――極寒の星「ヤリーロⅥ」
そんな見渡す限り雪で覆われたこの星の中でも、唯一と言っていい人類の生存圏である首都「ベロブルグ」の街中で、一人の女性が周囲を忙しなく見回していた。
そんな彼女はまるでお忍びで来た富豪のように、慣れない地味な衣装を身に纏ったことで少し居心地が悪そうである。
しかし、その立ち姿には気品があり、通り過ぎる男性の多くが彼女に目を奪われかけ、自身の隣にいる恋人に頭を叩かれていた。
そのような視線にさらされながら、気を紛らわせるためと懐から取り出したデバイスに表示された時間を見ては、浮かれているのかと少し苦笑いを浮かべる。
「……約束の時間まで、あと30分……。……少し、早すぎたかしら……」
豊かな銀髪を大きくカールさせているのが特徴的な彼女の名は「ブローニャ・ランド」。
そんな彼女はこのベロブルグの「大守護者」という偉大な役職……を『臨時』でこなしているいわば『代役』だ。
大守護者というのを分かりやすく言うなら「国王」。
そのような役職を仮とはいえ担っている彼女がなぜこのような格好をしているのか……と、その前に気になることもあるだろう。
――なぜそこまでの役職に正式に定まっていないどころか、臨時とはいえブローニャのようなまだ若い女性がその席に座ることになったのか?
事の詳細は数か月前に遡る。
現大守護者であり今は『療養中』の女性『カカリア・ランド』。
強く偉大で、民の期待を一身に背負う、このヤリーロⅥに住まう全人類の最後のよりどころであるベロブルグを守る文字通りの『守護者』。
……そんな彼女だが、数か月前までこの星を極寒の地へと変えた存在である「星核」によって洗脳を受けかけていた。
「星核」の甘言は巧みであり、揺るぎなき大樹のようであったカカリアの心を揺さぶっていたのである。
そんな彼女を救ったのが……
「えっと、ゲーテホテル前で待ち合わせだからぁ……」
「! 戒さん、こちらです」
「あ、よ、よかったっすブローニャちゃん……まさか仕事漬けのブローニャちゃんがこうして気晴らしに行こうと言ってくれるなんて……俺は嬉しいっすよ!」
「よかった……こちらも時間を空けてくださって、本当にありがとうございます」
……今ブローニャの元へと駆け寄ってきた青年『戒』だ。
様々な世界を放浪する戒は、もちろんこのヤリーロⅥにも訪れていた。
当時のカカリアは、守護者としての重責はもちろん、改善できないヤリーロの状況、失われていく民の命、そして……『本当の娘』を失ったことで精神的に潰れかけていた。
だがそれでもと前を向こうとして……庭先の街灯に引っかかっていた戒を見つけたのが自身の転機だ、とカカリアが語っているのをブローニャは聞いたのである。
「街中でばったり会ったわけでもなく、庭先の街灯に引っかかっている彼を見つけたのが2人の初めての出会いだとは……」幼いながらに聡明であった当時のブローニャは何とも言えない顔をしたのであった。
それはさておき、ブローニャの元へとたどり着いた戒は満面の笑みを浮かべている。
しかし、彼との付き合いがそれなりに長いと思っているブローニャにとっては、彼が何かしらを隠したような表情をしていることに気づく。
それも、かゆみがあるのだろうか、マフラーで覆われた首元辺りを何度も手でさする度、何かに対して嬉しいのか怖がってるのかというよく分からない感情が伝わってきた。
だから思わず聞いてみたのである。
「大丈夫ですか戒さん? 先程から首元を気にしているようですが……」
「へあぁっ!? あ、だ、だだだ大丈夫っすよブローニャちゃん! 俺は至って健康第一なんで!」
「……ちょっと失礼しますね」
「えちょ!?」
怪しい……明らかに何かを隠している……。
そう思ったブローニャは慌てている彼に断りを入れ、マフラーによって隠された彼の首元を見てみた。
そこには確かにかゆみの原因となりそうなものがあった。
俗に言う、『キスマーク』とでも言うべきものだったが……。
「…………」
「……あ、いや、その、はい、ちょっと虫に刺されちゃって……」
「……確かに言い方を変えれば、これは虫に刺されたと言えますね……それも相当大きな虫に……」
「あ、あはははは……」
首元の跡を見た瞬間、ブローニャは戒の胸元に手を置くようにして俯いた。
そのせいで、戒の視点からではブローニャがどのような表情をしているかは分からなくなってしまう。
しかし、いろんな意味で鈍い戒でも何となく分かった。
ブローニャは完全にキレている、と。
「………………………………」
「あ、あのぉ……ブローニャちゃん? そろそろお出かけに行かないっすかね……?」
「………………………………」
(まずいまずいまずいまずいまずいっす! なんでか分からないけどまずいっす! ブローニャちゃんマジで泣いてるっす! ヘルタ嬢にされたやつがここまであとを引くとはぁ……!)
ついには肩を震わせ始めたブローニャの様子を見て命の危機を感じ始める戒。
戒の脳裏には、自分の娘を泣かされたことで静かに、かつ凍える吹雪のような怒りを放ちながら微笑みを浮かべて槍を振りかぶるカカリアの姿と、親友を泣かされたことで、残像を纏いながら鎌を振り回し、どこまでも追いかけてきそうなゼーレの姿が浮かんでいる。
そのようなことになってしまえば……流石の戒であっても生きていられるかは怪しいだろう。
「ごめん列車の皆、そっちには帰れそうにないっすわ……それとカカリアさんとゼーレちゃん、腹を切ってお詫びします……」と心の中で辞世の句を読みつつ、せめてブローニャの感情を収めようと行動に移そうとした。
しかし、戒の予想とは違い、ブローニャの反応は違った。
「……ふふっ、大丈夫ですよ戒さん。少し揶揄いたくなっただけです」
「……………………え? え、あ、揶揄いたくなっただけ……?」
「何ですかその顔……? 本当に揶揄いたくなっただけですよ。戒さんのことだから色恋の一つはあるだろうと思ってましたので」
「……よ、よかったぁ……。ブローニャちゃんを泣かせちゃったらどうしようかと……」
「大丈夫です。さぁ、2人でデートと行きましょうか?」
「了解っす!」
降って湧いた心配事が無くなったことで「さぁ楽しむぞ!」と言わんばかりに、ブローニャの手を引きながら意気揚々と街中に駆け出す戒。
確かに首の皮一枚繋がっただろう……少なくとも『今』は。
「…………私も、我慢しなくていいんですね」
かみしめるように呟かれたブローニャの言葉は喧騒にかき消され、戒の耳に届くことはなかった。
――ブローニャにとって、『戒』という男は彼女の人生の中で一番近くにいてくれた男性だと言える。
大守護者『カカリア』の養子とはいえ、『娘』である彼女が普通の子供たちと同じように過ごせたか、と言われると「否」と言わざるを得ない。
民たちの期待を背負い、希望を届けるための大守護者となる未来が待っている彼女は、幼少より同年代の子たちとは格別した生活を送ることになっていた。
当時の彼女は、母に連れられてきたクリフォト城で、人の上に立つべき者としての礼儀作法や様々な学問の勉強、そして世界の脅威と戦うための知識を毎日学んでいた。
凡そ、友達と遊んで過ごしているような年齢の子供が体験するようなことではないが、それが彼女の『決められた人生』だった。
そのレールを壊したのが『戒』だ。
カカリアとの衝撃的な出会いの後、星の外から迷い込んできた彼を送り返すこともできず、戒は一旦ベロブルグで保護されることになっていたのである。
ちなみに当初、曲がりなりにも世紀の大天才「ヘルタ」の旅に同行していた戒が提供する、ヤリーロⅥ外の進んだ知識目当てで保護していたカカリアだったが、結局のところ「人たらし」の戒によって心を開き、好意的に彼をベロブルグで活動できるようにしたのは余談である。
その時からだ。
ブローニャと戒が出会ったのは。
『……あれ? ブローニャ嬢……違う違う……えっと、君がブローニャちゃん?』
『…………!』
カカリアの紹介でまだ幼かった頃のブローニャと出会った戒。
見知らぬ人との対応にまだ慣れていなかったブローニャは母の陰に隠れていたが、戒の対応から少しずつ心を開いていった。
だからこそ分かった、『戒』という男のことを。
自身がとても価値のある人物という自覚はほとんどなく、あるのはただ人が好きなだけという真っ直ぐな気持ち。
むしろそれだけで命をかけられるほどの精神はどうなんだと思ったりもしたが、それも彼の美徳だとブローニャ自身が成長していくにつれ理解した。
そして、成長すればするほど彼の『生き様』は幾度となく見せつけられる。
『……! ブローニャ様!』
『え……』
ブローニャがまだ戦術指揮に慣れていなかったころ、彼女の一瞬の判断ミスで陣形が崩れ、怪物の一体が包囲網を抜けてブローニャに攻撃を仕掛けた。
まだ戦場の空気感にも慣れず、咄嗟のことに対応できなかった彼女めがけて迫る凶刃。
『ッ――!!』
『か、戒さ、ん……?』
それを弾いたのが『戒』だった。
運良くその場に駆け付けられた戒によってブローニャは九死に一生を得られたのである。
しかしそれ以降、ブローニャにその時の光景がトラウマとなっては、毎晩のごとく彼女は魘された。
自身の殺めようと迫る刃……そして、自分を庇ってその刃に腕を切り裂かれる戒の姿。
トラウマといっても殺されかけた恐怖によるものではなく、自身のせいで傷ついたという罪悪感の方が勝ったのである。
『大丈夫っすかブローニャちゃん?』
『か、戒、さん……?』
それを見かねたカカリアがブローニャのメンタルケアのために、彼女の元へと向かわせられたのもまた『戒』であった。
すれ違いを残したままでは2人にとっても良くないとカカリアは判断し、2人きりにして話しあわせる。
いつだって、人は人によって支えられているのだから、と。
『ごめん、なさい……! わ、私が、もっとっ、しっかりしてればっ……!』
『…………大丈夫っすよブローニャちゃん、俺は――』
『ッ! あなたが許しても私自身が許せないんですッ! 私が、私の力不足であなたを傷つけさせてしまったッ! 私が、私がッ――!』
『ブローニャちゃん! 落ち着け!』
『ッ!!』
自身を責め続けるブローニャに、彼女と接してきて初めて怒ったような言い方をする戒。
その反応を見て「あぁ、やっと 叱責されるのだ」と、そう思っていたブローニャだったが、顔を上げた彼女を戒は強く抱きしめたのだ。
『ブローニャちゃんが自分を許せなくなったのは俺のせいだ。だからこれは俺のせいなんだよ』
『ひっく……ぐすっ……でもぉ……』
『でももだってもあるもんですかい。ブローニャちゃんを守りたいのは俺の意思。怪我したのは自己責任。だからブローニャちゃんが自分を責めるのは違うんですよ』
『っ…………戒さんは優しいですね……』
『それが俺のできることですからね』
その優しさはあまりにも残酷だ。
ならこの行き場のない感情はどこへ向かわせればいいのか……。
『だけど、もしブローニャちゃんが自分のことを許せないなら……俺からちょっとだけ罰を与えるっすよ』
『はい……どんな罰でも……』
『よし、それじゃ一緒に街中で散歩をすること!』
『……それは罰なんですか……?』
『罰だよ、ちゃんとした、ね?』
『……ふふっ、ふふふっ、あはははっ!』
結果は、「自分を責めることなど馬鹿らしくなった」で終わった。
これがきっかけとなりブローニャの心情には変化が起きる。
『戒』という男の前では気負わずにいてもいいのだ、と。
彼といる時はとても楽しい、彼ともっといたい……そんな考えを見透かされ、母と親友に背中を押されて彼と出会う約束をしたというのに……。
知っていたことだ、彼は自分の下にとどまってくれるほど落ち着きのある人物ではないのだと。
自身のように彼に焦がれる人だって当たり前のようにいるのだと。
そう思っていたからこそ、ブローニャは表面上では落ち着いていられたのだ。
しかし、だからといって納得できるわけがない。
「……大丈夫ですか戒さん?」
「んへぇ……? ろうしたのぶろーにゃちゃ~ん? ……はっ、ねてないねてないよぉ……ぐぅ…………」
「…………ふふっ、可愛い」
あの後、日中のデートを終えた2人はクリフォト城ではなく、ゲーテホテルの一室に寝泊まりすることにしていた。
眠りにつくその前に、自身の勧めで酒を飲んだ戒が舟をこぐ姿を見ると、ブローニャの心には得も言われぬ背徳感が生まれる。
この姿だけは私だけが独占できている……そのような優越感と共に、ベッドに倒れこんで寝息を立てた戒の横にブローニャも横になる。
酒のせいで緩んだ顔を見ながら、ブローニャは呟いたのだ。
「戒さん……あなたは私だけでは引き留めることはできません……でも、だからといって貴方を閉じ込めることも、私はしたくありません……」
「あなたのことを好きな人がいる……難しいかもしれませんが、その人たちと一緒にあなたを愛することができたら……」
「私はそれでも嬉しいです。だけど今だけはこのまま……」
「私の傍にいてください」
そして彼女は戒に口づけをするのであった。
かいたくしゃ は ねむっている !