自分が今戦っている相手は、これまで戦ってきたものとは全く違う。ピースはそんなことを思いながら、戦いの渦中に身を置いていた。彼女の心臓は激しく鼓動し、全身に雷の力がみなぎっていた。
かつて自分たちの敵だったバッドエンド王国の怪物なるアカンベェは、どれも強大で恐ろしい存在だったが、目の前に立つこの敵——コアソウルと名乗る怪物——は、どこか異質で、ピースのこれまでの経験を嘲笑うかのような存在感を放っていた。
戦場は病院の敷地内。普段なら、ピースたちが戦う場所はバッドエンド空間と呼ばれる、暗い闇に閉ざされた異次元空間だった。そこでは時間が停止し、戦いの影響が現実世界に及ぶことはなかった。
しかし、今回はその常識が通用しなかった。バッドエンド空間は形成されず、戦いは現実の中で繰り広げられていた。病院のコンクリートの地面にはひびが入り、瓦礫が飛び散り、遠くから患者やスタッフの悲鳴が響いてくる。
このまま戦いが続けば、無関係な人々が危険に晒される。ピースは電気を帯びた拳を、目の前の敵——一見、看護師のような姿をした怪物——の胸元に叩き込んだ。バリッという雷鳴のような音が響き、敵の体は吹き飛び、病院の高い塀を越えた。地面に倒れた音が聞こえた。
「とりあえず、病院から離さないと……」
ピースはそう呟きながら、戦いの場を病院から遠ざけることを最優先に考えた。彼女の親友、みゆきのように、車椅子で動けない人々や、怪我や病気で逃げられない患者たちがこの病院には大勢いる。
ピースの視線は一瞬、みゆきがいる方向へ向いた。彼女は車椅子を必死に動かし、病院の建物の陰に隠れようとしていた。その姿に、ピースはほんの少し安堵した。みゆきが隠れてくれるなら、少なくとも彼女を守るために気を散らす必要が減る。
ピースは軽やかに塀の上に跳び乗った。そこから見下ろすコアソウルの姿は、まるで黒い泥で塗りつぶされた巨人のようだった。身長は5メートルを超え、その巨体は圧倒的な威圧感を放っていた。
首元には聴診器がかけられており、どこか滑稽で不気味な印象を与えた。
「看護師の姿……?」
ピースは一瞬、そう思ったが、よく見るとその姿はナース服ではなく、黒い泥に覆われた着物をまとっているように見えた。
そのコアソウルが動き出した。聴診器を首から外し、先端を手に持つと、まるで縄のようにグルグルと回転させ始めた。ピースは一瞬、呆気にとられた。
「聴診器をそんな風に使うなんて……!」
しかし、驚いている暇はなかった。コアソウルは突然、回転させた聴診器をピースに向かって投げつけてきた。金属の先端が空気を切り裂き、鋭い音を立てながら迫ってくる。
ピースは反射的に跳んでかわしたが、聴診器が命中した塀は一瞬で粉々に砕け散った。破片が四方に飛び散る。
ピースの背筋に冷や汗が流れた。だが、驚くべきことに、コアソウルの手元には新たな聴診器が現れていた。黒い泥が何もない空間から染み出し、まるで生き物のように形を成していく。
「だったら……!」
投げられる前に距離を詰め、敵を倒す。それが最善の策だ。彼女は雷の力を両拳に集中させ、地面を蹴ってコアソウルに向かって突進した。だが、コアソウルは予測していたかのように胸を張り、大きく息を吸い込んだ。
「スーーーーーーー!」
次の瞬間、吐き出されたのは極寒の冷気だった。ピースの体に凍てつく風が吹き付け、彼女の動きが一瞬止まる。「冷たっ……!」
ピースは前進をやめる。足元がしもやけのときに近い感覚に襲われる。足元に目をやった。そこでは、彼女の足首から膝下までが急速に氷に覆われていた。バキバキと音を立てながら、氷が彼女の動きを封じようとしている。
「うわっ!」
ピースは叫びながら、全身に力を込めた。
「ふん!」
雷の力を一気に解放し、氷を粉々に砕いた。
両足に痛みが走る。それは氷によるものでなく、自分の中を駆け巡った雷によるダメージだ。
幸い、足元が完全に凍りつく前に脱出できたが、長時間やれば戦闘不能になりかねない。
ピースは一つ深呼吸し、心を落ち着けた。白い息が空に舞い上がる。
周囲の気温は急激に下がり続けていた。
最近は既に暖かな春が終わり、昼頃は夏を感じさせるような季節なのに、空気はまるで真冬の氷点下のように冷え切っていた。
ピースは白い息を吐きながら、内心でサニーの存在を思った。
「サニーの炎があったら、こんな冷気なんて……!」
だが、今は彼女一人で戦うしかない。
再びコアソウルに向かって走り出す。
氷の地面を滑るように、数メートルの距離を一瞬で詰める。コアソウルは右手を大きく振りかぶり、ピースに向かって拳を突き出した。
その拳は、5メートル近い巨体から繰り出される圧倒的な力を持っていた。まともに受ければ、雷を操るピースでさえ氷の中に埋もれてしまうほどの威力だろう。だが、ピースは動じなかった。これまで戦ってきたアカンベェたちの誰しもが持っていたし、皇帝ピエーロにおいては、地球より巨大化し、地球を叩いただけで多くの大地が割れていた。それと比べれば━━この拳の威力はまだ対処可能な範囲だった。
ピースはヒールで氷の上を踵を立たせ滑りながら静止し、両手を頭上に掲げた。コアソウルの拳が迫る瞬間、彼女は全身に力を込め、その拳を真っ向から受け止めた。
ズシン、と大きな衝撃が彼女の体を襲い、足元の氷が砕け散る。ピースの膝がわずかに震えたが、彼女は歯を食いしばり、力を込めて耐えた。「こんなもの……!」彼女の声には、決して折れない意志が込められていた。だが、コアソウルは止まらない。左手を動かし、再び聴診器を取り出し、ピースに向けようとした。
何をしてくるか分からない。
「やああああああああああ!」
ピースは叫びながら、全身に雷を迸らせた。その声に呼応するように、彼女の腕を取り巻くように黄金のプラズマが発生した。稲妻が彼女の腕を覆い、コアソウルを巻き込んでいく。
雷鳴が轟き、辺りは一瞬にして眩い光に包まれた。コアソウルの巨体が後ずさる。
日が落ち、薄暗い中でコアソウルの体が雷光に照らされ、点滅するように輝いた。ぐらり、とコアソウルの体が揺れ、ピースにのしかかる圧力が解放された。
彼女はその隙を見逃さなかった。右手の人差し指と中指を黒く染まりかけた空に向けて伸ばし、力強く叫んだ。
「プリキュア!」
その瞬間、まるで避雷針に反応するように、空から激しい雷がピースのもとに舞い落ちた。雷光が彼女の体を包み込み、彼女の叫び声を掻き消すほどの轟音が響く。ピースは雷の力を全身で受け止め、声を荒げそうになる衝動を"ぐっと堪えた"。
女の心には、親友のみゆきを守りたいという強い思いがあった。この災いを、彼女自身の手で裁かなければならない。
ピースは体を回転させ、指先に留まる雷電が黄金色の美しい円を描いた。そして、両手をピースサインの形のまま前に伸ばす。
「《ピース・サンダー》!!」
四本の指から放たれた稲妻は、コアソウルの胸に直撃した。
黄金の雷光が夜の闇を切り裂き、辺りを一瞬にして眩い光で満たした。ピースの必殺技、《ピース・サンダー》は、世界をバッドエンドに塗りつぶす黒い絵の具を打ち払う浄化の力そのものだった。
彼女の全身から迸る雷のエネルギーは、コアソウルの巨体を直撃した。
しかし……。
コアソウルはダメージを食らったものの、浄化される気配は一向にない。よろよろとしながらも、巨大な体を支えるように膝をつき、ゆっくりと立ち上がろうとしている。
ピースの瞳が驚愕に見開かれる。
ピースサンダーが効かないことはあった。青っ鼻のアカンベェには効かなかったし、デカッ鼻、黒っ鼻には効かなかっただろう。そもそもアカンベェ共通の、ピエロを彷彿とされる丸くて大きな鼻は存在しない。
ピースは唇を噛みしめた。自分が戦っているのは、やはりバッドエンド王国が生み出す怪物とは一線を画しているということを再確認させられた。コアソウルの姿は、黒い泥に覆われた巨人のようなシルエットと、首にかけられた不気味な聴診器、そして着物のような異様な衣装——これらは、ピースがこれまで戦ってきた敵とは全く異なる特徴だった。
だがどうする……。完全に倒す方法はあるのだろうか……。
ピースの心に焦りが広がる。このまま戦いが長引けば、病院にいる無関係な人々、特にみゆきが危険に晒される。彼女の頭は、敵を倒す方法と、みゆきを守るための行動を同時に模索していた。
――そう考えた途端。
コアソウルが再び動き出した。巨大な手で聴診器を手に取った。その動作に、ピースの全身に緊張が走る。
何か攻撃をしてくる。ピースはそう確信し、身を構えた。だが、コアソウルの動きは予想外のもので、聴診器のチェストピースを地面につけた。
「え……?」
驚きと困惑がピースの身体を止めた。
住民の避難により、辺りは静まり返っている。病院の敷地内は、さっきまでの悲鳴や喧騒が嘘のように静かだった。ピースの耳には、遠くで響く風の音と、自身の心臓の鼓動だけが聞こえた。コアソウルの意図が読めない。なぜ地面に聴診器を? 何をしようとしているのか?
数秒経つ。何も起きない。その時間の後、とりあえず攻撃しよう――! と考え、もう一度《ピース・サンダー》を放とうと、ピースは両手を構えた。雷のエネルギーが彼女の指先に集まり、黄金の光が再び輝き始める。
「見つけた……!」
突然、上空から妖艶な声が耳に入った。
見つけた……! 何を……!
――そんなの、決まってる!
ピースの心臓が一瞬止まったような感覚に襲われた。彼女は反射的に後ろへ、病院の方へ振り向いた。そこには、赤いパーカーを着た少女が、薄黒い板のようなものに乗って、まるでスケートボードのように滑るように病院の敷地内に入り込んでいく姿があった。その少女——コアソウルを呼び出した張本人——の動きは、明らかにみゆきを狙っているように見えた。
「早く行かないと……!」
ピースは叫び、みゆきを守るために一歩踏み出した。だが、その瞬間、彼女の頭が激しく揺れた。コアソウルの巨大な拳が、ピースの頬に直撃したのだ。
――一瞬意識が飛んだ。
体の前側への強い衝撃――壁にぶつかったらしい――とともに、うつぶせになりながら地面に滑り落ちる。ピースの体は、瓦礫の散らばる地面に叩きつけられた。
「ぐ………」
痛みで、目尻がじんわりと熱くなった。頬に走る鋭い痛みと、全身を襲う衝撃の余韻が、彼女の意識を朦朧とさせた。ピースは片膝をつき、そのまま立ち上がろうとした。だが、今の衝撃が非常に強かったのだろうか、体がふらついてしまう。チクリチクリと、まるで針で刺すような痛みが身体を突き刺すようだった。
朦げになる視界をクリアにするために、右手の人差し指で目元を拭う。涙と埃が混ざった感触が指先に残った。ピースは歯を食いしばり、痛みを堪えた。
目の前には、壊れて出来た塀の新しい入り口を通りながら、ゆっくりと向かってくるコアソウルがあった。その巨体は、まるで勝利を確信したかのように堂々と進んでくる。黒い泥がその体から滴り落ち、地面に不気味な跡を残していた。
だけど、ピースには怪物に構っている余裕はない。彼女の心は、ただ一つ、みゆきを守ることだけに向いていた。
「みゆきが危ない――!」
ピースは一目散にコアソウルに背を向けて走り出した。氷の張った地面を滑りながら、病院の敷地内へと突進する。彼女の足元でバキバキと氷が砕ける音が響き、雷の力が彼女の体を後押しするようにバチバチと火花を散らした。
頭の中では、みゆきの車椅子の姿が浮かんでいた。彼女が隠れようとしていた病院の建物。その陰に潜む親友を、赤パーカーの少女が狙っている。ピースの胸は焦りと恐怖で締め付けられた。
「みゆき、待ってて……絶対に守るから!」
ピースは心の中でそう誓い、全速力で病院へと駆け込んだ。コアソウルの重い足音が背後で響くが、彼女は振り返らなかった。雷光をまとったその姿は、まるで希望の矢のように闇を切り裂き、みゆきのもとへと突き進んだ。
だが、赤パーカーの少女はすでに病院の奥深くへと侵入していた。ピースの視界の端に、少女が薄黒い板に乗って滑るように移動する姿が映る。その動きは異様に速く、まるで影そのものが動いているようだった。ピースは唇を噛みしめ、雷の力をさらに高めた。
「絶対に……間に合う!」
彼女の叫びが、静まり返った病院の敷地内に響き渡った。雷鳴のような轟音とともに、ピースは少女とコアソウルの脅威に立ち向かうべく、全力で突き進んだ。