――「事実は小説より奇なり」という諺がある。
意味としては、「現実に起こる出来事は、作られた物語の中で起こることよりも不思議で面白いものだ」ということ。
それはこの世界であっても変わらない。
実際、この世界には「星神」という奇妙な存在もいるのだから、その諺はある意味では的を射ているだろう。
それこそ……
「あ、え…………」
「……久しいな、戒」
――目の前にいるはずのない人物がいるとなれば、この男であろうと困惑するはずなのだから。
両目を黒い布で覆った女性を前に、驚愕と困惑、そして少しの歓喜を入り混ぜた複雑な表情をする青年の名は『戒』。
彼はこの仙舟『羅浮』にたまたま立ち寄り、長旅のための食料品を買い込んでいた。
別にカンパニーが運営する通信販売を使えば食料には困らないのだが、彼自身は人と接しながら品物を選ぶこの行為が好きであった。
『ふんふふーん……ん? あそこにいるのは……丹恒?』
そんな彼が、好奇心の赴くまま様々な場所をぶらりと回っていた時、彼は道中で見覚えのある人物を見かけたのである。
『おーい、たんこーう。何やってるんだー?』
『! ……戒さんだったか、ここで何をやってるんだ?』
『俺は買い出しだけど……丹恒こそ何やってるんだ? 一人で列車から降りてるなんて珍しいけど……』
『……俺は景元将軍に呼ばれたんだ。なんでも、久々に話をしないかとのことだが……』
『??? 景元がわざわざ話をするためだけに呼び出す???』
偶然見かけたのは、同じ星穹列車の乗員である『丹恒』だ。
彼は戒の呼びかけに気づくと、いつもの彼らしからぬ苦虫を噛み潰したような表情で返事をする。
そんな丹恒の様子が不思議に思ったのか続けて質問をする戒に対して、彼は何かを隠そうとしているようだ。
『……何かを隠そうとしてるんじゃないか丹恒? できれば教えてもらえると……』
『……悪いが、あなたをこちらの事情に巻き込みたくはない。話はまた後で――』
『ちょ、おい!』
強引だが話を切り上げようと踵を返してどこかへ立ち去ろうとする丹恒。
明らかに列車組……特に戒には触れてほしくない話題のようだが、戒としてはそんな話の切り上げられ方をすれば気になるというもの。
だからこそ丹恒を引き留めようとして……背筋に冷たいものが走った。
『どうした丹恒。知り合いか?』
『――ッ!!??』
いつの間にか近くにいた気配の薄い女性の姿を認識した瞬間、戒はその場を飛び退く。
今背筋に走った感覚を、戒はよく知っている。
気迫……または殺意に近い「ナニカ」を纏った人物が、いつの間にか近くにいたことで戒の中のスイッチが入る。
すぐさま臨戦態勢に入り、目の前の女性を見据えて一挙手一投足を見逃さないように睨み付けた。
――鎧は纏っていないことから機動力を重視した戦闘スタイルか、この仙舟では戦場に行くことで何度も感じることができる気配――「魔陰の身」を宿している存在がなぜここへ?
様々な考えが脳裏に浮かび、だが結論として「敵」と判断した戒が距離を詰めるために踏み込もうとしたとき……ようやくその女性の姿をはっきりと認識した。
「は、え…………」
「……久しいな、戒」
そうだ、戒は目の前の人物を知っている。
何故だ、なぜ今ここにいるんだ……だって、お前は、「あなた」は――
「鏡、流……?」
「……覚えて、いてくれたか」
会えないと思っていた仲間との再会は、もう変えられない残酷な運命の下で起きた。
「鏡流……」
「言わなくていい。死してなお未練がましく、いつまで経ってもこの世にしがみついている自覚はあるのだからな」
両目を隠した女性――『鏡流』。
彼女は仙舟の伝説であった「雲上の五騎士」の一人。
かつての羅浮の剣首、雲騎常勝の伝説を築いた人物が今、戒の目の前に立っている。
呆然としたように彼女の名前を呟く戒の姿を見ながら、鏡流は微笑みながら自嘲するように言った。
鏡流の言う通り、彼女は過去に起こった戦争で既に死んでいる。
ならなぜ、彼女は目の前に立っているのか、それが戒には分からなかった。
だって、彼女の「死」は目の前ではっきりと見たのだから……。
「な、んで、い、生きて……」
「いや、我は死んでいる。お前が引導を渡してくれたからだ」
なんで……まさか、奇跡でも起こったのか? 希望的観測が頭をよぎるが、それを察した鏡流が首を横に振ることで否定する。
思考の渦に飲まれるうちに、「じゃあ今ここにいられるのは、まさか……!?」と辿り着いてほしくない最悪の答えが導き出される。
「魔陰の身、か……」
「そうだな。忌々しくも生きながらえてしまったよ」
「……ごめん」
「謝るな。もとはと言えば、我が未熟だったからだ。魔陰に堕ちたことも、あの時死ねなかったことも」
「…………」
――「魔陰の身」。
仙舟人が発症する特異な病。
一度発症すれば治療は不可能と言われる不治の病で、もし万が一発症してしまえば、不死身の化け物となり凶暴化する忌み嫌われる存在。
この病に関して、いまだに多くの時間をかけて研究が続けられているが、一向に解決策が出てこないほど。
その病に堕ちたのだと鏡流は言った。
戒自身、そのことをはっきりと覚えている。
何故なら、彼女を一度殺したのは――
「あの時の一撃は良いものだった。また死合たいものだ」
――戒自身なのだから……。
鏡流と戒の出会いは気の遠くなるような時間を遡る必要がある。
当時、剣首の名を獲得し雲騎常勝の伝説を築いていたころ、彼女がよく関わっていた人物がいた。
『お前の技は奇怪だな、戒。海を割り、天をも砕く力を秘めているというのに、それが起こらない』
『お前には言われたくねぇよ鏡流。それを全部いなしてんのはこっちとしてもイカレてんだよ』
後に、「雲上の五騎士」と呼ばれるほどの者達に肩を並べるほどの力を持つ、仙舟の外からの来訪者。
それが昔の『戒』である。
『お前は不意を突かれやすいな。それも自身への攻撃に対しては特に鈍感だ』
『るっせぇ、死ななけりゃ安いんだよ死ななけりゃなっ!』
『おー! やれやれー!』
『剣を投げるな戒。鍛えなおすのは俺だからな』
『はっはははは……いいじゃないか応星。元気であることの証拠だ』
『暴れ過ぎだ2人共……』
彼自身の願いによって仙舟の歴史に名は残されていないが、その功績は形を変えて今にまで残っており、時折耳にすることもあるだろう。
「戒律を以て、吾が心を見失うことなかれ」、戒の名が使われた諺であるそれは、「自身が決めたルールを守ることで、自身の本質を見失うな」という意味があるほどだ。
『戒』の生き様であり、人々の憧れでもあったその言葉は……ある時、最悪の形となって彼らに降りかかることになる。
『あ、あぁ、あ、あぁ……あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!』
『…………か、い……』
止まない雨が降る中、何度その身を打ち据え、何度その身を地面に倒そうとも、目の前の友だった者は止まろうとしない。
降りしきる雨音ですらかき消せないその慟哭は、友を傷つけなければならない嘆きか、はたまたこの残酷な運命への憎しみか。
『白珠』が亡くなったことを皮切りに彼らを襲う崩壊の手。
『飲月』は白珠の死を受け入れられずに禁忌を侵し、
『応星』は豊穣の忌み者となり、
『鏡流』は……「魔陰の身」に堕ちて友に刃を向けた。
「魔陰の身」に侵され発狂した鏡流を前にした戒は、大粒の涙を流し、喉が張り裂けるほどの叫びをあげ、拳を振るい続ける。
――誰かを守るためには目の前の友を殺さなければならない。
血に染まっているのは相手か、それとも自身なのか。
流れた血潮は雨で洗い流され、それでも痛みは残り続ける。
地獄だった。
愛しているものを守るために愛しているものを手に掛けるなんて。
地獄だった。
誰であろうとどうにもできないこと運命が訪れるなんて。
地獄だった。
愛する者の心臓を貫くことになるなんて。
そして、「雲上の五騎士」と「戒」の伝説はそこで終わったのである。
最後に、皆で盃を酌み交わそうという約束を残したまま。
「…………」
「今の仙舟も変わっているところが多いな。雲騎軍の者達は景元の指導が甘いのだろう。機会があれば鍛えなおしてやらねば。だが、時代は変わっていく。子供の笑い声も聞こえる。そんな時代になったのはお前達のおかげだ、戒」
人の往来が多い道から少し離れて、二人が隣り合って地に腰を下ろしてなんでもないただの雑談をする。
しかし、会話というには鏡流から一方的に話しかけているのを戒が重々しく無言で受け止める……そのような会話ともいえない状態が続いていた。
遠目から見ている『丹恒』と、遅れて追いついた『彦卿』がその様子を見ているが……。
「丹恒先生、あれ、大丈夫だと思う?」
「……任せるしかない……今できるのはそれだけだ」
自身達が介入すべき問題ではないと静観していた。
そんな彼らを尻目に、鏡流は戒に語り掛けていた。
やれ、今の雲騎の者達は腑抜けているだの、今の仙舟も変わらず活気にあふれているだの、他愛もない話を彼女は続けていく。
時折吹く風が落ち葉をすくい上げ、声がかき消されそうになっても、鏡流は語り掛け続けた。
しかし、戒は一向に顔を上げようとしない。
辛うじてだが生きているかつての仲間と、顔を合わせられないのは嬉しいからだろうか、それとも魔陰に堕ちかけている彼女の身を案じているからだろうか。
それとも……あの悲劇を止められなかった自分を責めているからだろうか。
「……戒、お前にも土産話はあるだろう。我にも話してみるといい」
「……鏡流はさ……生きていたいとか思わないのか……?」
「……どういう意味だ……?」
「……全部終わらせるつもりだろ。あの時のことも全部」
「……そうだな。戻ってきた理由としては、それが一番大きいだろう」
「……そう、だよな」
まるで色が抜けたかのように、鏡流の答えを力なく受け留める戒。
過去に犯した罪の清算、700年も前の約束……それら全部を鏡流は終わらせようと思っているのだ。
そのために、こうして途切れかけの息を永らえさせてまで、ここに戻ってきたのだと。
「……お前とも、もう会えなくなるかもしれんな」
「…………俺は、いやだな、そうなるの……。……話したいことは、数えきれないくらいあるはずなのに、いざ話そうとすると、出てこなくなる……こんなことも、言ってる暇はないってのにな……」
「……それは、色恋沙汰に関してもか?」
「……なにそれ、どこで聞いたんだよ」
「なに、風の噂でな」
「……風の噂で隠し事バレたらこっちとしては死活問題なんだが……」
「お前は隠し事などできる男か? 我の記憶では景元の隠していた菓子を間違えて食べ、自ら自白していたはずだが……」
「いつの話だよ……ってか、なんで覚えてんだよ……」
「ふふっ、我も存外覚えているものだな。本当に、忘れていなくてよかった……」
「……俺のことも、いつかは忘れちまうのか……?」
「そのような顔をするな、戒。お前ほど忘れにくい男はいないだろうに」
「それ褒めてるのか……?」
少しずつだが声に気力が戻り始める戒と、そんな彼の様子を見て嬉しそうに話す鏡流。
忘れかけていた過去の姿が、そこにはあった。
夕日が海の向こうに沈もうとしているのを見て鏡流は呟く。
「……そろそろ時間か。我もここを発とう」
「……行っちまうんだな……」
「あぁ。だが――」
「心配すんなって。俺は大丈夫だ。むしろ会えたことで胸が軽くなったよ」
「――そうだな。お前はそういう男だ」
そう言って、くすりと控えめに笑う鏡流の姿は見惚れてしまいそうで……思わず髪を撫でる戒。
「……どうした? なにかおかしいか?」
「いや、やっぱ鏡流は綺麗だなって」
「……そうか?」
「綺麗だよ。今もずっと」
「……そうか、今も、か……」
その言葉をかみしめるように呟き、鏡流はあることを思い出す。
「……そういえば最後にやり残したことがあるな」
「? やり残したことがあるって、なんな――」
……不意を突かれたのだろう、いつの間にか懐にまで入り込まれていた鏡流によって、戒はその口をふさがれていた。
「…………は、え?」
「何をそのような呆けた顔をしている。我の初めてをやったのだ。もっと素直に喜べ」
「いや、え、今、何を……」
「はぁ……お前は相変わらずだな。人を愛しているのなら、愛される覚悟もしておけ。それだけのことをしてきたのだお前は」
「な、ちょ、えっ、えぇ――んむっ!?」
戒の理解が追い付く前に、鏡流はもう一度口づけをする。
彼の熱を逃さないと言わんばかりに体はぴったりと押し付けられ、蛇のように口内を蹂躙する鏡流は、ひとしきり堪能すると、繋がっていた口元を離して戒にこう言った。
「さらばだ愛しき人よ」
「次があるのなら、今度こそお前の隣にいられることを願っている」
その顔をきっと戒は忘れないであろう。
夕暮れに昇る月のような彼女の姿を。
かいたくしゃは こんらん している!
※本編だけでは書ききれなかったせいでよく分からない鏡流の恋愛感情の発露のザックリ補足※
幼少より師匠にボコボコにされてた少女鏡流
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戒、仙舟に漂流してしばらくの間、羅浮に住むことになる
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鏡流、戒と出会う
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互いに死合をすることで意気投合
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数々の戦場で隣に立ち続けて親友になる
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戒の人たらし発動により、剣しか知らなかった鏡流の脳が焼かれる
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『飲月の乱』勃発
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戒、「魔陰の身」に堕ちた鏡流に幾度かの死を与え、一時的な再起不能にする
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「雲上の五騎士」崩壊
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現在において、鏡流が戒に爪痕を残す←いまここ