病弱VRMMOプレイヤーが竜の世界で第二の人生を手に入れたなら 作:相竹空区
朱竜討伐隊、王都を出発。
シグルド王子ら戦士団が王都入りしたその翌日の事だった。
討伐隊の中核となる戦士団は前日まで戦闘続きの行軍をこなしたばかりだというのに、それでも尚たった一晩休んだだけで移動を再開したのだ。
屋根がある場所で暖かく栄養のある食事を取れたのならば問題は無いと、シグルド王子はとにかく速度を重視した。
相手は確かに牛歩であるが、それがいつ変わるとも限らない。
可能な限り早くに移動して備えておきたい、休息はそこで取ればよいのだと言って行ったこの采配。
この時点では心配のし過ぎだという声もあったのだが、それが確かに運命を分ける事になった……
◆◆◆
ミスルト南部、現在シグルド王子らが留まっている都市の名はニズヘグ。
前哨都市と呼ばれるそこは街を囲う巨大な壁が特徴的なミスルトの要となる場所。
南方の巨大山脈から吹き荒ぶ常冬の影響が強いこの土地で、わざわざ都市と壁を築いた理由はただひとつ。
山から降りて来た竜の軍勢を迎え討つ為。
古くからこの地は亜竜が現れては竜禍を広げる嚆矢となる場所だったのだ。
山から降る多くの亜竜を食い止める為、背後で暮らす民を守る為。
ミスルトは南を睨み続けて来た。
それは500年程前に亜竜らの王である繁竜が異郷の戦士……〈鋼の民〉に討たれた後でも変わらず。
王による統率を失った後でも亜竜は散発的に山から現れるのだ。
半ば習い事となった現在でも続けていた事は僥倖と言える。
朱竜の早期発見という、その監視の成果がこの上ない救いとなった。
その余裕により多くの選択肢が生まれ勝利へと積み上げる物も多くなる。
シグルド王子が迅速な行動を指示したのも、その余裕を最大限に活かす為だった。
そして今、その余裕の使い道について頭を悩ませる。
朝から昼に掛けての太陽が昇りつつある時間。
ニズヘグ内、亜竜を迎え討つ為に比較的に大規模となった軍施設の一室にてシグルドは椅子に腰掛け机に肘を突く。
地図を前に頭を悩ませ、低く唸る声が室内に反響する。
「ううむ……」
「難産かい?」
そんなシグルドを見かねて声を掛けるのは両手にカップを持ったリットだった。
「温かいお茶の差し入れだ」
「今日はマトモな茶か?」
「僕は受け渡ししてるだけだからね」
机にカップを置いて、リットは地図を覗き込む。
それは王都の会議で見た地図とおおよそ変わらないものであり、まさにこのニズヘグの周辺を記したものだった。
「それで?何を悩んでいるんだい?」
「ニズヘグ南の渓谷に迎撃地点を設置する、それは決まりだが……今考えているのはそれが失敗した場合の予備」
「備えあれば、と言うし必要だね」
「最悪の場合はこのニズヘグを利用して戦う事になるだろう」
「ああ、その為に民間人の避難を進めているわけか。外は中々に慌ただしい」
リットは窓の外を眺めて目を細める。
雪が太陽を反射して眩しく、またそれを踏み締めて動き回る人々も活力に満ちて眩しい。
「早めに避難を進めておきたい。万が一を考えれば早過ぎるという事もないだろうからな」
「それもそうだ。僕もなるべく安全に進めるべきだと思うよ」
「ああ……臆病だと思うか?」
「臆病?何故?」
リットはまるで予想していなかった言葉が出て来た事に驚き、思わず聞き返す。
それにシグルドはバツの悪そうな顔をしてカップに口を付けた。
「自覚があるからだ」
「君が臆病だって?」
「俺は臆病な人間だよ」
「ふーん……でも安全策を取るのは臆病とは違うだろ」
「そうか?そうか……」
自分を納得させるようにシグルドは何度か小さく言葉を繰り返し、眉間に皺を寄せる。
「俺の臆病さの為にこの事態を招いた。もし俺が次代の王として求められる振る舞いをしていたのなら……」
「したらしたで別の問題と後悔が発生していたんだろうね」
「それもそうだ」
「どうせ選択する時にはそれが1番正しい事だと信じているんだ。後からああだこうだと言っても仕方ないよ」
「実にその通りだ」
「どうだい?根拠も無しに今の自分を肯定する僕の言葉は」
「慰めにはなるかもな」
眉間を揉んで、シグルドはフッと笑う。
口の端を緩めて椅子に深く腰掛ける。
「その割にお前は戦いの後には辛そうにしているようだ」
「そりゃ言ってる事全部をその通りに思えるなら苦労しないさ。自分に言い聞かせてるんだよ」
「そうだな……分かるさ」
シグルドはアイテムボックスからふたつの金属塊……獅子の頭を模った籠手を取り出し机に置いた。
籠手を撫で、その表面に付いた傷のひとつひとつに思いを馳せながらシグルドは語る。
「俺は子供の頃から臆病でな、王宮は怖くて堪らないからいつも練兵場に居た」
「ブリンジャーに会いに行ってたんだろ?」
「そうだ。そして戦い方を学ぶ時はなんの後ろめたさも無く爺と時間を過ごせたんだ」
側室の、それも身分の低い女の子供であるシグルドは王宮の何処に居ても身に覚えのない事柄で後ろ指を指される。
部屋から出なければやはりあの卑しい女の息子なのだと、ただあてがわれた教師に教えを乞えば玉座でも狙っているのかと。
シグルドへ向けられる全てがそのようなものではないのだが、幼い少年には王宮とは巨大な怪物の胃のような恐ろしいものだったのだ。
「武器を握っている間は不思議と怖さが薄れていってな、痛いのは嫌いだったが戦っている最中には気にならないから夢中になって学んでいた」
だからこそ、シグルドは外に希望を見出した。
ここにも悪意や嘲笑はあったのだが、それでも向けられるものは自身の弱さというわかりやすいものだったのだ。
シグルドが年齢の割に上手くパンチを打てた時などは嫌な奴だと思っていた大人ですら下品な笑い方で褒めたものだった。
そこでは力が……自らが示したものが全て。
「だがある日、練兵場にやって来た貴族の息子が模擬戦をやろうと言って来て……周囲も血の気の多い連中だから面白がって囃し立てるものだから俺は年上で、背も大きな相手と戦う事になったんだ」
子供の年齢差など大人のそれとは比べ物にならない程に大きな差だ。
幼いシグルドにとっては相手も同じ子供と言えども巨人のようにすら感じるだろう。
幼きシグルドはそのような恐怖にすら拳を握って立ち向かった。
そして振るった拳が多くを変えたのだ。
「結果は俺の勝ち。戦っている最中はまるで気にならなかったが、我に返った時には俺の両手は返り血に染まって、相手は折れた鼻をひしゃげた腕で押さえて赤子のように泣き喚いていた」
それは生まれて初めて勝ち得た勝利の記憶。
シグルドにとってそれは手に残る肉を叩き骨を割る感触と、妙な温かさの残る返り血。
「恐ろしかったよ……自分がこれをやったなんて信じられなかった。何故こんな事が出来るのかと」
シグルドにとってそれは生まれて初めて自覚した力。
振るえば容易く他者を壊す事が出来る、自らと切り離せない怪物の存在。
「だが周囲は湧いていたよ。俺は当時理解していなかったが〈鋼の民〉の血を継いだ王子の存在に希望を見出していたんだな」
自らに重くのしかかる責任を意識して、シグルドは肩を回す。
精神的なそれが肉体に影響を及ぼす程にそれは重い。
その責任の源となっている強靭な肉体があっても、シグルドを何重にも縛めるものは振り解けないのだ。
そしてその縛めは……
「お前もそうなんだろうリット?自分がやったんだとは信じられないような殺戮に慄いている」
「急に……僕の話かい?」
「いや、我々の話さ」
シグルドはリットを視線ひとつで磔にするように、逃げられないような圧を放って視線を交わらせる。
「これは〈鋼の民〉の宿命だよ。戦いを前に我らは躊躇わず果断に武器を振るい……戦いが終われば心が耐えられなくなる者も居る」
心に掛かる戦いの負荷を先送りにし、全てを一度に受ければ崩れてしまう事もあるだろう。
それは持続的に掛かる痛みより余程耐え難く、再び戦いに身を投じれば同じ事を繰り返してしまう。
「勇猛な戦士シグルドなんてものは〈鋼の民〉の血が作り上げた幻想だ。同じく剣に通ずる過客リットもな。我々は人間であり、自らが行った全てに対して揺れ動く心がある」
リットは──転移した全ての〈プレイヤー〉は強靭な肉体を手に入れた。
そしてある意味では強靭な精神も。
覚悟を必要とせず、降りかかる火の粉を払うのに躊躇わない精神は元がただのゲームプレイヤーである彼等を異世界で生き延びさせるのに充分な力を与えた。
だがその反面、倫理観を異世界に適応出来なかった場合はゲームの延長として行われる暴力は耐え難いものになるだろう。
「それは我らの鋼の心臓のようには硬くはなく、容易に不可逆の破損が生じる不便な代物」
オフェルは心を守る為に命を奪う事に対する感覚を鈍化させて生き延びた。
シグルドは周囲から求められる戦士シグルドという虚像を纏う事で。
「お前には申し訳なく思う。俺が抱く痛みと同じものを味わわせてしまった……だが現実的に力を借りなければどうにもならないだろうとも思う」
リットには……それがない。
全てを受け止めようとしている。
「心を守る為には都合の良い言葉で覆い隠すしかない。『仕方なかった』と過去を振り返り、『これが正しい選択だ』と自己を正当化する」
潔癖な性分は正当化する言葉に拒否反応を示し、分離しようとする心が軋んでいるのだ。
リットはまだ耐えられる。
何人か殺しても耐えられるだろう。
更に何十人か殺した時はどうだろう?
心に掛かり続ける負荷がいつか限界に達する。
誤魔化すだけでは足りず、痛みを紛らわせる都合の良い言葉に酔わなければ壊れてしまう。
「心を逃がせ、リット。真に自らの心を守れるのは自分自身の他に無い」
誰しも支えを持っている。
オフェルは忠義。
シグルドは国と民への責任。
ミライならば全ての竜を殺すという強烈な目的意識。
それ程に強く心を補強するものをリットは持っていない。
戦いの中に身を置くのならばリットはそれらを獲得しなくてはならない。
さもなくば……
「父上はそれが出来なかったんだろうな……」
末路は厭世的で破滅的な思考に支配されたシグルドの父のようになる。
心が壊れた者の空虚な瞳を思い出し、リットは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
それから逃れる為に意識を散らし、何か沈黙から逃れる取っ掛かりを探して視線を泳がせる。
そして目に入るのはこの部屋の中で最も目立つ金色の獅子。
机の上に置かれた先人の遺した武器を前にリットはその生涯に思いを馳せた。
「僕と同じように、その武器の最初の持ち主も縋るものを探していたのかな」
「かもしれないな。豪放磊落な男だと伝えられているが彼も人だ」
「ミスルトの為、が彼の支えだったのなら僕もそんな生き方もアリだったり?」
「それは自分自身で考える事だ。俺が安易な答えを用意するものではない」
「それもそうだ」
「それに俺は戦いの中で生きてきた人間だから話すのもその道についてだが、剣を置いて生きる道もあるだろう?」
「実にその通りだ」
「だがそれを選ばないのは何故だ?」
その問いにリットはすぐに答える事が出来なかった。
言葉が喉に詰まって出て来ない。
何か手近な答えを掴もうとするが見つからず、リットはそこで初めて自分の中にある無意識の欲求に気が付いたのだ。
「僕は……戦うのが楽しいのか?」
熱中していた【WoS】をサービス終了後も遊べているという喜び。
それがリットを戦いへと駆り立てる。
異世界への転移などは大規模アップデートと大差ない。
多少勝手が変わったが新しいシステムはリットに新鮮な体験を齎してくれる。
倫理観がそれを表には出さないが、全てが今までの人生と異なる環境で唯一同じなのが戦う事だ。
そしてそれがリットに唯一出来る事でもある。
まともに社会生活を送れる身体ではなかった彼に縋れるモノ、能力はただゲームを人より長くプレイしていた経験だけ。
リットは武器を手にして戦いに臨む時だけ望郷の念を、新たな現実を忘れられるのだ。
それを今、自覚した。
知らず知らずのうちに選択がそちらへと流れている事に。
「ダスティンは英雄への憧れじゃなくて、地に足着いた幸せを取ったよ」
「それもまたひとつの選択。俺も一介の戦士である事よりも王族としての責務を果たす事にした」
「なら僕には戦う以外の選択肢があるのか……?」
「別にこの選択が人生全てを決定付ける訳でもない。お前にはまだ見えていない無数の可能性が人生には眠っている。ましてそれが何処にも縛られない異邦人のお前ならばな」
リットにとってミライとの旅は最初に提示された選択肢だった。
そこから離れる事は考えずに、自らの有り様を変える思考を重ねていた……のだが。
リットにはそれ以外の選択肢があるのだ。
何処かに落ち着く事が怖いのならば、穏当な方法で旅をする選択肢もある。
人里離れた場所に居を構えてひとり孤独に暮らす事だって可能だ。
「僕は……どうしたら良い?何を選べばいいのか分からないんだ」
「お前の人生はお前のものだ。誰かに手綱を握らせてはならない。思考を放棄せず、甘言に屈さず自らの道理に従え」
何故リットはその様な思考にならなかったのか。
それは彼が今までの人生で選択をした事が無かったからだった。
ずっと病床に臥せり、今よりも良くなる事を祈ってただ生きる日々。
そこに選択の余地は無かった。
あるのは生にしがみ付くか、手放すかのみ。
そんな人生が急に開けたのだ。
目の前には無数の選択肢。
どれを選べば良いのか判断するだけの材料を持ち合わせてはおらず、手の中には剣だけがあり……自然、そちらに誘われる。
だが武器を振るうのは楽しいが、人を傷付け命を奪う事には強い抵抗感を覚えてしまう。
矛盾した思いではあるが、かつては矛盾しなかったのだ。
以前はゲーム、今は現実。
この現実の中で、リットはようやく人生を歩み始めたのだ。
理想と現実のギャップに苦しみ、選択肢の多さの前に躊躇うような経験。
リットは転移によって産まれ直したと言えるだろう。
「僕が選ぶ……正しいと思う選択」
口の中で転がした言葉をリットは浮ついた現実感の無いものとして受け止める。
(ミライと旅をする以外の選択肢なんて考えた事が無かった。その前提が崩れると、僕にはもう何をして良いのか分からない)
義理も情もあるが、ミライと旅する以外の選択肢を自覚してリットは戸惑う。
目の前に開かれた可能性のどれを掴み取るのか、ゲームのそれとは違う選択がどのような変化を齎すのか。
リットには分からない。
分からないから考えた。
無言のまま少しずつ、言葉を、意味を、自分へと馴染ませながら。