久々に僕は神社に足を運んでいた。
お医者さんにも田村さんにも、家から出てはいけないだとか、じっとしていなさいだとか、口を酸っぱくして言われるのかなと身構えていたのにちっともだ。
いつか何かで読んだ小説の少女みたいに、最後までの時間を自由に過ごしていてもなにも言われることはない。両親は度々辛そうにしているけれど、僕が大丈夫だって言ったら「お前の人生だ。任せる」と、思った以上に普段通りに接してくれていた。正直、その方がありがたい。
本当は今日は学校があるのだけれど、こうして僕はここに来て暇を持て余している。あいにく僕は、友達があまり多くない。
きっと僕は「地球が終わる最後の日に何をしていたいか」なんて質問をされたら、気の向くまま、流れのままにやりたいことをやると答えるのだろう。実感が湧かないのが一番の言い訳かもしれないけれども。
当然、ずるやすみの罪悪感もない。
さて、これからどこへいこうか。神社からの長い階段を降りているとひとりの少女とすれ違った。小柄で、ぴょこんとてっぺんの毛が撥ねている。見れば制服を着ているので中学生らしい。一目ではとてもそうは見えず、小学生と見間違えるほどだ。
学校はどうしたのかと訊こうと思ったけれど、「あなたこそ」と返されてしまえば一巻の終わりである。なんだけれど、少女は「あっ」と声を上げたかと思えば階段に躓いていた。
不覚にも、声をかけてしまう。
「怪我はない?」
少女は砂にまみれた膝をはらうと、「大丈夫です」とにこりと笑った。 そして、立ち上がるとなんてことないように階段を駆け上った。 その様子なら心配する必要もないため、僕は彼女とは反対に階段をゆっくりと転ばないように降りた。
行き先に困ったあげく、僕は研究室に向かうまでの数時間をボーダー本部基地で潰すことにした。昼のラウンジには人の姿があまり見られず、どの隊員もさぼらずに学校へ行っていることがよくわかる。
現役の隊員は学生ばかりらしい。なんでも、トリオン能力は若いうちに使うことで成長するからだとか。トリガーにも限りがあるので、中年の大人を入隊させるよりは若い子どもたちを獲得する方が効率が良いんだ。
ただでさえ少ない費用をこれ以上成長の見込めない可能性の高い大人には割けないのだろう。ベイルアウト機能のおかげで生身に危険がないのなら余計に若い子どもたちにトリガーを持たせたくなるに決まっている。
戦う相手がいないのなら、当然やることも限られる。この時間なら絶対に空いているであろう訓練室を借りるために僕は本部長の元へ向かった。
訓練室は借りられたが、本部長はいなかった。どうせなら弧月の極意を習おうと思ったのに、残念だ。本部長と名の付くくらいだし、忙しいのは間違いない。この前が特例だったんだ。
僕の生きるうえでの楽しみは読書とサッカーくらいのものだったがこうしてボーダーに来てみると胸が高まる。
今日は中央オペレーターの人が訓練室内の設定をいじってくれるらしい。いつもは『訓練生用マニュアル』というテンプレートのデータをポちっと押して15分程度のプログラムに従うだけだった。こちらの都合に合わせてプログラムをいじってくれるというので楽しみである。正直、飽きがきてたし。
赤井さん、だったかな。オペレーターの人。実戦的なオペレーターとしての仕事は初めてなんだとか。なにかやらせてあげたいと思っていたところに都合よく現れたのが僕ということになる。簡単な仕事だから失敗しても被害はないし、ちょうどよかったという。 仕切りの奥でこちらをみながら黙って座る彼女をみているとなんだかこっちまで緊張してくる。試験でもあるまいし、リラックスしてやろうという意味をこめて手を振ったわけなんだけれど、もうダメだ。固まっている。
気を取り直して。
「赤井さん。訓練用のモールモッドをお願いします」
『はい 』
通信越しに小声で「やっちまった」と、いかにも失敗したであろう発言が聞こえてくる。不穏な気配が漂う中、目の前 には、モールモッドが1体生成された。
やっちまったなんて言うもんだからもっとこう、100体近くドンとでてくるかと思ってた。赤井さんには悪いけれどある意味、拍子抜けである。そんなミスして今にも泣き出しそうな赤井さんから新たに通信が届く。
『あの、すみません』
「なにかあったんですか」
赤井さんを見る。すると、赤井さんは顔を青ざめながら僕の想定をはるかに超える一言を告げた。
『それ、訓練用ではなくて本物のトリオン兵なんです。しかも、それを倒すまで部屋から出られないよう訓練室に鍵をかけてしまいました』
思わず素っ頓狂な声が出た。まず、そんなプログラムがあったことに驚きだし、本物のトリオン兵と聞いてさらに困惑。
「そのプログラムの解除はできないんですか。とても僕には敵いませんよ」
『わたしにはわかりません。他のオペレーターの方々も今は大事な用事ですぐには来られないそうです!』
そんな自信満々に言われても。
そうしているうちにプログラムが開始された。
「とりあえず、仮想訓練用モードなら死ぬことはないですし、訓練だと思って気楽にやりますよ」
『ごめんなさいごめんなさい!』
「大丈夫。こんなの、たいしたミスじゃない」
迫りくるモールモッドに目をそらすことなく、僕は赤井さんに手を振った。今度こそは返してくれると信じてる。 振り下ろされる右前足のつめを弧月でガードしながら、反応を見る。確かに、訓練用のものとは違って攻撃が鋭く速い。おそらくは防衛任務で実際に相手するものと同等と言っていい。
自分にはトリガーを扱うセンスが人並み以上には備わっていると本部長は言っていた。
本当にそうか? と、本部長以外の人に聞いてみたら、初めての戦闘訓練で1分切るだけでもすごいことだと教えてくれた。
人間誰しも、褒められて嬉しくないことはなく、僕もその例外に当たらない。 だから、もしかしたら本物のトリオン兵相手にも渡り合えるのではないか。
戦ってみるとしよう。ここ数日の経験でトリオン体で斬られる痛みにはほとんど慣れてきたことだし、 宣告を受けたあの日と比べればどうってことない。
モールモッドはガシャガシャと大きな音を立てながら、僕の間合いを超えて踏み込んでくる。カマキリのような鋭角に尖った硬い爪が真正面から振り下ろされるも、僕は大きく後ろへ跳び退くことで回避。地面に刺さったところにすかさず、一撃叩き込む。なるほど、硬すぎる。
続けてコアをめがけて突進を仕掛けるも反対側の爪に阻まれた。弧月がぶつかり合い、弾き返される。手の力を少し緩め、力に逆らうことなく一度、勢いそのままに壁に叩きつけられた。
『大丈夫ですか!』
「心配ない。赤井さんは解除を頑張って」
空中で押されて数メートル放り出されることはサッカーをしていてもよくあった。その経験のおかげで壁に当たっても怯むことはなかった。まだまだ攻撃をやめてくれないモールモッドから左右の両足が連続で振り下ろされる。
「くそっ……!」
左手を失いながらもスライディングで懐に潜りこみ、下から潜り抜けるとそのまま背後を突いた。
後ろは隙だらけである。本部長の動作をイメージしながら、僕は思い切り弧月を振り下ろした。ここで初めてモールモッドに斬撃を与えたのだ。 しかし、
「まじか」
さすがに僕にはコア以外の装甲を斬るのは無理だった。力任せでは当然の結果か。モールモッドはこちらを向くと、これまで何度もしてきたように心臓部めがけて前足を振りかざしてきた。思わず目を塞ぐ。
だが、僕にそれが刺さることはなかった。
知らない弧月使いが僕の目の前に立っていたからである。
「よく、頑張った。後は任せてくれ」
その男は、モールモッドのブレードを何やらどでかい装甲で弾くと、モールモッドが怯んだところに一撃を叩き込む。
「旋空弧月」
まさに一刀両断。力強いその一閃は、モールモッドの体を縦に真っ二つに斬り伏せた。
「助けに来るのが遅れてすまない。まさかこんな事態が起きるとは思わなかった」
「仮想訓練モードということもあってこの通り無事なのでなんにも問題はありません。助けていただきありがとうございました」
帰り際、赤井さんは泣きながら謝ってくれた。 もう、二度とこんなミスはしないといっていた。とても、とても、深い信念のようなものが込められているように映った。今度また機会があればお願いしようかなと思えるほどには。
まだまだ二月の半ば。 ひとまずは本物のトリオン兵を相手にできるところまでは強くなろう。そうでないと、訓練でポイントだけ増えて正隊員になっても恥ずかしい。
「どこかで見たことあるなと思ったんだけど、もしかして第一高校だったりしますか」
「ああ、オレも同じことを言おうと思ってた。二年C組の村上鋼。同じ学校にボーダーの仲間が増えて嬉しいよ。よろしく頼む」
どうやら通っている高校が同じらしい。どうりで見たことあると思った。
「しかも同い年だ。僕は立花遼、隣のD組。もしかしたら授業で同じだったことがあったかもしれないね」
村上はこれから防衛任務があるらしく、別れ際によろしく、とだけ挨拶を交わしてその日は解散となった。
驚くべきことに、こうやって見知ってからというものC組とD組の合同授業などで一緒になる機会が多く、村上が穏やかな性格なこともあってかなんだか波長が合い、打ち解けるのは早かった。
聞くところによると、彼は僕とほとんど同期でありながらも既に正隊員に昇格し支部に配属されたらしい。
「立花がB級に上がったら一戦やろう」
そう約束したので、ますますボーダーにくる意味が生まれたといえる。