男娼マエストロと栄光の少女たち   作:しみじみしじみ

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大変異 下

 

 タワーダンジョンの中を駆けていく。

 風の魔術を使い、自身の身体を加速させるのと同時に敵を寄せ付けない鎧を身に纏う。

 高速で過ぎ去る景色。その中に、襲い掛かって来ては千々に切り裂かれる虫型のモンスターの姿もあった。

 

 虫型のモンスター。

 それは本来この階層には現れないはずのモンスターだ。

 出現の傾向までもが変わっている。

 様々な虫の姿をした奴らが壁や天井、地面にびっしりとくっついて、羽音や這いずる音を出しながら猛スピードで外に向かっていく様は、控えめに言って不快だった。

 

 ちらりと振り返る。

 外の景色はもう見えず、ぼんやりとした明かりとしか目に映らない。

 外では今も冒険者たちがギルドの指示の下、ダンジョンの外へと這い出てくるモンスターたちの対処に当たっている。

 聞こえてくるのは、彼らの声。

 彼らの士気は異様なまでに高まっていた。

 

 魔道王。

 本当に一瞬だけしかあの場にはいなかったが、それだけで十分だったらしい。

 時間さえあれば、檄のひとつでも飛ばしてやりたかったんだが――そうなると、過剰かもしれないな。

 まあいいさ。

 心強いじゃないか。

 背中は気にしないで済みそうだ。

 

「――良し」

 

 最短経路で突っ走っていると、階段を見つけることができた。

 ダンジョンの構造自体は変わっていないな。なら、既に頭に入っている地図の通りに動けばいい。

 モンスターたちを細切れにしていきながら、進む。

 

 発情の呪いについては、今のところ問題はない。

 感情を沈静化させる魔術のおかげで、ある程度までは平静でいられそうだ。

 とはいえ、限界を超えたら決壊するのは一瞬だ。無茶できないのは変わらない。

 大技は――1回くらいが限度か。

 それ以上は俺の理性が吹き飛ぶ。

 

 必要だな、武器が。

 コスパ良く使える手ごろな魔術……あるだろうか?

 威力は欲しいが、範囲も求めると魔力の消費量は増えてしまう。

 一点突破型の魔術。あるいは――そうだ、一つ知ってるぞ。その条件に合った魔術を――!

 

 通路の先に、行く手を阻むように立ちふさがるサソリのモンスターの姿があった。

 他のモンスターとも比べて巨大な体躯。おそらく時折出現する『エリート』と呼ばれる手ごわいモンスターだ。

 丁度いい。

 物は試しとばかりに、俺は右手に魔力を込めた。

 黒い手甲。

 そして、迸る雷と炎。

 拳を振りかぶって、奴の身体に叩き込む。

 

 爆発音とともに消し飛んだ。

 爆炎と雷の余波が周囲のモンスターをまとめて殲滅する。

 ……悪くないな。

 

ゼロレンジソーサラー』。

 

 学院時代、”魔術師が接近戦とか無理だから”みたいな風潮に抗うため編み出した、逆張りの武装魔術。

 魔力消費量を抑えられて、なおかつ威力も十二分。

 魔道王時代はほとんど使ってこなかったが、なんだ、案外やれるじゃないか。

 結構手になじむ。

 ハープ型のアーティファクト――『クワイヤ』を使わないようにしていた学院時代の俺にとって、この魔術が相棒みたいなものだったからな。

 

 これなら、10階のボスフロアまでは難なくたどり着けるだろう。

 問題は――そこに到達するまでに、シルバークラウンの救助班と合流したい、ってことなんだが……彼らの痕跡が見つからない。

 おそらく彼らも最短経路で進んでいったはずだが、戦闘の痕が一つもない。無いというよりかは、モンスターたちにかき消されてしまっているのだ。

 それだけ時間が経っているということ。

 もしや既にアレスティピードと対峙しているということも考えられる。

 

 急がなきゃな。

 助けを求めたフリティラリアのためにも。

 

「……」

 

 フリティラリア。

 そして、ダンジョン。

 彼女を助けるためにダンジョンに潜るという状況が、かつての情景を思い起こさせる。

 暗がりで、泣いて怯える彼女の姿。

 あの頃とは違って、今のフリティラリアはマリーベルたちを助け出すために動いているから、そこは大きく違うか。

 

 そう考えると、意外だな。

 彼女がマリーベルを助けに行こうとするなんて。

『大変異』の当事者になったのなら、今のダンジョンが相当危険であることなど分かりきっているはずだ。

 しかも救助対象は『ヴォイド・ディメンション』にいるときた。

 俺の知るフリティラリアなら、後のことは全部シルバークラウンに丸投げしそうなものなのに。

 

 ……いや。

 そういえば、俺は……フリティラリアのことなんて、ほとんど知らないんじゃないか?

 彼女に対する印象なんて、ほとんどが学院時代のものだ。

 冒険者時代にほとんど話すことが無かったのもあるが、凝り固まったイメージしか持っていない。

 意外。

 案外、そうでもないんじゃないか?

 

 嫌な奴。

 確かにそうだ。

『ゴールデンドーン』の邪魔ばかりしてきて、今も俺はそのことを忘れちゃいない。

 

 だけど、本当にそれだけか?

 嫌な奴であるということだけが、あいつの全てか?

 そんなはずがない。

 俺の知らないことだって、何個もあるはずだ。

 

 フリティラリアが危険を承知でマリーベルたちを助けに行ったという事実。

 あるいは――どこか、見直したとさえ思っているのかもしれない。

 この苦手意識も、話してみればあっけなく解消されるんじゃないかとすら思えてしまう。

 

 それはきっと、魔道王としてではなく、マエストロとして過ごしてきたから。

 ただの俺としての考え方が、そう思わせてくるんだろう。

 確かに……一番の転機と言えるのは、彼女を抱いた日のことだから、それだけで絆されてしまったんじゃないかとも感じるけど。

 まあ、向こうが変わらず俺のことを嫌いだって言うのならどうしようもないことではあるが。

 心のどこかで……歩み寄ろうとする気持ちのようなものが出てきているのは確かだ。 

 

 ――だからこそ、アリアに約束した通り、誰一人欠かすことなく救い出さなくてはな。

 

「『ヴォイド・ディメンション』――」

 

 9階と10階をつなぐ階段は、星空によって隔てられていた。

 そこに奴はいる。アレスティピードはここにいる。 

 

 結局シルバークラウンとは合流できなかった。

 だが、この周辺の真新しいモンスターの死骸を見るに、彼らがここに来たのは間違いない。

 既に『ヴォイド・ディメンション』に入っていったのだろう。

 

 今一度、仮面に触れる。

 冷たい感触。

 俺は迷うことなく、その星空に足を踏み入れた。

 

 

◇◇

 

 

 

 タワーダンジョン10階、ボスフロア。

 ――『ヴォイド・ディメンション』。

 

「――フォス! マリーベルはどうだ!?」

「気を失っているだけです! 問題は――ブラウンさん!」

「チッ!」

 

 ブラウンが思いっきり横に跳ぶと、轟音と共に先ほどまでいた場所に大ムカデのモンスター――アレスティピードが突っ込んでくる。

 上下左右星空に覆われた世界。足場の感覚がある彼らと違って、アレスティピードは悠々自適にこの空間中を飛び回っていた。

 黒色の身体、そして鋭い牙。先ほどから突進のみを繰り返しており、こちらを弄ぶだけの余裕も感じさせる戦い方。

 

 ブラウンは倒れているマリーベルと、彼女を助け起こそうとするフォスを一瞥してから、再び走り出す。

 

 ――シルバークラウンの救助隊は間一髪間に合った。

 

 マリーベルは限界まで測量班を守り抜き、救助隊の面々を見て意識を失ったのだ。

 外見上、外傷はない。結界魔術を使用し続け、魔力が底をついたことによる気絶。

 あのモンスター相手にそこまで保ったということも凄まじいが、なにより大きかったのはダフニーの存在だろう。

 彼が真っ先にマリーベルの元へ向かっていなければ、間違いなく奴の餌食にされていた。

 

 しかし、さしものダフニーも無事とは言えず、利き手である右手を負傷している。回復魔術の効かない、アレスティピードの呪いの込められた傷だ。だらだらと血が止まらず流れている。奴を倒さない限り、こちらが持たない。

 

 アレスティピードはそれを待っているのか。

 ダフニーさえいなければ、こちらを簡単に殲滅できると踏んでいるのか。

 

「――」

 

 マーガレットは得物である大槌を握り締め、空に浮かぶ怪物を睨みつける。

 アレスティピード。奴については聞いていた通りだった。ゴールデンドーンのもたらした情報についてはあらかた頭に入れており、その強さも覚悟していた。

 覚悟していたうえで、倒せると思っていた。たとえダフニーが倒れ、マリーベルが起きなかったとしても負けはしないと。それは――確かな事実であった。彼らの力なら、アレスティピードを撃退することも可能であるはずだった。

 

 あくまで。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『運が無かったな、お前さんたち』

 

 あっけらかんと言葉を投げかけるのは、長身のスケルトン。

 影が溶けたようなどろどろとした黒い骸骨。その眼孔には三白眼らしき黄金の光が宿っていた。

 アレスティピードの背に乗り、こちらを見下ろしてくる。

 その手のひらには砂時計を模したアーティファクトが浮いており、彼の背には時計のような魔法陣が青白い光を帯びて浮かび上がっていた。

 

 情報に無いモンスター。

 分かることは、奴が魔術を使うこと。

 そして、その魔術が――時間を自在に操作する魔術であること。

 

 時を加速させ、あるいは、遅延させる。

 

(――なら、あの異常な早さの『大変異』は……!)

 

 マリーベルたちを守るように結界を張るフリティラリアは、あのモンスターと今回の『大変異』のつながりを見つけ出していた。

 時間の異常。

 そして、時間の魔術師。

 その瞬間、フリティラリアとスケルトンの目が合う。

 遠目で分からないが、にやりと笑みを浮かべたような気がした。

 

 星が瞬く。

 

「――ッ!」

 

 ダフニーとマーガレットがフリティラリアたちを守るように立ちふさがり、放たれた魔力の光線を受け流す。

 空間そのものが震えるような魔力の量と密度。彼らの腕も、得物も軋み、そこに生じた隙を――今度はアレスティピードが突いてくる。

 

「《フリーズウォール》!」

 

 シルバークラウンの魔術師たちがそれを防ぐように魔術を唱え、アレスティピードは巨大な氷の壁を避けるように進路を変えた。

 高質量のモンスターが高速で過ぎ去ることによる轟音と、衝撃波。

 

 アレスティピードもそうだが、あのスケルトンも本気で戦ってはいない。

 それは油断しているわけでもなく、慈悲をかけているわけでもない。証拠に、特にあのスケルトンからはむせ返るほどの敵意を向けられている。

 

 つまり――何かを待っている。

 やはり、ダフニーが倒れるのを、なのか。

 

 再びアレスティピードが空に舞い戻った時、フォスが立ち上がる。

 最低限の処置は済んだらしい。まだマリーベルの意識は回復しないが、顔色は先ほどよりも良くなっている。

 

「どうするの、リーダー。この空間から抜け出せない以上、あいつを倒さないといけないわけだけど」

「――」

 

 マーガレットの言葉に、ダフニーは押し黙る。

 勝てない相手ではない。普段通りであるなら、スケルトンの存在があろうが勝てただろう。

 それを許さないのは――測量班の存在。戦えない彼らを中心にした布陣では、いつでも空から襲い掛かることのできるアレスティピードの絶好のカモ。だからといってこの布陣を崩せば、今度は測量班が犠牲になるかもしれない。

 

 逃げ出すことはできない。

 この空間の主であるアレスティピードを倒さねば戻れないと、ゴールデンドーンの情報にあった通りなのだ。

 倒す。

 倒さねばならない。

 どうやって。

 ――攻撃は通る。

 手ごたえは薄いが、ダフニーの刃は奴に通用する。

 

「突進にカウンターを合わせる」

「了解。それなら――」

 

 マーガレットはすぐさま魔術師たちに指示を飛ばす。

 それからフォスとフリティラリアにも。魔術を合わせアレスティピードの動きを鈍らせ、ダフニーが真正面から奴を叩き斬る。作戦というにはあまりに杜撰なものだったが、ダフニーならやれるだろうし、それに賭けるしかないことも分かっていた。

 問題はダフニーの挑発にアレスティピードが乗るかだが――

 

『――』

 

 奴は乗った。

 ダフニーにとっては予想通りだった。

 アレスティピードは戦いを好んでいる。

 そして、真っ向勝負には必ず乗ってくる。

 そういうモンスターだと見抜いていたからだ。

 

 魔術師たちは位置につく。

 ブラウンは測量班の傍に。

 マーガレットはダフニーの隣に。

 ダフニーは、剣を構えて腰を落とし、アレスティピードを見据えた。

 

 アレスティピードはダフニーたちの準備が整ったのを見届けてから、一瞬、加速し――

 

『あー、ストップ、ストップだ』

 

 だが、すんでのところで止められる。

 

『これ以上はお前の趣味には付き合ってられんよ、アレス。賭けは俺の勝ちさ、それで終わりだ。だろう?』

『――』

 

 止めたのはあのスケルトンだ。

 シルバークラウンの面々は揃って空を見上げた。

 アレスティピードは落ち着きが無いように空を飛び回る。不機嫌そうだ、と誰かが思った。

 なぜ止めたのか。

 味方ではなかったのか。

 カウンターを見破られた――わけではない。

 それを全員が肌で理解した。

 

『――!』

『……いいや、()()()だとも』

 

 それは、アレスティピードのものとは比べ物にならないプレッシャーであった。

 高まっていく魔力が、強すぎるあまりに空間を揺さぶり、相対する冒険者たちの肌を粟立たせる。濃密なまでの死の気配だ。

 

 スケルトンの背後にある時計のような魔法陣。

 

 その針が高速で周りはじめ――

 

《ブロークンタイムズ》

 

 そして、はじけ飛ぶ。

 

時よ、止まれ――』

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬。

 

 星空が。

 空間が。

 世界が。

 動きを止めた。

 

「――――」

 

 光。

 一面の光があった。

 眩く、目が灼かれるほどの。

 それは、

 ……魔法陣だ。

 空を覆うほど。

 星々を隠してしまうほど。

 突如として、今まさに発動しようとする魔法陣が出現したのだ。

 

「ひっ――」

 

 あり得ない。

 あり得るはずがない。

 零れた悲鳴が誰のものだったのか。

 そもそも、振動する空間の地響きにそれは掻き消えてしまった。

 時間魔術。

 時を止める魔術?

 そんなものは存在しない。

 聞いたことも無い。

 

「せんせ――」

 

 動かねば死ぬ。

 真っ先に動いたのはフリティラリアだ。

 ほとんど声にならぬ声ではあったが、すぐにフォスも動き出す。

 ダフニーもマーガレットもほぼ同時に。

 まずは結界魔術を張る。それから、なんでもいい、魔術をあの魔法陣に放ち、魔力の対消滅を狙う。

 それしか生きる術はない。

 

 あのスケルトンが本気を出した。

 この程度造作もないというように、死の牢獄を創り出してしまった。

 なら、ここを生き残ったとしても。

 そんな考えが頭の片隅に生まれていたが、今は無視するしかない。

 

 だが――

 それだけでは終わらない。

 フリティラリアは見た。

 魔術を行使し、そして、魔法陣から極大の光線が放たれるその瞬間、

 こちらに狙いを定め宙で弧を描いたアレスティピードの姿を。

 

(――)

 

 無理だ。

 無理なのだ。

 

(何を――)

 

 間違えたのか。

 そもそもダンジョンなんかに潜らなければ、『大変異』に巻き込まれることは無かったのだ。

 それに、マリーベルがわざわざ自分を庇って飛ばされることも、それを助け出そうとこんな場所に来てしまうことも。

 ああ、気に食わない小娘だった。

 借りを作りたくはなかった。

 その一心で来てみれば、これだ。

『大変異』。なんだってあり得る魔力災害。

 予想できたか? 無理だ。

 つまるところ――手のひらの上だったのだろう。

 

 あのスケルトンの笑みが浮かび上がった。

 すぐに、目の前の極光に目がくらみ、思考も立ち行かなくなる。

 おそらく、この場にいる全員、死んでしまうのだろう。

 そう、確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが。

 フリティラリアは、間違ってなどいなかった。

 最適解。

 彼女はそれを、選択していた。

 

「――え」

 

 それは、横から飛んできた。

 極彩色の光線――それが、スケルトンの魔術のことごとくを破壊する。

 魔法陣が割れ、不快な音が空間中に響いた。誰もがそれを固まったまま見ているしかなかった。

 

『……賭けはアレス、お前さんの勝ちみたいだな?』

 

 不可思議な光景だった。

 迫っていた死の気配はなくなったとはいえ、アレスティピードもスケルトンも健在で、今も空からこちらを睥睨しているというのに。

 誰もが。

 誰もが、明後日の方向を見つめていた。

 

 重圧。

 プレッシャー。

 この戦場を支配するような、圧力。

 それは――絶対の安心感にも似ていた。

 

 一人。

 たった一人の魔術師が、それを発している。

 彼はいつの間にかこの空間に立っていた。

 仮面を被った怪し気な男。身分を隠しておきながら、その名は世界中の誰もが知る。

 大英雄。

 

「――来い、『クワイヤ』」

 

 彼が手のひらを空に向けると、そこに一つのアーティファクトが召喚される。

 一見して、ハープのような。

 彼の使っていた得物。

 だが今はボロボロであった。

 擦り切れ、朽ちかけ、弦も何本も切れており、今まさに崩れそうになっていた。

 魔力が込められると、眩い光を帯びる。

 それは、最強の冒険者パーティのリーダーである魔術師が使った大魔術。

 

魔道王――」

 

 英雄譚も、

 伝説も、

 神話すらも再現してしまう、最強の魔術。

 

 彼は紡いだ。

 魔力を込め、

 あるいは、思い出すらも込めて。

 

 最も新しき英雄譚を。

 

「――『黄金の夜明け(ゴールデンドーン)』」

 

 彼の相棒、クワイヤは木端微塵に砕け散り、

 

 そして、

 次の瞬間、

 すべてを覆す夜明けが訪れた。

 

 

 

 

 

 俺の傍に、人影が現れる。

 

『剣聖』ロサリア。

『聖女』アイリス。

『大天使』リリエル。

 

 それで、俺を加えれば、『ゴールデンドーン』のフルメンバーだ。

 クワイヤはやはり保たなかったか。……ありがとう、今まで。

 

 さて。

 間一髪、危ないところだったわけだが。

 ……()()は一体、なんだ?

 あの魔法陣――アレスティピードはそんなもの使わないはずだ。

 奴を見てみると、背中に黒色のスケルトンが座っているのが分かった。

 

「――誰だ」

 

 記憶にないモンスター。

 魔術を扱うのなら、リッチの類か?

 だがあれほどの魔術、並大抵のボスモンスターだって扱えない。

 新種。

 アレスティピードとタッグを組むってことは、おそらくそれだけ強いってわけだろう。

 

 そう思って身構えていると――

 

 突然、視界を覆うほどの魔法陣が現れた。

 

「ッ、アイリス!」

 

 その魔法陣から放たれた魔術は目にも留まらぬスピードで俺に襲い掛かってきたが、途中で何かに阻まれ霧散する。

 隣に立つアイリスの影が唱えた結界魔術だ。魔力の奔流が光の粒子となって立ち上る。なんて威力の魔術だ、しかもそれを一瞬で。

 

 次の攻撃を警戒し、俺はスケルトンを見つめる。

 どろどろとした身体。顔の部分に一瞬見えた口は、不機嫌そうに歪められていたように思えた。

 奴は何かを唱え、自身の身体の周囲に魔法陣を出現させ―― 

 

『――』

 

 そして、影に溶けるようにして消えてしまった。

 逃げた?

 それとも、テレポートで誰かの背後に?

 ……しばし待つが、アクションは無い。

 それどころか、奴の纏っていた気配すら感じ取れなくなった。

 

 スケルトンが消え、アレスティピードは大きな動きで宙を舞い踊る。

 その視線は俺に向けられたままだ。

 突進の体勢に入り、歓迎とばかりに突っ込んでくるアレスティピード。

 

 それに対し、ロサリアの影が結界の外に出る。

 全身が白い靄で、遠目では人と判別もつかないぐらいあいまいな人影。彼女は身長大の大剣を軽々振り上げて、

 

 ――いともたやすく、アレスティピードの牙を一本両断した。

 

 大きな音を立ててから、牙が虚空へと消えていく。

 相変わらずバカげた力だ。アレスティピードは悲鳴にも似た呻きを上げながら、再び空へと戻っていった。

 

 先ほどのような大量の魔法陣は浮かんでこない。

 どうやら、スケルトンは本当に消えたとみてよさそうだ。

 俺はすぐさまフリティラリアたちに駆け寄っていく。

 

「フリティラリア!」

 

 負傷者は数名。測量班らしき子たちは無事で――マリーベルが倒れている。

 呼吸があるのは離れた場所からでもわかった。死んでいる奴はいないな――本当にギリギリだったみたいだ。

 

「き……」

 

 フリティラリアは目を見開いてから、少しよろけた。

 支えるように彼女の肩を掴むと、震えているのが分かった。

 

「来てくれたの、ですか」

 

 パット見た感じ、怪我はない。

 土埃で装備は汚れてしまっているが、出血は見当たらなかった。

 安心させるように笑いかけてやると、彼女は俺の手に自分の手のひらを重ね、その表情を弛緩させる。

 

「――ありがとうございます、マエ、ま……くん」

 

 あぶねえなおい。

 

「まさか……本物の……」

 

 ふと、フォスと目が合う。

 魔道王として、彼女の教え子として話したいことはいくらでもあったが、会釈するだけに留める。

 ――お久しぶりです、と視線に込めて。

 

 アレスティピードは――ロサリアが睨みを利かせていた。

 大剣を振り回し、その切っ先を奴に向ける。また突っ込んでくるようであれば殺してあげると言外に告げながら。

 なら少しくらいの会話は平気か。

 

 俺の隣に、アイリスの影が歩み寄ってくる。

 彼女はちらりと負傷しているダフニーを見て、その手を組んで、祈った。

 そして、『ヴォイド・ディメンション』を包み込んでしまうほどの魔法陣が浮かび上がる。

 それが、アイリスの扱う大魔術。

 どんな怪我も病も瞬く間に治す。

 彼女の狂気的なまでの、救済に対する執念が生んだ奇跡だ。

 

 ダフニーの怪我も痕すら残さず治ってしまう。

 

「これが――魔道王の、『ゴールデンドーン』の力……」

 

 誰も彼もが真っ青な顔をしていた。

 呼吸を何度も繰り返し、虚空を見つめ、仲間に頬を叩かれてやっと正気に戻った者までいる。

 死の寸前。

 俺がもう少し遅ければ、あのスケルトンによって消し炭にされていただろう。

 

「あのスケルトンは何だ? あれだけの魔術を扱えるのなら、アレスティピードと同等か、それ以上のモンスターだと思うが」

 

 アレスティピードから視線を外さないまま、彼らに問いかける。

 返答はない。俺も知らないモンスターだ、『大変異』で現れた新種と見るべきか……。

 

「時間を」

「……何?」

「あいつは、時間を操っていました。あなたが助けに来る瞬間には、時を止める魔術を――」

 

 耳を疑った。

 フリティラリアに冗談を言っている様子はない。

 時間を操る魔術だと? 時を止めるなんて、そんな魔術、聞いたことも無い。

 例えクワイヤを使ったとしても、俺ですら無理だ。

 

 何者だ。

 あるとするなら。

 あの魔神――リリスに関係する何かだろう。

 神の力。

 それならばあるいは、といったレベルでしかないが。

 

 もう一度空間を見まわし、感覚を研ぎ澄ませる。

 だけど、やはりあのスケルトンの存在は感知できなかった。

 

「……奴はこの空間から出て行ったようだ」

 

 その言葉に、フリティラリアたちはホッと胸をなでおろす。

 

「ならば今は、アレスティピードを討伐することだけを考えなければいけないな」

 

 切り替えるように、ダフニーは告げた。

 治った右手で剣を握り、確かめるように動かす。

 ちらりと俺を見てくる。

 その通りだ。

 とにもかくにも、測量班を外に逃がさねばならない。

 

「ああ、だから――ッ!」

 

 しかし……ああ、なんというか。

 俺も手加減せず本気で奴を倒すつもりだったんだが。

 

「……どうかしたのか?」

「いや……なんでもない――」

 

 そろそろ、呪いがヤバイ。

 たまらずフリティラリアの肩に手を置く。

 彼女は一瞬驚いたように俺を見て、それから、何かを察したように黙り込んだ。

 

「聞け、シルバークラウン!」

 

 俺はこれ以上魔術は使えない。

 クワイヤの力で生み出した幻影は戦ってくれるが、俺はもう使い物にならない。

 だがそれで十分だろう。

 あのスケルトンがどこかに消えた以上、シルバークラウンであるならば、アレスティピード程度どうってことはないのだから。

 なら、俺はそれらしい姿を見せるだけでいい。

 

 クワイヤが壊れてしまった以上。

 これが魔道王としての最後の大仕事だ。

 

「背中は俺たちに任せるがいい! お前たちは、奴を倒し、お前たち自身の力を証明してみせろ! アレスティピード、奴は――ゴールデンドーンを超えんとするなら、絶対に倒さねばならない敵だ!」

「――」

「俺はそれを見届けに来た!」

 

 ぐつぐつと。

 薄氷の下でマグマが煮えたぎっているのが分かる。

 この程度で。

 この程度でこのザマとは。

 情けない。

 

 だがそれを表には出さないよう、押し殺す。

 ほとんど睨むかのように、彼らを見つめた。

 その視線を受けて、まずマーガレットが笑みで応えた。

 

「あなたほどの人に言われて、燃えない冒険者がどこにいるのかしら。――ねえ、リーダー!」

 

 その言葉に、ダフニーは薄く笑う。

 

「……そうだな」

 

 真っすぐな視線だ。こうして直接会うのは初めてだったが、なるほど確かに、カリスマ性のある剣士らしい。

 仏頂面にも思える顔立ちは、こうして見ると確かな自信の表れにも思える。

 

 彼のそんな表情を見て、茶髪の男が自身の頬を叩いた。

 

「それに――ここまでお膳立てされちゃあな、『無理』とは口が裂けても言えねえだろ!」

 

 俺の拙い檄でも士気が上がっていく。

 魔道王に情けない姿は見せないようにと、誰もが奮起する。

 あのスケルトンの魔術を前にして委縮しているかもと思ったが杞憂だったみたいだ。

 

「わ、私だって。恥ずかしい姿は見せたくありません。あの頃から多少は成長したって、知ってもらいたいですから!」

 

 フォスもまた、杖を握って胸を張った。

 彼女は決意をみなぎらせた目で俺を見てくる。俺も応えるように視線を返せば、彼女は少しだけ微笑んで、小さく頷いた。

 

 マーガレットはそれを見て、何か含みのある視線を寄こしてくる。

 何が言いたいのか。

 そちらに顔を向けると、誤魔化すようにそっぽを向かれた。

 

「おほほほほ」

 

 なんだってんだ。

 

 マーガレットの不可思議な言動に首をかしげていると、

 

「あーあ。カッコいいとこ見そびれちゃったわ、残念」

 

 倒れていたマリーベルが立ち上がる。

 足は震え、杖に寄りかかりながらどうにかといった具合だったが。

 

 彼女は俺に笑いかけてきた。

 

「……ね。見ていてくれる?」

 

 無理はするなとか。

 もう十分頑張ったとか。

 かける言葉はいくつも見つかった。

 

「ああ。やってみろ」

「――うん!」

 

 だけど、彼女は言ったのだ。

 その名を世に轟かせると。

 ゴールデンドーンを超えるというのなら、彼女は挑戦者なのだ。

 頑張って、気張って、そこで終わりではなく、確かな結果を掴んでこそ彼女の願いは叶う。

 だから俺は背中を押す。

 後輩に投げかける言葉としてはあまりにシンプルなものだったが、マリーベルは満足そうに笑った。

 

 マリーベルはフォスから小瓶を受け取る。

 魔力を回復させるためのポーションだ。

 豪快に中身を飲み干し、瓶を捨てる。

 

「あたしも行けるわ、リーダー! あんな虫けら、とっととやっつけちゃいましょ!」

 

 ダフニーは大きく頷いた。

 獰猛に見える、満面の笑みを浮かべて。

 

「ならば――よかろう! シルバークラウンは偉大なる先達の意思に従い、アレスティピードを討伐する! またとない機会だ、心してかかれ!」

 

 そして、各々が得物を掲げ、大声を上げた。

 アレスティピードのプレッシャーを跳ねのけるような勇ましい声。

 

 一致団結して、苦難を乗り越える。

 目に見えない繋がりが、より強固になる。絆というものだ。

 

「良いな……」

 

 ふと、零してしまった。

 輝かしく見えて、それが昔の俺たちの姿と重なってしまったから。

 

「少し離れておきましょうか、マエストロくん」

 

 何とか自力で動くが、足元がおぼつかない。

 彼らの視線から外れたあたりで、フリティラリアの肩を借りる。

 

「お前には、とことん弱味を見せるな?」

「ふふっ、そうですねぇ。……まあ、でも、私にだけなら、あなたは変わらず完璧な魔道王で居続けられますよぉ」

「弱みに付け込まれそうで……なんだかな」

「あはは、ひどーい。信用ありませんねぇ」

 

 俺たちが離れるのを見計らっていたように、ロサリアがアレスティピードから視線を外した。

 大剣を背負い、腕を組む。

 あいつめ、後輩の見せ場を奪わないつもりか。

 あるいは、”私は余裕で牙折ったけど、あなたたちは?”というような、挑発か。

 どちらもありそうだ。

 あの戦闘狂の考えることなんて大体それくらいのものだしな。

 

 アイリスは測量班を守るべく彼らの傍で結界を張っていた。

 彼女の結界魔術は最強の盾だ。彼らの心配が無くなれば、もっとシルバークラウンは自由に動けるようになる。

 それに加えて、馬鹿げた範囲と効果の回復魔術が彼らをサポートする。

 何も憂うことなく、戦うことができるだろう。

 

 そして、リリエル。

 彼女は……俺たちのすぐ横に立っていた。

 後方師匠面とでもいうべきか。

 戦闘に参加せず、シルバークラウンを眺めては腕を組んでうんうんと頷いていた。 

 

「あの、もしかしてこの人……」

「お前も知っての通り、ただの斥候だから……」

 

 斥候としてはこれ以上ないくらい優秀なんだが、戦闘面は他の2人と比べると大きく劣ってしまう。世間一般的には、『大天使』なんて仰々しい名で呼ばれるように相当な実力者と見られているんだが。

 栄光に満ちた英雄譚というより、俺の主観が入りまくってるからこういうとこまで再現してしまったんだろう。

 まあ、いいさ。

 ロサリアに、アイリス。

 この世界の最高戦力たる二人と遜色ない実力を持つ人間が、そもそもどれだけ存在するのかって話になるし。

 そんな彼女も含めての『ゴールデンドーン』なのだ。

 

 フリティラリアは微妙な顔をしていた。

 俺の大切な仲間にそんな顔を向けてくれるな!

 

「――散開!」

 

 ダフニーの声。

 シルバークラウンはバラけるように走り出す。

 測量班の心配がなくなったからだろう、大胆な布陣を組めるようになった。

 

 ダフニーは走りながらアレスティピードを挑発する。

 バカにするというよりかは、決闘を申し込むように。

 さすがだな。

 あいつの性格ならば、それに乗らないという手はない。

 というか喜んで乗ってくる。そうでもなければ、何度も痛い目を見たロサリア相手に馬鹿正直に突っ込んできたりはしない。

 

 剣を構える。

 迎え撃つ姿勢だ。

 

『――!!』

 

 アレスティピードは高く高く高度を取ってから、牙を真っすぐダフニーに向ける。

 そして、一瞬で最高速に達し、突進を繰り出してきた。

 

 そこに、ブラウンの指示の下、フォスと魔術師たちの魔術が飛んでくる。

 まず水の双竜がアレスティピードに食らいつくように伸びていき、氷魔術でそれを凍らせ、奴の動きを止めようとする。

 凄まじい魔術。

 だが、奴の動きは一瞬しか止まらない。

 ――いや、一瞬さえあればよかった。奴の動きの勢いが一瞬失われたその隙に、氷の龍の背に乗るマーガレットが大槌を構え、奴の身体に叩き込んだ。

 

「一丁、上がり、ってね!」

 

 堅い甲殻に守られた身体を、大槌の衝撃がえぐり取る。

 血肉が吹き飛び、アレスティピードが身をよじる。それでも止まらない。

 

「リーダー!」

「ああ……!」

 

 ダフニーは一瞬だけ、ロサリアを見た。

 彼女は変わらず、じっと彼らを見つめるだけだ。

 それで十分だったのか、ダフニーは少しだけ笑った……ような気がした。

 

「来い――!」

 

 アレスティピードの牙とダフニーの剣が交差する。

 轟音。

 火花を散らして、

 ダフニーの刃は、

 

『――!!!』

 

 アレスティピードの残りの牙を斬ることに成功する。

 それだけではない。突進の勢いを全て返したのか、アレスティピードの身体が大きく上に跳ね上がる。

 

 ダフニーは返す刃で、今度はマーガレットが抉った傷を目掛けて剣を振るう。

 アレスティピードの身体は、簡単に両断された。奴の叫びに共鳴して、空間そのものが痛々しく震えあがる。

 

「決めろ、マリーベル!」

 

 残ったのは、最早武器を失い、死に体となったアレスティピード。

 それに飛び掛かったのは、黒色の手甲を付けたマリーベル。あれは――俺の武装魔術!? 自分のものにしたのか、彼女は!

 

「消し飛べぇぇぇぇえええ――ッ!!」

 

 巨大な雷がアレスティピードの頭に叩き込まれる。

 それに追随するように爆発が何度も起こり、アレスティピードの身体があちらこちらへと吹き飛んでいく。

 最後、大きな爆発をその身に受け、

 

 アレスティピードはゆっくりと、星空へ堕ちていく。

 

『――』

 

 アレスティピードは、自分を下したシルバークラウンの面々を見つめていた。

 徐々にその身体は黒い靄となって立ち消えていく。あれは――死ではない。今回戦ったのは、奴の()()なのだ。

 だから、また襲い掛かってくるだろう。今度はこんな低層ではなく、最奥で。その時は、もしかしたら、幻影ではなく奴の本体が出てくることもあるかもしれない。

 

 ふと、考えた。

 俺の記憶にあるマリーベルは、どうだっただろうか。

 あんな風に戦っただろうか。仲間と協力してなんて、あんな晴れ晴れとした顔でやっただろうか。

 俺の知らない時間の積み重ね。

 マリーベルの戦い方には、その歴史が窺えた。

 

 何にせよ。

 ともかくだ。

 

 シルバークラウンは、アレスティピードを撃退した。

 

 しんとした静寂。

 それを真っ先に破ったのは、拍手の音。

 出所は、ロサリアだった。

 

 そして、雄叫び。

 魔術師の内の一人が上げたものだ。

 それから、自分たちを称える声で空間が満たされる。

 

「どーんなもんよ、ブイ!」

 

 喝采の中、ピースサインをマリーベルは俺に向けてきた。

 それから、フリティラリアに向かって手を振ってくる。

 

「助けに来てくれてありがとねー! フリティラリア()()()()()! それからみんなも! 先生もー!」

「……うっさいですね」

 

 素直じゃないな。

 まんざらでもないくせに。

 

「なぁに見てんですか、えい」

 

 脇に肘を入れられた。

 なんでだ……。

 

「……魔道王」

 

 ひとしきり盛り上がった後、ダフニーが一歩俺に近づいてくる。

 

 彼らの視線は俺に向けられていた。

 色々な感情がないまぜになった視線だ。お礼とかを言いたがっているのは分かる。

 それは分かるし、俺もそれに応えたいと思う。

 

 マリーベルには強くなったなと言ってやりたいし。

 フォスには、先生が成長したってことこれでもかってくらい頭に刻み込みましたと伝えたいし。

 他の面々にもそれらしい言葉をかけてあげたいさ。

 

 あげたいんだけれども。

 

「フリティラリア」

「あ、はい?」

「もうダメそう」

 

 思わず前かがみになる。

 

「ちょ――も、もう少し持ちませんか!? ほら、まだかっこいいとこ見たがってますよ皆さん! ねっ? ほら、ダンジョンを出るまでは……!」

「あかん……」

「魔道王は『あかん』なんて言いませんが!?」

 

 噴火寸前。

 自分がどんな表情をしてるのかすら分からない。

 フリティラリアの肩を掴む手に自然と力が入る。

 彼女を引き寄せるように、密着させるように。

 鋼の意思で耐えなければ、今すぐにでも彼女の身体中をまさぐり始めそうだ!

 

 く、クソ!

 この空間いつになったら消えるんだ!

 仕方ない。耐えろ、耐えろ、こう、なんだ、思い出せ、興奮しない人の顔とかを――!!

 

「シルバークラウン! お前たちの力、見届けさせてもらった!!」

 

 彼らの動きが止まった。

 よし、いいぞ、近づいてくるな。

 俺はマントで自身の下半身を覆い隠す。

 そうでもしないと、膨らみを帯びているのがバレてしまうから。

 

「お前たちならば、あるいは――超えるかもしれん!」

 

 しかしそれがマズかった。

 何がマズいって、マントごとフリティラリアを抱き寄せてしまった。

 意図せず注目を浴びる形になってしまったフリティラリアは、せめてもの抵抗なのか、目を閉じて微動だにしないようにしていた……のだが、自身の身体に当たる硬いナニカの存在に気づき、抗議するような視線を向けてきた。

 考えるな。

 考えるな。

 どうにか理性の手綱を握り続ける。

 

「シルバークラウンよ! 冒険者たちよ!」

 

 ああもう、めちゃくちゃだ。

 カッコよくバトンタッチできればそれでいいと思っていたのに。

 呪いについての理解が甘かった。

 何より、マリーベルやフォスと昔の知り合いとして会話できるチャンスだったというのに、ほとんど会話が出来ずに終わってしまうのが残念でならなかった。

 

 仕方ない。

 魔道王の尊厳のためだ。

 勢いだ。勢いさえあれば突っ走れる。俺はそのまま言い切った。

 

タワーダンジョンを攻略せよ! これは、俺の――魔道王の、最後の願いであるッ!!

 

 個人的な願いに魔道王の名を出したくはなかったが、そこまで考えが回らなかった。

 その言葉に対する反応は様々だ。

 単純に闘志を燃やす者や、やってやるぞと目を煌めかせる者――比較的若いメンバーたちはそんな反応だった。

 

 対して――ダフニーやフォスたち他のメンバーは目を丸くして固まっていた。

 フォスの口が微かに動く。

 

「最後……」

 

 そう言ってるように見えた。

 

「ま、待ってください、私は、あなたと話したいことがたくさん――」

「フォスちゃん先生!」

 

 空間にひびが入り始め、徐々に綻びが生じていく。

 俺たちとシルバークラウンを分かつように、空間に裂け目が生じた。

 こちらに駆け寄ろうとするフォスを、マーガレットはすんでのところで止める。

 

 さらに現れた歪みによって、既に彼らの姿は見えない。

 

 俺は、仮面を外す。

 フリティラリアが「良いんですか?」というような顔を向けてきたが、すでにお互いに何も見えてない状態だ、問題はない。

 魔術を唱えると、仮面を光が一瞬だけ包み込む。

 フォスの声がした方向へ、俺はそれを放り投げた。

 

「待って――」

 

『ヴォイド・ディメンション』が完全に崩壊する。

 これ以上は理性の限界だ。

 その瞬間、俺は出来る限りの魔術を行使し、誰にもバレることなくフリティラリアを物陰に連れ込んだのだった。

 

 

◇◇

 

 

 モンスターの気配もなく、シルバークラウンもいない場所。

 そこにたどり着いたころには、最早自分の身体が自分のものではないように感じられるようになっていた。

 

 熱い。

 ひたすらに身体が熱い。

 燃えるような、滾るような。

 血がものすごい勢いで巡っているのを感じる。

 抱え上げていたフリティラリアを地面に下ろすのと同時、俺は地面に手をついた。

 

「大丈夫、ではなさそうですね、これ……」

 

 フリティラリアの声が遠い。

 視界がぼやける。

 だらりと滝のような汗が流れて、地面にいくつもの染みを残す。

 

 感情を沈静化させる魔術。

 それのおかげである程度は取り繕えていたのだが、所詮一時しのぎに過ぎない。

 無理矢理押さえつけていたことによる反動もあり、一気に情欲に支配されそうになる。

 

 理性が飛ぶというよりかは、塗りつぶされるような感覚。

 俺が俺でなくなるような感じと言った方が近いか。我を忘れる。このまま手綱を手放してしまえば、行くとこまで行くだろうという確信があった。

 

「――フリティラリア」

「あ……ま、待ってください、せめて服を――んっ!?」

 

 心配そうにこちらを覗き込んでいたフリティラリアの手を取り引き寄せ、強引にその唇を奪う。

 汗の香り、土の香り。そして柔らかな女性の身体。貪るように、余すことなく俺は舌で彼女の口腔を蹂躙していく。

 

「ん、んんっ! あ、ん、む、んん、ふっ、んんんっ!!」

 

 抗弁するような声が漏れ、彼女は俺の胸に手を置いて距離を取ろうとする。

 だがその力は俺には到底及ばず、抵抗が無駄だと察した彼女は観念したように俺に身を委ねた。

 その垣間見せた反抗心が気に食わず、より力を入れて彼女を抱き寄せる。苦しそうな声が聞こえたが、聞こえないふりをして。

 

 ふつふつと嗜虐心がくすぐられる。

 彼女は受け入れるつもりだ。それを覚悟して俺に助けを求め、そして実際に彼女たちを助け出したのだから、これは相応の報酬だろうと考えているのだろう。

 なら――どこまで許されるのだろうか。フリティラリアはどんなことをしても受け入れてくれるのだろうか。

 そんな考えが頭をもたげる。

 

「――ぃっ!?」

 

 拙く絡めてきた彼女の舌を歯で挟み、引っ張る。

 唇が離れ、フリティラリアは舌を突き出した恥ずかしい姿を晒すことになる。

 何をしているのかと問うような視線を向けてきたので、黙らせるようにその瞳を見つめ返した。

 見開かれた瞳が、不安げに揺れる。

 舌を噛む歯に力を少し加えると、びくりとその肩を震わせた。

 だけどそれ以上反抗することもなく、ぎゅっと目をつぶって、その状態のまま動かない。

 

 ……これでもか。

 

「……っ、ん、んん、んくっ、んっ――」

 

 彼女の頭を掴み、上を向かせる。

 もう一度彼女の中に舌をねじ込み、唾液を流し込む。

 逃げ出すか。吐き出すか? ――どちらでもなく、フリティラリアはそれを嚥下した。

 喉が動き、彼女はさらに俺の舌を吸う。もっと、とでも言うかのように。

 

「ん、はぁっ……はぁ、はぁ……っ」

 

 口を離すと、彼女はたらりと垂れた唾液を手で拭う。

 息も絶え絶えで、顔は真っ赤で、汗がにじんでいて。所作の一つ一つがこれ以上ないくらい妖艶に見えた。

 その姿を見て、少しだけ冷静になる。

 別に俺はフリティラリアをいじめたいわけじゃない。

 必要につき、彼女が身体を許してくれているというだけなのだ。

 勘違いするな。

 履き違えるな。

 呪いのための関係。あくまでフリティラリアがそれを許しているから成り立っているものであると、忘れないようにしなければ。

 

 息苦しそうにするフリティラリアは、涙目になりながら俺を見上げる。

 まだ何かするのか。

 苦しいのは嫌だ。

 そう言っているように思えた。

 まるで子供のような。彼女らしからぬ、弱弱しい姿に、気づけば俺は彼女を抱き寄せ、その頭を撫でていた。

 

「ごめんよ。本当に、ありがとうな、フリティラリア」

「――っ!?」

 

 耳元で囁く。

 

「ま、って、そんな、あなたに、そんなこと言われたら……っ」

「助かってるんだよ。お前……フリティラリアがいてくれて、良かった」

「~~~~~~~~っっ!」

 

 自分が何を言っているのか、いまいち不鮮明だ。

 思考するより前に口から漏れ出ていっているような気がする。

 ああ、とにかく、触り心地が良いな、こいつの身体。

 豊満な身体ではない。どころか、薄いと言ってさえ良い。だけど骨ばってなくて、なんなら全身がしっかり密着できる分、なんというか、幸福感が違くて――

 

「ま、まえ、マエストロ、くん……」

 

 取り留めのない思考が、堂々巡り。

 意識が飛んでいたのかすら定かではない。

 それなりに時間が経っていて、その間俺はずっとフリティラリアを抱きしめていたらしい。

 ゆでだこのようになった彼女の顔が間近にある。

 

「ぁ……」

 

 フリティラリアを地面に押し倒す。

 彼女は恥ずかしそうに目を伏せながらも、何の抵抗もしなかった。

 肩から、胸へと指を滑らせる。

 

「ん、ふっ……ん」

 

 くすぐったそうに身をよじり、甘い声がこぼれ出た。

 俺はそのまま手を彼女の腿まで持ってきて、掴む。指先が彼女の肉に沈んだ。

 

「い、いま、ぬぎますから……あっ!?」

 

 複雑な構造の服ならともかく、単なるパンツなら簡単に脱がせる。

 ベルトを外し、パンツを脱がしていく。腰を浮かした姿勢で、フリティラリアはその様を真っ赤になりながら見つめていた。

 

 下着が見える。

 さっきからうるさかった心臓が、より一層大きな音を出して弾んだ。

 言い訳がきかないくらいに、彼女は反応していたのだ。さっきまでの、愛撫とも言えない、ただの劣情をぶつけただけの行為に。

 

 フリティラリアは顔を手で覆って、見ないようにしていた。

 その愛らしい反応に、悪戯心が顔を出す。俺の手を潜らせ、彼女に沿うように触れた。

 

「ぁ――ん、あっ!」

 

 腰が大きく跳ねる。

 触れただけで、これか。

 指先はじっとりと濡れ、こすり合わせると淫猥な音が鳴った。

 

 俺はその音を、フリティラリアの耳元で聞かせる。

 彼女は一瞬何のことか分かっていなかったが、理解した瞬間、いやいやと大きく頭を横に振った。

 

「や、めて、ください……」

 

 彼女の顔を覆い隠す手の、指の間から、涙でいっぱいになった彼女の瞳が見えた。

 

「そんな、いじわる……しないでくださいよぉ……っ」

 

 初めて見るような、弱気な表情。

 それにハッとして、俺は手を引っ込めた。

 そうだ。そうだよな、これは、違うよな。……また、変な風に思考が持ってかれていた。

 

「悪い。二度としないよ」

「あ……」

 

 安心させるように、頭を撫でる。

 すると、彼女は覆っていた手をどかし、その表情を見せてくれた。

 

 緩み切った表情。

 涙はぽろぽろと流れ出て、

 それでもなお、とろけきった顔で。

 うっとりとした表情で、俺を見つめたまま頭を撫でられていた。

 

 そんな顔を見せられて、

 俺ももう、限界だ。

 

「フリティラリア」

 

 彼女の名前を呼ぶ。

「はい」だか「うん」だか、判別のつかない小さな声が漏れた。

 彼女の手を取り、指を絡め、聞く。

 

「……いいな?」

 

 その言葉に、

 フリティラリアは、

 尊厳を感じさせない、ぐちゃぐちゃになった表情のまま、

 

「――」

 

 首を、縦に振った。

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 朦朧とする意識の中。

 彼女と交わい、溶けあい、その最中。

 ふと、彼女の声が聞こえた気がした。

 

「ありがとうございます」

 

「来てくれて……助けに来てくれて」

 

「そうですよね、あなたは……そうやって、たくさんの人を助けてきた」

 

「相手が私であろうが、変わらない。それが、あなたらしい姿」

 

「だから、あなたには……きっと」

 

「男娼なんかより、そっちの姿の方が、似合っているはずなんです――」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 陽の光が届かないこの場所では、どれだけ時間が経ったのか把握ができない。

 俺が正気に戻った頃には、フリティラリアはほとんど気を失っているような状態で、俺も立っていられないほどの脱力感に襲われていた。

 回らない頭でひたすらに謝った。彼女は、無理矢理襲われたような酷い有様だったから。呪いのせいとは言え、やったのは俺だから。

 

「別に……された側が嫌な思いしたわけじゃないんですから、気にする必要なんて無いと思いません?」

 

 なんて。

 なんでもないことのように、彼女は言ってのけた。

 

「すでに1回ヤらせてあげてるわけですしね。大体、あの時も獣みたいにがっついてきてたんですから、それぐらいはされるだろうなって覚悟してましたよ」

 

 腰が抜けてしまった彼女を、どうにか座らせる。

 背中は土だらけで、綺麗なピンク色の髪が汚れてしまっていた。

 

「実際はそれ以上だったわけですが」

 

 言葉に詰まる。

 フリティラリアは笑いかけてくれるが、俺はそれにうまく応えることが出来なかった。

 

「……あの、シた後に後悔するのはやめませんか? 私が覚悟の上だったって言ってるんですから、シャキッとしてください」

「そ、そうだな……」

「男娼をやってるから女性には慣れているかと思えば……情けないですねえ」

 

 フリティラリアの言う通りだ。

 ここまでしておいて、彼女の方から慰めてもらうというのもおかしな話だろう。

 息を吐いて、肩の力を抜く。鉛のような身体は、それだけで少し軽くなったような気がした。

 

 ……よくないな。

 ふと、重ねてしまった。

 俺が呪いを受けた日のこと。

 あの日のことが思い出されて、言いようのない罪悪感に飲み込まれてしまいそうになる。

 今は、あの時とは状況が違う。大分歪ではあるが、同意あっての行為。

 

 自分の顔に触れる。

 強張っていた。

 だいぶ……酷い顔をしているのかもしれない。

 フリティラリアは変わらず笑みを携えていたが、こちらを心配する気遣いも感じられた。

 

「悪いな。色々と」

 

 フリティラリアの隣に座り込む。

 硬い地べたの感触。モンスターの気配はない。

 セーフゾーンみたいなものなのだろうか。規模の大きいダンジョンにたまにある、モンスターの湧かない空白地帯。日を跨ぐ攻略の場合、こういった場所をキャンプ地としていた。

 背中を壁に預ける。

 お世辞にも、居心地は良いとは言えなかった。

 

「人をうまく使うのには、優しさも必要だって学んだんですよ、私」

「……でないと、肝心な時に見捨てられるからって?」

「まだ覚えてたんですか、そんなこと。私はとっくに忘れましたよ」

 

 あんな強烈なエピソード、よく忘れられるな……。

 

「変わったよな。お前がまさか、マリーベルを助けにわざわざ彼らに協力するなんて」

 

 そう言うと、フリティラリアはしばし閉口した。

 まずったな。よくよく考えたら、今のは失礼だったか……。

 

「……マエストロくんが学院を卒業してからも、彼女とは何かと関わりがありまして」

 

 意外な話だった。

 彼女のことだから、マリーベルのことは遠ざけるものだとばかり思っていたのだが。

 

「とっくにご存知かもしれないですけど、私、あの頃に家を勘当されてるんですよ」

「……勘当?」

「あら、知らなかったんですか? 長い付き合いなのに」

「いや、冒険者をやってるもんだから、家を出たんだろうとは思っていたが……」

 

「まあ別に思い入れのある家でもありませんでしたから」とフリティラリアは続けた。

 俺が卒業してからのことだろう。冒険者時代は、フリティラリアとは敵同士みたいなものだったから、知ろうとも思わなかったし、知る機会も無かった。

 

「で、まあ、私の立場なんてものは、イコール家格、みたいなものだったので。勘当された私に地位なんてものはなく、当時私の周りにいたのは、弱者を蔑む私の考えに同調した人たちだけですから……」

「……」

「蔑まれる対象に、私が入ったみたいでして」

 

 つまるところ、いじめ。

 その標的に彼女はなったのだ。

 

「自業自得ではありますよ? 勘当されたのも、あなたと、マリーベルさんたちに喧嘩を売って、見事に返り討ちに遭ったからですし」

 

 黙り込む俺に、フリティラリアは小首をかしげた。

「笑うところなんですけど」みたいな顔をする。笑えるかこんな話。

 

「そうして、底辺みたいな日々を過ごしていたら、マリーベルさんとフォス先生の耳に私の話が入ったらしく」

 

 フリティラリアは握りこぶしを作って、しゅ、しゅ、と突き出した。

 

「ある日学院に行ったら、私にちょっかいかけてきた人たち全員吊るしあげられてました」

「えぇ……?」

「フォス先生は止めたらしいんですけどね。もちろんちょっと問題になりかけはしたんですが、実態は、マリーベルさん相手に数十人で決闘を申し込んだ末の大敗、その代償としての晒上げだったみたいで、彼女たちもそれ以上大恥をかきたくなかったのか、大事になることはありませんでした」

 

 そういえばあの頃のマリーベルはクソ尖ってたんだったな……。

 反骨精神の塊というか。気に食わないものには全部噛みついていく狂犬だったように思える。

 あいつの餌食になった奴らは……可哀そうとは思わないな。卑怯な手を使おうとした上で負けてるわけだし。

 

「そんなことがあったんだな……」

 

 ちょっと見てみたかったかもしれない。

 

 しかしまあ、なるほど。

 そうなると……。

 

「その経験があって、お前も思うところがあって変わったと……」

「あ、いえ、別にそういうわけでもなく」

「え?」

「その時は『まだ私を下に見る気ですかこの小娘……』って腹が立ってその勢いのまま退学しました」

「何してんの……?」

 

 そりゃそうか。

 そこで変われるような人間なら、『ゴールデンドーン』の邪魔なんてしてきたりしないわ。

 

「最近です、最近になってからですよ。彼女の行動がそんな悪意あるものではなくて、私はそれに、お礼の一つや二つ言っておくべきだったんじゃないかって思うようになって」

「……」

「なんか、ここのところ、ずっとそうなんです。嫌いだって、憎いって思っていたものに、そう思い続けることが出来なくなっていて」

 

 だから――

 

「彼女のことは今でもそんなに好きじゃありません。ありません、けど……それでも、死んでいいなんて思えるほど嫌いなわけではなくて、彼女が転移に巻き込まれた時、思ったよりショックだった自分がいて、なんというか、こっちが素の自分なんじゃないかって思ったりもして」

 

 一つ息をついて、フリティラリアは天井を見上げた。

 何の面白みも無い、茶色だけの天井。

 俺もつられてそれを見上げる。

 

「私、彼女の何を嫌っていたんでしょうか」

「……」

「変な話なんですけど、『ありがとう』って言われちゃってから、嫌な気持ち、全然湧かなくなっちゃって」

 

 考える。

 フリティラリアは、どうして俺たちに突っかかってきたのか。

 何が気に食わなかったのか。何が嫌だったのか。初めて会った時から、彼女には敵意を向けられていた覚えがある。

 何かが引っ掛かっていたんだ、彼女の中で。

 

「私は、嫌っていたんでしょうか?」

 

 似て非なる感情だったのかもしれない。

 彼女はそう言う。心の底から嫌っているのなら、もっと関わらないようにするはずだ。

 そうでないというのなら。

 いったい、その感情は何なのか。

 

「……ねえ、マエストロくん」

 

 フリティラリアが目線だけをこちらに向ける。

 

「私はあなたのことも、そんなに嫌いじゃないのかもしれません」

「……それは」

 

 なんて返すべきか、一瞬だけ考えて。

 俺はフリティラリアに笑いかけた。

 

「俺もだよ」

「…………。……抱いたからって、好きになっちゃったんですかぁ? やめてください、そういう勘違いっ」

「お前な」

 

 きゃー、とわざとらしい悲鳴を上げて自分の身体を抱いた。

 俺の反応を見て、くすくすと笑いだす。

 

 まあ、悪い気はしない。

 こいつといて、嫌な気持ちにはならない。

 魔道王としてなら、そうはならなかっただろう。

『ゴールデンドーン』のリーダーとして、メンバーのことも考えないといけない。

 フリティラリアという人物に必要以上に近づいて、彼女たちに何か不利益があるかもしれない、なんて考えて、接触は控えるようにしただろう。

 

「マエストロとして。ただの俺としてなら、案外、良い関係になれるんじゃないかとは思ってるんだよ」

 

 だけど、もう。

 もう、魔道王は終わりなのだ。

 俺はただのマエストロでしかないのだ。

 呪いが解け、男娼を辞めたとしても、そこに魔道王はいないのだ。

 

「もう、俺が魔道王である必要はなくなったわけだしな」

「……『ゴールデンドーン』が解散し、あなたのアーティファクトであるクワイヤも砕けたから……?」

「なんだ、見えてたのか」

 

 フリティラリアは頷いた。

 

「仮面は、元々素性を隠すために着けていたものだ。クワイヤが無くなった以上、俺はただの魔術師と相違ない。誰も魔道王が俺であることに気づけやしないのさ」

「だから、仮面を彼らに投げ渡した?」

「……」

 

 理由。

 俺にとっての決別。

 そして、何よりも……。

 

「今でも『ゴールデンドーン』は戻ってくると信じる奴らがいる。俺たちがあやふやなまま解散してしまったのがいけないんだが、誰かにきちんと看取ってもらわないとな、って思って」

「それでシルバークラウンに? ……これを言うのもあれですが、魔道王の顔なんですよ、あの仮面は。彼らにとっても重すぎますし、なにより悪用されたらどうするんですか!」

「『ゴールデンドーン』を超えるってんだ、それくらいのプレッシャー慣れたもんだろう。それに……あの仮面は、魔道王を騙れないように認識阻害の魔術を解いてある。ただの仮面だよ。実際に俺と対面した彼ら以外には偽物としか思えない代物――悪用なんて出来っこないさ」

「だからって……」

 

 まあ気持ちは分かるが。

 俺としては凄い清々しい気分なんだ。

 肩の荷が下りたというか。

 気分的には、ああやって決別しなきゃずっと魔道王の仮面を被っていたようなものだったんだ。

 後悔はあんまりしていない。

 反省は……たぶん後でするだろうな、とは思うけど。

 

「……本気なんですね」

 

 頷く。

 

「はぁ……」

 

 フリティラリアはため息をついて、肩を落とした。

 彼女にとっては、『ゴールデンドーン』の存在は小さくない。また復活してほしいと思っていたりもするかもしれないな、この前のこいつの口ぶりからすると。

 でも、彼女が一番よく知っている。

『ゴールデンドーン』のリーダーは、俺であるということを。

 その俺が終わりだと言えば、なんと言おうと終わりなのだ。

 

「はぁぁぁぁぁあ……」

 

 深い深いため息。

 ちらりとこちらを覗き見る視線は、複雑な感情が見え隠れしていた。

 

「……それで、ただのマエストロなあなたは、リリスが倒されるまで男娼を続けると?」

「そうなるな」

「……」

 

 今回の戦いで再認識した。

 俺にダンジョン攻略は無理だ。

 短期決戦ならまだ希望はあるが、長期的に戦闘が連続するダンジョンでは致命的なこの呪い……最奥にたどり着く前に正気を失うのがありありと目に浮かぶ。

 シルバークラウンに言ってしまった以上、俺が出しているダンジョン攻略の依頼は魔道王のものであるとすぐに広がるだろう。

 今よりさらに冒険者が集まってくる。有名な実力者も次々と。

 俺に出来ることは、そんな彼らがリリスをぶっ倒してくれるのを待つことだけ。

 

 それまでは通常営業。

 男娼マエストロとして生活するほかない。

 

「冒険者、とか」

 

 フリティラリアはぼそりと切り出した。

 

「もし、冒険者を続けられるとしたら、マエストロくんはどうしますか?」

「なんだ、その質問? 前も言ったけど、将来設計なんて無いんだ、やるかもしれないし、やらないかもしれないとしか今は言えな――」

「なら、質問を変えましょう」

 

 彼女の瞳を向けられる。

 

「冒険者を、続けたいですか?」

 

 今は無理だ――なんて答えは求めていないんだろう。

 単純に俺がどうしたいか。それを聞いて何になるのかは分からないが、彼女は真剣だ。

 

「”いいな”……って、言ってましたもんね、マエストロくん。シルバークラウンを見て……」

「ん、ああ、まあな……昔のことを思い出して……」

「ですよね? なら……?」

 

 なんだろう。

 イエスと言わせたいのだろうか。

 ……まあ、イエスかノーかと言われれば……。

 

「続けたい、かな……?」

 

 疑問形になってしまった。

 呪いのこともあってあまりちゃんと考えたことは無かったが、忌々しいこれが消えてくれたのなら冒険者を続ける選択を採ることもあるだろう。

 

「でしたら」

 

「その」

 

「えっと」

 

「……マエストロくん」

 

 彼女にしては珍しく、言いにくそうにしていた。

 

「提案、なのですが」

 

 手を握ったり開いたり、息を吸って、吐いて、それからようやく、彼女は切り出した。

 

『グローリーナイトフォール』に、入りませんか?

 

 最初は冗談か何かだと思った。

 だけど、彼女の真摯な瞳を向けられて、考えを改める。

 

 フリティラリアは本気で俺を勧誘していた。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。

 フリティラリアはじっと俺を見つめるばかり。

 俺の反応を待っている。

 そんなもの、答えなんて決まりきったものだろうに。

 

「無理だ。分かってるだろ? 俺の身体には、呪いが――」

「……それを、私がどうにかすると言ったら?」

「――」

 

 フリティラリアは俺に近づいてきた。

 息と息がぶつかり合うぐらいの距離。

 俺は首を振った。

 

「俺はもう魔道王じゃない。そんな奴を入れて、お前に何の得があるって言うんだ?」

「そうですね」

「……の、呪いだってな、お前だって身に染みて分かっただろ! あれだけめちゃくちゃにされて、またああなるかもしれないんだぞ!」

覚悟の上ですよ

 

 一切の迷いが見えない。

 あまりにも急な話過ぎて、頭が混乱している。

 フリティラリアから勧誘を受けた経験はいくらでもある。

 あるが、それらは彼女のための勧誘で、こんな何の得も無い勧誘をしてくるなんて、一体何を考えているのか。

 

「続けたいんでしょう、冒険者」

「……」

「私だって、今の自分が何を考えてるのかさっぱりですよ……! でも、その、なんとなく、マエストロくんには冒険者でいてもらいたいし、呪いの代償を払うのだって、嫌な思いはしないというのは本当で、だから、その……悪い話では、無いと思うんですけど」

 

 後ろの方は消え入りそうな声だった。

 つまり、なんだ?

 ただ、俺には冒険者であってほしいと?

 彼女のそうあってほしいという思いとは別に、俺がそれを羨んだから?

 何かを企んでるようには思えなかった。彼女自身勢い余ってという様子だったが、それでも本心を話しているように思えた。

 

 考える。

 考える。

 

 冒険者。

 そりゃ――本当は、続けたい。

 こんなとこで終わりにしたくなかったというより、ただ単純に、負けたままで終わらせたくない。

 そう思うことはあった。シルバークラウンを見て、確かに羨ましくも思った。

 

 だけど。

 俺には呪いがある。

 リリスにかけられた、2つの呪いが。

 

 ……。

 ……それについて、フリティラリアが協力してくれるのなら?

 1日1回女を抱かねば死ぬ呪いも、発情する呪いも、受け入れてくれるのなら?

 男娼をやらなくても死ぬことは無いし、冒険者として活動することにも希望が見えてくる……。

 

「……あれ」

 

 断ろうと思った。

 やっぱりだめだと、言おうと思った。

 その理由を探して、探して、見つからなかった。

 

 だってそうだ。

 呪いについてどうにかなるんなら。

 断る理由なんて、無いようなものじゃないか。

 

 あるのか。

 そんな、解決法が。

 課題はいくらでもあるが。

 冒険者は――続けることができる。

 あるいは――このダンジョンに、リベンジすることだって。

 

「フリティラリア」

 

 気付けば俺は立ち上がっていた。

 そしてフリティラリアに向かって片膝をつく。

 傅くような恰好。フリティラリアは驚いてから、背筋をただして、俺を見た。

 

「呪いについては……本当、なんだな?」

「え、あっ、は、はい! ほ、本当ですよ、その、思ったよりも、悪くは……」

「呪いのせいで使い物にはならないし、お前の手を何度も煩わせることになっても……」

「……はい」

「さっきのより、酷いことや、乱暴なことだってしてしまうかもしれない」

「言ったでしょう? ……悪い気はしなかったですから」

「しかも――相手は、俺だ。フリティラリア、お前はそれでも……良いのか?」

 

 フリティラリアは微笑んだ。

 

「あなたがそれを望むのなら」

 

 どうして、そこまでして。

 そんな疑問は、彼女の決意に満ちた表情を見てすぐに消えてしまった。

 

 俺に冒険者を続けてほしいと彼女は言った。

 そのためなら、呪いの代償も払うと。

 変わる。変わろうとしている。俺たちの関係性は、後戻りが出来ないほど――良い方向に。

 その想いに応えたい。冒険者を続けたい。何より今は、彼女のことをもっと知りたい。

 共に『グローリーナイトフォール』として活動していくことで、彼女がなぜ俺に冒険者を続けさせたくなったのかも分かるかもしれない。

 それを知りたいと、俺は思った。

 

 彼女に手を差し伸べた。

 フリティラリアはその手を見てから、再び俺の顔を見る。

 まさか、という顔だった。

 

「なら……冒険者、続けてみようと思う」

 

 答えは、一つだけだ。

 

「お前の――『グローリーナイトフォール』で!」

 

 それを聞いて。

 フリティラリアがどんな表情を浮かべていたかは、覚えていない。

 

 記憶に残っているのは。

 硬く握られた俺の手。その温かみだけ。

 案外、俺も冒険者を諦めきれていなかったようで、

 冒険者を続けられると考えた瞬間、嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 

 終わった。

 確かに終わった。

 魔道王は。

『ゴールデンドーン』は。

 

 だけど、俺は。

 俺はまだ、生きている。

 

 俺はダンジョンの天井を見上げた。

 そしてその先にいるであろう、リリスを見つめていた。

 

 今はまだ分からない。

 呪いの対処は出来ても、行動に制限は掛かったままで、

 ダンジョン探索だってろくにできっこないかもしれない。

 結局無理だったとなることもあるかもしれない。

 

 だけど、今この瞬間は、思う。

 リリス。

 全部が全部、お前の手のひらの上だとは思うなよ、と。

 必ずお前の元に誰かが辿り着き、お前を打ち倒すだろう。

 それはシルバークラウンかもしれないし、全く関係ない誰かかもしれない。

 俺かもしれない

 

 少なくとも、

 俺は今、お前の顔をもう一度見て、その面ぶん殴ってやるという目標が出来た。

 かつて魔道王だったころと比べて、その難易度は何倍にも跳ね上がってはいるが、微量だとしても可能性は生まれたのだ。

 フリティラリアのおかげで!

 

 待っていろ、リリス。

 待っていろ、タワーダンジョン。

 

栄光の落日(グローリーナイトフォール)』として、俺は再び挑戦者となる――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが。

 俺たちは、すぐに知ることとなる。

 

 

 その程度で、

 呪いがどうにかできるなどと。

 

 その程度で、

 神を出し抜くことができるなどと。

 

 

 ――思い上がりに過ぎなかったということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 魔道王がシルバークラウンを救助した。

 タワーダンジョン攻略の依頼は、魔道王によるものだった。

 

 その報は、すぐに大陸中に知れ渡ることとなる。

 冒険者たちは大いに沸いた。誰もが知る大英雄が、成し遂げられなかったことを自分たちに託したのだと。

 ならば自分こそが、そう思う者たちが次々に迷宮街ポーラへとやってくる。

 人々は、浪漫と夢を求めて、集まってくるのだ。

 

 そしてその中には。

 浪漫でも、夢でもないものを求めてやってくる者たちの姿もあった。

 それは――魔道王の顔見知り。

 彼が冒険者時代に関わってきた、少女たちの姿だ。

 

 そう。

 集まってくる。

 魔道王の名前が出てしまったからには。

 彼が魔道王であった時の昔馴染みが、次々と。

 

 かつてのヒロインたちはやってくる。

 マエストロのいる街にやってくる。

 

 そして、新しく紡ぐのだろう。

黄金の夜明け(ゴールデンドーン)』よりも新しき英雄譚を。

 

 

 

 タワーダンジョン攻略。

 それは――()()マエストロと栄光の少女たちの物語。

 




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