夜の暗闇を跳ね返すネオンの輝きが、歓楽街『
浮き立つご機嫌な会話が飛び交う空間の中、自分はとある店の前で立ち止まった。
見上げるとネオン管で綴られた『ダイニングバー
直ぐにも隣でカランカランと鈴を鳴らした、ステンドグラスの透き通った片開き扉。中からは三名の男性陣が満足気に出てきて、彼らは接客してくれた女性キャストについての感想を交わしながら龍明の街並みへと溶け込んでいく。その様子を少し見送った後にも、自分は決心するように今も揺れ動く扉の手すりを握り締め、さも大人のお店に通い慣れてますよ感を出しながら
最初に流れ込んできたのは、鼻腔をくすぐると共に胸焼けを感じるほどの強烈な酒気と色気だった。店内ではワハハと愉快げな声が反響し、高級感を演出する黄金のフロアと天井のシャンデリアが客を盛大に出迎える。バーカウンターの奥では守護神が如く鎮座する棚が存在感を醸し出し、そこに並べられている数え切れないほどのボトルが光を反射しながら客を見下ろしていた他、運ばれていくフランス料理の香ばしさや、キャストから放たれる性のフェロモンや香水のフレグランスな香り、そして煌々と満ちた店内の黄金色はかえって下品なくらいに輝いており、まさに大人の楽園と呼ぶに相応しい金と欲望の光景を生み出していたものだ。
扉を境界線にして、まるで異界に迷い込んだかのような気分だ。その一歩で黄金を踏みしめるや否や、途端に迫る異空間がこちらの体を丸呑みにして、浮遊感を伴いながら強引に引き摺り込んでくる。それに気圧されて、自分は背中を押されるように数歩と足を前に運ばせると、次にも入口に一番近いテーブル席で接客をしていたタキシード姿の女性キャストが軽い調子で声を掛けてきた。
「お一人様ですか~? 空いているカウンター席にどうぞ~」
定型文を読み上げるように言葉を口にして、女性キャストはテーブル席にいる男性三人組の接客へと意識を戻していく。
それを多忙と捉えるか、適当と捉えるかは人によるだろう。自分は既に視線を逸らした彼女へと軽く会釈をした後に、言われるままカウンター席を目指して恐る恐ると歩き出していく。その間にも興奮か恐怖か区別がつかない胸騒ぎでそわそわ周囲を眺めていると、ふと奥のテーブル席で接客を行う人物の存在に、意識が呼び戻されるようにハッと気付かされたものだった。
紫色のドレスシャツをアクセントとして、黒色のタキシードを身に纏うラミアの姿がそこにあった。シャツのボタンを二つ外し、紫色の蝶ネクタイを緩めた着こなしで男性客と会話していた彼女は、その小柄と愛嬌で持ち前の可憐さを演出しながら本分に徹している様子。
ドールフェイスの上目遣いで相手を魅了し、男性客らをもれなく悦ばせていた。その弾みで男性客の一人が彼女の頭を撫でるべく手を伸ばしたのだが、ラミアはそれとない仕草で客の手を退けてから、テーブルの上にあるボトルを持ってお酒をグラスに
彼女は背を向けていて、こちらに全く気が付かない。尤も、今は業務中だから邪魔しないようにしようと自分自身に言い聞かせ、こちらはこちらでカウンター席へと向かい出す。それでも視線はラミアに吸い寄せられると、今も健気に頑張る姿であったり、華奢な体つきやお尻なんかに意識が向いて、ついつい彼女の様子を遠目から眺めてしまったものだ。
……今日も可愛いな。
内心で呟いた素直な感想。若干と赤面もしていたであろう淡い感情を胸に自分はカウンター席についていくと、直にも異様な気配と共にカウンターの方から大きな人影が接近してきた。
カウンター越しの圧迫感に、自分は空気の流れでそれを察知しながら見上げていく。
目の前にいたのは、屈強な肩幅で佇む巨漢。山かタワーか、ズゥン……とそびえるように仁王立ちをする大男は195cmもの長身でこちらを見下ろしており、墨汁のような空気を含んだ黒色のくせ毛ハーフアップと、ぶら下げるように垂れている
着用しているタキシードは、傍から見てもはち切れんか心配に思ってしまうくらいにはパツパツに張り詰めていた。白色のフォーマルシャツはボタンを上までしっかり留めてあり、黒色の蝶ネクタイもズレなく着けて品の良さを醸し出す。しかし物騒な面立ちと筋骨隆々な巨体で紳士的な要素は全て相殺されていて、場所が場所だったらジェントルマンというよりも“殺し屋”に近い印象を抱くかもしれない。
殺意の化身と呼ぶべきか、筋肉ダルマと呼ぶべきか。どちらにせよ失礼極まりない感想ばかりが脳内を占めていく中で、次にも眼前の大男は屈強な体格を以てして、外見の印象とは裏腹のなんとも色気を含んだ大人の渋い声で喋り出してきた。
「当店のご利用は初めてでしょうか?」
「え? あ……はいっ……!」
「キャストのご指名はございますか?」
「いえ、その……」
そびえる巨体が生み出した、照明越しの大きな人影に体が呑み込まれる自分。視界のど真ん中で居座る圧倒的存在を前に声を震わせていくその手前、大男は顔の陰影を濃くしながら訊ね続けてくる。
「失礼ですが、年齢確認を行ってもよろしいでしょうか?」
「えっと、それはご心配なく……っ。よく年齢よりも下に見られますが、これでも一応20歳を超えてて……あ、身分証明書ならこちらに」
「いや、取り出さなくていい。――
自分は思わずポカンと口を開いてしまった。
渋い声音はそのままに、どことなく軽量に感じられる気楽な調子で返答してきた大男。こちらが余所行きではない本来の声なのだろうか、目前の反応に彼はしてやったりといった具合に小気味良く微笑してくると、次にも両手を持ち上げながら広げて、取り繕ったように気の毒そうな表情で眉をひそめながら言葉を続けてくる。
「いやすまんすまん、これはまたイジり甲斐のある顔が来たもんだからよ。ちょっと
「え…………」
「あぁそんな悲しそうな顔すんなって。悪気は無かったんだ、少しだけな。あぁあぁほんのちょっぴりさ。そう、ほんのちょっぴり。……話に聞いていた以上に素直な奴だな。これは言葉を選んで話さねぇと本気で傷付けちまうかもしんねぇや」
繰り出される謝罪の言葉は軽快で、男は悪戯気味にニヤつきながらアゴ髭を擦っていく。
冗談なのか本気なのか判断ができない様子に、自分は複雑な反応を示していたことだろう。だからこそなのか、助け舟とも呼ぶべきこのタイミングで“勝気な調子に喋る女性の声”が割り込んできたものだ。
「“マスター”、その辺にしといてくれる~? カンキくんはあたしにとっても、ラミアにとっても大事なお客様なんだから、あんまり変なこと言わないであげてよ~?」
不意に現れた女性の、呆れ半分といった言葉が飛んできた。そちらの方へと自分と大男が向いていくと、店の奥からは得意げに微笑んだ表情の可愛らしい一人の女性が姿を現した。
165cmくらいの身長であり、クラブピンクの少し青みがかかったピンク色のロングウェーブヘアーをツインテールにした髪型と、夜空を映し出す海面のように深く浸透したネイビー色の瞳が印象的である彼女。ウェイ系とも言える活発的な性格が顔立ちとしてよく表れており、自信満々にかっぴらいた眼差しとカールがかかった長いまつ毛、チークを煌めかせ、ネイビー色のネイルもピカピカ光らせたその姿は実に、イケイケな現代パリピガール。
ツインテールを結ぶ藍色のリボンをチラチラと揺らし、ちょっと生意気に笑んだ口元と刹那主義的なオーラがギャル感を醸し出す。そして彼女も例外に漏れず黒色のタキシードを纏っており、ボタンを二つ外した紺色のフォーマルシャツと緩めた蝶ネクタイという服装でこちらの隣までやってくると、“マスター”と呼ぶ大男に先の言葉を投げ掛けた後、彼女はこちらの顔をヤンチャに覗き込みながら勝気な調子で喋り掛けてきた。
「やっほー、カンキくん。初めまして~」
「ど、どうも」
「ラミアと暮らしてまーす。“メー”でーす。よろ~!」
「メーさん、ですか。ご丁寧にどうも、柏島歓喜です」
「あはっ! 真面目か~! チョーウケる! 別にタメでいいって~。てか、そんなガチガチにならんくてもよくない~? あたしは年下の
一言目からカジュアルに接し始めた、メーと名乗る女性キャスト。彼女はイケイケのバリバリなカンジにギャルギャルと話しながら、カラッと微笑を見せて左隣のカウンター席に腰を掛けていく。
初対面にも関わらず、爽快に思えるほど最初から親しみ全開であるメー。気さくで好意的なギャルスマイルは非常に眩しく、そんな発光してやまない天性の煌めきで男の心を掴んでいく傍らで、メーは左肘をカウンターに乗せて頬杖をつきながらニヤニヤと勝気に言葉を続けてくる。
「モチ、お酒飲んでくっしょ~? 何にする~? 好きなモン頼んでよ。マスターがイイカンジに作ってくれっから」
「えっと……それじゃあ、ジントニックで」
「お~! いいじゃ~ん! オシャレ~! これがオトナのよゆーってやつ? やっぱデキるオトコは違うなぁ~! ……マスター! ジントニックー! あたしのお客様だから、なんかスペシャルでイイカンジにおねがーい!」
さすがは
愛嬌を武器にするラミアとは違い、親しみやすさを持ち味とするメーは、カウンターの向こうにいる大男のマスターへと呼び掛ける。彼女のそれを聞いたマスターは、「あいよ、なんかスペシャルでイイカンジなジントニックだな」と復唱してから作業に取り掛かり始めたものだ。
グラスを取り出し、ナイフで
「で~? なんかラミアとイイカンジみたいじゃ~ん? カンキくんさ、ぶっちゃけラミアのことスキっしょ? あたしこう見えてマジ空気読めっから。ラミアと二人暮らししたいなら、遠慮しないでそう言えよな?」
「俺とラミアのことを気遣ってくれてありがとう。……ラミアに同棲を切り出されてから、俺の方でも少し考えてみたんだ。その上で決めたんだよ。もし、俺が今いる環境で他にも救われる誰かがいるのなら、是非ともその人達を迎え入れたいな、ってさ」
「ほ~ん? ……ん~? つまり?」
「メーが良ければ、ラミアと一緒に来てほしい。馴染みのあるルームメイトが傍に居てくれた方が、ラミアはもっと安心できると思うから。もちろん、俺はメーも大切にする。二人が安心して毎日を過ごせるように、まぁいろいろと頑張るからさ」
「なんそれ~。今のセリフ、マジのガチで言ってる? なんか告白されてるみたいでムズ痒いんですけど」
「え?」
なんか、気分を損ねることでも言ってしまったか。
自分の発言を振り返り、瞬間的にひとり反省会を始めた自分。だが、直ぐにもメーは姿勢を下げて、意識を呼び戻すようにこちらの目を覗き込みながら勝気な視線を投げ掛けてきた。
「話に聞いてた通り、カンキくんってとにかく一直線~ってカンジの人なんだね? だって今の言葉も、本当にそう思ってくれてるから、変に恥ずかしがったりしないで言ってくれたんでしょ?」
「? その方がラミアもメーも快適に過ごしてくれるかなって思ったんだけど……」
「はいはい、おけまる~。……なるほどねぇ、こういうカンジかぁ。なんつーの、自覚が無い『お人好し』ってやつ? あは、ウケないのにウケる」
メーが一人だけ理解したように、頬杖をつきながら顔を上げていく。それから視線をカウンターへと向け、彼女はその建物の奥にある途方もない夜空を眺めるようにジィッと固まったものだから、自分は様子をうかがうように顔を覗き込んでみた。
すると、メーは大きな眼差しで目を合わせてきた。夜景を映し出す海面のように澄み渡ったネイビー色の瞳を向け、波打つように輝きを放つそれを真っ直ぐと投げ掛けながら、彼女は軽快な返事と共に煌びやかで自信満々な笑みをひとつ浮かべてみせたのである。
「オトコとルームシェアして、性欲とか恋愛とかマジで関係無い生活とか。あり得なさ過ぎて、逆にオモロ~ってカンジ? ――いいね、あたしも混ぜてよ。いい加減ドロドロした人間関係に疲れちゃったからさぁ~、たまには“おままごと”で遊びたい的な? そゆことで、ラミア共々お世話んなりまーす。よろ~」