自分から泥が消えていく感覚がした。それと同時に、自分の前からぱっと光が差し込んでいく。泥がはがれ、取れ、体がふわっと浮き自由になった。
私は尻もちをついて下に落ちる。
臀部の痛みを気にする余裕はなかった。
光と共に現れたのは、真っ暗な空間。空に夜空のように点々と光る灯り。
そして━━。
泥が自分から離れて、そして逃げる、いや違う。新たな核を求めて生きた水のように飛んでいくのだ。その核とは、浮かぶ4人の少女。
サニー、ピース、マーチ、ビューティ。
全員がボロボロの体で、目を閉じ、眠るように━━力尽きているのが分かる。体が透け、存在そのものが消えかかっているのも感覚的に分かる。
さらに私は理解した。4人がコアソウルになっていくことを。
私が━━経験者だからだ。
泥は4人の体をまとわりつくように覆う。
私はその様子を見ていることしかできない。何もやる気が起きない。泥でない何かがが私に纏わりつき、セメントのように体を固めている。
4人各々の体を完全に覆いつくし、巨大化して、形作る。
魂が色づけるように、完成された。
グオオオオオオオオオオオ。
轟く咆哮が、空間の深層を揺るがした。
4体の──かつて“仲間”だった──コアソウルが、一斉にその眼を見開いた。
だけど、私はその奥に、彼女たちの魂がまだどこかにあることを知っている。……いや、信じたいだけかもしれない。
その姿は、絵本の要素は、私が書いた絵本。《最高のスマイル》に出てくるプリキュア。
キュアサニー。キュアピース。キュアマーチ。キュアビューティ。
敵意が、一斉に私へと突き刺さる。
視線だけで、息が詰まりそうだった。
怒り、悲しみ、憎しみ……それだけじゃない。
そこには、「無念」も、「痛み」も、「祈り」すらも滲んでいた。
──ごめん……。
私はまた、何も言えないまま、ただ立ち尽くしていた。
次の瞬間、一斉に放たれたのは怒涛の攻撃。
炎流、雷撃、激風、吹雪。
間違いない。《サニー・ファイヤ》、《ピース・サンダー》、《マーチ・シュート》、《ビューティ・ブリザード》の4つの技。”私が来た世界”のみんなが最も愛用していたもの。
その力は、私が立っていた地面を破壊した。
重力なんて残っているのかは分かっているかなんてわからないが、私は落ちていく。
もう、何もする気が起きなかった。
私が壊したこの世界。
私が失わせたみんなの命。
私の存在そのものが招いた悲劇。
このまま、静かに……いっそ……消えてしまいたい。
過ちを、消えて償えるなら。
……でも、それでどうなるの?
この世界が──元に戻るとでも?
そんなの、ありえない。
時間も、命も、笑顔も、もう壊れてしまった。
私が消えたところで、誰の救いになるっていうの?
──それでも。
せめて。
せめて、消えていった人たちが報われるのなら……。
報われる?
……何も知らずに消えていった人たちが?
そんなの、ただの自己満足だ。
ズンッ!
重たい衝撃が、身体に、心に、のしかかる。
私は地面に打ち付けられ、うつ伏せに倒れた。
顔に感じる土の感触が、あまりにも懐かしくて、胸が痛んだ。
……これは……七色ヶ丘中学の運動場……?
この地面も、すぐに消える。
そして──私も。
手をついた。
指先が、透けている。
まるで、存在がじわじわと削られていくみたいだ。
……いや。私だけは、違う。
私の魂はきっと、すいたちに再利用される。
すいは、私をコアソウルにした理由を、きっとそこに置いていた。
━━じゃあ、今の現実はどうだ。私は少なくとも、いまだ肉体を持って地面に倒れていて、サニーたちがコアソウルに囚われとぃる。このままだと、利用されるのは私だけでなく、4人だ。
自分の存在すら懸けて、私を戻そうとしてくれた。
それなのに。
それなのに私は──いま、倒れて、諦めて……
……何一つ、返してあげられていない。
「……許せない……」
歯を食いしばる。
許せないのは、自分だ。
誰よりも、弱かった自分。
誰よりも、無力だった自分。
それを誰かのせいにして逃げようとしていた、自分自身。
このまま終わるなら、私は本当の意味で“最低”になる。
だから、私は手を伸ばした。
震えながら、それでも地面をぐっと掴み──私は唱える。
どんな状況でも私を奮い立たせる魔法の言葉。
「気合いだ………」
***
すいは、じっとその姿を見つめていた。
地平の果て、崩れかけた足場の上に、一人の少女が立ち上がる。
ボロボロの衣装。傷ついた体。涙に濡れた頬。それでも、その目は揺らいでいなかった。
ハッピーが、叫んだ。
「気合いだーーーっ!!」
その声は、ただの気合いではなかった。
痛みと怒り、悲しみと祈り、全てを混ぜ込んだような咆哮だった。
無限の闇の中で一人きりで叫ぶような、そんな――虚しさすら漂う声だった。
けれど、彼女の言葉は止まらなかった。
「みんなは……! みんなしかない記憶を持ってて、信念があって、魂があるの!」
声が震えていた。嗚咽のようだった。
「誰かのコピーだからとか、そんなの関係ない! たとえ作られた存在だったとしても……! だから……それを……」
そして叫んだ。
「消すなんて――許せないんだからーーーーっ!!」
ハッピーが、走り出す。
泥に汚れた足が地を蹴る。
4体のコアソウルが、それに応じるように動いた。
「うっ……!」
ハッピーは顔をしかめながら手を掲げる。
その手には、眩い光が集中していく。
──空間が、煌めいた。
「《プリキュア・スターダスト・ライト!》」
咆哮とともに、ハッピーは右腕を力強く前へと突き出す。
その手の先から放たれた光は、瞬時に空間を満たし、数えきれない星々となって弾けた。
流星だった。
一つひとつが小さな命のように脈動し、宙を舞い、回転し、加速しながら軌跡を描く。
それは十、二十……いや、百を超えていた。
冷たく、興味だけでできたような目。
だがその瞳が、初めてわずかに揺れた。
光の塵は、一つ一つがコアソウルに当たる。そのたびに、コアソウルは弾けるように飛んでいく。
次第に4体のコアソウルは一転に集中した。
ハッピーは百メートルほど離れた距離から、その光景を見つめていた。
四体のコアソウルたちが、もはや戦意も形も失いかけた姿で空中に漂う。
彼女の表情に安堵はなかった。あったのは、限界を超えて擦り切れた心を必死で支えている、“気力”だけだった。
それでも、彼女は動く。
両手をゆっくりと横に伸ばす。
その小さな胸の奥に、今の自分に残されたすべてを押し込めるように──。その瞬間、彼女の体が光りだした。
「《プリキュア・ハッピー・シャワー・シャイニング》!!」
全身から光を集め、掲げた両手から溢れる力。
放たれた一条の光は、まるで天の川のように煌きながら、渦を巻き、四体のコアソウルは一斉に浴びる。
瞬間、四体のコアソウルの身体が、音もなく崩れ始める。
表面を覆っていた《虚空の泥》が、霧のように溶けていく。
そして、泥の奥から──4つの魂が現れた。
橙、黄、緑、青。
光の中で静かに漂うそれぞれの魂は、まるで眠っているかのようだった。
当然だ。こんな世界では、肉体を維持することもできはしない。ハッピーの力で何とか維持していただけだ。
その4つの魂から、それぞれ対応する色の塵のような光がふわふわと零れていった。
それらはまるで月の環のように、やがて桃色の光を放つ──ハッピーの魂のまわりに集まり、寄り添うように浮かんだ。
おそらく、ハッピーと繋がりを見せていたプリキュアの力だろう。
ハッピーはというと、彼女も体が無くなり、消えていき、魂だけの存在になった。そして、桃色に輝く魂の周りに、月のように魂の周りに浮かぶ同色の光の粒。
”この世界”のコピーされた彼女たちの魂は上のほうへ昇っていく。きっと下がっていくことは無い。
星空みゆきの魂を漂う5つの光。彼女とともに、この世界を旅立つ。
はるか彼方へ、向かっていった。
一章 完