男娼マエストロと栄光の少女たち   作:しみじみしじみ

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続きます。

前回までのあらすじ:
娼館《アダンソニア》で働く主人公のマエストロは、かつて《ゴールデンドーン》と呼ばれる冒険者パーティのリーダーだったが、タワーダンジョンの最奥で待ち構えていた魔神リリスの呪い――『魔力を使えば使うほど発情する』――を受け敗北し、その代償として『一日一回女を抱かねば死ぬ』呪いを刻み込まれる。
呪いのせいで男娼に身をやつすしかなかったマエストロのもとに、昔の顔馴染みが現れ始め、その中には学院時代、冒険者時代ともにマエストロを目の敵にしていたフリティラリアの姿もあった。
そんなある日、《大変異》が発生し、マエストロは魔道王の姿を取り、取り残されたシルバークラウンの救助へ向かう。無事救助に成功するも、魔道王の象徴でもあったクワイヤは砕け、呪いでままならぬ我が身を鑑みて男娼として生きていくしかないと考えていたマエストロを、フリティラリアが自分の冒険者パーティ《グローリーナイトフォール》に入らないかと誘う。マエストロは差し出された彼女の手を取ったのだった。


フリティラリア②

 

〈大変異〉から一週間が経とうとしていたが、迷宮街ポーラの興奮は未だ冷めることがなかった。

 冒険者の数は日増しに増えてきている。当然、タワーダンジョン攻略を目的として、彼らはこの街に集まってきているのだ。

 

「――なあ、もしかしてさ、今もこの街に――」

「――ああ、どこかで見ているかもしれねえよな! あの、例の依頼主――」

 

 魔道王。

 その名を聞かぬ日は無い。

 

『――タワーダンジョンを攻略せよ! これは、俺の――魔道王の、最後の願いであるッ!!』

 

 冒険者ギルドは正式に、依頼者不明で張り出されていた依頼が魔道王による依頼であると認めた。

 衝撃的な真実な分波及も早いのか、報せが出た翌日から、他の街や都市から冒険者が続々とやってくるようになった。

 一週間も経った今、大陸の端っこまで情報が届いてるんじゃないか?

 これ以上人が増えるのは……本当は喜ばしいんだが、街が余計に狭く感じるから、正直複雑だ。

 

 まあ、自分の影響力を軽視して、軽はずみに魔道王の名を出してしまったのは俺だしな。

 仕方ない。

 仕方ないんだ。

 許してくれるよね。

 その……ギルド職員の皆さん。

 あと、アリア。

 

「……」

 

 足取りが重くなりつつも、いつもの路地裏を通ってギルドへ向かう。

 地元民の姿を見ることが多くなった。表はもうろくに歩けやしないんだろう。

 大通りの方を見る。喧騒に紛れて、やはり魔道王の名前が聞こえてきた。

 

「――魔道王――弟子を自称す――魔術師――」

「――命知らず――」

 

 気になる単語が聞こえてきたから意識を向けてみても、もうその声は聞こえない。

 聞き間違いか、勘違いか。途切れ途切れではいまいち確信が持てない。

 まあいいか。

 とりあえず、アリアに会いに行こう。

 

 

 

 

 予想通り……いや、予想以上というべきか。

 冒険者ギルドはいつにもまして冒険者でごった返していた。

 

 ここんところ毎日こんな感じじゃないか? 見るたびに知らない顔ばかりになってるし。

 大量発生(アウトブレイク)かな?

 

「うぅぅぅ~~~~~……」

 

 いつもの場所にやってきてすぐ、アリアは壁に背を預けてしゃがみ込んでしまった。

 普段はピンと立っている猫耳も、今日ばかりは力なくへたってしまっている。

 

「服、汚れちゃいますよ」

「ぅぁぁ」

 

 なんてこった。

 言語が出てこない。

 一体誰がこんなひどいことを……!

 

 なんて言ってる場合じゃない。大分限界のようだ。

 こんなぐにゃぐにゃになってるアリアは初めて見た。遠目から見たら液体みたいだな……。

 

「しょ、職員、総出で……どうして手が足りないのですかぁぁ……! どうして冒険者の皆さんは、初めての街で、一回はトラブルを起こしてしまうのですかぁっ! 誰も彼も『魔道王に会いたい』『魔道王はどこ?』って――冒険者ギルドを何だと思ってるのですかぁ!? 人探しなんて受け付けてないのですよっっ!!」

「へ、へへぇ……」

「あげくよそのトラブルを持ち込んできたり、ギルド内でいざこざを起こすもんだから仲介に入らざるをえなくなったり、他の街のギルドがそうしていたからと業務外のサービスを強いられたりもするし……! もうっ! ~~~~~んもうっ!」

 

 勢いよくアリアは立ち上がり、

 

「ぁぁぅ」

「溶けた……」

 

 再び元に戻る。

 今ならバケツに汲めちゃいそう。

 

 ……まあ、しかし、そうだよな。

 人が増えればその分だけトラブルが増えたり、全員がギルドを正しく使えるわけじゃないから、その対応にも追われたりもするだろうし。

 俺の耳も痛い。また前みたいに気を遣わせちゃいけないから……心の中で謝っておこう。

 

「なんて……ふふ、マエストロさんに愚痴らしい愚痴を吐き出したの、久しぶりなのです」

「アリアさん」

 

 力なくといった様子だったが、アリアは顔を上げ、微笑んだ。

 アリアの手を握り、立たせてあげる。彼女はパタパタと服についた土埃を払い落とし、確認するように二又の尻尾を左右に振った。

 

「皆さんの頑張りのおかげで冒険者は気兼ねなく活動できるわけですから……感謝していますよ。気性の荒い奴も多いから、対応に苦心することもあるでしょうけど……」

「ありがとうなのです。なにも、冒険者さんたちを悪く思っているわけではないのです。ただ……ちょっと、大変なだけなのですよ」

 

 ちょっと、とは到底思えないが。

 アリアの顔には疲労の色が見える。化粧でいくらか誤魔化してはいるが、日陰になってる路地裏にいても分かってしまうほどのものだ。

 

「踏ん張りどころなのです。ふふっ!」

 

 ただ、アリアが楽しげに笑うもんだから、心配を口にするのは憚られた。

 その瞳に宿る輝きを、俺は知っている。大通りを歩く、冒険者たちのそれと同じ輝きだ。

 彼女もまた、伝説の真っただ中に生きていることを精一杯楽しんでいるのかもしれない。

 

「これからもお世話になりますね。……ギルド最高の看板娘?」

「なぁに言ってるですか。看板娘は皆のものなのですよ? 口説いたって駄目なのです!」

「なら俺にもにゃんって言ってくださいよ。これからは冒険者の一人としても会いに行くんですから」

「えぇ~? それはぁ……ふふ、残念ながら聞けないお願いなのです。だって、マエストロさんをお世話するのは、()()()()()()()なんかじゃなくて――」

 

 言いながら、アリアはポケットをまさぐり、それを俺に差しだしてくる。

 受け取ろうと手を伸ばしたところ、アリアにその手を取られ、両手でしっかりと握られる。

 アリアの小さく温かい手の感触と――金属の感触。これは……。

 

「――()()()、なのですから。他の子が良いだなんて、拗ねちゃうのです」

「――っ」

「はい、遅くなってしまいましたが、新しいギルドカードなのです。今回は特例ということになってしまうので、こうして直接お渡しするしかなかったのです」

 

 するりとアリアの手が離れていき、四角形の金属板が残される。

 ギルドカード。冒険者としての資格と身分を証明するためのものだ。

 そこに書かれているのは、マエストロの情報。そして、所属しているパーティの名前――〈グローリーナイトフォール〉。

 

 確かに直接渡す必要があるとは聞いていたし、今日あたり貰えるだろうとも思っていたが、あんな両手で手を握って渡す必要があったか?

 

「……?」

 

 アリアの目を見つめると、彼女は小首をかしげて困ったように笑った。

 隠し通せているつもりだろうか。

 ……彼女の尻尾はしてやったりという風にゆらゆらと揺れていた。

 

 まあ、分かってやってるんだろうな……。

 彼女、自分のかわいさを理解して武器にしているから。

 油断していると、ドキッとさせられてしまう。何歳も年下相手に、男娼とはいえ女性経験を積んできた俺が……。

 

「……ああ、えっと、ありがとうございます。これで俺も、冒険者として活動できるようになったんですね」

 

 ギルドカードは手のひらサイズで、薄い。

 これを手にするのはずっと先だろうなと思っていたのに、あっけなく手に入ってしまった。

 もちろん、大事なのはこれからだというのは分かってはいるんだけれども。

 感慨深い。

 その冷たい感触を、ゆっくり飲み下すように味わった。

 

「あまり、実感が湧かないのですか?」

「まあ、正直」

 

 本来、冒険者になるためにはいくつかの試験と手続きが必要だと聞いた。

 これが苦労して手に入れたものであるなら多少実感も湧いたと思うんだが、そうじゃないからな……。

 

「……んー、それなら、宣誓とかどうなのです? 冒険者さんたちは皆、最初にギルドマスターの書いた宣誓文を読まされるのですよ」

「宣誓」

 

 あいつ、そんなことさせてたのか……。

 俺が冒険者になったのは冒険者ギルドが生まれる前だったから、宣誓なんてものは記憶にない。

 だが……決まりに倣ってみるのもいいかもしれないな。立場的には駆け出し冒険者なんだ、この際、初心に帰ってみるとしようじゃないか。

 

「せっかくなんで、やってみましょう。ええっと、宣誓文って具体的には何を言えばいいんでしょうか?」

「あ、あ、それならっ、私の言葉の後に続けてもらえば大丈夫なのです! え、えっと、どうしよう、台、台……」

「アリアさん?」

「い、いえ、なんでもないのです! し、仕方ないのです……お、おほん!」

 

 仰々しく咳ばらいをし、アリアが胸を張って俺を見上げてくる。

 あれか、偉ぶっているんだろう。本当は支部長とかが担当することなのかもな。

 俺もそれに乗り、背筋を伸ばし、真っすぐアリアの瞳を見つめた。紫色の綺麗な目だ。

 

 アリアはすぅ、と息を吐き、ゆっくりと宣誓文を口にした。

 

「――我が名を刻む者として、今ここに誓う」

 

「――剣を振るうは己が欲のためにあらず

 術を操るは理なき破壊のためにあらず」

 

「――我は冒険者として、仲間を尊び、掟を守り、

 力を正しく振るう者たらんことを誓う」

 

「――命を賭し、この世界に挑む者のひとりとして、

 いかなる困難にも臆せず、

 道なき道を切り拓くことをここに誓う!」

 

 最初こそ形だけ真似るつもりだったが、思わず力が入ってしまう。

 自分でも驚くほど、するするとアリアに続くことができた。

 

 大抵の冒険者にとっては、形式だけの宣誓に過ぎないだろう。

 あいつも、大真面目に冒険者全員がこの理念を貫くと考えているとは思い難い。

 だがまあ、そうか。

 なんというか。

 気恥ずかしいな。

 

「……ど、どう、ですか……?」

「おかげさまで、実感が湧いてきましたよ。どうですか見てください、冒険者らしい顔つきになってません?」

「えぇー? んー、これはー、むむむー……!」

 

 じっと見つめられたかと思うと、アリアはパッと花が咲いたように笑った。

 

「世界で一番の冒険者顔なのです!」

「ははは、そうでしょうそうでしょう、俺を差し置いて冒険者顔ナンバーワンは名乗らせませんよ! ニッ! ……ニッ!」

 

 マッスルポーズを取りながら、白い歯を見せびらかす。

 パワーが有り余っている筋肉たちが、主張するようにピクピクと動いていた。

 

「あはははははっ! き、筋肉がっ、うご、うごめいて……っ!」

 

 どうやらアリアのツボにはまったらしい。独特な感性をしてるね……?

 中々珍しいことだったので、ポージングを変え、動かす筋肉を変え、その度に笑い声をあげるアリアをしばらく楽しんだ。

 

「あはっ、あは……っ、あー、ふぅ……ふぅー……。……マエストロさ、っんぐふ」

「ふふ」

 

 落ち着いたかと思えば吹き出すアリアに、俺もたまらず笑ってしまったりして。

 正気を取り戻した時、二人とも息も絶え絶えの状態だった。

 なんたってこんなしょうもないギャグでこんな笑って……いや思い出すとまた笑ってしまいそうだ、考えるのはやめておこう。

 

 深呼吸を繰り返し、今度こそ落ち着く。

 アリアはまなじりに浮かんだ涙の粒を指で払い、気恥ずかしそうにしていた。

 

「つ、疲れてると、笑いのツボが浅くなるのです……」

「……みたいですね」

 

 いいもん見れたな。

 なんというか、年相応というか。

 いつも大人びて見える彼女の素が垣間見えた気がして、嬉しかった。

 

「改めて……おめでとうなのです、マエストロさん。あなたは今日から、冒険者なのです!」

「ははーっ……」

 

 再び胸を張って威厳を込めた物言いになる。支部長の真似、なのだろうか。

 わざとらしく頭を下げる俺に、アリアが手を差し伸べる。

 

「餞別なのです」

「ありがたく頂戴します」

 

 煙草だった。

 受け取り、口に加えると、アリアが火を付けてくれる。

 肺いっぱいに煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 

 紫煙を隔てて、疲れを癒すように煙草を吹かすアリアの横顔を見る。

 アリアは煙を吐き出した後、俺からの視線に気づき、そうしてしばらく見つめあっていた。

 

「まさか」

 

 アリアは手に持った煙草に視線を落とし、独り言のようにつぶやいた。

 

「魔道王さまの冒険者としての門出を、この目で見ることができるなんて――」

 

 大通りの喧騒は遠い。

 耳をすませば、煙草からぱちぱちという音が聞こえてくる。

 

 煙を空に吹きかける。空の向こう側へと消えていく。

 それを目で追いながら、俺はふと、昔のことを思い出していた。

 

 アリアが俺に向ける視線。

 覚えがある。

 

 親友を助けてあげた、一人の少年。

 当時、その少年は俺に憧れを抱いていて。

 今はどこで何をしているのかも分からないけど……もしかしたら、この世界のどこかで、冒険者として活動していたりするのかもな。

 あるいは、あの宣誓文を読み上げて。

 なんてことを思った。

 

 

 

 

 そのあといくらかの世間話と情報共有を済ませ、冒険者ギルドを後にした。

 別れ際は色々とスッキリした様子だったから、短い時間だったけど良い休憩になれたかなと思う。

 

 懐からギルドカードを取り出し、裏表ひっくり返しながらそれを見つめる。

 何の変哲もないギルドカードだ。傾きだした陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。

 

「おもちゃを買ってもらった子供みたいにはしゃいじゃって、みっともないですよぉ?」

「……フリティラリア」

 

 声の方を見てみれば、宿から出てきたばかりのフリティラリアが、重そうな旅行鞄を持ちながらこちらへ歩いてくるところだった。

 ギルドカードをしまい込み、辺りを見渡す。ここは路地裏で、陰気な場所だ、ほとんど人はいない。

 

「そーんな鈍色のカードなんかで喜んじゃって。そういうのは功績を積んで、()()()のカードを手にしてからするもんじゃないですかぁ?」

 

 色付き――依頼をこなし、ギルドからの信頼を勝ち取り、審査が通った時行われる、いわば昇進のようなもの。

 見た目だけで信頼に足るかどうかを見分けることができる、駆け出し冒険者の最初の目標だ。

 

「へぇ? じゃあ、そういうお前は? ベテラン冒険者のフリティラリアさんなら、そらさぞかし位の高いカードをお持ちなんでしょう?」

「……」

「お前……からかうなら勝ち目のある勝負をしろよ」

 

 まあ、依頼よりゴールデンドーンに対する妨害行為の方が多かったしな。

 フリティラリアは不機嫌そうに明後日の方を見ていたので、これ以上突っ込むのはよしとこう。

 

「とりあえず、今の時間なら誰にも見られないはずだから。誰か来る前に移動しよう」

「ええ、はい……そうですね。……まったく、なんでこんなことに」

 

 ――フリティラリア、そして、グローリーナイトフォール。

 大変異時、あの場所にいて、そして――魔道王に抱かれ共に消えた冒険者。

 今最も魔道王に近いと目される人物。それを世間が放っておくはずなどなく、街中に出ようものなら大騒ぎになってしまう。

 

 シルバークラウンは当初フリティラリアのことを隠そうとはしていたらしいのだが……人の口には戸が立てられない。

 なんせこの大陸で一番ホットな話題だ、誰かしらポロっとこぼしてしまうものだろう。

 

 フリティラリアも黙っているわけではなく、冷たくあしらっているのだが……それがミステリアスに映るんだろう。

 人の秘密ってのはどうしても掘り起こしたくなるものだからな。フリティラリアに近づこうとする奴が減るわけではなく、ここ最近の冒険者の増加に伴い、何なら増えてきているという始末。

 こりゃダメだ、ということで、苦肉の策。

 

 ――いっそ、生活する場所を変えてしまおう。

 何日かに分けて荷物を運び出し、誰にも気づかれることなく拠点を移す。

 

 街中に出れば騒ぎになるというのは変わらないが、なら出なきゃいい。

 なにもタワーダンジョンへ向かうのは街からじゃないといけないわけじゃないんだから。

 

 しばらくはこの宿屋に冒険者たちが押しかけてくるだろうが、宿屋の主人からは『任せろ』と心強い返事をいただいている。

『今話題の冒険者、その陰の協力者ってのも乙なもんじゃあないか』とか言ってたし、変に情報を言いふらすこともなさそうだ。

 そもそも行先については黙ってるしな。心配は要らないだろう。

 

 この宿屋の入り口は表に面したところにあるんだが、裏口は人通りのない路地裏に繋がっている。

 おかげで人目を憚りながら動けるってわけだ。

 

「荷物はそれで全部か? 俺が持つよ」

「必要ありません。これぐらいなら持てますから」

 

 ……ここ数日で結構運び出していたはずなんだが。

 どうしてこんな鞄がパンパンなんだ? その旅行鞄ってそんな膨らむものだっけ?

 フリティラリアは手を貸す必要はないと言ってるが……目を凝らして見てみると、鞄の周りに銀色の液体のような物がまとわりついているのが分かる。

 魔術で無理矢理支えてるのか? そのサイズにどれだけの物が入ってるっていうんだ?

 

 それから――

 

「……あ、あーっと、その、フリティラリア? 鞄の横から、出てるんだが……」

「……? ――えっ、あっ!? ちょ、ちょっと待っててください、今の、見なかったことに……!」

 

 はみ出した三角形の可愛らしい布が見えたので指摘すると、フリティラリアは慌てて宿屋へと戻っていった。

 外面は完璧を装ってるから知らなかったが、あいつズボラなのか? 適当に詰め込んだ荷物が溢れ出してしまったのか、扉の向こうからフリティラリアの悲鳴が聞こえた。

 聞こえなかったことにしてしばし待つと、息を切らしたフリティラリアが再び扉から現れた。

 

「早く行きますよ。面倒くさい人たちに絡まれたくありませんし」

「無理がある」

 

 そのままスタスタと路地裏を進んでいってしまう。

 なかったことにするにはちょっと……あれ、鞄のふくらみが増してないか? 爆発しないよな、あれ?

 

「マエストロくん!」

 

 先を歩いていたフリティラリアが振り返り、怒ったように声を上げた。

 さっきの光景を弄ってやると思ったけど、必要以上に機嫌を損ねてしまいそうだな。

 適当に謝罪の言葉を口にしながら、フリティラリアの横まで駆け寄る。ジトっとした視線を受けて、話を変えることにした。

 

「そ、そういえば、タワーダンジョン。もう少しで規制が解除されるそうだ」

「……そうなんですか?」

「ああ、じきにギルドから発表があると思う。大変異の時のような時間に関する異常が確認されなくなって、当面は先のようなことは起こらないだろう、って」

「ふーん……」

 

 希望的観測も大いに含んでいるとは思うが、前回は予兆があった。

 それが確認されるまで、大変異のサイクルは他のダンジョンとほぼ同じものになるだろう。

 というギルドの見解については俺も同じ意見だった。

 タワーダンジョン攻略時はノミとかを持たせ、1日数回はダンジョンの壁面を傷つけるなどして異常の確認をするのを徹底させれば、少なくとも前回と同じような状況にはならないはずだ。

 

「ようやく、ですね」

「そうだな、ようやく……」

 

 タワーダンジョン攻略。

 そして、魔神リリスの打倒。

 ようやく、乗り出せる。

 一歩。いや、大変異のせいで何歩も下がった地点でのスタートとなってしまうが、それでも、一歩。

 大きな進歩だ。

 

「さて、せいぜい足を引っ張らないでくださいね、先輩?」

「……まあ、努力するよ」

「ふふふ、学院時代歯牙にもかけなかった後輩にこんなこと言われて否定できないだなんて、どんな気分なんですかぁ、教えてくださいよぉ」

「言ってろ。見てろよ、実戦で、二度と減らず口を叩けなくしてやる」

「期待してますよ、ま、ほどほどに」

「最強の魔術師を仲間に引き入れておいて、そのハードルの低さはなんだってんだ」

「えー? だってぇ、たぶんですけど、マエストロくん、私にも勝てないじゃないですかぁ」

 

 軽口をたたき合いながら路地裏を進んでいく。

 もうすぐ夕方になる。空が橙色に染まりだす。この時間にほっつき歩いてるなんて、ここしばらくなかった。

 

 さあ、帰ろう。

 ()()()へ。

 

 

 

 

 街の中心から離れた場所にある俺の家が、今後の活動拠点となる。

 周りには森くらいしかないし、わざわざこんなところまで足を運ぶ物好きはいない。

 迂回すれば、街の中を通らずにダンジョンにも行けるから、宿屋の中で閉じこもっているよりは大分マシなはずだ。

 

 ……問題は、俺とフリティラリアが同じ屋根の下で暮らすことになる、ということなのだが。

 意外にもフリティラリアは二つ返事でそれを承諾してくれた。

 それだけ行動を制限される日々が堪えたのだろうか。

 俺との共同生活なんて嬉しくないだろうが、ほとぼりが冷めるまでのしばしの辛抱だ、我慢してもらおう。

 

 リビングの椅子に深く腰掛け、天井を仰ぎ見ながら大きく息を吐く。

 ギィ、と木が軋む音が響く。それもすぐ、フリティラリアの荷ほどきの音でかき消されていく。

 他人の音だ。生活圏でしばし聞いてなかった、確かな存在感。()()フリティラリアが、同じ家に住む。もうすっかり忌避感も無くなっていた。

 どころか――。

 

 そこで、部屋からフリティラリアが顔を出してきた。

 

「お……っと、終わったのか、荷解きは?」

「ええ、片付きました」

「……」

 

 あんなパンパンに鞄に詰め込んでおいて、荷解きがこんな早くに終わるはずがない。

 

「旅行鞄に突っ込みっぱなしなのを片付いたとは言わないぞ」

「っ! な、なんで分かったんですか、覗き見てたんですか!?」

「ははーん、お前、リリエルと同じタイプだな? ……部屋の収納は好きに使ってくれて構わないから。服がしわだらけになる前に、荷解きはきちんと終わらせておけ」

「リ……あ、あの人と同じ……!? ……くっ」

 

 かなりのショックを受けた表情を浮かべたまま、フリティラリアが部屋へと戻っていく。

 そんなに嫌か?

 まあ、嫌か。

 俺も嫌だもん。

 

 部屋からはどたどたと忙しない音が聞こえてくる。

 見られたくないものもあるだろうし、手伝うわけにもいかないよな。

 

「……」

 

 さっきちらっと見えたパンツを思い出す。

 私生活はちょっとだらしがないんだな。

 初めて知った。

 

 彼女の外面は完璧だ。だから今日に至るまでその一面を知ることは無かった。

 油断していたのだろうか。隠そうとしたんだ、見せる気は無かったろう。でも、ある程度の信頼は得ているのかもしれない。油断してくれる程度には。

 

 部屋からは「この服、いつ買った物でしょう……今入るのかしら」だの「どうしても下着の種類が合わない」とか聞こえてきていた。

 うん、油断しすぎだね? いや分かるとも、一人で生活していると独り言って癖になっちゃうよな。でも俺に聞こえてきていい独り言ではないよね?

 ここは紳士的に、席を外しておこう。というかこのままここにいたら思わず手を貸してしまいそうだ。リリエルには荷解きを全て丸投げされていたせいで、お節介が当たり前になっていたから。「おかーさんみたいっすね、アハハ!」とか舐めたこと言われてたっけな……。

 普通はそこまで世話を焼かれるのは嫌だと思うだろう。

 

 俺は席を立ち、静かに外に向かった。

 周りに何もない分、静かで、風が心地いい。

 大きく伸びをすると、ボキボキと背骨が鳴る音がした。

 

 空には星が浮かびだし、街は夜に向け、徐々に明かりをともし始めていた。

 昼間にやっている出店や喫茶店なんかは店を閉め、酒場が賑わいだす頃合だ。

 もう少し時間が経てば、アダンソニアも営業を開始する。

 

 アダンソニア。

 俺の前の職場。

 冒険者になるにあたって、辞めると決め、俺はマダムにその話をしたのだが……。

 俺は今も、アダンソニアを辞めないままでいる。

 厳密にいえば、籍を置いているだけの状態。

 

『――さあて、さてね。あんたの言う通り、呪いはどうにかできているのだとしても、さ』

 

 思い出すのは、マダムと話をした時のこと。

 彼女が言うには、俺が惜しいから手放したくないわけではなく。

 

『あたしは思うのさ。リリスは狡猾で卑劣な女だよ、お前に呪いを掛けたのだって尊厳をめちゃくちゃにするためさ、だろ? おんなじ女としてはねえ、そんな抜け道を用意してやる道理はないと思うのさ、気づかないわけがないのと思うのさ』

 

 だから、と、マダムは続けて。

 

『きっとまだ何かあるだろうさねえ。女の呪いがその程度で済むわけがないだろうよ、泥沼に潜む足引きの女みたいに、どん底に引きずり込もうとするだろうさ。――だから、あんたはここを辞めない方が良い。()()()()()()()()、と思って備えておくっていうのは、冒険者にとっちゃ当たり前のことじゃないのかい、マエストロ』

 

 マダムの言う通りだ。

 まだこれで呪いはどうにかできたと判断するのは早計だ。

 備えあれば患いなし。なにも仕事を続けろと言われているわけではない。それそのものを否定する必要はなかった。

 

 ただ――何かある。いったい、何があるというのだろうか。

 マダムはその点、『知らないさ』としか答えなかった。それもそうだろう、俺にだって分からないんだから。

 

 だけど、もし何かあれば。

 その時のことについて、マダムは言った。

 

『ここで働いてもいいが、ふむ、そうさね――もしそれで不都合だって言うのなら、あの場所をお使い。昔使っていた――』

 

 ――アダンソニアの旧店舗。

 それは、俺の家のすぐ近くにある。

 

 黒褐色のウォルナットの壁は深い皺のようにひび割れ、かつて艶めかしい笑い声が漏れた建物は、今や静まり返っていた。

 窓越しに覗けば、棚には酒瓶が並んでいるが、飲み手もいないまま埃をかぶってしまっている。

 

 ここの建物の鍵は俺が管理しているから、最低限の掃除くらいはしていた。

 だから店舗として利用できなくはない程度の状態にはなっているものの……。

 

「ここを、使う?」

 

 アダンソニアが高級娼館として名をあげたのは、この旧店舗を使った独特な店舗経営にある。

 

 街からは遠いし、旅人も通りがからない。当初は誰の目も引かない娼館だったが、男娼の質は非常に高かったらしい。

 それを売り文句に、マダムのお眼鏡にかなった客相手を招待し、それはそれは丁重にもてなしていたんだとか。しかも招待するのは一人か二人、男娼の数が非常に少なかったのを逆手に取り、少数のみを迎え入れていた。

 客からすれば、そこまで特別扱いされて――周りに自慢しないわけがなく。そういった客の自慢話などからうわさは広がり、『選ばれた客しかいけない店』という格をアダンソニアは手に入れることになる。

 その後は時期を見て、街中へと店舗を移転。男娼の数も一気に増やし、ある程度一般相手に門戸を開く。格式高いイメージをそのままに、開店初日から多くの客を獲得し、今日に至るまで高級娼館として順風満帆な経営状況を保っている――というのが、俺の知っているアダンソニアという店の簡単なあらましだ。

 

 ここを使うということは、つまり当時の男娼としての立場に収まれ、ということなのだろうか。

 いや、しかし――どういうことなんだ? わざわざここを使わなきゃいけない理由なんて思い当たらないぞ?

『不都合』と言っていたが……もしも再び男娼として働かなきゃいけない状況に陥ったとして……別にここを使おう、とはならないよな……?

 

 ……一番良いのは、男娼に逆戻りしなきゃいけないなんてことにはならないってことなんだが。

 

「マエストロくん」

 

 ふと横から声がかかる。

 見ると、フリティラリアが傍まで駆け寄ってきていた。

 俺の横に並ぶと、目の前のアダンソニアの旧店舗を見つめる。

 

「昔のアダンソニアだそうだ。調度品があっちのほうの店舗のものとよく似通っているのが分かるか?」

「あ、アダンソニアなんですか……!? ど、どうしてこんな辺鄙なところに……というか、こんな民家の目の前に?」

「ん、あー……そういえば言ってなかったか。そこの家はな、アダンソニアのオーナー、マダムの持ち家だったんだ。今は俺が借りさせてもらってるんだけどな」

 

「マダム……」と呟きながら、フリティラリアは小首をかしげていた。

 顔ぐらいは見ていたはずなんだが、まああの日のフリティラリアは冷静じゃなかったし、覚えていないのも無理はない。

 

 この旧店舗について知っていることを簡単に説明していく。

 フリティラリアはそれを聞きながら、興味深そうに店内を覗き込んでいた。

 その視線は、カウンターの向こう、酒棚に並べられたさまざまな銘酒にくぎ付けになる。

 

「今はもう使われていないんですよね? でしたら、あのお酒はいったい……」

「定期的にな、その、届くんだよ。一人じゃ到底消費しきれない量の酒が。いくつかはアダンソニアに持っていくんだが、それでも溜まっていくばかりで……仕方ないから、ここに置いてるんだ」

 

 懐から鍵を取り出し、扉を開ける。

 嗅ぎ慣れた香りが鼻孔をくすぐった。違うところはいくつもあるけど、やっぱりここもアダンソニアなんだよな。

 

「せっかくだし、中でも見ていくか?」

 

 フリティラリアに手招きすると、おずおずと俺について店の中に入ってくる。

 物珍しそうにあたりを見渡していた。俺はいくつかの燭台に火を付けながら、奥へと歩いていく。

 

 中は娼館特有のいやらしさのない、どちらかと言えば、酒場のような居心地の良さがあった。

 暗い色調の内装が目に優しい。この中で、白い肢体をさらけ出す男娼が客をもてなすんだ、それはそれはさぞかし艶やかな光景であったことだろう。

 カウンターの上で指を滑らせる。多少の埃が指先についた。カウンターの裏から布を取り出し、簡単に掃除すると、目の前にフリティラリアが座った。

 

「ふふ、マスター、いつもの」

「なんだ、そんな様になってるのか、俺?」

「ええ、ちょっと胡散臭いとことかが、こういうお店に立ってそうな感じがして」

 

 言われて、自分の顔を触る。

 そんな顔をしてるのか、俺って……?

 

 と思ったが、くすりと笑うフリティラリアを見て、からかわれたのだと理解する。

 牛乳でも出してやろうか、まったく。

 

「……しかし、改めて見てもすごい量ですね、そのお酒。『届く』ってことでしたけど、買っているわけではないんですもんね?」

「ああ、そうだ。冒険者時代に縁のあるやつで、今の俺の状況を知っている奴がいるんだけどな? そいつは今、行商人として各国を渡り歩いているんだが、そこで気に入った酒とか、自分の国で奉の……おほん、貰いすぎた酒とか、半ば押し付けに近い形で渡してくるんだよ。こっちは遠慮しているんだがな……」

「有難迷惑……」

 

 その言葉を否定することは無かった。

 例えるなら、そう、久方ぶりの帰省で大量にご飯を作ってくれるおばあちゃんのような……いやまあ俺自身にそういう経験はないんだけれども。

 

「最初の頃は俺も喜んでいたからさ。それもあって、会うたびに酒をくれるようになっちゃって」

 

 思い浮かべるのは、狐耳の少女。

 玉狐織錦瑞華庵(ぎょっこしきんずいかあん)という屋号で活動する行商人の姿だ。

 彼女は明らかに俺の反応を楽しみにしているし、強く断るのも悲しませてしまいそうでできなかった。

 そんなこんなでずるずると酒を押し付けられる関係が続き、今やもうここの酒棚すらも埋め尽くしてしまったのである。

 

 酒棚からいくつか酒を取り出し、見つめる。

 どれもこれも、酒好きなら一度は名前を耳にするぐらいの銘酒だ。

 安酒じゃない分、ガブガブ飲むのももったいなくてな……だから全然消費しきれない訳だ。

 

「……? どうかしましたか?」

 

 フリティラリアが俺の視線を受けて、少し困ったように笑った。

 そうだな、せっかく同居人が増えたわけで。

 一人じゃなく、二人で消費していけばいいんじゃないか。

 俺の記憶にある限り、フリティラリアは酒に強いわけでは全くないが……あれは飲み方も良くなかったしな。

 割ったり、チェイサーを間に挟んだりすれば、彼女だっておいしく酒を飲めるはずだ。

 

 というか、棚に空き作っておかないと。

 たぶんそろそろだよな、()()()がこっちに来るの。

 

「まだちょっと早いけど……どうだ? お前さえ良ければ、さ」

 

 グラスを二つ取り出し、一つフリティラリアに差し向ける。

 

「い、いいんですか? マエストロくんが頂いたものなのに……」

「埃をかぶってるよりは、誰かに飲んでもらった方が良いだろう。それに……あー、なんというか……《グローリーナイトフォール》に入って、さあこれからだってところでさ……その、お祝い的なの、まだだったろ?」

「……!」

「それに、あの《大変異》を誰の犠牲もなく乗り越えたことも。調査の協力で忙しかったはずのシルバークラウンでさえ、あの日は飲み明かしたそうだ。それに倣って、というわけでもないんだが……景気づけに、お前と飲み交わしたいんだよ」

 

 ゴールデンドーンにいた時も、依頼を達成するごとに酒場で浴びるほど酒を飲んでいたものだ。

 リリエルと肩を組みながら大声で歌ったり、吐いたり、ロサリアが知らん誰かから飲み比べの勝負を申し込まれ、涼しい顔で全戦全勝したり、それをアイリスが笑顔で見つめていたり――これはちょっと悪い例ではあるが。

 要はもう少し親睦を深めましょうってことだ。仲間なんだしな。

 

「……そんなこと言って、またあの日みたいに酔い潰して抱いてやろうって魂胆なんじゃないですかあ、変態王?」

「俺は止めてたはずだが」

「えー? どうですかねー? 私、酔っちゃうと記憶がなくなっちゃうタイプなんですよぉ」

「なくなってたのは理性じゃなかったか……?」

 

 あれはあれでかわいらしいものだったが。

 

「まあ、仕方ないので乗ってあげますよ。よかったですねえ、えっちな下心に寛容な仲間がいて」

「お前は素直にイエスと言えねえのか」

 

 まあ、こんなことで自分が優位に立っているのだと思い込んでくれるので、なんとも扱いやすい。

 小さくため息をついてから、はたと気づく。

 

 ……それって要は、さっきお前が言ったようなことをしてもOKってことじゃ?

 

「……」

 

 フリティラリアは得意げに口角をあげていたが、少しばかり顔が赤らんでいるようにも見える。

 期待しているようにも見えるのは、気のせいだろうか。

 

「あ、あの!」

 

 気まずい空気を打ち破るように、フリティラリアは声を上げ、酒棚の一点を指さす。

 

「そこにあるお酒が気になるんですが、飲んでみても良いですか?」

「ん、ああ……アンバーフォージ(琥珀の炉)、ドワーフの国の銘酒か。癖もあって度数も高いが、なかなかどうして病みつきになる酒だ、お目が高い」

 

 豪奢なカットの入ったクリスタル瓶。棚から取り出すと、中に入った琥珀色の液体が燭台の炎に照らされながら傾いた。

 きらきらと輝く様は宝石と言ってもいい。手先の器用なドワーフたちの意匠によるものだ。高級感のある外観にフリティラリアは惹かれたのだろう。

 

 実際、この酒は相当値の張る逸品だ。

 貴族の贈呈品にも採用されることがあると聞いたことがある。

 何でもない日に飲むには少し贅沢な酒だが、こういう場なら開けるに相応しいはずだ。

 

 ただ、フリティラリアは俺の『度数が高い』という言葉に少しばかり顔をしかめていた。

 また失態を晒すかもしれないと思っているのだろうか。

 

「ドワーフたちはこれをストレートで飲むらしいが、なにも俺たちまで彼らに倣う必要はない。そうだな……氷で冷やしてゆっくり溶かしながら飲んだりとか。単純に水で割ってもいいし、癖のある味も、はちみつなんかを垂らせば飲みやすくなる」

 

 温かいミルクに少し垂らしてもいい。これもおすすめの飲み方なんだが、あいにく今はミルクが手元にない。

 フリティラリアのグラスに魔術で生み出した氷をふたつ入れ、それからアンバーフォージを注ぐ。琥珀色の光が氷越しに揺らめき、ドワーフの国の特産品である《黄金》のような輝きを放つ。

 最後に水を少しだけ差し入れる。香ばしいアンバーフォージの香りが、ふわりと俺とフリティラリアの間を漂った。

 

「……い、いただきます」

 

 フリティラリアはグラスを両手で持ち、一度生唾を飲み込んでから、ゆっくりとアンバーフォージに口をつける。

 一口。口に含むように飲み込むと、ほうと熱っぽい息を吐きながら、フリティラリアは目を見開いた。

 

「おいしい!」

「おお、これがいける口か! 結構極端に好き嫌いが分かれるタイプの酒なんだが」

「ええ、嫌いじゃない……どころか、結構好きかもしれませんね。特にこの、スモーキーな感じとかが……うん、おいしいです」

「へえ……案外、酒は飲みなれてないだけで、酒好きの素質はあるのかもしれないな」

 

 もう一つ同じものを作り、俺も一口飲んでみる。

 甘い果実の香りに、炉で熱した鉄のような重み。

 深い煙と樽の焦げ香。

 ああ、これだこれ。アンバーフォージ、この荘厳な味わいこそが、この酒らしさなのだ。

 

 飲み下したあとの余韻すらも、この酒であれば十二分に楽しめる。

 身体の奥から温まっていくような感覚も、全身でこの酒を味わっているような気がしてたまらない。

 

「ドワーフの国、《黄金国家カジタリア》――いえ、今は《煌工国ルミナリア》ですか。マエストロくん、懐かしいんじゃないですか? 《ゴールデンドーン》が初めて受けた依頼が、この国の依頼だったはずでしょう?」

 

 フリティラリアは酒瓶を手に取り、中の酒を光に透かしながら言った。

《黄金国家カジタリア》……それは、黄金と欲望に支配されていた時の国の名前。

 国土全てがカジノで、国にあるすべてが景品で、人が持ちうるすべてが賭け金であった。

 

「そうだな、懐かしい。その名前も、この酒の味も。依頼を達成して、その日の晩は誰も彼もがこの酒で満たされたジョッキを掲げてバカ騒ぎしてた」

「《救国の勇士》だなんてもてはやされていましたね。私、新聞で見たんですよ? マエストロくんってば、写真でもわかるくらい口元がだらしなく緩んでました」

「はっ、そんなわけないだろ。《ゴールデンドーン》として一気に名を上げるチャンスだったんだ、情けない姿は絶対に見せたりしなかったから」

「えー? あれー? 記憶違いですかねー? 女の子にいっぱい言い寄られて鼻の下を伸ばしているようにも見えてきちゃいましたぁ」

「は、おま、お前、それ……!?」

「当時の新聞の記事♡ ――やだぁ、ノータイムで奪いに来るなんて、乱暴ー!」

 

 これ見よがしにフリティラリアは手帳から古びた紙片を抜き出した。

 新聞の切り抜き。カメラのフラッシュを一身に浴びる、俺の仲間たちと、俺の写真――仮面に隠されてない部分からは、緩んでいる俺の表情が――いや待て、俺こんな顔してたのか!? もっとこう、かっこよく、キリッとしてたはずだろ!?

 

「まったく……変なもん見せやがって。捨てろそんなもの」

「死んでも嫌でーす。あなたが忘れた頃合を見計らって見せつけてあげますよぉ」

 

 意地悪な笑みを浮かべながら、フリティラリアは慎重な手つきで新聞の切り抜きを手帳にしまい込んだ。

 ……まさか、他の国のことも取ってあったりしないだろうな?

 

「ふふっ……これを、こんな心持ちで見ることになるとは」

 

 フリティラリアが手帳を撫でながら、酒を口に含む。

 それを見て俺も、彼女から視線を外しながらグラスに口をつけた。

 なんとなく気恥ずかしい。いや、恥ずかしい過去であるのは違いないんだが。

 

 アンバーフォージを口の中で転がすように味わう。

 その味に、かつての情景が思い起こされる。

 あの時はバカほどうるさく騒いで、記憶が飛ぶほど酒を飲んで――今日みたいな静かな夜では決してなかったが。

 

 感じる想いに、それほど違いがあるようには思えなかった。

 

「楽しそうですね。……楽しかったんでしょうね」

「フリティラリア?」

「あ、いえ……ただ、酒の味を知らなさすぎるのも、もったいないなと……ちょっと思っただけです」

「これから知っていけばいいだろ? というか、間違いなく知っていくことになるぞ。なんせお前には、この棚にある酒を消費する手伝いをしてもらうからな」

「えぇ!? こ、こんなには無理ですよ!」

 

 そう言いながらも、フリティラリアは棚に並ぶ酒を見つめて、瞳を輝かせていた。

 棚に並ぶ酒の中には、アンバーフォージのように《ゴールデンドーン》としても縁のある酒がある。

 今日一日ですべて開けることはないが、先は長いんだ、徐々に手を付けていけばいい。

 それで、酒の味を気に入ってくれればいいな、と思う。

 

「はぁ……まあ、良いですけども。ちゃんと、美味しい飲み方、教えてくださいね?」

「もちろん」

 

 フリティラリアに笑いかける。

 お互いが持つグラスに入った氷が、からりと音を立てた。

 

 

 

 

 景気づけ、とは言ったが、何か特別なことがあるわけでもなく。

 俺とフリティラリアの共通の話題として、お互いの冒険者時代の話に花を咲かせながら、ゆったりとした時間を過ごしていた。

 

 アンバーフォージの瓶がそろそろ空くといった頃。

 フリティラリアはすっかり赤くなった顔をこちらに向け、『はちみつ割も試してみたい』と言ってきた。

 残っているのは丁度一杯分くらいだったので、快くOKを出したのだが……『手元をよく見てみたい』という要望があり、俺はフリティラリアをカウンターの裏に招いた。

 

「……どうしたんですか、マエストロくん? 手が、止まってますよ……?」

 

 フリティラリアがにんまりと笑いながらこちらを見上げてくる。

 ほのかな酒の香り。汗の香り。そして――彼女の身体の熱。ぴったりとくっついたフリティラリアの身体からは、心地よい熱が感じられた。

 

「な、なあ、そんなに近いと動きづらいんだが……」

「んー?」

 

 首をかしげる彼女の所作に、心臓が跳ねる。

 こいつ、分かってやってるのか? 俺もそこそこ酔っぱらっている。フリティラリアもそれ以上に酔っているだろうけど、理性が飛ぶような飲み方はさせなかったはずだ。

 だから――これは――彼女自身が、求めてやっていることだというのか?

 

「あ、ん……っ……あれえ、どうしちゃったんですかぁ、マエストロくん? 変なとこ触っちゃってますよ……?」

「おま……フリティラリア……!」

「はーい?」

 

 試すようにフリティラリアの腰に、そしてお尻に手を伸ばす。

 柔らかな彼女の身体の感触。それにフリティラリアは反応を示したが、咎めるような声は一切なかった。

 逃げない。というか、受け入れている。

 

 フリティラリアは挑発的な笑みを崩さず、グラスをこちらに差し出してくる。

 震える手つきで、俺はアンバーフォージをグラスに注ぎこむ。もう片方の手は彼女の身体をまさぐっていた。フリティラリアはさらに身体を密着させてくる。

 離れろ、とは言えなかった。選択肢にすら浮かばなかった。ただフリティラリアの身体の感触が、熱が、そして、その表情が、俺の目を引いて離さない。

 

「んっ……ぁ……っ」

 

 ダメだ、ダメだと思っていても、手が止まらない。

 これでフリティラリアを襲ってしまえば、俺の負けだ。

 あくまで平静に、冷静に……くそ、ずっしりとしたお尻しやがって……気持ちよすぎる……!

 

「ふ、んっ……そ、れで、次はどうするんです、か、ぁっ」

 

 瓶はすっかり空なのにずっと傾けていた。

 気を取り直すように咳ばらいをしてから、カウンターの下の棚から小瓶を取り出す。

 はちみつだ。

 綺麗な琥珀色。

 それを小さじ一つ分、グラスの中に垂らす。

 溶けゆく蜂蜜がとろりと酒に絡み、氷の隙間を縫って甘やかな香りが立ちのぼった。

 

 フリティラリアは今の状況についてなんの言及もしないまま、グラスを手に取り、傾けた。

 

「……あ、これも、おいしい」

「そ、そうか……それは、よかった」

「はい、んっ……重厚な味わいが、あっ、甘みで飲みやすくなって、んんっ……!」

 

 酒に濡れた唇が燭台の炎に照らされて、なんというか、とてつもなくエロい。

 今すぐにでも抱き寄せて、カウンターに押し倒したくなる。いかん、いかん、耐えるんだ、マエストロ。それをダシにからかわれ続けるのは目に見えているだろう!

 

「はい、マエストロくんも、っ、どうぞ」

「い、いや、それはお前のだろ? 俺は大丈夫――」

「良いじゃないですか。良いじゃないですか、それぐらい。私、今、楽しんでるんですから。あなたも一緒に、楽しんでほしいんですよ」

 

 そこまで言われて、つっぱねるわけにもいかず。

 彼女に差し出されるまま、グラスを手に取った。

 

 飲む。

 ……甘い。

 

「ふふっ、こんな贅沢な味を、あっ……教えちゃっていいんですかぁ? これからも、欲してしまうかも」

「……別に、構わないさ。この味が好きだって言うんなら、取り寄せておこう。いつでも飲めるようにな」

「はい……好き」

「っ!」

 

 耳にささやくようなフリティラリアの声。

 酔いが回った脳みそにダイレクトに響く、蠱惑的な言葉。

 

「んっ」

 

 今度は彼女がグラスを手に取り、

 

「……」

 

 次に俺が酒を口にする。

 

 交互に飲み下していく。

 何かを話していたような気もするが、ただ静かにその状況をお互い楽しんでいただけのような気もする。

 

 だけど、グラス一杯分の量はそれほど多いわけでもなく。

 すぐに、グラスは空になる。

 グラスを置き、空いた手に、フリティラリアが指を絡ませてきた。

 

 いいか。

 まあ、いいか。

 お前の挑発に乗ってやる。

 ここまでされて耐えられるような奴は、男じゃない。

 

 だから――いいよな。

 抱いて。

 

「あっ!? ――んっ、んんんっ……!」

 

 思い切り抱き寄せて、唇を奪う。

 甘い味だ。

 すっかり慣れ親しんだ彼女の口腔。

 最早蹂躙するように乱暴に彼女の口を犯しても、昨日ぶりの逢瀬に過ぎない。

 

「ん、ぢゅ、んんんっ♡」

 

 彼女にとっても慣れたものなのか、それとも負けじと対抗しているつもりなのか。

 背伸びをしてより密着しながら、舌を押し付けてくる。それを絡めとって、周りに誰もいないことをいいことに、淫靡な音をわざと立てるようにキスを続けた。

 

 すっかり酒の味もしなくなったころ。

 唇を離す。お互いに息を切らせながら、間近で顔を見つめあった。

 フリティラリアは笑う。『あーあ、襲っちゃった』とでも言うように。

 

 ああ、負けは認めてやるが、その勝ち誇った顔は気に食わない。

 崩したい。彼女の余裕を。それが彼女の望んでいる所であることは知っていても。

 

 フリティラリアを持ち上げ、カウンターに座らせる。

 唇に、頬に、首筋に口づけをしながら、彼女の服を脱がしていく。

 晒される素肌は汗でじっとりと濡れており、アルコールのせいか、興奮のせいか、熱を持っていた。

 

「あっ、マエストロくん……っ」

 

 ここまでくると、彼女は従順になる。

 だから俺は彼女の全てを脱ぎ去っていく。

 恥じらう表情が見たい。何より、一糸まとわぬ彼女の姿が見たい。

 

 すぐにフリティラリアは全裸になり、胸や股間を手で隠しながらも、それでもまだ余裕ぶった表情を浮かべていた。

 太ももを撫で、相手の反応を窺う。小さな快感がもどかしいのか、太ももをこすり合わせるように俺の手から逃げようとする。

 逃がさないように腰をつかみ、首筋を噛むように愛撫した。

 

「ひ、んぁ」

 

 か細い喘ぎ声。

 直接的に触らないように、あえて周りを弄ぶ。

 感度の上がった肌であれば、それでも性感は高まっていくだろう。

 それでも、達することはできない。

 

「も、うっ、この……っ!」

 

 観念したように手を退けたかと思うと、フリティラリアは両手を俺の胸に伸ばしてくる。

 細い指が胸の上で滑らされる。服の上からの鈍い感覚だが、シチュエーションも相まってなかなかにクるものがある。

 

「されっぱなしは、性に合いませんからね」

「っ……!」

 

 指はやがて、突起に触れる。

 引っ搔くような、撫でるような、絶妙な力加減。

 くすぐったさにも似た快感が走る。逃げようとしても、フリティラリアが足で捕まえて離さない。

 

 くいくい、と足が引き寄せるように動く。

 見れば、フリティラリアが舌を出してキスをせがんでいた。

 少し前までおぼこだったとは到底思えない、淫猥な動作。吸い寄せられるように、再び唇を重ね合わせる。

 

「あ、んっ……んちゅ、ちゅ、ぢゅ、んっ、ふ……♡」

 

 その間も、フリティラリアは愛撫の手を止めない。

 快楽に俺が一瞬身もだえすれば、その隙を狙って彼女は舌をねじ込んでくる。

 それはいたずらのようにも、献身のようにも思える攻めだった。

 

 しばしされるがままでいると、カウンターについた手が何かに触れる。

 小瓶。はちみつの入った小瓶だ。

 その感覚に、俺は思いつく。

 

「あ……」

 

 顔を離すと、フリティラリアの口からは名残惜しそうな声が漏れた。

 つつとかかる銀の橋をぼうっと見つめ、そしてすぐに俺の手にある小瓶を見てハッとした表情を浮かべた。

 何をするか察したのだろうか。抗議の意を感じるような目で見つめられたが、意に介さず、瓶のふたを開け、中身をフリティラリアの身体に垂らす。

 

「やっぱり、変態王ですね……んん」

 

 何とでも言え。

 このひらめきに抗えるはずがないのだ。

 

 火照った体にははちみつの感触は冷たいのか、フリティラリアは少しだけ身体を跳ねさせた。

 それから観念したように、琥珀色の軌跡を残して垂れていくはちみつを眺めていた。

 蠱惑的な輝きだ。

 どろりとした液体。

 

 決してこんなプレイに用いられるようなものではないはちみつ。

 そしてフリティラリアの綺麗な肌とのマリアージュ。

 

 倒錯的な光景が、より俺の興奮を誘う。

 はちみつをなめとるように、フリティラリアの肌へ舌を伸ばす。

 

「う、ぁっ!?」

 

 軌跡をたどるように上へ、上へ。

 やがて胸にたどり着き、主張してやまないてっぺんを頬張った。

 

「ひぁ、ぁあっ……!」

 

 聞いたこともないフリティラリアの悲鳴。

 初めての感覚に戸惑っているのか、彼女の手は俺を遠ざけようとしているが、足はより近づけさせようと締め付けてくる。

 それでも容赦はしない。舌で押しつぶす。ぐりぐり、ぐりぐり。

 

「んぅ、あっ♡ ほん、とっ♡ おっぱい、好きすぎ、です、ね、あぁっ♡」

 

 はちみつの甘い味。

 だけどどこかいつもと違う。

 彼女の味だ。しょっぱいような、甘いような。

 舌で味わうフリティラリアは、絶品というほかない。

 そこにはちみつの味まで合わされば、どんな料理だって敵わないだろう。

 

「ん、ひぃ!? か、むのは……っ♡ あ、あぁあ……♡」

 

 今度は歯で挟み込み、刺激を与える。

 ひと際大きな声が上がった。少し乱暴にされるくらいが良いらしいということは、この一週間で分かっていたことだ。

 

「あ――んっ♡」

 

 小さな痙攣。

 フリティラリアが、カウンターを濡らしていく。

 

 顔をあげれば、すっかり出来上がってしまったフリティラリアの顔がそこにある。

 

「はぁ、はぁ……♡ マエストロ、くん……♡」

 

 その視線の先にあるものは、すでに臨戦態勢であり。

 俺も我慢の限界だった。

 

 フリティラリアの余裕は崩してやった。

 床の上でなら、まだ負けは無い。

 そうは思っていても、どうにも手玉に取られているような気もする。

 

 それはきっと、フリティラリアの淫態に俺が弱すぎるからなんだろうが。

 

 夜は更けていく。

 俺はフリティラリアに受け入れられるままに。

 重なり合っていく。

 

 酔いのせいももちろんあったんだろうが。

 今まで以上にお互いが乗り気で、熱い夜を過ごすことになるのだった。




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