胎動しているかもしれんからな」

 

 ラント君が去ろうとする。

 

「待って」

 

「なんだ?」

 

「私、ますます君のこと、興味でてきたかも」

 

「……君が正義の道を歩むというのなら、いつかどこかで再び出逢う時も来るだろう」

 

「正義の道ってなに?」

 

「強きをもって弱きを助ける者のことだ」

 

「力強さなら、私けっこう負けてないと思うんだよね」

 

「そうではない。本当の強き者とは、ぬいぐるみに慰めを求めるのではなく、自分自身でその温もりを創り出せる者だ。あるいはその温もりを誰かに分け与えられる者なのかもしれないな」

 

 ラント君の言葉は、自分自身にも言い聞かせてるみたいだった。

 

「ぬくもりを誰かに、ね」

 

 また、ユーベルちゃんがわたしに視線をおとす。

 わたし、ぬいぐるみモードなので、口をはさんだりしませんよ!

 沈黙の隙をぬって、いよいよラント君がマントを翻す。

 押せ押せガールなユーベルちゃんにタジタジになってるようにも見えるが、気のせいだろう。

 

「それではまた逢おう。さらばだ!」

 

 仮面騎士は夜闇の中に消えていった。

 残されたのは、ぬい状態のわたしと、床にすわりこんだままのユーベルちゃん。

 クフっと笑う。

 

「アナちゃん。私、本当のファンになっちゃったかも」

 

 あ……。やばい?

 

 これから後、もしもラント君がユーベルちゃんに捕まったとしても。

 ヤンなデレで、ユーベルちゃんに攻め落とされたとしても。

 

――わたしのせいじゃないよね?

 

 うん。たぶんそうだ。きっとそう。

 仮面騎士の活躍によって、今日も世界は平和だ。

 そう思いたい。

 

 

 

 

 

 数日後。

 

 わたしは、ラント君の仕事場である例の田舎家を訪れていた。あの夜の出来事が嘘だったかのように、空はからりと晴れ渡り、小鳥のさえずりがのどかに響いている。

 

 ラント君は、やはりというか、複数の分身を駆使して猛烈な勢いで原稿作業に没頭していた。

 

 でも、いつもとちょっぴり様子が違う。本体である彼の背中からは、どことなく覇気のようなものが感じられず、時折、ペンを止めては深いため息をついている。どんより――というか。

 

 名づけるなら、

 

――中二病的黒歴史症候群。

 

 ラント君、影騎士ならぬ黒騎士もとい黒歴史になっちゃった?

 

 わたしは内心で確信しつつも、努めて明るい声で話しかけた。

 もちろん、ドアから入ってますよ。分身のラント君が開けてくれたのだ。

 作業部屋はいつもながらカオスの様相。

 

「いつもながらすごい執筆スピードだね! さすがラント君。さすラン!」

 

 わたしの声に、ラント君が、ピクリと肩を震わせる。

 

 そして、ゆっくりとこちらを振り返ったその顔は。

 

 うん、やっぱり少しやつれている気がしないでもない。

 目の下には、うっすらと隈ができているようにも見える。

 もしかして、眠れてないの? 抱き枕になる魔法してあげようか?

 

「君か、アナリザンド。また何か、厄介事を持ち込んできたわけじゃないだろうね」

 

 その声には棘がある。完全に不機嫌モードだ。

 まあ、無理もない。

 

 いくら変声機能つきの仮面を被っていたとはいえ、しゃべってる本人にとっては自分の声そのもの。そして、やりたくもなかったであろう、やたら説教くさいセリフを言い放ち、自分が想像したとおりのキャラクターを演じながら、カッコよく颯爽と去っていく姿。

 

 すべてがすべて恥ずかしかったに違いない。

 

 ラント君にとって、思い出したくもない悪夢の一つに数えられているのだろう。

 

 そんな彼に、もうひとつオマケをプレゼント。

 

「今日はプレゼントを持ってきたんだよ。ラント君に、って」

 

「プレゼント? 僕に? いったい誰から。まさか、またあの女じゃないだろうな」

 

「まあ、そうなんだけどね。でも、ラント君が思ってるような、怖いものじゃないから」

 

 わたしはリボンでかわいくラッピングされた包みを渡す。

 

 ラント君は、明らかに警戒心を露わにしながらも、恐る恐る包みを開け始めた。その手つきは、まるで爆弾処理でもするかのように慎重だ。

 

 そして、中から現れたものを見て、彼は完全に動きを止めた。

 

 それは手のひらサイズの『仮面騎士ブラック』のぬいぐるみだった。

 

 黒いマントは滑らかな手触りの良い布で、仮面の赤いラインも刺繍で細かく表現されている。そして何より、その小さな体には、作り手の温かい想いが込められているのが、一目で伝わってくるような、そんな優しい風合いをしていた。

 

「なにこれ? マンガのキャラクターのぬいぐるみ、だって?」

 

 この世界には、まだ無かった存在(モノ)

 

「ユーベルちゃんがね、ラント君にお礼がしたいって、一生懸命作ったんだって」

 

 ユーベルちゃんは、あの夜のあと、ひとつの魔法を生み出したんだ。

 それは、大体なんでも縫い合わせる魔法。

 切り裂いたはずの布は、またひとつになって、意味をもつ。

 

 ラント君は、おもむろにぬいぐるみを手に取り、その感触を確かめるように、そっと指で撫でた。そして、ふいと視線を窓の外に向け、小さな声で呟いた。

 

「下手くそだな。こんなんじゃ商品にはならないよ。それに僕のイメージともちょっと違う」

 

 その言葉は、いつもの彼らしい、ぶっきらぼうなものだった。

 でも、わたしは見逃さなかった。

 彼の無表情な口元に、ほんのわずかな歪みがある。

 

「まあでも……。参考までに受け取っておいてやるかな。一応は、ファンからの初めての贈り物らしいからね。…………それと、アナリザンド」

 

「なあに?」

 

「あの夜のことは、絶対に誰にも言うなよ。もし噂でも広まってみろ。僕は……僕は……!」

 

 そこまで言って、彼は言葉に詰まった。

 いつもの無表情なままなのが逆におもしろい。

 冷静沈着な仮面の下の顔はきっと真っ赤になっているに違いない。

 わたしは、クスクスと笑いをこらえながら、大きく頷いた。

 

「うん、わかってるよ。ラント君の黒歴史は、わたしとユーベルちゃんだけの秘密だね!」

 

「誰が黒歴史だ!」

 

 ラント君の珍しく慌てたような声が、静かな作業部屋に響いた。

 

――毒も薬も使いよう。

 

 そして、厄介なファンも、アンチでさえも、ほんの少しのきっかけと、誰かの温かい手助けがあれば、いつかは世界で一番の理解者に変わるのかもしれない。

 

 わたしは、そんな奇跡みたいなことを信じながら、ふたりの不器用なクリエイターたちの、まだ始まったばかりの新しい物語に、そっとエールを送るのだった。

 

 でも、監禁ルートは勘弁な!




ちょっとだけ長くなっちゃった……。
こんなに長くなったのは、ユーベルちゃんが強敵だったせいかもしれない。
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