地下鉄環状線のプラットフォームは、既に壊滅的な戦場と化していた。血の錆に覆われた望絶の巨体は、鉄の顎を展開し、血肉のケーブルを狂った鞭のように振り回しながら、特葬班を容赦なく追い詰めていた。望絶の影の残滓が血の霧のように漂い、腐敗の歩行者の腐った肉片が床に散乱し、鉄瘴獣の壊れた歯車が瓦礫と混ざる中、トンネルの壁は崩れ落ち、地響きのような振動が絶え間なく響く。空気は穢れの瘴気で重く淀み、非常灯の赤い光が断続的に明滅し、戦場を地獄の深淵のように染め上げていた。
血の臭いと鉄の焼ける臭いが混じり合い、鉄瘴獣の穢れの黒煙により息をするだけで肺が焼けるような痛みが走る。望絶の赤いヘッドランプが、特葬班の影を長く引き伸ばし、まるで死神の視線のように彼らを睨みつけていた。プラットフォームの床は、崩落したコンクリートの破片で埋め尽くされ、足を踏み入れるたびに砕ける音が響き、特葬班の足元を不安定にさせる。遠くのトンネルから、望絶の車体が引き起こす風圧が吹き荒れ、埃と穢れの粒子が視界を曇らせる。
血の錆に覆われた望絶の車体は、依然としてうねりながら特葬班を圧倒しようとし。崩れたトンネルの瓦礫と界異の残滓が散乱していた。非常灯の赤い光が断続的に明滅する中、特葬班は限界に近い状態で戦い続けていた。三田の多重結界は、望絶の猛攻を受けてひび割れ、彼女の顔には汗と疲労が滲んでいる。
「隊長、結界の内層があと数分しか持たない!早く望絶の動きを止めてくれ!」
三田の声は切迫していた。小型祭具を握る手が震え、呼吸音に異常が発生している。それでも、彼女は結界を維持し続け、注連鋼縄を張り直しながら新たな形代紙を展開。結界の外層が崩れる中、内層の霊体封鎖効果を強化し、望絶の動きを鈍らせつつ疾走再開を阻んでいた。
咎討、冷静さを失わず大型黒不浄刀を握り直す。彼の黄金色の瞳は戦場の混沌を貫き、最も危険な望絶の動きを的確に捉えると同時に、戦場全体を把握している。新たに出現したⅡ号級は本来容易い相手ではないが、界異はタクティカル祓魔師と違い戦術的な視点を持たないという部分に正気を見出す。
「三田君、よくやってくれているよ。もう少し持ちこたえて欲しい。鼎ちゃん、童売ちゃん、側面から界異を掃討して欲しい。その後に最終攻撃に移る」
鼎は血と汗で濡れた顔を拭い、無手の構え直した。彼女の白い狩衣はすでに界異たちの血しぶきで汚れ、黒い篭手――屠羿と戮封豨からは穢れの陽炎が立ち昇っている。これ程の量の穢れを喰らったのは初陣なのだから初めてだ。咎討の指示に従い、望絶の影の群れに円の軌道を取りながら突入。流れるような動きで敵を翻弄する。望絶の群がる中、鼎は回転しながら裏拳を繰り出し、影の顔を砕いた。続けて足払いで別の影を転ばせ、掌底で穢れを散らす。包囲状態において下段以外の足技は使用しないという基本に忠実な動きで、足を止めずに界異を撃破していく。界異の包囲網を利用しながら、本命である鉄瘴獣に接近。同時に鼎の通り道を切り開いてきた咎討が、その勢いのまま鉄瘴獣に突進。当然、その直線状には鼎の背がある。
「咎討、私を踏み台にっ!」
鼎の叫びに咎討は見えないのを承知で頷くと、鉄板入りのタクティカルブーツで、齢15歳の少女の背を蹴りつけ、巨体で宙を飛び鉄瘴獣に襲い掛かる。同時に、その踏み台になった鼎は踏みつけられた力を利用して前方に回転。地を這うようにして鉄瘴獣を下方から襲撃。彼女の拳が、錆びた鉄骨を砕き、電磁波を放つ歯車を叩き落とし、体勢を崩した所に咎討による大型黒不浄の致命的な全力攻撃が命中。特葬班最高火力の二連撃が直撃し、深刻な被害が出る前に鉄瘴獣を祓滅する事に成功する――“車掌型”と違い、正確なデータを持っているが故の、撃破リソース消費をギリギリまで絞った針の穴を通すような戦術。
厄介なⅡ号級を片付けれたが、鉄瘴獣の穢れを含む煙が戦場を覆う、煙の中で、歩骸が彼女に静かに迫る。腐った肉体が手を伸ばし、鼎を引き裂き喰らわんとするが、鼎は素早く身を翻し、掌で歩行者の頭部を撃ち抜き粉砕。
「近づかないでよ、汚いんだから!」
童売は多腕をフルに活用し、攻撃起点となる界異を的確に停止させつつ、戦場を縦横無尽に動き回る。漂ってくる穢れの煙の円周ギリギリを彼女の白い髪が舞う。
「隊長、鼎ちゃん!うちがカバーします。後ろの有象無象は置いて前へっ」
童売は大量の霊力の消費を覚悟し、人形を通した呪いではなく、両手に構えた五寸釘が望絶の影や腐敗の歩行者を貫き、動きを封じる――童売は“人形”の界異を元にした縁起であるがめ、人形を通さず直接呪を撃ち込むのは効率が悪く、相応の霊力を消費してしまう。
しかし、その代価として攻撃速度を上げた彼女の多腕による霊的攻撃は、まるで蜘蛛の巣のように敵を絡め取り、単独で特葬班への“支援射撃”を成立させることができる。
望絶は、特葬班の抵抗に苛立ちを募らせ、車体をさらにうねらせた。血肉でできた電気ケーブルが無数に伸び、電撃を放ちながらプラットフォームを薙ぎ払う。ケーブルは、瓦礫を巻き込みながら特葬班を狙い、電撃が三田の結界を直撃。結界の内層が一瞬揺らぎ、三田が膝をつく。
「くっ……こんなもので私の結界が崩せるものか!」
地に膝をつきながら、多重結界の注連鋼を必死に維持していた。彼女の明るいとび色の髪は汗で張り付き、顔は蒼白。息が浅く激しくなり、典型的な霊力限界値を迎えた祓魔師の症状を発症しているが、戦意は衰えていない。
望絶に最終攻撃をかけるべく、側背から界異の群れを突破してきた咎討と鼎が突撃をかける寸前――
――望絶のヘッドランプが爆発的に赤く輝き、車体から赤黒い霧が噴き出した。霧は戦場を瞬時に覆い、プラットフォームの景色を歪め、展開した穢れの結界とも言うべき異界に特葬班を引きずり込む。
霧の内部は、赤黒い闇に満ち、遮断機と線路だけが無限に続く世界――望絶が取り込んだ自殺者たちの絶望の記憶が具現化した空間だった。遮断機は、血の滴る鉄の棒でできており、線路は骨のような白いレールが続き、遠くに赤いヘッドランプの光が永遠に近づいてくる幻影が見える。
霧は、特葬班の感覚を狂わせ、息苦しさと絶望感を植え付ける。地面は柔らかく、足が沈み込むように感じ、線路の振動が体を震わせる。更に感覚としてわかる――水が地面に落ちていくように、この異界の“律”とも言うべきそれは――必ず暴走する望絶を避けることができないというものだ。
本来ならば詰みの一手だ。この望絶が支配する――大阪環状線を自殺者を跳ねながら高速周回するという“儀式”で蓄積され構築されつつあるこの異界。自殺者の地平の支配者は界異なのだ。可能ならば逃げ出す事が第一であるが、この世界の律は望絶に跳ねられる事であり、つまりその衝突に耐えなくてはならないと言う事。
赤いヘッドランプが特葬班を照らす、特葬班のいる駅が、空が、地面が、地獄のような紅に染まる。
遠くからぼんやりとカーブを凄まじい速度で曲がり火花を散らす車両が近づいてくる。
女性や男性、子供に大人交じり合った何人もの嘆きのように聞こえる警笛が鳴り響く。
地面は揺れ、地響きが次第に近寄ってくる。
それは、立ちふさがるものすべてを撥ね飛ばす勢いを持って、異界の大気をうならせながら接近する。
血で紅に染まった車体は新たな錆びを求め暴走する。
「く、来る……!」
霊力が尽きつつある三田が声を震わせた。望絶――狂気に満ちた列車界異。その正体は、環状線を永遠に周回し、内なる死の世界を構築する恐るべき異界の法則そのものだった。しかし――それは、特葬班に対して行ってはならない行為でもあったのだ。
「特葬班隊長として発令する、
命じられた鼎は血と瘴気で汚れた白い狩衣、その肩口の傷から鮮血を滴らせながら微笑む。
「――了解」
瞬間。彼女の体が爆発的な黒い光に包まれ、闇の太陽が誕生した。鼎の強力な封印具でもある白い狩衣が、膨大な噴出する穢れに侵され、漆黒のフェザードレスに変容する。ドレスの裾から、無数の鴉の羽が嵐のように舞い上がり、戦場を黒い旋風で覆い尽くした。羽根は、血のように赤い輝きを帯び、不思議な粒子となって空気を震わせ、望絶の赤いヘッドランプの光を飲み込み、戦場を黒い闇と赤い閃光の交錯する異界に変える。
羽の舞いは黒い颶風を巻き起こし、瘴気の霧を切り裂く。鼎の体から噴き出すエネルギーが、無限の踏切の異界を震わせ、望絶の世界に罅を入れる。彼女の黒髪が風に舞い血の滴りが羽に混ざり、赤黒い軌跡を残す――既にその身に受けていた傷が癒えた身体で優雅に線路上に降り立ち、踏切の前に出る。
王者の如くこの異界の主を待ち構える
「――え?」
声を上げたのは衝突音に備え、耳を押さえていた三田だった。十二両編成の望絶が凄まじい勢いで突進してきたのだ。もし、それを鼎が止められたとしても、当然の如く望絶は脱線し、過去の脱線事故を参照するまでもなく、甚大な破壊力をあたりにまき散らして形代を消費する展開を覚悟していたし、そもそも想定していた衝突音と比べそれは小さすぎた――例えるならそれなりの速度で自動車が壁に衝突した程度の衝撃音だったのだ。しかし、同時に何が起こったのかは理解していた。
――重力に作用する術式。即ち質量を変化させる力、鼎の屠羿が、望絶の巨体に触れた瞬間、重力制御術式が望絶の被呪耐性を貫通して作用を開始、質量制御で車体の質量が超減衰され。車体の慣性力が大幅に消失。突進の勢いが泡のように消え失せ、結果として軽自動車の突進程度まで打撃力が減衰された。そして、その突撃を鼎は片腕で止めたのだ。太陽九個分という。途方もない霊的質量を抱える鼎だからこそできる芸当である。
「遊びは終わりよ」
望絶の車体を掴む鼎が、腕を上げ望絶の先頭車両を宙に浮かすとその車体下部の隙間に身体をねじ込み、上方に垂直に蹴り上げる。この戦闘で初めて見せる蹴り技は大地を軸とし、鯉登のように望絶の車体を空中に打ち上げる――全長200メートルを超える望絶の車体がだ!
天に昇る車体を追い、鼎が飛翔。遮断機と線路が無限に続く異界の中、“変身”した鼎の赤い眼光が軌跡を残す。打ち上げた衝撃での上昇限界地点で、鼎は先頭車両の上部に取り付くと、重力呪式を発動――今度は“重く”なるように。だが、それだけではない。
「貴方たちの望みを叶えてあげる」
“望絶”の核とも言うべきものは、自殺者の魂と幽霊列車の融合体である。それはこの自殺者を轢き殺すためだけの異界にも如実に表れている。
上昇するエネルギーが失われた、車体が重力という方則に導かれる。鼎の重力術式により先頭車両が竜が失墜するがごとく、頭を下げ始める。
「虚ろなる闇の果てへ、永遠の沈黙を伴い堕ちるべく……」
鼎の謳う様な呪詛が望絶の下方に向かう理由をひとつ付け足す――繰り返しになるが、ここは望絶自身が作り出した“自殺者のための異界”――故に、望絶に対する“飛び込み自殺”を防ぐ手段がこの異界に存在しない事と同じく、この“投身自殺”も防ぐ手段はない。界異である望絶自身の考えは不明だが、その内部の自殺者たちの願望を
「熊野鴉神流“願い墜とし”」
車体が逆落としされ自殺者たちの地平を突き抜ける。穢れの結界が崩壊し先程の戦場に墜落。衝撃が完全に結界を破壊し、赤黒い霧が消滅。プラットフォームに戻った望絶は、半壊し血の錆が剥がれ、鉄の顎が歪み、血肉ケーブルが痙攣する。墜落の衝撃で、プラットフォームの床がさらに崩れ、瓦礫が飛び散り、特葬班の体を震わせた。霧の消滅とともに戦場に元の空気が戻り、特葬班たちの顔がはっきり見えるようになる。
半壊した車体を引きずり望絶が再び鎌首をもたげる様に戦闘態勢に入る。窓ガラスから見えていた内部の界異達が消え去っている――“自殺”が成功したのだ。死ねなかったのは自殺手段として残った望絶ただ一体。ほぼ反射的とも言うべき押しつぶしで鼎を狙う。予測していた鼎の体は、闇そのものに溶け込むように分解され、鴉の群れへと変換され散開。周囲の闇に溶ける。
攻撃を回避されて車体が伸びた望絶に、闇の中から鴉の鬼火のような眼光をともなって、驟雨のごとく“鴉”が望絶にロケット砲の如く撃ち込まれる。それは鋼鉄を引き裂き、潤滑油をぶちまけさせ、バッテリーを吹き飛ばして雷光の残滓をまき散らす。
突き刺さった鴉たちは、望絶の車体に瘤のような黒い塊を形成。瘤は、まるで生き物のように脈動し移動を開始、移動経路の内側から黒い陽光を噴き出し、望絶の穢装――血の錆や鉄の装甲――を侵食。先頭車両付近の連結部に集合した瘤が膨らみ、内部から赤黒い劫火が漏れ出し、戦場に光が広がる。望絶が悲鳴のような警笛を上げる、車体が震え穢れが爆発的に噴出。瘤が一気に裂けた瞬間、少女の細腕が車体を引き裂き、その裂け目から漆黒のフェザードレスに身を包んだ鼎が現れた。
「熊野鴉神流奥義“屍封陣”――さぁ、皆……狩の時間だよ」
ドン引く特葬班。界異殺すマシーンと化した鼎の残酷さは、訓練では見えなかった側面だった。
「うち、ああいう死に方はしたくないわぁ」
「嘘……明らかに格上相手だぞ、殆ど消し飛んでるじゃないか!?」
車体を真っ二つに引き裂いて、機関部を僅かに残すだけ迄に破壊し尽くした暴威に硬直していた三田と童売に、咎討が常と変わらぬ穏やかな口調で告げる。
「よし、最終攻撃だ」
既に望絶は高速走行が不可能なため、結界の維持は不要と判断。三田を含めた全メンバーによる最終攻撃が始まった。三田の攻撃は通常なら望絶の異常な穢装に弾かれていただろうが、今は中身が剝き出しであり、有効打を出せる。童売は内部の界異が壊滅したため、人形による呪が本体に直接通るようになり、打撃力が上がる。咎討は半壊した機関部に飛び掛かり、大型黒不浄による攻撃を与え続ける――車体を切断した瘤から鼎がおっとり刀で這い出てくる間に、特葬班の猛攻により望絶は力尽きていた。望絶の発する駆動音と鼓動の混じったような音が徐々に形を潜め、車体に巣食っていた穢れもやがて剥がれ、元の車両の姿へと戻っていく――破壊され尽くしているが。
これが大阪環状線を揺るがす大事件を起こした界異の最後だった。
「界異特急“望絶”の祓滅を確認――うん、心配だった協調性も花丸をあげよう」
咎討が通信機で状況終了を告げようとするも、地下鉄内では意味がない事に気が付き苦笑いを浮かべる。既に“変身”を解除した鼎を含め、特葬班全員が集合――激戦だったが、誰一人欠ける事も無かった、咎討は満足そうに頷いた。
「よし、撤収!鉄道会社からあれこれ言われる前に撤退しよう。今日は本当によく頑張ったようだから、何か食べたいものでもあれば奢ってあげるよ」
「うちあんみつが食べたいわぁ」
「えっ、消化できんの…?」
「え、それって……もしかして、お。オムライスもいいの???」
「ああ、もちろんだ!もっと高いものでもいいんだぞ?」
かくして 仮設界異運用部隊こと特装班は無事に初任務をこなし、その有用性を証明した。此度の活躍が評価され、後日隊名から“仮設”が外れることになる。新たに境対の新部隊として設立されたその隊の名は―――