痛み。
次に息苦しさ。
明瞭な意識が初めて感じ取ったのは、背中に当たる固い壁の感触。
「――その程度。これでわかったでしょ?」
きつく詰る声に、何とか視線を上げる。
「っ……」
痛み、息苦しさよりも、身体が上手く動かせない方が堪える。
真っ直ぐにこちらを見下ろしているのは、金色の髪をした綺麗な少女。声だけではなくその表情からも、責められているのがわかるが、視界はどうも霞んでいる。
「アタシの目に付かない所で、静かにしてて――」
怒りの中に混じる、気まずさ、後ろめたさのような何か。
「くっ……」
妙な既視感を覚える。浴びせられる言語を拾う聴覚が途切れても、その違和感だけが、暫く意識に残留し、やがて唐突に、ぷつりと途絶えた。
※
意識を取り戻す。鈍痛はなく、背中に当たるのは固い壁ではなく、柔らかいマットレス的な何か。風が撫でる野外から、室内へ運ばれたことを理解する。
「……気が付かれましたか、レクス様」
「……っ……」
平坦な声。枕元と言うには距離が離れた位置からこちらを窺う女性。
きっちりと纏められた長い黒髪、褐色の肌、現実離れしたメイド服、そして感情が欠落しているのかと思うレベルの無表情。
脳内にある知識に引っ張られた思考が、場の状況に対して明確な気付きを促していく。
「…………リタ」
「はい。傷の手当は済んでおります。何かあれば、お声掛け下さい」
呼んだ名に反応した女性は、短く応えると、背を向けて音も無く部屋を去る。おそらく、扉の横で控えているのだろう。
「……」
物が多い。それらは最低限整頓されているようだが、どうにも寛げる空間とは程遠い。
広く、豪奢な部屋。
絵画、壺、小さな像、様々な調度品、情報量が無駄に多く、きっと空間を彩る全てが高価な品々で満たされているのだろう。先程の女性のことと同様、頭が勝手に知識との擦り合わせを済ませていく。
「…………なるほど」
左方の姿見へ目を向け、ここでやっと、状況についての確信に至る。
「成り代わった……ってこと……か」
レクス・フォン・コルフォート。
それが自分の名であることを認めざるを得ない。
状態としては、全生活史健忘に酷似した何か、それに加えて、ということになるのだろう。
ソーサリーテンペランス。この世界を舞台としたゲーム、そのタイトルだ。
俺はそのゲームの知識を余すことなく有している。きっと、恐ろしいまでにやり込んだのだろう。その過程はピンとこないが、結果として得た情報はスムーズに想起される。
「……つまり」
さっき俺をボコしたのは金髪なのに和風な名前で物議をかもした人気キャラ、四条水仙で間違いない。何より外見や口調、レクスをボコすという行動まで違和感なく一致する。
「………………よし」
差し当たって、まずは一通り絶望しておこう。
話はそれからだ。
で。
「どう考えても大爆死だろ……」
両手で顔を覆う。
やってみると、意外と思考は落ち着く方向へと流れていく。
レクス・フォン・コルフォート、何故お前なんだ。主人公のカナト、悪落ちしない限りは万能キャラのアルフェンなんて贅沢は言わない。むしろモブキャラでいい。世界の命運は主要キャラに任せて魔法学園生活をエンジョイするルートが実は最も幸福度が高いという説もある。
でもなレクス、お前は駄目だ。
何が駄目って、もう高校入学の時点で既に死後は地獄直行が確定していると言っても過言ではない程に引き返せないカルマを重ねに重ね、クズの道をトロコンしてしまっているからだ。
「好きなもの、差別と迫害。嫌いなもの、努力と友情。趣味は弱いものいじめ」
貴族の本分、ノブリスオブリージュから背を向け、そのど真ん中を突っ走ってきたかのような幼児期、学童期、思春期前期。
首にしたメイドは二桁、実の妹には一生癒えない心的外傷を与えて尚いびり倒し続け、自分より魔力が低い学友でいじめていない者は皆無。家の金を湯水のように無駄遣い、守るべき領民を同じ人間とは思っておらず、同類のようにクズな両親のことも内心では見下している。
「十数年熟成された恨みは、当事者達からしたらもう死んでも許されんだろ……」
描写はされていないが、レクスの自己中が原因で命を落とした者も一人や二人ではないだろう。生まれてまもなくは良い子だったとか、こうなってしまったのには泣くレベルの理由があるとか、そんなレクス君にも唯一の理解者がとか。
「んなものは存在しないし、そもそもストーリー的には全然重要なキャラじゃない……」
正直、クズの一言で完結してるのでそれ以上誰も掘り下げようとしない、というのが実際の所であろう。ナチュラルボーンクズだから基本同情すらされず、自業自得と揶揄されるのが通常、そんな感じで生まれてしまったことを憐れまれるのが最大だ。
「そしてトドメが、その強固過ぎる死亡フラグ……」
結論から言うと、オールルート死亡。彼が生きたまま学園を卒業できる世界線は、存在しない。そして当然、レクスの死は周囲から前向きに受け取られ、半分のルートでは妹に、もう半分では先程のメイドに殺されるという末路を辿る。
ちなみにコルフォート陣営でまともと捉えられる範疇に属するのは後に殺人を犯すこの二名のみ。
「つーかコルフォートて……」
コンビニ菓子みたいな名前しやがって。
「いや……」
名前にまでケチを付け出したら止まらん。もうそろそろ絶望するシークエンスからの脱却を図りたい。
「うむ……」
テンプレートな最優先事項として挙げられるのは、やはり約束された死を回避することか。
「そうだ。とは言っても、既に救いが無さ過ぎる……」
客観的に見て早々に死んだ方が世のためであることも否めない。ただ、死んだら元の世界へ帰れる説を試すのはさすがに諦めが過ぎる。
「…………とりあえずの行動指針を決めるべきだな」
今あるのは前いたと思われる世界の知識と、この世界の知識のみ。
「となると……」
まずはやはりこの世界での生存を目標とするしかない。目指すべき帰る先も曖昧な訳だし。
「最も確率が高いと思われる生存戦略は……」
言わずもがな、周囲の人間との関係改善だろう。
「…………まぁ無理ゲーだな」
重ねて、あらゆる意味で救いがない。俺自身、プレーヤー目線で見れば俺の死は仕方のないことだと捉えているし、周囲も俺の死を望んでいる。感覚としては、没落一直線のコルフォート家を救うこと以上に俺の生存は厳しいように思える。
「……」
それでも頑張って、近しい者で考えてみる。
両親は既に詰んでいるので終了。
次に、妹。
「…………無理だな」
我ながら結構考えた。その上で不可能という結論に至る。
殴る、蹴る、投げる、極める、手を差し伸べるべき時に無視する、一度希望を与えて裏切る、大切にしている物を奪う、壊す、絆を深めつつある友人との仲を裂く、リタという唯一の理解者を遠ざけて自分の専属メイドにする、自身の失態を全て押し付ける、両親から金を無心する際の理由に使う、褒めるべき成功を嘲笑い、慰めるべき失敗を嬉々として追及する。
「こんなん数え役満やん……」
土下座して許しを乞うにしても、覚醒か闇落ちで殺しに来るような彼女の状態も含めて、もはや許されるべきではないと普通に思ってしまう。
「次は……」
現在も扉の前でしっかりと業務と向き合っているメイドの鑑、リタ。
「いや無理やね」
即答である。
そもそも彼女がコルフォート家に残っているのは妹のトリシャがいるからであり、トリシャを迫害し続けている俺への恨みは既にK点を大きく超えて着地困難な状態だ。二十年近く日陰で耐え忍んできた彼女から許されることも、何か違うように思えてしまう。
トリシャとリタが抱える俺への恨みは彼女らにとって身体の一部といってもよい位に染み付き、一生モノの呪いと化しているはず。確かトリシャが闇落ちするルートではリタが俺の死体を野犬に食わせるみたいなエピソードがあったが、結構な数のユーザーはそんなものを食わされる野犬に同情していた気がする。
「となると……」
家族関係全滅ということで、舞台は学園の友へと移る。
「筆頭は…………」
何と、いない。
考えてみれば、俺と良好な関係と言える人間はこの世界には存在しない。
立場的には仲間と呼称できる学園生徒会の人間も全滅、各学年のモブキャラの皆様からは関わりになりたくない人物総合第一位に君臨、コルフォート家嫡男の悪評は王都からその近郊に至るまで広く知れ渡っている。
「こりゃもう、世捨て人となって旅に出るか……」
冗談のように呟いたが、それが一番だという結論に至る。少なくとも、近い未来で自分を殺害する人物と寝食を共にしている現状からは遠ざかることができる。
「目指すはワールドマップの端……か」
おまけとしては、自分は事故死したことにして出立できれば安全度は高まるだろう。
「…………あ」
っていうか、今っていつなん?
「それ最初にやるべきだろ……」
とりあえず無駄に豪華なベットから脱出する。そして、さすがはゲーム世界、学園制服のまま寝かされていたらしい。リタよ、それでいいのかメイドの鑑。
「……」
景観の中心はバリバリの西洋なのに、魔法属性は東洋の五行、木火土金水をベースにしているというテキトーな世界考証。それでもさすがにスマホはない。
「でもカレンダーないのヤバくね?」
古のたばこ屋にもあるものだぞ。
「…………よし、リタっ」
「……はい」
凄い。ちょっと声を張っただけで扉から登場する。世が江戸ならくノ一であっただろうに。
「学園の行事は把握しているか?」
「はい」
話す言葉は最低限。彼女のささやかな反抗である。瞳の奥に燃える殺意は中々のものだ。
「最も近い、大きな行事は何だ?」
「……大きな、というのが少々不明瞭ですが、来週末の探索遠征かと」
「なるほど……うん?」
物語的には終盤。というより、それだともう俺死んでないとおかしいけど。
「何か?」
この質問自体が違和感だったのだろう。リタが、不審そうにやや首を傾げている。
「…………トリシャの……入学準備は?」
「……滞りなく」
「……」
うわやっべメッチャキレてるこの人。
トリシャ、妹について言及するのは地雷だったか。きっと俺が何か入学へ向けて妨害してくると思ったに違いない。
「ならいい。下がってくれ」
「……はい」
メイドは機械のように頭を下げ、退室する。
「物語開始前か……」
季節は秋。主人公とメインヒロインは少し離れた中等部の方で平和な時間を過ごしていることだろう。そういえば、同じく中等部のトリシャとは二人共今は疎遠らしい。なぜあの陽キャコンビは万年儚げ美人のトリシャに手を差し伸べないのだろう。きっと、ストーリー上の都合なんだろうが。
「一番早い死亡は……」
わかりやすく言えば現在は十月中旬。後五か月程で主人公は学園に入学、世界は混沌へと向かっていき、クライマックスは来年末。
このゲームはギャルゲーとRPGを足したもので、キャラデザと妙に多い分岐ルートで人気を博した。簡単に言えば、主人公が仲を深めたヒロインによって世界の行く末が翻弄されるという、他の全人類からしたら堪ったものではない歪な世界なのである。
そして俺の死は物語の序盤の終わり、もしくは中盤の最初、季節的には夏。さっきボコられた隠しヒロイン扱いの水仙ルートだと梅雨前に死ぬ、それが最速だ。
「そういえば……」
その金髪ツンデレの水仙は、唯一俺の死に対して同情的な姿勢だった。まぁそれは、彼女が優し過ぎるっていう話なのだが。実際、混じり気なく滅茶苦茶嫌ってるし。
「結局、関係改善は無理だな……」
彼女はルートに入れば作中最強な上に、学園の高嶺の花、超絶な人気者だ。家柄とコネ全開で副会長になったレクスとは違い、実力でそのもう一つの席を勝ち取っている。つまり、関わるのはリスクしかない。
「……しんどいな」
どうにも前向きな未来が見えない。
プレイアブルキャラではないため、細かい戦力分析は困難だが、それでも俺が弱いことは迷いなく断定できる。
「せめて終盤の中ボスなら……」
敵キャラとしての登場機会も主人公のカナトにボコされる四月の一回のみ。ちょっと固いだけで特に何の脅威も感じない相手だった。才能に胡坐をかいたみたいな話でもなく、ただ家柄のみでイキリ散らしてきたクズ。
無理やりランキング化すれば、ゲーム中で最も成り代わりたくないキャラとしてはトップを狙える位置にいるのは間違いない。長所は、一応人の形をしていること、位だろうか。敵に利用されて魔物化して主人公達の前に立ち塞がる、というかませの華的な役目も与えられず、つまりは敵からも利用価値なしと見放されているのが俺。
「かませとしても及第点未満……」
おぉ神よ。
「……レクス様、お食事の準備が整いました」
「っ……」
神への嘆きは、従者の言葉で中断される。
まぁとにかく飯だ。食うに困る奴隷でなかったことに感謝するべきかもしれない。
「……」
「……」
屋敷なのか宮殿なのか、何処かの世界遺産みたいな建物内はとても広い。終始無言で先導してくれるリタがいなかったら迷子になっても不思議ではない。どうでもいいが、主の前を歩くとは、的なことを言って蹴りを入れそうなキャラなんだが、そうした方がいいのか、もちろん無駄なことはしない。
全てが豪奢な内装に内心で辟易としながらこれまた豪奢な階段を下り、自室が二階であったことを思い出し、広い食堂に到着、引かれた椅子に座る。
「っ…………」
向かいに座るのは自身と同じ青い髪の少女、妹のトリシャ。こちらを直視することもできずに俯き、震えている。中々に衝撃的なファーストコンタクトだった。
「――では、食事にするとしよう」
当主の音頭で夕食が開始される。
俺とトリシャが腰掛けているのは入ってきた扉近く、テーブルの向かって左端の席。そこから大分離れた誕生席に座るのが我が父、コルフォート十四世、本名は知らん。数多の情報の中でも覚えるに値しないものの一つであったのだろう。
ちなみにその右隣に座るのが母上のグロリアさん。近視の人なら表情を読み取るのは不可能と思われる程の距離、とは言っても、心の距離に比べればそれでも大分近いのかもしれない。それより、この馬鹿細長いテーブルって何処で取り扱ってんの。
「……」
蒸した野菜を中心とした前菜、やや固めなパンにボリュームが心許ない肉料理、味は普通に美味い、でも場の雰囲気によって全てが台無しとなっている。
声のデカい両親の話題は終始、弱小貴族に対する嫌がらせの成果について。対面のトリシャは震えで肉をポロポロ落とし、その度に後ろのメイドさんに気遣われている。手が出せない後方のリタも、きっと心を痛めているのだろう。もちろん、元凶はオール俺。
「――レクス」
悪口と陰口に区切りがついたのか、父上が名前を呼ぶ。まだその名前にはピンと来ない。
「はい」
箸とかありませんか? と聞きたくなるのを堪えていたら、もう完食してしまったようだ。
「私達は週末、王宮に招かれている。明日は夕食を共にできぬが、何かあればリタに伝えるように」
「わかりました」
週末。所で今日って何曜日に当たるのか。っていうかご両親、愛娘が一生震えながら飯を食ってるんですが、そこについて何か言及はないのでしょうか。まぁ元凶が何を思うって話なんだが。
「……」
両親は席を立ち、食堂を後にする。やはり、両親はトリシャを疎ましく思っているらしい。理由はまぁ、俺がずっと迫害を続けてきたのと同じように、特にないのだろう。
とりあえず、俺がいると永遠に妹の食事が終わらないということで、こちらも自室へと引き返すことにした。席を立ち、扉へ引き返すと、リタがさり気ないレベルで頻りに不審な目を向けてくるが、妹をいじめない兄が非常に珍しいのだろう。とりあえず、まだ自室の場所がはっきり固まってないので、案内お願いします。
「…………帰りがいつになるか、聞いているのか?」
「……三日後の夜、と伺っております」
足を止めて振り返って、しっかりとこちらの目を見て話すリタ。憎んでいる相手に仕事とはいえ延々と尽くすのがどれ程何かを擦り減らすことなのか。さすがにこれはヤバ過ぎるな。
「……」
とにかく、家の中の状況は最低限、肌で感じることはできた。そしてどうやら今日は木曜、明日は学園で情報を収集し、両親不在という週末に今後の指針を固めたい所だ。
それ以外にすることがないと、随分とそれに集中できるものだと妙な学びを得て、成り代わり初日は過ぎていった。