「ゥオブエェェェェェェェッ! ブッ! ゴッェ……」
「オゥマイ……」
端的に状況を説明すれば、大声を上げたカルシェラは痙攣し、たった今嘔吐した。一度大量に吐き、その後残った少量の吐瀉物が開いた口から漏れ落ちた。すぐに胃液特有の酸っぱい刺激臭が立ち込めてくる。
そして一つ残念な点について言及すれば、それらは全て仰向けに寝かされているアルフェンの顔を中心に投下された。もちろん、狙ったのではなく、そこにアルフェンの顔面があったと言った方が正しいだろう。
「…………」
どうやら、カルシェラの精神はホライゾンの彼方を超えた先、つまりは、逝ってしまったらしい。少なくともその瞳は、虚ろな目という概念を体現しているように見える。
「――ちょっ!? な、何で……カルシェラ?」
ドラゴンの挙動に気を配っていた水仙も、さすがにこちらを向かざるを得ない様子。
「……水仙、迷っている時間はない。選べ」
「えっ? 何を?」
「アルフェンの顔を拭い、口移しでポーションを飲ませれば、俺らはもうドラゴンに殴られなくても済むかもしれん。どうする? このまま前衛に戻るか、そこに置かれたポーションを取るのか」
「っ……き、緊急事態、でしょ? アンタは……どうなのよ?」
本当にもう、汚れ役の真ん中を行く道は捨てたのか、水仙は責任を分散させてくる。
「俺なら……前衛に戻る。だがそれこそ、俺が勝手に決めることではないだろ。吐瀉物塗れだとしても、アルフェンはイケメンだ。カルシェラは好みが特殊なようだが、普通ならそこまで抵抗はないはずだ。そもそもこれはキスではなく、医療行為に近い」
ヤバい。そろそろ序二段先生が次の行動を開始してしまう。
「戻りましょう」
まさかの即答。しかも、その顔に迷いは全く見られない。
だが、それならそれでもうどうしようもない。しかも、改めて考えてみれば、ここにいる女は全てカナトが理想のタイプなのだろう。滅茶苦茶イケメンでスペックも高いのに、何故かメインの女子キャラからは見向きもされない。これもゲームあるあるだ。
一瞬声を掛けようかと思ったが、未だ小さな声で念仏のように謝罪とアルフェンの容姿が好みではないことについての弁明を繰り返すカルシェラに戦慄した俺は、置いてあるポーションを掻っ攫って後衛に背を向ける。
「――っ!」
勢いよく最前衛へと走った水仙が、ダイレクトアタックで前衛へと吹き飛ばされる。そして俺もまたダイレクトでその身を受け止め、ポーションを飲ませる。そして残念なことに、俺はその衝撃で胸部と腹部を軽く負傷したっぽい。
「――フゥ……っ……この瓶、何だか臭うんだけど……」
「気のせいだ。これを……」
次回用のポーションを握らせ、交代で前へ出る。
「何でアンタ、既にふらついてんのよ?」
その質問には、気まず過ぎて答えられない。今はただ、誤魔化すために早く殴られたい。
「――ゲラッ、ハッ!」
そして俺達は、再びブラックな職場のシフトへと戻った。
人間は高い順応力を有する。その性質は、繁栄には欠かせないファクターだったと聞く。
瀕死の重傷を負い、巻き戻すように傷を修復し、また負い修復する。そんな、文字通りの生死の境を彷徨うような体験にすら慣れてきた俺は、何故だか妙にスッキリとした思考の没入へと誘われていた。
今日的な視点で見れば、この戦闘を避けることはやはり困難であったと振り返ることができる。俺からすればその元凶となったのはアルフェンだが、先程の不幸も含め、既に彼を責める感情はない。逆に、申し訳なかったとも思っている。
故に、後悔するのは止めよう。ただ、ポーション大量消費の件についてだけは、どうにもならないので、まだ少しぐだぐだするのをどうか許してほしい。
ということで前を向いて思考を再開すると、既にストーリーの改変は避けられないだろう。
今後の展開予想は後に回すとして、違和感は二つ。
一つ目は水仙。
八方美人引退発言が本気であれば、これもまた今後の展開を大きく変えることは決定的だと考えられる。その辺の心境の変化については、後で対話の機会を持つことが推奨される。
ただ、共に地獄を歩いた身としては、確かに色々と考え方が変わっても不自然ではない体験をしたとも言える。実際、不慮の事故で半死半生を経験した人間が、回復後に生き方を大きく変える例は多いと聞く。これも、それに該当するのかもしれない。
二つ目はカルシェラ。
先程見た通り、彼女の心はリミットブレイクしたようだが、本編においてカルシェラが叫ぶシーンはない。公式、非公式を含めたアンソロを見渡しても、そのような場面はなかったように記憶している。
我が妹程ではないが、幼少から虐げられてきた彼女は、その身にトラウマを抱え、それら心的外傷は、当人の性格や言動に大きな影響を与えているのは間違いない。
今し方の出来事は完全なる人災であるのだが、カルシェラにおいても、原作とは異なる方向へと進んでしまう可能性は考慮すべきかもしれない。
そもそも、これらはゲームをしていればよく思うことの一つだった。
ほんの少し何かがズレれば仲間になっていた者、逆に敵対していた者、助かった者、死んでしまった者、というより、この話は普通に現実世界でも適応できる摂理であろう。セーブとロードの叶わない現状なら、尚更だ。
「ハァ……」
当座の結論としては、前途多難ということになるのかもしれない。
「――ひでぶっ!? ぐっはっ!」
右打ちかと思ったら左打ちで来られ、少々の驚きと共に後方へと吹き飛ばされるが、大した過程の差ではない。
「んぐっ……んっ……ん……フゥ……うん? どうした?」
既に数えることを止めたHP回復、そこで、子気味良いテンポで介助を行ってくれていた水仙の動きが止まる。
「………………」
フリーズしたパツ金の視線に倣うと、使い古したズタ袋といい勝負ができる程にボロボロなドラゴンが、その身を淡く輝かせて弾け飛んで消える。中ボスらしい、中途半端に豪華な演出だった。
つまり、俺はもうあのブラックな最前衛に行かなくてもいいということか。
「……やっと終わったか……」
嬉しさも感動もない。あるのは喪失感と、あやふやになってしまった時間感覚だけだ。
「………………」
目を見開いたまま停止する顔に手をブンブンするが、反応はない。ショック死したのかもしれないが、彼女はとりあえず一旦捨て置くこととする。
「――ねぇ」
「えっ?」
無感情のまま寄ってきたラトーラ。
この世界において、ドラゴン殺害はミレニアム懸賞問題を解くレベルの偉業なはずだが、彼女にとってはどうでもよいことだと見える。どうやらこの人は、他の面子とは違いブレずに我が道を進んでくれそうだ。そういう意味では安心できるし、好感も持てる。
「アレ、どうするの?」
「……」
わかってはいた。
後衛に置き去りの二人。一人は戦闘不能、もう一人は精神が不能。許されるなら、埋めて帰りたい。
「いや、もはや後10分、20分放っておいても変わらん。先に、今後の根回しについて話がしたい。んだけど、水仙もショック症状中なんだよなぁ……」
「……」
ラトーラは水仙を一瞥するが、すぐに興味を失ったのか、手にあるマジックポーションの空瓶を凝視している。まぁわかりやすくはある。
「……」
「……」
そして、何も聞いてこない。コミュニケーション不全なのか、自発的に聞く程でもないのか、作中でもそうだったが、異様な程の台詞の少なさは健在だった。
「――ねぇ?」
「うん?」
その呼び掛け方多くね?
今度は逆サイ、やっと再起動が完了した水仙さん。
「私達……ドラゴンを、倒したのよね?」
「俺ら二人がいなかったらラトーラも死んでた訳だし、事実上三人で倒したって言っても間違いではないだろう」
それでも、俺ら二人は一生殴られてただけ。だから全く倒した感はない。今の気持ちを言語化するなら、ありがとう金返せ。
「………………えっ? 何で、二人共そんなに静かなの? 私達、ドラゴンを倒したんだよ? そもそも、ここにドラゴンがいたこと自体が大発見なのに……えぇっ!? ちょっと何で――っ!?」
「――待て、落ち着け」
騒ぎ出しそうな気配を察知し、出鼻を挫いて遮る。そんなターンは要らんのだ。
「これからのことを説明する。ラトーラも聞いてくれ。別に発言は求めないから」
「……」
無口無表情により全く気持ちがわからんが、伝わったものとしておく。
「本音を言えば、全てなかったことにして去りたいが、アルフェンがはっきりと序っ……ドラゴンを目撃してしまっていることから、それは難しいと考えられる。そこで、ドラゴンはラトーラが単独で撃破したことにする。ここまではいいか?」
「はっ!? 何でよっ!? 今アンタが言ったんじゃないっ!? アタシ達がいなかったら無理だったって。なのに何でラトーラ単独になる訳っ!?」
やはり落ち着けなかった四条水仙。想定内だが、こっちの事情を全て伝える訳にもいかない。
「わかったわかった叫ぶな……じゃあ、水仙が死力を尽くしてドラゴンの攻撃に耐え、ラトーラの超絶チート魔法で倒したって筋書きでいこう」
「いやだからっ!? アンタは……どうなんのよ?」
「そうだな……俺はドラゴンに吹っ飛ばされたアルフェンを見て、動悸、震え、痙攣の後、嘔吐して失禁して脱糞して気絶していたということで頼む。実際、カルシェラがゲェしてる訳だし、非現実的な話ではない」
「非現実って、汚いし酷過ぎるでしょ……それにアンタ、ドラゴンに対して全くビビッてなかったじゃないっ! 何でそんな訳わかんない作り話を用意する必要があんのよっ!?」
「……このポーションでしょ?」
「えっ?」
ラトーラのカットインに、驚く水仙。実は、俺もそこそこ驚いた。
「貴女、エム……魔力を完全に回復させる薬なんて、聞いたことある?」
「っ……確かに、このポーションも……」
あぁ、ポーションの話題止めてほしいなぁ。テンション下がるし、お腹のタップンタップンが意識下で強調されてしまうではないか。
「じゃあ……アンタは、このポーションの存在を隠すために、自分は何もしなかったことにしたい……そういうこと?」
「……そうだ」
ちょっと違うけど、もうそれでいいや。少なくとも、ラトーラはその路線で口封じできそうだし、水仙は後でどうにでもなりそうな気がしてならないし。
「……もう戻っていい?」
無口無感情無表情、そしてマイペース。美人じゃなかったら絶対成立しない言動だ。いや、別に成立はするわ。
「いや、頼む。これは本当に頼む……水魔力でアルフェンを洗ってから去ってくれ。マジで頼む……」
現状、これだけはどうしても頼みたい。もし断られたら水仙の魔力で二人共埋めて帰ろうと思った。
「…………わかった」
「――っ!?」
俺の全細胞が、歓喜に包まれる。
銀髪の美少女は、近付くこともなくロングレンジで球体に固定された巨大な水を、無慈悲に二人へとぶっかけ、言葉通りに去って行く。出来れば、階層を逆走して戻りたかったが、既にボスを倒してしまっているし、無駄だと思って諦めた。
「……よし、さすがに俺がアルフェンを運ぶから、水仙はカルシェラを頼む」
「っ……そうね。まずは、会長を教会に連れてかなきゃ……」
水の巻き添えになったからではなく、その前に力尽きて倒れたのだろう。カルシェラは何故かアルフェンから少し離れて転がっている。実は苦手だったのだろうか。そういう描写はなかったと思うのだが。
「……水で流されたとは言え、中々の臭いだな……あ、水仙って『ギフトヒール』使えるよな? アレって、消臭効果もあるんじゃないか?」
ほぼ使用機会はないが、毒を治癒する魔法だ。毒は放っとく麻痺は秒で治す。これが本作の鉄則。
「……使えない……」
びしょびしょのカルシェラを背負いながら、平坦な声で水仙は答えた。
「…………あ、そっか」
コイツ使えねぇ、という本音は置き、同じくびしょびしょ+そこそこ臭いイケメンを背負う。
「っ……今、コイツ使えねぇ……とか思ったでしょ?」
その言葉は疑問形でありながら、何処か確信を含んだ声だった。
「…………思う訳ないだろ。俺だって使えんし」
「絶対思ってたっ! さっきの戦闘中だってそう思ってたでしょっ!? コイツもう肉壁にするしかねぇって思ったんでしょっ!? っていうか実際そう呟いてたしっ!」
カルシェラのように変なトラウマを植え付けられなくて結構なことだが、少々不穏な方へと吹っ切れた感のある水仙。どうしたものか。
「いやもう……ここで喧嘩は止めようって……一緒にボコされ続けた仲だろ? そもそも、っていうより逆にさ、戦闘系の魔法、何が使えんの? 俺をボコす時に使ってたのが多分『アリアン・フィールド』だろ? 後は何? もしかして『ピット・フォール』とか?」
前者は雑魚敵にも使わない弱々全体攻撃魔法、後者は有効な敵がほぼ存在しない設置トラップ魔法。これは、隊列変更してくる敵が少ないことによる戦力外魔法。敵がいる位置に唱えても効果がない、妙にリアリティのある落とし穴。
「っ…………その、二つだけ……」
「…………」
この後も、何か色々と言われたり叫ばれたりした気がするものの、俺は黙々と転移ゲートを目指して歩いた。途中で気付いたが、アルフェンの剣を置いてきてしまった。許してくれ。
心は傷付いたが身体は無傷で馬車まで戻ると、ラトーラは既に別経路で塔を離れた後だった。おそらく、この悪臭と同乗するのを避けたと考えられる。ただ、諸々の手配や事情の説明は水仙がテキパキとしてくれたため、それは普通に助かった。
だがしかし、様々な不安を抱えながら帰還して二日後。
「――よって、第66代生徒会の諸君に、空位であった勇者の称号を与えるっ」
「いやそれ一年早いんよ……」
しかも、主人公不在。
アルフェン、水仙、ラトーラ、カルシェラ、レクス(俺)の五人は、王城に招かれ、王様の長い長い話の後、トドメにそう言い渡された。
察するに、原作を大きく外れてしまったらしい。
まぁ考えてみれば、あんなクソシナリオはどうでもいいし、ここからはガンガンに荒らし散らしてやるのも悪くないかもしれない。
俺は既に、そう考え始めていた。