魔族少女のエロタナティブ   作:アナリザンド

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舌戦

 

 

 

 その日のうち。

 

 アナリザンドは、すぐにゼーリエのもとに跳んだ。

 デンケンとの対話内容を、ふわっと転移し、ふわっと伝えた。

 

 なにしろ経済という巨大なシステムのことを、この魔族はよくわからない。

 表面的には理解しているものの、政治的な力動に沿って、どのように実現されるかということがいまいち想像できないのである。

 

 自分なりの解釈で、自分が一番よくわかってる肌感覚で伝えるほかなかった。つまり、演算子たちの振る舞い。こころの動き。どこか寂しそうな様子。郷愁。国を憂いている気持ち。帝国に住まう民草の暮らしぶりが少しでもよくなるように。その気持ちは嘘ではなかった。ないはずだった。

 

 アナリザンドの超越的な計算能力が、かなりの精度でそれは正しいと告げている。

 

 女神様の人間試験に合格したアナリザンドは、臨床試験的な意味合いで、()便()()()()()()()()だと信じている。つまり、デンケンの想いもまた、伝書鳩みたいなアナリザンドを通じて必ず届くものだ、と――。それが人の子のルール。妄想。あるいは魔法。

 

 話を続けるうちに、ゼーリエの魔力が空間に満ちた。

 

――怒り。

 

 それはアナリザンドがかつて経験したことがないほどの怒りの色合いを帯びている。

 玉座に深く腰掛けたゼーリエの眉間には、深い皺が刻まれていた。

 

 ゼーリエの怒りを感じ、アナリザンドは余計あたふたとする。

 

「それでね。お爺ちゃんがね。すごく困ってるみたいなの」

 

 ふわっと感覚ではあるが、伝えるべきワードはきちんと伝えている。

 

 帝国の宮廷魔法使いデンケンなる人物がいかに困窮しており、帝国がいかに危機的状況で、それを救うためにAP建ての国債発行がいかに重要か、詳細はわからずとも、なんとなくキーワードをちりばめながら、ゼーリエなら理解できるだろうと信じている。

 

 特に、デンケンの想いというのは、脚色をつけずに、なるべく生の感覚に近いものを伝えようとしていた。ドーナツをおごってくれたこと。若い世代――孫のような世代に対して、生活の余剰をもたらそうとしている気持ち。その気持ちはけっして嘘ではない、と。

 

 だが、アナリザンドが純粋に気持ちを伝えようとすればするほど、ゼーリエの眉間の皺は深くなるばかり。

 

「先生。デンケンお爺ちゃんを助けてあげて」

 

 アナリザンドがそう締めくくった瞬間、ぴしゃり、とゼーリエが手にしていた古びた魔導書を閉じた。その乾いた音が、やけに大きく玉座の間に響き、アナリザンドの言葉を断ち切る。

 

「……くだらん」

 

 吐き捨てるような低い声だった。

 アナリザンドの期待に満ちていた瞳が、急速に不安の色を帯びて揺らぐ。

 

「え……?」

 

「お前は、あのデンケンとかいう老いぼれに、まんまと丸めこまれただけだ」

 

 ゼーリエの声には、温度というものが一切感じられなかった。

 普段のアナリザンドに対する、からかうような響きも、呆れたような響きもない。

 ただ、底冷えのするような冷徹さだけがそこにあった。

 

 その視線は、アナリザンドではなく、虚空のどこか、あるいはもっと遠くの、デンケンという存在そのものに向けられているかのようだ。

 

「帝国がどうなろうと、私の知ったことではない。ましてや、このような、回りくどいやり方で私に指図しようなど……」

 

 ゼーリエはそこで一度言葉を切り、玉座からゆっくりと立ち上がった。その動きに合わせて、彼女の纏う魔力がさらに濃度を増し、玉座の間の空気が鉛のように重くなる。アナリザンドは、息苦しささえ感じて、無意識にごくりと喉を鳴らした。

 

「不快だ。不愉快だ。虫唾が走る!」

 

 不快の三段活用。

 

 一語一語に、抑えきれないほどの嫌悪が込められていた。それは、アナリザンドがこれまでの長い付き合いの中で、ゼーリエから向けられたことのない、剥き出しの感情だった。ゼーリエはアナリザンドの数歩手前まで進むと、その紅い瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「あの老いぼれは、お前の純粋さを盾に、己の底の浅い個人的な欲望を私に認めさせようとしているに過ぎん。実に……、実に不愉快だな」

 

 最後の言葉は、深海のような冷たさを伴っていた。

 アナリザンドはびくりと肩を震わせ、小さな体をさらに縮こませた。

 ゼーリエの瞳の奥には、デンケンという男への明確な侮蔑が宿っている。

 

「個人的な欲望? 公的な依頼でしょ」

 

 アナリザンドが反論する。叱られた子猫のように、声に張りはなかったが。

 

「偉大なる皇帝陛下が自ら頭を下げに来たというのであればわからんでもないがな」

 

「偉い人が自分で来るわけないじゃん。デンケンおじいちゃんは使者なんでしょ。人間のルールだからなにもおかしくないよ。政治ってそんなもんじゃん」

 

 グラナトでの経験で、使者の役割くらいはわかっている。理解ザンド。

 

「おまえが政治を語るとはな。だが――、確かに政治的な権威が使者を使うというのは政治的には正しい作法だ。私もそれだけであれば何も言わん。帝国の小僧が泣いて赦しを請えば、APなんぞいくらでもくれてやる」

 

「え、じゃあ、べつにいいんじゃない。あくまでAP建て国債なんだから、AP経済圏に主権者として参入したいってことでしょ。よくわからなかったけど、大量のAPを帝国が保有して、互いに互いを保証しよう。つまり仲良くしようってことじゃないの?」

 

 あまりにもピュアな解釈。

 この魔族のうるうる瞳は、見ている者をおかしくさせるほど、狂乱を惹起する。

 

「おまえは自分が利用されていることには気づいているか?」

 

「んー。まあ気づいていないわけじゃないけど」

 

「まず、相互保証とはいうが、この私、ゼーリエとおまえの保証のほうが帝国の貨幣に対する信用を確実に上回っている。デンケンの言葉は、嘘ではないが本当でもない」

 

 わざわざAP建てするということは、そういうことだ。

 

 信用には格差がある。これまでAPを取り扱ってきた管理者たるゼーリエ。そして、女神の魔法を使い、様々な文化の種をまいているアナリザンド。だからこそAPは使われている。

 

 こちらは帝国なんぞに保証される言われはない、とゼーリエは考えている。

 

「つまり、先生に()()()()()()()()()()()ってことだよね。わたしもそうしたいから、デンケンお爺ちゃんや帝国の偉い人たちの気持ちもわかるかなぁって」

 

 あたふたザンドになっている。共感を利用されていることには気づいているが、しかし、共感こそがアナリザンドの獲得した人間の人間たる要素。最も人間らしい演算なのである。

 

 よって、それを棄てるなんてとんでもない、とアナリザンドは思考してしまう。

 

「デンケンお爺ちゃんは先生に一言、認めるって言ってほしいんだよ。先生が赦すならもちろん、わたしもそうするよ。AP建て国債はアナリザンド印です。みんな買ってねって」

 

「どこまでもおめでたいやつだ」

 

「そう、わたしはおめでたい存在なの」

 

 ゼーリエは舌打ちした。

 完全にイライラマックスだった。

 アナリザンドの思考様式は良くも悪くもいつも通り。

 しかし、このままでは政治という汚泥に身を浸すことになるだろう。

 

「お前では話にならんな」ゼーリエは冷ややかに言い放った。「そのデンケンとやらを、直接ここに連れてこい。話はそれからだ」

 

 そして、ふいとアナリザンドから視線を外し、窓の外に広がる空を見上げた。

 

「お前は、下手に首を突っ込むべきではない」

 

「でも、わたし、デンケンお爺ちゃんとも仲良くなれたよ。皇帝陛下とも仲良くなれるかも? わたし、先生のお弟子さんたちともだいぶん仲良くなったんだから!」

 

「政治の清濁も理解できん小娘が生意気なことを言うな。不合格だ。帰れ」

 

 その言葉は、突き放すように聞こえたが、女神様の試験を乗り越え、人の心の機微を少しずつ理解し始めているアナリザンドには、その声の奥底にわずかばかりの()()が隠されているのが、なんとなくではあるが感じ取れた。

 

 だが、今のゼーリエの剣幕の前では、その感覚を口にすることも憚られた。メチャクチャ怖かったのである。アナリザンドはただ、小さく頷くことしかできなかった。

 

 しょんぼりザンドだった。

 

 

 

 

 

 玉座の間の重々しい扉が、静かな音を立てて開かれた。

 

 アナリザンドは、ゼーリエに命じられ、玉座のすぐ脇に座らされ(クッションつきなのがゼーリエの温情)、小さな体をできる限り目立たぬように縮こませてその光景を見守っていた。

 

 アナリザンドと話したときの怒りが嘘のように、今は冷え冷えとした静寂が支配している。

 

 これから始まるは舌戦。

 血が出るような戦いではないが、これも一種の戦いである。

 つまり、これは戦いの前の静けさだった。

 その静寂が、かえってアナリザンドの心臓を早鐘のように打たせた。

 

 扉の向こうから現れたのは、一人の背丈の小さい老人だった。

 

 だが、その存在感たるや。

 

 年の頃は七十か八十か。簡素ながらも品の良いローブを身にまとい、その背筋は老齢にもかかわらず、まるで鍛え上げられた鋼のようにまっすぐに伸びている。手には何も持たず、ただ静かに、しかし揺るぎない足取りで玉座の間へと足を踏み入れた。

 

 モノクルの奥の瞳は、この絶対的な空間の主であるゼーリエを真っ直ぐに見据えている。

 

 並の魔法使いであれば、その魔力の奔流に身をさらされただけで、膝をつきたくなるだろう。

 

 そうはならず、まっすぐにゼーリエを見るというだけでも、その老人の胆力と、底知れない実力をうかがい知ることができる。

 

――帝国の宮廷魔法使い、デンケンその人であった。

 

 アナリザンドは、先日ドーナツを一緒に食べた時の好々爺然としたデンケンの姿を思い出し、今の彼の纏う厳粛な雰囲気とのギャップに、知らず息を呑んだ。

 

 デンケンは玉座の数歩手前で足を止めると、軽く顎を引く程度の会釈をした。それは臣下の礼ではなく、対等な立場にある者同士の挨拶に近い。

 

「大陸魔法協会総帥、ゼーリエ殿とお見受けする。儂は帝国宮廷魔法使いデンケン。この度の面会の機会、誠に感謝する」

 

 その声は、老いてなおよく通る落ち着いたものだったが、言葉の端々には相手を値踏みするような老獪さが滲んでいた。

 

 ゼーリエは、デンケンの言葉が終わるのを待って、ようやくその顔を上げた。手にしていた魔導書はいつの間にか閉じられ、ストレージの中に放り込まれた。その表情は、アナリザンドに向けていた苛立ちや怒りとは質の異なる、まるで獲物を前にした獣のような冷徹な光を宿している。

 

「……デンケン、か。その名は知っている。軍所属の叩き上げが、今や北側諸国で最も権力を持った魔法使いだ。その美談はよく聞く。だが――」

 

 ゼーリエが哂う。

 

「北の方では()()()随分と辛酸を嘗めさせられたらしいな」

 

 いきなり相手の過去を抉るような挑発的な言葉。

 

 ゼーリエの声はいつもどおり静かだったが、その一言で玉座の間の温度がさらに数度下がったようにアナリザンドは感じた。

 

 アナリザンドは、デンケンの表情がピクリと動いたのを見逃さなかった。どうやらゼーリエはデンケンのことを知っているらしい。あるいは調べたのか。少なくとも情報的に優位に立っていることをゼーリエはそれとなく示したのだ。

 

 しかし、デンケンはすぐにいつもの老獪な鉄壁の表情に戻り、応じた。

 

「昔の話だ。今ここで蒸し返すほどのことでもあるまい。本日は、帝国の使いとして、国家の未来に関わるこみ入った相談があって参った」

 

「ほう。国家の未来とは大きくでたな」ゼーリエは面白がるように哂ってみせた。「そのために、私の弟子であるこいつを使い走りによこした、というわけか? ずいぶんと迂遠なことだ」

 

 その言葉に含まれるのは明確な侮蔑。言葉の棘がデンケンを突き刺す。

 

 アナリザンドはびくりと肩を揺らし、自分のことかと視線を彷徨わせるが、口を開くことはなかった。お口にチャックを厳命されているがゆえに。

 

 デンケンは、その非難にも顔色一つ変えなかった。

 

「弟子御を巻き込んだことについては、弁解の余地もない。ただ……」

 

「ただ、何だ?」

 

 ゼーリエの追及は容赦がない。

 デンケンは一瞬だけ言葉を区切り、その舌鋒をゼーリエへと向けた。

 

「ただ、ゼーリエよ。おぬしほどの存在が、そのような些末な手続き論に終始されるとは思いませんでしたな。それとも、本題に入る前から、儂を試しておられるのかな?」

 

 軽やかな切り返し。

 

「私を試しているのはそちらだろう?」

 

 ゼーリエも哂って応じる。

 

 ゼーリエの度量。考え方。価値観。それらを試しているのは、そちらだろう、と。

 

「外交とは相手を知らなければ始まりますまい」

 

「私が謝罪を求めたら、おまえは謝罪するのか? 偉大なる皇帝陛下の代わりに」

 

 アナリザンドがぷるぷるザンドになる。

 ゼーリエの問いは、巧妙である。

 

 もし「はい」と答えれば帝国の威信を損ない、自身の立場も危うくなる。

 もし「いいえ」と答えれば、ゼーリエの不興を買い、交渉決裂の可能性もある。

 

 いずれにしろデッドエンド。

 しかし、デンケンは揺らがない。

 むしろ、最初から回答を用意していたかのように淀みなく返す。

 

「ゼーリエ殿、謝罪とは過ちを犯した者が行うもの。儂も帝国も、貴殿に対して何か謝罪すべき過ちを犯したとは思っておらん。無論、おぬしの弟子御を結果的に巻きこんでしまったことへの個人的な非礼であれば、このデンケン、いくらでも頭を下げよう」

 

「つまらん言い草だな。おまえの頭にそれだけの価値があるのか?」

 

「それはゼーリエ殿、貴殿がどのような物差しでお測りになるか次第だろう。ある者にとっては塵芥同然かもしれぬ。またある者にとっては、帝国数個分の価値があるやもしれぬ。もっとも、今ここで儂の首の値段交渉をしに来たわけではなかろう? 我々が話し合うべきは、帝国の未来、そしてAPという新たな力がもたらす大陸の秩序についてではないのか?」

 

「いいだろう。前戯はそれぐらいにして本題に入れ」

 

 

 

 

 

 ゼーリエの言葉は、まるで戦いのゴングのように玉座の間に響いた。アナリザンドは、両手でぎゅっとクッションを握りしめ、これから始まるであろう本格的な舌戦に備える。ピリピリとした空気が肌を刺すようだ。意味もなくぷるぷるザンドを継続している。

 

 デンケンは、ゼーリエのその言葉を待っていたかのように、一つ静かに息を吸い込み、そして語り始めた。その表情からは先ほどまでの皮肉めいた雰囲気は消え、国家の未来を憂う老練な政治家の顔つきへと変わっていた。

 

 これが演技であるとすれば、いかに魔族のそれが拙いものかがわかるだろう。

 人間は自分すら騙すほどの演技力を備えている。

 

「では、単刀直入に申し上げよう。我が国におけるAP建て国債の発行に対し、大陸魔法協会総帥たるゼーリエ殿のご理解と、ご承認を賜りたい」

 

 その言葉に、ゼーリエは眉一つ動かさない。

 ただ、その冷徹な瞳がデンケンを射抜くように見つめている。

 

「AP建て国債か。私の弟子は、みんなでハッピーセットとか言ってたが、ある程度は真実を言い当てているだろう。まさに夢見る乙女のような妄言だ。虫唾が走ったよ」

 

「そこな魔族の娘は、儂の言葉の表面だけを捉え、純粋な善意で貴殿に伝えようとしたのだろう。その点については、改めて非礼を詫びねばなるまい」

 

 デンケンは一度アナリザンドの方へ視線を送り、すぐにゼーリエへと戻した。

 

「だが、その根幹にある帝国の窮状。それはまぎれもない現実として差し迫っておる。そしてこの提案の持つ意義は、決して幼子の戯言では済まされぬものと心得ていただきたい」

 

 デンケンは言葉を続ける。

 

「貴殿もご存じの通り、現在の大陸経済は、貴殿とアナリザンド殿が生み出されたAPという新たな価値基準によって、静かに、しかしパーペチュアルに変容しつつある。その利便性、安全性は疑いようもなく、多くの民がその恩恵に浴しておる。帝国もその流れを否定するものではない」

 

 一旦そこで区切り、デンケンはゼーリエの反応を窺う。

 ゼーリエは依然として無言だが、その瞳の奥には微かな光が宿ったようにも見える。

 それは興味か、あるいは警戒か。それとも――殺意か。

 

「しかし、その急激な変化は、既存の経済システム、特に各国の法定通貨の価値に大きな影響を与え始めている。帝国も例外ではない。民の間では自国通貨よりもAPを保有しようとする動きが顕著となり、帝国の財政基盤は確実に蝕まれつつある」

 

「まるで呪いのような言い草だな」

 

 ゼーリエはおもしろそうに呟いた。

 魔族の少女が創り出したオモチャのような概念に、大のオトナが必死になっている。

 これ以上なくおもしろいショーだと言わんばかり。

 

「そう、まさしく呪いなのだ」

 

 デンケンは力をこめて宣言した。

 

「失礼な物言いになるが、このままでは、帝国の経済主権は失われ、実質的にはゼーリエ殿、貴殿個人の手に握られてしまうことになりかねん。それは、帝国にとって看過できぬ事態。そして、おそらくは貴殿にとっても、必ずしも望ましい状況ではあるまい。一国の経済が破綻すれば、その混乱はAP経済圏そのものにも波及しかねん。国どころか世界が滅ぶ可能性すらある」

 

 アナリザンドは、デンケンの言葉を聞きながら、先日ドーナツを食べながら聞いた話を思い出していた。あの時は半分も理解できなかったが、今、この緊迫した場で聞くと、その言葉の重みが少しだけ分かったような気がする。

 

 ぷるぷるん。

 

「そこで、儂どもが考えたのが、AP建て国債。これは貴殿の主導権を奪うわけではない。むしろ帝国の信用とAPの信用を結びつけ、新たな資金調達の道を開くと同時に、帝国がAP経済圏へ主体的に関与していくための第一歩となる。これにより、帝国の財政は安定し、ひいてはAP経済圏全体の安定とさらなる発展にも寄与すると儂は確信しておる」

 

「耳心地のいい言葉ばかりだな。続けろ」

 

「これは、帝国がAPの価値を公式に認め、そのシステムを受け入れるという意思表示でもある。おぬしたちが築きあげたこの新たな経済秩序に対し、帝国が敵対するのではなく共存共栄の道を選ぼうとしている証左に他ならぬ。この()()、ご理解いただけぬだろうか?」

 

 デンケンの言葉が、静まり返った玉座の間に響き渡る。彼は、帝国の窮状、AP経済圏への配慮、そして共存共栄という『大義名分』を巧みに織り交ぜ、ゼーリエに揺さぶりをかけた。

 

 アナリザンドは、ゴクリと喉を鳴らし、ゼーリエの次の言葉を待った。彼女の師は、この老練な宮廷魔法使いの言葉に、どう応えるのだろうか。

 

 アナリザンド自身はデンケンの言った『共存』という言葉に惹かれるものがある。

 

 それは、ある日魔族のお姉さんに言われた言葉だったから。

 魔族と人間が共存することは絶対にないと。そもそも魔族には『共存』という言葉が存在しないと、そう言われたのである。

 

 つまるところ、APは魔族の魔法であるから、既存通貨と共存しうるという可能性は、アナリザンドにとっては良いことのように思えたのである。

 

 

 

 

 

 ゼーリエは、しばらくの間、何も言わずにデンケンを見据えていた。

 その表情は能面のように変化がなく、何を考えているのか全く読み取れない。

 

――フリーレンとよく似た、感情の無いフラットな表情。

 

 エルフデフォルト顔1をゼーリエは選択している。

 

 しかし、アナリザンドは、ゼーリエのこの沈黙が嵐の前の静けさであることを知っていた。

 

 やがて、ゼーリエはゆっくりと口を開いた。その声は、先ほどまでの面白がるような響きとは異なり、どこまでも冷たく、そして鋭利だった。

 

「なるほど。随分と耳心地の良い()()を聞かせてくれたものだな。燃えカスだとばかり思っていたが、老いぼれにしては口が回ると見える。帝国の窮状、AP経済圏の安定、そして共存共栄、か。アナリザンドが好みそうな言葉だ。こいつに私を重ねてみたか? おまえごときの言葉に私が簡単に乗せられるとでも思ったか?」

 

「思ってはおらん。だが、儂は真実を述べた」

 

「真実!」ハッと哂う。「おまえが真実を述べたというのか。いいだろう。児戯にはつきあってやるぞ。こう見えて、私は子どもには優しい。おまえの()()()に合わせてやろう」

 

 嘲るように、ゼーリエは述べる。

 

「まず一つ、訂正させてもらおうか。AP経済圏の安定と発展と言ったな? それは、私が望めば、帝国があろうがなかろうが達成される。お前たちの助けなど、ハエが一匹壁に止まる程度の意味しか持たん」

 

 アナリザンドは、そのあまりにも傲慢な言葉に息を呑んだ。

 ゼーリエは意にも介さず続ける。

 

「次に、帝国の経済主権が私の手に握られる、だと? それを呪いとまで言ったな。おもしろい。だが、それは現状を正確に捉えていない。力なき者が淘汰されるのは、世の理だ。お前たちの通貨がAPに劣るというのなら、それは単に帝国がこの魔族の小娘にも劣るというだけの話。それを私のせいにするのは筋違いというものだろう」

 

 ゼーリエの言葉は、デンケンの述べた()()の土台を一つ一つ、容赦なく切り崩していく。

 

「そして、共存共栄。実に結構な言葉だ。アナリザンドなら尻尾を振りながら泣いて抱き着いてきそうな言葉だ。だが、デンケン、お前自身は本当にそれを信じているのか? 弱者が強者に媚びへつらい、そのおこぼれに与ろうとすることを、果たして共存と呼べるのか?」

 

 ゼーリエは玉座からゆっくりと立ち上がり、デンケンへと歩み寄る。その動きは優雅でありながら、どこか獲物を追い詰める獣のような獰猛さを感じさせた。

 

――覇者の風格。

 

 ライオンの前の子ウサギ。アナリザンドはさきほどからぷるぷるしまくりである。

 

「お前の言うAP建て国債。それは結局のところ、帝国の延命措置に過ぎん。一時的にAPというカンフル剤を打ち、見せかけの安定を得ることは可能かもしれん。だが、その先はどうする? 帝国の根本的な弱さが改善されない限り、いずれまた同じ轍を踏むことになる。そしてその時、帝国はより深くAPに、つまり私に依存することになるだろう。それは、お前が最も避けたい状況ではないのか?」

 

 アナリザンドは、ゼーリエの言葉が、まるで鋭い刃物のようにデンケンに突き刺さっていくのを感じた。デンケンは顔色一つ変えずに立っているが、その握りしめられた拳が微かに震えている。

 

 老練な魔法使いも、ゼーリエの前ではまるで赤子の手をひねるがごとく。

 

「お前のそのたいそうな()()とやらは、結局のところ、弱者の言い訳と自己正当化に聞こえる。帝国が本当にAPと共存共栄したいというのなら、まずは自らの足で立ち、私と対等に渡り合えるだけの力を示してみせてはどうだ」

 

 ゼーリエは哂う。その存在をまるで認めぬかのように。

 

――パターナリスティックに支配を請え。

 

「他者の力に頼り、その庇護を求めることを共存とは言わん。それはただの――()()、だ」

 

 ゼーリエはデンケンの目の前で足を止め、その老いた瞳を冷ややかに見据えた。







 ぷるぷるしてただけ。
 しょうがないよね。だって魔族だもん。
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