コーヒーブレイクはTSとともに   作:フラペチーノ

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TSウマ娘には温泉旅行をプレゼントせよ

 十二月三十一日。

 一年の締めくくりともいえる、この年末の日。普通ならば実家に帰ったり、大切な人と過ごしたりするだろう。

 そんな日にオレはとある場所に立っていた。

 

「凄い豪華な旅館だな……。写真で見るのとは全然違う……」

 

 圧倒されてしまうほどに大きな建物。小さな橋を渡った先にある館に、木で作られた装飾品や窓、入り口に枠組み。

 日本の和といえば真っ先にイメージするような旅館が、視界いっぱいに広がっている。

 オレが圧倒されて声を出せないでいると、木製の引き戸ががらりと横に開いて着物に身を包んだ女性が出てきた。

 

「お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」

 

 丁寧な所作でお辞儀してきた彼女が、今回の仲居さんなのだろう。高級な旅館というわけもあってか、スタッフの対応まで他の場所とは違う感じがする。

 その言葉を聞いたオレは、隣にいた彼女に対して声をかけた。

 

「じゃあ行こっか、カフェ」

 

「はい。今日はゆっくりしましょうね……」

 

 着替えなどの荷物を詰め込んだ大きめのリュックを背負いながら、オレたちは手を繋いで旅館の中に入っていくのであった。

 

~~~~~~~~

 どうして自分の担当ウマ娘と、温泉宿へ一泊二日の旅行に来ているのか。

 思い返すと、クリスマスのあの日。カフェにプレゼントした温泉旅行のチケットが、たまたま二人専用のペアチケットだったのだ。

 友達と行ってきてもいいとは思ったのだが、彼女が相手に選んだのはオレ。

 直接指名されてはオレも断るわけにもいかない。元から断る気なんて無かったが。

 そんなわけで、朝から新幹線に乗りこうして旅館を訪れているという訳だ。

 

「中も綺麗だな……」

 

「流石高級って感じがしますね……」

 

 木のいい匂いがする廊下を仲居さんに案内されて、ゆっくりと歩く。

 旅館の中も凄い豪華で落ち着くような明るさで照らされた館内を進んでいくと、仲居さんがドアの前で止まる。

 彼女にドアを開けてもらい部屋の中に入ると、そこには昔ながらの畳が敷かれた和室が広がっていた。

 仲居さんから部屋の鍵を貰い「ごゆっくり」と言われた後、オレは荷物を置いて軽く背伸びをする。

 

「はー……すっごい部屋広いね……」

 

「和室のいい匂いがします……落ち着きますね……」

 

 すぅと深呼吸すると、体いっぱいに畳の独特のいい香りが鼻孔をくすぐる。

 小さなテーブルと二つの椅子が置いてあるスペースに移動すると、外の綺麗な景色に加えてお風呂が目に入った。

 

「ここ部屋に露天風呂までついてるのか。ほんと至れり尽くせりって感じだな」

 

 木で作られている露天風呂を綺麗な景色と共に独り占め出来たら、それだけでもここに来た価値があるだろう。

 時間はまだ午後一時頃。

 まだお風呂に入るには早い時間だが今からワクワクしていると、とんとんと肩を叩かれた。

 

「二人で……ですよね?」

 

 カフェにそう言われて少し頭を捻ったが、直ぐに意味が分かってぽんと頭が鳴る。

 彼女と二人きりで、一緒にお風呂。それを聞いた瞬間、どろりと頭の中に甘いものが流れた感覚がする。

 そういえば水着で一緒に遊んだことはあるが、裸の付き合いまでになると経験がない。

 ただでさえ自分が元男という部分が抜け切れて無くて、そういうことは一人の時でも避けてきたのだ。

 でも……カフェとなら、きっと許してくれそうだし。いいの、かな? 

 オレが一人でぽわぽわとしていると、彼女がいつの間にかとあるものを手に持っていた。

 

「これ……浴衣らしいです……。せっかくですし、着ませんか……?」

 

 そう言って手渡してきたのは、旅館サービスの一つの浴衣。これを着て、館内などを出歩けるらしい。

 確かにわざわざ旅館に来たし、こういう服装をするのも乙なもんだろう。

 オレはカフェから浴衣を受け取ると、今着てた服をするりと脱ぎ始める。

 

「んんっ……。トレーナーさん、女の子がそんな簡単に肌を晒さないでください……」

 

「でも、ここにはオレたちしかいないよ? ほら、カフェも着替えて着替えて」

 

 彼女に対して軽く押すように話しかけると、カフェもしぶしぶといった様子で服を脱ぎ始めた。

 お風呂には誘うのに、急に目の前で着替えようとすると驚くのか。変なカフェ。

 オレは浴衣を羽織ると、帯を体に巻きつけてきゅっと締める。

 

「カフェ、着替え終わった?」

 

 確認するためにくるりと後ろを振り向くと、そこには淡い青色の浴衣を着たウマ娘が立っていた。

 美しさと儚さが組み合わさった雰囲気を纏っており、吸い込まれそうな琥珀色の瞳が輝いている。

 すぅと息をのんで固まっていると、カフェがにこりと微笑んで嬉しそうな顔をした。

 

「凄い綺麗……。似合ってるよ」

 

「ふふ……ありがとうございます。トレーナーさんも可愛いですよ……」

 

 お互いを褒め合ったせいか急に照れくさくなって、誤魔化すように二人で尻尾をゆらゆらと揺らす。

 ちょっとふわふわとした空気の中、オレは軽く咳払いするとカフェの手をきゅっと握った。

 

「じゃあ一緒に旅館の中、回ろっか!」

 

「はい……! せっかくですし、隅々まで回りましょうか……」

 

 ここまで広くて豪華な旅館。散歩してるだけでも、色々なものが見れて楽しそうだ。

 期待に胸を膨らませて外に出ようと一歩を踏み出すと、ぱさりと何かが落ちたと音が聞こえた。

 

「……ん?」

 

「あっ……」

 

 帯の結びが甘かったのか。それとも浴衣のサイズが大きかったのか。

 オレの着ていた浴衣の紐が畳の上に落ちて、はらりと胸の谷間が下着の上からでも分かるほど零れ落ちた。

 その結果。カフェにはだけた浴衣姿を見られて、オレの耳がぴんと立ってしまう。

 別にがっつり素肌を見られたとかでも無いし、着替えの時は恥ずかしく無かったのに……なんでこの姿だと恥ずかしくなってしまうのだろう。

 オレはじっと視線を固めている彼女に対して、自分の身をよじって胸を隠すとぽそりと呟いた。

 

「……変な目してるよ」

 

「!?」

 

 カフェが急に言われて驚いたような顔をしているが、事実なのだから仕方ない。

 紐を拾って今度こそはと、ぎゅっと固く帯を結んでほどけないことを確認した。

 そしてもう一度彼女の手を掴むと、気を取り直すように引っ張って部屋の外に出る。

 いつの間にか二人きりで行動する時に習慣になった恋人つなぎをしながら、オレたちは館内を回り始めた。

 来た時の道を戻り、旅館のロビーへ。

 かなり広くて高級感があるスペースを通り抜けて奥の方へ進むと、別館へと繋がっているらしい廊下を見つけたので進んでみる。

 本館から少し離れたあったそこは、先ほどまでの空気とは違う無料で遊べたりするアミューズメントスペースだった。

 小さなゲームコーナーや漫画スペースなどがある中で、オレの視界内にとあるものが目に飛び込んでくる。

 こんな所にあるのかとテンションが上がってしまい、思わず目を輝かせてしまう。

 それがカフェにも伝わったのか、隣で不思議そうに首を傾げていた。

 

「卓球……ですか? 珍しいですね……」

 

 そう。目の前には青色の卓球台が、ちょっと広めのスペースに数台置いてあったのだ。

 どうやら無料でラケットとかも貸し出しているらしく、誰でも遊べるらしい。

 まだお風呂入るまで時間もあるし、オレは彼女にせっかくだからと誘ってみることにした。

 

「どう? 卓球やってみない?」

 

「いいですね……。負けたら、どうします?」

 

「んー、お風呂上がりのアイスおごりで!」

 

「乗りました……!」

 

 オレはラケットと白いピンポン玉を手に持つと、カフェと卓球台を挟んで向かい合う。

 とは言ってもお互い卓球なんて触ったことの無い素人。正確なルールなんて知らないし、とりあえず10点先に取った方の勝ちということにしておく。細かい所はフィーリングで! 

 

「ほいっ!」

 

「ふっ……!」

 

 オレがコートの中に入るように軽くサーブを打って、試合がスタートした。

 かこんかこんと、球をラケットで打ち合う心地よい音が室内に響き渡る。

 最初はお互いに軽めに打ち合ったり、サーブミスしたり、空振りしたりと微笑ましい試合が行われていたのだが──

 

「……っつ!」

 

 闘争本能に火が付いたのか、カフェが本気でショットを決めてから空気が変わる。

 そこからはオレもそれに乗っかってしまい、ウマ娘であることを最大限に活かした卓球が始まってしまった。

 どちらも覚えるのが早かったせいかラリーが続くようになり、左右に動く回数も増えていく。

 軽いスポーツをするつもりで始めたつもりが、いつの間にか汗をかいてしまうまで本気でやり合っていた。

 

「……ふぅ……ふぅ。ラスト、ですね……」

 

「はぁ……はぁ……。ここまで来たら、勝たせて貰うよ……」

 

 実力は拮抗して、点数も九ー九。

 どちらかが点を取ったら勝ちという場面で、オレはサーブを打つ。

 結構コートの端っこを狙ってサーブを決め、カフェを左右に振ろうとした。

 しかしカフェもそれに喰らいつき、取りにくい場所に向かって球を返してくる。

 しばらく球の打ち合いが続くがその均衡は、先に彼女からの攻めで崩された。

 

「ここっ……ですっ!」

 

 オレが右側で返したボールを、かなりえぐい角度で左側へと打ち込んでくる。

 ぐっと足を床を蹴りなんとかボールに追い付こうと加速するが、ちょっとウマ娘として全力を出しすぎたせいか球を追い越してしまった。

 

「やばっ!」

 

 なんとか力を込めてその場に踏みとどまろうとするが、急には止まれない。

 その結果、かなり速度が乗ったピンポン玉はオレの胸元に当たって──カフェのコートに跳ね返った。

 

「あうっ」

 

「……は?」

 

 むにっと音が鳴ったような気がするほど速度が吸い込まれ反発した球は、卓球台に乗った後ころころと地面に転がっていった。

 

「えっと、これどうなるんだっけ……」

 

「私の負けでいいです…………色々と……」

 

 カフェががっくりとうなだれて、オレに手をひらひらと振って降参のポーズをする。

 かくして。

 温泉旅館で突発的に始まった卓球試合は、オレの勝ちで幕を閉じたのであった。

 なんだろう……試合に勝って勝負に負けた時のような感覚がする……。

 あと、ちょっと胸が痛い。

 

~~~~~~~~

 汗をかくほど集中して卓球をやった後、時間を確認するとお風呂に入るには丁度いい時間になっていた。

 この時間帯だと夕飯の前に湯船に入って、汗を流してからご飯を食べたほうがいいだろう。

 大浴場も勿論あるのだが、彼女に声をかけられたのだから部屋の露天風呂を利用する以外の選択肢はない。

 二人一緒に部屋まで戻ると、早速お風呂に入ろうと脱衣所へ移動しようとする。

 オレが浴衣を脱いで籠の中に閉まっていると、カフェが思い出したように動きを止めた。

 

「トレーナーさん……先に入っててください……。私ちょっと準備ありますので……」

 

 そう言ってぱたぱたと脱衣所から出て行ってしまった彼女を横目に見ながら、オレは肌着も含めて全て脱ぎ終わるとがらりと露天風呂の入り口を開けた。

 

「おぉ……」

 

 外へ出て、最初に視界に飛び込んできた景色は絶景だった。

 緑色の植木と上手く配置された石が日本の庭園って感じを醸し出し、綺麗な夜空には満月が浮かんで風情を醸し出している。

 いつまでも眺めていたい風景だったが、流石に外の露天風呂で裸でいると肌寒い。

 さっさと体を洗って、湯船に浸かってあったまろう。

 そう思ってシャワーをする場所へ移動したオレは、木製の椅子にお尻を乗せてハンドルを捻りお湯を頭に流し始める。

 ぶるりと体を震わせながら髪を濡らしていると、がらりとドアが開く音がした。

 

「んっ、カフェ? ごめん、シャワーする場所一つしかないからちょっと待って──」

 

 彼女が入ってきたと思う方向へ振り向いて声をかけようとしたのだが、上手く言葉が続かなかった。

 長い黒髪が夜空の月の下で綺麗に輝いており、吸い込まれそうな白い肌がオレの目の前に晒されている。

 息をするのを忘れてしまいぽーっと見惚れてしまっていると、カフェが顔をピンク色に染めながらゆっくりと口を開いた。

 

「あの……流石にじろじろ見られるのは、恥ずかしいです……」

 

「あっ、ごめん……」

 

 今まで水着を見たり一緒に着替えもしてきたが、こうして裸で話すのは初めてで。

 ちらちらと彼女の体を見たり見なかったりと挙動不審になってしまい、どう振る舞っていいのか分からない。

 尻尾がぷるぷると震えていると、カフェがオレの後ろに回り込んでそっと背中を手で触れてきた。

 

「うひゃぁ!」

 

「せっかくですし……洗いっこしませんか?」

 

 洗いっこ。

 そんな魅力的な言葉がオレの耳を通って、すぅと脳に溶ける。

 このまま本能に身を任せたくなってしまうが、ぎりぎりの所で理性がストップをかけてきた。

 

「でも……ダメ、だって。ほら、オレ男……」

 

「今更そんなこと気にしてるんですか……?」

 

 はぁとカフェの吐いた息が聞こえて来たと思うと、しゅるりと首に手が回り彼女がぎゅっと抱き着いてきた。

 なんか柔らかくて不思議な感触を背中で感じてしまっていると、耳元でカフェがぽそりと話しかけてくる。

 

「ここには女の子しかいませんから……。それに、だーれも見てないですよ……」

 

「そうかも、だけど。なんか、こう。ね?」

 

「遠慮しないでください……せっかくの機会ですし、丁寧に洗ってあげます……」

 

 そう言ってボトルを手に取ったカフェは、シャンプーを手に取るとすり合わせて軽く泡立てた。

 そしてオレの頭に手を乗っけると、優しくマッサージするように揉み込んでくる。

 

「うぁ~」

 

「気持ちいいですか? ふふ……声出てますよ」

 

「だってぇ~」

 

 自分で洗う時とは全く違った感触に、耳がふにゃりと溶けてしまった。

 頭頂部から後頭部。髪の生え際まで洗ってくれるカフェに、オレの口が震える。

 その後汚れや泡をしっかりとぬるま湯で流すと、違うボトルを取ってトリートメントを頭に揉み込んでくれた。

 そしてそれもシャワーで流して綺麗にしたら、やっと髪のお手入れはおしまい。

 

「トレーナーさんの髪……凄いさらさらですね。毎日しっかり洗っているのが分かります……」

 

 カフェが髪をすきながら褒めてくれて、少し照れくさくなって尻尾を振る。

 最初の方はオレも適当に扱っていたのだが、毎日ポニーテールにするたびに髪がごわごわになっていくのが気になってそこから丁寧に洗い始めたのだ。

 女の子の髪のお手入れは大変なんだなぁと感じながらも、ずっとやっていたらそれが当たり前になってしまった。

 

「もうすっかり女の子ですね……」

 

 カフェにそんなこと言われてしまうと、前までの自分がどうだったかいまいち思い返せない。

 ふと過去のことで頭を捻っていると、少し気になったことが出て来たので彼女に訊ねた。

 

「えーと、体も洗うの……?」

 

「……」

 

 ぴたりとカフェの動きが止まったので後ろを見てみると、何故かどこか葛藤しているような悩ましい表情をしている。

 そして「んんっ」と唸ると、そっとオレにボトルを差し出してきた。

 

「……前は自分でお願いします」

 

「まぁ、そうだよね……」

 

 カフェにだったら、体を全部触って貰っても構わないけど……。

 しゅんとしていた心の言葉は外には出さずに、彼女からボディーソープを受け取って自分で体の前を洗い始める。

 そうしていると背中にぴたりと手がくっついた感覚がして、無意識に声をこぼしてしまう。

 

「んぅ……」

 

 頭を洗って貰った時はあまり気にならなかったが、肌に直接触れられるとなんかムズムズする。

 カフェの細くてぬるぬるした手の感覚がダイレクトに背中に伝わってきて、変にぞくぞくしてしまう。

 やっぱり、これ、前は自分でやって正解かも。

 股を閉じてもじもじして変な言葉が漏れそうになったのを我慢しつつ、なんとか体を洗い終える。

 ふぅと一息つくと、オレは後ろに座っていたカフェと目が合うようにくるりと一回転した。

 

「さて……じゃあ、次はカフェの番かな」

 

「……え?」

 

「最初に言ったでしょ? 洗いっこって」

 

 自分も洗われる立場になるとは思って無かったのか、彼女が驚いたような声をあげるがそんなの関係無い。

 オレだけやってもらうのも申し訳ないし。それに……最初に誘ってきたのはカフェでしょ? 

 

「ほら、座って。髪洗ってあげるからね」

 

 オレが椅子から立ち上がりカフェの背中をとんと押すと、彼女はしぶしぶといった感じで前の椅子に座ってくれた。

 同じようにシャンプーを手に取って泡立てると、濡れたカフェの綺麗な黒髪にそっと触れる。

 

「おぉ……」

 

「んんっ……ちょっと変な感じです……」

 

 初めてカフェの髪を手で触ったが、想像以上にさらさらでしっとりとしていた。

 手に伝わってくる感触だけで気持ちよくてずっとこうしていたいが、これは洗髪。

 オレは彼女がやってくれたように、頭を揉む様に洗い始める。

 

「んふぅ……。ふぅ……」

 

 カフェの口から我慢しているような息が聞こえてきてしまい、なんだか変な気持ちになってしまう。

 別に悪いことやってないのに……何だろこの感じ。

 

「ひゃぁ……! そこ、弱いですから……」

 

「……」

 

「トレーナーさん……! そこぉ、もう、大丈夫ですっ……」

 

 耳の裏をそっと撫でて上げると、カフェが可愛い声を出しながらちょっと抵抗してくる。

 それを見ているとオレの心がぞくぞくしてきてしまい、なんかもっとイジメたくなってしまような──

 

「んもう……!」

 

「いたっ!」

 

 カフェが尻尾でぺちんとオレの足を叩くと、はっと意識が現実に戻って来る。

 やば、ちょっと調子に乗りすぎたかも……。

 悪いと思ってカフェにごめんと謝ると、彼女が俯きながらぽそりと何かを呟いた。

 

「いえ……私も、嬉しかったので……。トレーナーさんに触れて貰えて……」

 

「カフェ……」

 

「背中もお願いしますね……? こんなこと頼むの、トレーナーさんだけなんですから……」

 

 恥ずかしそうに顔を逸らしたカフェを見て胸がきゅんと鳴りながらも、オレたちは洗いっこを再開する。

 顔が少し赤くなってしまったけど、お互いの体に触れるという特別な行為は──ずっとしていたくなるほど心地よかった。

 

~~~~~~~~

「はぁー……」

 

「ふぅ……気持ちいいですね……」

 

「温泉って感じがするなぁ……」

 

 洗いっこの後体を綺麗にしたオレたちは、今回の目玉である露天風呂に肩から浸かっていた。

 体の芯からぽかぽかと温まるように、ぐーっと温泉が体に染み込んでくる感じがする。

 カフェもオレの隣で目を細めながら、ゆったりとお湯に沈んでいた。

 目の前の綺麗な景色に、月が輝く星空。

 こんな最高のシチュエーションの中で、露天風呂に二人で入る。

 それだけでこの旅行の意味があったと、幸せな気持ちが湧いてくるものだ。

 そんなリラックスして、日々の疲れが抜けている状況だったからだろうか。

 オレは空を見上げると、はぁと白い息を吐き出した。

 

「あれからもうそろそろ一年か……」

 

「何がですか……?」

 

「ほら、オレがウマ娘になってから」

 

 正確に言うと四月の春にウマ娘になっちゃったから、約九か月だけど。

 この間は今までに経験したことのないことの連続で、濃密な期間だった。

 それでも、あっという間に時間は過ぎ去っていった気がするのだから不思議だ。

 

「最初は大変だったなぁ。急にウマ娘になっちゃったんだから、慣れない生活だったし」

 

「本当にびっくりしましたよ……。急にトレーナーさんが、女の子になってるんですから……」

 

「あの時のカフェ、がっつり殺意湧いてた気がする……」

 

「あれは……トレーナーさんが取られたと思って……」

 

 春。

 変化を余儀なくされて、色々とばたばたとしていた時期。

 ウマ娘であること。女の子であることを、どうしようもなく自覚した季節だった。

 

「服とかも自分で選ぶようになりましたもんね……」

 

「ん……。まぁ、もう慣れたし。毎回カフェに迷惑かけるわけにもいかないしね。おしゃれも意外に楽しくてさ」

 

「下着までおしゃれするのは……その、もうすっかり女の子なのでは……?」

 

「んぐっ」

 

 じーっとカフェがオレのおっぱいを見てきたと思うと、つんつんとつついてくる。

 私服も前の時より増えたのは事実で、さらに見えない部分まで気にしてるのは男性の頃は考えられなかった。

 胸も……今では自分の体の一部だし……。気にするのは普通! 

 

「夏も楽しかったですね……。トレーナーさんの水着姿、凄い可愛かったです……」

 

「ちょっと恥ずかしかったけどね。今はカフェにならどんな姿を見せてもいいけど、まだ大衆の目に晒すのは無理かな」

 

「……その言葉、ズルいですよ」

 

「へ?」

 

 夏。

 ひょんなことから二人で行く事になった、プライベートビーチ。

 海ではしゃいだのなんて、いつぶりだっただろか。

 

「おっぱい揺れまくってましたし……」

 

「え、あの時そんなだった?」

 

「少しは自分の武器を理解してください……。アイスキャンディーの件といい、私をどうしたいんですか……?」

 

 そう言われてしまうと、なんだか無性に恥ずかしくなってしまう。

 湯気がもくもくと上がる中、自分の頭からもぽふりと白い煙が出てしまいそうだ。

 オレはぱちゃんと水面を手で叩くと、気分を切り替えるためにぷるぷると首を振った。

 

「そういえばダイエットもしたなぁ。最近は食事も気にして、太るってこと無くなったけど」

 

「トレーナーさんと一緒に走れて嬉しかったですよ……。また走りましょうね」

 

 秋。

 ウマ娘になってから食事量が増えて甘いものを食べまくっていた結果、体型がぽっちゃりしたので始めたダイエット。

 カフェと併走トレーニングみたいなことしたけど、自分の担当ウマ娘は速いってことを再確認できた気がする。

 

「そういえば……あの時なんで私を誘惑してきたんですか……?」

 

「先にからかってきたのカフェでしょ……?」

 

「いえ、そうかもしれませんが……。私はリードしたい派なんですよ……」

 

「急な攻めに弱いと。もっとオレがリードした方が良かった?」

 

「そうやって蠱惑的な表情するの……。私、ダメになりますからね……?」

 

「あら、カフェに襲われちゃうかな?」

 

「本当に……もう」

 

 くすりと笑いながら彼女を見つめると、そっと視線を逸らされてしまった。

 カフェは予想外の出来事に弱いと。覚えておこう。

 オレが彼女の一面を見ていると、お返しと言わんばかりにむっと頬を膨らませながら口を開いた。

 

「トレーナーさんだって……攻めれば可愛くなりますよね……。クリスマスみたいに」

 

「いや、あれは……違くない? カフェがおでこにキスしたのがズルじゃん!」

 

「……ごちそうさまでした?」

 

「カフェ!」

 

 冬。クリスマス。

 一緒にデートしたあの日は、魔法にかけられた特別な日。

 自然体のまま二人でいる時間は、何よりも大切な思い出だ。

 

「そういえば、プレゼントの耳飾りずっと付けてくれてるよね」

 

「当然です……。今は温泉だから外してますが……もう離しませんからね……」

 

「そんな?」

 

「そういうトレーナーさんだって、ネックレス付けてくれてるじゃないですか……」

 

「まぁ、そうだけど。同じか……」

 

「えぇ……同じです」

 

 同じなら、仕方ないな。

 オレがゆっくりと瞬きして目を開くと、カフェがいつの間にか体がくっつくほどまでに近くに移動してきていた。

 そしてオレの肩にこつんと頭を乗せてくると「んんっ」と猫なで声を出してくる。

 

「ほっとします……。ずっとこの時間が続けばいいのにって……」

 

「うん、オレもそう思うよ……」

 

 その言葉には確かな感情が込められていて、オレもそれに寄り添いたくなる。

 だけど、現実はそうもいかなくて。

 時は前に進み続けることしか出来ない。

 

「そろそろ上がりますか……。ご飯もありますしね……」

 

「ねぇ、カフェ」

 

「なんですか……? トレーナーさん……」

 

「この後、大事な話をしたい。寝る前にでも、一緒に」

 

「……分かりました。待ってますね」

 

 それでも、今は。

 このあたたかさを、感じていてもいいだろう。

 

~~~~~~~~

 お風呂から上がった後、オレたちは体をしっかりと拭いて浴衣に着替えていた。

 そしてそのまま少し待っていると、豪華な料理が運ばれてきたので、それに舌鼓を打つ。

 二人で他愛も無い会話をしながら、温泉旅館でリラックスする。

 部屋にゆったりとした空気が流れている時間を楽しんでいると、時計の長針がくるりくるりと三回転していた。

 時間が経って欲しくない時ほど、時間が流れるのは早いものだ。

 

「そろそろ寝るか……」

 

「えぇ……。じゃあ……」

 

「うん、ちょっとお話しよっか。布団に入りながらでいいから」

 

 面と向かって話せばいいのに、それが出来ない自分が嫌になる。

 だって今から話すのなんて、全部オレの──

 

「……トレーナーさん、布団が一枚しかないんですけど」

 

「んえ?」

 

「でも枕は二つありますね……これは……」

 

 彼女の声がした方に視線を向けると、そこには畳の上に明らかに大きな布団が一枚敷かれていた。

 一瞬旅館側のミスかとも思ったが、それならば枕を二つ置くはずがない。

 ……これ、変な配慮された? 

 

「ちょっと連絡してくる」

 

「……待ってください、トレーナーさん」

 

 オレが部屋に置いてあった電話をかけようとすると、がしりとカフェが両手で右腕を掴んでくる。

 そしてそのままぎゅうと体を引き寄せると、熱が籠った言葉をゆっくりと言ってきた。

 

「私は……このまま、トレーナーさんと寝たいです……」

 

 一線を超えたいと言ってきた彼女の意思に……答えないわけにはいかなかった。

 

「分かった……。一緒に寝よっか」

 

「ふふ……良かったです……。これなら、トレーナーさんの言葉を聞き逃すこともありません……」

 

 そのまま彼女に引っ張られて、寝るための場所へと連れて行かれる。

 電気を消して月明かりが差し込むだけの部屋になったのを確認すると、オレとカフェは二人で一つの布団に入り込んだ。

 しゅるしゅると布と布が擦れる音が聞こえてきて、意味も無く心臓がバクバクとなってしまう。

 がさこそと丁度いい姿勢を探していると、こつんと背中と背中が当たった。

 

「あっ、ごめん……」

 

「いえ、このままで……」

 

 彼女と顔を合わせないように背中合わせになると、しーんと部屋の中に静寂が訪れる。

 なんだかいけないことをしているみたいで落ち着かない中、先に沈黙を打ち破ったのはカフェだった。

 

「……トレーナーさん、あたたかいですね」

 

「ん……ウマ娘は体温高いからな」

 

「いえ、トレーナーさんが。ですよ……」

 

「オレ?」

 

「心地よい温度です……私と一緒に混ざり合って溶けてしまいそうな……」

 

 落ち着いたような声音で、ゆったりと彼女が話しかけてくる。

 ころころと言葉を転がして、オレの心を緊張から解してくれているのが分かった。

 

「まさかトレーナーさんと、こんなことになるなんて思ってませんでした……」

 

「担当ウマ娘と一緒に寝てるなんて、過去のオレに言ったら卒倒するだろうな」

 

「でも今はウマ娘ですから──こんなことも出来ます……」

 

 その直後、するりと何かを手繰り寄せるかのようにカフェの尻尾が布団の中で動く。

 そして彼女の尻尾は最初からそこが定位置であったかのように、くるりとオレの尻尾に巻き付いてきた。

 

「ふふっ……こういうのはご存知ですか……?」

 

「んっ!? これって」

 

「尻尾ハグです……これも、今だから出来る事ですね……」

 

 尻尾ハグ。それはウマ娘とウマ娘同士が、尻尾を絡めう行為のことだ。

 一時期トレセン学園で話題になり、気になって意味を聞いて見たのだが「親愛」以上の意味があると言っていた記憶がある。

 それはハグやキスよりも刺激的で特別な相手とするものとされており、ウマ娘同士の最大の愛情表現と言えるだろう。

 それを理解していたからこそ、この行為の重さが分かる。分かってしまう。

 

「トレーナーさん……」

 

「ふぁい! なんでしょう!」

 

「こんな幻のような時間だからこそ……。今なら何でも話せる……そう思いませんか?」

 

 その言葉はオレの心にすとんと落ちて、気持ちを楽にしていく。

 きっと。待っていたのは彼女の方なのに。ゆっくりとオレの心が準備できるまで、導いてくれた。

 だったら……オレはカフェに歩み寄って手を繋がなくては。

 

「オレさ……トレーナーを引退しようかなって思ってるんだ」

 

「それは……急ですね……。理由を聞いても大丈夫ですか……?」

 

「オレ、カフェが初めての担当ウマ娘でさ。カフェしか見れてなかったんだよね」

 

 最初のオレは色々と未熟だった。

 トレセン学園に新人トレーナーとして入った、右も左も分からない肩書しか持っていない半端物。

 だが、ある日の夜に彼女を見た。

 今考えれば一目惚れだったのかもしれないその走りは──オレを影へと引き込んだのだろう。

 

「もうかなり前のことですが、直ぐに思い出せます……。アナタだけは、お友達を。私を否定しなかった……」

 

 あの時は、彼女をもっと知りたかったから。

 でもたったそれだけのことが、オレとカフェを繋げた。

 運命的な出会いだったと思う。だからこそ──

 

「運命的すぎて、大切で……。だからっ、オレはっ……」

 

「ゆっくりでいいですよ……。私は、逃げません……」

 

「うん……」

 

 ぐっと軽く背中を丸めて、何かから自分を守るような姿勢を取ってしまう。

 だが、それをカフェがなだめてくれる。

 オレは大きく息を吸って、吐き出した。

 

「──怖い」

 

「……はい」

 

「新しくウマ娘を担当しても、カフェと比べちゃいそうで……。でも、他のウマ娘の夢も見てみたいって思う自分もいる……」

 

「……そう、だったんですか」

 

「トレーナー……失格だよな。オレはわがままで、先に進めない──」

 

 その瞬間、オレの後ろにぎゅっと体が当たって腕が絡んできた感覚がする。

 そして、耳の裏側の方から優しい声が聞こえてきた。

 

「トレーナーさん、こっち向いてください……」

 

「ふぇ……?」

 

「私の顔、見てください……」

 

 抱き着いてきた腕がするりとほどかれたので、オレは体をくるりと回転させて寝返りを打つ。

 するとそこにはとろりと溶けきったような表情をする、琥珀色の瞳を輝かせたウマ娘がいた。

 いつもなら絶対に見せない、マンハッタンカフェの緩みきった顔。

 

「すみません……トレーナーさんのその言葉、凄い嬉しいです……」

 

「か、ふぇ……?」

 

「だってそれって……私のことを特別に思ってくれてるんですよね……?」

 

「それは、そうだけど……」

 

 オレが歯切れ悪く返事をしていると、そっとカフェの片手がオレの頬に添えられる。

 そして柔らかく微笑むと、軽く息を吐いて言葉を被せてきた。

 

「アナタは立派なトレーナーです……この私が保証します」

 

「ありがとう……カフェ。でもさ、このままだと……」

 

「またですか……。全く……」

 

 オレがいつも以上にうじうじしてしまったのを見かねたのか、カフェがちょっと呆れたような顔を取ってくる。

 そしてぐいっと体をオレの方に近づけたかと思うと、頬に重ねていた手に力を込めてきた。

 

「んっ……」

 

「っつ!?」

 

 そして、そのまま唇を重ね合わせてきた。

 そっと被さった柔らかい唇は、数秒間オレに温もりを与えるとゆっくりと離れていく。

 突然の出来事に頭が情報量に耐えきれずにフリーズしてしまっていると、カフェがぺろりと舌で口元を拭っていた。

 

「トレーナーさんの唇がお留守だったので……」

 

「も、もう! いきなりやって来るのはやめてっ!」

 

「でも、嫌じゃないんですね……」

 

 顔からぼふんと煙が出てしまうほど、オレの顔が真っ赤になってしまう。

 なんか今までぐちゃぐちゃになってしまった心が、違うものでいっぱいになった感じ。

 上書き保存された気持ちは、目の前の彼女しか見えていない。

 

「きっと……トレーナーさんが先に進める道は、一つじゃないと思います……」

 

「そっか……。でも、迷わないかな……」

 

「迷っても平気です……。だってトレーナーさんには……」

 

 ──私がずっと隣にいますから。

 

 多分だけど。

 オレはただ進むのが怖かったんじゃない。一人で進んでしまうことが、怖かっただけなんだと思う。

 だけど、今。カフェが、オレと一緒に進んでくれると言ってくれた。

 本当は一人で歩くほうがいいのかもしれない。

 だけど彼女の言葉はオレがずっと求めていたもので、落としこむには十分だった。

 でもそのセリフ、このシチュエーション。

 

「プロポーズ……?」

 

「そうかもしれません……。好きに捉えていいですよ……?」

 

「ズルいよ、それは」

 

 くすくすとカフェが笑うと、オレも力が抜けてふっと楽になった気がする。

 あんなに気を詰めて悩んでいたのが嘘みたいに、心が晴れていった。

 固まっていた雰囲気が解れて、元通りになっていくのが分かる。

 そうなる次にオレは、カフェの気持ちをもう一度確認したくなってしまった。

 

「ね、ねぇ……さっきの、もう一回して欲しいんだけど……」

 

「……何をですか?」

 

「キ、キスを……」

 

 思った以上に直接お願いするのが恥ずかしく、ぶんぶんと尻尾を振り回してしまっているのが布団の中でも分かる。

 さっきのは勢いでやられてしまった感があり、まだ理解が追い付いていない。

 だから、もう一回。確かめたいというか。やってほしいというか。

 

「……いいんですか?」

 

「どっちかというと、して欲しいっていうか……」

 

「……もう止まらないかもしれませんよ?」

 

 きっとそれは最終通告で。カフェにとっての一線だったのだろう。

 だから、オレは。それを、超えたい。

 

「いい、よ……」

 

 カフェに抱き着くように体を擦り寄せて、全力でおねだりをする。

 お互いの心臓がバクバクと鳴っているのが分かって、どっちも緊張してることが分かってしまう。

 

「カフェ、好き……」

 

「私も、好きですよ……トレーナーさん……」

 

 それの言葉を皮切りに、自分と相手の境界線が分からないくらいぐちゃぐちゃになりかけた瞬間──

 

 ──プルルルルッ!!! 

 

「うわぁ!」

 

「ひゃっ!」

 

 急に二人きりの空間に乱入者が混ざり込んできた瞬間、とんでもないスピードでお互いの顔の距離が離れる。

 沸騰していた頭が急に冷えると、現実に戻ってきた感じが凄い。

 そしてその乱入者が出している音は、オレの枕元から響き渡っていた。

 

「え、誰からだ。……アグネスタキオン?」

 

「……なんでこのタイミングでっ」

 

 電話から鳴り響いていた着信音をかけてきたのは、オレがウマ娘になった元凶──アグネスタキオンからだった。

 こんな時間にわざわざオレに電話をかけて来るということは……何か重要な連絡ではありそうだが……

 オレは携帯の応答ボタンを押して、もしもしと話しかけてみる。

 すると、電話越しにでも分かる大きな声が聞こえてきた。

 

「やぁやぁ夜分遅くにすまないねぇ! カフェのトレーナーくぅん!」

 

「……なんですか、タキオンさん。急に」

 

「もしかして、カフェもいるのかい? タイミング良かったねぇ!」

 

 テンションが高いタキオンも相対的に、カフェがいつもより低い声で威嚇する様に声を出している。

 だがタキオンはそれを受け流すように、話を続けてきた。

 

「実はだね、やっと完成したのだよ! いやぁ、徹夜したかいがあったねぇ!」

 

「完成? なんかの薬でも出来たのか?」

 

「あぁ……カフェのトレーナー君。キミを人間に戻す薬を完成させたのだよ!」

 

「えっ……」

 

「それ、本当か?」

 

「あぁ、安全性は保証しよう。実験でモルモット君をウマ娘にした後、これで元に戻ったからねぇ」

 

 ウマ娘から元の姿に戻れる薬。それを使えば、前までの生活に戻れる。

 それは分かってる。分かっているけど……オレの答えは決まっていた。

 

「なぁ、タキオン。その薬一旦保留でいいか?」

 

「ふぅン……?」

 

「いや、オレはもう少しウマ娘でいたいからさ」

 

「……キミがそう言うのなら、私も引き下がろうかねぇ。気が変わったら、いつでも来たまえ」

 

「あぁ、助かる」

 

「それでは、失礼するよ」

 

 ぴっと電話をきって、枕元に置きなおす。

 布団の上で女の子座りをしながらぐっと背伸びすると、カフェがオレの正面に移動して来ていた。

 

「いいんですか……? 本当に断ってしまっても……?」

 

「……もうちょっとウマ娘でいたいのは本心だからさ」

 

「それは……どうして……」

 

 カフェが首を傾げて質問してきたので、オレは今の気持ちを正直に答える。

 嚙み砕きながら、自分に説明するかのように。オレはカフェと目を合わせながら、言葉を紡いだ。

 

「ウマ娘になってから確かに大変なこともあったけどさ……でも心地よかったから」

 

「トレーナーさん……」

 

「もしかしたら、オレは最初からウマ娘だったのかもね」

 

 今までの人生と比べたら、瞬きするほど短い僅かな時間だったけど。

 オレにとっては考える為の人生の休みで、コーヒーブレイクのようだった。

 でもそれはカフェと一緒にいて。オレがウマ娘になって。全ての偶然が繋がったから、起きたんだと思う。

 こんな夢のような日々で、カフェと深く繋がれたから。

 もうちょっと、この時間を欲張ってもいいよね? 

 

「これからも、こんなオレと一緒にいてくれる? カフェ?」

 

 かちりと何かが回った音が聞こえた気がする。

 一瞬の静寂。自然な月明かりが、彼女の顔をそっと照らす。

 そして今まで一番の「カフェ」らしい笑顔を見せると、オレの手をきゅっと握ってきた。

 

「勿論です……。また、二人で走りましょう……これからも、ずっと……」

 

 その直後、影と影が部屋の中で重なる。

 長い時間混ざり合うように溶けた二人のウマ娘は名残惜しそうに離れると、ゆらりと尻尾を揺らす。

 はぁと熱い息を吐いた後時刻を見ると、すっかり0時を回ってしまっていた。

 今日は十二月三十一日。つまり、日付が変わったということは。

 

「あっ、年変わってる。あけましておめでとう、カフェ」

 

「あけましておめでとうございます……今年もよろしくお願いいたします……」

 

 年越しの瞬間を彼女との触れ合いから始めてしまい、なんだか急に照れくさくなってしまう。

 一年の始まりに、これから走るウマ娘と一緒に寄り添って過ごす。

 これからが心配になるくらい、とっても甘い瞬間だった。

 くるりくるりとコーヒーカップで回っているマドラーは、時計の針と一緒にカフェとオレを動かす。

 

「また、一年よろしくね?」

 

「一年と言わずにずっと……ですよ」

 

 交じり合った二人の心は、きっと永遠に続くのであろう。

 オレはそう思いながら、寄り添ってくるカフェに体を預けたのであった。

 

 ~FIN~

 




ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
よろしければ、今年の夏コミの本もどうかよろしくお願いします。
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