環境庁神祇部 境界対策課――通称、"境対"。警察、消防に次ぐ第三の公安系機関と呼ばれる公の組織。その業務内容は、人々の生きる"現世"の理を護ること。そして、境界を越え来たる境界異常――通称"界異"を祓うこと。近代化された"祭具ギア"を携え、強化線維と護符で編まれた"
戦術学"Tactics"に基づいた武器と技術で祓魔の儀にあたる彼らを、人は"タクティカル祓魔師"と呼ぶ――しかし、その中でも新設された“特葬班”は本来敵である"界異"を従え、祓滅に利用することを目的とした試験運用部隊である。
人類に友好的な界異を大雑把にまとめて"縁起"と呼ぶが、基本的に契約者とセットで運用される。その常識と基本的規則を破り、隊員として運用する事は極めて“冒険的な”試みであり、各方面から批難の声が上がったが、近年の境界災害の増加傾向及び祓魔師の人時財産の払底に対する対策として“ある筋”から半ば強引に押し切られるように成立したのが現状だった。
故に、指揮系統は中央神祇室に帰属しているのも使い難さを助長していたが、実際に出撃するまでの訓練期間の猶予もあるのでそこまで問題視はされてはいなかった。後に「大阪環状線事変」と呼ばれることになるその事件が起こるまでは。
境対大阪支部に、その招集が発令されたのは午前七時の事だった。既にブリーフィングルームには出撃予定の班が入室しており、後はルーム中央に置かれているディスプレイから方針を通達されるのを待つばかりである。これだけなら何も不思議なことは無いのだが、その場に居並ぶ面々は“普通の”境対の実働班ではなかった。
リラックスした様子で椅子に腰かけ、隊員の様子を観察している大柄な男は
緊張した面持ちでスマートフォンで必死にニュースを探っている女は
此処までは多少ヘンな経歴を持つかわったタクティカル祓魔師であるという話で済むが、残りの二名から話が変わる。
眠そうにしている黒髪の少女は、流石にかなり贔屓目に見ても高校生程度の年齢の
最後の一人
――特葬班を象徴する“穢れ憑き”と界異そのもののメンバーが隊員として所属する彼等の初任務は十分な訓練期間を持ってからの筈だったのだが。
「皆さんおはようございます。察しはついていらっしゃるかとおもいますが、緊急事態です」
中央のディスプレイに像が結ばれ、普段は一部の隙も無い制服姿が現われる監査員にして神祇官。洞居洞冥が少々身だしなみの整っていない状態で画面に映った。最初にその姿に反応したのは咎討だ。
「珍しく余裕が無いね、説明してくれ」
「試験部隊をこういう態度で呼ぶときって、とっても良くなさそう」
「うちみたいなのを駆り出すくらいやさかいねぇ」
明かな異常事態だが、咎討の様子はいつものように穏やかなもので、好き勝手おしゃべりをする面々もいうなれば平常運転である。その様子に少し落ち着いたのか、洞冥は少し冷静さを取り戻した様子で様子のおかしい事を説明し始める。
「まず状況をそのままお伝えします。現在、大阪地下環状線の車両が界異化し、地下を暴走しています。暴走している界異車両……仮称を『
交通の大動脈に起こった大惨事にも、特葬班は一命を除いて呑気な様子で反応する。へー、大変だね頑張ってね。といった風情だ。
「穏やかじゃないね」
「公共交通機関は結界が行き届いているんじゃないのか!?」
悲鳴のような抗議の声を上げたのは、元結界班の三田だ。先ほどからずっとチェックしていた情報から、自分たちに回ってくる“貧乏くじ”を半ば確信している口調だった。どうどう、と班最年少の鼎が三田を宥めている間に咎討が話を進める。
「我々に連絡を取る辺り聞くまでもないかもしれないが、他の部隊は?」
「他の部隊は現在、地上と地下を繋ぐ経路から地上に界異があふれるのを防ぐため大阪市全域に展開し、対応に追われている状態です。残念ながら、通常部隊ではこれ以上動員できる戦力は存在しません」
要するに、孤立無援の状態で大規模境界災害の主に設立したばかりで戦力評価すら真面に済んでいない、特葬班をダメ元で投入してみよう。という趣旨だという事が分かる。流石に驚いた様子の童売が、ツッコミを入れる。
「そもそも乗り込めるんどすか、それ?」
「……通常戦力であれば極めて難しいでしょう。そこであなた方の出番という事になります。界異の侵攻を他の部隊が食い止めている間に、地下に突入し暴走する車両を停止および祓滅……言うまでもなく今回の作戦で最も危険な役目になるでしょう」
「高速で立体的に動く車両に乗り込むために、
得心した様子の鼎に咎討が頷く。
「まあ、特別な部隊というのは逆に言えば失っても問題のない部隊だからね。私達がうってつけだろう」
どこか他人事のように状況を整理する特葬班隊長を、三田は不安そうにギョロついた眼で見た。しかし、帰ってくるのは謎めいた微笑だけだ。
「……咎討隊長。高速で周回する列車の界異を止めるとなると、結界一つじゃ無理だ」
「そうだね」
「望絶が周回する路線には、大量の鬱黒揚羽が……“結界破り”が得意な界異が発生している。つまり、この作戦は私達が乗り込んでいって地下路線の一つを占拠し多重結界展開・防衛し、望絶が来るまで耐えて多重結界で受け止めることが出来たら、今度は限りなくⅢ号級に近い……下手したらそれを越えてるかもしれない望絶を祓滅しろっていう話に聞こえる」
「そういう事になるね」
事も無げに答える声音は普段と変わらない。変わらなさすぎた。三田の眉が正確に三ミリ跳ね上がる。
「そんな事――」
「出来るさ」
自信満々で白い偉丈夫は言い切った。安心させるように浮かべているアルカイックスマイルの前に、三田の苦言が消え去る。それは別に納得したわけではなく“何をこいつは言っているんだ?”というものだったが、反論が消えた事で咎討は満足そうに頷いた。
「じゃあ、時間も無いらしいし。早速出撃しよう。特葬班初出撃だ」
何の気負いも無い、散歩に誘うかのような軽い口調。それに合わせるように、苦い声がディスプレイの向こう側、死地に向かうように告げなくてはいけない神祇官の口から発せられた。
「境界対策課中央司令部、神祇官洞居洞冥が特葬班に発令。“望絶の祓滅”を成し遂げてくれ――以上」
発令された以上、行かなくてはならない。各々思う所があっても彼らは境界対策課に属する、正規のタクティカル祓魔師なのだから。
「了解」
一名を除いて完璧な敬礼。鼎がわたわたと拙い敬礼を返すのをまって、神祇官の憎らしい程完璧な答礼によって特葬班の出動が決定された。