脱藩
この回顧録の始まりはまず沖田かたの幼少期から始まる。
彼女の生まれは不明であるが恐らく1840年生まれだと思われる。
彼女は北陸の小藩である黒洲藩の管轄する村の孤児であった。
今まで歴史的には幕府に潰された藩の数ある1つとしてしか語られていなかったがこれを機に注目を浴びることになるだろう。
黒洲藩は山間の村で幕府打倒のための武器を密造していたが、計画は導府の知るところとなり村は焼き討ちに遭ってしまう。
村人が殺される中、二人の子供が研師と呼ばれる師に助け出され、子供たちは黒洲藩が養成する特殊な兵士「隠し刀」の一員として育てられた。
隠し刀と言う単語を調べると御庭番衆が将軍徳川慶喜に宛てた書状に記されているのを確認できる。
隠し刀とは倒幕を目的とした黒洲藩の隠密部隊の隠語であった。
隠し刀は二人一組が原則であり、この回顧録から分かる通り、その二人は強い絆で結ばれており、まさに一心同体。
後のことを考えれば、この二人はまさしく切れない因縁によって繋がれているのだろう。
歴史家たちを驚かせたのは回顧録の序盤からであった。
隠し刀の初任務として黒洲藩から与えられたのは日本政府とアメリカとの密書の奪取とペリー提督の暗殺であった。
産業革命を迎えたアメリカはクジラの油を欲しており、日本を新たな捕鯨拠点とするべく来日、嘉永6年(1853年)7月、一度目の来航時にペリー提督と隠し刀二名は交戦。
幕府の隠密、通称《青鬼》によって阻止されることとなる。
青鬼と言う手練れ相手に叶わず、密書を持ち帰るためにこの二人は切り裂かれることになる。その逃げた隠し刀がかたであった。
ーーーー
「今、藩の隠密がどこかに流れ着いていないか探している。それまで体を休めろ」
「…はい」
師である研師に言われるまま、震える手を必死に抑えながら割り当てられた部屋に戻る。
部屋にはまだ片割れがいるかのような錯覚すら覚える。そんな考えのなか布団を敷いていると並ぶ布団は二つ。
そんな事実から目を背けるように自身は床を殴り付けた。
「くそ…」
燃え盛る村から逃げる時に手を引いてくれた優しき姉のような存在である片割れを置いていった事実に身を焦がすほどの怒りを覚えた。
だが確信はある、片割れは生きている死体が揚がらなければ…。
「待っていろ。必ず迎えにいく」
ーー
そして揚がってきたのは片割れが身に付けていた襟巻きだけだった。
それを見て確信した、片割れは生きていると。
(機を見て、立とう)
近いうちに片割れを探しに行こうと心に決めた。
だがそれすら遅いと言わんばかりに隠し里に幕府の隠密たちが雪崩れ込んできた。
襲いかかる幕府の隠密たちを一人で退けた時は一人でやれると思うと同時に一人でやれてしまったと言う虚しさを感じた。
「とうに気付いておる。藩を抜け、片割れを探すつもりだな」
一通り、隠密を退けた時。研師の言葉に背中が冷たくなるのを感じた。嘘は無駄だと悟る。
「あいつは生きている…」
「掟を忘れたか?」
研師が仕込み刀の血を拭った瞬間、もう後戻りできないことを悟ってしまう。
自身も二振りの刀を払うと左足をゆっくりと後ろに下げる。
「行かせるわけにはゆかぬ」
「師よ」
師との戦いは覚えていない。無我の境地と言ったところか、ただ刀を振るうことのみを求めて全てが無音に感じた頃。師は血塗れで倒れようとしていた。
「止めを刺せぬとは、相変わらず甘い」
腕の中で苦しむ師を見て改めて自身の状況を理解する。
「拾った時からまるで変わらぬ」
謝罪の言葉が出そうになるのを必死に抑える。ここで謝ってしまえばなんのために師を斬ったのか。
もう戻れない、片割れを探すために進むしかないのだ。
「わしは片割れを失ったあの時から…半身を失った痛みと共に生きてきた」
片割れの残した襟巻きを身に付けると自身の襟巻きを師に添える。
「わしに出来なかったことを、果たせ」
師の言葉を静かに受け止め、大樹の抜け道から里を抜けるとひたすら走る。追手を降りきるように三日三晩、休まず走り続けた。
そして岩の隙間で眠り、朝日を見つめると初めて涙が溢れたのだった。
その後、片割れを探し日本を放浪すること約5年、横浜に辿り着いた彼女はもう一人の片割れとの出会いを果たすことになるのだった。