一歩目の右足が教室のタイルに触れた瞬間、周囲のざわつきは止む。
「……」
教鞭を振るう初老男性も含め、魔法を受けたようにストップした面々を、一度ゆっくりと見渡し、既に場を吞んでいることを確認、わざと緩慢に歩みを進めると、海が割れて道が出来る神話のように生徒達は机を動かし、花道が俺を教壇へと導く。
「っ……」
若干申し訳ないが、窓側へと退いた教員に軽く会釈し、俺は少し上から生徒達を見下ろす。一応追従してくれた水仙は予想通りの呆れ顔だが、今は捨て置くこととする。
「私はレクス・フォン・コルフォート。まもなくコルフォート家当主の座を継ぎ、同時に領主となることは、もう耳にしている者も多いだろう。だが、本日この場を訪れたのは、コルフォート家次期当主として……ではない」
一度言葉を止めると、傾注している生徒達の一部からどよめきが漏れる。意中の二人においても、他の生徒同様のリアクションであることを何となく確認した後で、話を続ける。また詮無きことだが、こう見るとリースの容姿の良さが群を抜いて際立っている。
「これも知っての通り、先日、我々学園の生徒会は、王より勇者の称号を賜った……端的に言おう。このクラスの中から二名、勇者の仲間として共に、試練に挑んでもらう……尚、この決定は王命と同等の拘束力を伴う」
より一層ざわつく教室内。ただ、最もリアクションがデカかったのは意外にも、窓枠に肘をぶつけて悶絶している初老教員だった。その意外な絵面により、教室内が再び静まり返る。これは非常に都合がよろしい。
「――その二名とは……カナト、リース……キミ達だ」
「「――っ!?」」
前の者は振り返り、後の者は息を呑む。
「え……う、嘘……何で、カナトが……」
「っ……あ、ほ、本当に、俺なんかで、いいんですかっ?」
「へぇ……」
カナトの声、結構高いんだな。当然、リースは普通に聞き慣れている。アニメ化された場合あるあるだが、ちょっとイメージと違った。まぁ別に文句はない。
「ねぇ……あの子が主人公? この教室ではそうでも、別に黒髪は珍しくもないし……その、そういう感じしないんだけど?」
「いや……うーん……」
そう言われれば、ではある。
「違う違う。えっと……カナト。キミは剣による近接戦闘において、学年で最も秀でていると聞いたが?」
イイヤツな感じは全身から漂うも、熱血なオーラはほぼほぼ皆無。とは言え、主人公とはある意味、没個性であるべきとも言うではないか。
「え……あの……い、いえ……俺……あ、いえっ、私は、そこまで……」
「――あ、あのっ、レクス様っ……彼の剣の腕は、このクラスの中でも下から数えた方が早い程です……その……何かの、間違いでは……」
「えっ!?」
おいおいおいおいおいおいおいおい。ちょっと待て。
「いや……そんなはずは……えっと、二人は、幼馴染?」
「っ、は、はい……一応、子どもの頃からの知り合いです……」
「付き、合ってるとか?」
「えっ? いえ、付き合ってはおりません……」
赤面することもなく、超絶フラットな否定。その様子は、カナトも同様。
おかしい。その言動において、リースは開幕で既にカナトへの好感度マックスなはずなのだが。
「…………」
「…………」
「…………」
「……ちょっと。どうすんのよ?」
困ってしまってな俺と主人公と幼馴染、ジト目を向けてくる水仙。
「っ、いや、なるほど。またしてもバタフライエフェクトか、面倒なヤツだ。カナト、前へ」
こうなったら、この場で彼を覚醒させる他あるまい。
「っ、はい……」
自信無さげに席を立つ主人公、不安そうな幼馴染。
「水仙、手を」
「はっ?」
何故か余所行きモードへ切り替える気のない水仙さん。何だか俺も馬鹿らしくなってくるではないか。
「カナト。まずは水仙と握手してみてくれ」
「えっ? 四条……水仙、様、と……いいんですか?」
「もちろんだ。というか、そうしないと話が進まん」
「っ……あ、あの……よろしく、お願いします……」
「……えぇ、こちらこそ、よろしく……」
カナトには優しく微笑む水仙。二人は教壇の上で握手を交わす。
「では、カナト。思い切り水仙の手を握ってみてくれ」
「……」
「えぇっ!? い、いいん……ですか?」
「あぁ。もし水仙がキツそうだったら、力を緩めてくれ。よしっ、スタートっ」
色々面倒臭いので柏手を一発。強制執行モードをオンへ。
「っ……はあぁぁぁ……っ!」
「…………」
「…………どう、すか?」
渾身の力で手を握り締めるカナト君に対し、ノーリアクションを貫く水仙。そして、この膠着に最も耐えられなかったのは俺だった。
「っ……どう? って言われても、そもそもコレって何がしたい訳?」
「え……そんな……」
平然としている金髪美少女に驚く主人公。その一方でどうにも思い通りに事が進まない俺サイド。心配そうな視線を送るリースの存在もまぁまぁ気まずい。
「よし、カナト。もし水仙から余裕を奪えたら、100万ガバチョを進呈しよう」
「――えぇっ!? 本当です――ぐああぁぁっ!?」
「――あ……」
「えっ? ちょ……」
水仙が手を離すと、その手を押さえて倒れ込み、悶絶する黒髪の少年。ちなみに俺目線では、水仙が軽く手を握り返すと、骨が砕けたようなヤバめな音が教室内に響き、今に至る。
「アンタが100万とか言い出すから……」
「いやいやいや、カナト君っ、こっちに来なさいっ」
脂汗を浮かべながら呻くカナトを引っ張って何とか教室の外へと連れ出し、キャビネットからポーションを掴み上げてやや強引に飲ませる。
「――うっ!? あ……あれ? い、痛くない……」
「どうやら、悪い夢を見ていたようだな……」
「っ、レクス、様……あ……そっか……悪い、夢、か……」
「あぁ、とにかくもう大丈夫だ。今し方、夢で見たことは忘れてしまえ」
「あ、はい……」
さっきまで放送NGなレベルで砕けていた右手を取り、立たせてそのまま教室内へカムバックする。
「っ……あの、大丈夫、なんですか? その、凄い音が……」
悶絶したカナトに対し、リースの心配の度合はちょっとした友人へ向けるレベルに見える。俺の知っている二人の関係性なら、そもそも教室から離脱する前に全速力で駆け寄ってくるはずなのだが。
「あぁ、何か、悪い夢を見てたみたいだ」
「えっ? そんな訳なくない……」
両者共に、その人格まで違う訳ではないが、どうやら今ここにおいてはこういう感じらしい。
「はいはいはい二人共、一旦席に戻って落ち着こう」
論より証拠。目の前で起こる現実に対し、俺は観念しながら教員ポジへと戻る。水仙はポーション使う必要あったの、的な目でこちらを見ているが、己の怪力を自覚していないゴリラはとりあえず自然のままに。
「さて………………カナト。もしかしてお前、あんまり強くない?」
「っ、あ……はい、すいません……」
「あ、あの、最初からそう説明していたつもり……だったんですけど……あの……申し訳ありません……」
「少なくとも、私にはちゃんと通じてたわよ」
「うーむ………………っ……」
勇者の称号、退学後の動きに引っ張られたかのような生徒会面子のサブクエ受注、何より試練を直接与えられたのは俺と水仙。これはもう、立場的には完全に主人公のそれである。
一方で、カナトからはやや熱血が抜け、元のイイヤツ成分だけが残ったような塩梅に仕上がっている。何よりリースと水仙がほぼほぼ関心を向けていないことが、この仮説を後押ししているように感じてならない。
「主人公補正が……ない」
馬鹿馬鹿しい話だが、現状ではそうとしか思えないし、違っていたとしてもそう片付けるしかないまであったりする。
主人公補正。物語の主人公であるが故に得るチート要素の一つ。代表的なのは主人公が死ぬと話が終わるので絶対に死なない、が挙げられるが、そこを逆手に取って死んだりするので絶対ではないし、ホントに死んだままならそいつは主人公ではない。
無論、そもそもそんなものはないと言われればそれまでだが、この概念を提唱することにより納得できる現象が、創作物の世界では後を絶たない。
他は全員死んでるのに生き残る、ピンチになると普段の兆倍強くなる、あり得ないタイミングで援軍が到着する、実は辿ると最強の血筋だったりする、本人からしたら地獄なレベルでフラグが立ちまくる、何やかんやで最後は絶対勝利する、などなど。
「いや、でも俺別に補正乗ってる感じしないんだけど……」
やはり、そもそもそんなものはないのかもしれない。
「さっきから何一人でブツブツ言ってんのよ……」
「っ……そうだな。涙で前が見えんが、それでも我々は前へと進み続けるしかない……」
「いやだから何言ってんのよ……」
また始まった、という水仙の呆れ顔に、何故か元気と覚悟を貰う。多分錯覚。
「よし……神託に一部誤りがあったようだ……非常に残念なことだが、神託は神託……リース、キミには俺と水仙に同行してもらう。重ねて、これは王命に相当する。申し訳ないが、拒否は許されない……」
言い終わってから思ったが、完全に人攫いの所業ではある。
「っ……はい。私で良ければ、喜んで……」
そしてイイ子。戦力的優先度は彼女の方が格段に上な訳で、もうそれだけでよしとしよう。
「ただ……シャンティエーカ領は地味に遠いな……うーん……ちなみに、カナトと二人で馬に乗って通学……している?」
「え……」
「あ、いえ。確かに、家は近いですが、一緒に行くことはありません」
今のリアクションで完全確定。両者の間に赤い矢印は存在しない。
「……席、隣なのに?」
「これは、くじ引きで……」
「アンタは何でこの二人をそんなにくっ付けたいのよ……」
もちろん、それがあるべき姿であるからだと叫びたい所だが、共感してもらえる他者はこの世界に存在しない。
結局、それ以上粘る訳にもいかず、俺と水仙は新たな仲間を加え、教室を後にする流れに。そして、級友に勇者メンバーが誕生したことを喜ぶ一個下の少年少女達は、我々を温かく送り出してくれる様子。ただその輪に本来の主人公が加わっている光景が、何だか無性に哀しい。
「……カナト」
「あ、はい……」
俺は最後に振り返る。それがただの悪足搔きであったとしても。
「もし、不思議な力に目覚めたり、剣に力が込められるようになったりしたら、コルフォートの屋敷を訪ねるんだ」
「えっ? あ……は、はい……」
何という望み薄な返答の雰囲気。
「っ……剣に? 力を込める…………そんなことが可能なんですか?」
「さぁ? でも、私達が気にすることじゃないから、安心して」
先に廊下へ出ていた二人のやり取りが追い打ちとなり、俺はゆっくりと前の引き戸を閉めた。