17時59分。龍明探偵事務所でノートパソコンを閉じた自分は、1分後に到来する退社の瞬間を今か今かと首を長くして待ち侘びていたものだ。
刻一刻と進行する1秒の針が重い。自分が事務所の壁時計と腕時計の双方を交互に確認しながら時を待つ一方で、同じく浮かれたような様子で事務机に居る所長は机上の手鏡をやけに気に続けていた。トサカのような金髪に気を配り、サングラスを着けた顔でニヤニヤしている彼の姿は、久方ぶりに思い出した童心の高揚を想起させる。
刻々と進む秒針は止まることもなく、自然と終業の時刻を指し示した。
18時。仕事終わりの解放感が押し寄せてくる達成感に、自分は背伸びの準備をした。だが、こうして意識を脳天へと集中させて両腕も持ち上げ始めた瞬間にも、こちらの不意を突くように龍明探偵事務所の扉がおもむろに開かれたのだ。
18時の終業時刻と同時にして、“ユノ”が事務所に来訪した。時間はぴったり、時計の針もきっかり0秒のキリの良さと共に、彼女はさも当然のような清々しいほどに凛々しい面持ちを見せながら、私服姿で目の前に現れる。
クールな大人を体現する黒色で七分丈の革製ライダースジャケットと、タックインすることで黄金比のスタイルを強調した赤色のYシャツ、その長い脚でスタイリッシュなシルエットを生み出す黒色のバイクパンツに、膝丈までの長さがある機動性に優れたスーパーロングブーツという格好で、音も気配もなく颯爽とやってきたユノ。
類稀なる絶世の美貌や独特な言い回しを操る側面と相まって、時間に正確なところが余計に底知れない印象を与えてくる。尤も、唖然と口を開けていたこちらとは一方的に、所長は彼女の正確な時刻の来訪に微塵も動じる事はなく、むしろ待っていましたと言わんばかりに両腕を広げながら歓迎の言葉を陽気に投げ掛けていたものだ。
「よーぅ!! ユノちゃん!! 事務所に顔を出してくれんのは久しぶりじゃねェか? 相も変わらずなその美貌、いつになっても眩しいねェ! オレちゃん、今日こそ本気でユノちゃんのことを口説いちまおうかな?」
冗談交じりに投げ掛けた言葉のボールを、ユノはまるで叩き落とすかのように冷徹な声音で返答する。
「愚問ね。
「お堅いねェ。特に、男に対するガードの固さは一級品だ」
「同性を尊び、心底から愛する
「あーあ、今日もフラれちまったか。でも、見込みが無ェ勝負ほど燃えるのが男の
「…………」
所長は両手を頭の後ろにやって、背もたれに寄り掛かりながら回転イスをキイキイと左右に揺らしていく。そのあっけらかんとした陽気でひょうきんな調子に、ユノは絶世の美貌にシワを寄せて露骨な嫌悪の表情を見せてきたものである。
まぁ、その嫌がるサマも見る人によっては堪らなく興奮するのかもしれない。一部の界隈からはご褒美として扱われるであろう心底からの軽蔑をユノが披露していくその最中、事務所内に設けられた休憩所の仕切りからはハオマがヒョコッと顔を出して覗き込んできた。
感情豊かな彼女は、ユノを見つけた瞬間にもパァッと表情を明るくして飛び出した。そのハイヒールの靴音が鳴らされるとユノも振り向いて、ユノはユノで表情を一瞬で凛々しいそれへと切り替えながら、懐に飛び込んできたハオマを穏やかな面持ちで迎えていく。
「ユノちゃんだーーー!!! 久しぶり~~~!!!」
「えぇ、久方ぶりの再会ですね。変わらぬご様子でお過ごしになられているハオマさんを拝見できたこと、私はたいへん喜ばしく存じております」
所長との会話から一転として、ユノは幸福に満ち満ちた木漏れ日のように温かな表情を見せてきた。色白の肌と天性の美形が織り成す有様は、例えるならば歴史ある彫刻のような神々しさを放っており、ハオマないし女性を抱き込むや否やユノは生気を取り戻して活き活きとし始める。
ハオマを大事そうに抱き留めて、179cmによる高身長で覆い被さりながら彼女の温もりを堪能する。それからユノは右手でハオマの左手を取っていくと、童話に登場する王子様よろしくその手の甲に口付けを行った。
潤いに満ちた女神の唇が、湿り気を伴いながら肌で弾ける音。ユノのアプローチにハオマは右手で自身の頬を押さえながら顔を赤らめていく。
「わぁ……! ユ、ユノちゃん……! みんながいるところで、そんな、恥ずかしいって……!」
「恥じる必要はございません。こちらは、ハオマさんへの敬意を最大限に表した私からの祝福の
「な、なんか私、みんなの目の前でものすごく恥ずかしいことを言われてる気がするよぉ……ッ!!!」
神話を語り継ぐ絵画から現れ出でたかのような存在としてユノを褒め称えていたものだが、まさかその言動までもが幻想的な美しさを孕んでいるとは思いもしなかった。
ユノの表情には恍惚の赤面がほのかに浮かび上がっている。ハオマという女性に惹かれ、それでいて欲情も感じられる妖艶なオーラが実に甘美的。眺めているだけでもお腹いっぱいな光景に自分までもが恥ずかしくなってくる中、ユノはしれっとハオマのキツネの尻尾のような形の癖毛ポニーテールを手に取って、けしからんことにそれを嗅ぎ始めていく。
悠々と、恍惚とした表情から繰り出された行動に、ハオマは思わず「うひゃあぁぁ!!?」と驚きの声で跳ね上がった。これに対してユノが意外そうな顔でポカンとしたものだから、やはりこの人は住んでいる次元が違うなといろんな意味で思わされる。そんなこんなで龍明探偵事務所のメンツとじゃれていると、次にもユノはこちらへと振り向いて、長い両脚で堂々と居座るその佇まいと共に言葉を投げ掛けてきた。
「柏島くん。長らくと待たせてしまってごめんなさい。さぁ、正午に交わした盟約を
「は、はい……!」
独特な言い回しは健在で、ユノは右手を差し伸べながら凛々しい面持ちでそのセリフを口にしてきた。彼女の何ともブレない姿勢に非現実さえ感じていく傍ら、ユノはハオマにも声を掛けていく。
「ハオマさんもよろしければ、柏島くんを歓迎する今宵の祝宴へと出席なさりませんか」
「そのことなんだけど、せっかく誘ってくれたのに本当にごめん!! 私この後ラーメン屋のバイトがあるから、また今度誘ってくれると嬉しいな!」
「承知しました。ハオマさんと共にする極上の一夜を、私は心待ちにしております」
「い、一夜って。も、もぉ~! ユノちゃんはまたそうやってぇ~……!」
美貌を遺憾なく発揮した男性寄りのフェイスラインと、奇跡的に整った顔立ちから繰り出される口説き文句でハオマにすり寄るユノ。彼女からの誘惑も満更ではなさそうなハオマが顔を赤くしながら両手を振って拒否していく中、自分も所長へと声を掛けたものだ。
「あの、よろしければ所長も如何ですか?」
「おぅ、気ィ遣わせてすまねェな。カンキちゃんの気配りにオレちゃん感謝するぜ。で、だ。せっかくの魅力的なお誘いなんだがよ、オレちゃんも今日は遠慮しておくさ。確かにユノちゃんを口説くには絶好のチャンスでもあるんだが、オレちゃんこう見えて意外と真面目ちゃんなモンでよ、残った仕事をほっぽり出した状態で遊びに行けねェんだわ」
「そうでしたか……。では、また機会がありましたらお誘いします」
「おう! そん時はよろしく頼む! ――っとまァ、カンキちゃんはこうやって常に周りにも気ィ遣ってくれるとってもイイ子ちゃんなんだ。だからよ、ユノちゃん。ラミアちゃんやメーちゃんを任せられるかどうかの品定めや詮索とかは、程々にしてもらえると助かるぜ」
なんか、しれっと恐ろしい単語が聞こえてきたような気がする。
ユノの思惑はお見通し。とも言うべきだろうか。所長のセリフにユノは露骨な嫌悪……というよりは不要なお節介に対するけん制とも読み取れる鋭い視線を投げ掛けながら、彼女は腹部の辺りで軽く腕を組んだ佇まいで返答を行った。
「語弊のある物言いで柏島くんに不安を煽らないでちょうだい」
「おっと、こいつは失敬! んまァよ、疑心が拭い切れないユノちゃんの気持ちも分からなくはねェ。だからこそ、カンキちゃんが信用できるオトコだってことは、オレちゃんの経験と直感、何よりもこの
「…………」
あからさまに
歩き出した彼女は事務所の出口へと向かい、扉を開いていく。そして次にもこちらへ振り向いてから、悠々と、堂々とした凛々しい面持ちで、威厳に満ちたオーラを放ちながら右手を差し出すようにして言葉を投げ掛けてきた。
「本日の職務を終えた今、龍明探偵事務所の長居は無用でしょう。さぁ、柏島くん。今宵は