夏の陽ざしが木々の葉の間から降り注ぐ。《彼》の姿はいわゆる一人の騎士だった。
《彼》の上半身を覆うチュニックは、上質な絹で仕立てられており、白い布地に繊細な刺繍が施されている。刺繍は金糸や銀糸で描かれた蔦や花の模様で、特に襟元や袖口には紫色の豪華な刺繍が際立っている。
《彼》のチュニックの上には、白いマントが優雅に掛けられていた。マントの縁には金糸で細かく編まれた縁取りが施されている。マントは肩に留められ、彼がこちらを振り向くと滑らかにたなびく。
ガラスのように輝く銀色の髪の下で、微笑む《彼》の表情は揺れ動く波のように歪み朧げになっていく。前髪の後ろでかすかに、朝焼けのように輝く紫の光をみたような気がする。
そこで私は目覚めた。まだ暗かった。私が夜中のうちに目が覚めることなんて珍しいと思った。
暗さに目が慣れている分、れいかちゃんたちの様子を見ることができた。全員おとなしい寝息や、いびきをかきながら寝ているようだ。
トイレにいこうとしながら部屋を出る。障子をあけて暗い廊下へ。まだ外では蝉の音がしている。窓からさしこむ月明かりにより、ようやく数メートル先の突き当りが見える。これが知らない場所なら私はお化けに怯えながら歩いているだろう。なおちゃんは多分一人でトイレに行けない。
トイレを済ませて、もう一度布団にもぐり、眠りにつこうとする。
時計の針が時を刻む。この世界の一秒は、”あの世界”では何秒なのだろうかたった2倍だけでも、”あの世界”では2年半が経っている。私がもう高校2年生になっているだろう。みんなはどうしているだろうか。あかねちゃんとなおちゃんは今もバレーとサッカーをしているだろうか。やよいちゃんは今漫画どんな漫画を描いているだろうか。れいかちゃんは今どこにいるのだろうか。日本か、海外か━━━━。
”あの世界”のみんなに思いをはせながらそのまま静かに━━━━。
ドーーーーン。
聞き覚えのある不快な音がした。町のほうから響き、ベランダへ続く障子が揺れる。
「これは━━━━」
私は眠気を忘れて、ベッドから飛び起きる。
「な、なに━━━━!?」
「どうしたんだ!」
れいかちゃんとなおちゃんが目覚めた。
私が揺れた障子を開けてこの山間部に建つ街並みを見る。
今日は満月だから少しだけ見える闇に沈む街並みの中に、すべてを飲み込むブラックホールのような深い深い黒があった。
これまで七色ヶ丘にしか出てこなかったはずなのに、ここで━━━━。
間違いなく、コアソウルだ。
「とにかく、二人を起こそう」
「ね、眠い━━━━」
闇夜の中を駆ける中で、寝起きのあかねちゃんが目をこすりながらぼやいた。
山間部の家々から少し離れた棚田にやってきた。夜の静寂の中、私たちは脇の坂道を駆け降りた。足元の草がしっとりとした露に濡れている。寝間着のまま走る私たちは、冷たい夜風にさらされながらも、背筋を伸ばして前方を見据えていた。遠くから轟音が響いてくる。あの音の向こうに、コアソウルがいるはずだ。
「あっ!」
私は不意につまずいた。体が前のめりに倒れ、頭から地面にぶつかった。痛みが頭に響き、目の前が一瞬暗くなった。
「へぶううううううう」
世界がぐるぐると回り、意識が遠のく。前回りをするように転がり、地面の下のほうへ。棚田が終わり、ようやく私は解放された。地面の冷たさが体全体に染み渡り、息を整える間もなく、痛みがじわじわと広がっていく。
「みゆきちゃん!」
後ろでなおちゃんの声が聞こえた。
私は顔を上げる。すると、前方10メートル先、高さ5メートルの場所で丸眼鏡の光が見えた。淡い月明かりに反射して、まるで不気味な生物の眼のように輝いている。その光の向こうには、ジラの冷たい視線が感じられた。
「来ましたね」
「ジラ━━━━」
私は彼の名前を呼ぶ。こげ茶色の髪が揺れ、瞳がこちらを見つめている。その視線には、私たちを見下す冷酷な光が宿っていた。そして私はジラの後ろを見た。闇の中でもさらに真っ黒く感じる、まさに闇。その存在感は圧倒的で、まるで世界の全てを飲み込むかのようだった。
見たところ、コアソウルの姿は人間と同じ四足歩行だが、体毛に覆われているように見えて、しっぽがある。さらに細身。きっと猿だ。猿が出てくる童話といえば《猿蟹合戦》。もちろん私が読んできた絵本の中には、他にも猿はいる。
「みんな、いくよ」
私はみんなに呼びかけた。
「「うん!」」
私の合図に、4人から返事が返ってきた。5人で力強く変身の合言葉を叫ぶ。
プリキュア・スマイルチャージ!
キラキラ輝く未来の光! キュアハッピー!
太陽サンサン熱血パワー! キュアサニー!
ピカピカぴかりん、じゃんけんぽん! キュアピース
勇気リンリン直球勝負! キュアマーチ
シンシンと降り積もる清き心 キュアビューティ!
私たちは変身する。5人を一度に見れば、虹のようにカラフルに光り輝くコートの姿を見るだろう。長い裾が夜風になびく。私たちは猿型のコアソウルを睨み、その動きを見逃さないように身構えた。
同時にジラが指を鳴らした。「行きなさい。コアソウル」その命令に応じて、猿型のコアソウルが動き出す。私たちは緊張感を高め、何をしてくるのかと警戒した。
途端に私は、コアソウルの後ろに現れる巨大な風船を見た。楕円体は高さが1メートルほどあった。猿の体は5メートルほどなので、猿の大きさに対して拡大された風船の大きさだった。
そして猿は風船の下側についた紐に飛びついた。風船はコアソウルの巨体に逆らい、上昇していく。私はそれを見ているだけだった。猿は次第に上昇し、上空50メートルへ。
すると猿は自分の手を空にかざすと、黒い瘴気が集まっていくように、何かが手の平の上に形成されていく。黒くて━━それはコアソウルが作るものすべてだけど━━丸い。それはかつてシンデレラのコアソウルがかぼちゃの爆弾を作ったように見えて━━。
寒気が体に走り、直後に叫んだ。
「みんな危ない!」
私たちは思い思いにその場を跳んで離れる。
物体は地面に当たり、猛烈な爆発を引き起こした。耳をつんざくような轟音が響き渡り、衝撃波が私たちを吹き飛ばした。地面が揺れ、爆風に巻き込まれた木々が音を立てて倒れる。土埃が舞い上がり、視界が一瞬にして遮られた。
「普通にあれ、猿蟹合戦の猿だ」
私は猿蟹合戦の物語を思い出す。昔々、一匹の蟹が道端でおにぎりを見つけた。蟹はとても嬉しくなり、そのおにぎりを大事に持ち帰ることにした。しかし、その途中で猿と出会ってしまう。
猿は蟹のおにぎりを見て、ひどく欲しがった。猿は言葉巧みに蟹を説得し、手にしていた柿の種とおにぎりを交換しようと言った。蟹は迷ったが、猿の熱心な話に負けて、おにぎりと柿の種を交換してしまう。
蟹は家に帰り、柿の種を庭に植えた。そして日々、水をやりながら大切に育てた。やがて柿の木は大きくなり、たくさんの実をつけた。
ある日、蟹は収穫の時期が来たので柿の実を取ろうとしたが、木に登ることができなかった。そこへ、また猿が現れた。猿は木に登って柿の実を取ってくれると約束したが、結局、猿は自分だけで柿の実を食べ、蟹には青い柿を投げつけた。
蟹はその衝撃で大怪我をしてしまったが、仲間の栗、蜂、臼、牛の糞が助けに来てくれた。彼らは猿に復讐を決意し、協力して計画を立てた。
そして猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると、熱々に焼けた栗が弾け、猿は火傷を負い、水で冷やそうと走って水桶に近づくと今度は蜂に刺され、家から逃げようとした際に、出入口で待っていた牛の糞に滑ってしまう。最後に屋根から落ちてきた臼に潰されてしまう。
こうして、仲間たちの力を借りて蟹は猿に復讐を果たす話だ。このあと、猿と蟹が和解したり、復讐されっぱなしだったり、そもそも臼に潰されて死んでしまったり━━。いろんなバリエーションがあるけど、今目の前にいるあの猿は、まさにその物語の猿を彷彿とさせる存在だ。
猿は木の上から蟹に柿を落とすように、風船につかまりながら私たちに柿爆弾をお見舞いしてくるのだ。
「はあっ!」
ビューティがすぐさま氷で弓矢を作る。上空に浮かぶ風船めがけて弓を放った。ほぼ真っ直ぐに氷の矢は空を斜め上に貫き、猿へ一直線に向かった。しかし、狙ったのは風船だった。
パアンという、近くでは聞きたくないような破裂音が炸裂した。
だが猿のコアソウルはつかまった紐から離れ、近くの風船に飛び乗った。いつのまにか作っていた予備の風船は浮かんだままだ。猿は紐にぶら下がる。
「また風船が━━━━!」
ピースが叫んだ通り、コアソウルの周辺からふわりふわりと、膨らんだ風船がいくつも出てきた。もちろん上昇していく。猿は下側を跳ぶ風船に飛び乗り、そして風船につかまり上昇。これを繰り返し高度を保っている。
「ならば━━━━」
ビューティの手には10本ほどの氷の矢が。一気に弦にかけ放つ。放射状に弓から放たれた矢は各々が見事に風船にあたった。これにはコアソウルの猿にも対応できないようで、上手く周りの風船に飛びつくことは叶わず、落下を始めた。
「今や!」
サニーが一番のりで、落ちたコアソウルのほうへ走り出す。マーチとピースも追う。
「ちょっと! 突撃すればいいってもんじゃ━━」
マーチが叫びかけたが、サニーの勢いは止まらない。
「大丈夫や! あいつは風船にのってうきうきやった。落ちた今なら焦ってうまくいかないはずや!」
「いやそれは私たちも思ったよ。でも気を付けようって話だと思うけど━━━━」
「……さいですか……」
ピースの言葉に意気消沈する。
そんな3人を見送り、未だ立ち止まるビューティを見る。
すごい。”この世界”では普段から弓を使うことなんてないはずなのに━━━━あの精度。
「ふう……。どうですか?」
ため息をつきながら、ビューティはこちらを向いた。彼女の顔は少し得意げで、ビューティらしくない━━ううん。”前の世界”でのイメージに振り回されちゃだめだ。
ビューティの頬にはすでに汗が流れていた。それは、”前の世界”のビューティとは違っていて━━━━。
「うぐっ!」
その時、私の腸からおしつけるような嫌悪感と拒否感が襲ってきた。むせ返すような気持ち悪い感触が体の中で蠢く。思わず私は膝をつき、それでも前に倒れる体を両手で支えた。息を切らし、震える。
草むらの上にぽたぽたと私の汗と涎が落ちる。
「な、なにこれ……」
「ハッピー!?」
ビューティが私の肩を持つ。私は支えられながら立ち上がり、コアソウルが落ちた方向を見る。
「はあ、はあ……。大丈夫……」
気持ち悪さは少しずつ収まっていた。コアソウルへ駆けていったサニーたちも、ビューティの焦り声でこちらを振り向き、私を心配してくれてる。
唇のよこから下へこぼれる感覚の中、私はみんなとその先、私たちを見るジラを眺めた。
こげ茶色の瞳で無機質に私たちを━━━━、いや私たちの周りを見ている。
すると周りに黒い瘴気が漂っているのを感じた。闇夜の中、気が付くのは遅かったけれども、気にしたら確かに見える。
すると、収まっていた私の不快感が一気にむせ返す。
「ぐうう!?」
口を押さえ、なんとか不快感を和らげようとする。
意識が朦朧とする。掠れる視界の中見えるのは、私に駆け寄ってくるサニー、ピース、マーチ。加えて、田んぼの端に生えている深緑の草むら━━━━が、茶色の荒野に変わった。
「なんじゃ……こりゃ……」
サニーの声が聞こえた。
草むらは空に溶けていくように消える。バキッという音と共に、地面にはひび割れた大地のみ。
明らかに、あたりを舞う黒い瘴気のせいだ。霧のようにあたりをただより、世界を蝕んでいくようだ。
かつてピエーロが、地球中からバッドエナジーを集めた時に似ている。地球は荒廃し、家も、人も、ありとあらゆるものを地球から消していた。
「教えてあげましょう」
ジラが口を開いた。
私たち全員が眼鏡をかけた少年のほうへ向く。
空に浮いていたジラは私たちの10メートルほど前に降り立つ。そして淡々と説明し始めた。
「これは《虚空の泥》と言います。」
ジラの言葉が冷たく響く。
「こくうの泥……」
ピースが、その言葉をもう一度口に出してみる。初めて聞くその言葉が、まるで呪いのように耳に残る。
「ビューティ。こくうって……」
もう少し回復の兆しを見せ始めている私は、ビューティに尋ねる。
ビューティは少し考え込んだ後、静かに説明を始めた。
「おそらく、《虚しい空》と書いての虚空でしょう。意味は、何もない空間、空のことです。しかし、仏教では妨げるものがなく、あらゆるものが存在する場所で、虚空界ともいいます。仏教では空というものは━━━━」
つまり、何もないというわけだ。宇宙は無のように見えるが、その実、水素という気体や、何か赤外線みたいな線とか、奇妙なエネルギーを持った物質とかが存在する━━らしい。さらに、地球や太陽からは遥か彼方できらきら輝く星々がある。
しかし、逆に「何もない」とはどういうことだろうか。
時間も空間も存在しない。そんなものなど私には想像すらできない。
なんとか吐き気を押さえながら、私はビューティの肩から離れる。体の震えが少しずつ治まり、視界がはっきりと戻ってくる。
ジラへもう一度視線を向けた。彼は私たちが虚空について理解するのを待っているようだった。その意図は分からないが、説明してくれるのは本当のようだ。
ジラは右手の中指で眼鏡を上げ、整えた。
「《虚空の泥》は、世界を消す力を持つものです。草むらから始まり――そして大地そのものも――」
バキィ!
「蝕みます」
突然の大きな音が響き渡り、地面が揺れた。先ほど草むらが消えた場所は、今や枯れた大地がさらにひび割れ、崩れ、塵となり視界から消えていった。何かに変わったわけではない。完全に消え去ったのだ。世界が壊れていくのを目の当たりにし、恐怖が私たちを包む。
もしこの瘴気が民家にかかれば、家は消え去る。おばあちゃんたちが私が生まれる前よりもずっと前から築き上げてきたものが、無になってしまう。その光景を想像するだけで、胸が締め付けられるような思いになる。それだけは絶対に許容できない。
ジラの説明は簡素だった。しかし、その言葉には恐ろしいほどの真実味があった。名前と見た通りの効果しか口にはしなかったが、ジラの口から放たれたことで、目の当たりにしたことへの真実味が増す。嘘である可能性も否定できないが、彼はかつて緑川家の家族が毒に侵されていることを自白したのだから。
私はふとマーチを見た。彼女の後ろ姿しか見えないが、手をぎゅっと握りしめているのが分かる。そうとう怒っているのだろう。マーチにとってジラは、自分の家族を帰らぬ者にしようとしていた張本人なのだから当然だ。その怒りは私にも伝わってくる。
そして、ジラが今同じようなことをしているのが分かった。
猿型のコアソウルが、激しい遠吠えを上げながら、上空の風船の紐にぶら下がっているのが見えた。
私は視線を上に向け、そこに広がる風船の数に圧倒された。数十個の風船が空に浮かび、その中には《虚空の泥》が入っている。
だが問題は、あの風船の中に《虚空の泥》が入っているのだろう。
柿を投げてくるコアソウルを撃ち落とすために風船を割るが、泥が地上に降りてくるようになる。それではこの街が消えかねない。
するとビューティが弓矢を用意した。
「え……ビューティ!」
「これから、風船の紐を狙い撃ちいたします」
ビューティは決意を込めて、周囲の仲間たちに声をかけた。
確かに、紐を切れば風船を割ることなくコアソウルを撃ち落とすことができる。だけど、そんな高等過ぎることをできるのだろうか。
ビューティは迅速に弓を取り出し、弦に矢をセットする。弓を引き絞る。緊張感が漂う中、彼女の指が弓の弦を押し引きする。彼女の弓矢の使い方は、まるで何度も訓練されたかのようだった。そんな中、ビューティの手には細かな震えが見えた。
矢が放たれ、風船に向かって一直線に飛んでいく。弓矢の軌跡は見事に真っ直ぐで、風船の紐に向かって正確に狙いを定めている━━━ように見えた。
パアン。
絶望の破裂音を聞いた。
「そんな━━━━」
ビューティのかすれ声が聞こえた。
さすがに、紐を狙うのは難しかったようだ。ビューティは風船を狙うときですらうっすらと汗をかいていた。今回は限界まで集中力を使っているように見えたが、それでも当てられないのはしかたない。
━━だけど、”前の世界”のビューティならば、あの紐ですら切れたのではないか。