男娼マエストロと栄光の少女たち 作:しみじみしじみ
タワーダンジョン内部――
数人の冒険者が迫りくるモンスターを打ち倒しながら探索を続けていた。
《
いくつもの場数を踏んだベテランであり、連携も卓越している。
シルバークラウンほどではないにせよ、それなりに知名度もあり、実績もある冒険者パーティだった。
「全く最高だな、このダンジョン! 金になる素材がわんさか湧いてよぉ!」
「つっても、こいつらの素材が大量に市場に出ちまったおかげで、もう値崩れし始めてるらしいぞ?」
「どいつもこいつも考えることは一緒だな! ま、まだまだ食えるだけ稼げるから良いんだが――《エリート》でも出てきてくれればな、あいつらが落とす素材は、雑魚の落とすやつより数倍は質が高い……値段で言えば、その数十倍は」
《エリート》――時折出現する、モンスターの中でも強力な個体の総称。
ほとんどが
だから、ある程度の実力者にとって、エリートとは一獲千金のまたとないチャンス。
「残念ながら、ギルドの《エリート掲示板》は今日も空振りだったよ。……まあ、ちょっと気になる話は聞いたけど」
「気になる話?」
「うん。といっても本当に噂程度なんだけどね。どうにもエリートの目撃証言も、討伐報告も何度か上がってるみたいなんだ。ただ――どれもこれも証拠の無い……嘘っぱちなんだとか」
「んだそりゃ! 新人冒険者がホラ吹いたとかそういう話か? しょーもな、なくはない話だろ」
「いやいやいや、ここからなんだよ気になるのは! どうにもその嘘っぱちとやらには共通点があるらしくてね……全員、『サソリ型のエリート』を見たって言うんだよ。討伐報告になると、『倒したけど消えてしまった』、ってのが」
「ふーん、そう言うの好きだよなあ、お前」
「信じてないなぁ!? いやいやマジなんだって、たぶんいるんだよ、エリート! 討伐報告を出した冒険者パーティの実力から鑑みるに、
「そもそも《エリート》なら目撃情報だけでもギルドは受け付けてくれるはずだろ? それすらないんなら、誰かが適当に流した噂とか、そう言うレベルの話でしかないんだろ」
「う、ううん……最初のうちにいくつも討伐報告が上がっちゃったおかげで、目撃情報も信ぴょう性が無いと判断されちゃったとか……いやでも真っ赤な嘘とはどうにも考えづらくてさあ……!」
また噂好きの悪いところが出たな、とパーティメンバーから白い目を向けられても、男はエリートはいるに違いないと信じ切っている。
《大変異》の一件以降、冒険者の数は増え続けている。
目立ちたくてほらを吹いた輩が偶然多くいて、噂に尾びれがついてしまったのだろう――というのが、パーティメンバーの出した結論だった。
倒したけど消えてしまい、復活して冒険者に襲い掛かってきているとでも言うのか――不死身ともなれば、危険度は
こんな浅層に、そんなモンスターが出るとは考えづらかった。
凶悪なモンスターほど、ダンジョンの深層に出現する。
ダンジョンには謎が多いが、一説によれば、ダンジョンの奥深くにはダンジョンを形成するコアがあり、そこに近づくほど魔力濃度も上がっていくから、モンスターの脅威度も奥に行くほど高まっていくのだという。
エリートもそうだ。
それこそ《大変異》でもない限り、良くて
それも、
もしいたとしたら――最初に出会う冒険者パーティになるのはどうしても避けたいものだった。
全く情報の無い相手。ただ強いだけの雑魚の上位互換であるならまだしも、毒や呪いなんて厄介な特性を持ってたりすれば、相対した第一人者でなく、第一犠牲者になりかねない。
そうでなくとも、ギルドへ報告しなくちゃならないし、あれこれ聞かれて終わるころには日が暮れてしまっていることだろう。
多少のお駄賃は出るにせよ、身体を動かせばいい仕事以外は遠慮したかった。
なんにせよ、なんにせよだ。
楽して稼げるに越したことはない。
苦労も、リスクも、最小限に抑えるべきだ。
「チッ――」
ベテランとしての直感が、何かしらの悪い予感を感じさせていた。
妙にモンスターの数が多い。
上の階から降りてくるモンスターの姿もあった、ほぼそんなことは起こらないのに。
《大変異》の兆候か――いや、連日異常なしと判断されていた。この短い期間であれが起こるとは考えにくい。
だが、
「引くぞお前ら。どうもクサくなってきやがった」
狼のような頭を持つ、先頭に立つ男が振り返り言った。
常人よりも優れた聴覚や嗅覚は何の異常も感じ取らなかったが、長年の勘というのはそれら以上に信用に足るものだ。
「やっぱりあれかな、《エリート》かな? どう思うよっ?」
「まだ言ってんのか。まあ、本当にいるんなら、シルバークラウンあたりが見つけて報告に上げるだろうよ。俺たちがそれをする必要はない」
「んだよー、ロマンってのを理解してねえなあ」
文句を言いながらも、誰もリーダーの決定に異を唱えることはない。
迅速に撤退の準備を進めていく。倒したモンスターの素材をずた袋に詰め込み、踵を返す――
『――うわぁぁぁあああああああああああ!!!』
「――ッ!?」
「――っ、おいおい、悲鳴だぁ……?」
そこで、通路の奥の方から男の悲鳴が聞こえてくる。
距離はそこまで遠くはない。が、人影は見えない。通路のさらに先か、どこか曲がったところが出所なのか、判別はつかない。
あちらの方角は、下の階層へと降りる階段とは反対側だ。
――ダンジョンに踏み入れたなら、起こりうるすべての出来事は自己責任となる。
例え不幸の連続で死に至ったとしても、自分のせい。自分の力を見誤ったから、やるべきことが出来なかったから――誰かを責めるなんてお門違い。
だから、見捨てられても、誰にも助けてもらえなくても――ダンジョンという迷宮の中では、受け入れなければならない結果なのである。
「行くぞ、悲鳴は近い!」
「あいよぉ、リーダー!」
「あっはは、いいねえ、トラブルは冒険の友だよぉ!」
――それでも、冒険者は冒険者を見捨てない。
色々な土地を冒険し、人の依頼で食いつなぐ冒険者たちだからこそ、人と人のつながりの大切さを知っている。
なんでもないような場所で出会った友が生涯の親友になることだってある。そんな奴らと飲む酒の美味さを知っているから、冒険者たちは助け合う。
何より、ここで悲鳴の主を見捨てれば、どんな顔をして友たちと飲み交わせばいいのか分からない――要は、冒険者としての意地でもあった。
カッコ悪い真似はしない。
見栄を張って生きていく。
端的に言ってしまえば、冒険者というのはそういう生き物なのだ。
――だから。
そいつは、
「あ――?」
通路を曲がった先、そいつはいた。
静寂を纏っていた。暗闇に溶け込んでいて、ともすればすぐそばでも気づかないのではないかと思うほど存在感が希薄であった。
『うわぁぁぁぁぁあああ――うわぁぁぁぁぁあああ――ギシ、キシ』
悲鳴が口から漏れ出ている。
人の声。先ほど聞いたのとまったく同じ、人の声。
周囲に人の姿は無い。見ての通り、このモンスターが――
モンスターを目の当たりにして、パーティメンバーは考えていた。
逃げるべきか、戦うべきか。おそらくは、あの噂にあったサソリ型のエリートなのだろう。
――逡巡。迷いでもあった。
倒せるかもしれない――という、一瞬の気の緩み。
誘ったのなら。
奴は――殺せると踏んでいるのだと。
気づくべきだったのだ。
『――ギ、ギィ』
口の牙が不規則に蠢き、モンスターは巨大な鋏を掲げた。
『――
◆
今日は珍しく雨が降っていた。
雨脚はそれほど強くない。窓が雨粒に叩かれ、家の中はいつもより騒々しくなっていた。
家では、フリティラリアは基本的に本を読んで暇をつぶしている。
普段かけない眼鏡をかけて、紅茶を時折飲みながら、リビングでくつろぐのが彼女の休日の過ごし方だった。
昨日の疲れが残っていたりすると、たまに机に顔を突っ伏して寝ている姿も見ることができる。
読んでいるのは魔術理論の本ばかりだ。
ここ最近、既存の属性に囚われない新しい魔術が続々と現れ、魔術の世界は急激な発展を遂げている。
今まで常識と考えられてきた魔術理論が新たな理論の提唱によっていくつも否定されてきた。
魔術の勉強なんて学院を出てからほとんどしてこなかったが――フリティラリアの水銀魔術なんかも、こういったまめな勉強から編み出されたものなのかもしれない。
「……本の表紙ばかり見て、楽しいですか?」
「いや、まったく。いつになったら本を読み終わるのかなって思ってただけだ」
「用があるなら言ってくださればいいじゃないですか」
「用があるわけじゃない」
「はぁ」
「暇なんだ」
「掃除でもしたらどうですか?」
「今この家で一番汚れてるのはお前の部屋だぞ」
「ん……っ! そんなわけないです」
早口で否定した後、フリティラリアは本に視線を落とした。
お前が朝起きてくるとき、明らかに大量の物を足で踏んでる音がするんだよな……この短期間で、どこから物が増えたのやら。
まあ、触れたくないってのなら、触れないが。
もうちょっかいかけてこないでくださいオーラを出されてしまった。
頬杖をついて、窓の外を見やる。見慣れた風景、ウィズ雨。面白味は無い。
《グローリーナイトフォール》、休日であった。
タワーダンジョンが解禁されてから何度か検証を行ったが、最初に得られた検証結果と同じ結果が出ただけだった。
小規模、中規模の戦闘を三回程度こなすと、俺は呪いによる発情で限界一歩手前にまで到達する。
フリティラリアはその結果について前向きに捉えてくれているみたいだが、正直なところ、戦力として俺は中の下か、それ以下。
継戦能力を考えないのなら――短期決戦かつ、最初の一発で勝負の決着がつくような状況であれば、上の下くらいはあると思うが……どう考えても、タワーダンジョン攻略においてはとんでもないお荷物だよなあ。
魔力を使わない戦い方はあるにはある。
爆発する投げナイフだとか、硬質かつ切れ味抜群で展開が容易な魔糸とか、搦手を使う戦い方。
剣の才能も魔術の才能もない冒険者のために装備を作る奇特な工房もあったりして、それらを主体に戦う冒険者も珍しくはない。
俺もいくつか武器を買いそろえて、実戦で使おうとはしているんだが……。
「……いてっ」
魔糸であやとりをしていたら、糸の刃で指を切ってしまった。
「ちょ、血っ、血が飛んできたんですが!?」
「すまん」
「すまんじゃ――あやとりならもっと安全な糸で――ってああもう、怪我して、痛いでしょう……早く手、出してください!」
机に飛び散ってしまった血を拭いながら、傷口を治癒してもらう。
ううむ、この魔糸、切れ味は良いんだが……俺の手もばっさりいかれるんだよな。
なんとも前と後ろの向きがあって、それに気を付ければ怪我することなく使えるとのことだったんだが……どっちがどっちなの、これ?
「はぁぁ……落ち着いて本も読ませてくれないんですか、マエストロくん?」
ぱたんと本を閉じ、咎めるような視線を向けてくる。
そんなつもりはないんだが、結果として彼女の時間を邪魔してしまったのは事実だった。
「覇気がありませんねぇ……」
そういうフリティラリアも退屈そうに見えた。
案外、本は読んでいるようで読んでいなかったのかもしれない。
閉じられた本には見向きもせず、フリティラリアはじっとこちらを見つめるばかりだ。
「タワーダンジョンの探検も、構造は《大変異》前と変わってないし、《シルバークラウン》は調査結果をすぐに共有するし……じゃあとっとと第二階層へ進もうと思ったら……」
「
フリティラリアの言葉に俺は頷いた。
《大変異》の時は《ヴォイド・ディメンション》に直接つながっていたのを覚えている。
あの階段が、どうやらきれいさっぱり無くなってしまっているらしい。
そのフロアをくまなく探したものの、階段らしきものは見つからず……冒険者たちは第一階層で足踏み状態に陥っていた。
ボスフロアへの接続が完全に絶たれているとは考えづらい。
階段以外の方法、例えば転送魔法陣を使うとか……あるいは特定条件下でしか階段が出現しない、とか。
それ自体は良くある話なんだが、いかんせん手がかりが一切ない。
俺たちも探ろうとはしたんだが……さすがに9階となると冒険者の数が多くなる。ボスフロアへ行こうとしているのは俺たちだけじゃないからな。
それもあって身動きがとりにくく、さあどうするかと考えていたところで何となしに出来てしまった休日が今日なのだ。
とはいえ、暇を持て余している今、ただじっとしているだけでも疲れを感じてしまう。
酒を飲んで時間を忘れようにも、こうも日が高いうちから飲むのはな……それに、退屈しのぎのためだけに飲む酒なんて美味くもなんともないし。
じゃあいっそエロい事をしよう! なんて考えも浮かんでは来ない。
なんせすでに今朝まぐわったばかりだったからだ。
お互いスッキリしてしまっているのである!
「……ちょっと、お出かけでもしますか?」
「……えっ?」
フリティラリアが髪先を指でくるくると弄りながら聞いてきた。
「街中に。ほら、雨が降ってるわけですし、いつもよりかは人も少ないでしょうから、歩きやすそうじゃないですか」
「……それはそうだが」
「何より、ええと……お肉。そう、今日はお肉の気分なので。お買い物も兼ねて、気分転換に少し歩きましょうよ」
これは……気を遣われているのだろうか。
まあ、そうだろうな。まだまだほとぼりは冷めていない。フリティラリアが街中に顔を出せば騒ぎになるだろうし。
「誘いは嬉しいんだが、誰かに見られでもしたら、また……」
「顔はまあ仮面か何かで隠せばいいですし」
「髪はどうする? 服も……噂の人物との共通点があれば、食いついてくるかもしれないぞ?」
「考え無しにこんな提案はしませんよ。……まあ、本当はもっと後になってからお披露目したかったんですが」
言うと、フリティラリアは魔術を唱え始める。
水銀魔術であることはすぐに分かった。宙に銀色の球体が浮かび――
「
球体の内一つは面頬の形を取り、フリティラリアはそれを手に取って顔に装着し――
球体のもう一つはフリティラリアの頭に触れると、水銀はフリティラリアの髪の毛を覆っていく。
彼女の特徴的な桃色の髪は、見るも美しい銀色の髪へと変貌を遂げた。
液体らしい不安定さはない。水銀というよりは、銀そのもののようにも見える。
この魔術は、間違いない。
俺の武装魔術を真似ている。
教えてもないってのに、こいつは――
「……っ、はぁ……本当は、鎧が展開されるはずなんですが、まだまだ理論の構築が甘いですね」
「おい、ずるいじゃないか。自分だけ俺の魔術を勝手に解析しやがって――それも俺の魔術には無い物まで付け加えられていやがる。髪の毛一本一本に水銀を纏わせてるのか、無茶苦茶だな……どうやってんだ、これ……クソ、自分のは暗号化をきっちりしてさあ――」
「今魔術馬鹿を発揮するところではありませんよ、もう。それで、どうですか、マエストロくん?」
言いながらフリティラリアは髪を手で払った。
ふわりと柔らかく流れる髪先は自然なもので、全く重さを感じさせなかった。
どう、どうか。
銀色の面頬は銀一色と味気ないものだったが、素材が良い、ミステリアスな雰囲気が少し影を感じさせるフリティラリアと良く合っている。
銀色の髪も、水銀らしさの無い光沢の抑えられた色調で、いつも見慣れている桃色の髪からはかけ離れているが、そのおかげでギャップもあり、ついつい目が引かれてしまう――
「似合ってるぞ!」
「……あの、そうではなくて、変装の出来を……まあ、ありがとうございます……」
しまった。
話の流れ的に、そりゃそうか。
咳ばらいをして、仕切り直す。
「ぱっと見でフリティラリアだと気づけるやつはいないだろうな。お前を直接見かけたことのあるやつなんてほとんどいないだろうし、噂の人相からかけ離れていれば面倒なことにもならないだろう」
「それなら良かったです。ふふっ、これなら身動きも取りやすくなりますし、人の多い場所でも気兼ねなく行動できますね。まあ、呪いとかの関係を考えると、やっぱり人目は怖いままですが……」
「……ああ、そうか。街に出られるようになるだけじゃなくて、ダンジョン攻略中も動きやすくなるのか……」
ダンジョンの中で人気を避けてきたのは、呪いのこともあるが、それ以上にフリティラリアの存在がバレないようにするためでもあった。
一応移動するときとかはフードを被ったりしていたが、戦闘中となると視界の邪魔になるフードは付けてられないからな……。
そういった場面を見られでもすれば、また大騒ぎになるのは想像に難くない。
それなら、見られても大丈夫にすればいい。つまりはそういうことだ。
「今お見せしてるのは、あくまで副産物ですけどね。変装に使えるって気づいたのは後からです。《水銀纏装》――本当はこんなものじゃなくて、まだまだ未完成品に過ぎないんですが……」
「……お――」
――俺も手伝おうか? と聞こうとして、踏みとどまった。
フリティラリアの表情が暗かった。なんとなく、俺に手を貸すかと聞かれることを拒んでいるようにも感じられた。
だってこの魔術は明らかに俺を意識したものだ。しかもわざわざ暗号化を施している。水銀魔術と同じ、
なら手は貸すまい。
貸してはいけないんだ。
「応援してるよ。ああ、楽しみにしている。是非とも、一番最初は俺に見せてくれ」
「……! ……最初からそのつもりですよ。必ずあなたの度肝を抜いてあげますから、心待ちにしていてください」
表情が明るくなった。
どうやらこれで良かったみたいだな。
「なるべく、なるべく早く頼むよ、フリティラリア。お、俺の知らない魔術が、俺のすぐ近くで生まれつつあって、おあずけ食らってるなんてさあ、分かるだろ、ま、待ちきれないんだ、あ、あの初めて出会う瞬間の衝撃みたいなの、あれがないと、俺、俺……!」
「中毒! 依存症! 私の魔術は怪しいお薬じゃないんですよ!? ああもう、適当に水銀魔術で作ったおもちゃ上げますから、勝手に解析しててください! 出来るものなら!」
「い、いいのか!? う、うおぉぉ、こうやって落ち着いて見れる機会なんて……あ、後から返せって言われても返さないからな!」
「そんな我が子のように抱きしめちゃって……まあ? 私だけがあなたの魔術を自由に解析できてしまうというのもあれですし? 弱った状態のあなたならそれくらいのハンデでもあげないと、なぁんて私の粋な計らいですよぉ? それでも、今あげたそれは基礎中の基礎魔術で、しかも高高度の暗号化済み。ぜーんぶ解析できるまでに何年かかるやら――」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
「あれ、私とエッチする時より興奮してません?」
最近は魔術に触れることすら少なかったから、思わず禁断症状が出てしまった。
フリティラリアに与えられたおもちゃとやらは、剣のような形をしていた。見ても構造が全く分からない。楽しい!
「……おでかけ……」
「あ、ああ! もちろんもちろん、これは帰ってからのお楽しみにとっておくから。何も……何もそんな顔しなくとも!」
「はぁ? どんな顔だって言うんですか? おでかけやめときますか? って聞こうとしただけですから。あーあ、魔術理論の本も途中だったのに」
集中力切れかかってただろ! と言い返そうとしたが、そういえば邪魔してたの俺だったな。
水銀のおもちゃをポケットに入れながら、俺は話題を変える。
「と、ところで、その水銀での変装、大丈夫なのか? 肌とか、髪とか、ダメージ凄そうだが」
「ええ、ご心配なく。しっかり制御できていますから。……もっとも、あくまで私にはノーダメージというだけですので。これに触って、その手で目をこすったりなんかしないように」
「はい」
ちゃんと劇物だった。
うーん、俺って結構やばい魔術の標的にされてきたんじゃないか?
まあいいか。当たった記憶が無いし。
「街中であれば、基本フードの中に髪をしまっておけば不慮の事故も起きないでしょう」
「おーけー。それなら早いうちに出ようか。ついでにギルドにも寄って、何か新しい情報が無いかも確認しよう」
それならまずは着替えなきゃな。
俺もフリティラリアも部屋着のままだったし。
俺は普通の私服でいいとして……フリティラリアはそうもいかないだろう。
大分特徴的な服だったしな。
ひとまず部屋に戻って準備することにした。
部屋に入る前、振り返ってフリティラリアを見る。
銀色の髪、銀色の面頬。ああまで自分の姿を偽らなくちゃいけなくなった遠因は俺にあるとしても、なんというか――
「
そう言うとフリティラリアはつまらなさそうにそっぽを向いて、
「……はい、嬉しくとも何ともありません。早く着替えてきてください」
自分の部屋に戻っていった。
◆
フリティラリアの言う通り、街中はいつもより往来が少ない。
屋台なんかも今日はやっていないところも多く、珍しく大通りを歩くことが出来ていた。
「いつぶりかな、こんな風にこの道を歩くの。人が増える前は、この辺りの串焼き屋とかが夜遅くまでやってるからさ、ちょっとお世話になったこともあるんだよな」
「……」
「まあ、仕事の関係上、匂いの強い物は食えなかったんだが……今日もやってればな、食べてみたかった」
雨がぽつぽつと降って、石畳の上に薄く波紋を広げていく。
歩くたびに水しぶきが飛び散った。フリティラリアはじっと、俺と自分の足元を見つめているようだった。
「……前見てないと危ないぞ? いつもよりは少ないっても、人は結構いるからな」
「あ……」
前にいる冒険者にぶつかりそうになっていたフリティラリアを手を引いて少し引き寄せる。
それでようやくフリティラリアは顔を上げてくれた。面頬に顔の大部分は隠れてしまっているけど、ハッと驚いていることは分かった。
「すみません、ぼーっとしてて」
「……人目が怖いか?」
「いえ、そうではなく……あれ」
ふと何かに気づいたように、フリティラリアが辺りを見回す。
「な、なんか……注目されてませんか、私たち」
「あー」
通りを歩く冒険者やこの街の住民たち――彼らは足を止めることはないものの、その視線を俺たちにばかり向けていた。
注目されているのは俺というより、フリティラリアだろうな。
「別にバレてるわけじゃない。ただ……まあ、その、目を引く格好ではあるからさ……」
「えっ……えっ? こ、この格好、変ですか? ま、マエストロくんは良いって言ったじゃないですか」
フリティラリアは自分の格好を確認し始める。
いつものようにパンツスタイルではなく、黒を基調としたドレスのような華美な服装。
フリティラリア曰く『念のため持っていた』物らしいが――その分野に疎くとも分かる高級感というか、きっちり着こなせてる分、庶民ばかりなこの街ではより異色というか。
良いとは言った。
ただまあ、絵になりすぎるのも良くは無かったのかもしれない。
綺麗すぎるあまり、浮いている。……とは言えないな、調子に乗るだろ、間違いなく。
「ああ、良い。だから胸を張って歩け。別に笑われてるわけじゃないさ」
「え、えー……? て、適当言ってるわけじゃないんですよね?」
「俺がこんなことで嘘を言うかっての。外面だけなら誰よりも完璧だろ、お前」
「外面だけ……!? あの、前から思ってたんですけど、マエストロくんは私のことをなんか誤解してませんか……!」
「え?」
「え?」
フリティラリアに肘でどつかれた。
肝臓が……!
「そんな態度を取るなら、おもちゃ取り上げちゃいますよ」
「あはは、うちのリーダーは世界一!」
「ああそうだったこの人営業スマイルが得意でした……」
営業スマイルが得意って結構酷いこと言ってないか?
仕返しのつもりなのかもしれない。フリティラリアは俺の手を振り払って、再び歩き出す。
「早く行きますよ、マエストロくん。……ふふっ、好みの顔をした女の子が一緒にデートしてあげるんですから、ちゃんとエスコートしないとフっちゃいますよぉ?」
「は……?」
「外面は完璧だなんて、きゃあっ、真正面から好き好きアピールされちゃいましたぁ♡」
「はぁ!? お前、普通文脈で分かるだろ! あれは――」
「べー」
こいつガキかよ!
しかもわざと周りに聞こえるように言いやがって!
その笑みはなんだ! 逃げないのはなんだ! 仕返しされるのを期待しているくせに!
ズンズンとフリティラリアに歩み寄って、俺は彼女の手を取った。
挑発的な笑み。俺は自分ができうる最高に客受けの良い顔を作り、人目も憚らず、抱き寄せた。
「お前こそ俺を誤解しているようだな。ついこの前まで
「あっ、ちょ、みんな見て――」
「見せつけるか? いいぞ、俺は……客のニーズには全力で応えるのがモットーでな。そういう目で見られたいのなら、本当にそういう目で見られるようにしてやるよ」
「……」
――どうだ、どうだ、この100点のワルムーブ!
女遊びに慣れきっていて、お目当ての物なんて苦労せず手に入れてきましたみたいな自信のある顔!
アダンソニアにいる『はわわ……』と目を潤ませて誘い受けする男娼たちとはまた違った味わいで、そりゃあかなり評判だったもんだ。
抱き寄せて、顔をこちらに向けさせて、髪を撫でる。その手で顎を持ち上げて、より意地の悪い笑みを向ける。
フハハハ! ここまでされたらもう負けを認めるしかないだろう、フリティラリア!
そちらから売ってきた喧嘩だぞ、大枚はたいて買ってやった! わざと乗っかって恥ずかしさで死にたくなるようにしてやったのさ!
今日だけじゃない。毎日毎日からかってきて、いつか歯止めが効かなくなるんじゃないかと思っていたからな、お灸をすえるにはいい機会だ。
欠点があるとすれば、俺も死にたくなってくるってことだ!
早く、早く負けを認めろ!
こっから先の流れなんてねえよ!
少なくともこんな往来じゃ見せられねえよ!
「っ……」
……は?
こいつ、なんで……抵抗の一つもしてこないんだ?
というか、お好きにどうぞと身体を差し出しているようにも見えるんだが。
「――おいおい、面白くなってきたな――」
「――わぁ、お熱い! 懐かしいわあ、私も昔は――」
「――ど、どうなるんだ、どうなっちゃうんだ――」
待て、待て待て待て、こんなはずでは――!
まずい、人が集まってきている。どいつもこいつも突如始まった恋愛劇場の行く末を見守ろうという目をしている! そういうのじゃねえからこれ!
ぐ……どうする。いや、どうするもなにも、とにかく誤魔化すしかない……! 幸い、普段よりも人が少ない分、どこかに逃げ込むことも容易だろう。
クソ、ここまで読んでの行動か、フリティラリア! 自分ごと俺を陥れるとはな……!
こんなところ、もし知り合いに見られでもしたら明日から生きていけないだろうに――
「……マエストロ?」
「え?」
「え?」
人ごみの中から聞こえてきた言葉に、二人して素っ頓狂な声を上げてしまう。
見れば――良く見慣れた三角帽子を被った金髪の少女が、信じられないものを見たかのような目でこちらを見つめていた。
……マリーベル。
「マエストロくん?」
フリティラリアの表情からは事態を察したのだろうことが分かった。
俺を見上げる視線は、『もちろんこの程度のハプニングは想定済みなのですよね?』とでも言いたげだった。
なるほどね。
俺は空を仰いだ。
「おわった」
「えー!」
どんよりとした雲間からは光が差し込みだし、気づけば雨は上がろうとしていた。
◆
「……」
「……」
「……」
き、気まずい。
さすがにさっきまでの場所に居続けることも出来ずに場所を変えようとしたのだが、マリーベルは無言で俺たちについてきた。
大通りから逸れた場所で開けた場所があったので、自然とそこで足を止めてしまった。
「こんな街中で奇遇ねェ、フリティラリアァァ……」
「ひっ」
小さく漏れた悲鳴がどちらのものだったかは定かじゃない。
どちらともなく圧に負け、俺とフリティラリアは身体を寄せ合うように近づいた。
「チッ!」
ダン! とマリーベルがかなり力強く地面を蹴るもんで、くっつく寸前で俺たちは姿勢を正す。
これは俺でも分かるぞ! お怒りだ! マリーベルは怒ると場末のチンピラみたいな目になるからすぐ分かる!
学院時代のフリティラリアをして『あの小娘は視線だけで人を殺せるかも知れません』とまで言わしめた目だ!
……というかこちらが明かすより前にフリティラリアだって気付いたな。
やっぱり彼女を知っている者にとっては変装はあまり意味をなさないか。
なんならフリティラリアの状況を知っている分、変装している理由についても理解できていそうだ。
それはともかくとして、こうも睨まれ続けるのは居心地が悪い。
「え、ええと、マリーベル? 怒ってることは分かった、十分わかったんだが、その、なんでそんなに怒ってるんだ……?」
心当たりが無さすぎるから直接的に訊くしかない。
昔のマリーベルであれば『なんで分かんないのよ!』と怒声と共に拳が飛んできたが――
「う……い、いや、ちょっと……言葉、選んでる」
「言葉を? なんだ、かしこまられると怖いな」
「ち、違うの……ああ、うう、と、とりあえず、マエストロも、こんにちは……」
どこかよそよそしいマリーベルの態度に、思わずフリティラリアと顔を見合わせる。
というか『マエストロも』ってことは、さっきの歯を食いしばりながら絞り出してたのってもしかしてただの挨拶? 『ここで会ったが百年目』って言ってるようにしか聞こえなかったけど。
ううむ、たぶんさっきのフリティラリアとの一件が原因なんだろうとはなんとなく分かる。
ただ、なにが彼女を怒らせたのだろう?
「ふ、フリティラリア」
「あ、はっ、はい?」
意を決したようにマリーベルはフリティラリアを見据えた。
「フリティラリアは……マエストロの、なに?」
と、そんなことを訊く。
呆気に取られた。
フリティラリアが俺の何か?
関係性のことだろう。
マリーベルのこういう姿、どこかで見たことがある気がする。
いや、覚えてはいるんだが、どうしてそんな状態になっていたのかがおぼろげだ。
だが、それを踏まえて言うのなら、マリーベルは嫉妬しているように見える。
「――ふぅん」
「っ、と……ふ、フリティラリア?」
「――っっっ!!」
フリティラリアはマリーベルの問いかけに答える代わりに俺に抱き着いてきた。
わざとマリーベルに見せつけるように。マリーベルは分かりやすく反応を示す。一瞬毛が逆立ったように見えた。
一触即発のようにも思えたが、マリーベルはフリティラリアをじっと見つめて、すぐにその勢いを無くしていく。
「ハッ、やっぱり――」
フリティラリアは何かを呟いた。
面白くなさそうな顔をして、俺から離れる。
「馬鹿な人ですねぇ、こんな冗談をすぐ信じ切っちゃって」
「……は、はぁ!? じょ、冗談……騙したの!?」
「からかっただけですよぉ、それなのにマリーベルさんってばガチっぽい反応しちゃってぇ……ぷーくすくす!」
マリーベルの顔が徐々に赤く染まっていく。
こぶしを握り締めぷるぷると震えているが……手を出そうとする気配はない!
なんてことだ、我慢を覚えたのだ! あのマリーベルが!
「あれ、あれぇ? 震えちゃってますぅ、大丈夫ぅ? 怖くなっちゃいましたぁ? 《大変異》の時のことが尾を引いちゃってるのかなぁ? お姉ちゃんがぁ、お家まで連れていってあげましょっかぁ?」
「……っさい、もうお姉ちゃんなんて歳でもないくせに」
「――」
おっと、クリーンヒット。
反撃が無いからって調子に乗るからだ。
「……なぁんだ、すっかり腑抜けちゃったのかと思ったのですけどねぇ、昔のあなたなら、私の言動など一ミリも信じたりしなかったでしょうに」
「そりゃあ、今のあんたが、昔のあんたじゃないからよ」
「……はぁ~~~~~? ちょーっと一回世話になったくらいで絆されちゃったんですかぁ? 前言撤回、腑抜けも腑抜けじゃないですか! あの切れたナイフはどこへやら! 若き天才、孤高の魔女がずいぶんと凡庸に成り下がってしまいましたねぇ、マリーベルさん!」
「孤高を履き違えるような小娘が凡庸じゃないのなら、あたしは凡庸で構わないわ」
……驚いた。
まさかマリーベルの口からそんな言葉が聞けるとは。
フリティラリアも同じだろう。目を丸くしてすっかり固まってしまった。
「絆された? そうね、絆されたわよ。それだけのことをしたのに、あんたってばそれを誇りもしない。昔も、たぶん今もあたしより優位に立とうとしてるくせに、助けたことは当然のことをしたまでって顔で触れようともしないんだから」
「はぇ、えっ? あれ、えっと、あ、うぇ?」
「か、からかう以外に接し方ないのって話よ! べつに、冗談言うくらいはいいわよ、でも、傷つくようなことはしないで!」
『あたしも、最初の方は態度悪かったし、良くなかったけど……』とマリーベルは小さな声で続けていたが、フリティラリアは困惑したまま動かない。
なんてこった、お前が小娘小娘呼んでた女の子はいつの間にか大人になってしまっていたぞ。
……と、からかおうにも、俺とて衝撃に口を開くことすらできないでいたが。
変わった、なんて言葉では言い表せないほど、彼女の今の姿は学院時代のマリーベルとはかけ離れている。
誰にも手が付けられなかった。なまじ実力がある分、大人であろうが先輩であろうが傲慢にも思える態度を崩さない少女だった。
そりゃ片鱗はあるさ。怒った時の目とか。でもそれだけだ。溌剌さを残して、彼女は様変わりした。
「ご、ごめんなさい……」
「あたしもごめんね! 仲直り!」
「は、はい」
こんな……フリティラリアと手を取り合うことなんて一生無いと思っていた。
今俺はとんでもない歴史的な瞬間に立ち会っているのではないかとすら思えるほどだ。
彼女の口ぶりは、かつての暴君じみた言動を間違っていると考えている。
自分が絶対正しい、間違っていると言う方が間違っているんだよとでも言いたげな、ある種カリスマ性すら感じさせる稚気は……今となっては、老成した自信として彼女に宿っている。
それらがすごく眩しく見えた。
やはり、シルバークラウンとしての活動が良い影響を与えたのだろうか。
マリーベルの歩んできた道のりを推測するしかできないのが、なんとなく、寂しい。
「……」
「……あ、な、なんだ?」
思わず感じ入ってところ、マリーベルの視線を受けて俺は思考から引き戻された。
「い、一応、確認なのだけれど……あの、往来でのことは、その、違うってことでいいのよね?」
「往来のこと――あ、あー、ありゃあただの悪ふざけみたいなもんだ。それが怒ってた理由なのか? 俺たちはただの仲間同士でしかないよ」
「そ、そっか……」
マリーベルはあからさまにホッと胸をなでおろしていた。
……いや、その反応はおかしいだろう。
俺がフリティラリアと何かある関係だったとして、お前が怒るようなことが何かあるものか。
本当に嫉妬しているとでも言うのか? 一夜の関係でしかなかった男娼相手に? それこそ、まさかだろう。
「よかった」
……まさか、だよな?
しばしの静寂。
とりあえず、これで先の一件は解決と見ていいだろう――と思ったのも束の間、フリティラリアが真顔のままマリーベルに近づいた。
マリーベルに気づかれることなく、後ろから彼女の耳を掴み、そして思いっきり引っ張り出す。
「い、いだっ? ちょ、ちょっとフリティラリア……っ? なんで耳引っ張るのよ……!」
「……」
「えっ、ね、ねぇなんで無言なのっ? 仲直りしたじゃないっ、いたたたぁっ!」
「お、おいフリティラリア……!」
マリーベルに大人の対応をされたのがそんなに腹に据えかねたのか?
仕返しのつもりなのかもしれないが、大人気ないなんてレベルじゃないぞ。
すぐに止めようとしたが、フリティラリアはそれを制止する。
「何が良かったんですか?」
ぴたりと、暴れていたマリーベルの動きが止まる。
「な、なによ、いきなり……お、怒ってるの?」
「さぁ? でも、私の目は節穴ではありませんよ、マリーベルさん」
「……だ、だめっ」
なんでもないようなフリティラリアの言葉に、マリーベルは大きく反応を返す。
フリティラリアを見上げるその目には、怯えのような色が垣間見えた。
「私はそこまで鬼じゃありません。でも、私は、
「でも」
「でもじゃありません。見ていてため息が出るほど、隙だらけの心。ぶつかって砕けるぐらいが、あなたの世界との触れ合い方だったでしょうに」
「……」
「はぁぁぁぁ……こんなことをわざわざ言うなんて、私もずいぶんと……とにかく今のあなたは見ていてムカつくんですよ! わだかまりの一つくらいはとっとと解消しなさい!」
「わっ、わぁっ!?」
フリティラリアに背中を思いっきり押されたマリーベルが、俺のすぐ目の前までやってくる。
彼女の碧眼が、俺を捉えた。
「やっと目を合わせましたね。あそこまで露骨に避けてて、隠し通せるとでも思ったんでしょうか?」
フリティラリアは大きく息を吐き、それっきり黙り込む。
目の前のマリーベルは何か言いたそうにしていたが、それ以上にここから逃げ出したいと思っているように見えた。
言い出しづらい事なのだろうか。
フリティラリアのやり取り的に、悩みのような何か。
それも、俺に関すること。
さっきのことではないだろう。
そういえば、タワーダンジョンに初めて足を踏み入れた時、マリーベルは俺に何か言いたそうにしていたっけか。
どこかよそよそしいのも、今に始まった話ではない。
俺の何が、マリーベルを悩ませてしまっているのだろう?
「み、耳、貸して。い、言うから」
「あ、ああ……」
意を決したのであろうマリーベルが、手招きしてくる。
俺は膝を曲げて彼女に近づいた。フリティラリアは気を遣ってくれているのだろう、少し離れた位置で明後日の方向を見つめていた。
「ま、マエストロはさ、その、冒険者、続けるって決めたのよね?」
「……? あ、ああ、まあ、そうだな。冒険者として活動していこうとは思っているよ」
続ける。
なんとなく言葉のニュアンスに引っかかるものを覚えたが、一応表向きは元冒険者であったことを思い出す。
「それで……えっと、さ、あの、お店……辞めたんでしょ?」
「……ああ」
アダンソニアのことだな。
籍は置いてあるが、辞めたと言って良いだろう。
戻る気はない。
そう伝えると、マリーベルの表情が曇りだす。
服をぎゅっと掴んで、視線は地面に向かう。水溜りに乱反射した光が、マリーベルの瞳をきらきらと煌めかせた。
一瞬、涙を湛えているようにも見えた。
「マエストロは、本当は、冒険者をやっていたかった?」
「……どうだろうな。今は、そうだな、やりたいことを出来ているって思ってる。あいつとの出会いが無ければ、そう思うことすらなくて、あそこで働き続けていただろうがな」
「……フリティラリアが……誘ったの?」
「ああ……意外に思うよな。でも、本当のことだ。あいつが手を差し伸べてくれたから、今、俺は冒険者でいられるんだ」
「……そ、っか……やっぱり、フリティラリアが……」
呪いのせいで俺には男娼としての生き方しかないんだと思っていた。
『冒険者を続けられる』というフリティラリアの言葉に応えたのは、心の底では戻りたい思いがあったからだろう。
それが、どうしたというのだろう。
マリーベルはたっぷりと時間を使いながらも、続けて口を開く。
「あそこで働いてたのは、何か理由があったから?」
「――」
マリーベルが視線をそらしていてくれて助かったと思った。
敏い彼女のことだ、今の俺の動揺など簡単に見抜いてしまっただろうから。
「あたし、その、もしかして、嫌なコト……押し付けちゃってたんじゃないかって」
「え――」
「あ、あたし、何か理由があるんだろうなって思ったけど、でも、それ以上に、抱かれるのがうれしくて、甘えて、何も考えなくて……本当は、違うことを、違う言葉を、マエストロは望んでいたんじゃないかって思っちゃって……もし、どうしようもなくあそこにいて、そんなあなたに、あたしが、あたしが……」
それは……なんだ。
俺にやむにやまれぬ理由があり、嫌々ながらもあそこにいたんじゃないかってことか?
確かに娼館で働く人間には後ろめたい理由がよく付きまとうものだ。
物好きなだけで身を切り売りするような奴は極々少数。俺とてご多聞に漏れず理由を持っている一人だ。
それで、本当は――冒険者にならないかと、あそこから連れ出してもらえるのを望んでいたと言いたいのか?
どうだろうか。
マリーベルが俺を冒険者に誘って、それで。
それを俺は望んでいただろうか。
いや、望んでなどいなかった。
俺のことはよく分かる。
あの日のことは、なんら高尚な理由だとか心持だとか一切無くて、
ただ淫靡な現実に浸っていただけだ。自分が望むままに。
「きっかけがあったのは認めるよ。でもさ、ちゃんと思い出してくれよ。嫌々で、ただの仕事だと割り切っていたとして、俺があんなことするか? 嫌なコトを押し付けられていたって、それでも思うか?」
「わ、わかんない……気持ちよくて、幸せで、なんにも覚えてない……」
「っ」
弱気だからか?
すげえ嬉しいこと言うな、こいつ。
「マリーベル。あの夜は、俺にとっても特別な夜だった。嫌な思いなんてこれっぽっちも無かったんだよ」
「……ホント?」
「あのなぁ、お前みたいな美人に迫られて嫌だって言う奴がいるかよ? ああ勘違いしてほしくないからちゃんと言うぞ。冒険者になりたいと片隅で思っていて、だからシルバークラウンなんて偉大なパーティの一員であるからノリノリだったわけじゃない。お前だからさ、マリーベルだったからさ、だから、俺も、お前を抱くことが出来て、凄く嬉しいって思ったんだよ」
「っ、そ、そんな面と向かって、恥ずかしいこと言わないで!」
「あっはっは! なんというか、お前は俺を買い被りすぎなんだよ。俺はえっちなことが大好きだ。とんだスケベ野郎だぜ? そんで悪い男さ。だからこうして、本当は店の外じゃ客と必要以上に接しちゃいけないってのに――俺が、お前と仲良くしたいって思ってる」
マリーベルの手を取る。
いつの間にか、彼女は真っすぐ俺を見つめていた。
「ダメかな?」
聞いた。
ちょっとずるいかもな、と思ったけど。
「だめじゃない」
良かった。
よそよそしい感じは無くなって、彼女の瞳に光が戻った。
「えっちなことも、だめじゃない」
「……えっ!?」
「だめじゃないよ?」
「えっ、い、いやその仲良くしたいって言うのは友人としてというか、友愛であって
「だめかな?」
手を握り返された。
雲間から差す光が、丁度マリーベルの顔に当たる。
こ、こいつ、顔が良い……だ、だがダメだ、さっきのはマリーベルを安心させるために言ったこと。
ここで下半身に流されてしまうようでは示しがつかない! 彼女にとって俺はマエストロだとしても、俺にとってはマリーベルは後輩なのだ!
「ねぇ~?」
俺の手に頬ずりを……!? いかん、負ける……!
「はいはい、もういいでしょう。これ以上は私の存在が忘れられてるみたいで気分が悪いので」
「あーん!」
フリティラリアがマリーベルを引きはがす。
「ま、まったく、ここはあまり人が来ないが、それでも外は外。もっと節操というものをだな……」
「……私が言うのもあれですけど、さっきみたいな騒ぎを起こしておいて説得力ないですよ?」
分かってる。
これはどっちかって言うと自戒だ。
スケベ野郎。偽りなしだ。
ああやって誘われたらホイホイ乗ってしまう。
いや、だが……あのマリーベルに誘われて、理性なんか保てるものか……。
外で良かった。フリティラリアがいてよかった。
息をつく。
マリーベルは……フリティラリアに腕を掴まれたまま、にこやかに笑っていた。
「ねえ、マエストロ」
「……なんだ?」
「あたしね、マエストロが冒険者を続けてくれるの、すごく嬉しい!」
「……そうか」
ああ、そうだったな。
この真っすぐさ。
色々変わってしまったけれど、この部分だけは昔のままだ。
照れるとかそういうのを抜きにして、人の素をさらけ出させるような力がある。
「フリティラリア、ありがとね」
「……」
フリティラリアはズレてしまったマリーベルの三角帽子を、被り直させてあげる。
マリーベルがその帽子をフリティラリアに触らせるのも、フリティラリアがそんな風にマリーベルにお節介を焼くのも。
初めて見たな。
「ちゃんと、言うんですよ」
「……」
「そうしなければいけないことは、きっとあなたが一番よく分かっているでしょうから、これ以上は言いません」
「……うん。分かってる」
その光景を見ながら伸びをする。
背骨が鳴った。そして、お腹もなる。
「腹が減ったな」
「なにか食べますか? ギルドに行くのはそれからでも」
「ギルドに用事があるの? なら、あたしも一緒に行っていい?」
「マリーベルさんも?」
「おいしいお店いっぱい知ってるわよ! なんならあたしの奢りでもいいんだから! どう?」
もう完全復活だな。
どうしようか、とフリティラリアと顔を見合わせたが、俺の中で答えは決まっていた。
フリティラリアは『任せます』といった様子。
まあ、こいつはノーと言わない限りイエスと捉えていいからな。
「それじゃ、偉大なる魔法使い、マリーベル様のご相伴に預かろうじゃないか」
「そんなこと言うなら奢ってあげないわよ! あたしが奢るのはあくまで友達としてなんだから!」
「はぁ? 友達ぃ?」
「そうよ! もうあんたはあたしの友達なんだから!」
「えぇぇ~~~~~?」
「はっ、初めての友達に、まぁ嬉しそうな顔しちゃっ――ぐぅっ!」
「やだぁ、急にどうしたんですかぁマエストロくん? あっ、友達としてのスキンシップが悶えるほどうれしかったんですかぁ?」
「お前はマリーベルよりよっぽどガキだ……っ!」
なんてことを言いあいながら。
俺たちはその場を離れる。
マリーベルの知るおいしいお店とやらに向かうまで、フリティラリアは間に俺を挟んでからじゃないとマリーベルと会話できないようだったが――歩いてる内に、すぐに俺抜きで自然と会話ができるようになっていた。
フリティラリアとマリーベル。
学院時代は、二人は水と油で、顔を合わせようものなら何かしらのいさかいが発生していたものだ。
マリーベルは気に食わない物にはなんにでも噛みついていたし、フリティラリアは高慢な態度であれやこれやと企むものだから、そもそもの相性が悪いんだろうなあと思っていた。
……が、今の二人を見ると、案外そうでもないのかもしれないと思えてくる。
どちらも魔術師だからか、魔術の話で盛り上がっていた。
フリティラリアの変装に使われている水銀魔術について、マリーベルが矢継ぎ早に質問を投げかけていく。
俺がいるから答えにくいのだろう、フリティラリアは返答を濁していたが……まんざらではなさそうな表情をしていた。
なんというか、姉妹みたいだ。
言ったら怒られそうだから言わないけどな。
「あにニヤニヤしてるのよ」
振り返ったマリーベルに指摘され、俺は咄嗟に口笛を吹いて誤魔化した。
もうちょっとこの二人が並んで歩いてるところを見てみたい気持ちがあったから。
俺も年を取ったのかな。この二人が平和に語り合ってるのが、我が事のように嬉しい。
「マエストロくん」
「マエストロ」
「……ん、ああ、どうした?」
とはいえ、二人に呼ばれたら後ろから眺め続けているわけにもいかず。
フリティラリアとマリーベルが間を開けるように離れたので、その間に俺が入っていく。
両手に花という奴か。
なんだかモテ男みたいで気分が良いね。
話すのは取り留めも無いような、ともすれば明日になれば忘れてしまうようなものばかりだったけど。
この光景を、この経験を忘れてしまうことはきっとないのだろうな、と思った。
「……」
それと同時に。
さっきのことを思い出す。
それがマリーベルの憂いていた通りの理由である以上、彼女に呪いのことを話すことはこの先ないのだろう。
娼館に身をやつす理由はいくらでもある。その中でも俺の理由は、俺にはどうすることも出来ない、不条理で、理不尽極まる、悲劇的なものだったから。
始まりは悲惨でも、俺はあの暮らしに慣れきっていた。
マリーベルと出会った時でも、ラッキーだなんて思いもした。
だけど、きっとマリーベルは悲しむだろう。
俺の境遇を、辿ってきた道程を、哀れむだろう。
だから、俺は俺の過去を同情してほしいとも理解してほしいとも望まない。
今はただ、望んで男娼をやっていた、そういう風に思ってくれていればそれでいい。
分かってる。
ただの男娼に、こんな感情を向けてくることはない。
彼女がフリティラリアに嫉妬し、たかが男娼相手に心を悩ませていたのは――ああ、俺の存在が、
彼女は、俺を。
きっと、最初から――
……少しばかり、不安になる。
今の俺はどう映るのだろう。
無意識に顔に触れていた。指先は仮面の感触を欲している。
隠そうというのか。覆いたいというのか。
眩い。
そう思った。
マリーベルの成長を見て。
俺はどうだ?
あの子の先に立っているのか?
考えれば考えるほど、なぜか悪い方向へと思考が転がっていく。
ダメだ。今考えるようなことじゃない。思考を振り払い、俺はマリーベルたちとの会話に耳を傾ける。
自然な笑みを浮かべ、なにも悩みなど無いというように。
「――」
フリティラリアの視線が、いやに記憶に残っていた。