夕暮れの龍明を歩くこと数分。ネオンの明かりが灯り始めた歓楽街の風景を、自分は現世に君臨した女神の化身にエスコートされながら歩き進めていく。その道中では常に人々の視線を掻っ攫っていた様子から、ユノという人物は余程に類稀な美貌を有した人物であることを実感させられた。
一般的な通行人として見逃すには名残惜しく、ナンパのために声を掛けるにはどこか恐れ多い崇高な存在。皆が振り返る神々しさを振り撒く彼女は依然として凛々しい面持ちを見せながら歩き進むと、直にも足を止めてこちらに振り向きながら得意げに佇んでみせた。
「ご同行頂いたことを心より感謝しましょう。我々の邂逅を祝福する、今宵の晩餐に相応しい舞台を用意したものですから、どうか存分に堪能してもらえると嬉しいわ」
と言ってユノが淡く微笑みながら手で促した先には、とてもよく見慣れたダイニングバー『
何というか、確かに彼女のチョイスなら十分に想像できた展開か。という感想が脳内をよぎる。今も凛とした顔でどこか誇らしげに見えるユノが軽やかな足取りでそちらに歩き出すと、彼女は左手を悠然とこちらに差し伸べながら、右手で片開き扉を押してカランコロンと鈴を鳴らしていった。
通い慣れた店に招かれて、自分は肩透かしを食らったかのような、ちょっと一安心したような、なんとも言い難いホッとした気分になる。そんな気持ちを抱えたままユノに導かれるよう店内へと進入し、昼とは真逆の姿である下品な黄金の空間へと身を投じたものだ。
その一歩を踏み込んだ瞬間にも、自分の意識は酒気と色気が充満した大人の異世界へと引き込まれた。
西洋風のシャンデリアは煌々と明かりを灯し、餓えるようにギラギラと輝く金のフロアは金と女を連想させる。まさに『罪の味』とも呼べる誘惑と快楽に満ちた異空間に踏み入ると、来店した客を迎えるべく店の女性キャストが歩み寄ってきた。
よく見知った人物だった。タキシードを身に纏うラミアがちょこちょことした足つきでやってくると、彼女は可憐な天然ドールフェイスも束の間、予想外な来客にいつもの淡泊さとは程遠い引き攣った表情を浮かべながら、主にユノへと注目して喋り出してくる。
「いらっしゃいまー……げ!! ユノさん!?」
「二名よ。彼の案内と接待は私が行うから、貴女は引き続き目前の業務に集中なさい」
「いやいや……仕切り役みたいな口ぶりで仰ってますけど、一応イマのユノさんはフツーのお客さんとしていらっしゃってるワケなんですから。もっとこう、相応の振る舞いとかあるじゃないですか……」
ラミアにしては珍しい、ちょっと及び腰なその姿勢。ユノの顔色をうかがう視線が第三者からよく読み取れて、今にも投げ掛けられるユノからの言葉に身構えているような雰囲気が漂ってくる。
眉間にシワを寄せて露骨に口元を引き攣らせたラミアがジリジリとした視線を向けていく中、ユノは涼しげな表情で考え込む仕草を交えた後に凛々しくも開き直った調子で返答した。
「柏島くんは私の客人よ。故に、私が責任を持って彼をおもてなしいたしましょう」
「ホントにユノさんって、そーいうトコは頑固なヒトですよねー……。いやまー、仕事が減る分にはウチもラクできるので別にイイんですけど……」
ラミアも苦労しているんだなぁ。という内心を自分が抱いていく最中、ラミアは呆れたような表情でこちらへと振り向いてくる。
「カンキさんもタイヘンですねー。生憎といった具合にユノさんに振り回されてるよーで、心中お察ししますよー」
「いや、そんな……」
「専ら、『
「そ、それは何と言うか、はは……」
返答に困って言葉を濁す自分が苦笑をしていると、直ぐにもカウンター席に向かって歩き出したユノが悠々とした調子で後方のこちらへと言葉を投げ掛けてくる。
「あそこのカウンター席が空いているようね。――さぁ柏島くん、どうぞこちらへ」
「あ、はい……! 今行きます!」
構わずと突き進む彼女についていくべく、自分は慌てて駆け出した。
やれやれといった感じに笑うラミアからは、哀れみの視線を向けられているような気がした。そんな一癖も二癖もある女神に
主に、前を往くユノに注目しながら。
「げ!! なんでユノさん居んの!?」
「貴女のその反応、まさか所用という名目で職務を怠っていたとは言わないでしょうね」
「うっ……! っハハハ~……なんでこうも、ユノさんには即バレするかなぁ……」
図星とも言えるギクりとした驚愕を交え、たははと誤魔化すような苦笑いでそれを呟くメー。これにユノが鼻でため息をすると、メーは彼女の顔色をうかがいながら焦った様子で言葉を口にした。
「そ、倉庫には本当に用事があったんですよッ!? ただ、そこでちょこっ~とだけ時間を潰してたというか~……? チラッ」
「……貴女も多忙を極める身分であることは、私も十分に理解しているつもりよ。故に、今回は大目に見るといたしましょう」
「マジですか!? うはー! ラッキー!」
極限にまで高まった緊張からの解放。予想外とすら思っていたメーの面持ちからは喜びが溢れ出し、それは両手を上げてまでして体現してみせる。
だが、傍で見守るユノからの視線に気付いたメーは、ハッとするなり気まずそうに苦々しく笑いながらカニ歩きで移動した。その先には呆然と佇む自分がおり、メーはこの空気感を都合よく誤魔化すようにこちらへと話し掛けてくる。
「ら、らっしゃいませー! へ、へぇ~……! カンキくん、今日はユノさんのお供をしてるんだ~……??」
「そ、そうだね」
「ここだけの話なんだけどさぁ……ユノさん、マジのガチで綺麗な顔しておきながら、ちょっとヘンな事を普通にしてきたりする時もあるにはあると思うんだよね。でもこの人、基本的にオトコを連れ回す事はないからさ。それだけカンキくんには、期待っつーの? なんか色々と託してくれてる感っつーの? とか、そういうのを感じてもいいと思うんだよね」
「そ、そうなんだ?」
「つまり、あたしが言いたいことは……なんかムズくて意味分からんコト言われても、全っ然気にしなくていいってこと! ……ってことで~、あたし接客してくっから! あ、今日も8時にあがるから、そん時はラミアも入れて一緒に帰ろうな~? んじゃ、そゆことで!」
途中、ひそひそと会話を交わしながらもメーは勝気に微笑み、彼女はこちらの肩をトンと叩いてから煌めきのオーラと共に走り去っていった。
ラミアにしても、メーにしても、共通してユノという存在に一定の緊張感は抱いているように思われる。ただ、同時にして彼女らもまたユノという人物の性質をとても詳しく把握しており、且つユノに対するリスペクトも備えている様子が垣間見えたようにも感じられた。
逃げるように走り去ったメーを視線で追う最中、自分は既に歩みを再開していたユノの靴音を聞いて即座に意識を戻したものだ。そして数歩もの歩行を経由してカウンター席に到着すると、ユノが自身の隣に座るよう促してくると共にしてバーカウンターの向こうからは巨大な人影がぬるっと現れる。
屈強な肩幅でそびえるように仁王立ちする、195cmの巨体を持つ筋骨隆々なマスターが影の如く姿を見せてきた。圧倒的な存在感と武骨で荒々しい風貌は以前と変わり映えなく、その初見の驚きと引き替えに彼は大人の渋い色気を帯びながらも砕けた声音で気さくに話し掛けてくる。
「本日の主役がやっと来たか。ヒーローは遅れてやってくるとはよく言ったもんだな」
「ま、マスターまでそんな。自分はそこまでの人間じゃありませんからっ」
「あぁそんな照れなくてもいいさ。今のは冗談のつもりで言っただけだからな」
「え…………?」
「ぶわっははは!!! そんな露骨に悲しまなくてもいいじゃねぇか!」
ぶら下げるように垂らした
彼が分厚い両腕をがっしりと組んでいく手前で、ユノは呆れるように眉をひそめながら穏やかな調子で言葉を口にする。
「それだけ彼が、先方の言葉を真正面から真摯に受け止めることができる純真なる本質の持ち主であるという何よりの証拠です。なのでどうか、些細な
「通称『龍明の女帝』と呼ばれる女たらしの美女が、オンナ以外の人間を丁重にもてなしてるんだ。そんなユノのお眼鏡に適った記念すべき“2人目”の野郎が、俺のジョークに対してどんな反応をするのか少しばかり見てみたかったのさ。――おっと、俺も入れて『3人目』の選ばれし男か! こいつはうっかりしていた!」
「マスターのジョークに一層もの磨きがかかっていることを、私は己が
「わっはっはっは!! そうだろう!! はっはっはっは! …………? あれ?」
気心が知れたやり取りとも言うべきか。息の合った掛け合いに心和む感覚を覚えながら、自分はカウンター席に腰を掛けたものだ。