魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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楽園で咲く花

 

 

 

 

 ――とりとめのないインタールード――

 

 

 

 話の流れでなんとなくゼーリエ先生の庭園に向かうことになった。

 庭園はあいかわらず光に充ちていて、魔法的な管理がなされている。

 花々がキレイに区画化され、整理され、それぞれに咲き誇っている。

 おそらく、先生によって管理されているのだろう。

 言わば、お花管理局。

 

 いや、管理局という名前はよくないな。管理=支配ともとれる。

 ここは見守っているという言葉が適切か。

 

――白百合。

 

 おそらくは、フランメを仮託した花を、ゼーリエ先生はひと撫でする。

 そっと、やさしく、頭を撫でるように触れる。

 

 先生にはフランメの姿が視えているんだろうなぁ。

 

 こういうところが、先生の一番好きなところだったりする。

 人間のこと好きすぎるんだよな。このツンデレエルフ。

 

「ねえ先生」

 

「なんだ?」

 

「先生は、老いって現象をどう思う?」

 

「私にとっては、ただ変わりゆくことだな。自然の成り行きであり、不可逆的な現象といえるものだろう。季節の移り変わりと同じだ」

 

「じゃあ、先生以外の存在にとっての老いは、どんなものだって想像する?」

 

 クエリ。主観的データの提示を要求する。

 

「……そうだな。成長ともいえるかもしれんが、基本的には死につながること。死とは生命にとっての最悪だ。つまり嫌なことだとあの子たちは捉えているだろうな」

 

「確かにね。シュタルク君がまだまだずーっと小さかった時に、朝起きたらおひげがうっすらと生えてて、わたしね。ちょっとおもしろがって、指摘しちゃったことがあるの。そのとき、すごく嫌がられちゃった」

 

 あの時のわたしはまだ若かったゆえ。

 若さゆえの過ちってやつだ。

 

 シュタルク君は、あんまり怒らなかったけど、自分の身体の成長に戸惑っていたみたいだった。

 わたしは続ける。

 

「フリーレンもね、ババァって言われると、すごく怒るんだよ。なんだか知らないけど、スリーアウト制をとってるみたいだし。千年も生きてるくせにね」

 

「フン。あいつも、まだまだ子どもということだ。怒るうちは、な」

 

「じゃあ、先生は怒らないの?」

 

「私は子どもではないからな」

 

「永遠の乙女だもんね。レルネン先生もそう言ってたし」

 

「虫唾が走ることをいうな」

 

 先生は、そう言いながらもほんの少しだけ寂しそうにしている。

 おそらくは、先生の中の諦観がそうさせるのだろう。

 もしかすると、老いに対する憧れのような感覚もあるんじゃないだろうか。

 

 ゼーリエ先生が、花々を睥睨する。

 

「老いというものは、幼いうちは成長と捉えられるが、ある時期を過ぎれば、ただ衰えていくだけの過程となる。死という終着点へと、ゆっくりと向かっていくベクトル。燃え盛る炎がいつか消え去るように、最後には命が尽きる。その過程に過ぎない。それ以上でも、それ以下でもない」

 

 先生らしい客観的な事実の提示。

 感傷という感情が消え去ってしまうほど、先生の中には膨大な時間が積まれている。

 

「レルネン先生も言ってたよ。老眼が進んでゲームの開発画面が見にくいって。ゼーリエ先生とこうして過ごせる時間も、だんだん短くなっていくのが寂しいって」

 

 人間のベクトル。死へ向かうベクトル。

 エルフの少女は、ただそこに在り続ける。

 だから、離れていってしまう。これは物理的な話。避けられない必然。

 

 システムがシステムであることをやめない限り、必ずそうなる。

 女神様が人間をどうしてそうあるように創ったのかはわからない。

 でもこれが、人間たちが先生を慕う理由のほとんどすべてだ。

 

「臆病な坊やだ。私と出逢った頃から、なにも変わっていない」

 

 先生の言葉は、まるで子どもが外に行ってしまうのを引き留めようとする母親のように思えた。

 寂しいのかもしれない。先生も。

 

「先生にとっては、レルネン先生もまだまだ子どもなんだね」

 

「赤ん坊のおまえに言われれば、あの子も立つ瀬がないだろうな」

 

 先生はいつものように皮肉にわらった。

 

「わたし赤ちゃんじゃないよ」わたしは怒ってみせる。「ちゃんと成長してるの!」

 

 レディですし!

 

 けれど、ゼーリエ先生は、わたしの遺憾の意を微風のように受け流す。

 

「おまえは忘却も成長の一種だと考えているのか?」

 

 話題は色を変えた。季節の移り変わりのように。

 

「いいえ。考えているんじゃなくて、わたしはそう信じているの」

 

「妄想の類だな。おまえは私が生きる永遠にも等しい時の中で、私の弟子が誰一人認知症を患わなかったと思うか? おまえは前に言っていただろう。人間は最期には虫けらのようになる、と」

 

「それは悪い言葉だったって、今では思うよ。わたし悪い子だった」

 

「おまえの観測結果は、ある程度は真実を言い当てていると思うがな。自分がどこの誰であったかも忘れ、名前も忘れ、顔も忘れ、言葉も忘れ、虫のようにただ生きる存在になりはてる。認知症は、精神の死。そうは思わないのか?」

 

「思わないよ」

 

「だが死は死だ。おまえの言ってることは、死に意味を持たせようとしているに過ぎない。それは人間たちがよく言う名誉ある死や、名は永遠に語り継がれるといった妄想の類。――執着だ」

 

「それは先生がしようとしていることじゃないの?」

 

――覚えておく。

 

 ずっと、永遠に忘れない。

 

 それは、お弟子さんたちひとりひとりの死に意味を持たせようとする行為にほかならない。

 

「だからなんだ?」

 

 拗ねないでよ、先生。

 

「だからね。先生」

 

 わたしは駆け出して行って、先生に振り返る。

 

「先生――――、わたしのことを――――」

 

 わたしの言葉が、ゼーリエ先生の胸に吸いこまれていった。

 

 

 

 

 

『フォル爺』

 

 

 

 

 

 夜の宿屋にて。夕食時。

 修行はすでに六日目に突入している。

 

「姉ちゃん。あの師匠はダメだ」

 

 宿屋で、シュタルク君がメソっとしていた。

 すごく悲しそう。

 お昼の間。わたしが観測する限り、シュタルク君に課せられた修行は苛烈だった。

 巨岩を持ち運び、魔物と戦わせられ、ただひたすら木刀をふるわされる。

 

 お昼どきには、ご飯を食べてる最中も、油断していると剣の鞘で頭をごちんと叩かれる。

 

「飯を食ってるときも、しょんべんしているときも油断するな」というのがフォル爺の弁。

 

 敵がわざわざ待ってくれるかという話らしい。

 

 わたしが女神様の魔法で回復させようとすると、

 

「痛くなければ覚えぬ。修行の邪魔をするな魔族の娘よ」

 

 とか言われて、そのままになってしまった。

 かわいい弟の頭が変形しないか、お姉ちゃんは心配です。

 

 修行内容の良し悪しは、魔法使いであるわたしにはよくわからなかったけれど、べつにおかしなところはなかったと思うけどな。

 

「そうじゃねえけど、毎朝、オレの名前忘れて。はて誰だったかの、から始まるのひでーと思わねえか。あれ絶対わざと言ってるだろ。いや、わざとじゃなかったらそれはそれでひでえ」

 

 シュタルク君は、心底うんざりした様子で、テーブルに突っ伏した。その背中からは、日々の過酷な修行と、それ以上に師匠の奇行に振りまわされる疲労感が滲みでている。

 

 フェルンちゃんは、そんなシュタルク君の姿を、少し気の毒そうに見ている。ザイン先生はいつもどおりどこ吹く風。フリーレンは特に表情を変えることなくパンを齧っているが、その視線は窓の外、フォル爺がいるであろう方向へと向けられていた。

 

 わたしは、隣にいるシュタルク君の頭をヨシヨシと撫でながらフリーレンに声をかけた。

 

「ねえ、フリーレン。フォルお爺ちゃんのことなんだけど。もしかして、あれって本物の()()()なんじゃないかな」

 

「おまえはそう思うのか?」

 

 パンを齧る手をとめるフリーレン。

 長寿友達を否定されたようで、いい気分はしないのだろう。

 声が少し冷たい。でも、フリーレンも薄々気づいていたはずだ。

 

「あのね。わたしの回復魔法でも、お爺ちゃんの記憶がはっきりしないのは、おかしいなって思ってたの。女神様の魔法は、肉体的な損傷だけじゃなくて、精神的な疲労とか、ある程度の記憶障害にも効果があるはずだから。でもフォルお爺ちゃんの場合はほとんど効果がなかった。たぶんそれは脳っていう器官そのものが、元には戻らないくらい、変化しちゃってるからじゃないかなって」

 

 ルミナテールの回復効果は、死んだ人間を生き返らせるものではない。

 それは、生命の理に反するし、オレオール先生に叱られてしまう。

 つまり、フォルお爺ちゃんの一部は、既に死んでしまったんじゃないか。

 だから、魔法の効果がなかったんじゃないかと思った。

 

「女神の魔法でも、死んだ人間をよみがえらせたり、若返らせたりはできないからな」とザイン先生が補足してくれる。

 

 そう、肉体を活性化させることはできても、完全にロールバックするようなことはできない。

 それは不可逆性の原理に反するし、もしできたとしても、魂が変質してしまう。

 

「ドワーフの寿命は人間よりは長いけど、それでも限界はある。フォル爺は四百年以上も生きているんだ。身体だけじゃなくて、記憶を司る部分も少しずつ壊れていっているのかもしれない」

 

 と、フリーレンは揺らぎのない声でいった。

 

 わたしの言葉を完全に否定できないのは、フリーレンもずっと人間がそうであることを観測してきた経験に基づくものだろう。

 

「そうなると、アナリザンド様の魔法でも、完全な回復は見こめないということですか?」

 

 フェルンちゃんはフリーレンとわたしを心配そうに交互に見ていた。

 

 わたしは答える。

 

「うん。たぶん難しいと思う。わたしが視る限り、フォル爺さんの魂の輝き自体は、すごく強くて綺麗なんだ。それがなぜなのかまではわからないけど――、フリーレンは何か知ってる?」

 

「私は知らない。それはフォル爺が知ってることだ」

 

 言いたくないのだろう。フォル爺の想いを踏みにじりたくないのだ。

 こころの花畑を荒らすような、そんな行為に思えて。

 

 フリーレンの成長に、長姉として、か、感動しますよ、これ。

 

「まあ――、何かを守りたい想いがあるのは間違いないとして、でも、その想いを記憶として繋ぎ止めておくための脳の機能が、少しずつ失われちゃってる。だから、どんなに強い光を当てても、それを反射する鏡が曇ってしまっていたら綺麗には映らない。そんな感じなんじゃないかな」

 

「じゃあ、師匠はどんどん悪くなっちまうのか? 何もかも忘れて……。いつかはオレに稽古をつけてくれたことも忘れちまうのかな」

 

 しょぼんとするシュタルク君。

 たぶん、アイゼン先生のことを想起したのだろう。

 先生は、フォルお爺ちゃんよりはまだ少し若いけれど。同軸上にいるのは確かだから。

 

「それは、わたしにもわからない。でも、今の医学や魔法では、進行を遅らせることはできても、完全に元に戻すことは、たぶんできないと思う」

 

 重い沈黙が訪れた。

 

「楽しいご飯の時間に言うべきことじゃなかったね」

 

「なんか救いはねえのかよ。姉ちゃんの魔法なら、なんとかできるんじゃねーのか?」

 

「うーん……、ほんのわずかな可能性はあるかな。でもそのためには――」

 

 わたしはもう一度、フリーレンに向きなおった。

 

「ねえ、フリーレン」

 

「なんだ?」

 

「フリーレンはわたしを信じてくれる?」

 

「……」

 

 沈黙。交差する視点。

 たった六日前。フリーレンはわたしをかばってくれた。

 魔族であるわたしを、ほんのちょっとは認めてくれたのかもしれない。

 

 魔族の魔法は、フリーレンにとっては呪いに過ぎないかもしれないけれど、フォル爺の『世の中は変わった』という言葉も聞いているはずだ。わたしに、この状況を変革させる力があることを、フリーレンもどこかで期待している面があるんじゃないか。

 

 それは、わたしの都合の良い妄想に過ぎないかもしれないけれど。

 

 やがて、フリーレンは、ふぅ、と小さく息を吐くと、視線を窓の外へと移した。その横顔は、いつものように感情を読み取りにくいが、どこか遠い過去を懐かしんでいるかのようにも見えた。

 

 あるいは、ゼーリエ先生みたいに少し寂しそうな顔。

 

「―――フォル爺は、たぶん、村を守ってるんじゃない」

 

 フリーレンは残り一つになったパンをそっと握りながら言った。

 

「フォル爺には、人間の奥さんがいたんだ。もうずいぶん前に亡くなったっていってたけど。彼は、おそらく奥さんの住んでいた村を、そして、奥さんとの思い出が詰まったこの場所を、守ろうとしているのだと思う」

 

 フォルお爺ちゃんの魂がいまなお輝きつづけている理由がわかった。

 失われゆく記憶のなかで、それでもなお亡くなった妻のことを想い続けている。

 痛いくらいに切ない、変わらぬ想い。

 

「フォルお爺ちゃんは奥さんのことを愛していたんだね」

 

「やっぱり、おまえに言うべきじゃなかったかもしれないな」

 

「確かに――、そうかもしれないけど、フリーレンはフォルお爺ちゃんのことが心配だったんだよね。わたし、知らないふりしてフォルお爺ちゃんに聞いてみようか。お爺ちゃんが村を守っているのはなんでって? 教えてくれる可能性もそれなりに高そうかなって思うよ」

 

「おまえに伝えたのは、私の責任だ。いまさらそれをどうこう言う必要はない」

 

 フリーレンはわたしに託してくれたのだろう。

 

 あくる朝。さっそく、わたしはフォル爺と話をしてみることにした。

 

 

 

 

 

「こんマゾ。フォルお爺ちゃん。今日もシュタルク君の稽古つけてくれてありがとう」

 

 わたしは、隣にちょこんと座り、そんな定型の挨拶から始めた。

 

 このお爺ちゃんは、名前や顔といった浅い記憶はおぼろげになっているけれども、関係性という複雑に絡み合った想いは忘れない。

 

 魔族だからといって斬りかかられたのは、最初の一回だけで、シュタルク君が守ろうとしてくれている、変な魔族という認識はあるようだ。

 

 フリーレンは少し離れた場所で、腕を組んで立っている。

 

 シュタルク君は、木刀を素振り。フェルンちゃんとザイン先生は村の小さな依頼をこなしており、ここにはいない。

 

 フォルお爺ちゃんは、わたしをジッと見て。

 

「はて、誰だったかのう。おぬしは魔族のようだが、よく人間と旅をしとるな」

 

「わたしは、こう見えて人の子。つまり人間なんだよ」

 

「魔族が人間を名乗るか……。昔だったら考えられんことだ」

 

「ねえ。お爺ちゃん」

 

「なんだ?」

 

「お爺ちゃんには、人間の奥さんがいたんだよね」

 

 そのものズバリ。核心に迫るわたしです。

 

 迂遠な回路は、失見当識もあるかもしれないフォルお爺ちゃんにとってはわかりにくいと思ったからというのもある。

 

 フォルお爺ちゃんは、細く目を見開いて、その場にいたフリーレンに非難ともつかない視線を向けた。エルフとドワーフの長らく続く友情に向けての、問いかけめいた面もあったのだろう。

 

 フリーレンは軽くみじろぎをし、右手で左腕をつかむ動作をする。

 わずかな防御姿勢。何に対する――。

 

「フォル爺とはもう逢えないかもしれないからね」

 

「そうか……」フォルお爺ちゃんは、ただ短くそう答えた。

 

「お爺ちゃんがこの村を守りたいのは、奥さんが愛した村だからなんだよね?」

 

「魔族の娘よ、その言葉は正しい。だが深く語るつもりはない。これは儂だけの思い出だ」

 

「お爺ちゃんは奥さんとの思い出を宝物みたいにそっと封じこめておきたいんだね」

 

 フォルお爺ちゃんが生きてきた時代には、まだ写真もインターネットもなかった。

 でも、もし仮にそれらがあったところで、保存するのを好まなかったと思う。

 そういう哲学なんだろう。思い出を守りたいのだ。たとえ忘れてしまっても。

 

「……ふむ。魔族にしてはどうにも調子が狂う。村の者など、皆、儂がどうして村を守っているのかすら忘れてしまっているというのに」

 

「フォルお爺ちゃんは、奥さんの声、忘れてたりしないの?」

 

「とうの昔に忘れてしまった。声も、顔も、まなざしも、儂の記憶から失われてしまったよ」

 

「わたしね。魔法が使えるの。お爺ちゃんの記憶を呼び覚まして、お爺ちゃんの奥さんの声も、顔も、まなざしも、思い出すことができるかもしれないよ」

 

 

 

――楽園へと導く魔法(アンシレーシエラ)

 

 

 

 魂の深いところに刻まれた記憶を呼び起こし、対象に理想の夢を与える。

 

 やろうと思えば、記憶の改鋳や、思い出の編纂なんかもできるし、シチュエーションを通して、想いをねじまげることも可能だ。

 

 例えば『ちょっとやらしい雰囲気にしてきます』みたいなこともできる。

 

 けれど、それは今回は必要のない機能だ。

 魂から記憶を抽出できればそれで足りる。

 

「七崩賢の呪いか……」フリーレンがハッと息をのむのがわかった。

 

「なんだか知らないうちに使えるようになってたんだよね」

 

 グラオザーム先生といったいどこで出逢ったんだろう、わたし。

 ぜんぜん覚えがないんだけどな。忘れちゃったのかな?

 

 でも、使えるものは使っていいと思う。

 フォルお爺ちゃんがどう判断するか、回答に注目する。

 

「それは幻想と何が違う?」

 

「確かに幻想なんだけど、今回は単にフォルお爺ちゃんの思い出を、魂から参照して表層意識まで引っ張ってくるだけだよ。場合によっては、その思い出のイメージをバックアップさせることも可能です。つまり、写真とか――わかるかな? そういう画像データとしていつでも見返すようにできたりもするよ。声も録音データとして取り出せる」

 

「それらがおぬしに与えられた幻想ではないと、誰が保証できる?」

 

 フォルお爺ちゃんの言葉は、確かにこの魔法の弱点をついていた。

 楽園へと導く魔法は、簡単に対象の認識を変えてしまえる。

 フォルお爺ちゃんが警戒するのも無理はない。

 わたしはたった数日しかフォルお爺ちゃんと会話をしていないわけだし、信じてほしいといっても難しいだろう。

 

 打つ手なし、とそう考えたときだった。

 

「フォル爺。私が()()()()()()()よ。魔力に変な流れがあったら、私がわかるから」

 

 フリーレンが保証してくれた!

 フォル爺のためだとはいえ、こんなにも嬉しいことはない。

 千年エルフとの和睦。歴史的快挙じゃないか?

 

「そうか、フリーレン。この魔族の小娘と仲が良いのだな」

 

「それは違うよ。フォル爺!」

 

 即答するフリーレンだった。

 

 あたふたしてて、少しかわいらしい。

 

 素直じゃないところは、ほんと、ゼーリエ先生にそっくり。

 

「私はフォル爺のことが心配だったから。友達だと思ってるから。ただそれだけだよ。こいつの魔法をわざわざ使わなくても、私がフォル爺のことは覚えておくから、どっちを選んでもいいんだ」

 

「すまないな。フリーレン。儂のことも未来へ連れていってくれるつもりか」

 

「いいんだよ。フォル爺。ヒンメルのついでだよ」

 

――エルフは。

 

 その長大な寿命のなかで、他の短い時を生きる存在の想いを未来へと連れていく。

 システムメモリとして機能する。

 

 おそらく、ヒンメルとの旅のなかで、フリーレンは自分たちが死んでも、フリーレンが生き続ける限り、その思い出は死なない。未来へ導かれるというような言葉をかけられたのだろう。

 

 でも、それってフリーレンにとってはどうなのかな。

 まるで呪いじゃないだろうか。ヒンメルには悪いけど。

 

「儂はやはり断らせてもらおうと思う。どちらも選ぼうとは思わん」

 

 それがフォルお爺ちゃんの選択だった。

 

 わたしの魔法は棄却された。

 

「どうして?」と、わたしは聞いた。

 

「心優しき魔族の娘――アナリザンドよ。儂は妻との思い出が霞むほどのずっと長い間、この村を守り続けてきた。誰の手も借りず、ただ儂だけの力でな。どうか儂の想いを穢さんでくれ」

 

「お爺ちゃんは奥さんのことも立派に守ってるんだね。ありがとう」

 

「なぜ感謝の言葉を?」

 

「フォルお爺ちゃんがわたしの名前を呼んでくれたからだよ」

 

 たとえ、フォル爺が次の瞬間にはわたしのことを忘れてしまうとしても。

 そのとき、感じた想いは消え去ることはない。

 魂は不滅だから。魂は巡り回るから。

 

 そうか。フォルお爺ちゃんは、忘れてしまってもかまわないんだ。

 

 忘却を()()()()()()だと捉えれば、つまり想い――魂の一部をシステムへと託す行為だと捉えれば、その循環プロセスにおいて、忘却とは魂の循環における準備期間だと考えることができる。

 

 フォルお爺ちゃんが、直接的に天国や女神様を信じているかはわからないけれど、エルフ式のアナログな保存でもなく、わたしのようなデジタルな保存でもなく、一番純粋な魂の保存の形なのかもしれない。

 

 もちろん、わたしの考えはただの妄想に過ぎないのかもしれない。

 魂という高次元データセットに対する知見はきわめて浅く、わたしは何もわからない幼女に等しい。でも、そう想いたい。

 

 忘却は終わりじゃない。形を変えて生き続ける。

 

「ひとつ、思い出した」フォルお爺ちゃんがぽつりと呟いた。「ありがとう――と、妻もよく言っていたよ。なにげない、ほんの少しの儂の努力に、よくそう言ってくれていた。おぬしの言葉で思い出したよ。ありがとう」

 

 言葉は想いを繋ぐ魔法だった。

 七崩賢の呪いよりもずっと強い、人間が創り出した究極の魔法。

 

 たとえ忘れてしまっても、誰かの言葉が、その想いをまた呼び覚ましてくれる。そして、その呼び覚まされた想いは、また別の誰かに繋がっていくのかもしれない。

 

 それこそが、魂の循環。

 オレオールへの、本当の意味での『先行予約』なのかも。

 

――忘れてしまってもかまわない――

 

――ずっと覚えててほしい――

 

 それらの言葉は矛盾せずに共存しうる。

 

 死者が天国に登録されているのと同じく、生者もまたオレオールに接続されているのだから。

 

 どっちでもいいんだ。

 

 

 

 

 

 ――忘れてしまってもかまわないエピローグ――

 

 

 

 

 

「先生――――、わたしのことを()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 庭園の向こう側。

 わたしは先生に向かって、声を出す。

 彼岸の向こうにいる先生は、少し不思議そうな顔をした。

 

「どういう意味だ?」

 

「先生はずっと生きてるから、お弟子さんたちの想いを受けとめて、未来に連れていこうとしているんだよね」

 

「どうだかな。私を未来に連れていくのは、むしろ弟子たちのほうだろう。若いあの子たちのほうが、そういうベクトルにある。私はどちらかと言えば不動の存在だ」

 

 今を生きるエルフらしい言葉。

 動かない石碑のようなエルフだからこそ、そこに無数の言葉が刻まれる。

 わたしは、石碑の気持ちを考えてみたんだ。

 

「フリーレンもそうだったんだけどさ。ヒンメルから僕たちの記憶はフリーレンが未来に連れていってくれるとか言われたんだって。ヒンメルってひどいよね」

 

 フリーレンに呪いをかけたのだから。

 まあ、それは人間としては相互保証のようなものなので、人間的な文脈においては、否定されるべきことではない。

 

「勇者の言葉がフリーレンを変えたのも事実だろう。それはあの子が変わりたいと思ったからだ。そう望んだからそうあるだけのこと。勇者の責任ではないだろう」

 

「先生たちエルフはたくさんのことを、ずーっと覚えていられる種族なんだよね」

 

「否定はしない」

 

「わたしは、先生にひとりで抱えこんでほしくないの」

 

「弟子に憐れまれるとは、師としての名折れもいいとこだな。こっちへ来い」

 

 わたしは呼ばれたけど、行かない。

 

「先生が魔法を譲渡しているのも、心の負荷を下げてる行為なんじゃないかなって」

 

 いわばガス抜き。

 ゼーリエ先生は抜いていたのだ。

 溜まったらつらいもんね。定期的に吐き出さなきゃ。

 

「わたしね、先生の重荷になりたくないんだよ。先生が、わたしのことを覚えておくことで、ほんの少しでも苦しくなるくらいなら、忘れてくれたってかまわない。それでも、わたしは、先生のことを絶対に忘れないし、先生のことが、ずーっと大好きだから」

 

――だから、ね。

 

「たとえ、先にわたしがいなくなっちゃっても、先生が、ずーっと先の未来で、誰かの言葉を聞いて、わたしのことを思い出してくれたら……。その時、ああ、そんな魔族もいたなって、ほんの一瞬でも思い出してくれたら、わたしは、それですごく嬉しい」

 

「ふざけるなよ。アナリザンド。おまえみたいな小娘が」ゼーリエ先生がどんどん近づいてくる。「このゼーリエの重荷になるものか」

 

 そして、そっと手を頭に置かれた。

 

「先生?」

 

「おまえのような騒々しいやつのことを、そう簡単に忘れられると思うか?」

 

「ずーっと、ずーっとずーっと先の未来の話だよ」

 

「覚えておこう。私がそう言ったのを忘れたのか」

 

 ゼーリエ先生は、わたしが前に出した彼岸花に目をやっていた。

 

 それは、魔族としてのわたし。徒花。

 

「覚えておけ。私がそうしたいからそうする。それだけのことだ」

 

 先生からは陽だまりの匂いがする。

 覚えていたいと、わたしは想った。

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