車掌型を排除した地下ホームの空気は重く、穢れの臭いが鼻を突く。地下鉄のプラットフォームは既に無人化され、非常灯だけが薄暗く照らしていた。
「皆、まずは陣形を整えよう。三田君は予定通り結界の展開をお願いするよ。童売ちゃんは補助。鼎ちゃんは周囲を警戒して欲しい。俺は望絶の正面を抑えるよ」
咎討の声は、いつものように穏やかで丁寧だったが、その大柄な体躯から発せられる威圧感は、戦場に適したものだった。重装狩衣の下に隠された筋肉が、わずかに緊張で膨張しているのがわかる。
「了解、幸い現状最適なポイントを確保できた。環状線の直線区間、結界を張るのに適した広さがある」
三田は努めて冷静に振る舞いながらも、彼女の明るいとび色の髪が緊張でわずかに震えている。彼女の常識で言えば、今から相対する相手は新設部隊が戦って生き残れる確率は絶望的な数値なのだ。手のひらサイズの形代紙を7枚の健在を確認した後に、注連鋼縄を展開する。FRP樹脂と鋼線で編まれたワイヤーが、四方に広がり、結界を形成していく。
「隊長。ここは環状線の直線区間、幅約10メートル、結界範囲を限定して多重構造にします。外層は物理干渉、内層は霊体封鎖……これで望絶の突進を止められるはず」
彼女の声は少し上ずっていたが、手つきは確かだった。結界が輝きを放ち、地下空間をわずかに歪める。霊体への物理ダメージを有効化する効果が即座に発揮され、周囲の空気を僅かに浄化する。更に童売が多腕を伸ばし、ワイヤーの固定を助けた。
「これでええどすか?うちの釘でも補強しときおす」
彼女の補助用釘がワイヤーに打ち込まれ、結界の強度を高める。鼎は周囲を警戒しているが、霊的な感知能力に知覚を振っているのか目を閉じている。クラシカル祓魔師名家出身である彼女の霊的センサーの範囲は非常に広く、障害物を容易に貫通するため、この様な周囲が敵に取り囲まれているに等しい状況での不意打ちを防ぐ役割を負っている。
しかし、今回最も早く敵の接近に気が付いたのは特葬班隊長であった。咎討は各員の作業進展を確認しつつ、大型黒不浄刀を抜き、常と変わらぬ穏やかな声で指示を出す。
「皆さん、望絶の接近に備えてください。音が聞こえてきます」
一拍遅れ、遠くから地響きのような振動が伝わってきた。最初は微かだったが、次第に強さを増す。赤いヘッドランプの光が、遥か彼方からぼんやりと浮かび上がる。駅のプラットフォームが、地獄のような紅に染まり始める。女性や男性、子供の混じった嘆きの声のような警笛が、耳を劈くように響く。
「く、来る……!」
寸での所で多重結界の展開を終えた三田が声を震わせた。凄まじい速度で、火花を散らしながら近づく鉄塊。血で紅く染まった車体が、立ちふさがるものをすべて撥ね飛ばす勢いで迫る。望絶――狂気に満ちた列車界異。その巨体は、環状線を永遠に周回し、穢れを撒き散らす恐るべき異界の法則そのものだった。
明らかにブリーフィングで説明を受けていたⅡ号級の存在では無い、迫りくる屍竜に似た暴走する死と恐怖そのものの鬼気。放射される圧倒的な狂気と死の匂いに反射的に体が退避を選択したくなる中、鼎が横目で班の戦友たち見て微笑んだ。
「みんな、生き残りましょうね」
車体には無数の自殺者の魂が溶け込み、錆びた血の臭いが漂ってくる。しかし、既に反応する隊員は居ない。三田の結界が輝きを増す。多重結界が最大展開され、地下空間を覆う。張り巡らされた注連鋼を伝って加護が霊体への干渉を強化。望絶の接近音が轟音に変わる中、特葬班は散開攻撃をするために最終陣形に微調整を終えた。疾走を止められた望絶がどういう行動を取るのかはシミュレーションはある程度済ませている。
――望絶と多重結界が衝突
「止まった……!」
「退避っ!!」
三田が息を吐くが喜ぶ暇はない。咎討が叫び、班は散開。望絶の車体が路線を外れ、竜のようにうねり自らの疾走を止めたタクティカル祓魔師たちを押しつぶそうとする。地下鉄のトンネル内で、巨体が特葬班を排除すべく動き出した。血肉でできた電気ケーブルが無数に伸び、電撃を放ちながら薙ぎ払う。路線上とホーム上はその巨体で薙ぎ払い、機動力に余裕がないため、退避スペースに逃げ込んだ鼎にケーブルを差し向け、電撃を浴びせかける。
電撃をすり抜けつつ鼎はケーブルを戮封豨で掴み、引き込むように引っ張り接近するためのロープとして利用。空中を“蹴って”停止した望絶に再接近。それを予測していたかのように飛来してきたゲーブルの束を
車体の下敷きになった童売は形代を一枚消費――もちろん故意だ。童売は特装班全員をカバーできる位置を確保するために強引に踏みとどまった。多腕を活かし、五寸釘を射出。
「いくら縁起になったいうてもウチを一撃で落とすとは、聞きしに勝る暴れん坊やねぇ」
形代が消費されたと言う事は、童売が致命傷を受けたという証左でもある。ぼやきながら飛ばした釘がケーブルに刺さり、虚空を打つ金槌で打ち込み動きを封る。最も強力な望絶本体によるのしかかりや薙ぎ払いは呪で縛るのは、彼我の出力差により不可能だが、その巨体に比べてごく“一部”に過ぎないものは拘束できる。望絶の本体の回避に専念するなら避けられない事もない。故に、隊の連携を妨害する要素を排除すれば勝機は掴めるという判断。
「“あんなもの”に轢かれて一枚で済む方がおかしいんだよ!」
バッチリ形代を二枚失った三田は、結界の維持のためそもそも避ける事が出来なかった。結界を完全に消失したなら、即座に貼り直す必要がある――そうしなければ、望絶は疾走を再開してしまい、今度こそ手に負えなくなる。故に元々彼女は此処で形代を消費する予定だったのだが、それはそれとして文句は出る様だ。
独り完全に回避した咎討は大型黒不浄でケーブルを斬り払い、前線に弾丸のように疾走。予定より鼎が敵を引き込み過ぎている――特装班としてのタクティクスとしては、鼎か咎討が敵の攻撃を受け止める役割の為、そこまで問題はないが、望絶が想定より成長しているのが確認できているため、火力を可能な限り集中したいのだ。
「皆、連携を崩さないように……む、不味いな」
咎討が漏らした声の先で、望絶は内部から界異を解放していた。まず現れたのは、自殺者の亡霊が境界異常に呑み込まれ発生した、Ⅰ号級仮称“望絶の影”。血まみれの幽霊たちが、プラットフォームに溢れ、特葬班に襲い掛かる。影たちは嘆きの声を上げ、触れるだけで精神を汚染する。次に、歩く死体のようなⅠ号級歩骸――彼は新顔ではない――が現れ、腐った肉体がゆっくりと迫り、生者を引き裂き喰らおうと無表情で特葬班ににじり寄る。望絶と相対している鼎から声が飛ぶ。
「穢装反応……Ⅱ号級!“ヘンなの”が来るわよ!」
さらに、最悪な事に一体だがⅡ号級“ヘンなの”こと“鉄瘴獣”が出現。鉄瘴獣の体は錆びた鉄骨、歯車、壊れた機械部品で構成されている。車体や鉄骨は、かつての列車や工場の残骸を思わせ、表面は血の錆と油のような黒い液体で覆われている。高さは約3メートル、幅は2メートル以上あり、四足で這うような姿勢で動く。その獣のようなシルエットの頭部には、赤く光る複数のセンサー様の目が点在している、機械的な輝きと同時に、怨念に満ちた不気味な光を放っていた。口に当たる部分はは巨大な歯車が回転する顎のようになっており、開くたびに金属の軋む音と瘴気を吐き出す。尾部には、電線やケーブルが絡み合った触手が伸び、電撃を帯びている。体からは、常に黒い煙と電磁波が漏れ出し、周囲の電子機器を狂わせる。煙は、腐臭とオイルの臭いが混ざり、吸い込むだけで喉を焼くような刺激がある。
つまり――“車掌型”と同じく片手間に相手が不可能な強敵だった。