田村さんから呼び出しを受けたのは初めてのことだ。それだけ急を要することだろうし、不安が募る。昨日もろくに寝られなかった。大した用事じゃないことを祈る。
いつもより足取りが重く感じた。
「失礼します。言われた通り来ました……って、那須さん?」
「あら、立花さん。なんだか久しぶりな感じがしますね」
珍しく那須さんが居た。しかも体調が良いのか心なしか顔色が良い。
「まさか会えるなんて思いませんでした。元気そうで良かったです」
「昨晩は見苦しい姿を見せてしまったでしょうか」
「いえ、カーテン越しだったのでそこまでは」
「それなら安心しました」
僕たち、こんなにも他人行儀な会話をしていたっけ。久々に会ったので距離感がわからなくなってしまった。
「ところで、田村さんは来ていますか。今日はあの人に時間を指定されて来たんですけど」
「奇遇ですね。私も田村さんに呼ばれたんです」
なんだ、大掃除でもするのか。時期にはまだ早すぎる気もするけれども。
少し待っていると、田村さんの姿が見えた。
「待たせてすまんの。ほれ、二人ともこれを」
渡されたのは……僕が預けた本?
「どういうことですか」
「気難しい年頃なのは十分理解している。だからといって私に任せたってしようがないだろう」
「僕、結構不安だったんですよ。何かあったんじゃないかと」
「心労をかけたのは申し訳ない。なにせ、急なことだったんじゃ」
那須さんはDVDのパッケージを受け取っていた。
「私は裏でもうちっと作業があるのでなあ」
人によっては粋な計らいで、グッジョブと言いたくなったかもしれない。ただ、僕としては複雑な気持ちもあった。
田村さんがそのまま別室へ行ったので、僕らは一度来客用のソファに座った。
「あ、あの、これをずっと渡そうと思ってて」
「この前約束したやつですよね……ってこれ、この原作者、僕の持ってきた本と同じ人じゃないですか。しかも監督ってこの前那須さんが好きだって熱弁してくれた人? しかも大絶賛してたやつ。こんなの面白いに決まってる。本当にいいの?」
「え、はい。もちろんどうぞ。私のおすすめです」
「うん、そのごめん。つい興奮してしまいまして」
体温が上がるのを感じた。よくないよくない。
ところが、那須さんは一歩退くどころか微笑んでいた。
「笑わなくたってよくないですか」
「立花さん、全然自分の話をしてくれませんから。だからその、なんだかおかしくって」
「こういう部分はほら、恥ずかしいじゃないですか。最近は人に趣味を話せない人も増えているんですよ。たとえアニメ好きでも、当たり障りないように映画鑑賞が好きと答えたり。僕も似たようなものです」
「じゃあ本当はサッカーも読書もお好きでないと?」
「サッカーは……好きです。大好きだと思います。読書は、もちろん誰もが想像する文学的な本も好きですが、本当のことを言ってしまえば漫画の方がよく読んでますね」
友達、と呼べる間柄になっても、僕は趣味を隠してきた。きっと、感情も。他人が良いと思ったものには僕も良いと答え、嫌いと言えば嫌いと答える。――ああ、確かに、当たり障りないことしか言ってない。あのお好み焼きだって、確かに美味しいと思ったしまた行きたいとも思ったけど、あんなに過剰には思わなかった。大袈裟に言えば喜んでもらえると思ったんだ。
「私には隠さなくていいですよ。馬鹿にすることなんてないし、それよりももっと教えて欲しい。だってほら、さっきの立花さんは今まで話をした中で一番楽しそうに語ってましたよ」
死ぬまでの暇潰し。仲良くなれば待つには長すぎるこの時間をどうにか潰せると思ったけれど、どうやら僕は他人に壁を作っていたらしい。
「そうですよね。じゃあもう隠さないようにします。
──実を言うと、僕、人付き合い苦手なんですよ。部活やってた頃もそれでトラブルがあったりして。だから友達と呼べる人は全然いなくて」
「じゃあ今日から友達になりましょう?」
「ありがとう。そうして貰えると嬉しいよ」
宣言してからなるものではないと思う。でもここは、那須さんの厚意に甘えることにした。まったく、僕が一つ上だと言うのに情けない。
「どうせなら敬語もやめていいですか。那須さんは話しやすい喋り方を選んでもらって構わないので」
「もちろん。じゃあ私も普段通り喋らせてもらうわ」
もしかしたら、那須さんなら受け止めてくれるかもしれない。父も母もあれから変わっていないようで変わってしまった。腫れ物を触るとはまた違う、丁重に扱うあの感じ。どうしたっていつも通りとはならなかった。
「それで、その小説はどんなお話なのかしら」
いや、やっぱりやめよう。まだ半年以上もあるのに、今ここで打ち明けるのは那須さんのためにも良くない気がする。
迷ってばかりで不甲斐ない。
「えっとね、目の見えない捜査官と刑事がバディを組むサスペンスなんだけどさ……」
でも叶うなら、もう少しだけこの何気ない日常が流れてくれないかなと僕は強く望んだ。
那須さんとの談義を終え、検査も完了すれば今日はこれで解散となった。別れ際、那須さんは名残惜しそうに僕に言った。
「立花さんはランク戦には参加しないのよね」
「なんだ、僕たちで隊でも作るのか」
「えっとそうではないの。それに私、隊長を任せてもらってるし。ごめんなさい」
冗談のつもりがかえって気を使わせてしまった。というか、隊長やってたんだ。知らなかった。
「ごめんごめん。それで?」
「もしどこかの隊に入るなら戦える日が来るのかもと思ったの。立花さんは一体どんな戦術で戦うんだろうって。純粋な好奇心よ」
「戦いが好きなのか?」
ちょっと悩んで小首を傾げる。それから答えてくれた。
「病気であまり体を動かすことが出来なかったから、今自由に飛び回れるのが楽しいの。それに、ちょっと不謹慎に思うかもしれないけれど感じてることがあって」
「うん」
「もし高校で運動部に入ってたら、あんな感じで楽しいのかもって。仲間と切磋琢磨するのも友達と競い合うのも、フィクションの世界では知ってたはずなのにどれも新鮮で感じたことのない世界だから」
少女らしい、飛びっきりの笑顔で最後に言った。
「私ね、今が最高に楽しいのよ」
ボーダーには良い人が集まっている。那須さん、忍田本部長、村上、影浦、荒船、他にも出会った人は皆良い人だった。優しいというより、善性の塊。悪気を持つ人はどこにもいない。
そんな人たちとランク戦を通して競い合えるのは、どれだけ楽しいことだろうか。
サッカーに真摯に取り組んでいた時のことが蘇ってくる。確かにあの日々も、チームメイトと一悶着あったけれど燃えるような熱さと喜びがあった。
「いいね。僕も少し考えてみるよ」
チームランク戦。来月から始まるらしいから、それを観てからでも遅くはないはずだ。