探偵『柏島』の受難   作:祐。

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第4話 煩悩を乗り越えた先に

 高鳴る鼓動と火照った心臓を抱え込み、所長が言う『熱い夜』を越した後に朝を迎えていく。

 

 結論から言ってしまえば、特に何も起こらなかった。男女が同じ屋根の下で過ごしておきながら、あまりにも意気地なしな結末に一種の愚かしさすら覚えてしまうかもしれないが、倫理的観念とはまた別にお互い、ある意味での“信頼”を託したが故の展開であるとも言えるかもしれない。

 

 夕食を用意した後、龍明が誇る美女の一人と如何なるひと時を送ったのか。その甘美なる至福の様子をダイジェストでお送りする。

 

 

 

 

 

 まず、皿に盛られたチンジャオロースをつつき合うひと時。白米をお供に談笑しながら食事をしていると、ふとテーブルを挟んだ向こう側にいる寝間着姿のラミアが一つの提案を行ってきた。

 

「カンキさん」

 

「ん? どうしたの?」

 

「ウチとイイコト、しませんか??」

 

 可憐なドールフェイスの上目遣いで、猫なで声を奏でながらいじらしく見つめてきたラミア。突然のアタックに自分が思わず「えっ」と動揺する中、彼女は狙いすました眼差しで言葉を続けてくる。

 

「こーしてお部屋に泊めていただいているワケですから、ウチから少しサービスでもと思いまして」

 

「サービス……?」

 

「少し、コッチに寄ってください」

 

 ちょいちょいと手で招いてくる彼女のそれを受けて、自分はテーブルから乗り出すように上半身を傾ける。

 

「こ、こう?」

 

「はい、あーん、してください」

 

「あ、あーん……!?」

 

 箸でチンジャオロースを摘まみ、ラミアが左手を添えながら差し出してきた。彼女は愛嬌全開の営業スマイルでにんまりと微笑みながら首を傾げ、いたいけな風貌を武器に甘い声音で囁いてくる。

 

「あーん、要らないですか??」

 

「いや、決してそういうわけでは……!」

 

「じゃー、ウチが使ったお箸がイヤですか??」

 

「それも、別にそういうわけじゃ……!」

 

「早くしないとやめちゃいますよ?? イイんですか??」

 

「っ……!」

 

 誘惑には抗えなかった。

 柏島歓喜、煩悩に屈する。ラミアにそそのかされるまま恐る恐ると口を開けていくと、ラミアは狙い通りとも言える確信し切った顔をしながら「あーん」を実行する。

 

 彼女とシェアする夕食に、滾るほどの熱いトキメキを覚えてしまった。味すらよく分からずに咀嚼したそれは、幸福という概念を噛み締めながら堪能し終える。

 

 ……こんなん、惚れてまうやろ!

 口元を押さえてドキドキする自分。そんなこちらに更なる追撃を加えんとばかりに、ラミアはチンジャオロースを摘まむなり、いじらしい眼差しでもう一度、“それ”を促してきたものだ。

 

「まだまだ物欲しそーなカオをしてますから、特別サービスでもう一回してもイイですけど。どーします??」

 

「…………是非とも、よろしくお願いします」

 

 

 

 時間は進み、夕食を終えて一段落といった具合の空間。過剰摂取した満足感に未だ浸っている自分の近くには、テーブル上にスキンケア用品をたくさん並べたラミアが座っている。

 

 ヘアバンドで髪を掻き上げ、商売道具である美貌を入念に整えていくその姿。華やかに輝く表舞台の裏側では、その輝きを保つために人知れずと地道な努力が行われているのだ。

 

 美形が集いし熾烈な環境だからこそ、その生存競争を生き抜くには日頃からの徹底的な積み重ねが必要になる。一番の商売道具に妥協しないラミアの姿勢に自分がリスペクトを抱いていく中で、その様子を眺めていたこちらへと彼女は振り向いてくる。

 

 きゅるんとした面立ちが本当に可愛らしい。童話の世界から出てきたかのような存在感にドキッと胸を打ち鳴らす傍らで、ラミアは淡々とした調子で言葉を投げ掛けてきた。

 

「意外でした?? ウチも美容には気を遣ってるんですよ??」

 

「意外ではないにしても、実際に見ることでしか知ることができない苦労があるんだな~って、しみじみと感じたかな……」

 

「誰しも、最初からカンペキってワケではありませんから。まー、ウチは元がカワイイ方だとは思いますけど、ソレだけではお店の皆さんに埋もれてしまいますからねー」

 

「こんなに可愛らしい女の子でも、周りに埋もれちゃうのか。Le goût du péché(ル・グー・デュ・ペシェ)って過酷な世界なんだなぁ」

 

「まー、キャスト達が全員ワケありで、ちょっとした境遇を経験してきた仲間意識もあってでしょーかねー。人間関係は思ったよりドロドロしてないトコが、唯一の救いですかねー。求められるスペックの平均値がバカ高いだけで、居心地自体はワルくないモンですよ。……それでもカンキさんは、このラミアちゃんのコトを一番推してくれますよね??」

 

 人差し指を頬に当てて、いたいけな容貌を武器に甘く微笑したラミア。彼女のそれに自分は無条件に頬を赤らめていく中で、この反応を返事として受け取ったラミアは確信の面持ちと共にフェイスパックを取り出すと、顔に被せて天井を仰いだ後に、背後のベッドに寄り掛かりながら淡泊な声を籠らせた。

 

「しばらく話せませんので、その辺のご理解お願いしまーす」

 

「あ、あぁ、ごゆっくりどうぞ」

 

 

 

 時間は更に進み、就寝の準備を済ませていく自分達。テーブルを退けたフローリングに薄い敷布団を広げた寝間着姿の自分は、今もベッドに座ってこちらを眺めるラミアへと言葉を投げ掛けた。

 

「じゃあ、そろそろ寝ようか」

 

「ソレはイイですけど、カンキさんはベッドで寝ないんですか??」

 

「ベッドはラミアに使ってもらおうかなって。その方が疲れないと思うし」

 

「ですけど、ソレだとカンキさんはジューブンに休めませんよね??」

 

「俺は……まぁいいよ。それ以上に、泊まりに来てくれたお客様のラミアにしっかり休んでもらいたい気持ちの方が強いから」

 

「そーですか」

 

 うんうんと頷くこちらに対し、ラミアはまじまじとした眼差しを向け続けてくる。だが、特に何も気にしなかった自分は消灯ボタンを目指して数歩と歩き出していくと、次にもラミアは淡々とした調子で、くりくりな瞳で見つめながらその言葉を掛けてきたものだ。

 

「ウチと一緒に、同じベッドで寝ませんか??」

 

「え?」

 

 思わず振り返った。そこでラミアの真っ直ぐな視線と目が合って、次第と湧き上がってきた誘惑に動揺してしまう。

 

「それは……でも」

 

「カンキさんでしたら……ウチはイイですよ??」

 

「そこまで気を遣ってもらわなくても大丈夫だから……っ!」

 

「コレは本心ですけど……??」

 

 あ、あわわ。

 脳内で火花を散らしながら、理性と煩悩が競り合っていく。

 

 内なる漢が奮い立つ。今も蕩けるように甘いカオを見せ、おねだりをするように眺めてくるラミアを目の前にしてからというもの、自分は赤面と共に目をグルグルさせながらしっちゃかめっちゃかな思考を巡らせた。

 

 ど、どうする? 同意の上なら許されるか!?

 よぎる『一番勝負』の文字。次にフワッと浮かんだ光景が、男女がベッドの中で密着し、湧き上がる劣情を抱え込みながら向かい合う非常に卑しい雰囲気の構図。

 

 同じ屋根の下、何も起きないはずもなく。

 えらいこっちゃとひとり勝手に取り乱していくこと数秒、葛藤の様子を明らかに理解していたであろう返事待ちのラミアと向かい合った自分は、今にも爆発してしまいそうな程の赤面をそのままにして、しかし物欲を遮断するように両目を閉じながら、『NO!』と右手を突き出して断固たる意思を表明したものだ。

 

「お、お気持ちだけで十分です……っ! 不肖(ふしょう)、柏島歓喜、来客の女性には心から安心してもらいたく、誓って不可侵領域には踏み入らぬ所存……ッ!!!」

 

 混乱するあまり、なんだかよく分からないことになってしまった。

 

 武士の魂が突然憑依したか? と思うような滅茶苦茶な返答に、ラミアは暫しポカンとした面持ちでこちらを見つめ遣ってきた。この、何とも言い難い空気感に即行と耐えられなくなった自分は、自ら作り出した冷え冷えのそれを打ち切るように慌てて照明スイッチの下へと駆け付けながら言葉を掛けていく。

 

「と、とにかく! そろそろ休もうか……! 今から電気を消すけど、必要ならいつでも点けてもらっていいからね……!」

 

「あハイ、分かりました」

 

「じゃ、おやすみ……!」

 

「ハイ、おやすみなさい」

 

 淡々と言葉を返すラミアのそれを聞き、自分は手早く照明スイッチを切って真っ暗闇へと姿を隠す。そうしてそそくさと床の敷布団へと移動した後に、更に隠れるように掛け布団を被って中に閉じこもった。

 

 ……あわや、煩悩に支配されるところだった。

 一時(いっとき)の欲求で取り返しのつかない行為に走れば、それこそラミアのストーカーと何ら代わりない。プライベートならまだしも、本来は守るべき依頼主に手を出すなんて以ての外であり、それではせっかく拾ってもらった私立探偵の流儀に背くこととなる。

 

 危なかった……。ホッと一息ついた自分が布団の中でうずくまる傍ら、ベッドの方からはガサゴソと動く音が聞こえてくる。それは続けてフカフカな布団を纏ってから、落ち着くようにシィンと静まり返ったものだ。

 

 

 

 

 

 ――以上が、昨晩の至福なひと時の様子となる。

 

 翌日、龍明探偵事務所に出勤して一連の経過を所長に伝えると、彼は愉快げに爆笑しながら「オイオイ真面目ちゃんかよ! 据え膳食わぬは男の恥っつーだろ? ラミアちゃんがその気でいてくれてたってのに、カンキちゃんはとことん生真面目な野郎だなァ。んま、カンキちゃんのそういうトコを、オレちゃんは誰よりも買ってんだがよ」と、からかい半分に言われてしまった。

 

 羞恥とは別の、誇るべきか、悔いるべきか悩んでしまう複雑な感情で、自分はムムッと俯いてしまう。だが、所長は励ますようにこちらの背を叩きながら、次にも“そのセリフ”を口にしてみせた。

 

「だがよ、おかげさんでカンキちゃんの誠実さはしっかりと相手に伝わったみたいだぜ? ラミアちゃんも、カンキちゃんの傍なら安心できると思ってくれたみてェだ」

 

「うーん、そういうもんですかね……」

 

「あァ、そういうモンさ。現にラミアちゃんから、昨日に続いて“お願い”の連絡が来た」

 

「お願いの連絡、ですか?」

 

「おう。率直に言えば、『引き続き、調査員の柏島歓喜に身柄の保護を打診できないかどうか』って旨のメッセージだな。っつーのも、肝心の、ストーカーの件はまだ解決しちゃいねェんだ。つまり、ラミアちゃんが危険に晒されている状況に変わりはねェからよ。もののついでだ。カンキちゃん、この案件が無事に解決するまではちょいとばかし、ラミアちゃんを預かっちゃくれねェか?」

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