男娼マエストロと栄光の少女たち   作:しみじみしじみ

5 / 11
大変異 上

 

 マーガレットは危険人物だ。

 そう気づいた時には、もう何もかもが遅かった。

 何度まぐわったのか。

 誰の体液でぐちゃぐちゃになってるのか。

 何時間こうしていたのか、分からない。

 

 フォスはずっと俺を見つめ、自分を慰めていた。

 俺もまた彼女を見つめ、マーガレットと交わり続けていた。

 記憶に一番刻まれているのは、物欲しそうな、うるんだ瞳をするフォスの顔。

 

 彼女は俺の恩師で、尊敬する人で。

 そういう目で見たことはない。

 別にストライクゾーンから外れているというわけではなく、そういう感情を抱けるほど身近に感じる存在ではなかった。

 

 だが、どうしたことか。

 今ではフォスを見るたびに、何か良くない考えが頭をもたげる。

 マーガレットが満足し、事が終わった後、フォスは下着もスカートもびしょびしょにした状態で床に座り込んでいた。

 顔は真っ赤だ。

 肩で呼吸をしていて、のぼせている。

 

「フォスちゃん先生」

 

 裸のままのマーガレットは、ゆっくりとフォスに歩み寄っていく。

 そして彼女の後ろに回り込み、抱きしめるように腕を回した。

 見てるだけで我を忘れそうな光景。どちらも、あまりにも、濃い色香を放っていた。

 

「こんなにしちゃったのね、見てるだけじゃ満足できなかった?」

「ぁ、ち、ちが、ちが、います……っ、これ、は――ぁっ!?」

 

 マーガレットは手のひらで、フォスのお腹を押す。

 びくりと、フォスはその小さな身体を震わせた。じっとりと、服は汗で肌に張り付いている。

 恥ずかしい姿だ。ともすれば、裸でいる俺とマーガレットよりも、ずっと。

 フォスは泣き出しそうな顔をして俺を見つめる。見ないでほしいというような。だが俺はその光景から目を離すことが出来ず、離そうとすらも思っていなかった。

 

「や、だ、マエストロさん……っ」

「ふふふ、嘘はダメよ、フォスちゃん先生。あなたはちゃんとした()()なんだから、自分を誤魔化してはダメ」

 

 大人、という言葉にフォスは強く反応を示した。

 より一層顔を赤らめていく。一時期は教師として子供を導く立場であった彼女にとって、その言葉は深く突き刺さったことだろう。

 

「私は人の情事を見ているだけでこんなにしちゃう子で」

「あ、い、いやっ、マーガレット、さんっ」

「パンツはこーんなぐっしょり、我を忘れて、親切にしてくれた人のあられもない姿に興奮しちゃって」

「ちがう、ちがいます、私は、私は――」

 

 スカートをたくし上げると、肌色が透けてしまうほど濡れている白い下着が見える。

 まるで川に浸かったみたいに下半身は濡れまくっていて、光を反射させててらてらと光るその肢体に思わず目が惹かれてしまう。

 

 食い入るようにフォスを見つめる俺に、ふとマーガレットが視線を合わせてきた。

 片手でフォスの身体をまさぐり、フォスはそんな手の動きにいやだいやだと言いながら嬌声を漏らす。

 先生という肩書に似つかわしくない、弄ばれるだけの子供のような。

 にんまりと、マーガレットの口角が上がる。

 

「そんなフォスちゃん先生は、どう? ――マエストロ」

 

 一瞬、頭によぎることがあった。

 今ならまだ、戻れる。

 これ以上踏み込んだら、正体を明かすことが難しくなる。

 どころか、正体を明かしたところで、フォスにどう思われるかを考えれば、こんなものは、これ以上続けちゃいけないんだ。

 

 頭によぎった。

 よぎって、それだけだった。

 

「大人っぽくて、素敵ですよ、フォス()()

「――っ!?」

 

 もうフォスのことを普通の目では見れない。

 あんなとろけた顔を見せられて、意識しないなんて無理だ。

 これは裏切りだ。

 分かっていて、俺は彼女が一番欲しがっている言葉を与えた。

 

「ぁ、え、えへへ――っ」

 

 フォスはだらしなく笑う。

 それを見て、マーガレットはより強く彼女の身体を抱きしめる。

 この光景を忘れないように、刻み付けるように、心の奥深くに焼き付けるように。

 

「ね、フォスちゃん先生」

 

 マーガレットはフォスに笑いかけた。

 それはいじめるような笑みではなく、親切心に満ちているように見え――

 

「また、こよっか」

 

 その瞳には、澱のような狂気が垣間見えた。

 

 

◇◇

 

 

 全部手のひらの上だったような気がする。

 振り返ってみて、怖くなった。

 手慣れすぎてないか、あの女……?

 

 空を見上げる。

 青い空。

 いつもより高く見える。

 希望に満ちた日の光が目に染みる。

 

 結局最後までマーガレットが何を考えているのかが分からなかった。

 俺とフォスを使って何かをしようとしていることまでは分かるんだが、あの空間にいてそこまで頭が回るはずも無かった。

 乗せられたのだ。

 それで、フォスに向かってあんなことを……。

 そう考えても、罪悪感はそれほどない。

 マーガレットの甘いささやきが和らげている。

 覆い隠していると言ってもいい。

 フォスも喜んでいたし、まあ別にいいんじゃねえか、なんて考えに至ってしまう自分がいる。

 

「……こわぁ」

 

 つい声に出た。

『剛姫』マーガレット。

 気づけば沼に引きずり込まれていたかのような感覚。

 忘れたくとも、一生忘れられないんだろうなという、この強烈な記憶。

 

 それらはないまぜになって、癒えない傷のように心の中に残っていた。

 

 

 

 

 その日の冒険者ギルドは、いつもと様子が違った。

 相変わらずの人の量と騒がしさなのだが、彼らの顔色はあまりすぐれない。

 ギルドの職員もせわしく動き回っており、ひと際大きな掲示板には何かが貼りだされていた。

 それは、タワーダンジョンについてのもの。

『大変異』の兆候アリ。

 そう書かれていた。

 

「――はい、第一階層で本来現れないはずのモンスターが出現したのは、事実なのです」

 

 ギルド裏手の路地裏。

 俺とアリアがタワーダンジョンについて話す時の定番スポットだった。

 彼女は煙草に火をつけ、それを口に咥える。その気だるげな瞳は、いつも以上に活気が無い。

 

 化粧で誤魔化してはいるが、目の下には深いくまが見えた。

 シルバークラウンより大変異の兆候についての報告が上がり、冒険者たちがその説明をギルドに求めて押し寄せてきている。

 彼女もその対応に追われていたのだろう。

 

「ダンジョンの構造の変化や『大量発生(アウトブレイク)』についてはまだ確認されていませんが……これが、シルバークラウンの報告にあった、出現していたモンスターの一覧表なのです」

「第七階層以降のモンスターしか出ていませんね……」

「はいなのです。高確率で『大変異』が起こるものと予想されるのです」

 

 差し出された紙を見てみると、名だたるモンスターの名が羅列されている。

 どれも一癖も二癖もあるモンスターで、第一階層なんて浅層に出てきてはいけない強さを持つ奴らばかり。

 物理攻撃が効かなかったり、魔術が通じなかったり、パーティの構成次第では詰むことだってあり得るレベルだ。

 

「現状、シルバークラウンの測量班による続報待ちの状況で……。ギルドからの依頼という形で、彼らに調査に向かってもらうというのが支部長の決定なのです」

 

 そこで一息つくように、アリアは煙草を吹かす。

 

『大変異』の兆候が確認されてから、実際に事が起こるのは早くて1週間前後。

 今のうちに情報を集め、『大変異』時に起こった変化の傾向を知るのがシルバークラウンの目的だろう。

 どれだけ攻略難易度が上がるのか。

 出現するモンスターの種類の偏り方も変わるかもしれない。

 場合によっては攻略班の再編も迫られる。

 得られる情報は多ければ多いほど良い。

 

「しかしそうなると、第一階層からかなりの危険度となりますね。測量班には、護衛が?」

「ダフニーさんと、それから魔術師の女の子が一人……だったと思うのです。こーんな感じの三角帽子を被った……」

「魔術師の女の子……金髪の?」

 

 アリアはこくりと頷いた。

 ならもう一人はマリーベルか。

 その二人なら、モンスターが群れで襲ってきても問題は無いだろう。

 

 ……なるほど。

 今の状況としては、そんなものか。

 俺に出来ることと言えばこのモンスター共の対処法を教えることくらいだが、その辺の情報はもう出し切っているしな。

 シルバークラウンに頑張ってもらうしかない。

 ギルドと同じ結論に至る。

 

 渡された紙を返しながら、俺はアリアに頭を下げた。

 

「ありがとうございます。こんな忙しいときに、わざわざ……」

 

 ギルドだって情報の整理やすり合わせをやらなきゃいけないだろうし、冒険者の対応とは別に日常業務もこなさなければいけない。

 窓口対応として冒険者をまとめ上げるアリアの存在が無いだけでもかなりの負担になってしまうだろう。

 

 だからこうして会いに来るのも控えた方が良いかと思ったのだが、

 

『ダメなのです。マエストロさんがいないと、体のいいサボリの口実が生まれないのです。なんなら、もっと会いに来てもらってもいいぐらいなのですから』

 

 なんて冗談めかして言ってくれたのだった。

 ギルドの看板娘が会いに来いだなんて、男冥利に尽きるってもんだぜ。

 なんて。

 

 まあ、気を遣ってくれているんだろう。

 嘘ではないにせよ、彼女もギルドの一員として身を粉にして働いている。

 それを、仕事とはいえ、顔色一つ変えないで俺のわがままに付き合ってくれているのだからありがたいことだ。

 

「……はぁ、マエストロさん」

 

 アリアは懐からもう1本の煙草を取り出し、それを俺に差しだしてきた。

 ジトっとした目を向けられ、思わずたじろぐ。

 戸惑っていると、吸えというジェスチャーをされたので、それに従う。

 

「ん」

 

 アリアは咥えたままの煙草を突き出してきた。

 

 それで火を付けろということなのだろうか。

 煙草を手に持って、アリアの咥えている煙草で火をつけようとするが、

 

「それではダメなのです。吸わないと火はつかないのですよ」

 

 そう言われてしまったので、仕方なく、顔を近づけて煙草を咥えた。

 ちらりとアリアの顔を見れば、珍しく楽し気な表情を浮かべているのが分かる。

 紫の瞳には、困惑する俺の顔が映っていた。

 

 煙草が触れ合い、それを吸う。

 口の中に香りが広がり、それをゆっくりと肺の中に落としていって、吐き出す。

 

「マエストロさん」

 

 アリアの二股の尻尾がゆらりと左右に揺れた。

 

「私はこうやって会ってお話をするの、お仕事だとか、義務だとか、そんなことは全く思ってないのです」

「……?」

「寂しいじゃないですか、そうやって申し訳なさそうな顔をされると」

 

 眉尻を下げて、アリアは困ったように笑う。

 俺は自分の頬に触れた。

 そこまで深刻そうな顔をしていたのだろうか、俺は。

 

「まあ、どうしてもお話の内容は事務的になってしまいますが、これでもマエストロさんとは仲良くなっていたつもりだったのです」

 

 アリアはぱちくりとウインクをしてきた。

 

「魔道王さまのお力添えが出来るっていうのは、結構いい気分なのですよ?」

「それは――」

「こうして短い間だけでも、独り占めできるのですから」

 

 紫煙が一瞬、俺とアリアを隔てた。

 煙越しに見る彼女のいたずらっぽい笑顔は、どこか妖艶だった。

 

「だから、遠慮なんかしないで会いに来てくださいなのです。マエストロさんがやって来て、私だけが分かるような合図をして、怪しまれないように抜け出して、秘密の密会だなんて――こんな経験、楽しくないはずがないのです」

 

 そこまで言われてしまうと、こちらとしてはもう何も言えない。

 俺も煙草をふかした。美味しいとか不味いとかよく分からないが、気分は良かった。

 

「かないませんね……」

「敵なしの英雄さまが、ですか?」

 

 アリアはくつくつと笑う。

 それから彼女は空を見上げた。

 どこか懐かしむような目をして、口を開く。

 

「あなたの英雄譚を聞いて、胸を躍らせていた時期もあったのです。まだ小さい妹に、母がお話を聞かせてあげて、私はその隣でそれを聞いていて……」

 

 そして、微笑んだ。

 

「その憧れの人が、今では、私の目の前に立っている」

 

 彼女は空に向かって煙草の煙を吐く。

 煙は立ち上っていき、やがて見えなくなった。

 アリアは煙草の火を消し、またお得意の魔術を使い、花の香りを纏う。

 

「煙草一本分。それぐらいは、肩の力を抜いて世間話でもしましょう? これからは、ねっ?」

 

 そろそろ戻るのだろう。

 彼女はこちらに手を振り、軽やかな足取りでギルドへ戻っていく。

 

 気づけば俺の煙草もすっかり短くなっていた。

 ぼーっと、彼女の後姿を目で追う。いつもなら彼女はそのまま行ってしまうのだが、今日は途中で振り返って俺を見てきた。

 目が合う。

 アリアは笑った。

 満足気に。

 そして前に向き直り、表に出たあたりで人ごみに紛れ、その姿は見えなくなった。

 

「あー……」

 

 壁に背を付け、空を見上げる。

 なるほどね。

 あれが、ギルドの看板娘。

 

「ありゃ、まとまりは良くなるよなぁ」

 

 今なら気持ちもわかる気がする。

 まあ、俺の場合はちょっとずるい立場にいるが。

 

 肺の中に煙草の香りが残っている。

 それは熱にも似ていて、俺はそれに浮かされるような思いのまま、澄んだ青空をしばらく眺め続けていた。

 

 

◇◇

 

 

 

 タワーダンジョンでは、シルバークラウンの測量班が慣れた手つきでマッピングを進めていた。

 大きなバッグを背負い、巨大な紙を広げては仲間内であーだこーだと言い合い、ダンジョンの壁や床を見つめてはそれをメモ帳に書き留めている。

 

 ノームという種族の血を引いている彼らは背が低く、身体の輪郭はぬいぐるみのように丸い。

 戦闘能力はほとんど無い者たちばかりで、物音一つ立つたびに怯える者もいれば、集中しすぎて段差に足を取られそうになる者もいる。なんにせよ、危なっかしい子たちであった。

 

 それを見守るのは『剣客』ダフニーと、不機嫌そうなマリーベルだ。

 

「どうした、マリーベル」

「……なんでもない」

 

 なんでもなくない。

 腕を組み、その場で貧乏ゆすりをする様は、測量班からすれば急かされているのではと思うほど威圧的だ。

 それをダフニーに注意されると、マリーベルは彼らに「ごめん」とだけ謝って、息を吐いた。

 

(昨日、結局、フォス先生は帰ってこなかった……)

 

 無意識に腕をさする。

 もうすでに痕は無くなっているが、これのせいで酷い目に遭ったものだ。

 

 マエストロと初めて会った晩、マリーベルが娼館を利用したのだということはすぐにマーガレットが広めて、そこでもひと悶着あった。

 シルバークラウン加入時のマリーベルはまだ小さく、仲間たちからは末っ子として甘やかされてきたのだが、そうやって可愛がってきた子供がある日突然娼館で初体験を済ませたというのは彼らにとって相当なショックだったらしく、大げさに寝込む者までいた始末。

 

 ダフニーもだ。

 マリーベルを子供のように思っていたから、これ見よがしに泣き喚いたりはしないものの小言を言ってきたり、”いいかマリーベル、健全な恋愛というのはだな……”なんて聞いてもいない恋愛観をずっと語られたり。

 思い出すだけで嫌気が差す。

 そういうのはいちいち誘ってくるマーガレットに言え! と。

 まあ、彼女は表立って誘ってくることはなかったし、彼らは気づいてなかっただけかもしれないが。マリーベルもいちいち彼女の名前を出すことはしなかった。

 

 ともかく。

 それらが縄の痕が見つかってしまったことによって余計酷くなったのは言うまでもないが、マリーベルが不機嫌なのはそれだけが理由ではなかった。

 

(メグ。あの女……)

 

 マーガレット。

 当てつけのようにアダンソニアに行ってくると言ってきた、鼻持ちならない女。

 マリーベルは次の日に測量班の護衛があったため着いていくことが出来ず、マーガレットがアダンソニアで何をしようとしているのかまでは分からなかったが、彼女の人となりを良く知るマリーベルはある程度その行動を予測していた。

 

(大方、マエストロを自分のものにして、あたしに一泡吹かせたいんでしょうけど)

 

 まあ、そこは良い。

 あの女とマエストロが身体を重ねるという事実は気に食わないが、仕事以上の関係にはならないだろう。

 

「……チッ」

「マリーベル?」

 

 くんずほぐれつな情景を妄想してしまって、虫唾が走った。

 

(また絶対行く……明日、いやなんなら今夜でも……あの女のことなんか一秒でも早く忘れさせてやりたいもの……)

 

 腕をぎゅっと握ると、彼に縛られたあの日の夜が思い出される。

 次はきっともっとすごいことをしてくれるだろう。

 そう思うと、どうしても表情が緩んでしまう。

 腕だけでもどうにかなりそうだった。

 余韻だけでも身体が打ち震えたし、あの日は一日彼に抱きしめられるような気分でいて、頭がおかしくなりそうだった。

 そんな感覚、最高すぎる。

 次は足を? 全身を? あえて彼の好みに任せて、それすら愉しむのも有りだ。

 

「くへ、へへ……」

「……今日は感情が豊かなのかな?」

 

 ハッとしてマリーベルは頭を振った。

 そうではない。

 それも大事だが、何より気がかりなのは別のことだ。

 

(メグの奴、わざわざフォス先生をアダンソニアに連れて行って……でも、フォス先生はお酒を飲むだけでその日のうちに帰ってくるって言ってたのに)

 

 どういうわけかフォスを連れ立ってアダンソニアに行ったマーガレット。

 フォスは乗り気ではなく、親切にしてくれたマエストロへのお礼ができる、というマーガレットの言葉に渋々了承したくらいで、娼館を利用する気は全くなかったはずだ。

 

(マエストロのことにも気づいてないわよね。あっちの方は……まあ、あたしもフォス先生も覚えてなければあんなアドバイスはしないだろうから気づいてるんだろうけど)

 

 マリーベルと会うようにマエストロがついた嘘は、学院時代の2人を知らなければつけない嘘だ。

 だから向こうはフォスのことも分かっている。なんなら、マリーベルのことだって、きっと初めて会った時から。

 彼は気づいてて自分を抱いたのだと思うと、マリーベルの身体は悦びに震えた。

 

(――って、違う、違うでしょ、あたし。ちょっと頭がピンクすぎるってば!)

 

 フォスは日付が変わっても帰ってくることはなく、朝になってからマーガレットと一緒に帰ってきた。

 恥ずかしそうに髪先を指でいじくりながら、ぼーっと熱っぽくどこかを見つめる姿は、マリーベルにとっても見覚えがある姿だった。

 つまるところ、彼に初めて抱かれた日の自分である。

 

(ヤった?)

 

 答えは聞けなかった。

 マーガレットに絡まれている間に、フォスはそそくさと宿屋に戻っていってしまい、彼女が顔を出すのを待っていたら今回のマッピングが始まってしまったから。

 シたのだろうか。

 彼が恩師を……?

 いや、どうなのだろう。

 学院時代のマエストロはフォスに心酔していた。

 そんな子をわざわざ抱くのだろうか。

 実際まぐわったのならマーガレットが言ってきそうなものだったが、そのような発言はなく。

 

 まあ”私と彼ってば相性よくてぇ、マリーちゃんみたいなテク無しのザコのこととかもう覚えてないかもぉ”とかいう煽りはあったが。

 

(気になる気になる気になる……フォス先生は自分のことを明かしたのかな? それとも気づかないまま? 本当はまだシてなくて……でも朝帰りで……っ)

 

 頭の中をぐるぐるぐるぐる、同じ疑問が渦巻いていた。

 それは嫉妬にも似ているのだろうか。

 フォスが自分のことを明かしたら、マリーベルのことなんて眼中になくなるのではないかという思いが無いとは言えなかった。

 それだけ昔の彼はフォスのことばかりを見ていたのだ。

 

 欲しい。

 彼の温もりが。

 縄の締め付けが。

 あれは彼の愛だ。

 自分を慮り、いたわるように、それでいて劣情を受け入れてくれる、彼と自分との秘密の儀式。

 再び腕を握り込むが、全く足りなかった。

 

「マリーベル。退屈だとは思うが、集中しろ」

「…………うん、ごめん」

 

 ダフニーの言葉に、息を吐く。

 かぶりを振って、頬を叩いた。

 何はともあれ、今は気を抜いて良い状況じゃない。

 終わった後に、こういう鬱憤は全部ぶつければいいのだ。

 彼に。

 

「り、リーダー! マリーベルさん! 敵でーす!!」

 

 測量班の一人がダンジョンの奥を指さして叫んでくる。

 モンスターのお出ましだ。あれは――粘性の生物、アシッドスライム。酸性の身体を持つモンスターだ。接近戦を挑もうものなら、装備ごと身体を溶かされ死に至る。ダフニーは昨日、あれを何食わぬ顔で両断していたのだが。

 ダフニーを見ると、”君に任せる”と目線で伝えてきた。

 マリーベルは三角帽子を被り直す。

 

 スライムは思った以上に足が速いが、人の足には遠く及ばない。

 測量班の避難が終わったあたりで、杖を構える。薄緑色のスライムが何匹も――気味悪いな、とマリーベルは思った。

 

「そんな、あまりにも再出現(リポップ)が早すぎる……」

「どうした?」

「ついさっきも同じアシッドスライムが出現してきて、それから10分も経っていません。本来アシッドスライムはもっと深層のモンスターで、強ければ強いほど再出現(リポップ)の間隔は広がるはずなので、出現まではもっと遅いのが普通なんです」

大量発生(アウトブレイク)……」

「いえ、もしそうならもっと大量に出現するはずです。だから、モンスターが発生するメカニズム自体には異常はありません。ただ、間隔だけがおかしい」

 

 おかげでマッピングは遅々として進まず、測量班の面々はうんざりとした表情を浮かべる。

 これもまた異常の一つ。

『大変異』の兆候として書き留めておくよう、ダフニーは指示を下した。

 

 それからマリーベルの方に視線を戻せば、アシッドスライムたちをまとめて氷漬けにしている所であった。

 マリーベルは魔術を唱え、両腕に黒色の手甲を装備する。土魔術と雷魔術の融合魔術だ。雷が迸っているのが分かる。

 これなら酸性だろうがなんだろうが関係ねぇ! と言わんばかりにマリーベルは一つ一つ氷細工となったスライムたちを砕きまわっていた。

 

「ひぇぇ……」

 

 魔術師らしからぬ血気盛んな戦い方。

 見慣れた光景とはいえ、衝撃はすさまじい。

 通路を埋め尽くしてしまうほどの氷魔術をさらっと使えてしまうのも、それを笑顔でぶっ壊しまくるのも。

 もちろん、関係の無い私怨が乗っているからこその身の入り方だったりするのだが、それに気づく者はおらず。

 

 ゼロレンジソーサラー。

 やはり面白い戦い方だな、とダフニーは思った。

 

「あぁ、多い、多い、っての! ちょ、リーダー! やっぱ手伝ってよ!」

「もう少しもう少し」

「うがー! 何面白がってんのよアホー!」

 

 じっと楽しそうに見ているダフニーに悪態をつきながら、マリーベルはスライムたちを始末していく。

 ひとつ、ふたつ。

 そして、みっつ。

 最後のスライムを砕いたところで、マリーベルは新しい気配を感じ取った。

 

 通路の奥からだ。

 コツコツと足音が鳴る。

 人。

 冒険者?

 

 うっすらと見えるのは、白色。

 輪郭がはっきりしていくと、白を基調とした服を身に纏う人間であることが分かる。

 短い杖を手に持ち、土埃を払いながらこちらに歩んでくるその人影は――よく目立つピンク色の髪をしていた。

 

「……なんなんですか今日、モンスター湧きすぎじゃないですか……」

「――は!?」

「ん? ……げ!」

 

 その顔には、その姿には見覚えがある。

 マリーベルは驚愕したまま固まった。向こうの女――フリティラリアもまた同じように固まってしまう。

 

 どちらも数年ぶりの再会である。

 あの時とあまり変わらない姿に、懐かしさもあるが、それ以上に互いに嫌いあっていた時代の記憶が蘇り、次第に苦渋を舐めるような表情に変わっていく。

 動いたのはフリティラリアが先だった。

 取り繕うように咳ばらいを一つ。

 

「……お久しぶりですねぇ、マリーベルさん」

 

 と、笑いかけてみるが、マリーベルは目を合わせようとしない。

 彼女にとってフリティラリアという女は、ゴールデンドーンを幾度となく邪魔してきた存在だという認識だったから。

 ゴールデンドーンの功績に隠れてしまう程度の邪魔しか出来ておらず、世間的にはその悪行は知られていないが、グローリーナイトフォールの名前が同時に出てくることも多かったので”どうせ邪魔してんだろうなあ”とマリーベルは思っていたのだ。

 

「来てんだ、この街に。いったい何の用があって?」

「何の用? ふふ、おかしなことを聞きますねえ、冒険者がこんな街に来る理由なんて、一つしかないでしょう? シルバークラウンの冒険者ともあろうお方が、その程度考えもつかないんですかぁ?」

「ハッ、あんたなんかには無理よ。ゴールデンドーンを超えることなんか出来っこしないわ」

「……」

 

 バチバチ、と二人の間に火花が飛び散る。

 そこを割って入ったのは、ダフニーだった。

 

「マリーベル。友達か?」

「どこをどー見たら!? 敵よ、敵! メグよりも質の悪いクソ女よ!」

「おやぁ、これはこれは、ダフニーさんではありませんか。お噂はかねがね」

「ああ、ダフニーだ。よろしく頼む」

「よろしくしてんじゃないわよ……」

 

 マリーベルは諦めたかのように肩の力を抜く。

 せっかく気晴らしにモンスターを蹴散らしたというのに、これではまたストレスが溜まって爆発してしまう。

 そのために出来るだけフリティラリアを視界から外すのだった。

 

 フリティラリアはダフニーに自己紹介をする。

 その名前と、グローリーナイトフォールの名前に聞き覚えがあったのか、ダフニーは”ああ、あの”という顔をした。

 

「ゴールデンドーンの陰の立役者……」

「違いますが」

「違うのか?」

「……」

 

 フリティラリアはダフニーを見るが、その瞳にからかう色は見受けられなかった。

 ゴールデンドーンの陰の立役者。

 それは、一部でまことしやかに囁かれている説である。

 英雄譚に名前が出ることが多かったグローリーナイトフォールを、実は……という風に面白おかしく曲解して広めたバカがいたおかげで、変な風に噂に尾ひれがつきまくってしまっているのである。

 

 あれもこれも、ゴールデンドーンに負け続けてしまったせいだ。

 

 フリティラリアは奥歯を噛みしめた。

 だが、すぐに弛緩する。

 ゴールデンドーン憎し魔道王憎しで妨害ばかりしてきたが、その感情は今になって変わりつつある。

 噂を流したバカは許せないが、あの敗北の日々もそれほど悔しさを抱けなくなっていた。

 

「……まあ、いいです。それで、シルバークラウンは……これ、何やってるんですか?」

「マッピングだ。私とマリーベルはその護衛だよ」

「マッピング?」

「ああ。……もしや、見ていないのか? 確かギルドの掲示板に張り出されていたはずだが……」

 

 フリティラリアはいまいちピンと来ていない様子だった。

 そのやり取りを横で聞いていたマリーベルは、もしやと思い口を開く。

 

「『大変異』の兆候アリって報告、聞いてない?」

「……」

 

 フリティラリアの動きが止まった。

 そんな報告、聞いてもいないのだ。初耳である。

 

「嘘、ぎ、ギルドに行ってないの!? 普通あれだけ騒がれてたら分かるもんでしょ!?」

「……あそこ、人が多すぎてあまり行きたくならないんですよね……」

「おばか!」

 

 ダンジョン攻略には最新の情報が必要不可欠だ。

 未確認モンスターが現れたり、今回のような『大変異』関係の報告が上がれば、真っ先にギルドでその情報は共有される。

 冒険者はまずギルドに向かい、攻略に支障をきたすような報告がないかを確認するのが普通だった。

 

「仲間は!?」

「いませんが」

「さも当たり前かのように、言うな!」

 

 情報を得ようともせず、仲間もいない。

 ダフニーのフリティラリアを見る目が、少し変わる。

 

 命知らずというわけではない。

 それが出来るだけの実力はある、ということなのだろう。

 グローリーナイトフォール。

 陰の立役者という噂もあながち間違いではないのかもしれない……!

 ダフニーはほくそ笑んだ。

 フリティラリアはちょっと引いた。

 

「今いないだけです。どうせ金で雇っただけのごろつきなので、まあ惜しくもありませんが。ここを攻略するとなると、逆に邪魔になるだけですからねぇ」

「だからって、あんたねえ……!」

「ふふ、なんですかぁ? 私が心配で仕方ないんですかぁ、マリーベルさん……?」

「はぁ? うるせーあほピンク」

「あほピンク!?」

 

 あっかんべーと、小ばかにしたような態度を取ってくるマリーベルに、フリティラリアは怒りそうな自分を抑え、深呼吸をした。

 反応したら負けだと分かっているからだ。

 

「ともかく、シルバークラウンが動いているのなら、『大変異』の兆候とやらも本当なんでしょうね」

「ああ。だからしばらくここに立ち入ることはやめておいた方がいい。少なくとも、私たちの調査結果がギルドから公表されるまでは」

「なるほど。ご苦労なことですね、わざわざ面倒ごとを引き受けて」

「先達に――『ゴールデンドーン』に倣ったまでだ」

「――」

 

 一瞬だけ、フリティラリアの青い瞳がダフニーを射抜いたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。

 

「そういうことなら、今は大人しくしておいた方が良さそうですね」

 

 ここに長居する必要もない。

 フリティラリアはちらりとマリーベルを見たが、明後日の方向を向いていたので、特に声もかけずに立ち去ろうとする。

 ダフニーに別れの挨拶だけしようとしたところ――

 

「あ、あれっ?」

 

 測量班の一人が声を上げる。

 壁面に座り込み、右手にはノミのような道具を、左手には虫眼鏡を持って、壁を注視していた。

 

「な、なんで、お、おかしいな、こんなはず……」

 

 そのただならぬ雰囲気に、フリティラリアの足がそちらに向かう。

 見ると、壁を削って、それが再生するまでの時間を計測しているようだった。

 

 ほとんどの場合、ダンジョン内部の損傷が修復されるまでは、半日から1日は掛かる。

 損傷の度合いが高ければ高いほど時間は伸びていくが、多少削ったくらいであれば数時間で元通りになるだろう。

 

 測量班がもう一度ノミで壁を削る。

 ぽろりと壁面の表面が崩れ、

 その削られた部分は、

 ものの数秒で修復された。

 

「……え?」

 

 ほかの測量班の仲間も集まってその光景を眺めていた。

 ダフニーとマリーベルも先ほどの位置から変わらぬ場所でそれを見ている。

 

 異常。

 これは、異常だった。

 

 再出現(リポップ)の頻度が異常なまでに高まり、修復も異常な早さで行われる。

 早い。

 早いという、異常。

 

「こんなの聞いたことも無い……誰か、この現象に覚えは?」

「な、ない……こんなの普通じゃないよ」

「早い……」

 

 一人がぽつりとつぶやいた。

 

「ダンジョンのメカニズムが早められている……」

 

 果たしてそれは――

 

「一体、何から、何までが?」

 

 メカニズム。

 それはモンスターの出現だったり、

 今見たような損傷の修復だったり、

 それから、

 それから――

 

「――『大変異』?」

 

 もしもそれすら早められているのだとすれば――

 

「――ッ!?」

 

 その瞬間、ダンジョン内を風が吹き抜けた。

 生暖かい風。

 そして――重圧。

 誰しもが通路の先を見た。

 暗がりで見えない、その先。

 そこに何かがある。いる。

 プレッシャーを放つ何かが。

 

 地響き。

 ダンジョン全体が揺らぎ、土埃が降ってくる。

 ダフニーは剣を抜いていた。

 マリーベルも奥を睨みつけながら杖を握った。

 それを見てフリティラリアも、巻き込まれてしまったらしいことに嘆息しながら、杖を抜き放つ。

 

 果たして。

 地響きはさらに大きくなり、

 通路の先にいた何かの存在も明らかになっていく。

 

 それは――虫。

 虫、虫、虫――通路を埋め尽くさん限りの虫型のモンスターの大群であった。

 

「――大量発生(アウトブレイク)!」

 

 叫ぶダフニーの額を冷汗が流れる。

 これは――『大変異』だ! 通常よりも何倍も早いスピードで『大変異』が発生したのだ!

 目に映るモンスターの群れはそれほど驚異的ではない。マリーベルとダフニー、この二人がいれば対処しきれるレベルだ。

 だが『大変異』――それだけで終わるのか?

『ゴールデンドーン』が敗北したほどのこのダンジョンが、それだけで終わらせてくれるのか?

 

 逃げることはできない。

 あれはここで食い止めなければ、ダンジョンの外へ出て行ってしまう。

 そうなればポーラが危険だ! だが、こちらとしても測量班を逃がさなければいけない!

 

「フリティラリア殿! 頼みがある!」

「――こんな状況で? 聞いておきます、何ですか!」

「測量班を外に避難させていただきたい! 我々はここで大量発生(アウトブレイク)に対処する!」

 

 フリティラリアはちらと測量班の子たちを見た。

 怯え、頭を押さえ震えている。これを守りながら外に――出来るか? ――出来る、自分なら。

 

「……高くつきますよ! ああもう、なんでこんなことに……!」

「助かる」

「フリティラリアのかっこいいとこ見てみたいー! ひゅーひゅー」

「なんだこいつ……」

 

 フリティラリアはマリーベルを一瞥すると、彼女は声には出さず口パクで「ありがとね」と伝えてきた。

 ウインク付きで。

 もう少し文句を言ってやろうと思っていたが、毒気を抜かれてしまったので、舌打ちだけに留める。

 

 事態はそれなりに深刻だ。

 起きてしまったことはしょうがない。

 ここはダフニーの指示に従い、あとで金銭をできるだけせしめてやろうと考えていた。

 もうモンスターたちは、這いずる音や羽音が聞こえてくる距離にいる。

 

「では、ご無事で――」

 

 フリティラリアが測量班を連れて外に向かおうとしたところで。

 

 ()()は、唐突に起こった。

 

「えっ?」

 

 ダンジョン中の壁を、床を、天井を。

 大小さまざまな魔法陣が埋め尽くす。

 呆気にとられ、青く光るそれをフリティラリアは見上げた。

 

 その魔法陣は。

 ――転移魔術の魔法陣だ。

 

「――ッ!」

 

 即座にダフニーは剣を振るい、自分の足元を斬りつける。

 劈くような轟音。魔法陣が破壊され、眩い光を放った。そしてマリーベルの足元に剣を投げつけ、その魔法陣も破壊する。だが、今度はフリティラリアたちが間に合わない。彼女たちは今、光に飲み込まれようとしている――!

 

「フリティラリア!」

 

 ダフニーよりもフリティラリアの近くにいたのはマリーベルだった。

 彼女は跳んだ。

 フリティラリアに向かって。

 手を伸ばし、指先がフリティラリアの服を掴むと、マリーベルは力づくで自分が跳んできた方向に彼女を投げ飛ばす。

 

 光は強まる。

 マリーベルは魔法陣の中だ。

 測量班も。

 発動が()()()()

 猶予が無い。

 こんなもの、対処のしようが――

 

 ダフニーは駆け寄り、予備のナイフを取り出そうとする。

 フリティラリアも投げ飛ばされた状態のまま魔術を唱え、魔法陣を破壊しようとする。

 マリーベルは測量班も助け出そうと、彼らの足元に向かって魔術を行使しようとした。

 

 そして。

 ダンジョン内は、光に包まれた。

 

「マリーベルさん――!」

「マリーベル――!」

 

 叫び声が二つ。

 マリーベルの声は聞こえてこない。

 

 代わりに。

 彼らは見た。

 その光の中に。

 星空で埋め尽くされた空間を。

 そこで不気味に空を舞う、黒色の大ムカデのモンスターの姿を。

 

 衝撃。

 受け身も取れずフリティラリアが地面に落ちた時には、

 すでに、

 光は収まり、

 ――マリーベルたちの姿は消えていた。

 

「――」

 

 モンスターすらも転移魔術に巻き込まれて、いなくなる。

 残されたのは、フリティラリアとダフニーだけ。

 ただただ静けさだけが戻ってきて、フリティラリアは自分の鼓動の音だけが聞こえていた。

 

 

 

 

 

 珍しく昼過ぎ頃に目が覚めた。

 いつもは夕方頃に起きて、ごろごろしてる内に出勤の時間が来るのだが、こうもまだ明るいと何かしたくなるな。

 眠気も無いし、家でしたいことも無い。

 街の方に行くか。

 

 ということで。

 街の方に来たはいいものの。

 

「誰もいないな」

 

 いつもなら冒険者や商人たちが道を行き交い賑やかなはずのポーラが、どういうわけか静まり返っていた。

 大通りに出てみても変わらず人の気配はしない。立ち並ぶ屋台に目を向けて見るが、商品はそのままに、店員だけが忽然と姿を消している。

 人気の喫茶店も、穴場の酒場も、路地裏を覗いても誰もいない。

 ひとつわかることは、建物の窓がどれも内側から何かに覆われていて、中が覗けないこと。

 

 なんだろう。

 モンスターでも出たみたいな感じだ。

 感覚を研ぎ澄ませると、人々は建物の中にいることが分かる。

 だが、モンスターの気配はない。戦闘の形跡も無いことから、この街が襲われているという線は無いと考えてよさそうだ。

 

 せっかく早起きしたというのに。

 まあ、仕方ない。とりあえず今の状況を把握しておきたいな。

 こういう時に役に立ちそうなのは――ギルドか。ここまで大事になっているのなら、彼らも関わってくるはず。

 

 気持ちを切り替えて、小走りでギルドへ向かう。

 ポーラの住民の避難が完了しているあたり、事が起きてからそれなりに時間が経っていそうだ。

 角を何回か曲がり、ギルドへ続く道へ出ると、これまた閑散とした光景が目に映る。

 ギルド周辺にも誰もいないか。

 

 近くまで駆け寄っていき、入り口から中を覗く。

 冒険者の姿も、職員の姿も無い。

 ……これ、どんだけ大事なんだ?

 はぐれ竜でも迷い込んできたのか?

 

 中に入っていくが、めぼしいものは見つからない。

 掲示板に張り出された『大変異』についての張り紙だけが存在感を放っていた。

 ……当てが外れたか。

 これじゃあさっぱり状況が分からん。

 郊外に家を持つとこういうことが起こるのか。

 街の中心から遠い以外は結構気に入ってるんだけどな……。

 

 もしかしたら、こうやって外に出てると迷惑になるかもしれないな。

 ここは大人しく家に帰って、また後日何があったかを確認するしかないか。

 

 踵を返す。

 ――と。

 

「――!」

 

 声。

 外からだ。

 耳を澄ますと、少女の声と、複数人の大人の足音。甲冑を着こんでいる者特有の音がする。これは――衛兵か?

 

 大人たちの足音は遠ざかり、軽い足音がギルドに近づいてくる。

 さっきの声からすると、おそらく――果たして、思った通りの人影が顔を覗かせた。

 

「あ、あれ!? マエストロさん!?」

「アリアさん!」

 

 アリア。

 大量の汗をかきながら、肩で息をしている。

 俺を見るや否や、尻尾をピンと立て、目を丸くした。

 

「すみません、さっきまで郊外にいて状況が全く掴めていないんです! いったい何があったんですか!?」

 

 アリアは俺に駆け寄ってきてから、口を開く。

 

「――『大変異』です!」

「……何!?」

「『大変異』が起こったのです! タワーダンジョンで! 大量発生(アウトブレイク)と”スタンピード”が同時に起こって、それで、住民の皆さんの避難を……っ、ごほっ、ごほっ」

 

 大変異。

 大変異だと?

 そんな馬鹿な。

 兆候が確認されてから一日と経っていない。

 早くても1週間、それくらいの猶予があるはずなんだ。

 

 普通ならば、あり得ない。 

 だが状況は――それが真実であるということを雄弁に語っている。

 

「――こんな、早く」

 

 嫌な汗が流れた。

 奴の――リリスの顔が一瞬浮かんだ。

 それから、

 思い出す。

 

「シルバークラウンは――測量班はどうなったんですか?」

 

 彼らは帰還しているのか?

 無事なのか?

 シルバークラウンは、

 ……マリーベルは。

 

「測量班は……転移魔術に巻き込まれたと、報告がありました」

 

 転移魔術。

 深層に飛ばされるという、あの。

 

「ダフニーさんは転移魔術からは逃れることができたものの、もう一人の護衛の方は測量班と共に転移してしまったようなのです」

 

 アリアは小さく息を吐き、自分の手を握り締める。

 震えを止めるように。

 震え。

 彼女は震えていた。

 なぜ?

 何が、あったというんだ?

 

「転移先は――『ヴォイド・ディメンション』、とのこと……なのです」

「――」

 

 言葉が出なかった。

『ヴォイド・ディメンション』。

 それは――第十階層、()()に巣食うボスモンスターの領域。

 その空間の主の名は――アレスティピード

 黒一色の身体を持つ、大ムカデのモンスターだ。

 

 奴とは何度も戦った。

 ゴールデンドーンを付け狙い、何度も何度も襲い掛かってきたのだ。

 俺たちはその度に奴を撃退してみせたが、奴の強さは本物だ。

 準備もなしに単独で挑んで勝てるような奴は、この世界にも数人しかいないだろう。

 

 そこに、飛ばされた?

 マリーベルが――戦えない測量班とともに、一人で?

 

「ダフニーさんはその場で測量班の救出に向かったようなのです。それから、『大変異』発生の報告を受け、シルバークラウンのメンバーが次いで彼の後を追っていきました」

「……」

「おそらくアレスティピードは10階のボスフロアにいると予想されるです。

 その魔力にあてられたモンスターたちが次々とダンジョン外に逃げ出す”スタンピード”が確認されていますから。

 ……ギルドは現在、ポーラの衛兵と協力し、住民の避難とダンジョン周辺での防衛線の構築を済ませ、冒険者の方々がモンスターを食い止めるのをサポートしているのです」

 

 言い切った彼女は、そこで大きく息を吐いた。

 顔色は優れない。

 当たり前だ。

 あの規模のダンジョンのスタンピードともあれば、戦いは熾烈を極めるだろう。

 それに加え、シルバークラウンが『大変異』に巻き込まれ、『ヴォイド・ディメンション』に飛ばされたときた。

 こちらが聞きたかったことを冷静に教えてくれたアリアの凄さがよく分かる。

 

 そうだ。

 落ち着け。

 焦ったところで事態が改善するわけではない。

 

「俺に手伝えることがあれば何でも言ってください。協力します!」

 

 マリーベルのことが気がかりだが、俺に出来ることは無い。

 救助に向かったシルバークラウンの面々に託すしかないのだ。

 

 俺はやれることをやる。

 それが俺の取れる最善手だ。

 

「……」

 

 だが、アリアは、少しだけ何かを言いよどんだ。

 俺の目を見て、視線を外し、何かを考えこんで、

 

「――伝言が、あるのです」

「伝言?」

 

 それから、意を決したように俺を見つめてきた。

 

「『大変異』発生時にシルバークラウンと行動を共にしていた――『グローリーナイトフォール』の冒険者の方からの伝言なのです」

 

 それは、つまりフリティラリアからの……!

 あいつ、ダンジョンに潜ってたのか! それもシルバークラウンと一緒に!

 

 アリアは、伝言の内容を教えてくれた。

 簡潔で、短い、一文だけの伝言。

 

『助けてください、代償は払います』

 

 あいつらしからぬシンプルな文言だった。

 

「これを、魔道王にと。そうとだけ言い残して、彼女も彼らの救助に向かったのです」

「――!」

 

 フリティラリアは俺のことを知っている。

 俺が本当は魔道王であること、それから、リリスにかけられた呪いのことを。

 つまり――それほどなのか?

 代償を支払うとは、要は俺の呪いである発情について、自分がその身で受け止めるということに他ならない。

 そこまで切羽詰まっているというのか?

 マエストロではなく、魔道王でなくてはならないほどに。

 

「……」

 

 アレスティピードは強い。

 強いが、シルバークラウンのメンバーが揃ったのなら難なく倒せるだろう。

 が――嫌な予感は拭えない。

『大変異』。

 それは、どんなことだってあり得る魔力災害。

 もしかしたら。

 あるいは、

 偶然、

 そういったもので溢れかえる異変。

 この場合、起こりうると考えられるのは――シルバークラウンの、全滅。

 

 ダンジョンの様子は分からない。

 本当はそれほど危機的状況ではないのかもしれない。

 俺の出番なんて無いのかもしれない。

 

 だが。

『助けてください』と奴が言った。

 見栄を、虚勢を張り、プライドだけは人一倍高く、そんなあいつが――助けてくれと言っているのだ。呪いの代償を払うと約束してまで。

 

 確実性。

 それを求めるのなら、最初から選択肢など存在しない。

 そして、何より――

 

 目を閉じる。

 すぐに、あの時の情景が浮かび上がってきた。

 絶望的な状況。

 どうにもならない無力感。

 それらすべてを払いのけ、救い出してくれた――恩師の背中。

 

 俺はあの背中に憧れた。

 そして、冒険者になった。

 ゴールデンドーンを結成しても、決してあの背中を忘れはしなかった。

 

 だから。

 

「ぁ……」

 

 それを、貫こう。

 たとえこれが、先達としての最後の大仕事になるだろうとしても、

 誰よりも尊敬するあの人ならば、間違いなく、迷いなく、助け出すだろうから。

 

「その、お姿」

 

 魔術を行使する。

 俺を一瞬だけ光が包み込み、次の瞬間には――俺は別人になっていた。

 最低限の鎧と、ローブ、そして、認識阻害の魔術が施された仮面。

 素顔よりも有名になってしまった、俺のもう一つの顔。

 

魔道王さま……」

 

 久しぶりだ。

 この姿になるのは。

 懐かしさと共に、何か滾る想いがある。

 やっぱり、俺にとってはこっちの方が慣れ親しんだ顔なのかもしれないな。

 

「アリアさん。シルバークラウンの救助には俺も向かいます。誰一人欠かすことなく、救い出してみます」

「……」

「だから、地上のことはお願いします」

 

 アリアは見たことない顔をしていた。

 普段見る表情よりもずっとずっと幼い、まるで夢見る少女のような顔を。

 じっとその紫色の瞳を覗き込むと、彼女はハッとしたようにかぶりを振った。

 

「は、はい、任せてくださいなのですっ、ネズミ一匹、ポーラには近づけさせません!」

 

 心強い。

 なら、安心して彼らの後を追える。

 

 最後。

 アリアは、背筋をただして、俺を真っすぐに見据えた。

 

「わ、私はただの受付嬢ですが……ギルドを代表して――どうか、どうか、彼らを助け出してください、魔道王さま!」

「――はい! 任されました!」

 

 その言葉に背中を押されるようにして、俺はタワーダンジョンへと走り出すのだった。

 




 感想評価、誠にありがとうございます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。