魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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シニョリッジ

 

 

 

 

『アナリザンド。ちょっといいか』

 

 久しぶりに動画通信がきたのでつなげてみると、ラオフェンちゃんだった。

 リーニエちゃんとの激闘を終えた彼女は、順調に旅を続け、オイサースト近くまで辿りついたようだ。そこはどこかの宿屋で、手に持ったドーナツを両手にパクついている。

 

 二刀流ドーナツって流行ってるのかな。

 

 あいかわらずエネルギーを摂取することに余念がない。

 絶対にフェルンちゃんにとっていい友達になれそう。もちろんドーナツ友達に。

 

「どうしたのかな。ラオフェンちゃん」

 

『なんだか、こっちにいる爺さんが、あんたと話したいってさ』

 

 ラオフェンちゃんが小窓をずらすと、そこには丸眼鏡をかけた老獪そうな人物がいた。

 年齢は7、80歳くらいかな。レルネン先生と同年代だと思われる。

 

 もしかしないでも、わたしってドーナツでラオフェンちゃんに売られちゃった?

 なんてね。

 

 わたしと話したければ、DMだってアナちゃん会話サービスだって、配信でのコメントだってできるのだ。わざわざ、ラオフェンちゃんを使う必要は――――たぶん、ないよね?

 

 でも、それはわたしの思いこみ。

 政治と経済にうといわたしの死角を突く、彼の交渉術の始まりだったのである。

 

『儂の名はデンケン。帝国の宮廷魔法使いの地位を陛下より賜っておる』

 

「こんマゾ~。デンケンお爺ちゃん、今日はどうしたの?」

 

『少しこみ入った話がある。できれば、おぬしと生身で話がしたい』

 

「うーん。小窓では話せないことなの?」

 

 ネットでの会議は、情報量としては確かに生身での会議に劣るかもしれない。

 上半身だけスーツ姿で下半身はパンツ一丁ということもできるわけだしね。

 でも正直、見知らぬ人に逢うというのは、少し勇気がいるものだ。

 誰も彼もに逢ってたら、さすがに時間が無くなっちゃう。

 

『ふむん。ラオフェンとは知己の仲なのだろう。久しぶりに逢って話をしてみるのはどうだ。ここのドーナツは美味いぞ。儂がおごってやろう』

 

「おごってくれるの!? いくいく!」

 

 ただよりおいしいものはない。

 ラオフェンちゃんだけズルいとひそかに思っていたのだ。

 そんなわけで、あっさりデンケンお爺ちゃんのもとに転移するわたしでした。

 

 

 

 

 

 うおおおおお。加速しろわたしの胃腸よ。

 ぱくぱくもぐもぐ。ぱくぱくもぐもぐ。

 山盛りに積まれたドーナツを前に、わたしはラオフェンちゃんに負けじと手を伸ばす。

 ラオフェンちゃんはわたしよりも前に食べていたはずなのにペースが落ちない。

 ああ、今もまた新しいドーナツに手を伸ばして、ぱくぱくしてる。

 

 くっ。わたしのサイズ感が小さいからか、一口にて消費されるドーナツ量は、ラオフェンちゃんの七割くらいだ。このままだと、わたしが食べられるドーナツ量は七個がせいぜいか。

 

 いや、計算したところで同じだ。ともかく手と口を動かすんだ。

 

「……ふむ。小動物にしか見えんな」

 

 デンケンお爺ちゃんは、そんな感じでドーナツに手をつけない。

 でも、なにやらわたしたちが食べてる姿を見てうれしそう。

 なんだか遠い目で見つめてる。

 口元は笑ってるような、でもちょっと寂しそうな、そんな感じ。

 ただ静かに、わたしたちが夢中になって甘いものを頬張るのを見てる。

 

――郷愁、なのかな?

 

 なにやら話がしたいという感じだったが、食べてる時に邪魔をするほど無粋ではないらしい。

 というより、ラオフェンちゃんに対する視線が柔らかい。わたしに対してもそうだ。

 つまりは、孫を見るお爺ちゃんみたいな眼差しだった。

 

「もうすこしゆっくり食べなさい。ドーナツは逃げてはいかんぞ」

 

「もぐも……もぁい」「ふがふが……」

 

 ふたりして言葉にならない言葉を返す。

 

 ドーナツは戦争だ。負けられない戦いがここにはある!

 

 やがて、ドーナツの山も半分くらいになった頃。

 デンケンお爺ちゃんが、ふと窓の外に目をやって、独り言みたいに呟いた。

 

「儂が若い頃はな、このような甘味など、口にできる機会はほとんどなかった」

 

「貧乏だったってこと?」

 

「そうとも言えるが、国全体がまだ貧しかったのだ。時代が悪かったともいえる。戦乱にあけくれていた帝国には、国を整える時間がなかった」

 

 戦乱というのは、勇者一行が魔王を討ったあとに起こった、必然的な覇権争いのことを言っているのだろう。南側諸国は、ずっと戦争が続いているし、帝国は魔族の残党がいまだ力を持っているから、軍備に力を割かなければならなかったと聞いている。

 

 つまるところ、

 

――戦争の時代。

 

 だったのである。

 

 ちなみに、わたしはその時、絶賛引きこもり魔族だったので、実情はほとんど存じあげません。

 ただ、フェルンちゃんが戦災孤児としてハイターに拾われたことは知っている。

 人間たちにとって、長く苦しい戦いだったんだな、と。

 

「でも今は、平和な時代になったってことだよね」

 

「このような嗜好品が生まれているということは、そういうことだろう。戦乱の爪痕と火種はところどころ残ってはおるがな」

 

「ただいま回復中ってこと?」

 

「そのとおりだ。人の世はようやく魔王の恐怖から抜け出しつつある。おぬしが基点となって、文化的にも経済的にも立ち直りつつあるのだろう」

 

「先生たちのお役にたててる?」

 

「ああ、そうだろうとも」

 

「だったらうれしい」

 

 女神様の子ですゆえ! わたしは良い子でいたいのである。

 

「ねえ、デンケンお爺ちゃん。わたしに話があるんだよね? それってなあに?」

 

「先にも言ったとおり、少しこみいった話になる。聞いてくれるか?」

 

「もちろん」

 

 そのために来たのだから。

 けっして、ドーナツに釣られたわけではないと言っておこう!

 

 

 

 

 

 

 アナリザンドの問いかけに、デンケンはゆっくりと頷いた。

 

 目の前で無心にドーナツを頬張るふたりの少女――片や山岳民族の魔法使いの卵、片や正体不明の魔族――を見ていると、遠い昔、まだ新婚だったころの自分の姿が脳裏をよぎった。

 

 

 当時、まだ元気だった妻は『初めは女の子が欲しい』と言っていた。もし、子を持てたら、その子が子を生んでいたら、今ごろ、目の前にいる少女のような孫がいたかもしれない。

 

 自然、口元が緩む。

 だが、今は感傷に浸っている場合ではない。

 

「うむ。では、説明させていただこう」

 

「その前に、爺ちゃん。おかわり!」ラオフェンがさりげに口を挟み、わかったわかったとばかりに店員を呼んで、追加のドーナツを皿の上に盛らせた。

 

 出鼻をくじかれたようだが、物事がすんなりいくことは稀だ。

 さほどの動揺もなく、デンケンは居住まいを正し、テーブルの上に置かれた紅茶に口をつけた。 安宿の一品だ。宮廷のものと比べれば味が粗野。

 しかし安物ではあるが悪くない風味だ。ギリギリの経営の中で、少しでも品質をよくしようとする宿屋の心遣いが見える。

 

 デンケンは内心で感心しつつ、本題を切り出すための言葉を老練な脳内で選び始めた。

 

――この魔族の少女、アナリザンド。

 

 その存在は、帝国にとって、そしてデンケン個人にとっても、無視できないほど大きなものになりつつあった。彼女が創り出した魔法インターネットと、それに伴って流通し始めたAPは、今や大陸の経済を静かに、しかし確実に侵食し始めている。

 

(まさか、魔族の気まぐれのような魔法が、これほどの影響力を持つとはな……)

 

 デンケンは内心で嘆息する。当初は、一部の商人や好事家が使う奇妙なポイント程度にしか考えていなかった。しかし、ゼーリエという絶対的な存在がその管理に乗り出したことで、APは急速に信用を獲得し、国境を越えて流通するようになった。帝都の大店ですら、今やAPでの決済を導入せざるを得ない状況だ。

 

――たった数年での出来事である。

 

 結果として、帝国の法定通貨の価値は相対的に下落し、民衆の間では自国通貨よりもAPを保有しようとする動きが顕著になっていた。税収もAPで納めたいという声は日増しに高まり、無視できない規模になっている。このままでは、帝国の経済主権は完全に大陸魔法協会――いや、実質的にはゼーリエ個人の手に握られてしまうだろう。

 

(帝国は、目に見えぬ()()()()()()()()()によって、静かに侵略されつつある……)

 

 長年、帝国宮廷魔法使いとして、そして時には皇室の相談役として国政に関わってきたデンケンにとって、この状況は看過できるものではなかった。幾多の政争を乗り越えてきたデンケンにとって帝国という存在は安易に肯定のみできるものではないが、彼は彼なりの愛国心を持っている。

 

(老骨に鞭打ってでも、亡国の恐れを取り除かねばならぬな)

 

 それこそが、デンケンに与えられた勅命だった。

 残された寿命を思えば、彼にとってのおそらく最後の奉公となるだろう。

 

 そのための布石が、アナリザンドとの、この会談だった。

 

 詳しくはわからないが、アナリザンドはゼーリエと仲が良い。

 ゼーリエに調伏されているという話である。

 

 APがアナリザンドによって生み出されているとはいえ、ラスボスはあくまでゼーリエ。

 となれば、アナリザンドはラスボス前の中ボスといった表現が適切か。

 

 帝国財務室と呼ばれる連中は、デンケンならやってくれると、無責任にデンケンを追い出すようにして交渉の場へ追いやった。誰も彼も魔族と交渉をしたくはなかった。失敗するか成功するかもまったく不明な、独自の理論で動く存在。アナリザンド。

 

 帝国といういわば人の世の常識で動く組織にとって、アナリザンドとは完全に未知なる存在なのである。そして、ゼーリエはアナリザンドの百倍くらい恐れられている。

 

「アナリザンドよ」

 

 デンケンは、アナリザンドの紅い瞳を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「おぬしは、自身が創り出したAPが、今、この大陸にどのような影響を与えつつあるか、正確に把握しておるかな? 知ってる限りでよいから教えてほしい」

 

 追加されたドーナツの最後の一欠片を名残惜しそうに口に運び終えたアナリザンドは、デンケンの問いに、きょとんとした顔で小首を傾げた。その仕草は、年の頃十歳程度の少女そのものだ。

 

「えーっと、みんな便利だって喜んでくれてるみたいだし、ネットでの商売でも使いやすいし、良いことづくめなんじゃないかなって思ってるけど?」

 

 その言葉には、悪意も計算もない。ただ、純粋な好奇心と、自分が創り出したものが人々の役に立っていることへの、素朴な喜びだけが感じられる。

 

(やはり、この魔族は経済や政治の機微には疎いと見える。あるいは、関心がないのか)

 

 デンケンは、アナリザンドの反応から、彼女がAPシステムの経済的・政治的影響について、深くは理解していない、あるいは意図的に距離を置いていると判断した。それは、交渉を進めるうえで、ある意味では好都合と言えるかもしれない。

 

「確かにAPは多くの人々に利便性をもたらした。それは否定できん。しかし、アナリザンドよ。物事には常に光と影がある。APの急速な普及は、帝国にとって、いくつかの看過できぬ問題を引き起こしつつあるのだ」

 

 デンケンは、アナリザンドにも理解できるよう、言葉を選びながら帝国の現状を説明し始めた。

 

――自国通貨の価値の低下。

 

――税収の不安定化。

 

――地下経済の拡大。

 

 そして何よりも、帝国の経済主権が外部の力――大陸魔法協会、ひいてはゼーリエ――によって脅かされているという危機感を。

 

「うーんと、帝国のお財布がピンチで、しかもゼーリエ先生にお財布の紐を握られそうだってことが怖いのかな。ゼーリエ先生は基本的に人間に対して優しいよ。帝国って、フランメが遺した魔法文明なんでしょ。滅ぼすような真似はしないと思うけど」

 

――弟子は殺さない主義。

 

 と、アナリザンドは言った。

 

(それが真実であるかはわからぬが……)

 

 アナリザンドは、デンケンの深刻な説明を驚くほど単純な言葉で要約してみせている。その的確な理解力に、デンケンは改めて舌を巻く。この少女は、決して愚かではない。ただ、人間社会の複雑な力学に対する関心が薄いだけなのだ。権力に対する興味が薄い。

 

「左様。大雑把に言えば、帝国はAPを――あるいはゼーリエという怪物を恐れておる」

 

「いもしない怪物を恐れるのは意味がないことだと思うんだけど」

 

「これは威信の問題なのだ。国が生殺与奪の権を握られ、喉元に剣を突きつけられておるのに黙っておったとあれば、その国は戦う前に既に滅んでおる。看過はできん」

 

「まあ、理解できなくもないかな。要するに誉れの問題なんだよね」

 

「そうとも言えるだろう」

 

「じゃあ、どうしたいの?」

 

「アナリザンドよ。おぬしは国一番の貸金業者はどなたかご存じかな?」

 

 デンケンは問いには答えず、逆に問い返した。

 

「うーん。皇帝陛下?」

 

 やはり、すさまじい理解力。一瞬で答えに辿りつく。

 

「そのとおりだ。国こそが一番の貸金業者であるといえるだろう。シニョリッジとは、そもそも民草に対して、金という概念を貸し与えるものだ。それを税という形で徴収し分配していく」

 

 シニョリッジとは、国家が通貨を発行することで得られる利益のことを指す。

 

 国民がその通貨を()()し、価値あるものとして流通させることで、国家は実質的に無から価値を生み出していると言える。この()()を国民に()()()()、その対価として税を徴収するという構図は、貸付と利息の関係に似ていると言えなくもない。

 

 特に、まだ経済システムが未発達なファンタジー世界においては、通貨の価値や信用がより直接的に国家の権威と結びついていると考えられる。国民が国家が保証する()()を借り受けて経済活動を行い、その使用料として税を納めるというイメージは、アナリザンドのような経済に疎い相手にも理解しやすい比喩であるはずだった。

 

 つまり、デンケンは素人相手にもわかりやすく――それこそ小学生くらいにもわかりやすいように説明したつもりだ。残念なことに、デンケン自身が頭がよすぎて、その言葉はなお難解だった。

 

 そのため、アナリザンド自身はさっぱりわからず、<わたし>と呼ばれる知識の泉にほぼ丸投げ状態であったが、パソコンの中身が見えるわけでもないデンケンにはわからない。

 

「要するに他国の通貨がメインになっちゃうと主権が侵害されちゃうってことでいいのかな」

 

「そのとおりだ。そして、その状況を打開するために、帝国はAPを基軸とした新たな国債の発行を計画しておる」

 

「国債ねぇ。未来の自分たちから借金して、今を何とかしようってやつだよね。本当、先生たちってお金を稼ぐのに余念がないよね。憧れちゃう」

 

 アナリザンドは、まるで他人事のように感心している。

 自分が一番の金の亡者であることは、神棚の上にでもぶちあげているのだろう。

 

「でも、それって、わたしやゼーリエ先生に何のメリットがあるの? 帝国のお財布が潤っても、わたしたちには関係ない話じゃない?」

 

 デンケンは、アナリザンドの率直な疑問に苦笑を禁じ得なかった。

 

 魔族の思考は常に自己の利益と直結している。国家や社会といったより大きな共同体への帰属意識や責任感は皆無なのだろう。

 

 わずかばかり前にもたらされた光の魔法――ルミナテール――も、結局のところアナリザンドの自己に対する偶像化、つまりアイドルとしての活動の一環だったと捉えれば説明もたやすい。

 

 しかし、そうであったとしても、自己の基軸とする価値観と真向から対立する行動をとるわけではないだろう。デンケンはそう考える。

 

 アナリザンドは、人の子であると名乗った。

 そして、良い子でありたいと願っている。

 

「アナリザンドよ。帝国が経済的に混乱し、民の生活が困窮すれば、それは巡り巡って魔法インターネットやAP経済圏そのものの不安定化に繋がりかねん。現に、一部の過激な勢力からは、APを『魔族の呪い』と断じ、排斥しようとする動きも出始めておる。そのような混乱はおぬしにとっても望ましいことではあるまい?」

 

 デンケンは、アナリザンドの『女神様の子でありたい』『人々と繋がりたい』という願望を巧みに刺激する。社会の混乱は、彼女のその願いを阻害する要因となりうる、と。

 

 アナリザンドの紅い瞳が、わずかに揺らめいた。彼女の表情からは真意を読み取るのは難しいが、デンケンの言葉が彼女の何かに触れたのは確かだった。

 

「それに」デンケンは畳みかける。「帝国がAP建て国債を発行し、その信用が高まれば、APの流通量はさらに増大し、その価値もより安定するだろう。それは、APの管理者であるゼーリエにとっても、そして、その創造主であるおぬしにとっても、決して悪い話ではないはずだ。むしろ、おぬしたちの創り出したシステムが、より強固な基盤を得ることに繋がる」

 

 デンケンは、アナリザンドとゼーリエの双方にとっての利益を提示することで、協力を引き出そうと試みる。

 

 ゼーリエへの交渉は、このアナリザンドの説得が成否を分けると言っても過言ではない。

 

「なるほどねぇ」

 

 アナリザンドは、腕を組み考えこむ仕草をした。

 頭からっぽでも、考えてるフリくらいはできる。

 そして回答は自動的である。

 

「つまり、帝国を助けることが、結果的にわたしやゼーリエ先生のためにもなるかもしれないってこと? うーん、なんだか、風が吹けば桶屋が儲かる、みたいな話だね」

 

「その例えが適切かどうかはさておき、概ね、理解いただけたようだな」

 

 デンケンはアナリザンドの突飛な例えに内心で苦笑しつつも、交渉の第一段階はクリアしたと判断した。少なくともアナリザンドはデンケンの提案を頭ごなしに否定するつもりはないようだ。

 

「じゃあ、デンケンお爺ちゃんはわたしにゼーリエ先生を説得してほしいってこと?」

 

「その理解で間違ってはおらん」

 

「わたしに先生を説得できると思う? 我が道をいく傲岸不遜の万年エルフだよ?」

 

「儂もそうすんなり行くとは思ってはおらん。アナリザンドよ。ひとつ教えてやろう。政治とは、いくつもの道筋を立てて置くものだ。最低でも七つ程度の道をな。おぬしもまたひとつの道筋になりうるものだと思うておる」

 

「おお! 政治家なんだね。デンケンお爺ちゃんは」

 

「そういうことだ」

 

「うーん。どうしようかなぁ。先生怖いしなぁ。怒るかもしれないしなぁ」

 

 アナリザンドは迷っているようだった。

 やはり、主導権はゼーリエにあるらしい。

 そして、アナリザンドはゼーリエを慕っている。

 

 デンケンは老獪な政争の場に置かれた経験から、無理に回答を引き出そうとはしない。

 

(楔は既に打った……。仮に断られても問題はなかろう)

 

 アナリザンドが拒否したとしても、APによって民草が困窮しかねないという現状は既に伝えた。表層から受け取れる情報からは、アナリザンドは決してそれを好まないだろうという確信も持てた。

 

 少なくとも、ゼーリエを説得する場面で、中立の立場――あるいはやや肯定よりの意見を出す可能性が高い。もちろん、それはひとつの手に過ぎないが、この場でできる最善手であるはずだ。

 

 会談は、概ね成功に終わったというべきか。

 

 悩み続けるアナリザンドと、静かに思考を巡らすデンケン。

 

 そして――。

 

「爺さん。おかわり!」

 

 ラオフェンが三度目のおかわりを要求した。

 実のところ、アナリザンドが到着する前に一度、御替わりを要求していたのである。

 なので、三度目。

 もはや禁断といってもいい食いしん坊であった。

 

「いくらなんでも食べすぎだぞ。ラオフェン」

 

「えー。まだいけるよー。難しい話聞いてて、脳が糖分使っちゃったんだ」

 

「おぬしはなんも話しておらんかったろうに」

 

「聞こえてたら聞いちゃうでしょ。ねえ、アナリザンドもそうだよね」

 

「あ、うん。わたしも欲しい! ドーナツおいしかった! お爺ちゃんおねがーい」

 

 孫たちに迫られて、デンケンはタジタジとなる。

 海千山千の宮廷魔法使いも、孫娘の純粋なお願いには勝てるはずもないのである。

 

「わかったわかった。すまんが店主。おみやげとして包んではくれんか」

 

 アナリザンドは満面の笑みで、包まれていくドーナツをキラキラした瞳で見つめている。

 ラオフェンも隣で「爺さん、気前いいじゃん!」とはしゃいでいた。

 

 無料のおみやげ。

 これがアナリザンドにとっての値千金。

 

 図らずも、デンケンはアナリザンドに対してクリティカルダメージを与えていたのである。

 

 やがて、温かい包みを受け取ったアナリザンドは、宿屋の外に向かう途中で、ふと何かを思いついたようにデンケンを見上げた。

 

「ねえ、デンケンお爺ちゃん。こんなに美味しいドーナツもらっちゃったし、お土産までいただいちゃったから……」

 

 彼女は少しだけ勿体ぶるように言葉を区切る。

 

「ゼーリエ先生には、お爺ちゃんがちょっとだけ困ってたみたいだよーって、こっそり伝えてあげてもいいかな? ドーナツのお礼ってことで。だから、次も絶対食べさせてね。お爺ちゃん」

 

 あっけにとられるとはこのことだろう。

 

 この娘にとっては、国の行く末を左右する一大事よりも、お土産でもらったドーナツのほうがよほど大事で、うれしかったのだ。

 

 その言葉に、デンケンは老獪な魔法使いの顔から、ただの好々爺の表情に戻った。

 そうならざるをえなかった。計算だとすれば、これ以上恐ろしいことはない。

 

(魔族とは、こんなにも恐るべきものなのか……)

 

 彼が何かを言いかける前に、アナリザンドは「それじゃあ、またねー!」と手を振り、来たときと同じく、あっという間に姿を消してしまった。

 

 宿屋に残されたデンケンは、しばし呆然としていたが、やがて微かに口元を緩める。

 

(まったく、食えん娘だわい……いやむしろあの年頃にしては……)

 

 だが、その表情には、どこか期待の色も滲んでいた。

 ドーナツの甘い香りが、まだ部屋に漂っている。

 

――食いすぎ娘。

 

 という評価がふさわしい。

 

「爺さん。夕飯もおごって! はんぐりー。あいむはんぐりー!」

 

 もうひとりの孫娘のあつかましいお願いの声が、お昼時を過ぎたばかりの宿屋に響いた。

 

「孫がいれば、こんな気分になるのか。悪くはないな……」

 

 デンケンは呟いた。

 

 孫娘にねだられることこそ、爺の本懐なのである。

 

「いくぞ。ラオフェン。腹ごなしに修行をつけてやる」

 

「おうよ」

 

 かくして、話はアナリザンドへ託された。







 経済なんてわかるわけないじゃない!(魔族並感)



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